果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?296 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>849
続き。
恐怖を無くす方法は?修行?どんな?
高い所が怖い人が高い所に慣れるなら高い所での恐怖は薄らぐだろう
しかし死への恐怖は?
孤独への恐怖は?
それは個別だ。役に立たない。
一般論はない。恐怖は生きている。同じ恐怖は二つとしてない。
ではどうしたらいいのか? その時の自分を深く知るという以外にはない
一体何が起こっているのかを知るしかない
いつでもそこがスタートになる
自分を知るためにはパターンに当てはめてはいけない
本で読んだ何かに当てはめるような人は永遠に自分を知る事はできないだろう
人はこの行為を持って瞑想という場合がある
もしも人が何かしらの道が拓けるとしたら瞑想によってしかない
そしてその時、オウムの教義などは障害物以外なにものでもない 他人の不幸は平気で見てられるだろ?
自分の不幸は大騒ぎだ
自分をまるで他人を見るように見る事ができたらそこがスタートだ
そうするためには何かに依存しちゃいけない
今すぐにオウムの全ての本を燃やして、真っ当に生きなくちゃいけない この座にて我が身を滅ぼさせよ。皮も肉も骨も朽ち果てよ。
斯くなる上は、久しい年月の末に希有にして困難な悟りに至るまで、
我が身はこの座を立つまい。
修行の天才であられたお釈迦様ですら、このような強い決意で座られたのです >>831
憎悪丸出しのレスですね。
一方的な思い込みや決め付けばかりなので、正体丸分かりです。 >>839
>これだけ憎悪を振りまいていながら、「誰がどう見ても」貴方には問題もないと思っているとしたら、勘違いも甚だしいね。
相手に合わせて同じ調子でレスしているだけですので、勘違いなさらぬよう。
>それと君は真実を指摘されると、すぐにそれを他人に投影したがる。〇〇と批判されれば、同じ言葉を使って〇〇と何の根拠もなく
>使ってくるのはあまりにも痛々しい。
自己投影は、妄想くんこと元パヴィッタ師である恩田敬さんのレスの特徴でしたけど。
>現実に接点を持たず、妄想の世界に生きているのは君の方だよ。オウムの教義を現実世界に当てはめて、それで真実を見ていると
>錯覚している。実際には間違ったフィルタを通して見ているのに過ぎないのにね。
オウムの教義が間違っているかどうかは、現実にあなたが修行し解脱し悟り涅槃されてからお確かめ下さいませ。
>それらは、どのポイントで涅槃に至るかを示したもので、あなたの言う「ニルヴァーナの状態には幾種類もある」ことを
>意味しているわけではありません。
>(1)中般涅槃:不還果の聖者が欲界に死に色界に往く中間で余の煩悩を断ち般涅槃すること。
>(2)生般涅槃:色界に生じおわって久しからざるに、余の惑を断ち般涅槃すること。
>(3)有行般涅槃:生じおわって長時に修行し、余の惑を断って般涅槃すること。
>(4)無行般涅槃:生じおわって修行せず怠けて長時を経るに、余悪自然に解けて般涅槃すること。
>ref. http://www.geocities.jp/tubamedou/Jiten/Jiten6.htm
>これは、麻原自身もタターガタアビダンマで同様の解釈をしています。
>あなたはオウムの教義もきちんと理解できていないようですね。
>こんな状態だから、あなたが経典通りの解脱の体験をしたなどといっても全く信用性がないわけです。
ああ、やはり文字だけ読んで頭だけで理解出来たつもりになっている方でしたか。
その「どのポイントで涅槃に入るか」によって、涅槃後の魂の自由度・幸福度・歓喜度・安定度が著しく異なるのですけど。
だからタターガタ・アビダンマでも「魂のステージの違い」として記されているのです。
こういう事は、実際に修行して何度も涅槃を経験しない限り、絶対に分からない事だとは思います。
真理を否定し修行の道を放棄し、無常なる現世的価値観に塗れて生きている人に、真理の実相・具体的な教えを説いても無駄だとは思いますが。 「オウムの教義が間違っているかどうか」
みんな死刑になってるね・・
つまり・・
そういうことだ >>845-849
そういう風にオウムへの私怨にとらわれて生きている限り、真理を理解し悟る事は非常に難しいと思います。
>>850
>仏陀は、苦もしくは漏で四諦を語ったが、あなたはカルマの法則に置き換えるという勝手な解釈をしています。
>他の人も指摘していたが、カルマの法則は無常であり、に至っては言葉として意味不明ですね。法則が無常なら法則とは言わない。
そこはあなたが正しい。
無常であり苦であり無我であり滅尽できるのはカルマであって、カルマの法則ではありません。
これは当方の無智によるミスです。
カルマは無常であり苦であり無我であると悟る事でカルマを滅尽し、カルマの法則から出離し超越する事が出来るという意味です。
>で、今は大いに影響受けているわけだよね。
>君は単に一過性の体験をしただけで、それは解脱とは言わない。
救済と称しこの世に留まる限り、幾ら涅槃を経験してもカルマの影響を受け続ける事になります。
なぜなら、救済者は自ら望んでこの汚れた現世の汚れたカルマを引き受け浄化せねばならないからです。
それがオウムで説かれた「救済者の生き方」です。
>オウムの教義上当たり前であっても一般的には当たり前ではないので。
「一般的」って何ですか?現世的価値観や常識の事でしょうか?
なぜ「涅槃すら経験していない方が、頭だけで「真理とはこうだ」と妄想しそれを正しいと思い込む」のでしょうか?
その背景には無智無明があると言わざるをえません。
>そもそも完璧も絶対も100%断定している点では、似たような意味です。
人の話を悪意で著しくねじ曲げておきながら、誤魔化してますね。
あなたが言ったような意味では「絶対だ」とも「完璧だ」とも言っておりません。
ただし上記の四諦の解説を読む限り、あなたも実際には私が言うような意味で「カルマの法則は完璧だ」という見解のようですけど。 >>850
>君は日本語を正しく理解しているのかな。
>私は、あなたがカルマの法則は絶対だと悟ったとは言いましたが、「カルマの法則が絶対であるというのが、悟り」とは一言も言ってません。
>過去ログを追うのが面倒なんで正確な言葉として「絶対」は使っていなかったかもしれませんが、
>あなたは解脱・悟りの体験として、カルマの法則を理解したようなことを書いていたと記憶しています。
アナタは相手に悪意を持ち言葉面だけ眺めて揚げ足取りを探しているから、そういう風に勝手に誤解し人の話を歪曲・捏造する訳です。
解脱・悟りとは「カルマの法則を(無常であり苦であり無我であると)理解し(離れ超越する)事ですよ」とは、何度も繰り返し述べてきた事のはずです。
>あなたは真我独存位の状態にあれば、カルマの影響から脱却している状態にあるという理解でしょうが、そういうことは言っていません。
>今ここで真実を直視すれば、因果の法則はないということです。あなたには理解できないでしょう。
それは根拠も無しにそう思い込んでいるだけの、妄想論ですね。
「今ここで真実を直視」すれば、カルマの法則が現存して自己を苦しめている事が如実に理解出来ます。
そして仏陀方が説かれた正しい教えを理解し実践する事で、それらカルマの法則からの出離・脱却・超越が可能となります。
でも「今ここにいて真実(=カルマの法則)を直視する」だけでは、「因果の法則(=カルマの法則)が存在する」という真実を悟る事にはなっても、「因果の法則(=カルマの法則)が存在しない」という事にはなりません。
たとえ今ここにいて真実を直視する事で「空と色とは同一である」「サムサーラは空性である」などと悟っても、それは「カルマの法則は幻影である」という真実を認識する事にはなっても、「カルマの法則は存在しない」という事にはなりません。
アナタは大乗仏教の空論をネットや書籍などで読んだだけで、「頭だけで空論を理解出来た(=悟った)つもりになっているだけ」かと。 ヴァジラヤーナの救済=無差別殺人かー
どんだけだよ・・ >>858
イエス・キリストも捉えられ死刑囚として磔にされた(厳密には裁判では無罪で、民衆よる私刑で処された)訳ですけど、キリストの教えは間違いなのでしょうか?
仏陀釈迦牟尼も食あたりで亡くなられ、その高弟の大目連も異教徒に撲殺されましたが、仏陀釈迦牟尼の教えは間違いなのでしょうか? 「これは、麻原自身もタターガタアビダンマで同様の解釈をしています。」
密教の名もとに無差別殺人を指示する・・
どんな解釈だよ つまり・・
自分の欲望を満たしたいがために・・
密教を悪用してたと・・ 自分の行為を密教で正当化してたんだよな・・
結局・・ そうなると・・
なんでもありになっちゃうからな・・ ・・で行き着くさきは・・
「とうとうこれで殺人鬼になってしまったんですね・・
これで絞首刑だ・・死刑確定だな・・」
こうなったと・・ 知能や意識が人間を超えて高くならないと真理を正しく理解できない。 密教の悪用が因となり・・
果として殺人を犯し死刑となる・・
自業自得・・悪因悪果
因果応報の法則である この世界は緻密な法則で成り立っている
法による秩序で保たれていると言っても
過言ではない >>864
何で「涅槃の種類の話」が「ヴァジラヤーナの救済」の話にすり替わるの?
