果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?296 [無断転載禁止]©2ch.net
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麻原の誤った解釈と盲目的信仰が諸悪の原因であり、死刑が結果。 オウム教が正しかろうが過ちだろうが内心の自由であるが、
犯罪を犯せば裁かれる。 内心の自由である限り干渉はしない。
ただ、公共の福祉や人権を侵害するなら当然世法の裁きを受ける。
それを忘れて犯罪に走った唯の異常な宗教団体。 オウム教はたとえ犯罪を犯しても救済(財産の強奪、信者獲得、カルマ落とし、ポワ(教団にとっての邪魔者は消す)など)すればよいのだよ。
オウム流ヴァジラヤーナは、自らの解脱のためには、殺人をも犯すんだから。
麻原の指示があれば、無差別殺人だってやる。
今は麻原が意志疎通が不可能になったわけだが
たとえば、教団の上の者が「今朝ヴィジョンを見て、グル麻原からこれこれしかじかの指示があった」と言えば
それに従う信者も出てくる可能性もあるわけで。
いまだにテロ組織として認知されているのも当たり前のこと。
ロシアでもテロ組織と認められた。
他を害するなという教えと、たとえ仏陀が言った言葉であっても
鵜呑みにするのではなく、よく吟味して納得してから信じなさいとお釈迦様は説かれた。
サリンをまけと言われたときに、グルが言ったことだから
きっと正しいのだと考えて、サリンをまくというのは間違い。 林郁夫受刑者の話だと、地下鉄にサリンと傘をもって乗り込んだとき
すぐ近くに若い女性がいたと。
この女性も死んでしまうんだと考えたが、サリン袋に傘を突き刺した。
救済のためと言いながら、目の前にいるなんら害のない人を殺すというのは矛盾している。
グル麻原の指示だから正しいのだ、救済なんだということを鵜呑みにして
利害関係のない人を殺してしまったと。 林郁夫は犯行後泣いて後悔した。
お釈迦様も、ああ悪いことをしたと後悔することが悪いことだと説かれている。
そういうことは常識で考えて分かること。
常識を軽視するのもオウムの特徴。
坂本弁護士一家殺害も、オウム側と坂本弁護士との確執はあったが
オウムと奥さんの都子さんと息子の龍彦ちゃんには関係ないわけだ。
しかしこの常識が通用しないのがオウムなんだよ。
ヒトラーやスターリンも、常識はずれに粛清していた。
麻原には異常な被害妄想があり、オウムでもスパイ容疑がいろんな人に掛けられていた。
ヒトラーもスターリンも別に反抗してない人も殺していた。
基地外は常識はずれ。 ヴァジラヤーナには善もなく悪もない、正もなく誤もない。
そこに勝手に手垢を付け、二義落ち解釈を付けて犯罪を行い
処罰された。
ごく当たり前の事ですな。 人類を救済したいという衝動は、支配したいという衝動を隠す表向きの看板であることが多い。 お釈迦様も、ああ悪いことをしたと後悔することが悪いことだと説かれている。>
ああ悪い事をしたと後悔しなければいいわけだな、その理論だと
麻原は
「シヴァ大神にポアされてよかったね」
って唱えるように弟子に指示したらしいよ
新見は
麻原の命令であれば、たとえ殺人でも嬉しかった、だと 別に擁護するわけではないが、たしかに後悔は仏教では悪心所。
まあ、いつまでも過去を引きずるな。それよりも善心所をなせ、ってことだろうけど。 ここのスレッドの馬鹿のことだろ
私が「麻原は詭弁の勉強をしろ」って経済学のセンセから言われていたって
ここに書いたら、真似するようになったんだよ
こいつ、水を得た魚のように詭弁を研究して、ここで使っているだけ
相手の揚げ足をとって、しまいには相手が悪いかのように
口先でねちねち言って、相手を煙に巻く術のことだよ
こいつ、ネチネチ言えば論戦に勝てるって思っているけど
私が教えてやるまでは知りもしなかったのよ
私が言うまで知らなかった事って、こいつには多いの
聞いたことは全部、オウムのために利用している 見ていればわかるだろ
話の論点が、いつも摩り替えられているんだよ
自分が攻撃されたことはかわして、話を摩り替えているんだよ
そして、相手が悪いって言って終わるの
論戦に勝てても、相手の気を悪くして嫌われるだけだと
私は思うけどね
政治家がよくやるんだろうな
たとえば、「あの件はどうしたんだ」ってなじられたら
答えを今出すのは性急だと言い返して、かえって相手は性急で慎重ではないって
相手が悪いって結論に達するように話すのを詭弁術っていうらしい
要するに論戦に勝ちたいってだけで
人格が卑しくなっても平気な奴が、こういうネチコチした術に訴えるんだな
誠実でもなんでもない
口先だけの人間が思いつくことだね
そして卑しい人間が真似するのさ こいつみたいなね 麻原の弟子だからね 卑しい手を使っても最後に勝てれば善だと
思い込むようにしているんだよ
麻原って、選挙に大敗したとき、「もうオウムをやめようと思う」って
もらしたそうなんだわ
それって、政治家になれないなら、教団経営はやめたいって
言ったのと同じよね
だって、弟子は修行を教わりたいんであって、政治団体に入りたいわけじゃ
なかったのに
肝心のグルは、政治家になりたいだけなんだよ
つまり、麻原は世の中に対して欲があるんだな
セイリンテンノウって、悟ってはいないからね
その欲があるグルに教わって、本当に悟れるのかはしらない グル麻原の指示だから正しいのだ、救済なんだということを鵜呑みにして>
たぶん理屈ではなくて洗脳なんだね
たとえば、暗い小さい部屋に閉じ込めて、パソコンの画面に
なにやら書いてあるのをずっと見せられる
その画面は自分で消せないことになっている
だから、入信してはいけないんだね
入信したら、同じことをやられるのに入るんだね たとえば中川っていたんだけど、そいつは医者の卵だったんで
いろいろさせられた
悪い物質を作る研究とかね
それで自分のやっていることがあまりに罪深いと感じて、泣きながら
もう嫌だ、やめようよと言い出したこともあったんだけど
仲間が「お前、疲れているんだよ」
って言ったら、ああそうだ、俺は疲れているだけなんだよと
思って、またシャキっと、もとの殺人モードに入ってしまったりとか
裁判資料を読むといいよ 細かく書いてある
麻原は自分の頭で判断するなと言ったわけ
普通は自分の頭で考えない人間って、馬鹿だって言われるでしょ
でも、自分はいまだ解脱したことがない、解脱の仕方を知らないんだね
麻原は解脱したと(自分で言っていた)
解脱の仕方を知らないから、麻原に聞きにきた
なのに、麻原の言うことより、自分の頭のほうを信用している
(自分は解脱できないのに)
では、解脱できないな 私を信用しないのだから、という展開
もし、お前が私を信用しきっているのなら、指示が聞けるだろって論
私なら信用できませんが、って答えるけど
あの帰依したがり達は、私はグルを信用しています、って言いたいんだね
何故なのかは私にはわからないけど
多分、麻原に好かれたいんでしょう なんでだかね 修行のやり方に疑いを持つことは、修行の妨げだって説明された
皆、人よりも早く成就したいんだね
だから、ブラジャー取れって言われたときも、は、なんでって思うらしいが
とりあえず取ることになっているらしい
だって、絶対的に信用していたら疑わない、ってことだから
なんでですか、って問い返してはいけない
お前は私を信じられないのかって言われる
私だったら、ええ、そんなんじゃ信じられませんって言い返すが
それをすると、立場が悪くなるらしい
反抗的だと上司から排斥されるのは、世間でも同じだろ カルマの法則はない、っていうあんたの主張は間違っている
それは、あんたはサットヴァじゃないから
修行しないで理屈ばかり言う人は、サットヴァじゃないんでしょう
カルマの法則があるってのは、中にいたとき実感したよ
営業マンでウソツキの奴って、修行していると喉が枯れて声が出なくなったり
するのを見たよ
そいつ、仕事でもプライベートでも嘘をつく癖があってね
他の人はバクティしてざんげの修行すると、一時的には声がひどくなるけど
しまいには浄化されて綺麗な声になったりするのに
そいつは、声がしまいに出なくなってしまった
仕事で繰り返し嘘をついている
私は教団に誘われて初めてみんなでチラシ配りにいったとき
暗い道で足をくじいたんだわ
グリって感じで足首をひねった
配り始めてすぐだった
ああ、カルマ落ちるわって思った しばらく痛かった
そう思っているときに丁度、金持ちの女に出くわしてね
そいつは買い物をするとき値段を見たことがないと言っていた
いくらでも買い物ができる 財布の中身を気にしないでね
ああこんな人もいるんだと思った
パパが金持ちだった 金持ちの家に転生したいもんだと思って
ザイセに励んだよ そのときに事務員だったから、足を多少痛めても勤まったけど
食事のときに並んでいて、足が痛いなあって思う程度で
最近歩き回る仕事についたことがあって
もしこんな仕事だったら、やめないといけなかったかも あんたら、ガミガミ言うけど、本当に死刑制度が廃止になったら、どう思うよ
麻原はあんなに殺したのに、殺されないんだぜ???
