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キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/05(日) 15:09:44.92ID:pNngxdaq
0597老クリスチャン
垢版 |
2017/11/16(木) 11:56:44.77ID:7oY8lYEH
2002年(主日A年) 11月17日 年間第33主日
箴 31:10〜31  Iテサ 5:1〜6  マタ 25:14〜30

「さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。」(マタ v.19)

私たちは毎年典礼暦の終わりのこの時期になると、私たちの歴史はやがていつか終末の裁きの日を迎えるのだということを、主日のミサの日課から聞かされます。
キリスト者であるとは、この日に向かってその人生を生きることであります。
神から一人一人に預けられた時間や能力を、再臨の主の期待に応えるように活用して歩む 「かなり日がたってから」、私たちは終末の日を迎えることになるでしょう。
ですからキリスト者にとっては、その人生の歩みは神の前での課題であり、必ずその 「清算を始める」 終末の裁きに至るのです。

この譬え話では、主人は僕たちに 「それぞれの力に応じて」(マタ v.15)タラントンを預けました。
5タラントンと2タラントンを預けられた二人は、それが各自の力に応じた配分であると感謝したに違いありません。
彼らは喜んでそれで商売をしました。
0598老クリスチャン
垢版 |
2017/11/16(木) 11:57:56.82ID:7oY8lYEH
(つづき)
いつの時代でも商売にリスクはつきものですから、必ず成功して利益を得るとは限りません。
私たち一人一人の人生も同様であって、成功と失敗、豊さと貧しさ、順境と逆境が複雑に入り交じっているものです。
ですから二人が5タラントンと2タラントンを儲けたのは、よほど運が良かったのでしょう。
しかしこの譬え話が本当に褒めているのは、この二人が喜んで商売をしたということ、言いかえれば各自が主から委ねられた人生に 「忠実であった」(マタ v.21) ということでありました。
(無事に儲けたということが褒められているのではないことに注意 ! )

それにひきかえ、1タラントンを預けられた人は、それが自分の力に応じた課題だとは思いませんでした。
彼は自分に委ねられた人生に喜んで取り組もうとはしませんでした。
彼は自分の人生を、再臨の主の期待に応えるために活用するものだとは考えませんでした。

「主を畏れる女こそ、たたえられる。」(箴 v.30)

主から預けられたタラントン、主から委ねられた人生を、「地の中に隠しておく」 のではなくて、再臨の主の期待に応えるように活用して歩むという課題が、私たち一同に与えられていることを知りましょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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