>>869
その通りです。
現世的な判断や価値観から離れ、カルマの法則に則って殺生なら殺生としてありのままに見、ありのままに捉える事が大切です。 >>809
>相手を恩田扱いすれば、それで論破できていると思い込むのは
>単なる逃げ、理性の怠慢ともいうべきだろう。
この部分が全く理解出来なかったが、よく考えてみると、要するにアナタは「レッテル張りをして相手を言い負かす事」を「論議」だと思い込んでいるという事ですね。
だからいつも「根拠を示して論理的に解説する」という論理的・理性的な論証を全くせずに、ただひたすら「カルマの法則はない」などと繰り返し連呼する事ばかりして来たわけです。
でもそれは「カルマは幻影である」という真実を「カルマは存在し無い」などと間違って捉えただけの、誤謬見解・妄想見解に他なりません。
無智無明を背景に妄想見解を持ち、
妄想で思惟し、妄想で言葉を発し、妄想で行為を為し、
妄想で生活をし、妄想を精進をして、妄想を記憶修習し、妄想三昧に入ると。
これが今のあなたの状態です。 >>873追加。
>>869
その通りです。
現世的な判断や価値観から離れ、カルマの法則に則って殺生なら殺生としてありのままに見、ありのままに捉える事が大切です。
そして仏陀の心・菩薩の心・救済者の心を理解するには、人間だけでなく神々をも遙かに超える高い意識・智性・智慧が必要であると。 >>837
>動物のカルマ?とかそんな幼稚な答えじゃなくてもっと率直に自分の言葉で
アナタはカルマの法則を良く理解していないから、「動物のカルマ」だと言われても何の事だか自覚出来ない訳です。
>>845
>どんな聖人であれ、人である限り動物としてのエゴ、欲望を持っている
それはアナタ自身が「動物のカルマ」が強いからその様に感じているだけかと。
>悟りの一側面とは人間の持つ動物としての欲望を知る事にある
知るだけでなく、捨断する努力をしないと永遠にその苦しみから抜け出せませんよ。
>>846
如何にも動物的な感情的レッテル張りばかりですね。
>>847
>なぜ異性にモテたいと思うのか?
>なぜ誰かに賞賛されたいのか?
>なぜより多くの快楽を人は求めるのか?
>なぜ自己同一化した教義を守りたいのか?
>不快を避けて快楽を求める
>動物としての人間はただただこの快楽原則に従って行動する
自己紹介、乙としか言いようが有りません。
自分自身の煩悩を証智できるようになっただけ、修行が進んでいるのかも知れませんが。
>禁欲というのは、禁欲する事で別の利益が得られると信じている人の打算的な取引にすぎない
で、煩悩を肯定し「エゴちゃん」と仲良くされている訳ですか。
それは自分自身の甘いだけの、動物的な打算・妥協にすぎません。
>>848-849
>勿論オウムのやり方は最低だ
>あんなものは益々恐怖を増幅させて酷い事になるだけだ
アナタは動物的な無智により煩悩を肯定し禁欲を否定してエネルギーを漏らし続けているのですから、カルマの法則に従って動物的な「恐怖心」が出て来るのは当たり前です。
オウムでは、隠れている煩悩を一気に顕在化させ一気に取り除く実践をしていました。
それを理解出来ぬまま、アナタ自身が自分で為して創り上げた動物のカルマをオウムに責任転嫁しても、無意味です。
>麻原は恐怖に怯えて最後は隠し部屋に隠れていた
>今は糞を漏らしてる
そりゃグルはアナタのカルマを受けているのですから、そうなるのは当然でしょう。 麻原がグル?
密教を自身の欲望のためにに使ってた奴が?? >>877
>密教を自身の欲望のためにに使ってた奴が??
レスの日本語も正確に理解出来ないアナタが、正確な漏尽通や他心通を使えるとは到底思えません。
またアナタが密教のグルの強い四無量心を理解出来るような神々をも超える高い智性や智慧や意識を持ち合わせているとは、到底思えません。 四無量心からリンチ殺人・無差別殺人とか・・
どんだけ密教を悪用してるんだよ そもそも逮捕時の体重からしておかしいとおもわなかったか・ >>879-880
密教・顕教の教義や修行法すら、自分自身の欲望を肯定する為に悪用しているのは、アナタ自身でしょ? >>881
体重が「密教のグルの条件」だと思い込んでいるアナタの認識がおかしいと思います。 食欲があるということは・・
悟りからその分だけ遠ざかるんだよ・・
これ基本^^ 瞑想しててお腹が「グー」ってなったらおかしいだろ^^
どこからみても^^ >>884-885
密教の基本的な技法すら知らない・理解していない人のようですね。 いい機会だから聞いておくか・・
落田さんのリンチ殺害事件事件では
オウムの密教の教義ではどう正当化するのかな^^ やはり・・逃げたか・・
パクリ密教で殺人を犯す
こうなっちゃうんだよな・・
ど素人が密教やると・・ 体験さんは月曜日から土曜日まで仕事で
早朝と夜に書き込みがある。 このスレには、占いに拒否反応を示 す人
が多いが、オウム真理教といわ ゆる占い
とは切っても切れない関係 にあり、その
完璧か?いなかの話を するさいには、避
けては通れないと いっても言い過ぎでは
ない。 それほ どまでに、スレの趣旨に
ぴったりの、話を少しずつ進めて みよ う
。 >>857
> その「どのポイントで涅槃に入るか」によって、涅槃後の魂の自由度・幸福度・歓喜度・安定度が著しく異なるのですけど。
> こういう事は、実際に修行して何度も涅槃を経験しない限り、絶対に分からない事だとは思います。
それはあなたの解釈にすぎません。あなたの妄想体験なぞ何の根拠にもなりませんから、
「仏典で明確に説かれている」という「ニルヴァーナの状態には幾種類もある」をきちんと示してください。
自分の妄想で勝手に仏典を改ざんしてしまう癖があるようですのでお気を付けください。 >>863
これ、よくオウム信者言うけど
捕まったカルトのインチキ教祖ってたっくさんいるんだよ
だから捕まったからといってキリストとか釈迦に並べるなら沢山のインチキ教祖を並べなくてはならなくなる
そんなわけがない
麻原なんてよくいるインチキカルト教祖の一人にすぎない
ただこの世を恨んでいてテロリストとして世の中に悪を撒き散らしたから有名になっただけ >>876
これもそうだけど
そうやって条件反射するんじゃなくて、一度ゆっくり考えてみなよ
本とか何かで植え付けられたモノを反射で出すんじゃなくて >>860
>救済と称しこの世に留まる限り、幾ら涅槃を経験してもカルマの影響を受け続ける事になります。
>なぜなら、救済者は自ら望んでこの汚れた現世の汚れたカルマを引き受け浄化せねばならないからです。
>それがオウムで説かれた「救済者の生き方」です。
これぞ、オウム流の言い訳の典型ですね。
そのときしか成立しない、ちょっと他と接するだけで崩れるような一過性の体験を解脱と称し、
完全ではない原因を他人に転嫁する。
カルマの影響を受けるようであれば、あなた自身がまだ解脱・悟りには達していないということです。
他の仏教では、汚れた現世の汚れたカルマを引き受けなんて言いません。
オウムとはそもそも目指している方向が違いますからね。
>>861
> 「因果の法則(=カルマの法則)が存在する」という真実を悟る事にはなっても、
>「カルマの法則は幻影である」という真実、
>「カルマの法則は存在しない」という事にはなりません
何を言いたいのかな?
頭でこねくり回していると、自分が何を言っているのかもわからなくなってしまうのかな。
私が言いたいことは、相対的な視点においては、カルマの法則が現れてくるように見えるが、
真実を見れば、そのようなものは存在していないということです。
通常世の中において、体験するのは、二つの出来事を時間軸に沿って体験しただけであって、第二の出来事が
第一のできごとに基づいて起こったということは体験していない。ここで原因と結果を結びつけるのは
単なる概念、予断、習慣に過ぎない。
真実を見るというのは、このような因果関係の結びつきだけでなく、体験に観念を投影せずに、ありのままに
体験することを指す。 「動物のカルマに堕ちているからその様に考える」
↑
「オウム(邪教)のカルマに堕ちているからその様に考える」
↑
「動物のカルマに堕ちているからその様に考える」
↑
「オウム(邪教)のカルマに堕ちているからその様に考える」
↑
以下無限ループw 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >涅槃後の魂の自由度
魂?
