トップページ心と宗教
697コメント702KB

キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/02/05(日) 15:09:44.92ID:pNngxdaq
0349老クリスチャン
垢版 |
2017/10/26(木) 10:50:56.15ID:GcHaAzJx
2002年(主日A年) 10月27日 年間第30主日
出 22:20〜26  Iテサ 1:5c〜10  マタ 22:34〜40

ファリサイ派に属する一人の律法学者が、イエスを試そうとして尋ねました。

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」(マタ v.36)

主イエスはこれに答えて、申 6:5 と レビ 19:18 の二つの掟を引用されました。
当時のユダヤ教のカテキズムの中に、この二つの掟を一組にして教える例が既に存在していて(ルカ10章ではこの形で語られている)、その点では主イエスは新しいことを言われた訳ではなかったようです。
しかし重要なのは、マタイ福音書が残した 「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタ v.40)というイエスの言葉です。
マルコ福音書とルカ福音書の並行記事にはこのイエスの言葉は登場しませんが、それでも内容的には的確に一致します。

私たちが旧約聖書と呼んでいる書物群は、ユダヤ人たちの間では “律法と預言者と諸書” と呼ばれていました。
最初の五書(創世記〜申命記)はその中で特に重要とされ、これが本来のトーラー(律法)と言われるものなのですが、この呼称が旧約聖書全体を代表して用いられたり、これに預言者を付け加えて呼ばれたりもしていました。
ですからこのマタイ福音書の物語りで マタ v.36 の “律法” も、マタ v.40 の “律法全体と預言者” も、旧約聖書全体を指していると理解してよいのです。
0350老クリスチャン
垢版 |
2017/10/26(木) 10:51:36.49ID:GcHaAzJx
(つづき)
出エジプト記において、十戒とそれに続く契約の書(20-24章)は、神の民イスラエルの存立の基礎、共同体形成の要件として描かれています。
今朝のテキストはその中の一部です。
ですから神の民の共同体という枠、その一致と存続のためという目的から離れて理解してはならないということに注目しましょう。

私たちは次のことを十分考慮すべきです。
すなわち世界には “隣人である人” と “隣人ではない人” とが存在していて、ここではその中の前者への人道的配慮が取り上げられているということです。
そこには “以前から隣人であった人” だけではなくて、“最近隣人となった人(寄留者)” も含まれていますが、“隣人ではない人” のことには全く言及されていません。

このように、律法というものが神の民の共同体を対象としており、その一致と存続を目的として神から与えられているということを、私たちは理解する必要があります。
“神を愛し、隣人を愛する” ということは、多くの良い教え、道徳や掟の中の一つではなくて、律法全体の、旧約聖書全体の基礎であり要約であると、主イエスは語られたのでした。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況