それこそ、散々叩かれてカルマが落ちきったあとに
善行が残っていて現象した、って教団は言うんだろうな
これにはかなりびっくりしたよ
日本弁護士会みずからが、死刑廃止を唱えていて
瀬戸内朝鮮人?が、死刑執行したがる人に対して
殺したがる馬鹿ってなじっていた
麻原を散々叩いた日本が、いまや麻原を救おうとしているらしい
ま、白人社会で起きた動きに、追従しているだけなんだけどね
白人が言わなければ、こんな動きはなかった
日本人は盲目的に、白人のやることには追従するくせがあるからね
私が日本人って嫌だと思う瞬間だよ
白人の真似は何でも善なんだぜ >歩き回る仕事
倉庫のピッキング作業とか、水道やガスの検針とかかな。
ポスティングもあるか。
歩くと、お尻が引き締まって後ろ姿美人(バックシャン)になれるよ。 明治維新のころ、散々白人に日本てのはどーのこーの難癖つけられて
日本人ってのは、それに従わないといけないってなぜか思ってそうした
らしいよな
別に日本人が日本人らしくても構わないはずなんだが
白人の気が済む様にせいぜい追従してやる癖があって
白人の支配下にあって、今では白人を喜ばせてやりたくてうずうずしている ちょんまげがみっともないって言われて、切ることにしたらしい
白人に言われるとすぐ気にして言うがままになる
別に日本の勝手なのにね
まげは男の命だったらしいのに 麻原が吊られるのを見たいって言うと、殺したがる馬鹿って言われる時代が
きたんだぜ どう思うよ
教団の思うツボなんだよ
どう思う それが他人事であるならば、一度カルマを落とされてスッキリした
状態で転生したほうが良い、っていうのに
自分のことになると往生際が悪くて絶対に殺されたくないんだよな
それで助かってしまうのかね 自然死か病死か死刑かの違いでしかない。
仏教で言うダンマ、法は「事実」とか「現実」とかの意味も持っていて、妄想や人間の勝手な概念の含まれない純粋な「事実」や「現実」も意味する。
だから法によって見よ、となると純粋な「現実」だけを見よ、という意味にもなる。
だから麻原の死は今後どのように展開するかは分からないが自然死か病死か死刑かの違いにすぎない。
ただ死それだけ。
そこに怨みとか殉死とか意味や概念や妄想を付けるのは人間の都合と邪見。 ちなみに、自己を島とし、法を島とし、で有名な件は、そういう意味で考えると「それが自分の都合や概念ではなく、純粋に事実現実か?」を考えよ、と説いているとも考えられる。 >>893
>それはあなたの解釈にすぎません。あなたの妄想体験なぞ何の根拠にもなりませんから、
「その「どのポイントで涅槃に入るか」によって、涅槃後の魂の自由度・幸福度・歓喜度・安定度が著しく異なる」という話は、四向四果とも共通する事なんですけどねぇ・・・
真偽のほどは、御自身で体験してお確かめ下さい。
修行もせず何の体験もない癖に「こうだ」と決め付けられても、それは何の意味も無い事です。
ま、文字だけ読んでその世界を知った気になってるような人には、何を言っても無駄かもしれませんが。
>>894-895
根拠も示さずにレッテル張りばかりでは、動物と同じとしか言いようが有りません。
>>896
>カルマの影響を受けるようであれば、あなた自身がまだ解脱・悟りには達していないということです。
救済者=菩薩の状態を全く御存知無い方のようですね。
それはアナタ自身に修行経験が乏しく、解脱・悟り、あるいは涅槃の経験が無いからだと思います。
そして書物で読んで知識を得ただけで、解脱・悟りや涅槃の状態を勝手に邪推して説いていると。
>何を言いたいのかな?