混乱、無知をあまりなく暴露する一言 「なぜ動物のカルマなのですか?」
↑
「動物のカルマに堕ちているからそう言う」
以下無限ループ 麻原の誤った解釈と盲目的信仰が諸悪の原因であり、死刑が結果。 オウム教が正しかろうが過ちだろうが内心の自由であるが、
犯罪を犯せば裁かれる。 内心の自由である限り干渉はしない。
ただ、公共の福祉や人権を侵害するなら当然世法の裁きを受ける。
それを忘れて犯罪に走った唯の異常な宗教団体。 オウム教はたとえ犯罪を犯しても救済(財産の強奪、信者獲得、カルマ落とし、ポワ(教団にとっての邪魔者は消す)など)すればよいのだよ。
オウム流ヴァジラヤーナは、自らの解脱のためには、殺人をも犯すんだから。
麻原の指示があれば、無差別殺人だってやる。
今は麻原が意志疎通が不可能になったわけだが
たとえば、教団の上の者が「今朝ヴィジョンを見て、グル麻原からこれこれしかじかの指示があった」と言えば
それに従う信者も出てくる可能性もあるわけで。
いまだにテロ組織として認知されているのも当たり前のこと。
ロシアでもテロ組織と認められた。
他を害するなという教えと、たとえ仏陀が言った言葉であっても
鵜呑みにするのではなく、よく吟味して納得してから信じなさいとお釈迦様は説かれた。
サリンをまけと言われたときに、グルが言ったことだから
きっと正しいのだと考えて、サリンをまくというのは間違い。 林郁夫受刑者の話だと、地下鉄にサリンと傘をもって乗り込んだとき
すぐ近くに若い女性がいたと。
この女性も死んでしまうんだと考えたが、サリン袋に傘を突き刺した。
救済のためと言いながら、目の前にいるなんら害のない人を殺すというのは矛盾している。
グル麻原の指示だから正しいのだ、救済なんだということを鵜呑みにして
利害関係のない人を殺してしまったと。 林郁夫は犯行後泣いて後悔した。
お釈迦様も、ああ悪いことをしたと後悔することが悪いことだと説かれている。
そういうことは常識で考えて分かること。
常識を軽視するのもオウムの特徴。
坂本弁護士一家殺害も、オウム側と坂本弁護士との確執はあったが
オウムと奥さんの都子さんと息子の龍彦ちゃんには関係ないわけだ。
しかしこの常識が通用しないのがオウムなんだよ。
ヒトラーやスターリンも、常識はずれに粛清していた。
麻原には異常な被害妄想があり、オウムでもスパイ容疑がいろんな人に掛けられていた。
ヒトラーもスターリンも別に反抗してない人も殺していた。
基地外は常識はずれ。 ヴァジラヤーナには善もなく悪もない、正もなく誤もない。
そこに勝手に手垢を付け、二義落ち解釈を付けて犯罪を行い
処罰された。
ごく当たり前の事ですな。 人類を救済したいという衝動は、支配したいという衝動を隠す表向きの看板であることが多い。 お釈迦様も、ああ悪いことをしたと後悔することが悪いことだと説かれている。>
ああ悪い事をしたと後悔しなければいいわけだな、その理論だと
麻原は
「シヴァ大神にポアされてよかったね」
って唱えるように弟子に指示したらしいよ
新見は
麻原の命令であれば、たとえ殺人でも嬉しかった、だと 別に擁護するわけではないが、たしかに後悔は仏教では悪心所。
まあ、いつまでも過去を引きずるな。それよりも善心所をなせ、ってことだろうけど。 ここのスレッドの馬鹿のことだろ
私が「麻原は詭弁の勉強をしろ」って経済学のセンセから言われていたって
ここに書いたら、真似するようになったんだよ
こいつ、水を得た魚のように詭弁を研究して、ここで使っているだけ
相手の揚げ足をとって、しまいには相手が悪いかのように
口先でねちねち言って、相手を煙に巻く術のことだよ
こいつ、ネチネチ言えば論戦に勝てるって思っているけど
私が教えてやるまでは知りもしなかったのよ
私が言うまで知らなかった事って、こいつには多いの
聞いたことは全部、オウムのために利用している 見ていればわかるだろ
話の論点が、いつも摩り替えられているんだよ
自分が攻撃されたことはかわして、話を摩り替えているんだよ
そして、相手が悪いって言って終わるの
論戦に勝てても、相手の気を悪くして嫌われるだけだと
私は思うけどね
政治家がよくやるんだろうな
たとえば、「あの件はどうしたんだ」ってなじられたら
答えを今出すのは性急だと言い返して、かえって相手は性急で慎重ではないって
相手が悪いって結論に達するように話すのを詭弁術っていうらしい
要するに論戦に勝ちたいってだけで
人格が卑しくなっても平気な奴が、こういうネチコチした術に訴えるんだな
