2005年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7  ロマ 14:7〜9  マタ 18:21〜35

今日はちょうど衆議院議員の選挙の日ですが、今回の小泉首相による衆院解散とその後の動きについては、多くの国民の関心が高まりました。
郵政民営化に反対した議員を自民党が公認せず、それでも無所属で立候補するところには賛成派の新人を候補者として送り込みました。
世間はそれを “刺客” と呼び、一部の人々はそれをまるで仁義に反する “けしからん” 行為であるかのように批判しました。
小泉首相とそれを取り巻く多数の議員が “我が国の将来” のためにという信念の下に行動していることが、反対派の人々には不当なことのように見えたのでした。

「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」(ロマ v.8)

その主のために、私たちは兄弟を赦しもするし、また裁いたり排除したりすることが必要になることもあるのです。
事なかれ主義やきれい事を好む人々には、それが不当な行為であるかのように見えることでしょう。
しかし私たちの教会は 「使徒や預言者という土台の上に建てられています。 そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」(エフェ 2:20)ますから、「私たちは神のみ前で、キリストに結ばれて語る」(IIコリ 12:19)ことが大切です。
“兄弟を赦す” とは、現実の罪に目を閉じてしまって、「ヨセフの破滅に心を痛めることがない」(アモ 6:6)、つまりキリストの体である教会が破滅するのを心に留めないでいるということであってはならないのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より