カトリックを信仰した遠藤周作は「このように」考えた。
それを書いた。
カトリックを信仰したことによって心の中で引き起こされた反応のようなもの
を書いた。
これは「カトリックの教義」ではない。
それに対して、カトリックの教義ではないだろう、正当性はどこにあるのか、と問うのは
ナンセンスであり、不必要に憤慨してしまうことになるよ。

一方で遠藤周作の作品に憤慨する気持ちもよくわかる。
神は沈黙されない。奇跡もある。復活もある。
しかし、遠藤周作は徹底的に疑ってみせたんだよ。
「俺はここまで疑ってるぜ?おまえらと同じかそれ以上だろ。それでも俺はカトリック信徒さ。」
こういうのがひしひしと伝わってくるけどな。