【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 これから未来千年、GLAが辿る歴史を想像してみるならば、GLAは何度も
「困難」に見舞われるだろう。「困難」というのは、「これまでのやり方が
通用しない」、「新たな解決・創造の智慧が無ければ前に進めない」という
事態に遭遇するということだ。
そのような時、神は、「鍵を持った者」をGLAに遣わされるだろう。
「鍵を持った者」は、他の人にはアクセス困難な青写真にアクセスし、
GLAが果たすべき解決・創造の道筋を示す人間である。
しかし、「鍵を持った者」は、必ずしもGLAで歓迎されるわけではない。
むしろ「迷惑千万な邪魔者」として扱われるかもしれない。特に、GLAの中に
「快苦」に縛られ煩悩を調御できない人が多いほど、そうなる可能性が高まる。
「鍵を持った者」は、GLAの中では「新参者」であったり、あるいは、
「これまで何の実績も無かった人間」であったりする。そのような人間が
解決・創造の青写真にアクセスし、その内容を明かしてゆくという行為は、
ある見方をすれば、「その時代にGLAで力を持っている者の無能さを白日の
下に晒す行為」にもなってしまうのだ。 「力を持っている者」が、自分の地位、見栄、体面などに執着しているならば、
「鍵を持った者」は、正にそれらを脅かす存在に見えるだろう。
ならば、「力を持っている者」は、「鍵を持った者」を疎んじ、黙らせ、
あるいは、GLAから排除しようと画策するだろう。
そして、「力を持っている者」の周囲の人間が、やはり快苦に縛られ、
煩悩を調御できていなければ、ただ己の保身のため、「力を持っている者」
との間に軋轢を起こさないために、「力を持っている者」に媚びへつらい、
その愚行を看過しようとするだろう。
その結果、解決・創造の青写真は具現されることなく放置される。
それは、正に神が差し出された御手を振り払う行為であり、GLAは
神のご加護を受られなくなるだろう。 そのような状態に陥ったGLAを救う方法の一つとして、「歴史を振り返る」
という方策が可能かもしれない。その時代のGLAの人々が、過去のGLAの歴史を
辿ってみると、「21世紀初頭、2018年頃のGLAでも、今とそっくり
同じような事が起こっていた」「その時代、人々は快苦に縛られ煩悩を調御できず、
神の御手を振り払うようなことをしていた」ということに気づけるだろう。
そして、さらに、「21世紀初頭のGLAでは、やがて人々は煩悩に打ち克ち、
鍵を持った者からバトンを受け継ぎ、青写真を具現していった」という
記録が残っていたとしよう。
その記録は、未来の人々にとって希望の星になるだろう。人々はその記録に
触れて目覚め、「自分たちも煩悩に打ち克ってバトンを受け継ごう」という
気運が湧いてくるだろう。
2018年現在、煩悩にまみれ、佳子先生から頂いたテーマ(千年構想、
7つのプログラム)を放置しているGLAの現状は、一つには、このような
「記録」を残すこと、できれば「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ風土」
と呼ぶべきものを醸成するために与えられているのではないだろうか。 そして、もう一つ、「個人の記憶」と呼ぶべきものを醸成することも
理由になっていると思う。今生の人生で、ある人が「煩悩に打ち克ち、
様々な困難を克服し、鍵を持った者からバトンを受け継いだ」という
事実があったとしよう。
ならば、その事実は、「個人の記憶」としてその人の魂に刻まれる。
その「個人の記憶」を持った人は、来世も同等の役割を果たせるものと
期待できるから、「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ」という役割が
その人には与えられるのではないだろうか。
むしろ、来世には、佳子先生はおられないのだから、その人が失敗したら後が無い。
ならば「来世が本番で、今世は来世のための練習」と考える方が正しいのかもしれない。
なお、言うまでもないことであるが、佳子先生が「鍵を持った者からバトンを
受け継げ」などと現状のGLA会員を叱り飛ばして、その通りに動かされたとしても、
それは未来の人々にとって何の参考にもならないことであるし、個人の成長にも、
全くつながらないことである。 GLAの現役の理事のうち、何名かが相当の年齢であるにも
かかわらず、現役を続けておられるのは、おそらく本人が
「引退したい」と希望しても、佳子先生が許されないからだろう。
佳子先生が引退を許されないとすると、その理由は、上述した点が
関係しているのかもしれない。
つまり、残りの人生の一切をかけて「鍵を持った者からバトンを受け継ぐ」
気魂を育むことが求められているのだろう。
それは、その気魂を育むか否かで来世に果たせることが全く異なって
くるからだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています