【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 関芳郎と茶坊主どもが為すべきことは >>552-556 に書いたが、
彼らはこの通り動くだろうか?おそらく動こうとはしないだろう。
彼らのこれまでの行為を振り返ってみると、彼らに自浄能力は期待できない。
自浄能力を持っている職員は、おそらく佳子先生からストップをかけられて
いるのだろう。そして、佳子先生御自身も動かれる気配がない。
この事態は何を呼びかけているのだろうか?
私は、在家の会員が声を挙げて、「ネットワーク上で意見交換できる場」
を整えるよう、様々なルートで事務局に要求することが呼びかけられて
いると思うのだ。
そして、その場で在家の会員が主導して、千年構想と7つのプログラムを
推進してゆくことが呼びかけられているのだと思う。 GLA誌2001年6月号には2001年善友の集いの特集記事が組まれており、61ページには、
「二十一世紀に向かうGLAのヴィジョン」として、「押し上げる力の結集」
ということが挙げられている。
また、60ページには、「二十一世紀に入ったGLAがはたらきを全開するためには、
これまで以上に職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のようになって
響働してゆく必要があります。あらゆる側面で職員と在家の両輪がたくましくなり、
押し上げる力と引き上げる力がつながってエネルギーが全開してゆくように、
ぜひお世話をさせて頂きたいと願っております」とある。
在家の会員が主導して、千年構想と7つのプログラムを推進してゆくことは、
正に佳子先生が示された「押し上げる力の結集」なのだと思う。
「在家の会員が主導する」と聞いて、不安に思う人もいるかもしれない。
在家の会員の多くは、GLAの果たす具現に参与したことがなく、また、
ボーディサットヴァウィズダムも拝読していないからだ。
「在家の会員が主導しても低次元な議論しかできない」と思うのも、
自然なことかもしれない。 その場合、ボーディサットヴァウィズダムを拝読している職員が、
「引き上げる力」を発揮して、議論の次元を引き上げてゆくことが
呼びかけられているのだと思う。
それは、ボーディサットヴァウィズダムの内容をそのまま開示する
ことではない。在家の会員がボーディサットヴァウィズダムの内容に
自ら気づけるように、「ヒント、視点の導入」をすることだ。
私は以前、佳子先生が在家の会員にボーディサットヴァウィズダムを
開示されないことに疑問を持っていた。しかし、ウィズダムを開示
して頂くよりも、「ヒント、視点の導入」によって、自らウィズダムに
到達したほうが、一層実がある修行になるだろう。
在家の会員は、ボーディサットヴァウィズダムを拝読することなく、
「押し上げる力」を発揮する修行を果たすこと。職員は、ボーディ
サットヴァウィズダムを拝読した上で、「引き上げる力」を発揮する
修行を果たすこと。これによって、在家の会員からも、職員からも、
「数多の菩薩を湧出する」というヴィジョンが実現してゆくのだと思う。
なお、ここでいう「職員」とは茶坊主どものことではなく、現在、
佳子先生からストップをかけられている職員のことだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています