なんちゃって覚者✴ありのまま教 [無断転載禁止]©2ch.net
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2ちゃんねる初心者です
このスレッドでは昨今流行の悟りと非二元についておしゃべりします
まあ誰もこないかもしれませんがw
ボチボチわたしは書いていくつもりです
なんちゃって覚者とは既存の宗派の教理に適合しないかもしれないのに悟った自覚があり、自信がある人です
ありのまま教とは喜怒哀楽、快不快、プラスとマイナスがあって、それで良しでしょう
そのまんまでいいということです
本覚思想とかいうのがあるらしいですが、わたしはよく知りません
とにかく私は釈迦の境地に達したと自負する方や、ラマナマハルシの私は誰かー知っている人とか、まあ、つまり、そんなことでふ
お花畑という批判は、受けません笑
まあはじめますか ということで、とりあえず名前を決めてハジとすることにします
その昔ファイルファンタジーのオンラインゲームで使っていたのですww
なぜか、このI.D.がよく変わるので、名前付けないと誰かわからなくなるのです この宗教版で、たまーに書き込んでいたのですが、悟りの話ではなくて宗派の話が多いのですね、禅ではこうだとか、原始仏教ではとか、念仏、マントラ、神秘主義ではとかね
で、皆さん主張があるわけですが、まあ、無分別がいいんだとか、宗教なんて終わっとるとか、偉い学者がこう言っとるとかww
で、結局、悟りは、お冗談みたいに思われている気がしてきますね
つまり、本当は、そんなん無理とか、した人がいるわけないと思ってそうなんですよ 名前は毎回入れないといけないのね
普通の人が考えているより、全然、ぶっとんでいるのが悟りなわけですが、何がぶっ飛んでいるかというと、めっちゃ簡単ということなのですwwww
つまり、そのまんまで悟っているのです
普通は、なんかオーラがあって、後光が射していて、あらゆるものから自由とかみたいなイメージがありますが、そんな、規制の宗派のイメージは嘘なんです
人間は生まれる前から悟ってます
まあ、生まれる前があるならですがw これ何回連続で書き込んだら禁止になるんだろうね
まず、悟りの方法を、書きましょう
簡単です
苦しんでいるところを発見してください
普通は心です
その心は私ではありませんwwww >>5
また名前忘れた
優しい人よ、ありがとう
妄想というのは、そうなんですよ
悟りというのは妄想ですwwww
なんなら特別な悟りなんてないんですね
ところが、よくいるでしょう本から撮ってきた、知識を書いて、それが悟りだとwwww
本人の言葉がないんです
そこで、僕は、本人の言葉で、悟りを言いましょうと、思いたちました
諸行無常でも諸法無我でも一切皆苦でもありません
汝の面門どうのとか神の園でもありません
私は悟っている
それが悟りです爆笑 私は悟っているとは、どういうことでしょうか
それこそ、なんちゃって覚者の究極の表現であります
それに対してアホーと言われますが爆笑
何故反発するのか皆目不明です
なぜから、わたしは悟っているからです
これこそが、なんちゃって覚者の、眼目なのですよ >>8
出来が悪いので、またしても名前わすれてました
そーなんです
株でも宗教でも技術なのです
優しい人よ
ありがとう
技術というのはテクニックのことです、そこで、テクニックを、書きましょう
簡単すぎてバカにしないでよwww
発狂してください笑
つまり、自分を脱ぎ捨てるのは、ね
そこなんです 発狂ということについて書きましょう
今度は名前入れたかんね
発狂というのは、自分では、そんなことできないということをすることです
しかしね
実は、自分では、そう思っているだけで、やってみたら普通なことなのです
世の中で、今までされたことのないことは稀有なんですね実は
まあこの、なんちゃって覚者、ありのまま教は、本当に稀有ですが、そんなことは滅多にありませんよ
本人は発狂してるつもりでも、普通なんです爆笑 まだ書けるかなあ
その昔、井上ギエンて人と、奈良なんとかという学者が話してる動画見て笑ったんだけどさ
学者はね、色んなこと知ってるわけさ
でね、井上おじさんは、そこしかないみたいなことに拘ってるわけねwww
で、その偉いさん二人が、どっちも噛み合ってないわけよwwwwwww
わかる??
ここ重要
でもって二人とも信じてるんだよね
なんかを
悟りっていうのは、ほんとはたいしたことないのにさ、そこに、重要生活を見てるのさ
この宗教版でも世間一般でもそーだよ
覚者気取りを頭から否定する連中も同じ穴のムジナw
むしろ覚者気取りより低能だwww
>>13
優しい人よ、ありがとう!
つまり、そーゆーことなんだよね
あの2人の会話でも、いっぽうの井上さんは悟ってる!
と、思ってるから救われてる
で、もう一方は、それは、師匠みたいな優れた人だからとか言いながら、明らかにイラついてるわけwwwwwww
ここ、ほんまに爆笑するとこね
わかる??
だから、なんちゃって覚者、ありのまま教は、そこで、無敵になってしまう
空海、道元、親鸞には、何が優れていたか
もっと言えば、釈迦やキリストが何に優れていたか?
なんちゃって覚者だよ
己れの悟りに微塵の疑惑もなかった url貼れなかったけど…
【宗教は】覚者自称の邪頭を砕く【奴隷術】
かつてこんなスレがあってな…
今は覚者を自称する人も苦しんでいるのだから暖かく接したいと思うな〜。
何か抱え込んでる内は、やっぱ苦しいもん。
智慧が分かっても、慈悲が足りなかった。
悟り悟らぬなんて、もうどうでもよくてな。一人でも一緒に笑いたい。
相手を批判する時は、相手の土俵に上がって、
相手の矛盾を指摘しないと無意味だw
これがわからないバカが多過ぎるw >>16
また名前入れわすれました泣
相手の土俵というのはないんです
まあ僕は確かにバカですがw
他者というものは、自己があっての他者なのですね
まるで相手がいて土俵があるように思うでしょう
しかし、相手の土俵には許可なくあがれません
なぜなら、ひとりひとりが宇宙だからなのです >>18
冗談じゃないって笑
その悟りはどーでもいいけど1人でも一緒に笑いたいってのが、それでしょw 自称覚者の蛇頭を叩くというスレの冒頭に阿部さんの名前が出ていました
あの人は僕に最初に、このキラキハン世界を魅せた人です
間違ってませんよ基本はね
でも、ぼくは内心というか、あれからあってないので反発したのです
何に反発したか
これぞ悟りの一撃です爆笑
スピリチュアリズム批判には、このことが挙げられます
あえてない不安を作る
幻想の未来を想定する
今のわたしは苦しいけれど、この、教えを聞けば、救われるかもと思わせる爆笑
そして!
確かに救われますよ
嘘は付いてません!!!!
しかーし
いいですか?
長続きしませんぜよwwwwwwww まあね
悟ったとか言われる人に会っても普通のひとだよ、断言
自称覚者っていうけれど、それ以外に誰かいますかいなw
まあ、ぼくも、自称覚者だけどね
でさた、みんなゆうじゃんか、あの経典には、こうあるとか、あの偉いさんが、こーゆっとったとかさw
そんなん關係あるかいよ爆笑
己れが救われたか?
それだけでしょ 悲しむ人を見れば悲しくなる。
コショウが鼻にかかるとクシャミが出る。 >>23
そのとおりだね
あなたは悟ってますねw
つまり、そーだね >>23
そのとおりだね
あなたは悟ってますねw
つまり、そーだね 縁の話ですよね
無明があって行がある
コショウがあってくしゃみがでる
究極まで、いくと、なんにもないところから、造られた世界がある
ハイハイ、わかったわかった、あなたの教義とは違うのね
明かりのない無明と、働きである行が縁起きて、全部あるような、感じ
それで、よし!
オッケーってのが悟りだわ
ね
足掻いてないわけ (悲報)これを長文と見る僕w
これがこうで〜あ〜なって…
その間は苦しいべ。論理理屈持ってると苦しい。それにこのスレ、僕と君以外いないべ >>31
なぜ長文で語るのか
ぼくも宗教は奴隷術で騙されたのかもしれんけども
まあ長いわけですよ、騙され生活笑
でね
ぼくなりの、寂滅を、理解したと、思い込んでるからね
ここ、大事
非常に大事なんよねw
なんちゃって覚者はさ、救われてるのは、自分のこころが、納得してるわけ >>32
どう見るかも自由なんね
そして理論理屈が、苦しいなら、それもいらないんよ
要は、あ、な、た、の心が清涼なら、それで終了なん爆笑
真言宗、真宗、曹洞宗の教えに反しててもいいんだよ!!!!!、!、 え〜〜〜〜〜と、なんちゃって覚者さんのスレはここですか?w っとw
つまり、言いたいことは・・
「自分で思い込んだ者かちw それ最強」ってことかな?ww
うんw 確かに最強かもしれんw
鉄格子のついた病院にも沢山「わしは神じゃ〜〜〜」 とか言って
まじで思い込んでる者いるねw
彼らは確かに最強w どのような反論も受け付けないわwww >>37
そーなんよ!
パーピマンさんは鉄格子の付いた病院をバカにするけれども、そこにいるのはww
いいですか??
鉄格子がないと思って、ああしたい、こうしたいといっている人々の方なのです
そして精神を病んでいる人々も救われているのですよ
学者にはわからんでしょう爆笑 >>40 wwwwwwwwwwwwwwww
なるほどおおおおw
あの病院にいる人たちは全員、覚者さんだったのだ?w
ということは、悟りを開くとは、キチ外になることだったのか?ww
だったら、仏教を学ぶには自分も同じ病院に入って師匠をみつけるが
一番いいわけだ?ww
いやだなあw そんな病院入りたくないなあww そんな仏教学ぶのは勘弁だなあwww >>42
ちゃんと文章を読みなさい笑
相手を馬鹿にしてるから、そーなるのですよ
鉄格子の部屋にいるのは、この、ここで、自分が優れていると言っている、あんたw 現状を自覚し、苦しみを抱くこと。
自己の幸福、苦しみからの解放を求めるという束縛的思考をやめ、
真に選択をすること。 >>44
あなたは悟ってますね
尊敬されるべき方よ
覚者気取りと、
同じ穴のムジナたちのくだらんスレwww
まことと呼ばれて
まことと呼び返すのは
まことくらいなもんだろww >鉄格子の部屋にいるのは、この、ここで、自分が優れていると言っている、あんたw
ん???????
この? あの?? ここで?? あそこで???
あなた? ん?? わたし????
優れてる?? 劣ってる????
・・・・・・・・・・・ん〜〜〜〜??????
それ、おいしいの?www >>46
覚者気取りとは正に僕のことです!
ただし、僕と同じ穴のムジナになれる人には会ったことはありませんw
まあ、悟り自体、くだらんことですからね
刺身食った方がよい 「ありのまま教」 というよりは、・・・
「みんなで精神病院まっしぐら教」 と言う風にスレタイ変えた方がいいかも?ww >>47
まことさんは有名人ですね
何度もその文は読んだのですが、まだ、真意を掴めていません
鬼和尚も関連しているのでしょうか
ミステリードラマです 働いたことあるけど、一日で参って逃げたよ。介護職すごすぎ… >>48
そんなことは、ありえません
幸福、幸福と薄っぺらな昨今の中で、その、発言を、できるのは覚者だけです >>50
まあ、だいたい、美味しいと、思われているようですよ、とくに悪魔とかに笑 >>52
えーっとですね
何故に精神病と、思われたのかは知りませんが、とりあえず、自らの都合とは關係なく、精神を病まれた方に謝ったらどうですかな?
苦笑 >>61
後ろに隠した警策は何なんだ?w
よう!こんちわ!
もう公案もどきは御免被るわい(*'▽') >>62 は〜〜〜〜???
何言ってんの?
精神病患者は、覚者さんなんでしょ?w
すげ〜〜〜じゃんw なら、悟りたい人は精神病院いくのが一番ww
謝る??? 何を?www >>58
おー!
正に優しき人よ!!
これぞ、最高の慈悲
ツマミが切れているのを、あれでしょうw
別次元から見ましたな爆笑 >>63
ははは!
バレた?
ハジさんに探りを入れたら童天さんに見破られたw いいツマミになったぞ
^^) _旦~~一杯飲んでけ^^ >>64
それは、あなたの脳内で紡がれたものなのですよ
ね
この、スレタイの、なんちゃって覚者とか、ありのまま教も、あなたの言説から、いただいたのです
でね、鉄格子の話も、あなたが、思い込んだもの勝ちと、僕の話を解釈して、そして、しかも、それは精神病だと指摘したのです
鉄格子の向こうで弟子になりたいとね
それは、つまり、馬鹿にしているんですよ
精神を病んでいる人は、好きでそーなっているのではありません
ありのまま教の話を全く理解しないから、そーなるのでふ
馬鹿にした自覚があるでしょう?苦笑
その傾向は、克服しないといけないのです
私は悟ったとうのは精神病ではありませんよ
あなたが悟ったという私を精神病だとしたのですwwwwww
ちゃいまっか?? >>69
wwwwwwwwwww
長すぎてわかんな〜〜〜〜〜〜いw
つまりいw
ハジ=精神病 ってことね?w >>71
精神病と思う根拠は?
ていうか、わかってるやろwwww
パーピマンが鉄格子、どうのこうので揶揄してきたから、それは、ここに正常と思って生きてる人の方だと言ったわけだよ >>72
あれ??? ちがった?w
ん〜〜〜〜〜〜????? わかったw
ハジ=なんちゃって覚者 なんだあw
(今度はあたり?ww) ちゅーか、夕がたから会社の人たち家くるから、酔っ払ったしねるね
相手してくれる人おって、楽しかったわ
悟りってないと思うぞwwwwww
なんていうか、ないのが、悟りというのか
天空の向こうに、そこが、あるのかもな
しぬまでわからん爆笑 >>74
なんちゃって覚者 が、こんなスレ立ててると
「本物の覚者であると思い込んでる」支店長あたりが乗り込んでくるぞw
・・・・「全く違います。あなたは全然、わかってません。一からやりなおさないと
だめです。 ウㇶ 」とか言ってwww >>76
いや、支店長レベル低すぎww
とても、この、わたくしの話にはついてこれまへん
ぜったいに! あ〜〜〜〜〜〜あ、言っちゃったw
これで、でお〜 とか タ が、噛みついてくるわwww 自然精神統一
精神統一する前に、
すでに精神統一の状態にあると気づくだけでいい
これがサハジャ(ナチュラルステート):自然瞑想といわれるものの正体なのである わたしは
体験の対象も
体験する主体も消え去っているのである (爆)
over 以前からそういうタチなのかな?
それとも、ありのまま教になって、なんちゃって覚者になってから? ありのままって、簡単に言えて、簡単にできていいね。
誰の前でもありのままでそういられる? 今日も
精神統一ひとつのエネルギーキラキラ世界
最高です じゃまた☆ >>88
んー、家族とあまり会話がないっていうか、和気あいあいとできてないのよ。
なんか守りに入っちゃって、本音とか素直さを出しにくいんだな。
心配してくれてありがとう。 ティキさん、親と不仲か?何歳だお?(^_-)-☆
僕は喧嘩別れして悲しかったから、後悔しないようにね。 >>94
ふふw18歳だ。笑
喧嘩売ってんのか?笑 >>93
オカルトにはまってて、オカルト話ばっかしてたらなんとかなった。 僕、22歳だから意外と近かったw
オカルト話は聞く方が大変そうだなw ただ自然精神統一とは
抽象(二つとないこと)が実現してしまっている状態であることを指摘しておくだけである
そのように精神統一する必要もないし 理解する必要さえない
それはすでに実現しているのである ティキさんは、とても純粋そうなお方ですから周りの人は幸せでしょうね。 (#^.^#)ティキさんが不幸なら傍で温めますよ(キモイかw) キモい。笑
(あと、ネットで今ロボットかどうか検査された。 僕も今、同じことになった。
One more step Please complete the security check to accessって出たよ… 全く機械は感情の認識がダメだな。笑
アレンの脳を組み込むしかない。笑 大丈夫やで^^ブログ弄ってたんだよ。大丈夫やで。優しいなティキは… 天空寺スレと一緒になったね。まことしかいないから当然だよな… わっこ姫、きつく言ってすまんな〜。
語る時と場所、相手の状態を知る、考えるって大事だと思う。きつく言ってごめん。 http://news.yahoo.co.jp/theme/06529cb43ad02a494335/
kami-GOD の振りをしたオレオレ・カミ神詐欺。偽者は逃げ隠れ、kami-GOD偽者は公に名乗れない、逮捕される。記録を付け足すのが手間だが、更に多数、逮捕されている。(2014.6.4 - 2013.5 分から抜粋)
2014.06.04 わいせつ行為、ネットで生中継 初の現行犯逮捕 公然わいせつ容疑で 無職 松本隆志 (30)大阪市北区(個人AV撮影者)
2014.04.30 「10人以上とした…」女子中生とわいせつ行為の無職男を逮捕 コスプレ撮影も 東京都世田谷区代沢、無職、池田瞬(24)を逮捕(個人AV撮影者)
2014.04.07 埼玉県青少年健全育成条例違反の疑いで、東京都新宿区河田町、ポルノ俳優 沢井亮(34)逮捕(偽・種馬。偽・偉い人の子。ベトナム人。)
・
2013.11.30 無修正アダルトビデオを撮影させたとして、横浜市港北区新吉田東7 非常勤講師、菅原瞳(27)をわいせつ電磁的記録記録媒体頒布幇助容疑で逮捕
2013.11.08 AV女優 無修整撮影ほう助容疑=静岡|読売新聞
千葉県佐倉市吉見、映像制作業 上滝浩一(45)を わいせつ電磁的記録記録媒体有償頒布目的所持の疑いで現行犯逮捕
画像を撮影させたとして、「埼玉県三郷市谷中、AV女優 飯田佳那(26)、千葉県船橋市西船、AV男優 橋本和明(30)、
東京都豊島区池袋、田中潤一(38)、東京都目黒区青葉台、芸能プロダクション経営 安藤拓生(47)」を ほう助容疑で逮捕。
2013.10.31 公園でAV撮影容疑、女子大生ら男女3人を逮捕
名古屋市中村区の公園内でアダルトビデオの撮影をしたとして、愛知県警中村署は30日、愛知県稲沢市駅前 アダルトビデオ監督 高月勉(39)、
愛知県清須市桃栄、病院職員、佐合政彦(56)、神戸市北区、大学生 志賀美咲(20)の3容疑者を公然わいせつ容疑で逮捕。
2013.05 ポルノ禁止法違反(児童買春)容疑で、東京都品川区南品川、会社員、大橋直昭(42)を再逮捕
「100人近くと買春した」と供述。自宅から14〜17歳の22人を含む60人以上との性行為を撮影しビデオテープ62本。
2013.6.9 レンタルビデオ店で下半身を露出、埼玉県警東入間署は9日、公然わいせつの現行犯で、
真言宗・東福寺=埼玉県所沢市本郷=の副住職、荒泉崇弘(しゅうこう)(39)=同市東所沢=を逮捕 >>86
ありのままは、そのままですよ
自然にできなければ、それも、ありのまま 宇宙に「なった」じゃなくて、初めからそうだったわけ。在りのまんま。
しかも「宇宙」ってのを持ち出して、「なった」と思えば、それ以前を置いてることになる。
その以前がないって気づいたのに。宇宙を持ち出す以前。
前後裁断していこうぜw餅つくのやめよう。突っかかってすまんね。 119.
宇宙になるか否か、の問題ではない。
それは存在の問題である。
宗教は存在の問題ではない。 宇宙を形成している力と、わたしの内面を形成する力は同じで、それが、ひとつになることを宇宙になったと感ずる
しかしながら、わたしに視点がもどった状態で、そこから、わたしが宇宙になるとすると、このわたしの方が縮小した心に収まって不可能になってしまう
最初から宇宙だというのは本当だけれど、もっというと宇宙の向こうなのだ >>120
そうなんです
ありのままに、なる、というのはない
つまりマイナス面も許容するのが、ありのままなわけですね
そこで様々に訪れる感情と感覚はすべて流れ去って跡を留めない
その流れ去るなかで、苦しむこともある
しかし苦しみもまたありのままなのだ
そして、私は悟ったという認識が、これから、どこかへ向かうという目的を剥ぐ >>121
確かに宇宙になるかどうかではない
存在はその先の無心にまでいたることになる
宗教は存在の問題ではない
そのとおりです
それらの変化を追いかけて、宇宙になった、悟った、無になった等々の流れが、ありのままだと知ることなのです 天空と自己の内部意識は同一であり、その、両者の形成する力は、生命としてある肉体内部に満ちている
胸にある己という思いは、この、天空と意識の世界に弾けることで浮き上がる
つまり、ここにある魂が、この天空の全体像と溶け合うのである
それらの、どちらも、自己ではない
これらの対象化されたものの変化、その流れ去る向こう側、認識外のところが、あると仮定するならば、そこが、自己である
それを知ることはできないし、言うこともできないはずだ
そして、これらの認識対象の変化の中で、ありのままにあることが知られるときに、目的点が焼失する
自己が破壊されるとは、本当は、元々の姿に気がつくだけのことなので、あーる! 泣き虫のぼくは、泣き虫であることを忘れていたのだが、その忘れられた己の傾向は、ずっと力をもっていて人生を形作っている
泣いているのは、こころ、である
その感情は、顔に現れる
もしも、こころが、麻痺すれば、顔もそうなる
顔面が開くのは、こころが、開いていくことなのである
そして、この、こころに、沈殿している、泣き虫なぼくが、泣いたなら開かれる
この守られるべきわたしの軟弱な魂は、顔から飛び出て世界と出会う
世界は親しみを持ってそこにある
なつかしい
と、あなたは思い出すだろう
あなたは崩れ落ちたのだ
この、自己の、こころの解放は、天空の意識、顔面、そして魂の三点を融合させる >>127
昨日の夜は、酔ってたけど、いまは抜けてるよ そうか、すまん。四不生って分かるか?
文字を弄したり、言葉を弄して遊ぶのを止める事。
師匠「なぁお前さん、これは何じゃ?」
エリート弟子「花瓶であると言うこともでき、同時に花瓶にあらずと言うこともできます(ペラペラ」
田舎モン弟子(ガラッ)「失礼しゃーす、お届けモンっす」
師匠「おいお前さん、これは何じゃ?」
田舎モン弟子(黙って花瓶を蹴り倒す)
師匠「田舎モン弟子がエリート弟子に勝った(笑)」
これこそ四不生。
要するに頭で概念化する前の、眼耳鼻舌身意で感じたままの世界に生きろということ。
どんなに網羅的に、上手いこと言っても、それはあくまで概念。ラーメンの食レポであっても、ラーメン自体ではない。
つまりどんな表現をしても、言葉は存在を決定付けないんだわ。 >>129
五感と意識の世界に生きるのはテクニックであり、それが最終点ではないのですよ
動きと感覚がある、そこを、見るのは、この世界が自己の内部にあることを気付かせるためにあるのです
鏡のように顔面から世界がまるく見えてくる
そして、その、世界の姿は、天空の向こうに反射しているのです
その天空向こう側と、自己の胸の奥にある魂は、顔面から、分割されて感じられているわけですが、この魂が、その表層の動きを突き抜けて、コントロール不可になったとき、
つまり発狂したときに、天界、物質界、そして自己の内海が、すべて、同一であり、自己はその中にいないことに、つまり、無であることに気がつくのです
感覚の世界は、例えば、耳が、音を聞く、そのままにある、けれども、そこの箇所にいることは自己の意志による
そこにあることを、よしとするのは、ありのままではありません
それは、テクニックなのですw 自己が何かする前に肉体と精神がある
風が吹いて窓が揺れて音がするのは、意識をそこへ向けないと気付かない
それは注目している力である
最初から感覚の世界があり、そこにしかいないのであるが、そこに気付かせるのは、己の意思による
そして、その意思を特定の状態、この場合であれば、思索の世界から感覚の世界へ移行させ、それを維持しようとする
そのような働きも意思が、そこに働き、そうでなければならないと主張する
ありのままとは、そんなケチな話ではないのであります
自己が何かする前にすべてある、そのところが、感覚と動きの世界が、天の力の、そして、自己内部の、なんらかの力の形成力によって、神秘的に現れている奇跡
そして、それらの、活動のうちで苦しんだり、楽しんだり、している、この真の魂が、ここが、実は、己ではないと見抜くことなのだ
それは胸の内にある感情が、深いところで、爆発することであり、非常に神秘的である
世界は新品になる爆笑
て、妄想行きすぎました
まあ、言葉に意味はないね、確かに! 宗教は観念術である。
それは観念を操作する技術である。 >>134
別に分からなくても大丈夫ですよ
なにもかもが、その、そこから、自動的に巻き起こっていて、そのまんま、ありのままでしかないんです
俺は悟ったは究極ですが、それは別に他の人より優れたり劣ったりしているわけではない
すべては、現れで、それは神秘的なのです
ほんとに、平凡ではないのですよ この世界の悲しみは己が背負っている
そこの泪を流してしまわなければ本当に救いが訪れることがない
甘い話でも軽い話でもないのだ
命の叫びが天を突き抜けるほどの咆哮、それが魂の内に眠っているのである
銀河の向こうに、信じられぬ程に巨大な自己の拡張がある 寂しかったんなら、そう言えよなwいつでも書き込めよ。たまに反応するからさ >>142
優しい人よ!
ありがとう
悟りなんかより、素晴らしい!! 阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪 高次の自己とは、この頭上から観照している意識のことである
この意識は常に働いているわけだが、普段の自我意識は、そこに注目を向けないので、気づいていない
その意識は天空にある
天空とは、単に頭上のことである
その頭上からこの世界が現れているのだが、そこが眠っているのである
眠っているというのは、この普段の自我意識が、そこと繋がりをもたず、無意識であるという意味である
その上空の静止は、人間の首の後ろから、感情と、つまり、ハート、胸の奥にある、苦の根本である私と、繋がることがある
そのとき、この、上空の静止が胸にあるいろんな欲望を吸い取る
そして、眠っていた爆発的な怒りや、泣き虫だった僕が立ち現れてくるのだ
自分では、とっくに忘れていた、見たくない自分の本性が、でる 感覚を感じている知性と、脳内の考える知性と、注意を向ける意識は別ものである
この注目する力が自我の働きにひっぱられて巻き込まれているのだ
そこで、そこから、引き離すために、感覚的意識や感情の在り処へ、注目点を移行させるのが、想念、まあ、なんとゆうか、妄想世界から、その注目を逸らすのである
すると、その天上というのか、頭上の意識とつながることがある
そこは形はないが、方向的には、間違いなく空である、そらね、そら
そこに静けさの力みたいなんがあって、瞑想とかも、そこに、あたる ところが、そのソラの意識というものを、よくよく分かってくると、今度はクビの後ろに円を描いている
その円の中に、この、視覚世界が展開しているのであるが、その、更に、もとをみると、自らの胸の奥に、その、感情の、なんというか、ダークなエネルギーがあって、それが、この首の後ろから、あがっていることに気がつくのです
そこの中には怒りとか欲望が、たんまりとあって、その、気持ちが、他者と触れ合うことで、運命を形作っているのだが、その、気持ちの奥には、解消されていない、歪みがある
たとえば、ぼくであれば、泣き虫だった弱い自分というものである
大人になると、そういうところを触れないようになっていて、気がつかない
それでも、その敏感な部分は、負の感情の起点として働いている
ここが、解放されないと至福にはならない
それは、形作っていた壁が崩壊することだろう
うーん、妄想世界激しいな、これ この感情の解放があって、その、円の向こうで見ていた私が、世界へ、顔面から飛び出すのだ
それは受容というよりも、こちらから、世界のうちに消えてしまうようなものである
そこで私が残念な気持ちにひっかからずに、その世界そのもの、つまり、目の前のあるがまま、ありのままに寛ぐことができたとき、そこの中で、自己が消失しきっているとき、その時には、様々な、出来事の中で、わたしはいない
つまり認識主体であるはずの、わたしが、どこにもひっかかることがなく流れ去るのだ
しかし、それは、その状態にいなければ、ならないとかいうものではない
ありのままは、そのまま、なのだ >>151
>ありのままは、そのまま
まぁ、書き込みたい時もあるさ。ありのままは、そのまま。
童天君と、やり合うことで、何か、気が付くことも更にあると思うよ。
悟ったなんて思ったら、誰かに叩かれるぞw 「自分オリジナル」の表現に酔ってるだけ
しかも、レトリックがただ単純に未熟なだけで、
こういうのはオリジナリティとは言わない >>152
そうなんですよね
でも書いてるうちに、これ、違うよなあと、自分でも思ったりする苦笑
童天くんが更に奥深いところを悟ってるのかあ
ここまでの話、理解できてたら、相当な、というかビックリするwwww >>153
そう!
