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キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net

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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/05(日) 15:09:44.92ID:pNngxdaq
0378老クリスチャン
垢版 |
2017/10/28(土) 11:55:11.74ID:gJszB28L
2014年(主日A年) 10月26日 年間第30主日
出 22:20〜26  Iテサ 1:5c〜10  マタ 22:34〜40

教会が “神である主を愛し、隣人を愛する共同体” として成長するということは、決して人間の努力目標のようなものではありません。
そうではなくて、それは正しい福音理解に基づく 「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」(使 20:21)の結果であることを、この手紙は見事に述べています。
テサロニケの教会の人々は、「聖霊による喜びをもって御言葉(福音)を受け入れ」(Iテサ v.6)、「偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになった」(Iテサ v.9)ばかりでなく、
神の国の希望を持って 「御子が天から来られるのを待ち望むようになった」(Iテサ v.10)のであり、
このような信仰によって “互いに愛し合う” 共同体の形成のために働き(Iテサ 1:3)、さらにその信仰に伴う福音宣教(新しい共同体造り)がマケドニア州やアカイア州に響き渡るようになりました。

“福音宣教” ということと “キリストの体を造り上げていく” ということを、ほぼ完全に切り離してしまったのが、20世紀のキリスト教の趨勢でありました。
その結果ミサが形骸化してしまい、“神である主を愛し、隣人を愛する” ということを、人々はミサ以外のいろいろな活動や政治的運動などに求めるようになりました。
“どの掟が最も重要でしょうか” とは、教会の対外的活動指針を問うことと同じになったのです。
0379老クリスチャン
垢版 |
2017/10/28(土) 11:56:03.27ID:gJszB28L
(つづき)
「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。 あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。」(出 v.20)

“主が地の面にいるすべての民の中から選び、御自分の宝の民とされた”(申 7:6)あなたがたイスラエルの中にいる寄留者を、虐待したり圧迫したりしてはならないというこの律法の主張を、正しく読み取らなければなりません。
決して “エジプトの王であるファラオがかつてイスラエルの民を虐待した罪を糾弾せよ” などと言っているのではないのです。

律法の対象は、あくまでもエジプトから導き出された神の民イスラエルであって、そのような共同体の中にあっては隣人を憐れみ愛さなければならないという意味で、
新共同訳では “人道的律法”、フランシスコ会訳では “社会的宗教的規定” という表題が付けられているのです。

ローマ典礼様式による私たちの主日のミサで、特にその交わりの儀で会衆が順にキリストのからだを受けに行く中で、お互いを “共に恵みにあずかる者”(フィリ 1:7)として喜ぶ信仰と感謝が、一同の心に回復されますように。
「キリストが(再び)あなたがたの内に形づくられるまで ・・・・・ 」(ガラ 4:19)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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