誠実でもなんでもない
口先だけの人間が思いつくことだね
そして卑しい人間が真似するのさ こいつみたいなね 麻原の弟子だからね 卑しい手を使っても最後に勝てれば善だと
思い込むようにしているんだよ
麻原って、選挙に大敗したとき、「もうオウムをやめようと思う」って
もらしたそうなんだわ
それって、政治家になれないなら、教団経営はやめたいって
言ったのと同じよね
だって、弟子は修行を教わりたいんであって、政治団体に入りたいわけじゃ
なかったのに
肝心のグルは、政治家になりたいだけなんだよ
つまり、麻原は世の中に対して欲があるんだな
セイリンテンノウって、悟ってはいないからね
その欲があるグルに教わって、本当に悟れるのかはしらない グル麻原の指示だから正しいのだ、救済なんだということを鵜呑みにして>
たぶん理屈ではなくて洗脳なんだね
たとえば、暗い小さい部屋に閉じ込めて、パソコンの画面に
なにやら書いてあるのをずっと見せられる
その画面は自分で消せないことになっている
だから、入信してはいけないんだね
入信したら、同じことをやられるのに入るんだね たとえば中川っていたんだけど、そいつは医者の卵だったんで
いろいろさせられた
悪い物質を作る研究とかね
それで自分のやっていることがあまりに罪深いと感じて、泣きながら
もう嫌だ、やめようよと言い出したこともあったんだけど
仲間が「お前、疲れているんだよ」
って言ったら、ああそうだ、俺は疲れているだけなんだよと
思って、またシャキっと、もとの殺人モードに入ってしまったりとか
裁判資料を読むといいよ 細かく書いてある
麻原は自分の頭で判断するなと言ったわけ
普通は自分の頭で考えない人間って、馬鹿だって言われるでしょ
でも、自分はいまだ解脱したことがない、解脱の仕方を知らないんだね
麻原は解脱したと(自分で言っていた)
解脱の仕方を知らないから、麻原に聞きにきた
なのに、麻原の言うことより、自分の頭のほうを信用している
(自分は解脱できないのに)
では、解脱できないな 私を信用しないのだから、という展開
もし、お前が私を信用しきっているのなら、指示が聞けるだろって論
私なら信用できませんが、って答えるけど
あの帰依したがり達は、私はグルを信用しています、って言いたいんだね
何故なのかは私にはわからないけど
多分、麻原に好かれたいんでしょう なんでだかね 修行のやり方に疑いを持つことは、修行の妨げだって説明された
皆、人よりも早く成就したいんだね
だから、ブラジャー取れって言われたときも、は、なんでって思うらしいが
とりあえず取ることになっているらしい
だって、絶対的に信用していたら疑わない、ってことだから
なんでですか、って問い返してはいけない
お前は私を信じられないのかって言われる
私だったら、ええ、そんなんじゃ信じられませんって言い返すが
それをすると、立場が悪くなるらしい
反抗的だと上司から排斥されるのは、世間でも同じだろ カルマの法則はない、っていうあんたの主張は間違っている
それは、あんたはサットヴァじゃないから
修行しないで理屈ばかり言う人は、サットヴァじゃないんでしょう
カルマの法則があるってのは、中にいたとき実感したよ
営業マンでウソツキの奴って、修行していると喉が枯れて声が出なくなったり
するのを見たよ
そいつ、仕事でもプライベートでも嘘をつく癖があってね
他の人はバクティしてざんげの修行すると、一時的には声がひどくなるけど
しまいには浄化されて綺麗な声になったりするのに
そいつは、声がしまいに出なくなってしまった
仕事で繰り返し嘘をついている
私は教団に誘われて初めてみんなでチラシ配りにいったとき
暗い道で足をくじいたんだわ
グリって感じで足首をひねった
配り始めてすぐだった
ああ、カルマ落ちるわって思った しばらく痛かった
そう思っているときに丁度、金持ちの女に出くわしてね
そいつは買い物をするとき値段を見たことがないと言っていた
いくらでも買い物ができる 財布の中身を気にしないでね
ああこんな人もいるんだと思った
パパが金持ちだった 金持ちの家に転生したいもんだと思って
ザイセに励んだよ そのときに事務員だったから、足を多少痛めても勤まったけど
食事のときに並んでいて、足が痛いなあって思う程度で
最近歩き回る仕事についたことがあって
もしこんな仕事だったら、やめないといけなかったかも あんたら、ガミガミ言うけど、本当に死刑制度が廃止になったら、どう思うよ
麻原はあんなに殺したのに、殺されないんだぜ???