すぐに隠れてしまうwww
で、自分の最初の恥ずかしさ、その隠されたところが発揮できて、しかも許される環境を切に求めているに違いない >>154
まあオリジナリティはないですね
僕も教えられたわけですしw
ピースがはまって、そのところに触れたら、まったく同じ言葉は抵抗がありますね
まあ僕は言語能力乏しいですがww
経典にこう書いてあるは、どうもね、、、
天上の静止にたいして肉体を委ねたら、ジェットコースターwwww
浮き上がる心の闇の、真の自己、それは、己ではない、己れを形作るもの
欲望と恐怖と怒りと、様々なよろしくない思いが渦巻いている
そこもまた静止に委ねる
天上の静止に放っていけば、顔面が崩壊する笑
まあ、つまり泣く
そこで、生まれた新鮮自己が、世界で、その、心と物質が同一になるのだ
そして、その中に引っ掛かりがなければ、怒りも嫉妬も苦しみも流れ去る
流れていくのだ、みんな
なくなるのではなく、あるがまま、ありのまま、そこ!
というのは、よく言われる表現やねwwwww >>155
浅いも、深いも無いんじゃないですか。
単純に、わたしは、ボキャブラリーが無いんで。
>ありのままは、そのまま
この言葉は、付け足す必要もないですから。理解じゃなく、感じればの話。
ふと、気付く。不二を
私が、あなたに注目したのは、妄想という言葉を、自ら使ったからです。 自分無ければ、四の五の言う事まったく無いはず。
言い出す分が全部偽り、恥の上塗り。 >自分無ければ、四の五の言う事まったく無いはず。
>言い出す分が全部偽り、恥の上塗り。
この文章は誰に言っているんだい。あなた自身かい。
自戒の言葉ですか。
まぁ、いいじゃないのw >>159
まぁ、そう仰らずに^ ^
人間(脳)は生きるのに都合が良いからエゴを造ったんです。
ところが、生きる為の手段のはずのエゴが目的になって、
満たされないから苦しむんですな。(お釈迦様の発見!)
でも、エゴは文化や科学、医療等を生み出しもしたんです。
エゴを否定するのでなく、振り回されない様すれば良いのかと、諸悪莫作で。
雑談を楽しみましょうや。 >>161
心優しい、臨済禅の方よ、あの、123君がなびいたねw
あなたは、臨済禅でいいのかな。 こんばんわ。
僕はなんも知らんぞ。
>>ここまでの話、理解できてたら相当な、というかビックリするwwww
いや、サッパリ分からねえわ。
ハジさんが長々と書き連ねてんのは、書かないとそれから離れるって不安に思ってるからだろうがな。
聞いてもないのに語りたがるもんな。天上やら高次の自己などさっぱりわからん!何事にも「自己」を設けとる事は分かるがな。未だに。
>>あるがまま、ありのまま、そこ!
頭で推量して、こうやって、こうすればいいんだ!って気付けてても、踏ん切れないんだな。
これは〜こうで〜って全部自己を据えてやってんだわ、今までの書き込み振り返るとな。いらないって気付いてるのに頭の中のベルトコンベアーフル稼働なもんだな。
>>161
良い事言いますね〜。おやすみなさい。 >>162
いいんじゃないですか?やたらと問答仕掛けてくるからな('_')
おやすみ、明日は少し早いからな。 >>158
寝てました!
ありのままは、そのまま、と付け足すのは、よくありのままに条件を付与する話が語られているからです
それはおもに感覚的生活を良しということです
感覚的、知的、自我的なものも、すべて、そのままあるのに、引っ掛かりがないのと、それらを外すために努力して維持しているのはちがいがあるわけですね
まあ、妄想世界ですからね
ぼくの、語っているお話は爆笑 >>159
まあ、そうかもしれませんww
全部、偽りの恥の話かもしれないね
しかし、天上の静止は、ホントにあるよ! >>161
素晴らしい!!
なんという悟りの境地w
それは理想ですね
ぼくは、とても、そこまでは、、、
しかし、この悪魔と共にある、この僕も、魂の浄化には大賛成です
エゴは必要がありますね!
確かなりー そんなことはどうでもいいから、さっさと寝ろ
いま夜中だぞ、とんちきが >>168
疲れて早く寝すぎたのだよ笑
どうでもいいのは、確か、かもしれんがww
寝てると夢の世界だね
覚者は夢を見ないと聞いたけどほんまかな
夢の世界では体がないよね
ちゃんと体験してるんだけど、こころは!
記憶にも長くは残らんね
この世界は夢のようと言われるけど、目が覚めたら、なにもかも忘れちゃうのかな 今しかないんだよ、過去も未来もない
過去も未来も自我が作り出した錯覚なんだ
今という永遠が真理なんだ >>161
生命の危機には肉体的な苦痛が、霊性の退化には心痛が。
これ両方とも警報装置なんですよ。
あなたは、なぜ人間が万物の霊長と言われているかご存知ですか?
お分りの通り、それは地上においてもっとも霊的に進化した存在だからです。
そしてあと一歩で卒業。
その大事な霊性向上の旅路の上で、危険ですよ、違いますよと言う警報装置が、心身の痛みとなり、人に気づかせようとしている。
こんな素晴らしい機能を備えた肉体を、人間自身が作り出したとでも言うんですか?
この地上は大霊がお作りに成った、大霊の元へ帰る為の修行道場だってお気づきになられないんですか?
そしてこの肉体はあくまで乗り物。
そんな大事な卒業試験の真っ最中に、文化だの科学だの医料だのと浮かれて居たら、卒業はおぼつかない。 >>172
はい、どうもお疲れ様です。
せっかくだから、まぁ、文書はよく見てくださいな。
「振り回されないように」と書いてありますわ。
そんなミスで落第したらつまらんでしょ?
見直し三回、試験の基本ですわ。 ハジさんがそれでいいっつうなら放っておくわな。
安らぎ求めてやって来たんだろ?知識理論武装したい分けじゃないよな?
未だに境地がどうこう言ってんだろ?
それで満足してるんなら、だれが何言っても無駄ってもんでしょう。
わっこ姫が便乗してんなよ。 境地かどうかわからないが、一休さんの遺言。(ネットから拾ってきた)
一休さんは自分が亡くなる時、不安がる弟子たちに 一通の封書を渡し、
「この先、この寺でほんとうにどう にもならないようなことが起こったら、これを開きなさい」
と言い残しました。
何年か経って寺に大変な難問題が 持ち上がり、
どうしようもないので弟子達が集まって、その封書を開いてみると、 そこには
「しんぱいするな なんとかなる」
でした・・・ 夕さん、こんばんわ。
「雪担老師語録」をアマゾンで購入しました^^残り在庫一つでした…運が良かったですよ。
この前検索したときは無かったから、この数日の間に誰かが出品してくれたんだと思います。
案ずるより産むが易し、ですね。 >>176
童天さん、こんばんは。
恥ずかしながら、せったん和尚のものは、もっていないんです。
本出していたんですね、知りませんでした。
最初に支店長から言われたことは、あなたは仏教禁止でした。たまに読みますけどw >>179
頭で仏教はこういうもんだ、と推量するのを止めたかったんでしょうね…型に囚われ、自由を失う事。
むしろ何か思い描きから離れさせて、首にジャラジャラ引っ下げた鎖、思い込み一つ一つを玉ねぎ剥くように引っぺがして、只の人にしてしまうんですねぇ。
支店長と臨済禅師は少し似てる所があるかもしれませんね。
一旦、後ほど >>180
臨済さんそのものを知らないから何とも言えませんが、
持っていること自体に苦しんだと、捨てるのに苦労したと、本人が言ってますね。
この話を、座禅会の人に話をしたら、わかりますかと聞いたら、わかりますよと。
ともあれ、私に教えてくれる方々の言葉をたよりに、前に進んでます。
知っている老師の一言、私の言ったことは忘れて下さい。と。。 ま〜そういう事ですよね。
どんな思想も抱けば苦しい。
誰々が言ったから正しい、この時分かったから正しい。
それは、もう全部ほっときな、と。万歳ですね。
言った事忘れろと、その通りですね〜 >>182
ゆってることと、やってることが違うのに気づくのも自覚のうちwwww 167 : ハジ2016/12/15(木) 02:57:20.26 ID:E7xz1GIC
>>161
素晴らしい!!
なんという悟りの境地w
それは理想ですね
ぼくは、とても、そこまでは、、、
しかし、この悪魔と共にある、この僕も、魂の浄化には大賛成です
185 : 神も仏も名無しさん2016/12/16(金) 10:08:01.01 ID:pXAon9Ru
>>174
目的地なんてないぞよ爆笑
ありゃりゃ…(;´д`)トホホ ハジさん、乙!
先日お葬式で坊さんが読経中に虚空(空中)に右回りに
グルリと円を描いていた。
しばらくしたら、今度は左回りにグルリと円を描いていた。
そう、生じたものは滅するのだなぁ、虚空に還るんだなぁ、と。 このごろ、理屈ぽい、変人好き、変化自在、を見ると。めぐみんにみえてしまんですね。
やばい、一の如し。ニャハハ(*^▽^*) >>186
>ゆってることと、やってることが違うのに気づくのも自覚のうちwwww
屁理屈wその屁理屈、だれが言っているの? >>189
その、とおり!
右回りと左回りや、神秘は、まだぼくは、しらんー
けれど、あなたの発言は悟ってますなあ笑
間違いなくそこだね >>192
アホかお前さんw
普通に言葉を読みなさいよ
ありのままとか言いながら条件を付けてアホにしながらせったん、せったんとwwwzww
爆笑以上の爆笑やわな
それでいて、他人のことは、ほっとくんだとよ爆笑
爆笑
アホ丸出しwwww 誰に俺が救われたいと言ったのだwww
ほんまにアホは考えない、直接の知覚どうここうの、ほざいとれや!!!!
お前らはコピペやろうが笑
ええか!?
俺は悟ったと公言しとるんやわwww だから、俺が言ったのだ!
レベル低すぎwwwww
せいぜい師匠のおっしやるままにおれよ
俺は。俺の
オリジナルで言ってやろう
ね!
この世界は己ではない! 何が、放っただよw
俺は確実にしってるのだよ
お前の、アホはまるだしwwwx
ええか?
俺は悟ってるのだよw
分かったか??
釈迦のきょう > 俺は悟ってるのだよw
やっすい悟りじゃの
それ、いくらで買えるの?
150円くらい? >やっすい悟りじゃの
「知ってるで。 それ、やっすいやつやねん」
wwwwwwww >>202
パーピマン久しぶりだね。
>「知ってるで。 それ、やっすいやつやねん」
では、真摯に答えます。
昨日は、久しぶりにカキフライ定食を食べました。950円なり。。 爆笑してますね。麻三斤思いもつかなかった。公案になぞらえてくれるとは、光栄の至りです。
今日はラーメンです。ラーメンよりカキフライの方が、箔が付かなと。 なるほど、ここにあるすべてが、それでしかないようにして、それなのだな
しかし、そのなかにおいても、料理の上手い人やら、僕のように何をやってもうまくできんやつもおるわけだね
何やら悩んでいても眠ったら楽かもしれん
寝るほど楽が世にあろか
とオヤジさんがよく言ってましたな
まあ悟りほど安いもんもないわな
なにやってても、そこにしかいないわけだ >>209
こういってやれ!
_, ,_
(+・д・) パコーン
⊂☆彡))'д‘).・;'
「つりはおととい渡したぞ」ってwww >>208
では、どうやったら世界は平和になりますか?
悟った智慧で答えてください。 ここどの、わんばんわ!
「昔、靴下を履くのが嫌いな王様がいたそうです。出歩く度に
靴下を履くのが嫌なので、世界をカーペットで被おうとしたそうです。
すると子供が言いました「王様!サンダルを履かれては?」と。」
そいわとはへうゆうものかと。 では、屁理屈をいいましょう。靴下履くのが嫌なのに、なんで、サンダル履くんだ! ここはすごいなぁ。
世界平和から水虫になったわw
誰でも水虫を共有できれば、きっと平和になります。"\( ̄^ ̄)゙ハイ!! HSってバカみてー。
結局、30年間、ひたすら集金してただけ。
今尚、集金してる。
金、金、金、金の30年。
バカだよ。
やってることがまるで進歩ない。
ワンパターン。
とうとうタレントの霊言で急場凌ぎ。
アレが「再誕の仏陀」のやることかね?
バカじゃね。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12229500906.html
>>216
おーサラリと仏教の奥義を!
痛みを分かつ、まさに慈悲ですわ〜 >>218
w(゚o゚)w オオー! 知らずにそんなすごい事言っているのかw >>212
欲望や願望のエネルギーが、こころの敏感なところを傷つけて、それが、背中に張り付いて、悲しみを、重みをもたらしています
もしも人が、この欲望と願望の力から離れていられるなら、その人の心は水を飲みます
そうなると乾いていた欲望が吸いとっていた、こころの中の敏感なところに満足感が芽生えるのです
喉がカラカラの時に水を飲んだように ____
/ \
/ ⌒ ⌒ \ 何言ってんだこいつ
/ (●) (●) \
| 、" ゙)(__人__)" ) ___________
\ 。` ⌒゚:j´ ,/ j゙~~| | | |
__/ \ |__| | | |
| | / , \n|| | | |
| | / / r. ( こ) | | |
| | | ⌒ ーnnn |\ (⊆ソ .|_|___________|
 ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__|_ >>221
人間の心が水を飲めるようになったら世界平和に繋がるというお話ですよ笑
それには三つの点を解放しないとならないので非常に難しいのです
先ず、第一に僕が書いている天空の意識、これが解放されるんですね
その次に、首の後ろにある感情的な私という欲望、願望が解放されます
そして最終段階として、この肉体に眠っているエクスタシィ要素が、天空の意識と胸の奥にある魂の媒介要素として解放されるのです
すると瑞々しい水を、こころが、飲んで癒されるのですね、こころが
結果としては、ありのままでオッケーというのがホントにホントにホントですが、その、ありのままが思いによって阻害されているのです >>222
そんなまどろっこしいのやめてさ、
わたしがなければ全てがわたし
簡単でしょ。 >>223
?c(゚.゚*)エート。。。
なにわっこ娘がなければ平和?
めでたしめでたし。 >>222
非二元側の言い方で言うなら、君はまだ一瞥のレベルだね
それは悟りじゃないし覚者でもない >>226
だからこの「悟り」じゃなくて、自覚の覚を使う「覚り」が正しい。
やっと片目が開いたって程度のな。
学年で言えば小学校を卒業して晴れて中学生。
まだまだ高校・大学と先は長いのよ。
それを仏祖師と肩を並べているような思い違い、勘違い。
レベル低過ぎだ。 223.
それは存在の論理である。
その次元を超えれば良い。
それが非二元かいな。 >>229
2年間見てきたけど、本当に変わんないな。
わかったと思えば、すぐに説法を始める。それも、上から目線でw
何そんなにこだわっているんだ。
私の言ったことは、忘れて下さい。この言葉の方が何百倍新鮮だわ。 いいじゃん!可愛いは正義だよ!
画面の向こうがオッサンなら絶対に許さんw >いいじゃん!可愛いは正義だよ!
w|;゚ロ゚|w ヌォオオオオ!!
えっ!
言葉がありませんw >>223
わっこさん、おはよう、
わたしがなければすべてがわたし その通りですなぁ。
ところでごめん、背中が痒いんだけど、そこからかいてくれませんか? わっこ姫来た〜ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
お前ら、俺の女虐めるんじゃねえぞ!オラ!オラ! >>235、237
ありがとう、そいつには手がなくってね ^ ^ 個人的にわっこ姫は39歳の色気ムンムンのお姉さまだと思っている。
毛むくじゃらのジジイなら泣くしかない 直感で意味はない!
ちなみにそれ以上でも嫁に召し抱える所存である!
毎晩寝かさないのだ!うひゃひゃw >>227
悟りでも覚りでも覚者として意味は同じだよ
文字の違いで意味をも違うとしたがる君も如何なものかと >お前ら、俺の女虐めるんじゃねえぞ!オラ!オラ!
趣味の問題だなwわたしは、遠慮しとくよ。
>わたしがなければすべてがわたし その通りですなぁ。
>ところでごめん、背中が痒いんだけど、そこからかいてくれませんか?
じぶんで、孫の手つかってかけや。
されば、間接タッチだw >>245
いゃー、今は持ち合わせがなくてw
ま、わっこさんにかいてもらったから満足ですわ。 妄想オナニー楽しそうじゃの^^
わいも姫に掻いてもらおうかの〜w >>223
すべてが私って、私がいますやんか爆笑
まあ世界平和が簡単だと思うなら、別に僕より分かってるみたいだし、聞くことないやろ?w
明日くらいに戦争はやめてくださいね! >>244
覚とは自覚すると言う事。
単に自性を知り得たと言うだけの事。
しかし悟りは、この自覚したと言う自分を失い去って後のもの。 250.
悟りは、この自覚したと言う自分を失い去って後のもの、か。
悟っていないバカが良く、言う、よ。
悟りは、そんなものではない。
悟って悟りなし、か。
そんなことはない。
悟りは自覚的なものである。 >>251
すまん。
余計なお世話だが訂正させてくれ。
それを言うなら、「悟り終わって悟り無し」だ。 253.
悟り終わって悟り無し、か。
悟り終わって悟りあり、が正解である。 >>224
そう世界の外側から見てる目は、結構、狂ってるように感じるかもしれませんw >>226
そうですか
ということは、あなたは悟ってるのですね!
素晴らしい! >>227
なるほどお
悟りというのは、そのように遠大なものなのですなあ
まだまだ歩まねばならんのねー
どこへか知らんがw >>249
分かってるでしょう笑
世界すべてが私のものかもしれんしね
得意の直接の知覚とかいうやつですか?
分かりません、ぼくは苦しかったけどねえ
平安になったのかな >>250
自分を失うのではなくて、自分を自分と見做さないだけですよ
なにも変わってないけど、そこから、心の痛みを消化する方法ができるんですね
私はあるけど、私じゃないように、そのように扱うことが離れることで、消失は意識がそこに
付いていたのが他にも繋がるように、拡張することなのです ある人が言うにはですね
意識する前から世界はあるじゃないかと
それを後から認識して分析して、これがこうであれがああで、と頭でごちゃごちゃやってる
とね!
しかし、これは微妙なところじゃないかな
ぼくも最初はそれは素晴らしいと感動したんだけれど、やっぱり苦しいからね
背中の自分がこけるだけじゃなあ
つねに意識点が自覚されるという意味では、自覚的なのかもしれないけれど、それも、ホントは全部ありのまんまなのさ
しかし、だからといって、ありのまんまだから、自分がいなければいいだけというのは違うんだよねーーーーー!
そうこうしてること、ぜんぶ、そのまんまでええよってことだね
ええというか仕方なしみたいなね
でも、苦しみを減らすとなると、また別になってきて、どうしても欲望と願望の起点が、上空の無意識点に吸収される状態がいるね
はんぱないからね、たまりにたまった怒りや恐怖のスピード感は! はじくん、こんばんは、
私の言ったことはわすれてください。わたしも、振出しに戻ってしまいました。
あなたは、支店長、でおーを批判していましたが、>>227は、多分支店長だと、思います。
でおーは、こんなところで、公案もちだすやつは、たたくといっていますね。
支店長は悟り終わって悟り無しって言っていますね。
わたしは、有心も無心と言ったら、
>そりゃ悟る必要はあるよ。
>知らずに出来ている、つまり分からないで出来ているのは単なる偶然で、この人としての一大疑問に答えを見出すだけの力には、>成り得ないんだからさ。
と支店長に言われました。
はっきり言って振り出しです。
お互い頑張りましょう! 失礼、付け足しときます。
これ、俺の文章ね。
有心も無心 無心も無心。
焦る自分もケガをする自分も無心。何を悟る必要があるのかってさ。 みんな長文で気合が入っているな!よし!一発燃やすぜ!
∧_∧
( ´;ω;)>>ゴータマ・ブッダw
__| |__
⊂ヽ≠二二二二| |二二二二ヽ≠⊃
|| └┐ ┌┘ ||
∧_∧ || | 人 | ||
( ´・_・`) || | .λ::火 .||
/ \ || └从.: λ ||
| | |.ヽ|| λ: :))人 ||
| | /⌒|⌒|ヽ||二二つ ):: :: 从丿 ||
ヽ二二Ο./ || \ (( :(::.ノノ ||
(_| |_| |_ || \ ∴∵ ||
.(__)__)|| //》||ヾミ\←仏典 ||
.|| || >>264
そうなんですねー
なにかが残るってことはありえんよ
自分の力を超えてるからね
でも、それはそれで、いまここであることも変わらずあるからねー
そういうことも含めて、ありのままだよね >>265
夕さん、こんばんわー
えーっと、とりあえず忘れたらいいんですね?
悟り終わって悟り無しってのは公案というやつなんでしょうか
何しろ僕は禅は入門書読んだくらいしか、知らない、なんちゃって覚者ですので笑
坐禅だけは、少しだけしてましたが、まあ、たいしたこともありません
悟る必要があるという支店長さんのお話は、どうなんでしょうね
悟っている最初からが、なんちゃって覚者の、ぼくは思うのですよ
ホントはレベルなんてないんですwwww >>270
そう、ここはスパリチュアル劇場
霊性の大本と繋がることで、その、個人のハートの爆発的エネルギーが徐々に、穏やかになっていくのだ
その根本のところと、繋がっているなら、そこが支えてくれるのだ
仏の慈悲が、このことを指したのかは、知らないないが、まさにそのようだ
個人には帰らない
それを所有したかのようなことには、ならないのである
これがなければ、平安にはなれない
眠っている時も、そこに帰っているのである
霊的な生命とは、感情生活のことであーる >>269
はっきり言って、わかりません。今は白紙です。 夕さん、そいつ相手すっと、かなり頭ゴチャゴチャになんぞ!www
余計ややこしくなって、拗れるといかん。
縄で変な縛り方して解けなくなるみたいに苦労するぞ。
いや、レベルがどうこうじゃなくて、不必要な語が多すぎるからさ! >>269
ハジさん、乙です。
仏教では始覚(修行して覚る)と本覚(本来覚っている)の二つの考えが
あるそうです。
始覚はともかく、本覚については今だに論争が絶えませんが、本来覚って
いてもそれを確認(本証の妙修というそうです)しないと、覚ってないのと
かわらない、というのが道元禅師様のお見立てだそうです。
それ故、覚り終わって覚りなしともいえます。
また、ありのままを覚っても、元々ありのままだから
覚り終わって覚りなしですよね。 >>276(続き)
覚りは皆同じでレベルのつけようはありません。
ただ、直感的に覚っても今までの習気(煩悩の名残り)は
染み付いて、どうしてもギャップが実生活に出てしまいます。
それ故、禅宗では悟後の修行といって、まぁ、覚りの後始末を
何年も掛けて行います。 >>277(さらに続き)
そこに、個人の差は出てきます。
恐らく、レベル云々の話は、それの事ではないでしょうか? 276.277.
悟りは永遠の存在である。
そのはじめとか終わりとか言うものはない。
悟りは自分の所有ではないからして、
自分の所有か否かを論ずるべきではない。
悟りの感謝感激を無しにしようとはバカ丸出しであるよ。 >>279
123さん、おはよう!
>悟りは永遠の存在である。
んー、永遠というのは時間の概念、不生不滅とはちと違うのでは?
>そのはじめとか終わりとか言うものはない。
同感!
>悟りは自分の所有ではないからして、
>自分の所有か否かを論ずるべきではない。
まぁ、もともと無所有から論じようがないともいえる。
>悟りの感謝感激を無しにしようとはバカ丸出しであるよ。
無しにというか、感謝感激という感情は一時的なもので自然となくなるでしょ。
如何せん、それを思い出したところで記憶の再生に過ぎないし。
直観的に悟ったものを実生活で継続する、正念相続というそうですが、そのことを
言ってるんです。 >>269
確かに本来悟りのまっただ中。
足しまえ要らず、行きづまり無しのど真ん中なんだけど、その中において知らぬ間に迷いだし、苦しんでいる。
何故かと言ったら、物心ついて後、我知らず作り出してしまった観念=こうあるべきと言う取り決めを持ってしまったから。
この取り決めが自分を縛り、人を縛り、我人共にその縄の食い込みに苦しむ事となる。
だからこの観念、こうあるべきという思い込みを徹底捨てて行く。
これを悟後の修行と呼んでいる。
ただ未悟の人にはどう捨てて行けば良いかが良く分からない。
なぜなら捨てようと言うのも思いだ。
捨てねば成らないとまたぞろ自分を縛る事となる。
だから無念の念、無心の心が必要となる。
それは考えないという事も考えない、思わないという事も思わない。
ここにおいてはじめて自分を縛りつけていた縄がほどけて行く事になる。
だから修行において一旦は、この無念の念、無心の心が、元からその身に備わっていた事に気づかなければならない。
そして、これに気づく事を、見性と言ったり、大雑把に悟りと言ったりしている。
あなたのように、最初から悟っているといくら自分に言い聞かせたところで、これが手に入っていなければ、それは絵に描いた餅だ。
自分を縛っている縄から一向に自由にはならない。
これが悟りの必要性だ。 >>278
行為者がいなくて全ては縁によって起こるときに、ある人とある人のレベルの差は、世間的なものなのです
だから、ホントはレベルなんてありませんが、そこに基準を当てはめれば、もちろんレベルはあることになります
そして、ありのままに基準を設けて、例えば、このここにくつろぐとか、教義を設けて色々とやっていく
また、あの人は悟りが浅いとか、深いとかやっていますが、そんなことはない
だれもが悟りの中にいるのに気がついていないだけなのです
無条件というのは、社会的なもの、また宗教の価値観に縛られない
しかし、このことと苦しみを減らすことは別になってきます
それに気づいても相変わらず苦しむからです
それがギャップ
悟る必要があるというのは、悟っていると気づく必要があるということなのです >>282
おおw
なかなか鋭いですな笑
だからー、そーいうふうに、悟ってない人を作って、悟らにゃいかんというのは違うの
それが観念なん
どのような人も悟っている素晴らしい人なのだけれど、迷ってると自分で分かってるじゃあないかい?
こうしなくちゃいかんとか、いろいろあるのは、苦しみを、迷いを除くためであって、悟らせるためじゃないよwwwww
未熟な人を指導しているという気でいるんでしょうけども、本来仏である人を、あなたは仏様ですよと思い出させるだけです
それで何回も書いてますけど、苦しむのは、こころなんですよ
迷うのもこころです
そして、それは欲望と願望が、怒りと恐怖をハートに発生させているからです
心の奥
だから、この欲望を、あなたの言葉で近そうなところでは、無念の中に流すことが必要にはなってきます
でも、それは悟るためにしているんじゃあありませんよ
あくまで、苦しみや迷いを和らげるためにしているわけです
もっと根本のところの、わたしの悟っている本性は問題ないんです
問題があるのは、観念です!
つまり、その人自身には、何の問題もないのですよ
悟ってるんです
まだまだ悟らさにゃいかんみたいな姿勢でしょwwwwww
自分が分かってて相手はまだまだみたいな
ちゃいますよ 281.
