2014年(主日A年) 9月28日 年間第26主日
エゼ 18:25〜28  フィリ 2:1〜11  マタ 21:28〜32

「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリ vv.8-9)

古きイスラエルがその不従順のためになし得なかったことを、「神はしてくださったのです。 つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、 ・・・・・ 。」ロマ 8:3)
十字架の死に至るまでのキリストの従順は、「それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(ガラ 4:5)
私たちキリスト者が現在 “神の子” と呼ばれるのは、自らの善い業や功績によるのではなくて、このキリスト・イエスに結ばれて “新しい命に生きる” ことによるのです(ロマ 6:3-11)。

人間は本来すべて神の子であるとか、神はすべての命ある者の父であるから、これを保護し守ることは当然であるというような考え方は、キリストの福音とは何の関係もない人本主義的思想であることを、ここで強調しておきたいと思います。
父への従順は御子キリストに押しつけておいて、
自分は何でも我が儘な要求をお願いすれば “都合の良いように” 答えてくださるのが神であると ・・・・・ 、そんなふうに安易に考えているような傾向が、多くの信者の通俗的な信仰理解だとすれば、それは空しい迷信でしかありません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より