なんちゃって覚者✴気づかない教 [無断転載禁止]©2ch.net
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なんちゃって覚者とは既存の宗派の教理に適合しないかもしれないのに悟った自覚があり、自覚がある人です
気づかないとは、ありのまんまを取り上げることなく、その働きそのものの中にあるということです
出会っているということです
まあ悟りに迷ってない人には用はありませんw
そして肝心要のことを書いておきますが、お花畑という批判は受けません
とくに悪魔の批判は受けませんのでよろしく爆笑 >>768
返事、ありがとございます。
>やはり、人とおるときが、一番、練習になりますよね!
言葉に反応してまう。自分のものさしで。
言葉もそうだが、顔とか、しぐさとかw
ハジ君流の言葉で言えば、もう一人の自分が反応している。
色眼鏡でしょうね。 >>768さん
ごめんなさい。
>>767さんでした。 そろそろ忘年会か。
麦ちゃんいないな。
おれは決めた。
何を、麦の唄を歌うぞ!www 確かに、見るということを単体で考えるのならば、確かに、見えているものがなくなり、
真っ白になる。そして、段々と真っ黒になって、白が一点になってくる。でも、無くなるな無くなるとと誰かがさんけんでいるのだ。
もう一人の自分が。しかし、それも意識なのだ。
無意識がそうさせているのだろうか。
無意識が意識しているのだろうか。
見るを止めるという表現は、
無意識も意識も止まる。
その先を知らないからなぁ。 >でも、無くなるな無くなるとと誰かがさんけんでいるのだ。
でも、無くなるな無くなるなと、誰かが叫んでいるののだ。
>無意識が意識しているのだろうか。
無意識が意識と現れているのか。
です。 意識を消すなんて、えらいことじゃないよw
怖い
消してなんかないよ
まあ、たぶん、悟りじゃないな、これw
ただ、意識が、目の前にあって、そこに、世界が映ってる
で、その周りは感情の無意識領域で、めっちゃビビってるハジの場合
首の後ろに意識があって、そっから、ぐるんと円状に見える
そのまわりから、背面の、なんてゆーのか闇が、覗いてる
ちゃうんか
光が意識で、それが、背面の鏡の丸にあたって、それが反射して世界に見えてる
ような気がする
闇のとこが隠された感情で、孤独が一番強いけど、他にも、いろいろ恐怖してる
この3つで世界を認識してる みんなも、丸の中に収まっているか、、、
この丸が、自分の意識なのだが
ここで、この、ものが、ピターッと、くっつくのかもしれない
ムムムう
かなり、核心なはずwwww
これが自分だ
で、この、ものの中に、みんなが収まってる?? 推測では、
この意識の鏡は、ひとつ、で、その鏡は、背面の潜在意識の、なんらかの力によって、その中に世界を映す
光が上から当たって、闇の側が、、
いやー、やっぱ違うな、、、
もうひとつは、この、鏡があるだけ
て、そこに色々な人が映ってる??
んー
単なる妄想病に思えてきた笑
あー
これが、自己として、そこに、みんながおる
うん、確かにおる
この円を生きとるのかなあ
全員おなじとこで
やけど、それやと、なんで、視点とか、風景が、違うんだ?