慧能みたいに一回さとれば、それで良い、というのと、
神秀みたいに修行の連続だ、というのと。
それは、その存在の場所の問題かも。
毎日の生活では修行の連続であるかも。
その生活から離れた次元では一回の悟りで十分ということになる。
よってして今自分のいる場所が問題となる。
その生活を捨象した次元で宗教を考える。 >>284
水の中の魚は自分が水の中にいる事を知らない。
水から出てはじめて、自分が水の中にいた事を理解する。
これと一緒です。
自性無性を知って、はじめて自分が仏で在った事、最初から救われていた事が理解できる。
これを悟りと言う。
それには一旦、自分と言う思いの外に飛び出さねばならない。
思いのほかの現実を知る。 >>282,286 そのとおりだが。
それは「悟後の修行」ではなく、
「悟前の修行」の方がふさわしいと思う。
>>287
未悟の人には自分の捨て方が分からない。
この自分の捨て方を知り得るのが悟り。
分かったら徹底この自分を捨てて行く。
これが悟後の修行。
手放しと、手放す事を握りしめ。
観念倒れじゃ屁の役にも立ちません。 いや、捨てようとしたら逆に染み付いてしまう (^_^;)
川の上で鞠をつく様に転ずる心を観察するだけで充分かと。 >>286
そうなんですかねー
ぼくは、もうそこにいるよ
と言われた方がしっくりきましたけどね
水の外って、どっかにありました?www
で、思いの外の事実はどんなもんでした?
ここにある、このまんまでしょうよ爆笑
それ以外になんか目的地に辿り着いたみたいに言うじゃないですか
この水の中で、喉が渇いた!
と言うから、なにゆーてんのあんた、周りは水ばっかりやから飲みなさいよとw
すると、だめだだめだ、この水は汚いとおっしゃる
そこでいやいや、ホントはこの水は、あなたの周りにずっとあって、あなたを生かしている友達みたいなもんですよ
とか、いろいろ、しゃべるwwwww
しかし、アホな、ぼくは、あんた、なんもしやんでも、そこにおるやんか!!!!
アホなん?
と言われて、そーかー
ホンマやwwwwww爆笑
と説明しとるわけですよ
そしたら、そんなことはない、水の中から出ないといかんと
悟りの外はどこでしたかいな >>290
ハジさん、乙です!
んー、なかなかどうしてどうして。
ハジさんは実は盤珪禅師の不生禅や白隠禅師の坐禅和讃を
よくよくご存知なんですね? >>290
これに気付いている人であれば、あなたの話しも理解出来るでしょうがね。
でも人というのは、千差万別。
同じ悟り方など無いんです。
中には思い込んでそれで良しとする。
そう言う人が少なからず出て来る。
どういう事かと言ったら、ありのまんま、このまんまと言うのを作ってしまう。
それではありのままでも、このまんまでもないでしょ?
こう言うのを禅宗では、無事禅・知識禅の輩と言うんです。
自分の境地に酔いしれているだけで無く、弊害は生じていないか、少しは考えた方が良いですよ。 >>291
乙です!
盤珪さんと白隠さんはネット検索で記事を読んだくらいで詳しくはないですよ汗
坐禅和讃は全部は知らないけど、水の中にいて渇いたと言ってるみたいなのが、あったのは覚えていますー >>292
そうなのかなあ
僕は気づいてないときに、自己の感覚に集中するというのを延々と毎日やってたのですね
どうやるのかというと、自分の動作とか、感覚に集中していくのですが、それには自己への視点が移動しないとできないのです
なので、この視点移動のために、ぐるぐる身体をくまなくサーチする
そうすると、周りの風景が、体と一体化したり体の動きから離れるようになります
まあ、そーやってると、意識すると全体を通して自己を見る感覚に慣れてくるわけです
そんなん頑張ってるときに禅寺行って坊さんに聞いたら、意識しなくても、あるとね
つまり、なんにも足掻かなくても、そこにいるとおっしゃる
瞬間的にストーンと風景から飛び込んできたというのか、まあ、そうなったし
それから、いろいろ考えたりしても、やっぱり努力して目標、この場合悟りなんかに向かうのはどーなんかなあ
無思考とか、自分を捨てるとか、放棄とか?
そんなんやる前から、ここにしかいない
という方がなんか優しくないかな
まあ、わかりませんw >>293
また難しいことをw
昨日ルーミーって人について書かれた本を読んだんですね
そこに、こんな話がありました
うろ覚えなんで、間違ってますが苦笑
豆が料理されてる時に、コックに向かって、
おい、勝手になにするんじゃーと言う
すると、コックが、お前は、美味しい○○料理になるために、頑張って畑で芽を出して、水やら養分やら、太陽の光を浴びて大きくなったのさ
そして、オレはコックだ
今から、とってもおいしい○○料理に調理してあげてるのさ
これでお前は、食べる人に喜んでもらえるんだよ!
すると豆が歓喜して、そうなんですね、もっと叩いて、煮て、美味しく作ってください
僕にはできない調理を、僕のためにしてくれている
ありがとう!
と言う感じやったかなwwww
これを読んで僕は泣いたよ まあ書くまでもないことだけど、ぼくは、なんちゃって覚者ですので、自称ですよ、自称
だれかとか、どっかの集団で認められたとか皆無ですからねwwwww
仏教も非二元も、本は読んだことはあるけれども、別に、そこに合致してるか、どーかすら知らない、レベル、、、
でもねー、悟ってないから苦しいわけじゃないんですよね
悟ったら苦しくなくなるはずもないんです
それは別問題
苦しみは欲望と願望が満たされないからですと、お釈迦さんも言ってますけど、悟ってないからとは言ってません?wwww
よくわかりませんが、とにかく、胸の奥の爆発的怒りや恐怖の本能的発露に対しては、上空の静寂が役に立つと思うのですよね >>295
>>296
君は残念だが一闡提を抜けてないよ
結局何も覚ってないし、分かったつもりにすらなれてない
心とは何か?と質問されて答えを濁しちゃダメなんだよ、一番肝心なことを聞かれてんだから
仮に、禅問答の答えを気取ってカッコつけて返したいなら一言で返せばいい
例えば「庭前の柏樹」とかね
意味が分かればだけど >>297
覚悟を決めれば滅苦して解脱は三秒掛かんないよ
無我を悟れば良いだけだからね >>299
そうでしたか
あなたは悟っているようですね!
素晴らしいです! 悟る訳無いだろ
まだ分かんないのかな
自己中は「悟るか悟らないか」でしか考えられない
それをやめろって話 >>295
あなただって同じじゃないですか。
こうあるべきという事をやっていた。
そんな折り、坊さんに出会って違うよ、そうじゃないよと。
それで持っていた塊りを奪われ、自分の外にゴロンと飛び出した。
この捨てあぐねている塊りを奪ってあげるのが大事でな。
このまんまありのまんまと言うものでも、それを持ってしまったら障害となる。
だから、あなたがそれで上手く行ったからと言って、それを人に押し付けたら駄目なのよ。
そして未だにあなたもそれを後生大事に握りしめている。
だから自分は正しく、誰それはレバルが低いなどと言わされる事となる。
この、こうあるべきどうあるべきと言う一切の思い込みを、捨てて捨てて捨てきって行かなければ、本当の自由は味わえません。
なぜなら、あなたの言う恐怖や怒りと言う感情も、皆この結ぼれから生じて来るものなんですからさ。 >>296
うーん!?
ハジさんは、心を以って心を説明することの面倒さをご存じだから、
ご自身(心)に起きた事を話することにより、心を説明したとも
受け取れるけど。
それを聴いた人がどう受け取るかによっては、まさに「庭前の柏樹子
(賊気あり)」とはなるんだけど。 >>301
悟っているではないですかww
まあ確かに悟り悟りと書きすぎて、うんざりさせてしまったかもしれません
失礼しました >>302
そんなことはないですってww
捨てて捨ててとか、いらないんですよ
しつこいかあ
まあ、じゃあさ、あなたが、その本当の自由を味わってほしい大切な人に対する時に、この人は仏様のように完璧だと思ってから、アドバイスしてあげるのがいいと思われるよ
お前がそーせいと言われそうだけどwwww >>303
庭前の柏樹子の公案、どんなんか知らなかったんでネットで読んでみましたけど、チンプンカンプンでした苦笑
あれは凄いですねー
とても、そんな高級な、心の説明はできてないと思います
でもフォローしてくれて、ありがとう!
優しい人よ! >>305
捨てるって意味が分かっていないみたいですね。
捨てるとは自分に手を付けないってこと。
ポッと出て来る念に引きずられないって事です。
これやっているうちは縛られたまま。
怒ったり悲しんだり怖れたり悩んだりする、この心の結ぼれから自由にならない。
だからあなたが今回気づいた無念の念、無心の心に徹底住する。
今あなたがいるところが終点なんじゃない。
今回気づいたそれを道具として行く。
その道具を活かして行く。
それを捨てるって言う。
それこそが本当のあるがまま、そのまんまです。 >>306
上空の静寂ですか・・・
アフォリアの外からの観察ってやつですな。
アフォリアの中から観察する限り、庭前の柏樹子の公案は
許されませんからね。 アフォリアの中にいる限り、怒ったり悲しんだり怖れたり悩ん
だりする(心の生起)事からは逃れられません。
しかし、それに対して何かをしようとしても、また、何かを
しようとしなくもアフォリアの中の行為に過ぎません。
心は心を知る事が出来ず、眼は眼を見る事は出来ません。
あたかも血で血を洗い流す様なものだからです。 >>309(続き)
ではどうするか?
アフォリアの外から観察するしか無いのです。
ここは先は表現が難しい。
ハジさんは上空の静寂という、観照者と云う人もいる、
般若の知見と云う人もいる。
それは求めなければ得られないが、求めれれば得られない。
得られても制御し一体になるまでは時間が得る以上かかる。 >>311
それは即今は確かにあるんだけど、即今を知り得ないからですよね? >>312
然りです。
応に住する所無うして其の心を生ず
過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得
(金剛経) >>316
でも、なにか有るよね。
だってこうやって文字を打ってるんだから お父さん、そこに見えないの?
まことがいる
怖いよー 思うに!
ハジさんは、観照でいればよろしいと仰り、タさんは>>311の
>得られても制御し一体になるまでは時間が得る以上かかる。
の事を仰ってるのではありませんか?
愚輩には同じ事を仰ってる様に見られますが? お父さん、そこに見えないの?
まことがいる
怖いよー >>317
はいはい ^ ^
そいつには手や足が無いんです。
だから私がいるんです。 >>327
武装してみえるんですね。
そう見えるのはあなたが武装してるからですよ。 >>326
これも、言葉にすると無相の自己とか、父母未生以前の自己とか
無字とかいうものかと。 彼が女性問題を起こし、
それも一過性の問題ではなく、
継続的に
おこし続けていることが、
さまざまな情報から
疑えなくなって、
私が直接被害者から
聞いた情報を中心に
手紙に書き、
大川隆法氏に反省と
被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては
事実無根と否定し、
私を除名処分とされました。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html
彼が女性問題を起こし、
それも一過性の問題ではなく、
継続的に
おこし続けていることが、
さまざまな情報から
疑えなくなって、
私が直接被害者から
聞いた情報を中心に
手紙に書き、
大川隆法氏に反省と
被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては
事実無根と否定し、
私を除名処分とされました。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html
身心脱落しようがなんかあるよね。
これが仏でしょう。 彼が女性問題を起こし、
それも一過性の問題ではなく、
継続的に
おこし続けていることが、
さまざまな情報から
疑えなくなって、
私が直接被害者から
聞いた情報を中心に
手紙に書き、
大川隆法氏に反省と
被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては
事実無根と否定し、
私を除名処分とされました。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html
>>330
言葉にするとそうなりますね。
>>321
>これは何者が書きましたか?
公案で聴かれたら、質問者の前で何かを描く仕草を
する事になるのでしょうかね。 >>335
これが書いたんだ!
と手でほっぺを叩くのはどうでしょう >>336
それはそうなんですが、やはり書いている姿を見せないと滑ると思います。
無相の自己(真理、手も足もない)が、色身(わこさんの身体)を
通して書いて(表現されて)るんですから。 >>337
じゃ相手をどかしてそこに座り同じ質問をする >>337
勿論、解った上でやらないとツッコミ入れられて
「やべ、ばれた?!」ってなって鈴振られちゃいますけどw >>339
臭い匂いを元から断ったらこんなんでましたぁ〜 >>338
おぉ、まるで臨済禅師みたいな!
機関の公案ならそうした応じ方もありでしょうが、
多分法身の公案なのでそれは無いと思います。 >>341
じゃズバリ行くわよ!
人空がかいたんだわさ なにわっこ娘さん、
身心脱落 脱落身心頑張ってな。
後輩として応援してるよ。
修証一等。 直接被害者から 聞いた情報を中心に 手紙に書き、
反省と 被害者の救済を求めたのです
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12230370942.html
彼が女性問題を起こし、
それも一過性の問題ではなく、
継続的に
おこし続けていることが、
さまざまな情報から
疑えなくなって、
私が直接被害者から
聞いた情報を中心に
手紙に書き、
大川隆法氏に反省と
被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては
事実無根と否定し、
私を除名処分とされました。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html
直接被害者から 聞いた情報を中心に 手紙に書き、
反省と 被害者の救済を求めたのです
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12230370942.html
彼が女性問題を起こし、
それも一過性の問題ではなく、
継続的に
おこし続けていることが、
さまざまな情報から
疑えなくなって、
私が直接被害者から
聞いた情報を中心に
手紙に書き、
大川隆法氏に反省と
被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては
事実無根と否定し、
私を除名処分とされました。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html
直接被害者から 聞いた情報を中心に 手紙に書き、
反省と 被害者の救済を求めたのです
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彼が女性問題を起こし、
それも一過性の問題ではなく、
継続的に
おこし続けていることが、
さまざまな情報から
疑えなくなって、
私が直接被害者から
聞いた情報を中心に
手紙に書き、
大川隆法氏に反省と
被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては
事実無根と否定し、
私を除名処分とされました。
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それも一過性の問題ではなく、
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聞いた情報を中心に
手紙に書き、
大川隆法氏に反省と
被害者の救済を求めたのです。
ところが、それに対しては
事実無根と否定し、
私を除名処分とされました。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_24.html
それはそれは、恐れ入りました。
わたしには、そのように見えないんで。
はずかしながら、わたしが、見る目がなかったということで。 あるがままには条件はありまへん爆笑
悟りは、そこに、最初からいたことに気づくことを言っているんです!
そんな、テクニックは、まったくいりませんし、坐禅もいりません
手をつけないのは、ほんとに、なにもしないで、そのまんまで仏様ってことです
人によって差別もありません
でも、それが分かっても、苦しみはあるのです
ゆったら誰でもみんな悟っているのですよ
ほんとはね
なぜなら行為者がいないからなのです
でも、レベルを落として、苦しみに焦点を当てると、いろんなテクニックがあるんです
極端な話、迷っていても、悟りの中です
だから私は、このまんまで、悟っているというのが、ほんとです
まあ繰り返しになりそうですね笑 >>307
本当のあるがままには、心の結ばれから自由な人と、そうでない人がいると?
そんなことじゃ、ありのままではないでしょう
嫌いで嫌いでたまらん人ですら、仏なんだからさ笑
それを許せるような心になるには、確かに、そう言った修行が必要ということですよ
悟るためじゃなくて、自分のためにするだけで、それをしてなくても、あるがまんまです
あるがままに到達することはできません一生!
そこにいるんだからwwww
だから、悟りの話知らない人も悟ってます
風呂入ってビール飲んで、あーうまっというのが悟りの瞬間ですww >>308
おお!
相手してくれてありがとう
アフォリアの意味は、よく分かりませんが、そのとおりです!
観察というと意識がそこに飛んで、丸円から世界と離れますが、そうではなくて、上空の静寂は包まれるんです
そこと繋がる感じなんですね
それが体を包み込むことで、いろんなコリが取れてくると、感情が、出てくるんです
マジか!
というくらい、溜まってるんですwwww >>309
まさにねー
絶対に逃れられないスピード感!
そこに助け舟が、現れる
それが天空から降り注ぐ、愛の感触なのです >>311
そうなんです
でも、ここで、自分の意識を、その天に飛ばして観察するんではないんですね
見られている感じになるんです最初は >>321
ぼくが喋ってたのが夕さんかな
たぶん夕さんは悟りの気づきがあっても、そのポイントにアクセスすることで、こころのこんがらがってるのを、ほどかないと、いつまでたっても苦しいまんまと言ってて
僕は、悟りは、それも含めて、ありのままということと、食い違ってるんですよね
この世界は、本当のところ無いんですよ笑
だから、そのこんがらがったとか、悟りを目指すとかも、無いんです
でも、そこに自分が現れて生きてる
この生きてる側にとって、夕さんの話は非常に有益だけど、それと悟りは別物なんです 356.
それは存在の問題である。
存在が、ありのまま、で終わりとなる。
それは悟りではないよ。 >>351
死人には、好きも嫌いも、苦も楽も無いでしょ?
どんだけ悟ろうが、まだ生き残っている分に転がされるのよ。
本当に救われたいなら死に切るだけ。
死に切るのに必要な道具がこれ。
だから「生きながら死ぬる方法」っての。
達磨さん曰く「死人とおんなじ我が宗旨なり」
どうぞお好きなように。 358.
死んでから、よみがえる、のが宗教である。
イエスも、そうしたのだが。
死にきり、だけでは半分である。死にきり禪、か。 うんこを部屋の真ん中でして放置する人にも平気でいられるのが悟りですか? 差別の世界から一度死んで平等の世界を見、そこから蘇り差別の世界で生きるんでしょ。
結ぼれている心からの解放を願ってみたものの(差別、分別の世界)
実はそんなものない事に気付き(平等、無分別の世界)
差別の世界を無分別の分別で生きる ゲームディスクが割れていて泣きそう…ジャンキーどうしよう? >>364
優しいのう…感謝なのじゃ。
功徳をそのまま積んで行くのじゃ。 >>363
そうですよねぇ。
どっかで書いたけど、葬式で坊さんが亡骸の前で、空中に右回りに円相を描いて、
その後に左回りに円相を描いておりました。
生じたものは滅するというということでしょうか?
元に還ったのですね。 >>367
わたしたちは生じているのでしょうか?
不生不滅
即今であるほどに夢幻 >>368
我々は、本来右回りに円相を描く以前にいる、事知れば
それで良いのかと。
右回りに円相描くから、左回りに円相を描かなくては
ならなくなるのかと。 気違いの巣になってしまったか
勉強してもなんにも
つかめなかった
んだね
なにがたりなかわかる?
肉体鍛練だよ
そして
精神鍛練 >>370
肉体も精神自我だよ
それを鍛錬せよだと?
自我を鍛錬してどうすんだ
出直せ 出直せwww
なにわっこはすべてすてて
基本からやりなさい >>373
お前はコテハンつけろ
こそこそしやがって
女々しいやつめ 肉体の重要性がわからないならば
いきをとめてがんばってみなさい
精神と同じと言う空虚な主張の愚かさを
一分もかからず自得できるでしょう
愚かななにわっこにもできます わっこ姫はおっさんかの?猫耳つけた女の子だと思ってるのじゃ(#^.^#) 正確には、肉体・精神は五蘊だよ。
自我は「わたしは」とか「わたしのもの」の「わたし」のこと。
その自我が五蘊に依存して現れてくる。
自我は他に依存せず、それ自体で独立して存在することは微塵もなく
五蘊もまたしかり。 だってさ。まぁ思い描き禅だからの^^可愛いお姫様なのじゃ(^_-)-☆ >>379
わたしは考えてる
わたしの肉体
これはどうでしょう? >>379
「わたしは考える」「わたしが肉体」の
「わたし」が自我で、「考える」「肉体」は
自我に依存して現れてくる五蘊。 >>382
わたしの肉体
わたし=肉体
ではないと? わっこ姫はゾンビだから何回死んでも蘇ってしまうのじゃw
身心脱落だの言って悦に浸るだけなのじゃwこいつも苦しみの中でもがく定めなのじゃw >>384
般若心経によりますと照見五蘊皆空
結局、わたしもないし五蘊もないとなりますよね? >>385
あなたは人を批判する事によって自己から逃避してるんです。 >>387
申し訳ないが、貴方には飽きたのだ。さらばなのじゃ^^
僕には新しい彼女が出来たのじゃ! >>386
そうです。
ただし、「無い」といっても現れとしては確かにありますよね?
正確には「無」ではなく「空」或いは「無我」です。
現れてはくるが、それ自体の側から
他に依存することなく、独立して存在するものはないと言うことを
般若心経では説かれています。 実は漢訳の日本の般若心経には、サンスクリット原典に書かれている大事な言葉が抜けています。
漢訳「五蘊皆空」の部分に、サンスクリット語原典には
「五蘊も<また>空である」と「また」という言葉があります。
自我も空であるが、五蘊もまた空であるという意味で
「また」という言葉が使われています。 >>389
なるほど
実体はないけれど、なにかある
このなにかあるが空だと言うんですね。 わたしは悟っていないですから、「空」については知的理解のみです。
そのことを前提に説明すると、空とは
「すべての事象は、他に依存することなく、それ自体の側から独立して成立するものは微塵もなく
他に依存して現れたものにただ名前が与えられたものにすぎない」
ということであり、何かがあるという意味ではありません。 ペン+アッポー アッポーペーン
二枚のガムは何故二枚かというと、空間があるから。
空間が無くなれば一枚のガム。
目を通せば見るといい、耳を通せば聞くという、
鼻を通せば嗅ぐといい、口を通せば味わうという。
_, ,_
(+・д・) パコーン
⊂☆彡))'д‘).・;' すれば痛いとなる。
因縁仮合して生じたもの。 >>394
_, ,_
(+・д・) パコーン
⊂☆彡))'д‘).・;' 可愛いから叩きたかったのじゃ(DV糞野郎)
図書館に行くのじゃ。あばよ、なのじゃ。ジャンキーまたな。 >>391
実体はないけども=空
何かがある=色
色即是空 空即是色 >>398
わたしは、なにわ娘じゃないけど
なるほど!と思いました。
色と空はどちらが欠けても、もう一方もないですからね。
何かがあるからこそ、空であると。 >>399
GJ!
>>400
いや、確かに「空」理「空」論ですなぁwww
座布団一枚!
んで、
「空なのに満足するのは何者だ?」
と突っ込みたくなるのですわ。 >>356
はじさんこんばんは、
なんかすごいこと書いてますね。凄い分析力です。
昔、ある人からこの様に言われました。自分をゆるせれば坐禅はいりません。と。
また、逆の事もいいますね。
ぞうきんを絞って絞りきる。と。。
わたしは、職人です。
この様に思います。
初心のものと、熟練者は、見る所が違います。言葉は世俗ですが。
つまり、初心であろうと、なかろうと、ひっくりめて、そのままがその世界です。
ゆえに、修証一等とも、修証一如とも。。 同一化は役者として視点だ
観照者としての視点が無我
観賞者も落ちるのが空だ
空すらつかまないのがそれだ
役割に落ちるのが忘却だ
それを失ったというのが迷妄だ
最初から一貫してそれなのだから失うということはなく
それを得るということもないから
探している間中もそれだった
ただ忘却と同一化があるけれど、無知の知識によるため
得ようとしても得られず 失おうとしても失えず
探そうとしても見つからないため
どこかを探そうとしている間中迷子になっている
真の自己知識を思い出せばよい。
対象を持たずに八方を照らす、無対象の臨在の意識
静寂すらも打ち破る意識
空を自在活発に生きる形無き生
不十分ゆえに思考を選り好み 思考を失い
感情を見つめ 感情を失い 息すら見つめ
不活発な死生禅
語らずともよい無心に住みながら
語らずには属せないけん騒の世界に住む
ああアラヤシキ >>391
識別する事、それ以前の行為の事、それ以前の思考の事、それ以前の感受の事、それ以前の事
これらは全部身で起こってる現象で全部空、現象は法なので法空
「わたし」と言う自覚も思考だし認識だったり実感なので空、「わたし」は空なんだから我空
我空法空なので、感覚で捉えねば何もわからない我々の付近には
空以外なるものは一つも無く、その無いと言う否定すらも空に包摂される >>393
ところが、そこに認識が残る
パコーンされたら、誰が叩いた!!!!
となるw
ある人に聞いた空の説明
茶碗を目の前に差し出し
ここにあるよね?
( ̄∀ ̄)
間違いなくあるやんのーーー??
サッと隠す!
どこに行きましたか?
僕、え? そこにあるやんか
ブーーー
あなたと私が仮に因縁で、ここで話しているけど、本当は、全部、流れ去ってる爆笑 >>405
あ、ありがとう^ ^
その通りだと思うんだよね
自分を許すことと、雑巾を絞りきるは同じことなんだねー
坐禅の効能は静寂になれること
するとフッと消えてるときに気がつきやすいわけだけど、それは、知られないところに触れるからなんかな
まあ坐禅はど素人なので、いい加減
修証一等の意味は分からないけど、修行してるのがそのまんま悟りってことだよね
楽になったらいいんさ
なんか変な奴は不安を煽る
いまのままのお前ではダメだとねwwww
覚者は、そんなこと言いません
明らかに、そこは違うのですね
ダメだとは言うかもしれませんが、お前が、まだまだとは見ないんです
こんなバカな僕にも、めちゃめちゃ低姿勢でやってくるのです
ゆえに!
まあ、いっか笑 >>407
めちゃ、おもろいwwww
言葉遊びだけど、けっこう、本質を突いてるね
でも、観照者が無我っていうのは、どうかな
無我は終局だからね
自称覚者の勝手な意見では、観照者でいることを無我とは、お釈迦さんもマハルシさんも言わなかったんじゃないかなあ
まあ、あんまり本読んでないんで、素人の意見だけどね
無我っていうのは、分からなくなることなのさwwwwwww
アホになることさ爆笑
観照者に視点を置いてるんは違うよ
でも、まあ、自分がこけるとことか、素晴らしい言葉遊び!!!!
観照者って、誰が最初に言ったのか知らないけど、あれやってると、余計あかんよwwww
どっと疲れる!
天空の静寂がいいよ
でも、そんなんなくても、ありのまんまで悟ってるのさ
それが信じられないから怒るんだね、いろいろ
でも、ほんとに、なーんもなくて、みんな最初から、救われてる
ホンマやーーーーー!!!!
と思えないだけ爆笑 自分が死に切るとは何とも恐ろしい言葉である
この肉体のことであろうか
それとも心のことであろうか
どちらにせよ一番避けたいことである
痛いじゃないか!
しかし、この恐ろしい話の要点は、その自分というのは、単に、気づいているところのことを言っているだけということなのである
つまり大袈裟に表現しているのだ
そうでなければ亡くなった人は、みんな解脱したことになるではないか
六道輪廻から解脱するのではないのかな
そして死に切ったというのは、この対象に縁起している、主体という認識が消えたということを言っているだけのことである
消えたというのは、消えていることに気がついたということなのだ
そして、それに気がついても、相変わらず僕はアホなのであるwwwww
そして苦しいものも苦しいまんまである
借金はチャラにはなりませんwwww
人生向上もしませんよ
モテるようにもなりませんよ
まったく変化なしです!
ただ、胸がスーッとして、安心するんです
って、今日はちょっと酔ってるんで、テキトー言い過ぎました、すいませんorz
ぼくのは単なる自称なので、くれぐれも信じませんように、、、 ∧_∧
(´・ω・`)
〔:::(::::∧::/:::::〕
|::::::::/:::::::::::/
〉:::/::::::::::::::〈
|::/:::::::::::::::::|
ノ:::::::::::::::::::::::|
ノ:::::::::::::::::::::::::::ゝ
| | | |
∧_∧ チンポ出していきましょう エーザイ
__(´・ω・`)__
〔ノ二二,___ __,二二ヽ〕
|:::::::::::::::::::::::::ヽ ゜ ゜ /::::::::::::::::::::::::::/
〉::::::::: :::::::::::::〉__ 〈:::::::::::::: ::::::::〈
|:::::::::::::::::::::::/\ω/ヽ::::::::::::::::::::::/
〔::::::::::::::::::::/ ノUヽ ヽ::::::::::::::::::|
ヽ:::::::::::::::::/ /::::::::::::\ ):::::::::::::::::::ゝ
ノ:::::::::::::::::::| |〜── -| |〜〜〜/ 夕は嫌味を含めるから好きになれないんだよね、
友達にしたくないタイプです |
<おい、見つかったか!
| くそ、あいつどこに行きやがった!!
|
| (^q^ ):::::: むだだ
| / ハ::::::: りせいにしばられたおまえらでは
| l .| | /:::::: わたしをしばりつけることなどできないのだ
| ヽl l/::::::
| < <l l:::::::
| \| l:::::
|______し:::____________ >>418
スーパーウルトラメガトン覚者の龍鳳なのじゃ☆以後、よろしくお願いします。
童天とは違うのだよ。 >>420
あー
鬼和尚は自分でお釈迦教だとか言ってたよね。
そこが?
