教祖の霊的能力のあり方によって「宗教の違い」が出る

 『救世の法』には、そうした争い、対立が起きている理由についても書いてあります。

 それは、要するに、「人間の目には霊界が見えないので、結局、人が書いたものや語ったものでしか神を判断できない」ということです。
過去の預言者たちも、「霊聴」といって、神の声を聴けるだけで姿までは視えないことが多かったので、それが原因で対立がよく起きているわけです。

 偶像崇拝を否定する宗教はよくありますが、その場合、教祖に当たる人に霊視能力がないことが多いのです。もし、霊視ができ、神や仏の姿を視ることができたならば、その教祖は、必ず、その姿を何かに表し、造形しようとするものです。

 しかし、その姿を霊視することができず、声だけが聞こえたり、あるいは、自動書記のようなかたちで霊示だけが降りたりするスタイルだった場合には、偶像崇拝を否定したがる傾向があります。

 それに対して、実際に神の姿を視ることができた人は、偶像崇拝をあまり否定しないのが普通です。
実際に姿を視た場合には、「神の御姿は、こういうものであった」ということを、必ず、ほかの人にも見せたくなるので、像をつくるか、絵を描くかして、目に見えるかたちに表そうとします。

 そのように、教祖の霊的能力のあり方の違いによって、宗教の違いが出てきやすいのです。

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