>頭でこねくり回していると、自分が何を言っているのかもわからなくなってしまうのかな。
こんな単純な話すら、理解出来ない方でしたか。
「幻影であって実態が無い」という事は「存在し無い」と言う事では無いですよ、という人間界の一般常識でも理解出来る程度の至極当たり前の話なんですけど、無智無明による誤謬見解に頭が染まっている方は、この程度の単純な話すら理解出来無かったみたいですね。 >>896
>何を言いたいのかな?
>頭でこねくり回していると、自分が何を言っているのかもわからなくなってしまうのかな。
こんな単純な話すら、理解出来ない方でしたか。
「幻影であって実態が無い」という事は「存在し無い」と言う事では無いですよ、という人間界の一般常識でも理解出来る程度の至極当たり前の話なんですけど、無智無明による誤謬見解に頭が染まっている方は、この程度の単純な話すら理解出来無かったみたいですね。
>私が言いたいことは、相対的な視点においては、カルマの法則が現れてくるように見えるが、
>真実を見れば、そのようなものは存在していないということです。
>通常世の中において、体験するのは、二つの出来事を時間軸に沿って体験しただけであって、第二の出来事が
>第一のできごとに基づいて起こったということは体験していない。ここで原因と結果を結びつけるのは
>単なる概念、予断、習慣に過ぎない。
>真実を見るというのは、このような因果関係の結びつきだけでなく、体験に観念を投影せずに、ありのままに
>体験することを指す。
それは無味無明によって現象の極一部分だけを凝視して思考停止し、勝手に適当な解釈をして「悟った」気になっているだけかと。
あなたの悟った「真実」とは時間軸さえ超えられない狭い範囲の物のようですけど、おそらく仏典などで空性の話の文字だけ読んで頭で思考をこねくり回して「こうだろう」と考えただけの「真実」であって、意識は現象を観察する所から一歩も抜け出せていないとしか思えません。
無常であり苦であるカルマを超えて真実の世界に到れば、全ての現象はカルマの法則通りに生じては消える幻影であり実態が無い事を如実に理解し経験出来るようになります。
より詳しく言い直すと、解脱・悟りを果たして意識が涅槃に到り全ての現象をありのままに直視できるようになると、全ての現象の因果関係が神秘的な力によって如実に見聞き感じられるようになり、全ての現象がカルマの法則により生じては滅していく様を神秘的な五感により体験的に理解出来るようになります。
アナタは意識が現象界から離れていないが故に、神秘的な五感を使える高次元の意識状態を全く理解出来無いだけだと思います。 >>927-928
その通りですね。
私怨で心を波立たせ続ける状態から抜け出せない内は、物事をありのままに見る実践は難しいと思います。 >>932
927ですが、あなたにも物事をありのままに見えてるようには思えませんが。
私にしたって物事を純粋に事実現実だけ見るなんてまだまだ先のことに思います。
誰かの反論にそのように息巻いて長文レスするあたり青臭さが抜けてないように存じます。
私?
そう私も青臭さが抜けてないのかもしれませんね。 >>933
おっしゃる通り、このスレッドでレスしている時は寂静・観照からは程遠い状態です。
でも何もせねば邪悪見解が広まるので、やむを得ません。 じゃあ、オウムのヴァジラヤーナは捨てたほうがいいと思いますが。
それと、何がなんでもグルイズムが無くなれば。 >>934
真実現実、法則は賢者とそれを求めるものだけが知っていればいい、と個人的には思います。
カルマ落とし?邪見解?