なんだよね〜
自分悟れば釈迦なんて不要で邪魔なだけでしよう 邪魔でもないのじゃ。友人の一人なのじゃ('◇')ゞ >>422
天上天下唯我独尊に釈迦がはいる隙間はありません。 天上天下唯我独尊は仏教から得た知識なのじゃ。それは、入る隙間あるようじゃの。
仏教は、入ったのう?釈迦もおるようじゃのう…同卓してもええかのう(^_-)-☆ >>424
方便で天下唯我独尊つかったんだけどね。
本当は無字だけです。 >>425
超州が入ったのう(*^-^*)
無字も不要なのじゃ。未だに理屈を弄って遊ぶのかの?('_')
儂は近いうちに、完全覚者になるじゃろう…その時は秘宝奥義を授けるのじゃ('◇')ゞ >>426
あたしは無字に始まり無字に終わるつもりです。
まぁ、なんの混じりっけのないものはクリシュムルティのやり方ですけどね。 誰のやり方でもないのじゃ。
儂がやってるのは、只管打坐でもないのじゃ。そうなのじゃがな。
道元禅師以前に生きておるのじゃ。
クリシュナムルティは、真理とは道なき道と言っておったのう。
わっこ姫は、mikaの後に助けるのじゃ('◇')ゞ 言うのもなんじゃが、三日おきに皮が剥けて、遥かに成長していってるのじゃ…
今が精神的な成長期なのじゃろう。
10月あたりの書き込みと、最近のを見ると、もはや吾輩は別人レベル、なのじゃ('◇')ゞひゃひゃひゃ(●´ω`●)所詮、比較じゃけどの。 >>427 なにわっこは無学に始まって無学に終わるつもりなのか
そんなことけついしなくてもいいんやで 臨済禅を極め東福寺の管長までやった老漢が、これで良いのかと
再修行に出た話。
http://tardiozine.tumblr.com/page/14
最初の会話でさえ舌を巻いたのに、再見性?後の会話ときたらもう(^_^;) >>416
先輩、がんばれよ。
確かに、嫌味言ってるけどさw
すかれようと、すかれまいがいいけど。
あなたがそうおもっているだけでしょ。他人も思っているかも知れないけどw
自覚してるぜw >>410
いゃー、ハジさんと話していると楽しいなぁ。
流れ去ってる爆笑ですか。
急流の上でボールをついているのにキャッチしようとする愚かさ。
茶碗と空の説明、ジャンキー大山は「あるよね?」と聴かれたら
その茶碗を取り上げてニヤニヤするかな。
まぁ、相手がやり手なら茶碗をその前に仕舞っちゃうだろうけど。 >>432
あたしがもっとも嫌いな人間の種類ですね、あなたは なあ無字と言いながらここでキーを打って字を書いてるおまえさんは何なんだ? 別に文句を言ってるんじゃないんだ。
達磨さんは不生とおっしゃった。
始まってないって意味らしいんだ。
さっぱり意味が通じないんだ。
青二才でも言うでしょ、俺の人生はまだ始まってない、これからだと。
そのこれからが来たためしがない。
たから林修先生は「いつやるの、今でしょ!」とおっしゃった。
達磨さんの不生はそのどちらかの意味に通じてるんだろうか? わっこ姫はここの人に揉んでもらうのじゃ。
特に>>439の人に尋ねるのじゃ。
ジャンキーに聞いてもうだつが上がらないのじゃ。
遊んでいてもしょうがないのじゃ。 まあこういうことはいつか何者かが始めたらしいんだ。
それで目的があるものは終わりが来るらしいんだ。
それでひとつの目的が終わっても、また次の目的と際限がなく続くわけだ。
同じように何かが始まったにしろ、それを始めた始まりがあるし、そのまた始まりがあるし、
その始まりを知らないから、一体だれがいつこういうの始めたのか答えは
人知れずというか、忘れちゃった...
こういうのは聞いてもあんまり答えてくれないと思うよ。 まあわっこさんが俺に平頭しながらやってきたらその時は驚くよ。
なんせ寝際で夜な夜な去来する頭の中の誰かはみんな身分の高いものなんだ。
1人として下からの者がいない。
それは俺が身分の卑しいものということもあるんだろうけれど。
そのくせ俺が偉そうであるからなら、自他不二ということかもしれない。 湿っぽくなったろ。
天上天下唯我独尊は造語の疑いがある。
なんで上にいこうとするんだって聞かれた際には、はっきりは自答できなかった。
動機を問われているんだろうけれど。
もしかしたら上に行こうとしなくてもいいのかもな。尊いなら。 >>436
はい、クズで結構です。
でおーは今ここに居ませんからね。いないからこそ、ここで話せているんじゃないですか。
あらためていいます。頑張ってくださいと。
355 : なにわっこ娘2016/12/22(木) 12:32:27.62 ID:ZdKdescd
ぽったんや
今までのものを全て捨てて
まっさらに戻り
色んな人から素直に学びなさい
あなたは指導する態度をやめて
学ぶ側になればいい感じになりますよ。
私はこの文章に何やら感じるものがあるのですが。
修証一等。 >>443
天上天下唯我独尊は
わたしの外側に世界はないって感じに受け取ってますが。 なにわっこ娘さん、自分でおっしゃっているじゃないですか。
わたしが、あらためていう必要ないと思います。
わたしも、見習いたいものです。
それとも、気が付かないんですか?
気が付くまで、根気よく待ちます。 >前世が大豆で来世は納豆だな
おもしろ表現ですね。
栄養価が高くて、いいですね。 >>447
それも禅定や三昧の境地の中での表現の一つですね。
分割されないものの表現です。
もしかして私はあなたの内側にいるですか? >>455
ということは私の世界の外側になにわっこさんがいて、私がいることになるんですか?
そちらの世界はどのような感じですか? >>456
あなたから見れば、あなたの中にあたしがいるんです。 >>458
よくレスくれるけど、あなたの目は開いてないかな >>457
ごめんなさい、言っている意味はわからなくないのですが、
私はやっぱり地球の上にいながら、宇宙の神秘に包まれているように感じるのですが。
一言で言うと個々独りでありながらつながり、愛を求めているのかもしれないです。 観念遊戯マン共、励んどるか〜?
今日の夕食はシチューとピザなのじゃヾ(@⌒ー⌒@)ノ >>461
思考者というわたしは本来錯覚である。
ただ思考はあります。
これに気づいた時、愛であると言えます。 言葉を変えると、わたしがある限り本当の愛ではないのです。 わたしがあるから、只管にならないんです。
いちいち、わたしにひっかかります。
ただ、思考のみが流れていく。
これが只管打坐です。 >>465
朝飯もピザだったのじゃ('◇')ゞ
外、かなり大降りで窓がガンガンいっとるのじゃ('_')
ジャンキー、また後ほどなのじゃ(=゚ω゚)ノ >>463
まあそうかもしれないですね。
これもしっくりこないんですか貼っときます。君の名はの主題歌歌ってるあれのです。
https://www.youtube.com/watch?v=c2y8Ba3WwPY
こんなはずではないんですが。 >>468
思考者が問いを出して思考して答えをだそうとする。
これ、答えがでないんです。
問いを出す思考者自体が本来無いと気づく。
問題の作成者がいなければなんの問題もおきないんです。
これを底をぶち抜くとかいいますね。 >>469
底をぶち抜くってそういうことなんですね、へえ。
耳寄りです。
切実さゆえに引き出された愛みたいなハプニングです。 469.
存在の問題ではないよ。
問題の作成者がいない、か。
バカが良く、言う、よ。
問題の作成者がいなくても問題はあるのだ。
底をぶち抜く、か。
ぶち抜く主体がいないことになる。
バカ丸出しである。 そうするっちゃ。
たまに書きこむよ、あっちメンツ濃ゆいんだもん。 すまんのじゃ('◇')ゞ水で薄めておくのじゃ(^_-)-☆またな。 >>470
ぶち抜くとは
コップがあって、そのなかに、意識、無意識が入ってて、それがわたしであると実体化するでしょう。
そうではない、これは記憶でありわたしなんてものは実体としてない!
と、ちょうどコップの底が抜けて全部落ちちゃう様子。 477.478.
それは見性ではないよ。
実体がない、か。
実体がないと底が抜けないだろうが。 >>479
おー、123さん、なかなかの突っ込み!
愚輩はこう見る。
桶の中に映る月を本物と勘違いしていたのに気づき、
底をブチ抜いたら、お空にゃまん丸お月様。 481.
その、どちらが本物と判定するか、という問題があることになる。
それは対象の問題である。
どちらの対象であっても良いよ、というのが宗教である。
その、おのおのに対応すれば良い。
その立脚点が宗教である。 >>483
他者の自分勝手なエゴが見え過ぎて、大変?になりました。 なにわっこ娘さんの、エゴが見え過ぎて、大変?になりました。 失礼しました。
自分勝手なエゴが見えなくなりました。 失礼しました。
見えないんだから、気が付かない。
自分の事って難しいですね。 何ゆえに悟らせたいと思うのだろう
また何ゆえに自己の境涯を話したいのだろう
沈黙や静けさについて語らない聖者はいなかったようである
しかし、ぼくはベラベラと法螺吹き
不生とは、こうであるとか、初めに言葉があったとか、知らぬが仏とか
そんなものよりも気分が優先する
今日は雨だ
とか
悲しげな雰囲気だとか
フィーリングが働く
そして、その、感情の中で閉塞する
懐古的な気分
この間、別れた嫁さんと息子と三人で焼肉食べに行ったら、なんと3歳の息子が、ぼくと元嫁の手を両手にとるのだ
まあだから何ということもないのだが、こういうのは気分である
そして愛は、自己のプライドを溶解させる
大切なものは何か?
いったい何故に悟というのか
アイは天空から降り注ぎ胸を開く
優しくなれなければ、悟りなんかより、仲いいやつと飲んでる方がいいのかもしれない 失礼
何を馬鹿なこと言っている。と思考し、いつの間にか手が動いていました。
どちらが早やっかた見当がつきませんでした
反射的、書き込んでしまいました、
(*- -)(*_ _)ペコリ 20歳になる年のこと
ある禅寺で、ぼくはぶち抜いた
なんの知識もなかった
ところが、ここから苦難が始まったのだ
なぜなら、知らなかったから知ろうとしたのだ
その純粋経験の仕組みをね
そして知識が増えた頃には、体中が重かった
いまは、あの時と違って宗教にもオカルトにもスピリチュアルにも、詳しい
しかし、何も知らずに、体験した、あの真っさらな心境は、ない
どうして、どうしてと様々なテクニックを試してみても、一向に愛に触れない
なんと、その、溜め込んだ知識がいらなかったのだ爆笑
悟りとは、このようであるとか、平和になるには、こういう方法があるとか、、、
そー、あの時に余計な言葉を聞いたのだ
これが悟りですとね!
その、たった一言で僕の人生は変わった
悟り?????
なにそれとね爆笑
その、悟りが一番いらなかったのだwwwww
このまんまでいい
問題ないのである
ぶち抜くというのは、自分である
自分の胸が開くことなのだ
それはフィーリング、直感的な繋がりのなかにある
瑞々しい世界!
この奇跡の、一瞬に、いまいるのである
この生は贈り物なのだ
二度と再び生きなおすことはできない よかったですね、はじさん。
それでも、みなさん、坐禅しているんですよね。 なんだw?
ナニワメス猿、糞尿徘徊してんのかあw?
ナニワが糞尿徘徊している間に、俺様はああああああああww 何年経っても変わらないだの言われて、見性した人とそうでない人で分別し優越に浸っておりますw 見性は手段とするもので、他人に誇るものではないですね〜。
持ってる間は苦しいものですから、血と肉にゆっくり変えていけたらいいですね。 細木数子ぽい、ウソ臭いナニワw
342 : なにわっこ娘2016/12/20(火) 19:33:22.72 ID:HWnsZrqg
>>341
じゃズバリ行くわよ!
人空がかいたんだわさ >>495
やさしなw誰かと同じなじゃ。
何年やっていると思っているんじゃ。
見性したかどうかしらないが、余計ひどくなったのじゃ! 491.
だからして、釈迦はバカの代表者であるのだが。 >>492
なるほど!
坐禅は悟るためにしてるわけじゃないと!
それは素晴らしい! >>494
そーれね
見性って、なんのことか、よくわからん笑
溶けてるときのことゆってるんかな
この辺の話って、ズレるよね、みんな >>495
おお、素晴らしい
頭に伝える必要がないんだよね
あるがまんまで、みんな、そこだし笑
どーしても理解してほしくなるwwww
オレはわかったーーー!!
それが苦しみの始まりなのでしたとさ爆笑 >>496
ムムム
むずかしくて、わからないww
どこにも行かん、ここにおるってことかな笑 >>497
着眼点がwwww
確かに似てるかもしれません
すいません、なにわさんw
人空って初めて聞きました
ここには、なにも書かれてないぞってことですかねー???
わかりません >>498
見性って人生の宝物みたいなものですか?
優しい人は好きですね
自分のプライド捨てないと優しくできないけど、まあ、それは、僕にはまだ無理ですわ
でも、それと悟りは関係ないんかもね >>499
wwwww
123さんのカキコミで初めて笑った
お釈迦さまって、屁したのかな
ブッと気にせずしたのか、気を遣って離れた場所にいったのかな?
どー思う?w
失礼極まりないか、、、w >>500
決裁はしなさそう!
お釈迦さまほど偉大な人は、稀にしかいないよねー
よくこんなことに気がついたもんだ
というか、よく伝えることができた
天才すぎるwwwww そっか!
じゃあ、わたしは悟ってないとして、
悟るための方法がいるようになるわけだ
で、その時に、頭で考えてるんだよね
理解してる
だから、あなたがわたしの中にいるとかゆー表現がでてくるんだよね
その理解する前に、もう、ひとつ
あなたもわたしもいない
でも、そこに、奇跡的に現れてるw
ここは考えても分からんでしょう
神業!
としかwwww
身心一如って言葉があるらしいけど、これ、究極じゃないかな
普通は離れて見てる
内面と外みたいに見てる
でも身体がそのまんま心なのさ
て、こんなん書いても、また屁理屈やなあ
今日は休みやでテンション高い笑 510.
それは存在の問題である。
宗教は存在の問題ではない。
それは智慧の問題である。理解の問題であるよ。 >>505
理屈をつければそうですねぇ。ありのままなので。
まぁ、ジャンキーは結局どこにも行ってなかったんだ!って。 >>509
123さんがお釈迦様を代表者になぞらえたのでw
お釈迦様が分別(代表者=会社の社長が決裁)するかい?って。
上手に分別されてたんでしょうね。 釈迦はバカの代表者である。
だからして修行して悟りの境地となる。
それを聞いた、他のバカどもが、釈迦の追っかけを始める。
そこに、バカどもの連続体が完成することになる。
自分が、その連続体のどこに、居るのか。
そこが問題であるよ。 >そこに、バカどもの連続体が完成することになる。
ちょ、病院にいるのに吹き出しそうになったぞwww
何だよ、馬鹿連続体ってwww
スタートレックにQ連続体っていたがw 515.
バカ連続体とは教団組織である。
管長とか貫主とかの問題である。
自分は、そのどこに居るかの問題である。 >>516
組織の事はさておき、無我なのにどこにいるのだろうか? 517.
無我だからして、みんなが対等であることになる。
そこに順序がないことになる。
仏にあっては仏を殺し、仏祖に会っては仏祖を殺す、かも。 >>511
だって悟ってないと思ってる人な、私は悟っている!!
と、言うと、お前はアホかとなるでしょw
だから気付くにはどうするかの方法が必要になるじゃないかww
そこで、このまんま、ありのまんまで、問題ないよって、レベルを落とす
そーすると、そんなわけないとwww
死にきらにゃならんとか、空体であるのだ我々わーーーみたいにくるwwww
だから、あー、そーなの?
悟ってないのね、オッケーオッケー
じゃあ、身体が心だよとね
これは、理解することだけど、頭は使わないんだよwwwww
智慧も噛んでるよ >>512
おお!
まさにそれ!
達磨東土に行かずて、かっこいいねー >>513
無分別は、気にしないことなのかもねw
わかんないけど、、、 >>514
?
修行するのは苦の滅尽のためで、悟るためとは言わなかったんじゃないかなあ
欲望と願望が、胸の中を引っ掻き回して、苦しめてるから、修行して、こころを整えたんだよ
だから、生きてる間は、ずっと修行してた
一切皆苦と説いて、それが事実で、その苦しみは正しく見れば消える
つまり、悟るというのは、このまんまでいいという、そこに、気付くことで、修行は、その、胸の内の乱れをただすことなのさ
で、多分、お釈迦様は、苦しみは気にするからあるとか、そーいったことだけwwww
しかも、そこから解脱することを、教えたという超絶天才なのです
それは宗教ではなかったのですよ
組織や教えの体系は、あとから
長すぎかw
まかしかし一回だけ、永平寺行ったけど、あそこは清貧なのか?www >>516
教団組織とか教えなんてホントは弊害になってるかもしれないね
でも、まあ、ひとりじゃ絶対無理やからねw
みんなで協力するのは、素晴らしい
しかし、なんか近所の坊主は、怖い人たちと付き合いしたり、知人に暴言吐いたり、お布施を破いて、そのまま飲みに行ったりwwww
世襲制にしてる意味あるんかな?
まあ、それだから、その人があかんってことにはならんけどね
最近は葬儀でも値段言うらしいしね 余呉翠巌さんという立派な禅僧がいたらしい
何冊か本を読んだ
混沌さんという人がいて、かわいそうなんで、目と耳と鼻と口と肌やったかな
それをつけてあげたら
混沌さんが死んでしまったと書いてあったw
すごい! >>528
彼の方の「人間の尺度」の言葉で何か気付くものがありました。 >>529
おお、ジャンキー大山さんは、知ってたのですね!
余語さんでした、字間違え
人間の寸法から抜け出せ!!!!
と、書いてるんです、あの人wwww
宗門の正伝にいはく、この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり
参見知識のはじめより、さらに焼香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちいず、ただし打坐して身心脱落することをえよ!!!!
に対して、最上とかあかんやろと爆笑
そして身と心を投げ出すわけじゃないぞとw
教えなんかなかったらいい
教えなんかなかったら、苦労せんでいい
爆笑
もとから身心脱落していると説く
座禅して行くんじゃないんだとね! >>531
その無いと言っている自分から抜け出すんだよ、この阿呆たれが。 >>531
十牛図に於いては道心から始まり、四番目でお前さんの得た境地、得牛だ。
しかし十地経に於いては、お前さんの得た境地はまだ最初の初歓喜地だ。
共にやっと仏の家に生まれたところ。
それを何とち狂ってんだあ、このボンクラが。
お前は菩薩と成ったかも知れんけど、まんだ仏には遠くて遠し。
それを仏に成ったと思い違い勘違い。
臍が茶を湧かす大馬鹿だ。
腹の底から笑っちまう。 ハッピークリスマス★彡
心の貧しきものは幸いである!
天の王国はその人のものだからだ!!!!
愛は天空から降り注ぎ胸をひらく
人は仲良くできるのさw
あーだーこーだーうっさいんだよwwww いい男がクリスマスで、はしゃぐのもどうかと思うがな!
まことは幸が薄いから、はしゃいだ経験もないんだよ! >>533
というか、十牛図って仏が出てきたっけ? すいません
今日は本当に酔っ払いです
しかしボス的なやつが、でてきたので返信しましょう
お前は、、ほんとうにアホかw
支店長だか、なんだか、知らんけどさ
俺が神様だったら、ぜったいの、地獄だよ爆笑 録でもなヤツはね
そーいうの
わかる?
俺も散々騙されたけどね
しかし、オレは本当に悟ったのだよ爆笑
信じらレンのやろw
お前は、せいぜい、人にさ、苦しみを、与えたらや!!!! 信じるかどーかは、読む人にゆだねられるけどね、ひとつ書いとくわな
ええか?
おまえのアホ説教で、どんだけ迷わしとるおもとん?
自覚あるか? こういうやつは、いっぱいいる!
しかし、本当にアホかww
ええか?
おれはぶち切れとるんやぞwwww
ほんとうに
じゃあ、ゆえや、十牛図どうこうのななしをなw おまえは、ほんとうに、そこにいるか??
オレは20年かかったけどなwwww
まあ、これが、アホな発言か、どーかしらん
じゃあ、おまえは本気でこいよ爆笑
あ?
仏は俺だけと言ってないー!
ええか?
商売するやつは、こまってもらわなあかんやろwwww
まあ、しかし、よく俺にきたな爆笑 おれは
本当にブチギレとるんやわ
さとりの話したら
精神病院とか、アホか
パーピマンよ!
おまえは、真実のカケラすらない
w
そして、支店長よ!
は?
ええか?
人はみんな同じ!
しかも、さとりどーこー関係ないよ んんんんんん???????
なぜ、いきなりオレが出てくるんだ?w
オレは何もレスしてないのにww 何が見ショウだよ
ええか????
俺がなんども、書いてる!
差別はない爆笑
アホ支店長は、せいぜい、ひとを
アホにしてやれや爆笑
なにが、悟りだよw
ぉ前は、ほんとに、シレ! >>549
おお、そうだったか学者よ
ええか?
本当に気分とゆーのは運命を作ってる
悪魔や
おまえは、やってたのさ
無自覚にな
しかし、報いは受ける
パーピマンよ!!!!
よくぞ、おれのさとりをアホにしたなw 言っておこう
一応、オレは合わせたのだぜ
ここの話のレベルにな
しかし、パーピマンよ
いや、支店長よ
俺の話がわかったよーにいいおるのーーww
ほんとの光をみたか????
ないやろ?
爆笑
覚者は知ってるのだよ お前のさとり???
なんですかあ〜〜〜〜?w それはww 知らんのか??
学者よwwww
ほんとの悟りは、過去に溢れてるよ
ちゅーか、ほんま、今のままおったら、無理やぞwwww
ええけ?
ホンマにホンマなあ
オレは悟りを開いたのだよ
おまえは信じられんだけ >>554 いえいえ、分かってますぜ、旦那w
貴方の悟りは大したもんだ。 支店長なんかとは比べもんにならねえw
しかし、なんですなあw 支店長なんかが、出鱈目なさとり話を語りだすと
初心者の中には騙されてしまう者も出てきますぜw
ここは、きっちりと支店長の化けの皮を剥いで、目を覚まさせてやるんが
覚者たる者の務めだと思いやすがww
な〜〜〜に、支店長ってのは、十牛図しか語れません。
それもまた出鱈目ときてるw
一度きっちりしめてくだせえw んー
まあ、むりやろや
しかし、俺も究極めっせやな ええか?
学者のパーピマンよ
おまえも俺と同じこと、
さいごがクル
しかし、ええかプライドは約には、たたんw >>557
「自分は分かっている」と言う、その自分に捉え込まれたまんま。
それが今のお前さん。
それに縛られたまんまじゃ、到底お話しに成りませんよ。 まあ、それに気がつくまで今しばらく苦しむ必要があるかも知れませんね。
お大事に。 お話にならないなら黙ってろ。
アルコールで脳ミソ麻痺したオッサン(笑) パーピマンは、支店長に初心者が騙されると心配してるが
こんなアル中に騙される側も、相当なイカレポンチなんだよ。
支店長と同類なんだな。類は友を呼ぶって言うじゃん。
寺男くんや、ハッタリ夕ちゃん見てもそうじゃん(笑) ★植物油は最悪の食べ物、植物油がうつの原因★
植物性なら安心なんて大ウソ!生活習慣病には「サラダ油」が一番危険
毒を食べているようなもの
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50458
http://i.imgur.com/qhs4y6R.jpg
炎症がうつ病の原因 2015.12.9
http://i.imgur.com/QAAmA1j.jpg
<いつの間にか日本の食材は毒ばかり・・・なり> 日本人が大量摂取のパーム油は超危険!パン、菓子、カップ麺…発がんや糖尿病のリスクも
http://sharetube.jp/article/3022/
林裕之&林葉子「少油生活のススメ」
http://biz-journal.jp/series/cat284/
2016.08.19
連載 連載
林裕之&林葉子「少油生活のススメ」
若者の精子減少が深刻化、親世代の半分か…原因はサラダ油などの植物油、生殖機能低下
http://biz-journal.jp/2016/08/post_16369.html
ラクトアイスは油でカサ増ししたアイスに似た不健康食品
ラクトアイスの原材料名 糖類(砂糖、水あめ、ぶどう糖果糖液糖)
http://tenkabutu01.com/rakutoaisu
市販のアイスは危険!特にラクトアイスはトランス脂肪酸や添加物に注意!
http://amccrh.com/2683.html
■ファーストフードはやはり好ましくない
「HFCS使用の甘いドリンクのセットは健康に好ましくありません。HFCSは『異性化糖』『ブドウ糖果糖液糖』とも呼ばれています。HFCSが使われたドリンクは
病気のリスクを上昇させるという調査結果もあります。」(森永氏)
「異性化糖」「ブドウ糖果糖液糖」は原材料を分解していることから、遺伝子組み換え等の表示義務はない。
「ファーストフードやコンビニの加工食品の油脂は、酸化している危険性が大きく、摂取すると体内で活性酸素が発生しやすくなります。ファーストフードの
摂りすぎには注意が必要です。」(森永氏)
http://agora-web.jp/archives/2022820.html >>558
おはようございます!
昨夜はアルコール中毒のオッさん前回でご迷惑をおかけしました
なるほど、支店長さまでしょうか
私は分かっているというのは、確かに、誤りですね
しかし、あなたは、人を惑わしている
これも正確ですww
あのねー
悟りって苦しみを減らすのですよ
まあ至るまでは死ぬほど苦しみますがw
あのねー
支店長さん
あなたは、人をどう見る?
ん?
まだまだの人間がどこにおる?wwww
ていうか、悟りを語るなら、自分の悟りをかけや!!!!
オレはかいとるやろ?w
私は悟っている、それが、悟りとね
批判するなら、その対応策でも書きなさいよ
俺の前に、現れた偽覚者はね
みんな来た人を困らしてたの
お前はまだまだ、とか、言ってね爆笑 >>561
ムムム
まあ、アル中でしたな笑
しかしね、
ひとついっときましょう
宗教で、騙そうとしてるやつはね
相手を、困らせる
例えば、世間で成功してる人間には、この世の外のことを説く
してない人には中のことを説く
とにかく、困らせる
心配ないよ
でも、こーしたら、と条件があるのだよwww
お金を払いなさいとかね爆笑
覚者は、人に対して、困らせない
しかも、悟りなんて言わないんだねほんとはw
悟りで困ってたら、出すんだよ
でも、他のことで困ってたら、手伝える範囲で、手伝うのだよね
支店長さまのように、ね
俺だけが、すごい! とは思わない笑
みんな仏は真理だからね >>563
生まれ本来において、自分と言う思いは無かったんでしょ?