それこそ、散々叩かれてカルマが落ちきったあとに
善行が残っていて現象した、って教団は言うんだろうな
これにはかなりびっくりしたよ
日本弁護士会みずからが、死刑廃止を唱えていて
瀬戸内朝鮮人?が、死刑執行したがる人に対して
殺したがる馬鹿ってなじっていた
麻原を散々叩いた日本が、いまや麻原を救おうとしているらしい
ま、白人社会で起きた動きに、追従しているだけなんだけどね
白人が言わなければ、こんな動きはなかった
日本人は盲目的に、白人のやることには追従するくせがあるからね
私が日本人って嫌だと思う瞬間だよ
白人の真似は何でも善なんだぜ >歩き回る仕事
倉庫のピッキング作業とか、水道やガスの検針とかかな。
ポスティングもあるか。
歩くと、お尻が引き締まって後ろ姿美人(バックシャン)になれるよ。 明治維新のころ、散々白人に日本てのはどーのこーの難癖つけられて
日本人ってのは、それに従わないといけないってなぜか思ってそうした
らしいよな
別に日本人が日本人らしくても構わないはずなんだが
白人の気が済む様にせいぜい追従してやる癖があって
白人の支配下にあって、今では白人を喜ばせてやりたくてうずうずしている ちょんまげがみっともないって言われて、切ることにしたらしい
白人に言われるとすぐ気にして言うがままになる
別に日本の勝手なのにね
まげは男の命だったらしいのに 麻原が吊られるのを見たいって言うと、殺したがる馬鹿って言われる時代が
きたんだぜ どう思うよ
教団の思うツボなんだよ
どう思う それが他人事であるならば、一度カルマを落とされてスッキリした
状態で転生したほうが良い、っていうのに
自分のことになると往生際が悪くて絶対に殺されたくないんだよな
それで助かってしまうのかね 自然死か病死か死刑かの違いでしかない。
仏教で言うダンマ、法は「事実」とか「現実」とかの意味も持っていて、妄想や人間の勝手な概念の含まれない純粋な「事実」や「現実」も意味する。
だから法によって見よ、となると純粋な「現実」だけを見よ、という意味にもなる。
だから麻原の死は今後どのように展開するかは分からないが自然死か病死か死刑かの違いにすぎない。
ただ死それだけ。
そこに怨みとか殉死とか意味や概念や妄想を付けるのは人間の都合と邪見。 ちなみに、自己を島とし、法を島とし、で有名な件は、そういう意味で考えると「それが自分の都合や概念ではなく、純粋に事実現実か?」を考えよ、と説いているとも考えられる。 >>893
>それはあなたの解釈にすぎません。あなたの妄想体験なぞ何の根拠にもなりませんから、
「その「どのポイントで涅槃に入るか」によって、涅槃後の魂の自由度・幸福度・歓喜度・安定度が著しく異なる」という話は、四向四果とも共通する事なんですけどねぇ・・・
真偽のほどは、御自身で体験してお確かめ下さい。
修行もせず何の体験もない癖に「こうだ」と決め付けられても、それは何の意味も無い事です。
ま、文字だけ読んでその世界を知った気になってるような人には、何を言っても無駄かもしれませんが。
>>894-895
根拠も示さずにレッテル張りばかりでは、動物と同じとしか言いようが有りません。
>>896
>カルマの影響を受けるようであれば、あなた自身がまだ解脱・悟りには達していないということです。
救済者=菩薩の状態を全く御存知無い方のようですね。
それはアナタ自身に修行経験が乏しく、解脱・悟り、あるいは涅槃の経験が無いからだと思います。
そして書物で読んで知識を得ただけで、解脱・悟りや涅槃の状態を勝手に邪推して説いていると。
>何を言いたいのかな?
>頭でこねくり回していると、自分が何を言っているのかもわからなくなってしまうのかな。
こんな単純な話すら、理解出来ない方でしたか。
「幻影であって実態が無い」という事は「存在し無い」と言う事では無いですよ、という人間界の一般常識でも理解出来る程度の至極当たり前の話なんですけど、無智無明による誤謬見解に頭が染まっている方は、この程度の単純な話すら理解出来無かったみたいですね。 >>896
>何を言いたいのかな?
>頭でこねくり回していると、自分が何を言っているのかもわからなくなってしまうのかな。
こんな単純な話すら、理解出来ない方でしたか。
「幻影であって実態が無い」という事は「存在し無い」と言う事では無いですよ、という人間界の一般常識でも理解出来る程度の至極当たり前の話なんですけど、無智無明による誤謬見解に頭が染まっている方は、この程度の単純な話すら理解出来無かったみたいですね。
>私が言いたいことは、相対的な視点においては、カルマの法則が現れてくるように見えるが、
>真実を見れば、そのようなものは存在していないということです。
>通常世の中において、体験するのは、二つの出来事を時間軸に沿って体験しただけであって、第二の出来事が
>第一のできごとに基づいて起こったということは体験していない。ここで原因と結果を結びつけるのは
>単なる概念、予断、習慣に過ぎない。
>真実を見るというのは、このような因果関係の結びつきだけでなく、体験に観念を投影せずに、ありのままに
>体験することを指す。
それは無味無明によって現象の極一部分だけを凝視して思考停止し、勝手に適当な解釈をして「悟った」気になっているだけかと。
あなたの悟った「真実」とは時間軸さえ超えられない狭い範囲の物のようですけど、おそらく仏典などで空性の話の文字だけ読んで頭で思考をこねくり回して「こうだろう」と考えただけの「真実」であって、意識は現象を観察する所から一歩も抜け出せていないとしか思えません。
無常であり苦であるカルマを超えて真実の世界に到れば、全ての現象はカルマの法則通りに生じては消える幻影であり実態が無い事を如実に理解し経験出来るようになります。
より詳しく言い直すと、解脱・悟りを果たして意識が涅槃に到り全ての現象をありのままに直視できるようになると、全ての現象の因果関係が神秘的な力によって如実に見聞き感じられるようになり、全ての現象がカルマの法則により生じては滅していく様を神秘的な五感により体験的に理解出来るようになります。
アナタは意識が現象界から離れていないが故に、神秘的な五感を使える高次元の意識状態を全く理解出来無いだけだと思います。 >>927-928
その通りですね。
私怨で心を波立たせ続ける状態から抜け出せない内は、物事をありのままに見る実践は難しいと思います。 >>932
927ですが、あなたにも物事をありのままに見えてるようには思えませんが。
私にしたって物事を純粋に事実現実だけ見るなんてまだまだ先のことに思います。
誰かの反論にそのように息巻いて長文レスするあたり青臭さが抜けてないように存じます。
私?
