佳子先生が示された試練に関するご指導は、主として「通常の人生で起こり得る
試練」を対象にされているものだと思う。>>355-356に挙げた、B群、C群の人は、
そのような意味では、既に試練に遭遇しているのだ。

つまり、B群の人は、「関芳郎の指示に黙って従うという自らの愚行によって、
混乱、停滞の現実が生じたのを見せつけられた」という形で試練に遭ったのだ。
さらにC群の人は、「自分の至らなさを他人から厳しく指摘された」という点
でも試練に遭ったわけだ。

この段階に関して、「試練からのよびかけの受け止め方」、「試練への対処の仕方」
は佳子先生が説かれた通りであって、私からは何も付け加える事は無い。
しかし、B群にもC群にもなれなかった人というのは、B群、C群の人と
同じ状況にありながら、それを「試練」として受け止められなかった人であろう。
さらに、D群にもなれなかった人は、超常的な形で「過去世の後悔を思い出す」
という御助力を頂きながら、変革できなかった人ということになるだろう。

そのような人々がE群に挑戦するために与えられる「直接的試練」というのは、
極めて特殊であり、特別なものなのだ。だから、佳子先生が示された
「通常の試練」に関するご指導には、必ずしも該当しないのだ。