でも物心を付くと同時に我意識が生じてしまった。
つまり観念を育む事により、我を生じさせてしまったと言う事なんですよ。
普段私達が言っている、私の、私がと言うのは、この自分の持ち合わせている観念の表明に他ならない。
この観念が有るから、気に添う事には喜びを得、気に添わない事には、怒り、悲しみ、苦しみ、悩みが生じてしまう。
だから苦楽がその身に生じると言うのは、この観念からまったく自由になって居ない。
もっと言えば、我意識の牢獄からまったく抜け出せていないと言う事なんです。
この観念=我意識から抜け出すのに用いるのが、あなたの言う光で有り、私の言う無心で有りするんです。
ただそう成っただけでは、なんの意味も無い。
これを道具とし、我と言う牢獄、つまり観念を解き解きして行く。
だから解き終われば、元ほとけと言うのです。
そこに至ってはじめて忘我。
梁の武帝が問答の末達磨さんに、お前さんは誰だと問うたのに対し、達磨和尚「不識」、知らんと答えられた。
喜んだり、人を嘲ったり、怒ったり、嘆いたりって言うのは、全部自分と言う物差しから生じて来る。
これが無ければ本当の大安心です。
がんばって下さい。 ガッシリ見識にしがみ付いてるから、言っても無駄だと思うわ。物凄く大事な所、示されてますけど >>563
正直言って、私はあなたが悟っている事には、微塵の疑いもありませんよ。
読めば分かります。
ただあなたは自分の見解に捉え込まれ、そこから抜け出せないで苦しんでいるように見えるから、それを言っているんです。
実は私もあなたのような時期が正直言ってありました。
それが結構長かった。
その間は、俺は悟ったんだ、そこいらの生臭坊主などよりよっぽど偉いんだと。
でも、それが有るが故、まったく面白く無い、楽になれないんです。
悟った筈なのに苦しくて堪らない。
そんな時師に出会って、それを取り去ってくれ、本当に楽になった。
まあ、それでも何年もすったもんだしましたけどね。
よかったらこれでも読んで下さい。
http://shorinkutsu.com/second/_userdata/irohahogo.html 生まれ本来から自我の種はあり、生まれたときの赤ちゃんに戻ってもそれは
ただの子供がえりのガキに過ぎない。
せったんの幼稚性に、子供がえりを目指してしまった老人の哀れな姿を見た。 ほほう
本気出して来ましたな
じゃあ、聞くがね
自分の右胸に手を当てて、正真正銘の、こころから、答えなさいよ
まあ、ここには、書かなくていい
あなたは、自分の書いていることを、成し遂げて、自分の言葉で書いてるか????
ん?
本当に、そうなると信じてるんじゃあないか?
感情は、なんども、書いてるが、難しいんだよ
でもね
あなたの書いてることでは無理wwww
だから聞いてる、
ほんとに至ったのかとねw
なくなるわけがないのだよ爆笑 >>569
信じるも信じないも無いですよ。
実際、お陰で本当に楽に成れているのですからね。
嘘も偽りも何も無くです。
まあ良いから、他の祖師方のお話しを、虚心坦懐に成ってお読みくださいな。
よろしくです。 せったん和尚も「雪担老師語録」の中で、
ある時、師に云った。
「このごろは見るもの聞くもの、清々ともなんとも云いようにないー」
みなまで云わせずに師、
「それはまだ清らかに見ようという心が残っている」
と云った。
はぁ、っと気が付いた。
おのれというそれと決別。
http://www17.plala.or.jp/tozanji/bn.html >>570
傍から見てまだまだでも、本人が良しッて云ってピリオド付けたらもう終わり。
誰が何言っても、もうしょうがないでしょう。
必死に訪ねまわるようになるまで、待てばいいですよ。 >>572
そうですね、これでご理解いただけないようなら私もあっさり諦めます。
でも、そこに胡坐をかいて苦しんでいた私と重なるのと、師や仏祖師に対する御恩が有りますからね。
たとえ少しばかりなりと云えど、御恩がえしになればと言う一念から。 >>573
私も貴方に御恩を感じています、支店長さん。
本当に御恩を感じております。
貴方のお節介が彼の身に染み、痛念する日が来ることを願っております。 つまり、こういうことかな?
支店長の言いたいことをまとめると・・・・
「みんな、まだまだ。 悟ってるのはオレ一人。だから、みんな、
オレのことを敬えよ。 オレはすごいと讃えろよ。 わかったか?」
・・・・これでOK?w 生まれた頃に戻りたいという願望。
生まれたときが本来の姿という決めつけ。
そんなことはお釈迦様は一言もおっしゃっていない。 >>せったんって、
中途半端な師匠。
指導された人たちは、哀れ。
本物の師匠は、
なかなか見つからん。 生まれたばかりの赤ん坊は誰かの世話なしでは生きられない。
生物学的戦略でかわいらしい姿、かわいらしい声で生まれてくる。
自覚してないだけで、自我の芽はしっかりと芽吹いている。
生まれたばかりの姿が支店長なら、親も愛情をもって育てない。
金払ってキャバクラ行くしか相手にしてもらえない。 >>574
やめてくださいな、私はそんな有難がられるような者では有りません。
ましてやこの手柄は皆お釈迦様に帰結するものですから。 そんな子供がえり教を、お釈迦様に通じると嘯くのが
なんちゃって覚者支店長だ。 >>579
私もいずれそのように言える日が来ればいいですが…
貴方と話せてよかったです。では、いずれ 割り込みごめん!似た様な事で悩んでいる。
臨済のはしご禅と曹洞の居眠り禅について、
心は万境に従って転ずる、転ずる処実によく幽なり、から
「転」か「幽」か? 初詣には成田不動など不動関係のところには絶対行ってはいけません!
四八方の宗派、バラバラの霊媒師達が裏でさんざん言ってる他様々な所から入ってきた情報を載せます。
不動明王(別名シヴァ)は最も悪い奴です。長いこと人類や他の神を騙してきたのがばれて上神仏界で抹消されています。
今後、こいつを唱えると一緒に罪に問われ悲惨な目に会います。ひどく醜い嫉妬とひがみにこりかたまったやつです。
不動(シヴァ)はスサノオノ(転生体は阿含宗の桐山)とグルになり、ハープ(フリーメソン、イルミナティーの一派)を
操って、東大震災を起こしています。で表面からは鎮魂除災の護摩木をかかせ自分の所へ勧誘しようとしました。
先程も述べてますが、仏教の方法、この場合阿含経でしたがそれは単なる1つの方法の話です。使う奴が誤れば
このようにとんでもないことになってしまいます。まるで原子爆弾のスイッチをその辺の野ざるに持たせるとこうなる
といういい例です。
また最近御嶽山が噴火しましたが、この件も含めて長年の悪行がばれていよいよ毒殺他されそうになった不動が最後の
悪あがきをしたと言われています。不動をお参りしていた者によく「家のは赤不動だから大丈夫、白不動だから大丈夫・・」
などと言うのがいますが、それは赤、青、黄、白といろいろあるでしょう。しかし全て百面相でごまかしただけの黒不動です。
騙されてはいけません。
ここへ、釈迦、アマテラス、ヤタガラスなども便乗して地震を起こしていました。 582.
それは存在の問題である。
宗教は存在の問題ではないよ。 >>584
存在の問題はさて置き、
123さんは「転」を見せる?「幽」を見せる? >>582
仏眼をもって見渡せば、見聞覚知すべからく幽なりって事でしょうね。
幽とは、かすかにして微妙な様子。
一方、凡夫の見方も用いれば万境には、善悪あり、好憎あり、貴賎あり、美醜あり、剣呑この上も無く。 >>562
世俗諦、勝義諦ときましたか!
まぁどちらかに偏ったり、見分けがつかないから
あかんのでしょうねw 585.
転でも幽でも、
それは存在の展開である。
その存在の範囲内で考えるのが迷いである。 >>570
そうですか
本当に感情に振り回されなくなられたのなら、それは素晴らしい
んー、ぼくには、まだ無理やなあ なんもしなかったら仏だけど
まあ生きてるから、いろんな悪いことしてしまって、自分で自分を苦しめてる
だから、アレだねえ
本当に僕というやつは救われ難い
なーんもないとこにおったら、至福やけど、一応、生きてるからね
怒ったり泣いたりする
人様にもいっぱい迷惑かける
こんなことじゃ、いかん、救われんって、宗教のこと学んでも、なんにもならん
なんもかわっとらん
本に書いてあることは理解できるようになったけれど、良い人間にはなれない
そーいうのも、まあ、眠ってしまえばなんもないんだけどさ、起きなきゃいかん
困ったもんだ
心の中で思っていること、その、また奥で、人間の質みたいなのがらあるんやろなー
しかしまあ、どーしようもない
どーにもならんかった
どーにもならんのだから、もー、本当にw
悟っても苦しいのは、悟ってないからやろうなあ多分
しかし、なんか、もう、どーしょーもないww >そうですか
>本当に感情に振り回されなくなられたのなら、それは素晴らしい
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
なわけねえだろw
アホ支店長は、オレがちょっとからかったくらいで、青筋たてて
「むきいい〜〜」って言い返してくるほどバカなのにw
わっこに対する態度見ててもわかるでしょ?w
初めのころ、まだ、わっこが支店長をたてて、敬意を表していたころは
「いいこ、いいこ」と頭を撫でてたが、化けの皮が剥がれて、わっこに
そっぽ向かれると、途端に叩き始めるww
こいつは、とにかく「自分を認めて崇めてくれるやつしか認めんの」www
それ以外は、「わかってない」やつ認定してたたくだけwww まあね
ホントに、この、喜怒哀楽の、中から、出たというのなら、凄いことやなあ
なんか奥にあるよね、やっぱり
天空の静寂はいい感じやったけど、どーも、そーゆー意識したところはあかんね
清涼になったと、意識しとる自分がのこっとるか、確かにね
難しいことやのー >>591
まあまあ、ここは穏便にw
まずは、調子づかせてから。うっはw >>591
まあねえ
まだまだでいてもらわんとあかんでなあ
そして完璧な人間なんかおらんし
自分の搭乗する前に、この世界が不思議にあるわけだけど、それを形成しとるんはなぞやな
でも、そこの平等なとこに触れてみたところで、普段の自分もいるからねえ
この行為者が幻想であるとしても、行為は起こって苦しめるからなあ
だから、そー考えると禅の悟りって、なんの意味があるんやろうなww
座って気持ちよくなるのはあるか
覚者って、なんなのかなあ
なんかこの表層の内側に、自己の活動を誘発させるものがあるんだよね
それが、どーにかならんと、後始末ばっか
後始末は得意ななったけどさw
問題は、この、ここでいいと見るのか、それとも変える方法があるのか?
んー、説いてる人がいないんだよねええ
仏教やと無我やから、そーゆー、アホみたいな僕もいないで終わってしまうwww
しかし世間で、そんなん通用しやんし 594.
宗教は金儲けの手段である。笑話。
気持ちよくなるためではないよ。 >>589
そりゃ意を使っているうちは観念は無くなりませんよ。
従前と同じように心を働かせていたら、一生を費やしてもこの苦楽からは離れられない。
そうじゃなく、何かフッと思いが湧いて来た時、その時にあなたの言う光でこの思いを滅却してやる。
これが思いに手を付けないって事。
これが悟後の修行と言うものです。
そうやって物心ついてから我知らず作り出してしまった意根を座断してゆく。
本当に力が付いて来ると、人が何言おうが、人に何されようが、大抵の事は気にも登らないようになってきますよ。 >>592
白隠さんの本に、面白い物語が書いてありましたよ。
山だしの貧乏兄弟の話しが。
この兄弟、あまりにも貧しかったので、兄弟揃って都会を目指した。
その道中、思いがけずいくばくかの金を拾った。
そこで兄は一計を案じ、兄弟揃っていたら山族に奪われる時は一緒だ、ここは道をたがえようと、金をくれぐれも大事にするように言い聞かせ分かれた。
それから数十年後、兄は貧乏のままの弟を街中で見つけ出し、どうしたものかといぶかしく思い、自分の御殿に連れて来るよう、使用人に言い聞かせた。
弟は使用人に引かれ、国賓が住むような御殿に連れられ、何か悪い事でもしたか、奴隷として酷使されるのではと思い、その場で気を失った 。
意識を取り戻してから兄が、お前は今まで何処で何をやっていた、あの時分けた金はどうした、泥棒に取られたか、飲み食いにでも使ったかと、尋ねた。
すると弟は、私は兄者の言う事を良く聞き、この金を何時も腹に大事に撒き、食いものは人の食い残しを、着物も捨ててある物を、そのようにして言いつけを守って大事にしてきましたと。
しかし兄さんはこのように尊大に、もしかしたら大泥棒にでも成ったのですかと兄に問うと、兄は笑いながら、あの金はすぐに使ってしまったと答えた。
そこで弟は兄に、なぜ金を大事にしていた私はあの当時と同じ貧乏なのに、金を使った兄はこのように金が有り余っているのかと。
すると兄は、あの金で私はすぐに薪を買い、それを街で売り、その儲けで今度は塩を買い街で売り、そのうち貴重なものまで扱う様になり、今はこうして使用人を何百人も使うような大店の主人となったと。
わたしの言った金を大事にとは、金を活かす為に金を捨てる事を言ったのだ、と。
それを聞いた弟、今更ながら本当の金の使い方を知ると共に、兄の賢さに畏敬の念が絶えず心から兄を敬ったと、こう言う話しだ。
今のあなたならお分りでしょう。 >>594
世俗的に考えるような、そんな完璧な人間なんて居ないですよ。
お釈迦さまだって腐った食べもの食べて、腹壊して死んでもうた。
そうじゃなく、我念無く立ち居振る舞う時は、それ以外やりようが無く。
これこそ、天地自然万物宇宙と同根の、霊妙なる働きでもってさ。
まあ、頭の中のごちゃごちゃは放っておいて、ただ単に単を練るっきり。
自分を相手にしない、関わらない。 調子づいてきたじゃん。もう添加材投入済みか(笑)。 >>596
>本当に力が付いて来ると、人が何言おうが、人に何されようが、大抵の事は気にも登らないようになってきますよ。
嘘は良くないなw
君は気に登ったから書き込んだんでしょうに
何を言っても、何を書き込んでも「お前だって」が付いて回る問題
本当に分かってるならこの矛盾を説明してみてくれないかな?
私を証明してみて下さいよ >>600
私の言う気にも登らないとは、苦楽を伴わないと言う事ですよ。
何か言われても、何かされてもすぐに忘れ去れる程度の些細な事。
言ってみれば、蚊に刺された程も感じない。
そう言う意味です。 >>601
蚊に刺されたほどにも感じないなら何故
こうしてやり取りが出来るんです?
「枯木寒厳に倚って、三冬暖気なし」
って言う矛盾と変わらんでしょう >>595
ようけおるねー
仏教を生計にしてる人たち >>602
そりゃ意が有るからですよ。
人は見る前に見えており、聞く前に聞こえ、味わう前に味わっており、嗅ぐ前に既に嗅いでいる。
それは意も同じ。
生まれながらに具わっている機能ですからね。
その働きに任せているだけ。
だから仮定の話はまったく通じません。
そして残念ながらこの話の矛盾は実にあなたのものですよ。 まあねー
言っとることは分かるんよ
つまり、そーすることも可能やな
見て見ぬ振りみたいにさ苦笑
しかし、何か違うって直感的に感じるんだよね
結局、意識してやることは、破綻する
役にはたつけれども、なにか根本的な、根源的なところで、自己が変わらないと、苦しみは無くならないように思う
しかし、もう一方の見方では、それらも含めて、このまんまでしかない
今、感じるのは、このフィーリングと印象の中で苦しんでいる我の根源、つまり胸の奥の感受体、が、どうにかならんとあかん
しかし、こーいったことは宗教より神秘主義的なものにいってしまう
全く仏教的なものではない
しかし、この、苦しみも受け入れる中で、ありのままだろうなあ
人間関係の問題と宗教の話をごちゃまぜにしとるから、オレはあかんのかもしれん
しかし宗教は日常になければ意味がないwww
非常に難しい!
2ちゃんねるには賢者もおるようだが、覚者もひとりおるなあ
支店長ではないがw >>604
そうだよ
その全ての活動が、溶けるんだよ
でもね、そこにはいられない
ここに帰ってこないと、生活できないし、周りの人も焦るやろうしww
だけどさ、普通に生きてたら、苦しいことばっかやんなあ
それで、まあ、感情の、コントロールなんかも、色々な技もあるんやろうけど、結局、意識してるからな
清涼と思う自己やなwwww
あれは、ええ話やけど、僕の今の問題解決にはならんのだよね
まあ、だから、もう、どーしようもないんだけれども、ほんとに自己解決した人は次元が違う気がする
殴られても怒らないとかwwwww
池に落とされて感謝する人とかwwww
とても僕はそこまでいってない
だからまあ、修行があるんやろうけども >>605
事実とかけ離れた思考の上にしか身の置き所が無いから苦しんでいるんじゃないですか?
あなたも、娑婆の人も。
そこに魅力を感じるのなら、そこに居ればいい。
これは強制では無いんですから。
今日は少し長く居すぎました。
これでご無礼します。 唯仏与仏、仏と仏の戯れの中に、凡夫あきれるばかりある。
凡夫は怒るものもいる、何をされても笑っているのが長老の仏さま。
覚者になるか、賢者になるかは、その人次第。
覚者、賢者あわせもつことができれば、最高である。
その辺はわからない。
仏の戯れを理解するには、仏になるしかなくw >>608
横レスごめんなさい。
野狐の見解はどうですか?
ちなみに世俗諦での説明じゃつまらないので。 「転」「幽」一つに見るのが仏眼とか聞いた気がするけど
難しいな ここの事実の世界にはさ
感覚ってもんがあって意識しとる自分がありますわなあ
まあ、それを自分と呼ばずに、なんか別の言葉に変えたりしても
確かに、その、すべては移り変わる対象で、すべてが流れてる
終わりがくれば、終わりという流れと出会う
それだから苦滅することも可能だ
しかし、一方では、普通に生きている社会生活というものがあるw
この中で、キチンと生きなきゃあならん
それができんのに、悟りという大風呂敷を広げる僕は、あかんやろなww
それもしかし宗教的にはいろんな救いが入るのだけれど、ホントに心に染み渡らんと、同じ間違いばかりする
そうやからといって、こう、ね、その表層的なものを意識的にくつろがせて見ても、根本の、根源的なものが、そのまんまだ
すいません、すいませんと、天に向かって詫びたところで、また、同じことするのが、治らんのだよなあ
だから、まあ親鸞さんとかのよーに、阿弥陀仏に祈る? くらいしか 敬虔な気持ちっていうのは宗教には、つきものだよね
我々を生かしめている、なんやら分からんけども壮大なるものに許しを請うたり、感謝を捧げたりする
そこで少しだけ休める
自分の気分ってものがあり、また行為によって苦楽のどちらかがある
人様にくるしみを与えたら自分が苦しむ
だから、そんなことはしたくはない
しかし忍耐は無理であるのは、自分の気持ちに嘘をついてるからかもなあ
蓋をして生きるからね
蓋をしても、本心てやつが、現れるからね
その本心に、ダメだダメだよと非難するから、蓋をせんならんわなあ
こういうのって言葉にするとあかんなあ
芯のところで、まともに、なりたいのお
事実の世界で思念を落としたら、楽にるんかもしれんが、それより、もっと奥やろうな
自分が納得せんとあかん、自分のほんとやないと、他人の話に憧れてもなあ >>604
>生まれながらに具わっている機能
それでは不生不滅じゃないでしょう
そして
>人は見る前に見えており、聞く前に聞こえ、味わう前に味わっており、嗅ぐ前に既に嗅いでいる
と、見る前に見え聞く前に聞こえ味わう前に味わっており嗅ぐ前に嗅いで思う前に思うそれは人じゃないでしょう
まだ分かんないんでしょうか >>615
先生すごいなw
それに気がついても人様に迷惑ばっか、かける、この情けない男は、どう救われる笑
うーん
根本的に間違っとるんやなあ僕はw
野狐禅ね、、、
まあ反省が身に染みとらんだけか
みんにそこにおるのに教説もってきて自己満足しとるのはあかんなあ
俺は凄い!
みたいに思っとるから痛い目みんならん
優しくなりたいのお
人に親切な人って、悟りより偉いなあ
そんなん知らんでも救われとるかもしれん >>616
私は先生じゃないですよ
そして
野狐禅
そんなもんもありゃあしません
釈尊は無師独悟ですし、先達全員無師独悟ですから
これ、今時の坊さんですら殆ど分かってない重要案件です
坐ってるそのままに師など有りようがない
それで悟れたらそれは無師以外の何ものでもないでしょう
坐ってそうなのだから、坐る以外でも同じ事
私を手放してどうして師など成立するでしょう
誰が誰を教え、誰が誰に教わると言うのでしょう
その誰は一体どの誰なんでしょう >>616
>それに気がついても人様に迷惑ばっか、かける、この情けない男は、どう救われる
悪人正機
気付いたその時こそが悪人成立の瞬間なのであり
そして悪人脱却の最大のチャンスなんですよ
煩悩即菩提の根本原理みたいなもんです >>617
この教えてくれてる働きが仏さんなのかなあ
よくよく凄いなあ、一流ですね、あなたは!
自分の苦しみは、仏心があるからこそなのかもしれませんね
もともと、この心があるのに、知らないだけやったんやなあ
苦しむのは仏やからなんやなあ
自己伝授、無師独覚ですか、、、
そーやなあ
僕の知らんこと、あなたは、知ってたなあ笑
ちょーっと確認作業に、はいろかな
ええ話や >>618
なるほど!
こりゃあ、すばらしいわw
できるだけ、そこに近づけるように、懺悔するしかないなあ、もう
ちゃーんとおるからなあ仏さんが自分の中におって、見とるwwww
嘘つかんと、やれるようになるといいな
もー、すいませんしかないわw
おるんやなあ、おるわ!w
素直に生きていきたいなあ、できれば、
まあ、ええ話や
この、ここでありのまんまでしかないけど、それに感謝せなあかんなあ
ありのまま教じゃなくて懺悔教になってきたなwwwww
あー、師匠おったわw
自分のなかにずーっとおって苦しめてたのは、自分やわwwww
改心できるといいなあ
自分に許されるようになることかな
みんな、こーゆーのどうしてるん?? そうか、そうか
弄り倒して、いろいろせんでも、ちゃーんとおるんやなあ
違ったらちがうて、教えてくれとるww
ずーっと働いてくれとる
ありのまんまが、そこというのも、いろんな意味にとれてしまうんがあるなあ
こら難しいわw
見る聞く嗅ぐ味わい触れる、その前に、もう働いている、思う前にある、それは、心の心棒にもあるわ
そこに溶けるんかもしれん
その働きの中におる自覚をもって、その働きと同調するんかもしれん
まだ分からんけど感触が、それとの触れ合いがあるのはわかった
安心って、この生かしめている働きに包摂されとることちゃうんやろか?
まあ、言葉しらんから、表現が変になるなあ
投げ出すって、ここに、投げ出すんかも
救われるんや救うんじゃなくて >生まれながらに具わっている機能ですからね。
親の産みつけたるは仏心一つにて候、でしたっけ。
ジャンキー大山は盤珪禅師の見解と同じだなぁ。
イエス様も仰る、誰でもこの幼子の様にならなければ
天国には入れない、と。
>人は見る前に見えており、聞く前に聞こえ、味わう前に味わっており、
>嗅ぐ前に既に嗅いでいる。
ジャンキー大山の見解も同じだなぁ
お釈迦様は言った「天上天下唯我独尊」と。生まれた時「オギャー」とね。 >懺悔教
誰に対して懺悔するかですよねw
御心のままに!
ジャンキー大山の見解では、分別に気付く事が懺悔かと。 >>621
それから離れるから苦しくなるんですよ。
元から自分の中に仏さんが居るのに。
人はそれを見失い、外に泳ぎ出すから苦しむ事となる。
これ、自分を苦しめるのは自分きりという事です。
この自分の中の仏さんに気付いたら、この仏さんに自分を明け渡し、明け渡しして行く。
いつもこの仏さんと一緒に居れるようにする。 >>622
お釈迦様、生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言われたと。
これ、六道輪廻を六歩として、七歩目で涅槃。
地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上という、心意識の上に生じる苦しみの輪廻を超えて、涅槃妙心に至ったと。
そして生まれてすぐとは、あなたの言う幼児のように成られて、と言う事です。 >>625
ジャンキー大山は意地悪だからついついこう言いたくなるw
(貴方の批判じゃないっすよw)
「それなら生まれなければよかろう、生まれたところで一歩も
踏み出さねばよかろう!」(誤ると無事禅に陥りますけどねw)
>>624
ジャンキー大山は、ハジさんは一枚岩ではないと観ている。
相手に解らせるため愚者を装ってる時もありますよw >>620
>みんな、こーゆーのどうしてるん??
普通は自己嫌悪などの深みに嵌るか、思い出さない様に見て見ぬふり
前者は悪人正機の使い方が分かってないだけ
後者は涅槃寂静を誤って使ってるだけ
仏道は真新しい何かを行なう訳では無く、単に誤っていただけの道を正す
涅槃妙心は甚深微妙なので、人のマナコには同じに見えるか全く別物に見える >人のマナコには同じに見えるか全く別物に見える
では逆に同じに見えず、別物にも見えないものがあるだろうか
不一不異と言う言葉が指すことがあります
それは不去不来にして不常不断
そして不生不滅です
それは実感する前から実感されます
父母未生以前の自己の本来面目とも言われます >>622
なるほどねー
天の王国はすぐ近くにあったりしてねw >>623
そうですか!
無分別と言われるやつですね
なかなか難しいですなあ >>624
素晴らしいわw
僕が理解できたかどうかはさておき
その仏さんと一緒のところはええなあ >>626
そ、そんなことはありません!!
ぼくは悟っているとは書きましたが、優れていることは万が一にもあり得ませんwww
知人が口を揃えて言っております
爆笑やでお前と笑 >>627
なるほどなるほど
勉強になります!
ところで涅槃妙心は、どのマナコでみられたのでしょうか?? そうそう書き忘れておりました
ウザいとか、あかんでええとかもよく言われておるしだいですw >>628
ムムム
高度でありますね
実感する前に実感されたり見られたりしておられるのでしょうか
もう少し涅槃妙心について伺いたいところであります!
前々から疑問に思っていたのですが、何ゆえに面目という言葉になってるんですかね?
普通に心の奥で傷ついとる私が、どーにかなるんでしょうか
そんなこととは関係ないか
んー、ものほんの覚者様のようなw
ハジはなんちゃってなので、心の奥深くで、幻想的な涅槃しか知りません >>633
>ところで涅槃妙心は、どのマナコでみられたのでしょうか?
心を観られるマナコ
正しい使い方・見出し方は黙って今坐るだけです
〇〇をしてる最中だから坐禅なら後で・・・
と意見するそれが心であり心の作用なんですよ
それの言う事を、ある意味破る・無視するのが坐禅になる訳です
自我の言う事を一時でも聞き入れず、日常には役に立たない坐禅をするって訳です
この時点で「心を観られるマナコ」は使われてます
>>635
>何ゆえに面目という言葉になってるんですかね?
世間に接する顔・最初のインターフェースだからです >>635
>実感する前に実感されたり見られたりしておられるのでしょうか
そうです
普通の感覚で言うなら有り得ないと否定されるか
または実感前に実感してたら縁起に反するから云々
となるでしょう
今、目の前に風景が広がってますよね
目を瞑ったら何も見えませんか?
仏道ではこの両者を観る・見ると看做すんです
知った方(見えた方)に用が無いのが仏法です
この場合、「観る・見る」方の意味を取る訳です
風景の見える見えないの方では無い事は案外理解されてない
こうして思量するに、見るとは不生不滅不常不断不一不異不去不来
と言える訳です
その他の根も合わせて六根全てが同じ性質だったりします
その六根の結果を人は実感と呼んでる訳で、その実感が
「私」を認識させているって訳です
認識も実感も刹那の現象に過ぎず実在しません
それが成立させている「私」なるものも言わずもがな、となる訳です
起きているけど実在している訳じゃ無い
仏教ではそれを空と言ったりします >>623
分けてものをみる、二つにみる、
これは本来から外れた「思い」の世界で生きることにほかならず
これを悔い一つと見直すのが懺悔でしょうか >>638
あくまで私の勝手な見解です。(^_^;)
エゴやはからいや分別(=本来から外れた世界)に気付く事が
なににも勝る懺悔かな、と。
悔い一つの意味がわかりませんが、「本来から外れた世界=悔い」
と言えるかと。 >>639(続き)
悔いの無い人生とは、エゴの振る舞うまま勝手に生きる事ではなく、
本来のあるべき様に生きる事なのでしょうね。 >>639
いえいえ、素敵な見方です!
「これを悔いて、二つを一つに見直す」とう意味で書きこみました
実は同じような懺悔のお話が、
最近読んだ原田雪渓さんの本にありまして
なるほど…!と感じておりましたので >>641
なんとなんと!
