2014年(主日A年) 11月16日 年間第33主日
箴 31:10〜31  Iテサ 5:1〜6  マタ 25:14〜30

「従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」(Iテサ v.6)

典礼暦のA年の主日が、今日と来週の二回で終わります。 私たちは毎年この期節に “終わりの時” に心を向けます。
日本語の感覚では “身を慎む” とは “慎み深い” などという用語法を連想させるので、何もしないで温和しくしていることのように受け取られますが、
実はこの言葉νήφωはむしろ “常に用意が出来ている” という意味であって、ルカ 12:35-36 のような内容で理解しなければなりません。

近年は就活をもじった終活という言葉が流行っていて、すでに “人生のエンディングプラン作成を援助する商売” さえもが目につくようになりました。
その内容は身辺整理、成年後見制度や見守りサポートなど、おひとりさま向け事前準備あれこれ、介護、葬儀供養など、要するに “無事に終わるための準備” という訳です。
しかし、聖書はそれとは全く反対のことを主張しているのです。

人の人生は死で終わるのではなくて、 ・・・・・ 恐らく “眠りについた” (使 7:60)が、最も適切な聖書的表現であります ・・・・・ 、
その次に “眠りから覚める”(ロマ 13:11)とき、 “わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つ”(ロマ 14:10)ときが続くことを、使徒たちは一貫して強調したのです。
“光の子、昼の子”(Iテサ v.5)とは、温和しくて行儀の良い人生を送りながら終わりを待っている人のことではなくて、“常に用意が出来ている信仰者” という意味なのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より