2014年(主日A年) 10月5日 年間第27主日
イザ 5:1〜7  フィリ 4:6〜9  マタ 21:33〜43

「農夫たちは、その息子を見て話し合った。 “これは跡取りだ。 さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。”」(マタ v.38)

ここで相続財産と訳されている語が、旧約聖書のギリシア語訳(LXX)で使われている κληρονομία(嗣業)であり、跡取りと訳されているのは κληρονόμος(その嗣業の相続人のこと)であることに注目することは、非常に重要です。
つまりこの譬え話は、ただの略奪や殺人というこの世の犯罪のことを取り上げて、道徳や社会正義を論じている話ではないのです。

新約聖書が述べている、私たちキリスト者が受け継ぐ κληρονομία(嗣業)とは、来るべき神の国あるいは永遠の命と呼ばれていて(マタ v.43,19:29,25:34)、これは全く終末論的な概念です。
私たちは “キリスト・イエスに結ばれて”(ロマ 6:3,11)神の子とされたので、今やこの嗣業の “キリストと共同の相続人”(ロマ 8:14-17)となりました。

ところが、神のぶどう畑であるはずの現代の教会が、嗣業の相続人であるキリストにではなく、教会が置かれているこの世界に対して良いぶどうという収穫を納めようとして(マタ v.41)、
人間の善意と能力によって正義と平和を実現出来るのだという幻想に支配されているとしたら、
それは正にこの譬え話の主題 “これは跡取りだ。 さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう” が、そのまま再現されていると言わなければなりません。

・・・・・ 以下、本文参照。
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