ウーーーーームムム
まったくわからんw ひとつの球体があるのか
意識という
そしてそれは、自己なのだが、その意識の球体は人それぞれに違う世界を映しているのだ
そして、その球体に映るものは、違うのだが、映している球体自体はまったく同じなのだ
だから、みんなが、この、同じ、意識という球体、惑星のようなもの、を、、
うーむ
やけど、それやと、視点の問題がなあ
うううう
光って見あっとるわけやろ
でも、中間で完全に接するわけやし、
珠か
球体の中が、光て満ちてて、そこで、
いや違うなあ
うむう >>853
∞ノノハ∞
川^〇^ハレおはお♪
昨年の忘年会お刺身盛り合わせとお鍋と雑炊と生牡蠣3個食べたんだけど
麦だけ生牡蠣に当たって大変だったおぉ〜w
大当たりだおぉ〜〜www
体調悪かったんだろうねお
もう生牡蠣は食べないwww
体は考えなくても機能しているね >>854
見てる対象
つまり、この場合だと、イメージが白くなって云々が、ない、ないこともない、あることもない、あってないこともない
すると目が機能不全に陥いる
が、目はなくならない
見えてる
だけど意識を変性させて、何かを見に行ってる時に、そうすると危ない
首の後ろの光が、たぶん、白点にみえてる
それを無くすんではなくて
対象を、みえてるものを切る
自分は機能を休ませる
消すとか、は、危ない
気がしますw 上空意識
眉間の目
頭脳
首の後ろ
胸
背中
鳩尾の裏
胸から頭脳までの菅
神の夢
おそらく、これが、機能としての人間の働きだと思われます
心王は、胸の空洞に、いるのかもしれない、そこの質感、たち、傾向、思いの元、が、神の力によって、まあ、神という表現があれなら、阿頼耶識の力によって、現実として、ある これだけ複雑な活動があっても、人間が普段、自覚的に住してるのは、頭脳の中だけです
つまり、残りの九十パーセント近くは無自覚なままで、暮らしています
ないのではなく、あるけど、知らないんです
つまり、自分が、どういう仕組みで世界にいるのかに、まったく無自覚に生きているのです
そこで自然に混乱生じて、錯乱し、戦争を始めるという、共食いという、アホをするのですw たぶん、昔は宗教があって、世界の仕組みを明らかにし、その、決まりの中で王が統治することの、できた、幸運な国もあったかもしれないのですが、現代日本は神道も忘れました
あるのは、法律と化学だけ
そこで社会では、大人が、弱者を食い物にして利用しているのを見るだけなのです
社会では、非常に深刻な、人間関係の崩壊が極限まできており、あるのは、嘘の関係と、ほんの少しの、優しさです
この優しさのある人たちは、どういうわけか、絆を大切にでき、人を助ける
たぶん、過酷な環境を生き抜いて、きた人たちが、多いような気がします それは宗教ではなく、生活の中で、痛めつけたり、痛めつけられたりしてきた中で、感覚的に人の痛みがわかる人になったのだろう
そして、そこには、悲しみの極み、のような体験が乗り越えられてきたのだろう
と、思われますが、ここでも宗教は、関連していません
それは、痛みによる宗教、暴力による宗教、と言えるかもしれません
そして、その、力への賛美が、一部の人びとの、幸福と、多数の人々の悲しみを、実現しているのです
終わっとるwwwwwww この現状に対抗する手段として、宗教を登場させるには、もはや、現実的な説教など、なんの役にも立たない
これが事実です
つまり、人に思念的に、宗教的概念を説いても、それは、いっときのもので、生活の中に入れば、その圧倒的な力の前に、破れるのです
これは、社会になんの役にも立たない、閉鎖的共同体のみによった宗教であり、いま、日本にある、スピやらオカルト、他、成功云々、宗教団体も、そのように、一部の信仰者による閉鎖的宗教なのです その閉鎖の中にある人は、また、その宗教概念を通して、弱者を利用したりします
また、考えの違いから、他宗派を批判します
こんなことに幸運の実現がありうるのかw
ありえません!
もちろん、そこで、人は教えの範囲内で正しくあることになるのですが、今度は、理解のズレる人たちと対立し、争うからなのです
世界中が、それで、戦争してますwwwwww
宗教による戦争なのです こうなると、もう、理解者が、世界に介入して、そこの、質を無意識に働きかけて、自然に、なにも知られないままに、引き上げる
これしかありません
この理解は、神の夢は、その人の胸の空洞にある質に、反応して、現実をもたらす
これです
思いの元を、強制的に浄化するには、その人の無意識に働きかけて、そこにある、怒りと恐れを消すしかありません
これが現代にも通用する、新しい宗教なのですwwwww この人たちは、なんの教えも説かずに、普通に暮らす中で、人の、怒りと恐れを、受けて、そして、それを上空意識を呼び出して、そこへ投げてしまう
が、それをするには、この、胸から頭にある、鏡の質に、影響するバリア
なめらかさや、鮮度を極限まで高めて、相手の巨大な暴力装置を無効化できる人
でなければならなくなる、、、
つまり、相手は力に対して、それの無効化には、全力を挙げて、向かってくるので、弱いと、ここが弾けて、一気に、闇の中へ葬られるからでありますw この人たちは、なんの教えも説かずに、普通に暮らす中で、人の、怒りと恐れを、受けて、そして、それを上空意識を呼び出して、そこへ投げてしまう
が、それをするには、この、胸から頭にある、鏡の質に、影響するバリア
なめらかさや、鮮度を極限まで高めて、相手の巨大な暴力装置を無効化できる人
でなければならなくなる、、、
つまり、相手は力に対して、それの無効化には、全力を挙げて、向かってくるので、弱いと、ここが弾けて、一気に、闇の中へ葬られるからでありますw なぜか、連続wwwww
そこで、この、気の通りを非常に、強くする
ということ、が、必要になる
まず
上空意識
これは、天の白幕
眉間の目
これは天との媒介道
首の後ろ
これは鏡の元
胸は
空洞、そして質
背中は
無意識、深窓の感情
鳩尾の裏は
悪魔の矢
頭脳は
イメージ投影
そして、胸から頭脳の管
これは、鏡の質、鮮度の元 神の夢は
ココロ全体
つまり、一切なのだ
ここでまず、頭脳のイメージと、悪魔の矢を抜いて、天の白幕を登場させる
その力を使って、胸の空洞、首の円鏡、そして、胸から頭への気の道
が、繋がって、全一的円相
自己完成をする
さらに、そこから、胸の空洞、円鏡の一体性に、どんどん光を通して、鏡の質を非常に高度な、光にする
すると、相手の無意識層は、我知らずして、深窓を引っ張られて、個性を出す
露わにする
そこで、こちらは、自己を完全に、光にすることを務めると、相手は、胸の空洞が、開く
すると元気になる
元気になると、それを他に、無意識に投げる 問題は
天の白幕、透明性
と
胸の空洞、質
首の後ろの
世界を映す円鏡
と
胸から頭にかけての気道
そして
鳩尾の裏の矢
と
闇の無意識
ここで、透明性が、完全に、胸の空洞を開かせて、円が、非常にやわらかく、なめらかに、触れるように、していくことだ
相手は知らずして、優しさの、雰囲気を感じるように、ならなくてはならない
こうすることで、宗教は、微塵もださずに、普通にある中で、無理解の中で、闇の勢力を退治でき、そうすれば、戦争をふせげる!
これしかない
もう
これしか、最後の宗教は、無理だ
理解者だけが、やる 同じ鏡に映しあっている
そして、その鏡の展開が、お互いの、深窓の決戦の、テレパシー的やり取りの中で、無意識的に展開していく
悪魔は、この、無意識に、鳩尾の裏から干渉して、恐怖と怒りを常に出す
神は常に上空に座し、そこから、優しさと鮮烈な浄気を透明に、照らしている
そして
心の空洞が、この鏡のやり取りの中で、感じ入って、変遷し、その、質を変化させることで、全一としての世界の現実が、微かに移っている
この方向を、白の方に寄せる >>861
>麦だけ生牡蠣に当たって大変だったおぉ〜w
年末に大変だったですね。
ちなみに、ノロウイルスですか。
私の周りにもいますが、私はかかっていません。
>もう生牡蠣は食べないwww
教訓ですねw
>体は考えなくても機能しているね
ですね。 >>862
別に悟りとか、と言う問題ではなくて、単に意識が飛ぶ瞬間を書き込んだだけですw
わたしは、他人よりも、昔から血圧が低いものですから、起きる時とか、湯船から出る時とか、くっらとすることがあるんで、
観察結果を書き込んだけです。下手したり倒れこみますからね。 >>879
あー、すいませんw
妄想病が激しいので笑
僕は血圧が高いので、そっちで、病んでます
意識が飛ぶとピカンと真っ白になって、皆目なにがあったか、わからないですね
確かに
中学生の時、こけて、そうなりました苦笑 背中から電流が、流れるみたいに、ビビン
とくる
これが無意識層の接点かもしれません
この、ビビン!
の元が、首の根っこと関係する
と、
ピカンと光ってるのは首の根っこで、ビビンと感じてる背中が、
この、上空の、光に、照らされて
胸の空洞が、歓喜の質に満たされる
んー
病いw ラッパの音と、共に、天空から天使たちが、舞い降りる
その、優しさの音色が、世界を開いた時
胸の空洞は歓喜に満ち
上空から、光の塊が眉間に届き
その光はビビン
と、背中の影を瞬時に消し去る
その時
鏡は太陽のように輝きを増し
一切の現状にを
御伽の国のファンタジーにするだろうw このような神秘を退けて
現実的に、やるなら
イメージに浮かぶ、一切を空洞と見て
見ている目の働き
を止めて
現実と一如の自然の中で
我を忘れる もっと簡略化して
背中の後ろにあるものを、愛に浸す
さらに簡略して
見るのをやめる
さらにさらに、簡略して
安楽である
もっと
禅に座る
さらに簡略
無為 キョトンと眼を円くした子供
爛々と輝きを見せる眼には影はない
笑顔に不自然さはまるでない
泣き顔にも遠慮は微塵もない
一切無為自然
キョトンとまん丸お目目でみてるのは
不思議な絵本
ファンタジーの御伽の国 この丸は自分の心だ
自分自身
そして、その目が、水であらわれ
空洞が、優しさの質で、包まれたとき
背中の闇が、苦しみが、癒される
癒されたら包める
苦しめたら、痛めつける
自分で自分を痛めていたのだ
こんなに苦しいのは、世界が自分だと
そう
知らなかったからなのだ
世界は
まったく
自分のこころだ
これは不滅の真理だ
なんちゃってwww
w 目の前のこの、世界の水球を
後ろの潜在意識で
ぎゅーっと、抱きしめると
胸の奥が、満ちる
空洞と水球がひとつになるとき
わたしたちは、同じ、こころと、無意識感情層を生きているような感覚が鋭く
人が不安になると自分も不安になり
人が喜ぶと、自分も嬉しくなったのは
なんと、同じだったからなのだwwwww
これぞ究極!
んー、まだ、疑問が少し残るなあ
やけど、けっこう、きた
なかなかきたw この
心惑星は
すべてを映し、みんなが、それぞれの、風景を見てるわけだが、映っている心はひとつなのだそれが神の御心かもしれない
そして、その、中で、お互いを映しあって、テレパシー的な感情交換をしている
そして、この、玉の外側の、普段、わたしの深層意識と、感じている部分は、実は!!!
なんと!!!!
宇宙空間みたいに繋がっていて、全く同じ空間に感情が広がっているのだ
そこで、ある人が、同じ玉を見合うと、胸の奥のやり取りがあり、出会うことができるのだ
そして、そこで、、、
うーむ
まあ、気のせいかもしれんwwwww 意識は、多分、意識がなくなるまで反抗しますからね。
倒れるな倒れるな。と。
ハジ君の言い回しなら、もう一人の自分が見てる。
もう一人の自分のミルを止めると。
今、目の前に障子があるが、障子あるとは、記憶の産物。
見るとは主観でしかありえなのか。
もう一人の自分が見るのを止めるから、等しくみえるのか、等しく見えると思った時、それもまた主観。 >>890
そうそう
自分が見るのを止めるから等しく見える
また、それを、眺めたら主観wwww
等しく見えとるとか、おお、禅定っぽいとか、言ってる、確認してる、見てる
後ろから観察してる
そして、なんかしようと、がんばるwwww
この方法で、とか
こうやったら、うまく、とか
なんかしようとして、作戦wwww
動く
動き
働き
が、見てる 働く 見えてない
見てる 止まる 見えてくる >意識は、多分、意識がなくなるまで反抗しますからね。
意識が活性化しているときね。
起きているときでも、沈静化させるのは、没入するしかないか。
ハジ君みたいに、すぐいけるのか。
まぁ、意識があろうがなかろうが、自然のいとなみだからね、記憶する機能も。
記憶をとおすから、その場その場で主観という、その人だけのものができるような。
その主観さへ、その器の反響なのだろう。やまびこかw >>892
うーんと
止まってるだけだから、なくならない
意識も記憶も普通
なんも、危ないことしてない
この、働いてる
動いてる
あちこちいってる
のが
いま、目の前のものは、
ない、ないこともない、あることもない、あってないこともない
と、なると、見れない
と、知るから、その、対象に対して、見ようとする、向かっていくのが休んでるだけ
しぼんでくだけ
認知不可と知る
と
見れないから見てない
見てないと見えてくる >>894
ふむふむ
まだわかんないですw
いろいろ変わってきますからね
それはそれで、ひとつに、こだわってもしゃーないかもしれないwwww
どうせ、自分の思いついたことなんて、大したことないんだもんww
大きな川に流されて
ヘッセ こうやって
見ることを止める
って書きまくってると
見ることを止めるどころか、見まくってるという自己矛盾にwww
ふう
それがあれば、それがある
あれがあれば あれがある
これあるから これあるw 花が散ったら 花が散る
花が咲いたら 花が咲く
諸行無常によって、無我となる
それで、そのままで
済んでる
済んでるのだ、すでにwww 孤独であれば、孤独である
嫉妬があれば 嫉妬である
不安があれば 不安である
機嫌よければ 機嫌がいいwwww
コロコロコロコロ
なぜに、いかんと
しかし、いかんがあれば、いかんもある
笑笑
そのまんま流れている
あるがままに
あるものが、あるだけ 自分が鏡なのではなく、鏡が自分
「丸」を自分が見るのではなく
「丸」でしかない
そんな感じかな >>899
丸でしかない!
ふむふむ
こんな貴重な人がいるとはw
丸になってる時は、外側ないの?
黒い空間 全部「丸」の中なら、
苦しみも喜びも不安も安心も、そのままに
「丸」のあたたかい清らかな涼しさで終わっている >>900
「外側」とかは、知覚では知り得ないのでは?
「丸」になってる時とそうでない時が分かれてあるってのは
人の思いでしかないなかな >>901
おー
まいごーっと!w
まじで、すごいですね
微かにわかりますよー
わかりますよー、感覚が!!
おーーーー
そーゆーことかw
いや、まだ、こっち側で見とるなあ
なんか
残っとる!w
けど微かにわかる >>903
なんかそんな感じするんですよね!
「違うかな?」と疑いもってもやっぱり外れようがない的な >>902
そうですね
でも、感情が、外側にある
それが、この丸で流れ切ってくってことですかね? >>905
感覚では、感情も「丸」の中に収まってて外れようがない的な?
流れるといえば、「感情」の対象の方が流れる感じですね >>904
これが自分かな
ここが、世界が自分
うん
なんかそんな感じがするw >>906
ふむふむ
主体客体の関係性はどうなってますか?
丸だけになって
今までの自己は消えた感覚ですか? 「感覚」や「感情」、「自分」「相手」「世界」
これを映し出してる方が「本当の自分」かも
映し出してる「こっち」の方に引かれる感じ
でも「本当」とか「自分」とか取り上げることも出来ない >>908
「主体客体」はなんというか映し出されたままに
怒りとか不安とかの感情に引っ張られると「主体」と「客体」の分かれる感じがどんどん強くなる
でも、いずれにしても「丸」の中に映し出されたことなんですよね? >>910
おー
ムズイですw
その丸は、ぼくの見てるのと違うのかも?
もっと先行ってるのかも??
ぼくは、丸い円が、客体として見えてて、その中に風景がある
周りは黒い
意識を引くとそう見える
で、この、丸が、主体側の、胸の空洞と、同じように感じる
ので、これが、自分自身という感じがする
外側のネガティブな感情は残ってる
ひとつになると、その、丸だけになる
たしかに
でも、感情は、外にあるなあ
ウーム >>911
「丸」は自分の知覚で対象として見えたことはないんですよ…
体験として知覚(世界ですね)が「丸」の中に収まって、そこから出ようがないのを見ただけで
普段の生活もそこに収まってるのに少しずつ頷いてるだけで
私のも我流なんで違うかも >>912
宇宙を感じた体験ですか?
自分が丸に拡大したみたいな
その中にすべてが映像として写っていて、なにもかもが、この中で、自然に展開してる
自分は動いてない
勝手に起こってる
みたいな
ちがうかなあ
自分が宇宙だったみたいな >>913
「宇宙」も知覚の内だから「丸」の中ってことになるんですね
知覚によって「自分」が体験することはこの小さい「丸」の中に収まってる
でも「丸」が照射?する対象というか何ものかはそのまま「ある」んですよね
知覚は当然「丸」の内だから
色も継ぎ目も分裂もない、ひたすら流れてる何ものか あー
丸の中に収まってる
なるほど、確かに、知覚の中にあるから
丸の中に収まってる
なにがあっても、この中でだからか
その方がすごいねwwww だから、「丸」が対象として見えるってのは私には分からんのですよ
我流できちんと修行してないからかも…?って >>914
丸が照射するって、内側にってことですか?
照射する対象
ここのところは、ムズイですね >>916
世界が丸の中にあるんです
意識の中
客体の方から、自分を見たら、そんな感覚になるってだけですよw
どっちにしても、知覚内だから、その意味の丸でいえば、まあ、見えない丸の中ですw
そっちの方が大きいです >>917
照射は「外側」ですね
知覚の「外側」だから、
知覚内の、普段の「自他」や「自己と世界」的な「対象」ではなく
知覚の向こう側の「対象」
知覚は「丸」で閉じてるから知覚内での「対象」とか「客体」は錯覚ってことかな >>916
えっと、ハジは、我流も我流なので、あんまり参考にはしない方がいいと思いますよw
自分はこう思ってるっていうのは、そうだけど、悟ったわけじゃないしww でも、書き込むと、なるほど?ってことも結構あったり
だから私も我流の経験で感じたことを書き込んでみてるんやけど >>921
ぜんぜん書き込みはおっけーですよw
知覚も含めた全部が丸の中にあり、その丸が、外側の認知不可能な何らかの対象に、光を放っている
ということですか? >>922
そんな感じですね
でもその「丸」の様子を見る体験は一度だけで
あとはその様子から外れて引っ張られてる思いが減っていってるだけかな >>923
引っ張られてる思い
これは、どんなものですか? >>924
最初は「こうしなければならない」的な思いでしたね
私はこういう思いが強かったので
それから、能力とか容姿とか権威とか、
そういうもので「自他」を分ける思いにとらわれることも減っていって 今は
>>899
みたいな感覚がするようになってる感じ
自他とか世界を感じる根っこみたいな部分が減ってるかな
「丸」は映し出してるって意味で「鏡」なんかなと >>926
おー
すごい!
そうかそうか
もっとでかい鏡ですか^_^
確かにそうなると、思いが引っ張られてく
映ってるものでしかないし
光を外側に放ってる
わかりました、わかりました
これは、今日はじめて、気づきました笑 おー
これはすごいw
ここで見るのをやめたら
禅と一緒かもw 夕が来ない間に、混沌だ笑。
今日は霊力がない、キリスト教で、どこまでの不思議があるか・・・?の探求・・・。 見るのを止めるのじゃなくて
受け流す
受け流すことも知らん
そのまんまでしかない
かな?
キリスト教は、愛の道だよね 虚無に陥る
これが問題になってくる
ただスルーしてるだけだと、確かに、囚われはなくなっていくが、重要性も薄れる
すると、欲にも問題がなくなってくる
貪欲、怒り、愚痴
それもスルーか、、、
しかし、虚無に陥る
ここには、歓喜がない 目の前に鏡がある
これは対象の世界だ
それが、丸っと自分である
その外には、孤独を代表として、嫉妬、怒り、不安、恐れなどの、ネチッコイ、ダークエモーションがある
この感情が自分の問題、傾向性をだし、それが、この、空洞に移された世界で、実現される
この、闇を持ったままでは、安楽は
麻痺だ
こころを麻痺させている安楽
ではなく、目覚めの中での優しさが必要
である ネチッコイ感情は、自分のものだ
それをもって、指をくわえて見てる
それが愛情欲求で、孤独感なもとにある
この、愛に飢えた子供、指をくわえて抱っこされるのを待っている赤ん坊
大人になったというけれど、根っ子は、そんなもんなのだ
ハジの場合ねw
ただ、嘘の仮面が、うまくなっただけだ
それは大人
なのだろうか
大人とは名ばかりで、虐めるものども、と、ハジは呼びたいwwwww 人の見せる態度に一喜一憂する
これが問題になる
これはハジの根幹的弱点だ
これが人生の運命を作ってきていた
人に注目して、そのやり取りに、反応して、闇が、孤独だーーーと、言っている爆笑
このオコチャマを、ヨシヨシしてあげなくてはならない
背後の仏の慈悲を呼ばなくてはならないwww
守護霊にお守りされてなくては、ならない
カーテンを開くと
部屋は朝陽が射して、優しさに包まれる
のだw 人と話していても実際にはお互いに、話していない
これは、どこでもそうw
社会全体がそうなのだw
だれが、とか、関係なく、家族も友達も、みんなそうなのだ
喋りながらも拒否
これが、よく見えるwwwww
無意識にやってるのだ
見てるのは自分
人は問題になってない
自分が問題にしとるのである笑笑 なぜ、問題になるか
と言えば、孤独だからなのだ
これは、闇の側、つまり、世界のことではなく、自分の感情の問題なのだ
これが人間関係のすべて、であるw
この、闇は、どこにいても同じなのだ
誰といても孤独なのだ
なぜなら、問題は、相手ではなく
自分の、渇愛、だからなのであるwwww 病院のベッドで寝てると孤独
孤独だーーー
うん
孤独なのだオレは
今、入院してるわけじゃないけどね
とにかく、人は、孤独なのだ
と
認めなくてはならない
そして、この、孤独に、温かみを射す
ものは、
目の前の自己
世界全体が、空洞、開かれた胸に入り
それを自らが抱く時、なのだw
仏の慈悲に、頼って >人の見せる態度に一喜一憂する
ミルを止めるじゃなかったのか?
一切はなんとやらw
一切の器が、交響曲をなしているようなものだ。
近くによれば罵詈雑言も遠くから聞いていれば、きっと、心地よくなるだろうw >>938
見るのを止めると自然になる
のだけど、感情は残ったままなのw
癒されてなくて孤独なのね
だから、また、ひとの動きにパンパン影響されて、パンパン注目すると失われちゃう
まあ、見てるねwwww
だけど、これは、もっと速いよ
一緒
もっとはやい
意志ではコントロール不能
すさまじく早い、感情は >見るのを止めると自然になる
>のだけど、感情は残ったままなのw
言葉の見るを止めれれば、感情も起こらないと思うが。 >>940
おお?
それいけるかもw
なんかこのごろ、空耳で、音楽なってるなあ
賑やかな歌声がwwww
ていうか、その度、違うけどね
聞いてた歌が残ってて鳴るみたい
ジングルベル歌ったてるし、周りで笑笑
おー
重症かw 背中の後ろに人の意識が当たるんやな
間違いない
そうすると、そこで電流バチバチになる
そこの勝敗を競い合ってるね
ほんで、
そこを支配したら、惨めで、服従することになるんだ
おお!
盾が完成したぞwwww
その裏に天使の詩の領域があって、そこから、鏡を守ったら、倒せない 電流バチバチの、速攻で、きても余裕www
ほむほむ
あとは、剣、が、いるんじゃないか?
神話では、そうなってる
闇の魔王を倒すのじゃー
悪魔を追い払うのじゃー
w
もはやゲーム世界の妄想になってきたか笑笑 全体が丸である場合
そこに光を当てている何かがある
さらに、その丸を映し出している空間がある
そして、その丸が光を消化している無の深淵がある
かもしれません
まあ、それすら、丸の内となれば
ほれは、神の夢ですw
しかし、神様は、この世界には、いません笑 おお
今、ヴィジョンが浮かんでしまった
なるほど、色も継ぎ目もない、なにものか
おーー
これはヤバイw
こうなると、その中に分別をもたらす機能として人間がいるのかもしれない
と
いう気がしてくる
あるのかもしれないなあ
神の河が!
あの人には見えているのだ、、、 こっち方面で妄想、膨らますと
あれやなあ
人間は、脳細胞、みたいなものとして、、、
いやすべてを生かして時間も超越した
最高創造主
というやつだ
これは
これは、それだろうなあ
恐るべし恐るべし! とか、書きながらハダカで風呂出てきて、痒いとか書きながら
タバコ吸おうかなあ
と、思ったハジでありますw 頭脳はイメージ
体は直感
感情はtelepathy
悟りは無為
しかし、方法論が課題である
確かに、確かに! 目の前の灰皿を見ます
これはない
と集中すると、消えます
すると
消えた!
と見えます
そこで、消えた
つまらないものもないと見ます
すると灰皿が見えます
しかし、ある
とも見ません
さらに集中して、これはある、と同時に、消失が見える
のですが、それもない!!!!
となると、もう、目はしぼみます
働かないのです
すると、私は、見ているものは止まる
ので、
そこは、正に、不滅なのですw
すると、わたしはいないのです
短時間なら爆笑 無一物
であるとき、悟りを所有する誰かがいる
この矛盾wwww
オレは流れるように生きている
オレは神の御心のままに、純粋である
ふむ
なぜ、そう見てる人がいるのだ?w
これは意識の目だ
それが止まると
絵本が見える
その絵本が世界で、あなたは、そこにいない
そして、その絵本は
あなたの胸にある、空洞へ、頭脳が照射しているイメージなのだ
そして、生きているのは、眠れる私
つまり、魂なのだ
その魂は、祭囃子の歌声に目覚め
天からの、光に洗われて
yo-hoと
w
そして、闇が消えるとき、、、
あれ?
ここにおるだけかよー!!!!
アホらしw
となるのである
んー、かなり微妙な説だなwwww 寝転がってたら寝転がってるがある
仕事があれば仕事がある
病になれば病がある
元気であれば元気である
これがあれば、これがある
生きていれば生きている
死んでいれば死んでいる
妄想すれば妄想する
神が見えれば神が見える
ただそれだけ
もう
ほれは
済んでいる
済んでいるのだwwwwwwww レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。