2002年(主日A年) 9月29日 年間第26主日
エゼ 18:25〜28  フィリ 2:1〜11  マタ 21:28〜32

「弟は “お父さん、承知しました” と答えたが、出かけなかった。」(マタ v.30)

主イエスはエルサレム神殿の境内で、祭司長や民の長老たちと語っておられました。
マタイ福音書がここで想定しているのはユダヤ人(古きイスラエル)のことであります。
旧約聖書によれば、かつてイスラエルの民はシナイ山でモーセの律法を与えられたとき、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」(出 24:7)と宣言しました。
そのユダヤ人の多くが、当時イエスを救い主として受け入れる教会の信仰を拒否していました。
ヨハネが示した “義の道”(マタ v.32)とはキリストの福音のことであり、マタイ福音書では “義を求めること” と “神の国を求めること” は一つです(マタ 6:33)。

このキリストの福音にユダヤ民族はつまずき、彼らは折り取られた枝のようになりました(ロマ 11:1,20)。
それにひきかえ、イスラエルの民に属さず、神を知らずに生きていた異邦人(エフ ェ2:11-12)は、「後で考え直して」(マタ v.29)キリストの福音を受け入れ、神の国を受け継ぐ者(エフェ 3:6)となったのでした。
教会は実にキリストの福音を信じる信仰によって立っているのです。
それで使徒パウロが次のように言いました。
「わたしは福音を恥としない。 福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ロマ 1:16)
神はユダヤ人であっても異邦人であっても、イエス・キリストを信じるすべての人を義とされるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
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