それはそれで良いのでは?それこそカルマですから。
私は既にこのスレはその存在意義は終焉に達したと思ってるのでたまに思いついた時だけラスしたり書き込みしたりするだけの野次馬ですが。 オウム被害者の会会長の永岡さんが
麻原を100回、1000回殺しても殺したりないくらい憎いと言っていたが
それについて、体験さんは、麻原をもっと思念すべきだと言いました。
それは逆効果だとわたしは思いました。
殺人鬼の人間を思念したら、かえって不徳になると思う。
殺人犯の中には、麻原みたいな殺人犯をリスペクトする者がいますね。
仏陀のような清らかな対象を思念すると功徳になるそうですが。
永岡さんの心が安定しているときは、おそらく麻原を思念してないときだと思います。 信者が増えて権力を持ったからおかしくなったのか、最初からインチキだったのか? お正月のお休みで暇なので書き込みしますけど、思念は妄想なので私は、でき得る限り、見ただけ、聞いただけ、感じただけ、考えただけで、踏みとどまり、妄想を動かさない、心を動かさないようにしています。
まあ、浅いレベルで止と観を同時にしてるわけです。
恨み言も極端なグルイズムももう懲り懲りなのです。 人は現象を見て妄想虚構の世界に入るからね・・
その世界に入らないためには止観が必要になるね・・^^ 人は先入観でよく間違いをする・・
つまり・・
そうゆうことなんだよな・・^^ ということは・・
すべての現象は心の表れであると・・
妄想虚構で造られた世界であると
こうなる^^ 唯識
あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、
それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。そ
れら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に
過去に消えてしまうであろう。
即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。
このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。 「言葉で語られたものは存在しない」ということは日常のいわば乱れた
心(散心)の状態では気が付きません
。この心の乱れを静めて心の中に住して言葉を出してみますと、
その言葉はすべて虚しいものであることに気付きます。
このように静かな心で一体なにが有りなにが無いかを追求観察していく方法が
ヨーガといわれる実践です。
このヨーガという観察方法で静かに事象を観察した結果生じたのが、
唯だ心すなわち識だけが存在するという唯識思想です。
唯だ心すなわち識だけが存在する^^ >>916
麻原が言うようなカルマの法則はない。
カルマがないとかあるとかじゃない
それは神秘に属する
この世での利益を求める心は、比較の世界
それは恐怖で裏打ちされた世界
大事な事はなぜ利益を求めなくてはならないのか?を捉える事 「輪廻転生は死んであの世に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わってくる
ことを意味する。」
う〜〜ん
一瞬の間に輪廻を繰り返してる方が理解できる・・
刹那滅だな・・^^ 私も直感的に輪廻を感じることがあるけど、同じことの繰り返しをしている
ような気がしてならない。
具体的には今の生で過去に行った善・悪の行いが自分が今生経験して来た人生と
重なるというか来世があってもまた繰り返しになるのだろうかとバカバカしくなる 強迫性障害ですが、突然頭の中にヨハネの黙示録が浮かび
頭から離れません。
下のスレで心を解放してくださいよろしくお願いいたします
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1483540137/ 悟りを拓いた状態以外のすべての魂にカルマ法則(輪廻転生のトラップ)は適用されている。
しかし、悟りを拓いた経験のある魂は、輪廻転生から抜け出す(解脱する)鍵を持っている。
真理は、人間を超えた意識にならないと、正しく理解できない。 波とおなじで・・
海から生じ・・海に帰る・・^^
こんなもんだと考えてる^^ 悟りを拓いた経験のある魂は
オウムを含めたすべての宗教団体が行っている救済に
無関心になる。
それは、真の救済というものを正しく理解したからである。 人の考えてる90%以上は過去の出来事・・
これは何を意味してるのか・・ 魔物がいる池に足を引っ張られるように、
ズブズブと過去にとらわれてしまうのです。
そして気がつくと頭の中で,また、
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、、、、、、、と、、、、、、、。
まさに輪廻である^^ クンダリーニが本覚醒した魂は
カルマ=ナーディの詰まり
であることを物理的に理解する。 あっ・・それでおまえら・・
グルぅ・・グルぅって言ってたのか
今理解した^^ 頭頂の頭蓋骨が割れるかと思うほど強烈にクンダリーニ?の上昇を感じたことは
あるけど、本覚醒ではないと思う。 物理的に理解するとは
文学的にあれこれと妄想することではなくて
直接的に理解するということである。
