【隔離】GLAを憂う元会員の独り言【ちらしの裏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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関芳郎と茶坊主どもは、全くウィズダムを
作成せずに「7つのプログラム」を進めようとしたのではないかと
私は考えている。勿論、それは個別のプログラム(歴史の整備、
研鑽の充実等)のウィズダムではなく、「7つのプログラム」の
進め方を決定するウィズダム、という意味である。
その考えが正しいと仮定して、今後何が起こるか考えてみたい。
原始GLAの時代の初代弟子の活動は、未来千年に渡って注目され
参照され続けることになるだろう。「GLA創立40周年記念事業」も、
初代弟子の活動として、語り継がれてゆくだろう。
「GLA創立40周年記念事業」は、「菩提心発掘」をメインテーマ
とし、「喜捨行」、「書写行」、「7つのプログラム」という
3つの柱から成っていた。このうち「喜捨行」と「書写行」は
滞りなく進行し終了したが、どうゆうわけか「7つのプログラム」
だけは全く何も進まなかった。
未来の人々は、「一体、なぜ、何も進まなかったのか?」と
興味深く、また不思議に思い、残された記録を精査するだろう。
すると、なんと、
「全くウィズダムを作成せずに進めようとしていた」
という驚愕の事実にぶち当たるだろう。 「千年構想」と「7つのプログラム」について、「難しい」と思っている人は
多いかもしれない。何が「難しい」かと言うと、例えば次のようなものだろう。
・態勢作り、役割分担等のお膳立てができていない。
・内容が高度である。
・ヒントとなる情報が少ない上に難しい。
:
では、なぜこれほど難しい課題を佳子先生が与えて下さっているのだろうか?
その答えは、「全ては一人の菩薩を産み出すため」である。
佳子先生が「お膳立て」をしっかり整えられ、解りやすいヒントを多く
出して下されば、「千年構想」も「7つのプログラム」も、スムーズに進捗
するだろう。しかし、それでは菩薩を産み出すことはできないのだ。
「GLA創立40周年記念プロジェクト」のテーマは、「全ては一人の菩薩を
産み出すため」であった。すると、喜捨行も書写行も、「一人の菩薩を
産み出すため」のものであったことになる。また、GLAの様々な研鑽や行も、
「一人の菩薩を産み出すため」のものである。 しかし、喜捨行や、書写行にいくら取り組んでも、それで菩薩になれるという
わけではない。同様に、止観シートを何万枚書いたとしても、それで菩薩に
なれるというわけではない。
これは、「数学者になるためには、まず小学校レベルの四則演算を修得
しなければならない」ということと似ている。四則演算を修得しない限り、
数学者にはなれない。しかし、四則演算をいくら極めたところで、
数学者にはなれないのだ。
これに対して、「千年構想」と「7つのプログラム」は、より直接的な意味を
持っている。それは、「今生の人生で、現実に菩薩になる」ということだ。
だから難しいのだ。だから、志、愛と智慧を湧出させない限り、何も進まないのだ。 今生の人生で、「現実に菩薩になる」というテーマを逃してしまえば、
そのテーマは、来世以降に持ち越すことになる。しかし、今生与えられた
チャンスを逃してしまえば、来世以降にそのテーマを果たすことは極めて
困難であり、事実上不可能と言い切ってもいいだろう。
それは、「一人の菩薩を産み出すため」に、佳子先生が何を果たして
下さっているかを見れば明らかである。佳子先生は、少なくとも次の
三つの力を発揮して下さっていることが解る。
A.十年先、二十年先のことを見通す力
B.ぎりぎりの線を見極めたヒントを出す力
C.菩薩の力をを封じる力
では、三つの力のそれぞれについて、説明しよう。 【A】十年先、二十年先のことを見通す力
「千年構想」については約二十年、「7つのプログラム」は約十年、
何も進まず放置されている。そして、これまで述べたように、
放置されていることによって様々な弊害、痛みが生じている。
しかし、それは「取り返しがつかない」というわけではない。今からでも
取り組めば、充分に果たしてゆけることである。このことは、十年前、
二十年前に遡って眺めてみると、佳子先生は「十年先、二十年先に必要な
ことを見通され、的確に提言された」ということになる。
菩薩になれる可能性のある人が、その事に目覚め、挑戦を果たす
ようになるまで、十年、二十年という時間が必要になるのだろう。
一人の菩薩を産むためには、その期間「待つ」必要がある。
「十年先、二十年先のことを見通す力」が無ければ、それだけの期間
「待つ」ことは不可能である。つまり、それができない指導者は、
自分の手で具現するしか方法がなくなる。 【B】ぎりぎりの線を見極めたヒントを出す力
一人の菩薩を産むためには、ヒントを出して具現を果たさせる必要がある。
しかし、ヒントが難しすぎた場合には、具現を果たせない。
一方、ヒントが易し過ぎた場合は、具現はスムーズに進むが、
それでは菩薩の境地を育むことができなくなる。
一人の菩薩を産み出すために、難しすぎず、易し過ぎない、ぎりぎりの線を
見極めたヒントを出す力が無ければ、一人の菩薩を産むことは困難である。
【C】菩薩の力をを封じる力
過去世において、既に菩薩の境地を獲得している人は、GLAにとって必要な
存在である。しかし、未だ菩薩の境地を獲得していない人の中から、
一人の菩薩を産み出そうとしているとき、既に菩薩の境地を獲得している人が
手出し、口出しをすれば、それは「修行の妨害」でしかない。
「既に菩薩の境地を獲得している人」とは一体誰なのかを見極め、その力を
的確に封じることができなければ、一人の菩薩を産むことは困難である。 「今生与えられたチャンスを逃してしまえば、来世以降にそのテーマを
果たすことは極めて困難であり、事実上不可能」と言ったのは、
この「三つの力」を発揮できる人には、まず出会えないからである。
歴史上の人物の中で、この三つの力を兼ね備えた人を一人でも
知っているだろうか?一人もいないであろう。
ならば、来世に出会うことも、到底期待できないだろう。
三つの力が働かないところで菩薩になる修行をするのは、
非常に難しく、厳しいものである。
だからこそ、今生与えられた稀有なチャンスを、
絶対に逃してはならないのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています