2014年(主日A年) 9月21日 年間第25主日
イザ 55:6〜9  フィリ 1:20〜27  マタ 20:1〜16

「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。」(フィリ v.27)

新約聖書において “信仰” とは、ある主義や主張、教えなどに従うということではありません。
そうではなくて、それは “神のことば” を聞いて、理解し、受け入れること、信じることです。
しかもこの “神のことば” とは、「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく」(IIコリ 5:19)と宣べ伝えられている 「信仰の言葉」(ロマ 10:8)です。

ですから先ず、「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」(ロマ 3:25)という “福音の宣教” があって、
その上で 「信仰は聞くことにより、しかも、その宣教(キリストの言葉)を聞くことによって始まるのです」(ロマ 10:17)。
このように “信仰” とは、宣べ伝えられたキリストの福音への応答であって、「キリストの日に備えて」(フィリ 1:10,2:16)そのような信仰の応答に生きる歩みが、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送る」 と表現されているのです。

復活されたキリストは、現代の教会が “使徒たちの宣教” に耳を傾け、信じて救いを受けることが出来るように(ロマ 1:16)、今も聖伝と聖書を通して語り続けておられます。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より