そう私も青臭さが抜けてないのかもしれませんね。 >>933
おっしゃる通り、このスレッドでレスしている時は寂静・観照からは程遠い状態です。
でも何もせねば邪悪見解が広まるので、やむを得ません。 じゃあ、オウムのヴァジラヤーナは捨てたほうがいいと思いますが。
それと、何がなんでもグルイズムが無くなれば。 >>934
真実現実、法則は賢者とそれを求めるものだけが知っていればいい、と個人的には思います。
カルマ落とし?邪見解?
それはそれで良いのでは?それこそカルマですから。
私は既にこのスレはその存在意義は終焉に達したと思ってるのでたまに思いついた時だけラスしたり書き込みしたりするだけの野次馬ですが。 オウム被害者の会会長の永岡さんが
麻原を100回、1000回殺しても殺したりないくらい憎いと言っていたが
それについて、体験さんは、麻原をもっと思念すべきだと言いました。
それは逆効果だとわたしは思いました。
殺人鬼の人間を思念したら、かえって不徳になると思う。
殺人犯の中には、麻原みたいな殺人犯をリスペクトする者がいますね。
仏陀のような清らかな対象を思念すると功徳になるそうですが。
永岡さんの心が安定しているときは、おそらく麻原を思念してないときだと思います。 信者が増えて権力を持ったからおかしくなったのか、最初からインチキだったのか? お正月のお休みで暇なので書き込みしますけど、思念は妄想なので私は、でき得る限り、見ただけ、聞いただけ、感じただけ、考えただけで、踏みとどまり、妄想を動かさない、心を動かさないようにしています。
まあ、浅いレベルで止と観を同時にしてるわけです。
恨み言も極端なグルイズムももう懲り懲りなのです。 人は現象を見て妄想虚構の世界に入るからね・・
その世界に入らないためには止観が必要になるね・・^^ 人は先入観でよく間違いをする・・
つまり・・
そうゆうことなんだよな・・^^ ということは・・
すべての現象は心の表れであると・・
妄想虚構で造られた世界であると
こうなる^^ 唯識
あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、
それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。そ
れら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に
過去に消えてしまうであろう。
即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。
このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。 「言葉で語られたものは存在しない」ということは日常のいわば乱れた
心(散心)の状態では気が付きません
。この心の乱れを静めて心の中に住して言葉を出してみますと、
その言葉はすべて虚しいものであることに気付きます。
このように静かな心で一体なにが有りなにが無いかを追求観察していく方法が
ヨーガといわれる実践です。
このヨーガという観察方法で静かに事象を観察した結果生じたのが、
唯だ心すなわち識だけが存在するという唯識思想です。
唯だ心すなわち識だけが存在する^^ >>916
麻原が言うようなカルマの法則はない。
カルマがないとかあるとかじゃない
それは神秘に属する
この世での利益を求める心は、比較の世界
それは恐怖で裏打ちされた世界
大事な事はなぜ利益を求めなくてはならないのか?を捉える事 「輪廻転生は死んであの世に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わってくる
ことを意味する。」
う〜〜ん
一瞬の間に輪廻を繰り返してる方が理解できる・・
刹那滅だな・・^^ 私も直感的に輪廻を感じることがあるけど、同じことの繰り返しをしている
ような気がしてならない。
具体的には今の生で過去に行った善・悪の行いが自分が今生経験して来た人生と
重なるというか来世があってもまた繰り返しになるのだろうかとバカバカしくなる 強迫性障害ですが、突然頭の中にヨハネの黙示録が浮かび
頭から離れません。
下のスレで心を解放してくださいよろしくお願いいたします
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1483540137/ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。