2014年(主日A年) 11月23日 王であるキリスト
エゼ 34:11〜17  Iコリ 15:20〜28  マタ 25:31〜46

「つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(Iコリ v.22)

キリストが教会の王であるばかりではなく、また全世界の王であるという神学的認識は、20世紀の教会が獲得した大いなる遺産でありました。
カトリック教会が典礼暦最後の主日を “王であるキリストの祭日” に定めて、すでに90年近くになります。
しかし、それが “使徒たちから伝えられたキリストの福音” の一部として、真に説教の主題として主日のミサで語られて来たかと言うと、これは甚だ心もとないのです。

この主題が、“しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました”(Iコリ v.20)という福音から切り離されて、
教会の一部の人々によって政治活動や社会活動のために利用される以外には、普通の信者はほとんど何も聞かされて来なかったからです。

“すべての敵をその足の下に服従させた”(Iコリ vv.25-27)王であるキリストが、“最後の敵として、死を滅ぼしてくださる”(Iコリ v.26)ことに教会が信頼し、すでに勝ち得られた勝利を信じる信仰に固く立つことによってだけ、
その信仰の実践としての “全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい” (マコ 16:15)という主の命令を、具体化することが私たちに出来るようにになるのです。
神の国を実現されるのは神です。
それは教会に与えられた終末的な約束であり希望であって、決して人間が自らの善意と努力によって実現する地上の目標ではありません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より