先日、青野敬宗老師のエピソードを読み感動したのですが、その青野敬宗
老師は原田雪渓老師の師兄のようですね!
ということは、両老師の師である井上義衍老師は余程の力量の方
だったのでしょう!
まぁ、ネット検索ですがw足跡を辿ってみますわ。 >>636
なるほどおおお
これはすごいです
その心を見られるマナコは、見る前に見る働きや、その他も見られるということになりますかね!
それは、言葉にしづらいところですよね
この、まあ意見を無視するところがスイッチの転換点でしょうか >>642
今確認しましたところ『自我の本質』内で、
「実相懺悔」ということばをあげて原田雪渓さんはお話しされているようです
また、2ちゃんねるのここ宗教板にはご存じかもしれませんが
井上義衍さんの法嗣(というのでしょうか?)の川上雪担さんが
5年前まで直接書き込みをされてお話をしてくださっていたらしく
今でも教えを受けられていた人たちがこの板におられるので
お話しされてみては如何でしょうか? >>637
ここ!
これは重要すぎる
つまり、あれですよね
まあ、間違ってるかもですが、、、
僕がスマホのこの書き込みしてるのを見たり、外で鳴ってる音を聞いたりしていますが、そのスマホとか鳴ってる音ではなく、その見る、聞く等々の働きが、実感の前にじっかんされておるじゃあないかと!
誰もが!!!!
これ、誰も外れませんよね???
そして、もうひとつ、これに絡むのが意識です
意識がないとき、眠っているとき、この意味では、五蘊はすべて働いているが、認識されていないだけということになる
ちょっと仏教から外れて申し訳ありませんが、マハルシくんなんかは、寝てても、私はよく寝たと、それを感受した存在があるではないかと、そーいうことを言います
これも意識の働きでしょう
この意識すらも、意識する前から意識されているのならば、そして、この働きのすべてが、縁によってあるならば、私はない
すべて流れ去ってる
しかし、ここで、この、ありのまんま、が、いまここにあることだ、とか、この感受対象に埋没することだと禅に詳しい方々が言われる
いまここなんて、どこにあるのだ?www
そして、外界と内は、どうちがうのか
埋没したら我が消えるとは??
なぜ条件がつくのか
なぜなら、もとから、そこにあるのだからと
ぼくは、言っているわけです >>638
ありがとうございます
分かってなかったところが理解できたかもしれません
つまり懺悔そのものであるとき、懺悔についての思いにされることなく、懺悔にあるときに、ほんとうに、悔いることがある、ということでしょうか >>639
ありがとうございます
まさか仏さんが自分と一緒だとは気づきませんでしたので、聞くこともありませんでした
損得感情しか、、、 >>640
素晴らしいです素晴らしいです
ぼくは、プライドのお陰で、ぜんぜん、うまくできませんが、研究してます >>641
ええ話やあ
外れるってそういう意味か
無分別って、右も左もわかりませーんって、意味かと勘違いしとりました笑 >>642
いや、検索しなくても、ここで、いま現在、法嗣の方がいますw
たぶんね >>645
そうです
せったんさんの話を話される支店長さんです うーん、
「実相」、本来のあり様では
実相無相、自他一如というように
自他の区別がない、刹那の瞬間にす /\
/ \
 ̄| | ̄
___| |__
/ ⌒ ⌒ ::: \ |\
| (●), 、(●)、  ̄ ̄ \
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, 左を見ろ> こっちは右だバカ!
| `トェェェェイ' .:::::__ ./
\ `ニニ´ .:::/ |/
l_!!! ,、 ,..-ヽー'',,.. ' ノ`丶--'ー--、 -―--、 + + +
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ヽ_ ノ ヽ::::::::::::::::::::::::::::::! >>654
それで悟っちゃう奴がいるかもしれない不思議w すみませんw新しいスマホの操作が下手で
実相だは刹那に全てが流れさっていってるんだから
「自分」や「誰か」や「何か」と固定した対象とかが成立しない
自他と二つにみるのがそもそも妄想で
だから「相手」への怒りや憎しみ、羨みや蔑みなどの「悪徳」がそもそも成立していない
実相で懺悔するとはそのことを思いだし、
二つにみる妄想をやめるっていう風に
私はとらえていますが… >>657
確かに、自他は分かれていませんが、それは、相手がいないとか、自分がいないというのとは違うのです
それだと、なにやってもええやんかあ
になりそうw
分かれているけど分かれていないと、上の方で先生が言われてますが、まあ、そーゆう見方の方がぼくは好きですねww
不一不二とかいうんでしたっけ?
これは
あー、
ひとつでもないし、わかれてもないか爆笑 >>658
じゃあ坐禅マニアな分が余計事のゴミなわけだ。捨てなさい。 >>660
そういうのを「空病」っていうらしいですね
坐禅やらでその「自他一如」の本来のありようを「体験」した人が
おかしくなってしまうことがよくあるとか 身に纏おうとするから病気になるんす。元の在りようが空であって分かったってもんじゃないんす。
分かった、知った分がゴミなんですわ。捨ててください。 ありゃ?ハジさん少し変わったかな?
あのウンコ菩薩も改心して丸くなったし。やっぱ人って変化すっぺ。 >>668
いやあ
酔っ払ってただけやに
しかし、あれやなあ
ホンマに教えなんかなかったらいいかもねw
それで喧嘩してんのやもんなあ
世界も 宗教は基本ね
騙す奴がおるからね
ほんまやで??
だから、ほんとに気をつけないと、危ないんだ
騙す奴は絶対に不安を煽る
お前のままではダメだけど、このなんちゃらテクニックを使えばーみたいにねwwwwww
そんで、俺は教祖様さ爆笑
また今日も酔っ払ってたか、おれ だからねー
このまんまでダメっていうやつはアホ
ほんで、ね、お前は、これが、できてへんとかゆーやつもクソ
なんでかゆーと、みんな、完璧やからや
騙されるな
あいつにな爆笑 文脈ってもんが、あるのよ
さっきの、知ってるもんが無駄っていうのは、タイミングが違うのさwwww
あれは、ほんと!
なにしろな、おまえら、宗教には騙されるな!
ようけおる!!!!
空がどうのこうの爆笑
好きな女おもう気持ちの美しさ
生きる美しさを思えよ!!
二度と行き直せないんだぞ
このとき 悟りは、みんなしてる!!
いまから努力して偉い人になるんちゃう!
それが、俺の言いたいことなの
悟ったから、すごいとか微塵もない
あなたは、救われてるのだ
不安を煽るやつを信じるな!!!!
変な幻想を煽るやつもな
絶対に、あなたは、まだまだじゃない
完全なのだ
殺人犯でも完璧である
とにかく、生きた!!!!
生まれた
奇跡の出会いにな だからさ、理論は、いろいろある
しかし、本当の世界で生きてみろよ!
ん?
苦しい時も楽しい時もあるやろ?
ね?
まあ、だいたいアホにされるけどさ爆笑
この教理に反しとる?
しるか、ボケどもwwwwwww
隣の人と話す方が、何百万倍も教理より上やわwwwwwww
アホどもが!!
知る前のそれは、みんな一緒だ!
差別はない
だから、さとりの話で迷うことはない
あなたは、悟ってるのだ
最初から!!!!
こうすればはない
私は悟っている、宗教なんて捨てて、あとは、この奇跡の出会いを生きるのみ
苦しくてもいい!
苦滅にこだわらないでいいのだ!
しつこいかもしれんが、絶対に騙すやつは、相手に伝わらない高尚そうな、わけわからん話をする!!
そして、そういう条件を満たせば、おまえも仏だとか、見性が、どーのいって、悦にひたっとるんだよ、あいつら爆笑爆笑
俺の周りにいる人、一人でも救えんのか?
ん???
何が、お前は、まだ、これを知らんだ
ええか???
みんな、何してようと、完璧である
なぜなら、それは、自分か悪いわけではないのだから
パーピマンは気軽に精神病の人を非難できるやつだぞよ
あたまはいいかもしれんが、
そーいうこと ハジくん
愚痴は貪瞋痴の一つ
酔いたい欲求も貪瞋痴の一つに当たる
愚痴が出る酒を貪り飲むのは良くないよ
五戒の一つに飲酒が戒められてる理由も
愚痴になる事と、それを貪ってしまうからなんだよ
素面に戻ったらID:QSMZhdZTをツラツラ読んで
今度こそ悪人正機として頑張ろう ID:U6vwN1G/ですね。支店長さん。>>565辺りからじゃないか? 良く知ってますね。その人は有名人なんですか。
文章はってありましたが、読み切れないのでぺこ <(_ _)> この馬鹿さはジャンキーだな。臨済特有の周りの読めなさ。 わたし、ジャッキーさんって言うんですか。
本物のジャッキーさん、<(_ _)> >>679 wwwwwwwwwwwwww
また、いきなり脈絡なく、オレのことをww
そんなにオレが気になるの?w
それから、オレがいつ、精神病者を非難した?w
もしかして、「黙れ、キチ外」とか言ったこと?ww おはようございます。
今日はこれが最初の書き込みですよ (;'∀')
2016/12/27(火)のID:IS9P1BdDはジャンキー大山。
>>689
坐禅と見性第113章のスレで蘇東坡の詩の見解に拶処を入れた方ですね?
いやはや、油断できませんねぇ、本物だのなんだの。
ねぇ、ジャンキーさん! >>691 wwwwwwwwwwwwwwww
そうかもなw
では、>ハジ
「キチ外は黙ってろw お前のようなヘタレは支店長にしっぽふって
あたまなでてもらいなw それも出来ねえようなら、「精神病院」に
ぶち込むぞww」
・・・・・こんな感じでいいかな?www ★臨済四料揀
奪人不奪境
煦日発生して地に鋪く錦、ヨウ孩髪を垂れて白きこと糸の如し。
奪境不奪人
王令已に行われて天下にアマネし、将軍塞外に烟塵を絶す。
人境倶奪
并汾絶信、独処一方
人境倶不奪
王、宝殿に登れば、野老謳歌す ★雲門三病
未到造作
鼻の先に悟りをぶらさげた状態で、やみくもに悟りを求めている状態。
已到住著
悟ったと思い、その心境に執着して、さらなる修行を怠っているさま。
透脱無依
瓢箪の川流れのような心境を悟りと錯覚して、そこに安住してしまうさま。 ★洞山五位
正中偏 三更初夜月明の前。怪しむなかれ相逢うて相い識らざることを。
隠隠として猶お旧日の妍を懷く。
偏中正 失暁の老婆古鏡に逢う、分明覿キ面なるも更に真無し。
更に頭に迷い還た影を認むることを休めよ。
正中来 無中に路有り、塵埃に出ず。
ただよく当今の諱に触れずんば、また前朝の断舌の才に勝(まさ)れり。
兼中至 両刃鋒を交えて避くるを須いず。
好手還って火の裏の蓮に同じ、宛然として自ずから衝天の気有り。
兼中到 有無に落ちず誰か敢えて和せん、人人尽く常流を出でんと欲す、
折合して炭裏に還り帰して坐す。 臨済四料揀の私的見解です。
「おっ、休憩の時間だな?」
1.「外の景色でも眺めるか」
2.「首の凝りでも解すか」
3.「ふぅ〜」
4.「さてと、仕事に戻るか!」 「おっ、休憩の時間だな?」という前に 「おっ、休憩の時間だな?」
1.「外の景色でも眺めるか」という前に 「外の景色でも眺めるか」
2.「首の凝りでも解すか」という前に 「首の凝りでも解すか」
3.「ふぅ〜」という前に 「ふぅ〜」
4.「さてと、仕事に戻るか!」という前に「さてと、仕事に戻るか!」
私の感性では、こうなります<(_ _)> >>699
1.事故で昏倒、ICU
2.意識が戻って入院治療
3.リハビリ順調退院間近
4.社会復帰、おめでとさん >>700
ありがとうございます。
「それ」はどう働くのですか? >>701
ありがとうございます。
そうきましたか!
私は3に引っ掛かってたかもしれません。 >>693
てゆーか僕、誰が、どの書き込みか、イマイチわかってないんやけど624とかの神がかりてきな返答は支店長なの?
それやったら、しっぽふってもいいぞ笑 >>708
最初から同じ事しか私は言って無いですよ。
苦しいのは、それから離れるからだって。
でもあなたはその私の忠告を、付け足しているように感じる。
でもそれは違う。
私はただあなたの思い込みを取り除こうとしているだけ。
付け足すつもりなどこれぽっちも無いです。
いずれにせよ、苦しみたくないのであれば、それから片時も離れないようにする以外無い。
でも、それって結構疲れるんですよ。
意図してやっているうちは、なんだかんだ骨が折れる。
ならばそれに取って代われば良い。
成り変わっちまえば良い。
私は最初から一貫して、これしか言ってないですよ。 ハジさん、私など本当にどうでも良いのよ。
ましてや悪態しかつけない哀れな人達など、一顧だにする必要など、これっぽっちもない。
あなたはあなたの内なる主人といつも一緒に居られるなら、それが確かな結果を生むんだからさ。
がんばって。 尻尾振るだのどうだのいっとったらあかんど。
尻尾付かずに四本じゃなく二本の足で立ってんだから、支店長も他の奴もせいぜい踏み台にしていって自立しんしゃい。 そんときゃあ、一緒に酒でも飲んだれや
それが何よりってもんだぜ >>709
なるほど!
それは、ええなあ
まったく同意ですわ、それにはw
知った分だけゴミね爆笑
そーか、そーか
こりゃあ、素晴らしいわ >>710
なんと!
そんなら支店長は悟っとるわ
しかし、おかしいな
思考停止しろみたいなカキコミをよく見かけたのだが、まあ、この意味合いで、出てきたところを、そのまんまにしとるっていうんは、考えないってことじゃあない
そかそか まあしかし勘違いしとるかもしれん
そこで書いておこう
五感プラス意識の働きは、縁によって、不断に移り変わっているが、それらは、見る前に見られている
この前提があっての、今とか、ここ、その働いてある、そのまんまの、姿である
ここで仏さんは、まあ阿弥陀は、常に私と共にあるという認識がある
このところにいる、と言うのは、対象に埋没することではない
なりきることでもない
もともと、そーであるところから外れない
この表現の方が、正解であり、それが無分別である
迷いようがない
その、空であるところの、清々しい有り様に、知った己が残っている
この、知った己の分析によるのではなく、実地にある、その働きそのものであること、身もココロも、それのみである
あとは普通となんら変わらない
ん?
えー、怒らなくなるとかは?
あれは支店長じゃなかったのかい? その五感の起こってる源、白く光ってるのが「心」で、
これを「法」って言うんちゃうんかな
んで、「自灯明法灯明」ってこれに従うってことなんやろうかな 感情というのは身体と記憶から形成されている
そして、その核が胸の奥、みぞおちあたりの不可視の空間に星のように浮いている
これらの対象は、苦しんであるのであるが、それは、この奥の魂が、仏の座を知らんからである
しかし、これは表層ではない
奥の話だ
そして、日々、心のうちに現れる、アレコレの恐怖と怒りは、この、苦の核心
ハートの働きが作り出しているのである
心は、思いは、運命をつくる
つまり、全てがロボットのように機械的な、生存の中で、真に生きているのは、この奥の魂に張り付いた思念体なのである
これが愛を求めて、表層のできごとに迷い始めるのだろう
すると、恐怖と怒りが、不足感と貪りから、つまり欲望と願望から生まれている
これを解消しなければ苦しみはある
その奥の存在体は、この場合も働きそのものではなく、外部、この場合であれば、日々の思いに焦点があって、その対象に縁にふれて、外へ出たり、抑圧されたりしている >>721
おおw
ここにも覚者がwwww
そーいうことのようですね
大安心ですわ >>721
ここも僕が勘違いしているとアレなんで、書いておこう
白く光っているというのは、見る前に見る、聞く前に聞く、その働きそのものに、焦点が、つまり注意力が当てられた時に、不思議と現れてくる光なのである
それは、たぶん気絶する時に現れる、あの白光なのです
そして自己のうちには、外界も内海も含めて、これに包まれている
こころが、ここから外れると、苦しみが始まっているのだ
自らに注目することが、ここでは、法に触れる、つまり、法に照らされることとイコールになっている
そこから、どこへ外れるのかといえば、分別の世界である
つまり対象、この場合、外界も内も含めての、諸々の活動である
しかし、ここで、この仏を認知することは、同時にできる
そして、その、大安心、の中で、離れない
懺悔があれば、懺悔である
これがあれば、これのみである >>724
わたしは覚者とかそんなんじゃなく
ここはガチの人がいらっしゃるから書き込んでみとるだけなんですが
なんかよう判りませんけど
そういう光とかの意味付けでなく
思い全部手放したときに
私の場合は眼二つの後ろがわに白く光ってるものがあるイメージがでて
これが「心」ではと言ってるだけです >>725
そーでしたか!
僕には用がなかったのかなw
失礼! >>726
いやいやそうではないですよw
ハジさんの書き込みも拝見して踏まえた上ですもちろん >>727
その光に溶けることで、光は拡張します
そして、それは、見るなら見る前の働き、つまり、五感プラス意識の働きに注意力が、焦点が合わさった時に不思議と現れている
目の後ろにある光を、あなたが見ている
その、あなたの側が、その見るという働きから、つまり、光の側と同一に溶けていくと、その光は拡張しないですか?
ぜんぶを包んでいる
光に溢れている
その中で、その光は質感もあります
愛の感触
それは、心にもあります
どこにもあります
花を見たら、花にもあります
まあでも、これは自信ないなあ
参考程度に >>720
>ここで仏さんは、まあ阿弥陀は、常に私と共にあるという認識がある
阿弥陀さんは過去仏です
つまり過去の事なんですよ
常に「私」とともにあるのは「今」なのであって
阿弥陀さんは過去ですから「今」ではないんです
だから、阿弥陀さんに全てをお任せする訳です
それは過去にお任せする訳ですから手放す・拘らないって事なんですよ
過去は手を付けられませんから
それでは今はどうか、ずっと今です
過去を思い出してもそれは今です
未来を想像してもそれも今です
いつも過去未来を思うのは今なんです
行なうのも今です
この「今」が釈迦仏なのであり、現在仏とも言います
常にともにあるのはこの現在仏の方です
因みに未来は弥勒菩薩にあたり、今は菩薩ですが未来は仏と言われます >>728
こころの底に溜まっている、つまり、感情の奥に渦巻いている、カス、いろんな傷を癒していくと、外界は新鮮になる
光の質感は、全部に現れてくる
石ころが光まくる
なんか食べたら、凄まじくうまい
新鮮で生き生きとしてくる
それは生命の働きが、自分と繋がるからである
思念を捨てると、かがやくと言うのは、思念の中に囚われていた、注目が、他へ向くからであろう
宗教の修行なんかで、感じることへ、この注目を移そうとするのは、その働きが、自己ではないと気づくためなのだ
んー、どうも表現が下手くそやな
心が洗われると、光に満ちる
それは見るなら見る、聞くなら聞く、そこにつねに不断にあるのである
神秘主義なんかで意識の光と、呼ばれるものだ
すべてに浸透している
スイッチが入った時、まるで、対象世界に新しく生まれたかのようになる
飛び込んでくるのだ
しかし、それは、もともと、そこにいたのである
不二とか非二元は、ここを説いている
こっち側があって、向こうに光があると見ている、そのこっち側の、わたし
それが、本当はないのであるwwwww
アカン!
この分かりづらい書き方、、、 >>729
ムムム
難しいですね
その今ある、常にある現在仏、釈迦仏というのは、どのような感じでしょうか >>731
坐った時の感じ
禅宗なんかじゃ、釈尊が悟った瞬間というのは
坐禅中に明けの明星という「私」に気付いて悟られたそうな
誰が「私に」気付いたのか?
端的に言えば「明けの明星が」となる
わかるかな?
気付く私と気付かれる私とがここで言われる
では気付かれる以前は何なのかって話
それが現在仏
別名涅槃の事なんですよ >>731
涅槃は常に寄り添ってるんですけど
何かに気付いた時点で涅槃は「現世」になってしまうので
思考してる時とか、考えて涅槃はどれだろうとやってるその様の時は
涅槃じゃなくなる訳です
涅槃は世間と表裏一体で、思ったらそれは世間
思いが滅したならそれが涅槃って訳です
因みにこの書き込みは説明ですから涅槃じゃなく世間に過ぎません
世迷言と大して変わりませんので鵜呑みにされませんように 世迷言じゃない時なんぞ、きっとないでしょう。
言葉を見れば頭での解釈やりくりに追われるんですから、それは鵜呑みしちゃいかんですね。
涅槃悟りも弄って遊べば迷いですね。
このスレが立った時は糞スレがたったと思ったもんだが、色んな人が集まって楽しいね。 >>719 >>720
怒りや苦しみ、悲しみ、喜びという感情は、皆それぞれ一つの観念から生じる。
観念とはその人固有の主観的な考え方の事です。
こうあるべきと言うその人の思い込み、いわゆる物差しの事。
この思い込みに適っている時人は喜び、適っていない時人の心は怒り悲しみ苦しみ悩むという感情に支配される。
つまり喜びも悲しみも、この観念と言う一枚のコインの表裏と言う事なんです。
物事にこの観念、物差しをあてがわなければ、ただそう言う事が有ると言うだけで、殊更どうってことのない日常の一コマで終わる。
この観念は出会った物事を二分して見る計らいの心から生じる。
そして出来てしまった観念は、その観念を補完するような計らいを繰り返している限りにおいては、決して無くなる事は無い。
感情に翻弄されたくないのであれば観念を滅する以外に無い。
そしてこの観念の上から物事を思い計らうのを凡夫と言い、観念無く思い計らうのを仏と言う。
だから、そのまんまなんだからと観念を持ったまま世間を判断するのとまったく赴きが違うと言う事を理解してほしい。
我利我欲の上の思いなのか、我見を挟まぬものの見方なのか?
そしてこの観念を滅するのに用いるのが、あなたの言う光であり、仏で有り、私の言う無念、無想、無心。
常並みの人は、こう言う思いは邪だ、こう考えるべきだと、観念の入れ替えは可能だが、決して滅し切るには至らない。
この本来の面目に気が付いてはじめて、観念=我という思いから少しずつ離れられるようになるからだ。
この本来の面目、つまり如来蔵が開き、仏種が手に入ったとしても、従前と同じような心持で生活していては、凡夫のままで、本当の仏の安心を手に入れる事はできない。
この仏種を心の大地に撒き、無念の肥料を与え、無想の水を注ぎ、無心の光に当てさせ、害となる雑念という雑草はこまめに抜き、そのように手を掛け心を砕きしてはじめて、成仏という仏果を手にする事ができる。
ご理解いただけたでしょうか?
まあいずれにせよあなたはそれを手にしたんです。
あとはあなた次第、がんばって。 >>737
前半はまあまあ。
後ろの方は、願望が
入ってる。
成仏?????
思考の産物に戻っとる。 支店長はアル中という物差しで見るのは構わないだろw
アル中がどの面下げて講釈垂れてんだって見るのも構わないだろw 仏がどうとか、本で読んだ知識が頭にある人は殆どダメだろうな
その枠でしかモノを見れない >>732
んー
つまり対象のことですよね
対象が涅槃
対象がわたし
対象がわたしの動きに気づく
とか?
そのわたしの動きも対象と気づく
涅槃
消失したところは、わたしの消失しとる様
まあねえ
その対象が踊り込んでくる中に消失してるんは、よく禅の人がいいますね
三昧とからなりきるとか、目の前の自己とか?
みんな言ってる
すると自分は消えてるとね
これは意識的にせんとあかんくなる
まあ結果的に、そこにいるわけやけどね
その今こことやらが、現在が仏さんかあ
いまここなんてないよwwww >>734
あーだ、こーだ、やっちゃうねー
懺悔はよかったなあ
このスレはよく教えてもらってる ID:2OiMeLOY
凄いですねこの人w
ガチ過ぎて震え上がります感動しますよ 生意気言っちゃうけど、我々も古仏や祖師方の通過点に
過ぎないんだな。
今更ながら、見性すればおわりじゃなかった (^_^;)
見性はまだまだホワホワしたもんだから、四料簡、五位、
十重禁戒と参じて確かなものにしないと。
俺はまだまだダメなのよw >>737
おまえはアホと面と向かって言われたとしよう
まあ、それか、お前は何もできん役立たず
それに対して腹がたつ
腹が立ってもニコニコしとることは可能でしょうが、腹が立たんのは凄いねえ
まあ、感情ってのは、感じるところから来るからね
もし、感情がなかったら、感性が、かなり萎縮しとる可能性もあるね
怒ったら泣いたり笑ったりせんのが、いいのかどーか
あるけど、気にせんのか
まあでも良寛さんみたいな天才もおったみたいやしなあ
その外れないのが身につくのも可能なんかも? ジャンキーさんも恐ろしいw
「誰か」と「自分」の「正しさ」という思いの上でぶつかり合ってる
オウムの人らを評して
「磨甎だから事件を起こしたのも道理」
といわれていたのはハッとしました >>741
支店長もアル中なんやんなあwwww
酒飲むと鬱になるぼく
まあ、どう見るかは人様々やね
戒律守っとる人に酒でもどーやと、聞いたら、酒は飲めん、酒も飲まんのは人ちゃうなあと、
そしたら怒る
人間ちゃうんならなんや
仏さんやあ
ゆーたら、笑う
と本に書いてあったは、坊さんも、そんなもんやろww >>742
そやね
どうしても、自分に枠をはめちゃうからね
こうでなきゃあならん
そんなもんは、本当はないんやなあ
何したって済んでく
今年も悪いこともええこともあったけど、済んでしまった
人生も済んでしまうやろな
元の木阿弥やwwwww 「本」に書かれてあることは「言葉」やからね
「人のはからい」の入ってる「有為」だからね
実際である「無為」とは決して重ならない >>749
いやいや、ジャンキー大山はダメなんですわw
恐ろしいといえば>>701ですわ、あれ観て冷や汗かきました (^_^;)
このスレは切磋琢磨出来る良スレですわ。 >>753
うーん
私にはレベルが違ってまだ早いとは思いますが
3に引っ掛かるというのは
本来を「本来」と思うものがまだ隔てになってるってことかと捉えましたが? >>748
言葉は聞こえますよ。
意味も分かる。
でも、聞こえたその言葉に力を与え、感情を波立たせるのは自分以外居ないでしょ?。
なぜなら、言葉なんて聞こえたそばから雲散霧消している。
それが現実であり真実なら、こちもその真実と同じ働きをしておれば良いってだけの、単純明快です。
とは言うものの感情が無くなる訳ではないですよ。
人の悲しんでいる様子や、幼い子供が必死に何かを為そうとしている様子に、涙がいきなりドバーッと溢れたり。
ただ物差しが有る為に働く卑小卑近な感情に振り回されないってだけでさ。 井上義衍さん関係をネットで検索したときに
「鑑覚の病」とかいう言葉が出てきたけど
それのことなんかな >>750
うん、酒は旨いなあ。
特に日本酒はやっぱり美味。
でも日が暮れるまで一切飲む気は起こらない。
結局俺の場合、一日の終わりに行うセレモニーみたいなもんでよ。
言ってみりゃルーチンワークだな。 >>754
そうですね。
人境倶奪〜并汾絶信、独処一方で、まぁ主観も客観も無いところ
なのですが、「ふぅ〜」している自分(主観)、「思うもの」が
まだ残っておりました。 >>755
人の悲しみが分かるためには、記憶と経験が必須だろう? >>701
読みました。これを書くのは?<(_ _)>
たいがい3にぶつかると思います。積極、非積極 >>762
おぉ、そこまで観られてますか。
現れる仏法、現れない仏法。 >>743
対象じゃないよ
ぶっちゃけ、対象とか呼んでるのも全部神経を走る電気信号に過ぎんじゃないですか
それは体の中で起きてるんでしょう、外ではない筈だと思われます
電気信号は対象なんですか?
