2011年(主日A年) 11月13日 年間第33主日
箴 31:10〜31  Iテサ 5:1〜6  マタ 25:14〜30

旧約聖書の中で便宜上知恵文学と呼ばれている諸書には、必ずしも信仰とか倫理などと直接関係を持たない多くの教え、教訓、広い範囲の知識や技術などが雑多に含まれています。
これらはある意味で私たちの信仰の世界を広げてくれるもので、過激で律法的な禁欲主義や原理主義的セクトからの回避を助けてくれます。
ですから私たちは、今朝のこの朗読配分からもかなり自由に、人生の願望や賢い生き方へのあこがれを読み取ることが出来ます。
実生活に関わりがあるだけに分かり易く、示唆にも富んでいます。
そのような雑多な知恵の世界の中で、私たちキリスト者は信仰の旅路を歩んでいるのです。

確かに私たち教会は、“生きている者と死んだ者を裁く方であるキリスト・イエス” が “大いなる力と栄光を帯びて天から来られるのを” 待ち望んでいる民なのだということを、感謝の中に再確認しましょう。

「主を畏れる女こそ、たたえられる。」(箴 v.30)

私たちは信仰によって義とされ(ロマ 5:1)、光の中にある聖なる者たちの相続分にあずかれるようにしていただいたのですから(コロ 1:12)。
私たちを突然破滅が襲うことはないと知っているのですから(Iテサ 5:3)。
そうです。 “主を畏れることは知恵の初め” なのです(箴 1:7)。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より