つまり、あれこれ迷うことは一切ない。 意識してコントロールできる(意識)
意識してコントロールできない(無意識)
無意識はコントロールできない^^ 強迫性障害ですが、突然頭の中に全く知らないヨハネの黙示録が浮かび
頭から離れません。
これは奇跡ですか?よくわかりません
下のスレで心を解放してくださいよろしくお願いいたします
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1483540137/ 人がとる行動の内、明確に自分の意識で意思決定を行った上で、
行動出来ているのはほとんど無いというのが現実のようです。
行動の90%以上は”無意識”に行っており、その行動を
”行動を取った直後”に、意識として”後解釈”しているだけであって、
”意識的(意図をもって)に行動した”と勘違いしているのです。
意識してコントロールできない(無意識)
無意識90%かー
すなわちカルマで行動してると・・ 残念ながら、残り10%の顕在意識も無智なのである。
10%も無智ではあるが、真理のデータを入れて、真理に沿った生活をできれば
残り10%は無智ではあるが、結果的に光明への道になる。
無智から完全に離脱できているのは
悟りを拓いた状態の間だけである。 真理のデータ・・
八正道かな・・
諸行無常・・是生滅法・・生滅滅已・・寂滅為楽かな・・
それとも「空」かな・・
なんだろう^ 真理のデータを入れて、真理に沿った生活こそが、八正道である。
八正道の果報として、真理の悟りが舞い降りてくる。
悟りの経験をした後に、それを踏み固めるために、空は大事になってくる。
もし、悟りの経験をしていないのに、空を求めると、いろいろな妄想を生む。
それは、空という真理の一面を正しく理解できないからである。 空を学ぶのは素晴らしいことであるが
四諦と八正道こそが正しい悟りに至る道である。
タントラ瞑想は人が考えたイメージを浄化する瞑想法である。
タントラは極端な言い方をすればカンニングをするようなものである。
タントラのチベット仏教でも、基本(お釈迦様の教え)を大事にするのは、そのためである。 誘導瞑想マニュアル
感覚支配ー幻想、尊師の観想、尊師のエネルギー等、
うわぁあああああああああああああああ
おまえら・・・ 空は知識で学ぶことではなく、実在、今現在の実情である。
体験することである。 タントラと同じように三宝帰依も人が考えたルールである。
悟りに至るには、グルと法に帰依は必要であるが、僧(組織)への帰依は不要である。
悟りに至った後には、何かへの帰依は必要ない。感謝と愛だけになる。 この現実の世界のあらゆる事物は,種々の直接的・間接的原因や条件によって
つくりだされたもので,絶えず変化し続け,決して永遠のものではないという
こと。これに諸法無我,涅槃寂静 (ねはんじゃくじょう) を加えて
三法印 (さんぼういん) といい,仏教の根本説をなす。
これだけでいいんじゃまいか^^ いや・・・
スーパーコンピュターにこの世界の現象を
すべて理解させて・・
「この世界はどうなってる」て聞いたら・・
たぶん「空」であると答えるんじゃないかと・・ 空であると答えれば、空に背く。
コンピューターの理解は実在に追い付かず、知識理解は常に後手であり死に体である。
今しかないという事も出来ないほど、今しかない。表現しようとするのは逸れる。
仏陀や歴代の祖師達は言葉で何とか伝えようとしてきたからこそ、今でも悟る者たちは出てきている。
慈悲の水源は尽きてはいない。末法ではない。今も川は流れ、雲も流れるのだから。 >スーパーコンピュターにこの世界の現象を
>すべて理解させて・・
>「この世界はどうなってる」て聞いたら・・
>たぶん「空」であると答えるんじゃないかと・・
空を妄想的に理解しているとそういう理解になる。
自分の理解の限界を感じた時は、意識レベルを上げるしかない。
意識レベルを上げるには、神々に近づく修行をするしかない。
その結果、悟りの経験をした魂は、正しい空も経験する。
空とは、人間が文学的に理解するものではなくて、
悟りの経験に慣れてきた魂が自然に経験する悟りの状態である。 悟りは無い。
空は有る。てか元は全部空なんだし。
空から始まって今の諸相がある。
ないものねだりをしてるんだよ。
ささと仕事して奥さん子供孝行でもしろ。 空の教えは優れた修行者に対して第二法輪で説かれた教えで
空の教えを虚無論と受けとる修行者には、第三法輪で唯識の教えが説かれたという。
ダライラマ法王の説法より 悟りは無い。間違ってはいないがそれは到彼岸者の見方である。
無いと言えば、仏教はゴミ同然であって、ゴータマは馬鹿丸出しである。彼の説法は無駄ではない。
迷いながら苦しんでいる者達には悟りがあり、それを目指して修行をしなくてはいけない。 悟りはあるな・・
なぜなら涅槃の境地に到ることができるから^^ 至れば悟りも観念想念に過ぎないと気付き、教義を振りかざしはしない。
必要に応じて、迷う者に仏教を語る事はあるかもしれない。
優れた教師は、あらゆる方便を尽くして導くのであって、仏教に留まることなく語れる。
ある時は山、川、家、人、動植物、慈悲ゆえである。 仏教にしろキリスト教にしろ究極は死の不安を
どうしたらよいのか?って事だろ。
この不安感が最大の問題でそれに対する回答が
仏教でありキリスト教等である。
さて釈尊はそれに対してどう答えてるか?