視覚も聴覚も嗅覚も味覚も触覚も意思も体の中の出来事でしょう
坐禅は先ず、そこを観察して掴まない訓練から為される筈なんですよ
どうして外の出来事に思いが行っちゃうんでしょうか
その外だと思い込んでる色々も、結局は六根と言う内側の出来事に過ぎないのにです >>762
そうそう、虎の欠けたるが如く、馬の夜目の如し。
鏡になろうとして、却って鏡の埃となるようなものな。 酒が旨いという己の観念でがんじがらめにし
夕方の晩酌を楽しみにして、執着し
翌朝には二日酔いで腐った脳ミソで、あちこちのスレに出向いて
自我肥大した俺様野郎ぶりを遺憾なく発揮されている
支店長に乾杯! >>766
横から失礼しますが
その「六根の内側の世界」というのが
本来の様子においてでは
刹那に流れていってる無相の上に光ってる玉みたいな感じなんでしょうか? >>769
あなたはどう感じてるんですか?
刹那に流れていってる無相の上に光ってる玉みたいな感じなんでしょうか?
そんなに難しかったら日常生活に支障が起こらんでしょうか
敢えて言うなら、六根(六触)それ自体が既に無相な筈なんですが
違うという人も居るんでしょう 補足
無相と言うのは別相を持たないそれだけって事で、別名実相とも言います
なので
>無相の上に光ってる玉みたいな感じ
では、無相+光ってる玉と言う多相(この場合二相)を言う事になってしまいます >>771
いえ、訳も分からず言って申し訳ございません
半年ほど前にそういうイメージみたいなのを一度だけ経験しただけなんで…
その時は、光る玉の中が普段経験してる「世界」で
その下の流れていってるなんかようわからんものが「全部」で
自分の体はその一部分なんやな
と、そんな感じでした ちゃんと学ばんといけませんねw
正法眼蔵も読み進めようと買ってあるんですが… >>773
そうですか
別に詫びる様な事ではないと思われます
道しるべとして私が指をさすとしたら
坐禅なりをして、あるいは心血注いで考え続けてもまあ良いでしょう
結果的には解明されて、何も残らない、残せるものが何もない
と諦められたら、そこが目的のところなんじゃないかなと思われます
念仏・題目・真言・坐禅、これ全部理屈抜きで諦める為の単刀直入の手法です
お好みのものを選んでやってみるのも良いでしょうし
これらの手法に共通するものは何かを探してみるのも良いと思います >>748
この例でいうと
こいつにアホと思われても、言われても自分には一切関係ない事だからなんとも思わない
現象や感受を解釈しなければ存在しない、的なモノの考え方もあると思う
ただなぜ反応するかを知らずに無反応でいるのはただ単に精神を木偶の坊にしてるだけ >>775
本当に有り難うございます
自分で「良い」と感じる参究をすすめます >>775
俺にはそれらは理屈抜きで木偶の坊になるためのツールに思えるなあ
既存の坐禅やら瞑想やらの問題がそこにある
というか本当の問題に触れてない 自我肥大した俺様野郎で、他者にマウントしたいだけの
アカン奴、支店長の舎弟の自称「禅定2ちゃんねるでNo.1(プッw)」のでおー様であらせられますからね(笑) 念仏やら坐禅は、問題に対して麻酔を打つようなモノだ
病気が麻酔が効いてる間に自然治癒するなら問題がない
でもそうじゃないなら根治が必要となる
じゃないと永遠に念仏を唱え続ける、つまり麻酔を打ち続ける人生になる >>779
例えばこの人
この人は怒ってるわけだけど
この人が坐禅組むか念仏でも十時間位やっていればこの人の今の怒りは消える
でも、この人がなぜ怒ってるか?という根本的な問題は残ったままになるし
この人はまた、自分と違う意見を言う人を見たら起こる。パブロフの犬のように >>783
怒ってるのがわからないのは木偶の坊だからだよ?
言ってるそばから体現してるじゃないか 怒りがなぜ起こるのか?
それを怒っちゃいけない、止めなくてはいけない、坐禅だ坐禅だ、ではなくて
なぜ人は自分の信じてるモノやら、自己同一化した物を否定されると怒るのか?
そちらを知る方がよほど大事だという話。 苦しいと感じるなら一層励めるのであるから、それは喜んで受け取り勤しみ、決して安住してはいかんぞ。 支店長と言えば、でおー。
でおーと言えば、支店長。
それが分からんのはにわかだ。 >>788
例えばこの人はこう書く事でこの人の、『人より優越したい』という自我の欲望を満足させようとしてる事がわかる
『俺はお前よりも上だから、そんな議論など相手にしない。まあ頑張って俺の所まで登ってこいよ』
という演技をする事でこの人は自分の自尊心やプライドを守ろうとする。
なぜそんなに彼は自尊心を守りたいのだろうか?
これがわからないならどれだけ仏教を暗記しようが念仏唱えようが意味がないんじゃないか? 俺はお前らが、チンコに毛がはえない頃からこの板で観察してんだよ。
なめてんじゃねえぞこら。 >>788
では自分の場合、この人のまあ頑張れよという言葉に対してどう思うか?
ジミー大西なら「お前も頑張れよ」と言うだろう
それはジミー大西なりの自尊心を守る方法だから
でも自分の場合は、そもそもなんとも思わない。
なぜかと考えると、この人に何を思われようが自分には本当に関係がないし、この人の意見も人生観を変えることも不可能だという事がわかっているからだ
この時、坐禅も念仏も必要がない >>793
なんで舐められたくないの?
それが観察できてないのは君が木偶の坊だからだよ
最初から言ってるじゃないか >>795
誰がなめられたくないと言ったんだよ?
お前相当なバカだな(笑)
俺はお前らがなめてくるのは計算ずくなんだよ。
俺に喧嘩売っても無駄だ無駄、ハッハッハー(笑) >>796
俺の自尊心は守れるぞ、って言いたいの?
なんでそんなにあなたはあなたのその醜い自尊心を守りたいのかな?
是非教えて欲しい
俺は君の自尊心なんて塵と同程度だと思うんだけど
どう思う? 俺は支店長と議論してんだよ。
逃げも隠れもしねえぞこの野郎。 >>798
お前なんて相手にしてないから、バイバイ(笑) >>800
少しは考えたら?
なんで君はそんなにその醜い自尊心を守りたいの? >>786
「毒箭の例え」と言うのがあります
この場合、箭は攻撃、怒りは毒気に例えられるでしょう
毒の種類や箭の飛んで来た方角、箭を射った人物如何など
それらを検証し分析完了するまで箭は抜かない、とかやってると
毒は全身に回って死んでしまいますよ、と言う例えです
大事なのは毒の種類などではなく、その解毒治療の方なんじゃないですかね >>802
その例えはあくまでも来世だとか魂の有無を説明する必要がないという事を例えたものですね >>803
一秒後は既に来世ですよ
一秒前も既に前世です
魂の有無とその根拠は、君自身にあるんじゃないでしょうか
生きる理由がもし分かってるなら簡単な話です >>805
>>806
>魂の有無を説明する必要がないという事を例えたものですね
と君が書いたのでは?
毒箭の例えから来世だの魂だの説明だのを言い出したのは空耳・錯覚だったんですかね >>807
だからよく読みましょうね?
その例えは〜〜という理由で今回のその例えにはふさわしくありませんよねって書いてありますよね?
本当に短絡的な人だなあ
注意力が足りてないね >>808
怒る理由だのを探すより、怒りを静める方が良いと書いた訳ですが
読めませんでしたか、そりゃ失礼しました
紐かな? 支店長様に次会えたら、人が神仏の乗り物云々のお話と日本神話の本当の解説を聞きたいものです。
キリスト教の、「天にましますわれらがうんたら・・・」の、あの天も、自身の心のことらしいですね。 >>809
ですからそんな事を話したわけではなくて
例えが全然見当違いだと思うという話をしたんですけど
怒りは人が実感できますが、魂の有無はそうじゃないですよね?
釈迦さんは魂だとかの話の前に怒りについて考えようといったわけでそもそも真逆
例えとして見当違いと書いたわけです >>809
付け加えると、最初から怒りを鎮めるだけなら麻酔薬打ち続けるのと同じ事だ、と書いたわけです
それがそもそもの意見なんでその文も意味があまりない なるほど、これが「勝義諦」か…
隠語のように分かる人同士でやり取りされてるわけやね >>811
怒るのは許せないからでしょう?
許せないのは欲でしょう
欲は貪瞋痴に含まれませんか?
貪りは欲じゃありませんか?
怒りは瞋りと違いますか?
仏道に怒りは必要ですか?
簡単な話じゃありませんか >>814
最初に書いたのは
仏教という枠で考える人はそこから出られないから、結局はその枠でしか物事を見れない
で、あなたはその枠でしか物事を見れないから現実を見る事ができない
そういう主旨です
怒るのは許せないから?
そうですか?
怒りは独自で個別性が常にありますね?
必ずしも一般化はできないが
許せないから、という場合もあるしそうでない場合もあります
怒るのは現実を見てないからです。
本当に端的に言えば。
そして貪瞋痴とかの知識は現実を見る妨げになる 現実を、仏教という言葉に当てはめようとしてしまう
現実はもっと多様なのに
自分の中で納得したシステムに現実を当てはめようとする
そんな事をしたら現実を把握できるわけがない そうですか
怒るのは現実を見ていないからですか
現実ってどの現実の事ですかね >>767
やっぱり、三日かかりました。
ジャッキー大山さんのおかげです<(_ _)> >>819
例えば仏教にかぶれている人は仏教という色眼鏡で現実を見る
これはあの本に書いてあった事と同じな気がする、これはあの本に当てはまる
こうやって意識をある特定の思考パターンに隷属化していく
まるで受験マシーンのように、パブロフの犬のように。
現実をパターン化しようとするんじゃないですか?
それだと現実を見る事はできない
なぜなら現実は本に書けるほど単純ではないから
現実を本当に偏見なく見るためにはもっと率直さ、素直さ、冷淡さ、そういう状態が必要
思い込み、ドグマ、恐れ、プライド、エゴ、信念
こんなものを持ってたらそれに適応させてしまう >>748
もう一度この例で考えると
他人がそう言われていて腹が立ちますか?
立つ場合もあるでしょうけど、基本的には他人がアホだのなんだの言われてる分には平然としていられますね?
なぜか?
他人だから。
それが判れば、この場合の怒りは自意識の問題だと気づく事ができます
許すとか許さないとか、貪瞋痴がどうした、とかそんなものは現実を曇らせるだけだとわかる
現実を本当に見たらそれがわかるはず
もっと普通に、率直にそれがわかる >>782
ええやん、それ!
それ、いまのワシですやんかww 自意識とは、本当についてまわる。
わかっていても。後悟の修行というのでしょう<(_ _)> >>821
>>822
なるほど
で、君は仏教の何を知ってるのかな?
生きている意味を知ってるのかな?
生きている意味を知っているなら確かに仏教など縁無き人なのでしょう
生きている意味をもし知らないと言うのであれば
君は仏教の何も知らないと言う事であり
それは現実を知らないと言う事にもなるんですよ
生きている意味を知らないんですから当然です >>825
まず、仏教を絶対視しすぎ。
なんでそんなに仏教を絶対的なモノだと思うわけ?
ただの言葉でしょ?
誰かが書いた言葉にすぎない
言葉というのは現実とはかけ離れている
そんな言葉で生を描けるわけがない
現実は仏教の虚実全てを完全に内包するが、仏教はこの現実のほんの一面すら捉える事はできない 感情は体で感じるものからくる
もちろん記憶のループ再生で後悔してるのも、あるけど、それも体が受け取ってる
それで、この首の後ろくらいにピンと反応してるんがあるけど、これが自意識でしょうか
プライドは本当に克服しがたい
素直になればいいのに、あーだこーだ言ってから相手を立てる
もしくは、見て見ぬ振りをする
それでも、それは魂には残っている
この、溜まりに溜まった感情の壁は、天井の静寂に流すこともできる
まあ意識が働いているという条件付きで
しかし、そんなものは役に立たない
それよりも素早く感じることが働くときがあるからである
そうなってくると根本の何かが、変化しなければならない
そこが分かってないのだぼくは 誰が仏教を絶対視してると思ったか?
それを見いだしなさい。
m9(^Д^)プギャーw >>824
そうそう、見性したら見性したで、俺はすごい、私は偉いと言う思いで逆に自分を縛り上げ、以前にも増して鼻もち成らない、つまらない者となったり。
いろいろありますね。
でも誰の為でも無い、自分が本当に救われる為でさ。
それで本当に自分が救われれば、また人をして救う事が出来るように成ってさ。
いずれにせよ、教師も生徒も共に自身の中にあるんだから、これほど都合が良いことは無いですよ。
本当に有難い事です。 >>826
>ただの言葉でしょ?
>誰かが書いた言葉にすぎない
そんなもんを当てにしちゃあなんねえ、とお釈迦様は教えてくれてますからご安心を
>仏教はこの現実のほんの一面すら捉える事はできない
つまり、君は君にとって現実の一面すら捉える事が出来てないって訳です
仏教って最初は他人の言葉や書物から、ってのは確かですがね
しかし、聴いたまま読んだままなら、それは音であり記号に過ぎず
そんなもんをいくら理解したところで何の役にも立たない筈ですよ
仏教が伝えたいのは仏法なのであり、仏法は仏道で成り立つのであり
それは君自身それ自体の事なんですよ
今はそれがちゃんと出来てない訳ですけどね
でも仏法からは逃れられませんからその通りになる
生じたものは必ず滅するじゃありませんか
それなのに不生不滅だとも言う、それは何故かと言う訳です
それが君自身なんです、他人じゃ決してない
君自身がその核心なんですよ
分からんでしょうけどね 晩酌に舌鼓を打ちながら、ひっくひっくして
なはーにが悟後の修行だよ、ほんと笑っちゃうよ俺。
他人にマウントしたいだけのアカン奴。
自我肥大した俺様野郎。 >>824
悟後の修行とは、悟ってからの話。
悟りってそう簡単じゃ無いのに。 支店長「俺様は悟ったんだぞ、ヒック!」
「俺様は悟ったんだ、俺様の言うことを聞け、ヒック!」
「俺様は悟ったから、今は悟後の修行中だお、ヒック!」 >>830
例えばね、パチンコ狂いの多重債務者が借金で苦しんでたとしよう
そいつに、三毒がいかんのだ、とか言ってもなんの解決にもならないんだよ
だって当時のインドにパチンコもサラ金もないんだから
だからそういう人にはアディーレ法律事務所に相談しな、とかギャンブル依存症治しなって言うしかない
仏教じゃ現実はどうにもならん
釈迦がパチンコについて語った経典ある? >>830
何度もいうけど
ようするに仏教なんかに囚われている限り、本当の事は見えない
君が見てるのは色眼鏡だよ 仏教は教義重視でなく、あくまで方便なのでは?
全ての物事に仏教は通じているのでは? >>834
>>835
一闡提には仏教も無用でしょうね
お気の毒ですが仕方ないんですな
それも現実ですから 悟りの前の修行と、
悟ってからの修行とは、
内容がまったくちがう。
誤ると困ったことになる。
という事。 >>835
薬師堂法要という行事を坊主はする
近所のおっちゃん、おばちゃんはお金を出して、ご飯も出して、歓待
火を焚いて厄を払ってもらう
それで、まあ、ここの厄払いは効果抜群やでなあと安心する人もおる
坊主は酒貰って満足や笑
そいで、まあ、ちょこっと話しする
ええ話
ところが、もし、そのパチンコ依存症の人が借金で悩んでも、坊主はほっとくやろなwwww
うまい飯食わしてくれる人と、俺の教理に適合せんから、お前らアカンの人とwww
まあ本人が悟った思たら悟りやろw >>841
悟る悟りは悟りに非ず、悟らで悟るが悟りなり
らしいですよ 無功徳無一物なのに悟り背負うのは違うのでは?見性しても誇ればお荷物でしょう。
何が変わったって右左見て彷徨うのやめただけでしょう。 ほな、最初からいらんやろ?wwww
教えとか笑
苦しんでいる人を助けるのに意味があるんやろ
汗水たらして作った、たべもの、坊主にあげて、お金もあげて、自分は優れてるなんておもわずに、まあ、苦しみながらも、仏の功徳を信じてる普通の人と
悟りの教説振り回して、お前らダメやダメやあああああ
俺のが上の悟り!!!
ふふふ
の人とどっちが仏だよ爆笑 宗教で金巻き上げとるやつが言うやんか
これこれ、このような素晴らしい快楽があります
そこに至れば安心なのでーす!!
さあ、じゃあ、どうすれば、そこへ至れるでしょうか??
ぼくは、こんな経験しましたよ
ふふふ
そのお陰で、なーんと、大安心です
しかし、ここに至るには、こう言う話だけではあきません
秘訣をお教えしましょう!
まあ、金払ったらねとねwwwww
それで遂に、その訳わからん、創作から、ぼくのように、ほんまに安心を見出したら、そんなもんはアカンと
捨てなさいと爆笑
つまり、最初から、悟ってるんやわ
だって、差別なんかないところに、教えで持ってきて差別しとるだけなんやから
天地の道理に反するもんが、ひとつでも、ありえるわけがない
気づくか気づかんかだけ
だから悟ったら優れとるとか人格者やとかは、ウソ
誰もが、そこからはずれてないんやって ルーミーっていう宗教的天才が、師匠と初めて会った時に、ルーミーくんは天才学者やったんよね
ほんで貴重な本いっぱいもってて、学識豊富で、みんなから尊敬されて、家族も子供も幸せでゆーことなし
ある日、本を担いで歩いとったら、汚らしいホームレスのジジイが、そんなに本ばっか読んでるどーしたいんや??
あんたには、わからんことや!!
バーカ
とwwwww
そしたらジジイが本を水ん中へ落とす
慌ててひろたら、ひとつも濡れてない
そこでジジイが、これこそ、お前の知らんことやろーとwwwww
ね、現実のが上やろな
ほんまに濡れやんだんか疑問な話やけど笑 わたしは、凡夫でね、見性ごととは縁のない人間。ただ、感と受がわかるだけ。
まぁ、血がのばれば、我をわすれることもあるけど。
今回、ぬけだせるのに三日かかったwこんな、わたしに、誰かさんは、勝義ではなしかけてくれた。
話してているうちに、感と受がまた見えてきた、あの書き込みは、自分にもいっていたんだな。ありがたいです。
唯仏与仏、仏と仏の戯れに、凡夫はあきれるばかりである。凡夫、怒る者もいる。そんな中、何をされても笑っているのは、長老の仏様
仏と仏の戯れを、理解するには、仏に成るしかなく。
みみず、これはブッタの境地である。と思う。<(_ _)> たいしたものです。簡単に言えることが。
凡人にはなかなか言えない事です。 ちょつと趣味入ってしまうけど
人間には感覚、感情ってもんがあって、動作もしとるわな、行為な
それで、それが自由意志からだと思っとるわけやわな
そやけど、よく見ると見る前に見られとるってことは、自分が何かしらする前に行為がおこってしもーとるってことにやるやんか笑
どこに自己責任がでるんだよ爆笑
そんで、それを感受しとる自分というのも、ほんとはないわけや
感受はある
傷もある
しかし、その向こうには本体がないわけやろ?
どーやって差別するんやよ
悟ったゆーてる人も、悟ってないゆーてる人も、苦しかったり楽しかったりして、ぜんぶ済んでてお終いやんか
そこで、まあ、意識的にいろんなテクニック使ってやるんやけど、結果、心の心棒にたどり着くんだよ
そこが苦の根本やからね
胸の奥の、その苦しんでる魂が、日々の思いから形成されとるわけや
だから、ここの欲望と願望にアクセスする自由はあるんかもしれやん
それが光とか静寂なわけやろな
静かに静かにと口がすっぱくなるくらいゆーとるわ、悟ったという人たち
静寂感のともなった集中で、何かに打ち込んでる時に、一体になっとる
摩訶不思議なところとね
苦しんでる魂が、それですら、その光に包まれてると安心して、それで、救われる
だから唯一できることは、想いを、平安にしているくらいなんだろう
結果、自分が、苦しむから
しかし、そういうのも、全部、このいのちの働きから外れてない
誰でも、どこでも
生まれる前にいたところなんてないわw
じゃあ悟るのがあかんのやったら、なんも苦労して目指さんでもええし、悟りの境地なんか、不要やしw
なーんや、たいしたことないやんかやろ
たぶん
まあしかし、無我って、なんなんやろな
私はおるけど、私のものじゃないとか本には書いてあるけど >しかし、その向こうには本体がないわけやろ?
本体は、確かに無いですね。言葉がこびりつくんでしょう。感情共に。
その二念ともに、だいたい、言葉なんて理解しなければ、ここでのやり取りも成立しませんですし。言葉があるからこそ空回りするんでしょう。
表情だけなら、こいつ怒ってなぁ。で済むし、現実にスズメバチのそばにはよりませからね。
組織に入れば、嫌なおっさんとも一緒にいなければならないかもw 釈迦の話読んでもさ
五取蘊が重い荷物やでとあるよ
体と感覚と想いと意志と意識??
これを担ってるんが、名のある人間
つまりハジなら、その名前のある人
どうやって担うなというと、渇愛やとね
だから迷ってる
性欲のかたまり、生存欲のかたまり、自己優越の欲望のかたまり
で、この渇愛を滅するには放棄することだ
断念して諦めることだ
永断することだ
解脱して執著しない
要するに欲望と願望が苦しみと
ほんで、その、欲望と願望は、愛を求めているんだよね
渇愛だよね
だから愛に触れたら、解放される
それが仏の座なんだよ
^_^
まあ後半は僕の創作やけどwwww
なんにもないのに捨てれるわけないやろ?
智慧とかいうのも、たぶん、静寂のことやろ
静寂に合わさることやろ
心の中が平安なことやろ
それで、溜まりに溜まってる感情が、癒されていくと、回復するんやろ
そーすると、変な考え方すると苦しむから、できるだけ、静かに暮らしたいなあと
まあ、どーなんやろ
そやけど、本人が、そーゆーんやから、前半はほんとやろ? >>858
自我の目的は自我が生きる事
生きるために欲望、快楽を作り出す
愛を求めてるのは自我ではない、自我は愛を求めてるかのように装うが本当に求めてるのは自我の生存だけ。どこまでもエゴイスティックで狡猾で自分も他人も欺き続ける
本当の意味での愛は自我がなくなった所に存在する
自己が消えた所、自分を捨てた所、自分を捧げた所にだけ存在する
なぜなら本来のこの世界には愛だけが遍満してるから
がしかし自我はそれに触れる事はできない 自我は生きるために人間に快楽を与える
優越感だとか自己重要感だとかそれら全てがその人間の死なない確率を上げる
人はその自我が生み出す快楽原則に従って今日もロボットのようにより多くの快楽を求め、より少ない不快を選択する
自我にとっての愛は、脳みそから出る快楽物質の量で計られる取引に過ぎない
が、人は、本当の人は、自我という生命防御装置を外した人は一体何を求めているのか?
本当に純粋な愛の結晶を求めている
それは自分を捨てた所にしかない。自我を捨てた所にしかない。
だから人は自分を何かに捧げたいと思うし、それは自我の働きに反する、非動物的な行為だ >>860
プライドが邪魔をするんですよね
それを超えていこうとすると、もう、とんでもない効力で、逆らえない
だから、人様の欲求に順応するという愛の行為をしたいのに、できない
泣いても無理だ
どーしても、この自己は克服できない
それは、非常な力だ
とんでもない感情のパワー
何か知らないですかね
意識したテクニックは役に立たないんですよ
ほんとに
深いところで懺悔がないと、、、 そうなんども、なんども負けている
いつも、負ける
怒らないと決めても不可能である
意識していると余計に怒る
選択権は向こうにある
静寂に流そうとしても、攻めてきたら負ける
常に自分に負け続けている
損しないように
得するように
と、あいつがささやく
とんでもない目に合うぞとかささやく
パーピマン、つまり悪魔のささやき
苦しみに耐えようと決意しても、いざ、その負荷にさらされたら、愛なんて吹き飛ぶ
スピードが違いすぎるのだ
感覚のフィーリングが感知している、この感情層の流れは、とてもじゃないが、通常の意識的行為では太刀打ちできない
これ以上の何か
感情層以上の何か、それこそ、神レベルの救いがこないと、無理だ
しかし、ここを超えないと、日常に愛を生きるなんて、高度すぎる
苦しみに触れることができん
困ったもんだ
弱いんだよね、、、
ほんとに精神が弱すぎる しかし、周りを見ていても、別に宗教なんか嫌ってるような人たちで、地位も名誉もなくても、人様のために苦しんでる人はいるよね
文句言わずに、汗水垂らして肉体労働してくれたり、まあ、庭木の剪定してくれる人もおるし、いろいろ困ってたら、背負ってくれる
ほいで、宗教に詳しいひとが、愛に生きてるかと言われたら、まああ、なかにはいるんやろうけども、なんか教えてはくれるけど、ほんとに困った時に助けてはくれんやろーなー
って気もする
まあ、助けてもらう前提とかあかんなww
親切なお医者さんとか、人の役に立って、苦しんでる人は、ほんとすごい
まあ、悟りとは関係ないんやろーけどさw
宗教勉強よーしとるけど、ぜんぜん、人のこと考えれやん
自分のことばっか
もう発想が、俺が苦しいから、なんとかしたいやもんなあ
見る前に見るね、確かに嘘じゃない
真理や
意識光も天の王国も、真理や
そやけど普通に生きてる中で、幸せになりたいわけやんなあ、みんな
寺におるときだけ、はあ、静寂!
っていっても、世の中世知辛いからなあ
難しい難しい
立派な人たちって、やっぱ愛情やわなあ
よく分からんけど、人の役に立ってる
なんで、苦しめるんやろ
んーーー
ほんと、教義って聞いたり、読んだりだけじゃあ身につかんね
まあ、ボチボチやってくしかないか、、、
悟りの本は読んでも、よく分かるんやけど爆笑
わかっても、意味ないなあ 執着する自我から生じる感情、厄介だよな。
これが、できれば、胃も壊さなくてもすむ。細菌、ウイルス性もあるが。
はなしきくだけでも、ストレスたまるからな。さらに過度に動けば、ストレスたまる。
何かと、12月はストレスがたまる。まぁ、最後まで油断しないように。 その点、ひろゆきは凄いは。こういう人もいるんだなってさ。たぶん、悟っとてないぞw 敢えて、この状況をつくりだし、まぁ、修行だと称する人もいるし。
わたし、世話しいの嫌いだし。いられるけどね。
音を出す工事をしている人って、うるさいと思っても、うるさいと感じないだよな。
周りはうるさいけど。 音を出す、これ心地いいんだよなw
音と共に。時たまよぎる。うるさいだろうな。 自然なんて、一義さ。そのなかで、ひとは、二義で振り回される。
その、執着する自我から生じる感情ってやつに。
公案、私は知らないが、一時でも、その中に埋没できれば、癖となるのかな。
理屈を話していは、だめだな。と思うw 人も、自然とはいうもの、大きい組織の中にいる、世俗諦は必要だろう。
一義だけだと、狐さぁw
二義だけだと、だまされているように感じるw >>870
ええことゆーなあ、あなたは
よー、わかってますわ
みんな、たいへんやでな、今の世の中
まあ、いつでも大変やったんやろうけども
かつてないレベルなんなwwww
ふう
悟ってなんかないさ笑
なんちゃってだからね
そやけど、まあ、よー騙されてはきた爆笑
三人にあったなあ
世間では、たぶん、相当な感じやろう人に
あれって、ほんと雰囲気違うんやんね
それぞれに、そらぞれの良さがあって、嘘はついてないんだなあ
楽しいところ、厳粛なところ、清々しいところ、集う人たちが、ぜんぜん違う
社会でも、そうかもね
しかし、みんな優しかったなあ
それだけは共通しとるわwwwww そういやさ
音で思い出したけど、祭囃子が鳴ってんの知ってる?
