「菩薩の存在を信じられない」という人間に「信じよ」と言うのは無理な話だ。
しかし、あと数年すれば、否が応にも認めざるを得なくなるだろう。

快苦に縛られ己の保身のために、関芳郎のような人間を放置してきた人々。
佳子先生が下さったテーマを関芳郎とともに放置してきた人々。
煩悩の泥沼にうごめく、その人々が覚醒し動き始めるだろう。
そして、その中から次々と菩薩が誕生してくるだろう。

それは、土くれの中から湧き出してくる菩薩、「地湧の菩薩」として
法華経の中に予言されたことである。あと近年中にその予言が具現してゆくだろう。

問題は、「地湧の菩薩」の誕生のために「佳子先生の死」が条件になるかどうかだ。
対象となる人々が「佳子先生がどうにかされる」などという幻想に浸っているなら、
神は佳子先生を天上界に召し上げられることになるだろう。