イエスはどう答えてるかが究極の答えである。
不安の根源はなんなんか?阿頼耶識に答えがあるのか?
さてどうなんだ? 仏教の世界はね・・
先生になることよりも修行者であることの方が
難しいんだよね^^ 仏教やってなくても、死の不安がない人間もいる。
昔の武士のサムライがそうだ。
今だって死を待ち焦がれている人は無数にいる。
こんな苦しみばかりの人生に、いつになったら、おさらば出来るのかと。
死の不安は最重要課題ではない。
生きているときの苦しみが最重要課題。 足元を見ずに虚空を掴むように生きている者だから怯えているのだ。
ゴータマに限らず、あらゆる者は直接、問題に当たったのだ。
ゴータマは仏教を学んで悟られたのではない。 死の不安は、かえってリア充や金持ち、権力者の方が持っている。
中国の皇帝も不死を願った。 生が本能的に老病死を苦と捉えている
それは仕組まれた罠 >>929
> 「その「どのポイントで涅槃に入るか」によって、涅槃後の魂の自由度・幸福度・歓喜度・安定度が著しく異なる」という話は、四向四果とも共通する事なんですけどねぇ・・・
だから、それはあなたの妄想解釈です。
「仏典で明確に説かれている」という「ニルヴァーナの状態には幾種類もある」をきちんと示してください。
「どのポイントで涅槃に入るか」によって、涅槃後の魂の自由度・幸福度・歓喜度・安定度が著しく異なる」根拠も
仏典のどこで書いてあるのか示してください。
あなたは、とんでもない大嘘をついていることを自覚してください。
あなたの妄想体験で仏典を解釈したとしても何の信ぴょう性もないことを自覚してください。
> 「幻影であって実態が無い」という事は「存在し無い」と言う事では無いですよ、
例えば、夢の内容は幻影であって実体がないということと、夢の内容は存在しないというのは同義です。
あなた自身の「一般常識」は、非常識です。 死の恐怖は生きている故であり、それの解決は宗教の最重要課題である。
いかに生きるのか、「今」恐怖を感じ、死に怯えているのはなぜなのか?と問う事は第一だ。
武士は死の不安がないのではなく、時代故、矜持故、それが彼らにとっての男だったからだ。
死を扱う限り、未だに死ぬ事になる。彼岸に至ったものは目の前から死が欠落し実際の結果をいつでも生きる。
人生はもはや苦しみとはならない。だからこその彼岸悟りだ。 >>930
> 、おそらく仏典などで空性の話の文字だけ読んで頭で思考をこねくり回して「こうだろう」と考えただけの「真実」であって、
> 意識は現象を観察する所から一歩も抜け出せていないとしか思えません。
この一言で、貴方には全く理解できていないととが判明します。
私が述べたことは、おそらくとか、頭で思考をこねくり回す必要もなく、今ここで直接認識できるシンプルなことです。
貴方がありのままの現実を見ることができず、常に妄想の中に有り、妄想を現実に投影して物事を解釈することしか
できなくなっている様が見て取れます。
> より詳しく言い直すと、解脱・悟りを果たして意識が涅槃に到り全ての現象をありのままに直視できるようになると、
>全ての現象の因果関係が神秘的な力によって如実に見聞き感じられるようになり、全ての現象がカルマの法則により
>生じては滅していく様を神秘的な五感により体験的に理解出来るようになります。
で、その「全ての現象をありのままに直視できるようになる」結果が、別人を恩田呼ばりですか?
あなた自身は全くその状態にはなく、過去にそれを経験したというのも、あなたが見た夢に過ぎません。
そして自分が到達したという思い込みによって、自分は全ての現象の因果関係を如実に見聞き感じられるという
傲慢さによって、勝手な解釈をしながら、それが真実であると思い込んでしまっているのです。
もちろん実際にそういう現象は起きうるものの、それは悟りではありません。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。