改革派スレで返答を頂いたプロテスタントだけど。

遠藤周作や井上神父には深く共感するので、誰もカトリック内部にはシンパシーを抱く人はいない、という断定には悲しさを覚えます。また、その断定は事実でもないでしょう。じゃあ、カトリック教会に『沈黙』のポスターがあったのはなんだ、ということになる。

井上神父は、煮え立つ熱湯で信徒が拷問を受けた雲仙の温泉に遠藤周作、三浦朱門とやってきて往時を思ったそうです。前の2人は「俺なら棄教する」と叫び井上神父は「わからん」と叫んだとか。

棄教は神の御望みではないと思いますが、迫害の末に棄教した者には絶望と滅びしかない、というのは違うかと。