人間の思ってるより不可思議な力が、この世界には満ちてるんだよね
ファンタジーの御伽の国が
まあ、ゆっても信じられんやろうけどさww >かつてないレベルなんなwwww
その通りだなw今回は、昔とは違う。
AIだ。ロボットだ。新興国発展。テロだ。
文明の狭間にいるような感じだ。昔はもっとテンポゆっくりだった。でも、大変は大変。
年寄りは、あまりの速さについていけない。子供育てるにも、親、共稼ぎじゃ。どこかの施設に預けるしかない。親とは別居。
家族主義か個人主義か。五六対四六ぐらいの割合か。地方は疲弊し、首都は栄。そんな首都も、空洞化。
でも、日本じゃ、働け働け。いや、わかるは、佐川急便のおじさん、きれておわび。
そんなか、悟りを求める。まぁ、いいじゃないの。
子供は、教え育てる。親友がこれに異を唱え、教わり育む。ある脳学者は、ほめ、悪い事をしたら無視。自分で考えさせる。
まぁ、永遠のテーマか。 >>872
>祭囃子が鳴ってんの知ってる?
知りません。
>人間の思ってるより不可思議な力が、この世界には満ちてるんだよね
子供の頃、見いないものが見たからねwあるのかも知れないし、ないのかもしれない。
ときたま、思い出す。現実か幻影かw現実も、幻如し。 >>873
結局、暴力と恐怖の匂いなんだよね
会社なんかでも、友人、家族なんかの関係性の中にも、そーいう影が見えている
まあ、そればっかじゃなくて、優しさに溢れてるときもあるけどさ
武器を持つことで恐怖が生じたとか、お釈迦さん言ってたっけ??
生きなきゃならん、その為には力だ、人を集めにゃならん、欲を刺激せにゃならん、金が一番信用できるみたいな笑
ほんとなら、昔なら、神道や仏道が、救いになってたはずなんやけど、今は、心理学やからなあwwww
フロイト、ユング、アドラーさん
自殺する人も多いみたいやし、ほんと、こころの問題が、えらいことになっとるわw
さとりの話でも意見対立やしwwwww
感情問題は、かなり重要
ストレス軽減にマインドフルネスとか、スピリチュアリズムとかも非二元も流行る
引き寄せの法則みたいな魔術まで流行
悟りは海外から輸入
インド経由の本来の自己みたいな話
ヒンドゥー教?
アメリカの精神世界の流行が、10年遅れでやってくるwwwww
禅も外国人に持ち上げていただいたから流行る
はあ
まあ、でも、いまの世界の問題の、何割かは宗教のことの気がするんやわなあ
日本仏教は、まったくw
今は、みんな、どういうことなっとるかな
妹は塩のお祓いに拘ったったなあ
まあ、自分の問題かw >>874
そかそか
まあ不思議なことは導かれる
オカルト書くとあかんなww
何かに守られたように不思議な展開を見せているんやんな人生
まあ僕は、社会の末端を、生きる、どーしょうもない酔っ払いのおっサンやけど爆笑
そやけど、運命は、日々の思いが、影響しとるよーな気がするんやわなあ
ええことしたら、ええこと帰ってくると思ってると痛い目見るwwww
帰ってこんでもええことしよ、おもてると、帰ってくるときもあるw
まあ、そやけど、生きる欲にかられてるから
秀逸やなあ、お釈迦さまは
そんなことやってたら痛い目みんならんかもという恐怖が、暴力への恐怖が、怒りに繋がってるんかもなあ
子供の頃って、もっと、ゆったりしとった気がするんやわなあ
安全、安全のためにー、なんか人との距離感が、離れてる気がするわ
俺の周りだけかもしれんがwwww なんや、昔の人もおんなじ事言ってたんかww
なるほど大悟徹底ね
いまここ、やら、空やら、無を抱えとったら、悟り臭いやて爆笑
すごいねえ
このまんまでおるのに、悟りなんかいらんわなwwwww
私は悟っているもいらんし
そやけども、まあ、死ぬのが怖いのは変わらんわなあ
痛いのが嫌なんも変わらんしwwwww
みてる自分な
そーかそーか、なかなか、昔の人もスゴイ人もおったんやなあ
まあ、何も変わらんからなホント
あれこれいじっとるだけ無駄やわ
感情なくしたなんて、誰も言わんから、まあ怒ってたんやろな笑
臨済の人に死んだらどーなる聞いたら
ワシにもわからんww
曹洞の人に聞いても
考えてもわかりゃせんww
俺も、しらんw
誰も知らん
死に切るの意味は死ぬことやないやろ?笑
生きることやろな
ちゅーか、悟った気がしたんやけど妄想やったかなwwww 話とってもあれやわなあ
みんな、悟りの境地に一生懸命導いてくださりますわ
悟っとるゆーても、午後の紅茶や笑笑
それは違う、お前は、まだまだ
この経典には、こうあるぞ!!
ハハッ馬鹿やなあと思われとるんやろな
仏道修行も、したことないし、経典もちゃんとしたの、読んだこともないしw
なんちゃっての、極限や爆笑
そやけどネット検索で悟れたかやわwww
なんか、すごいもんやと思われとるんやわな
なんでやろなあ
ぶち抜いたとか死を超越したとか、なんか、釣人みたいなイメージ?
そら、無理やわなwwww
なんも変わらんのやから
ただ、ここにおる、っていうんが悟りで、ここにおるがなくなるんが大悟やろ
済んでしもとるからw
臨済てゆー名前もすごいわな >>877
知れない事は知れないままで良いのよ。
それを知ったように思うのが迷い。
そう言うこって。 >>875
あなたこそ、よくみている。同意します。
本当に、仏教初心者ですかと、逆に問いたくなる。私は初心者だが。
見る前に見るがある。これなんか、すぐわからないと思うが。
パーピマンの言説だってそうだ。
ほんの少しだけでいいのですが、優しくありたいものです。
そのやさしさが、すべて、金で計算されているのか。
保険なんて、統計で決まっているんだから、取れるもんなら取っておけばいい。なんてね。 >>874
オカルト好きだぜw
>オカルト書くとあかんなww
いやいや、おたくが先に書いたじゃにの。
おもしろいし、意識とはそう言うものを見せるのかもね、怖い怖いと思っていると。
彼岸でお墓参りの帰り、高速道路で、居眠運転のトラックが、渋滞の列に突っ込んできたわ。
おれは、たまたま違う車線だったが。
そのなかには、お墓参りの人もいただろうなと。
陰徳だっていっても、本当に何もないし、これ期待したらいかんよ。ミミズの如くあれw
老後はボランティアで座禅会でも開くか。食いもの出さないと、誰も来ないんだよな。たぶん赤字!
商売下手だからw >ただ、ここにおる、っていうんが悟りで、ここにおるがなくなるんが大悟やろ
感心する。 >なんか、すごいもんやと思われとるんやわな
>なんでやろなあ
>ぶち抜いたとか死を超越したとか、なんか、釣人みたいなイメージ?
>そら、無理やわなwwww
>なんも変わらんのやから
これは、私も疑問ですね。
はじさんは、誰かを導いていませんか。
読んだだけで、これだけの事が、わかるはずもなし。
悟っていれば、理解も容易いでしょうが。
おたくは、不思議な方だ。 うちの方じゃ、いろいろとボランティアで、教室ひらいているんだ。
やはり、人が集まるのは、食いものが出るやつ。
食うだけじゃ、何だからと言って、100円おいとくそうだ。
市から、補助金出ていると思うのだが。
その前に俺だw >>878
凡夫として、精進あるのみですわw
いろいろと勉強させてもらいました。
はじさん、あなたが誰だかわからないが、行く道に光を与えて頂いたことに感謝です。
本当に、狐に化かされいるかのようです。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
良いお年を。 >あれと思う。化かされているなw
天狗じゃあああ。
天狗の仕業じゃああああああああ!!!! >>891
笑うしかないじゃないですか。
自分のアホさ加減に!
でも、黙れたことはないぜ。家庭環境がさ。おやじ、黙して論語だぜ。
振り返ると、論語だw >>879
そうだね
でも、そう思ったとしても、全部、澄んで組んだよ
世間で優れたいのには、悟りなんていらない
支店長は悟って無いのよ
まあ、こーいったら本人は怒るかww >>879
そうだね
でも、そう思ったとしても、全部、澄んで組んだよ
世間で優れたいのには、悟りなんていらない
支店長は悟って無いのよ
まあ、こーいったら本人は怒るかww 高慢おぼっちゃまバービーちゃん、なにわのメスサル。
支店長、と色々きてんなあw
皆の衆、あけおめ、風邪が長引いて最悪なのじゃw
ハジも弄り甲斐ありそうなヤシやなあ。
「悟り」かあ・・・
ヒンズー系、スーフィズムぐらいしか関心がないなあw最近w >>895
澄んで行くのでは無いですよ。
はじめから澄みっぱなし。
だから腹の立てようが無い(笑) >>896 >>897
おーう、あけおめ、ことよろ。 >>898
腹が立たないのは、鈍感なだけか観察者が監視してるから。 アルコールで脳ミソが麻痺してるだけかもね。
あるいは、元々自我肥大した俺様野郎で、他人にマウントしたいだけのアカン奴だから
言葉だけで強がってる可能性もある。 >>902
そう、自我が腹を立てないよう監視してる。
二分裂してるんです。 本当に澄んでるんなら敏感になります。
怒る時は怒る。 機輪曽て未だ転ぜず 転ずれば必ず両頭走る
(碧巌録 第六十五則 外道問仏) そりゃあ怒る
でも、それから、笑うw
至った方法はいらない
よく見たらいらないと分かる
最初は、補助輪がいるけれど、乗れるようになったら邪魔になる
あれこれせずに、ここにいる
ただ、この、ここにいると、なつかしい
そして不思議な感覚になる
分かれていない 心の中の在り方が現実をつくる
観察者は常にあるが、それは自我ではない
良心である
そして、それから逃れることはできない
見て見ぬ振りをする
しかし、心に不純な動機があるとタイミングによって、縁によって、それは人生をつくる
苦しみのもとになる
己が己に苦しんでいるのである
こうしたい、ああしたい
が、本来、ありのままを受容するのが宗教である
そして、自分にだけは嘘はつけない 心の底からの懺悔は、損得勘定を抜けている
与えるのが宗教である
あたえるためには苦しまなくてはならない
しかし、この苦しみは肉体的なもので、精神はより晴れやかになる
惨めな思いをしなくてはならない
つまり、ありのままは極楽地獄を包括しているのだ
都合のいいようになるとか、世間で認められたのが、悟りではない
自分の宝なのだ
だれも奪うことはできない 子供と大人は違う世界に住んでいる
子供の世界に生まれなおすのが悟りである
子供は遊んで笑うが、大人は無駄を省く
無駄ができないのは、損得勘定に生きているからである
そして苦しめているのは自分自身である
ただ出会っているのと、考えの世界で、出会うのでは違いすぎる
季節の匂いすらしない人間が多数生きている
もはや感性は、脳内で、窒息したのだ
それでも、傍目には、人間は同じに見える
解放は己からの解放である
ここにいる
ありのままに開いている
それだけのことを悟りといったのだ 確かに最初は方法がいる
しかし、そこに気づいたら、それまでのアレコレは不必要なのだ
観照にあえて注目しなくてもあるからである
だから、なにもしなくて、そこにいく
ここが誰も理解していない
話していても分かるレベル
無相になろうとしなら、あかんのよ
もともと無相にあるんだから、もう、ここにいるだけでいい
しかし、これは、言葉では無理
だから坐禅、念仏がある
しかし、これは、坐禅したときだけのことではないのである
坐禅を別物と見ている
自分がいこうとしたら無理なのである 巷で悟ったと、その秘訣を言っている人たちの、ほぼ全員が悟っていない
だから、それを聞いた人は勘違いする
どう勘違いしているかというと、スペシャルなものだと思っているのだ
しかし、悟りは、はっきりいって地味、爆笑
見ている働きに焦点を合わせたり、呼吸を感じたりするのは最初にいるだけなのだ
季節の中に生まれたら、もう、そんなものは、まったく不要
忘れてしまったらいい
ただ、ここにいる
それを見る背後の自己はいない
そして、世界は神秘になる
まるで夢を見ているようだ
なつかしい、なつかしい
子供のころの祭りを思い出させる
平凡なものが平凡で、そのまんまで、いい >>911
最近気づいたからねw
邪魔してたのが、至った方法wwwww >>912
↑例えばこれ
悟りの体験を語って聞かせる事と比べる事を混同してる。
他人が話してる事が事実でも不実でも関係無いんだよ。
悟るのは自分なんであって、聴いた言葉が悟るんでも聞いたから悟るんでもないんだし。
我と大地有情と同時成道なんだからね。 悟りがどうのこうの言う事すらアホクサイ事だろ?
否定もへったくれもあるかいな。
そのままでいいんなら最初からもうゴチャゴチャ抜かすなよ。
次スレ立てる時は、悟りについて迷ってる人は見てね♪とわざわざ書いておくんやぞ。 >>919
先程の tr8hfIeV さんでしょうか?
貴方の見解は正しいと思う。 己が一人光れば四方を照らし。
管轄を理解し、沈黙は金と知れ。 自分が悟ったつもりの人は
その道を指し示すことはできない。
結局「あるがまま」「そのまんま」「すでに悟ってる」「悟りは簡単」などなど(笑)
悟りを演じてるから、リアルじゃない。
一辺倒でしか語れないのもなんちゃって覚者。
いきなり漢文書き下し文を開帳し、ドヤ顔(笑)
公案開帳し、ドヤ顔(笑)
こんな奴ばかりだ。
仏教初心者にこの態度だ。お前はそれがわからぬかとくる。
お釈迦様は、そんなことしなかったよな?
相手がわかるようにしか問いかけなかった。
要するに、相手の理解力に応じて説明できないんだよ。
なんちゃって覚者は、リアルの体験じゃなく
覚者を演じてるだけだから、アドリブが効かない。 決して覚りがないとは思えませんが、平生受用底に欠くいわゆる
小乗の覚りに甘んじて居られるように思うのです。
つまり、「ありのまま」に留まっていては、慈悲の働きが
ないように見受けられるのです。
それ故、臨済の四簡料や洞山の五位を乗せたのですが。 臨済の四簡料や洞山の五位とやらを用いずに、幼子の手を引くように、最愛の人を導くように、
優しく砕いて出してあげたら?
園児に臨済が〜なんて語ってたら、寝てしまうぞ。
他人を導くには自らも泥に浸かって下から押し上げなけりゃいかん。
大事なお方が息も絶え絶えで今にも死にそうで、そうなりゃ大体必死で傍による。
もっと、親身に慈悲で語られてはどうだろう?
ジャンキー君、自らをまだまだですと言ってたじゃないか。
物申すより先にしたほうがいい事あるんじゃねえか? >>928
仰る通りです。
それ故、その時スレに来ていた方々を観てアップしたのですが。 半年前から、人間を超える存在っているんだなって気づいた。
それまでは宗教心ほぼゼロ。
面白い世界があるもんだなといつも、お礼言ってるわー
文句も言ってるけどw 私は悟っている
まだまだではない
そう見るのが、なんちゃって覚者なのですww それに対して宗教商売の人は、かならず、相手を困らせるのですwwww
困ってもらうか、不安になって、自信を奪うことが大事なのです
今のまんま、そのまんまでは、ダメだけど、これこれ、こーいう教えがあるよと爆笑 それで、教えを聞いて、生活に取り入れて、その不安になった人は、これから、この修行というのをして、悟るんだとねwwww
まあ、ここの話は、そんなことばっかやから、そーいう搾取に会ってない人には意味がない
しかし、そーやって、批判することに意味がないことはない
と、まあ、どうかしらんがww
ホンモノの覚者がいたら、アホくさと思うのもあるでしょーね >>932
ハジさんを否定してませんよ。
でも、世の中には「百尺竿頭に一歩を進む」方もおられます。
そうした方々を揶揄するのはどうかな?との趣旨です。 そのままでいいと言いながら、
>>ホンモノの覚者がいたら、アホくさと思うのもあるでしょーね
じゃあお前偽物かいな、じゃあ最初から口閉じてろよ。 >>923
似て見えるのかも知れんけど、別人です。
ID:tr8hfIeVの見解では正しいとは言えないでしょう。
>>925
お釈迦様には、質問されたらちゃんと解る様に返された、と言う記述は沢山あります。
でも、いきなり難しい事を言って聞かせる場面も探せば結構ありますよ。
それで、それはどう言う意味ですか、と質疑応答される訳です。
これを動執生疑ともいって、「取り敢えず知ってるから」って心をわざと揺さぶって
質問を起こさせるんです。
勤勉で実直な人は、己のプライドを正しく持っているので、分からない事を放っておけません。
だから難解なことを聞いたら質問して理解しようとする訳です。
偽物を見透かせるならどんどん質問されてみては如何でしょうか。
詐称者には握り拳が必ず有るもんです。
「実は知らない」って言うね。 >>934
確かにね
何もしないというのも努力になり得るかなあ
例えば、ただここにいると言っても、この、ここにいるという感覚を身に付けるというのか、そのすべてが起こる手前にいるという発見をするには、いろんな手法があるのかもしれない
見ている働きに注目するとかも、それ
これをやっている目的が、この、ここにいること、ただここにいることなのです
だから、努力は、ありのまんまであることになりますが、それは達成されている
それでも、自分から、そこにいくとなると、自分を見るとか、リラックスするとか、まあ、あるにはあるのかな
さとりの話に限定すれば、なかなか、難しいかもしれませんね
普通に仕事や家族、友人のために努力している人を揶揄したつもりはありませんが、そーとられてもしかたないのかな
んー
なんかすいません >>935
偽物でしょうね
ぼくは誰からも認められてませんしw
しかし、ぼくがさとりの話から気づいたことはあるのですよ
気楽になること
なんちゃっては、教えに適合しないかもしれないのに、悟ったと言ってるのです
そやけど怒らせてしまったのはすいません >>936
実は知らない!
観察者と分裂しているというのは、いい指摘だなあと思います
自分が腰を落ち着けている位置が、変わるということはある
そのまんまでいいに気がつくという意味では、この、ここにいるの、ところに出ていく必要はあるのです
しかし、この、悟りを、気づきがあった人が、そこに至ったのに、今まで聞いてきたことや、やっていたことに囚われて、行ったり来たりしてるわけです
コツを掴んだら、そこにいること
そして、それは、捨てるとかなんとか、そういう教えはいらなくなっている
まあ、じゃあ、ありのまんまちゃうやんと言われそうですがww ありのままというけれど、確かに変化はある
この手前という感覚が感じがするのだ
しかし、その変化は、この、ここにいる、これしかないここにいることで訪れるのだ
アレコレやっている手前にいくには、自分が、そこに落ち着かなければならない
しかし、それに気がついたら、そこにいるには、結構、普通に、それに至った方法なしで、あれることが可能だ
戻ってしまって、また、何やらアレコレしているときと、季節の中にいるときの違いは、明確にある
しかし僕が書いていたのは、この、悟りの地点に至ったのに、つまり、たぶん、僕の言ってることがわかるのに、まだ、その教えがとれてないと思われる優れた人に、まあ、そんなことないんちゃうかなと
こう書くと僕の方が囚われてるように思われるんだろうけど、、、
んー
ありのまんまといっても、ポジションは変わってるよ
ここで教えてもらった話なんかだと無相になってる
ひとつになってる
でも、それは、もともと、そこにあるからね
出ていくんだけど、そこは、難しいなあ
なんて言えばいいのか
まあ僕ごときが、こんな高度な話を書こうとするから無理があるw
実は知らないって、いい言葉やなあ笑 いま、この、ここで、なにもしなくても、この事実の世界が動いている、その手前に、起こっている前に気づいたのを悟りと言っている
そして、この自然にあるところに落ち着くのが、修行とも言えるが、しかし、それは、自分から行こうとすると、つまり、自分がそこに気づいたテクニックを持ち込むと不可能なのだ
それが邪魔しているのである
手前にいることは、可能になっている
ここにいる
ありのままの、ただあるここに
しかし、まあ、これ以上先があるのかもしれないが、僕は知らない >>941
ハジさん、その知っている方の自分には用が無い。
私は一貫してそれを言っているのよ。
それを知っている、分かっていると言っているのは、とりもなおさず従前の自分でさ、それが不要な働きを為すところから己に苦がもたらされる。
だからそれを働かせているうちは、苦しみからは一向に逃れられませんよって。
言ってみりゃ、此岸にいて彼岸の話しをしているだけ。
彼岸へ渡る船が手に入ったのに浮かれて舟を漕ごうともせず、その舟を眺め暮らして喜んでいるだけ。
それでは彼岸へはいつまで経っても至り付けませんよって。 知らねえ知らねえ言いながら900レスかよ、頭大丈夫か? お前はモノの分かった自分を見て欲しいだけなんだよ。頭悪いんだな 俺は、鈴木大拙の考えに親しいな。
「すべての宗教的体験は表現が伴わなくてはその験は瘖唖的で、
無いのと同じいのです。どうしても表現がなくてはならぬ。
この表現と体験が一となり二となって、活躍するのです。」
(鈴木大拙「無心ということ」より抜粋) 945.
表現か。
その表現は体験を超える。
なんでか。
その表現は体験に従属しないからである。
そんな表現は歓迎されない。精神病院が待っている。 >>941
自己の本性から出てくる欲望に従って生きるしかない >>949
前スレ訂正
勝義諦から観ればそうなるね、です。 >>947
「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」
口じゃ言えるけどまだまだ駄目なんだ。 >>947
>自己の本性から出てくる欲望
とはどんな欲望をいうのかな?
>>949
勝義諦とはどれのことかな?
>>952
どうちがうのかな?
>>953
>生きながら死人となりて
ってのはヒントに過ぎない。
本当にそうなれって教えなら、人は何も出来なくなる。
死人の如くになる事が全ての解決になるのなら、何か矛盾してるんじゃないかな。
例えば釈尊は死人の如き余生を送ってはいない。
我々にあって死人に無いもの、と言うのが参考になるかな。
それは世間とか世界とか言われるんだけどね。
さて、では世間って一体なんだろうね。 2ちゃんで法を騙って優越感を得たいなら、正しい法を説けばいい。
しかし、それが正しければ正しいほど非難されて優越感どころではなくなるだろう。
特に、自身の理解の範疇を超えた話に嫌悪露わに攻撃してくるものが出るだろう。
この世界は夢幻泡影の如し。
それを実と信じるものに世間は仮初ながら支配されている。 >>956
言葉を借りて説明する限り、循環論法に墜ちるしかないと思います。
それ故、見性だの身心脱落だの、自ら経験して下さい、となってしまいます。
判らせる為には、公案で無理会(理性では解せない)に参じる事となり、
敢えて文字で表現すれば、機語という理性では解せない表現となります。
(臨済禅の場合)
火は火に非ず故に火である(即非の論理)
強いていうなら、火というのはあの実際に燃えている火そのものであって、
あなたの頭の中で想像しているものではない、となりましょうか。
それ故、釈迦は悟ってないとか、達磨には髭がないとか、隻手の音とか、
何をやってもダメならどうするという、分別を壊すトレーニングを最初の
段階の公案で行うのかと。
一旦は人間の尺度から離れ、また戻るのが修行と思います。 957.
循環論法しかない。
だからして、人間の尺度から離れ、また戻る、という循環を実行することになる。
そこで、どこを循環するのか、という問題である。
十牛図のような循環は無駄である。どこかに書いてあったが。
即非の論理、を、そう解釈するのかや。 >>957
尋ねられてないのに判らせようと行うのは押し売りなんじゃないかな。
お説はご尤もだと思いますけどね。
「それはどう言う事なの?」と訊かれたらそうすれば良いのではないかと。
2ちゃんの自称覚者どもが軒並み詐称なのはそう言う理由でしょう。
肝心な所が全然解明できてないから押し売りになると。 >>957
もうひとつ。
>火は火に非ず故に火である(即非の論理)
>強いていうなら、火というのはあの実際に燃えている火そのものであって、
>あなたの頭の中で想像しているものではない、となりましょうか。
「火は火に非ず故に火である」を即非の論理と解釈出来たのなら
何故、「火というのはあの実際に燃えている火そのものであって」と
見当違いを指してるのでしょうか。
「あなたの頭の中で想像しているものではない」訳ですよね。
「想像ではない」のだからと、外のものに答えを見出そうとしたら
それは外道になります。
良いですか?
例えば「庭前柏樹子」と言われて、仮に庭先に生えてる柏の木が答えだとしてはダメなんですよ。
無理解とはそう言う意味でしょうに。 >>959
いや、貴方が私のカキコにレスしたので。 >>960
即非の論理は、金剛経の展開を参考にされて下さい。
柏樹子は、機語としての是柏樹子です。 >>942
そうかなあ
もう突き抜けるやん?
ここにありのまんまにあるだけで、その、まあ知ってはならない、捉えてはならないと主張してる、その、そこに実体験として、感じるんじゃないんかなあ
んー、ここんとこ、で、まだ、これを知ってるぞーっていうのは、確かに残ってるね
そこに行きっぱなしやと、なんもできんくなるんちゃうかな
そやけどw
まだ彼岸に行くには早いかもwwww
生きてるつもりだし >>954
世界って何なんでしょうね
五感プラス意識と世界って繋がってるけど、世界って神秘だからなあ
やっぱり、すんげー存在がいるんじゃない?
阿弥陀様とか大日如来とか、なにか分かんないけど、とりあえず、人智を超えた何かはあるような気がするなあ
愛の感触? >>957
そうですね
やってくださいしかないよねww
ここにきてみてよ
嘘かどーか、きてみてよやんなあ爆笑
解釈破壊するん得意やなあ禅は
まあ、しかし、破壊された先に、ぼくの言ってることに繋がったりしてww
ただ、ここにおる笑 >>960
おお、難しいやつでた!
柏樹子って、意味わからんww
どーいうことなん??
そーいうことをしたかったんやぞって、直接的に弟子を、その状態に置いたんかな
難しいわ、禅 殺しきれない猿芝居、何が猿芝居かわからなかったが、なるほど。
殺しきれないか。たぬきの頭でもわかるような・・・
言葉で、感情が左右される。喜怒哀楽、言葉で空回りする。
執着する自我による感情。これがわからなければ、修行が始まりもしないと言った方がいたが、
金剛経のあれ、非即って言うんですか。昔よくやったw
障子は障子ではない、故に障子という。まぁ、私の場合、この様に見えるからな。
ただし、言葉による感情ってやつは、わかっていてもむきになる。
まぁ、執着する自我による感情ってやつが、今一理解していなかった。
殺しきれない。執着する自我による感情。
合わせるとなるほど・・・
勝義なんて、語るもんじゃないと思っているがね。 しかし、このスレも、もう終わりますなあ
めっちゃ勉強になりました
なんちゃってが、少しは本当に近づいたはずw
禅って、ぼくが思ってた以上に人気なんやな
僕はオカルトやでな、もともとはwwww
そやけど、あれも、あながち的外れやない気もするんやんなあ
ただ疲れる爆笑
仏教マジですごいなあ
こんなに清々しいのはありえんぞw
シンプルやし、詳しい人もいっぱい
まあ教えでケンカもあるみたいやけどww
どっちが勝っても釈迦のハジ笑
あー、だからさ、悟りって簡単なん
えーっと、超人になるのは難しいよwwwww >>965
苦しい悲しい嬉しい頭来たー、ってのは、皆自分という基準を元にして生じる感情でしょ?
世間風に言えば自分の持ち合わせている観念。
物心ついてから自分の心の上に作り上げてしまった取り決め。
これが有るから感情が波立ち、苦しい悲しい嬉しい頭来たーやる羽目に成る。
でも、あなたの言う様に本当に付き抜けっぱなしになってりゃ、この感情は動きようが無いのよ。
自分と言う取り決めの延長線上に生じる感情は。
でもあなたは、その突き抜けている状態を知っていながら、そう成り切って居ない為に、いつまで経ってもその感情にしてやられている。
まあ、そう成り切れと言っても、なかなか成り切れるものでは無いですけどね。
それから何か誤解している様ですが、そこに行きっぱなしの方が、物事誤りなくこなせるんですよ。
失敗しない事故らない。
頭の中の思いに振り回されるから目の前の現実に一歩も二歩も遅れをとり、怪我したり事故したり失敗したりしてしまう。
やってごらんなさい。 >物心ついてから
嘘つけ。赤ちゃんも泣くし、喜ぶし、怒る。
お前子供いないのか?
子供ほっぱらかして、酒くらってばかりいて、ろくすっぽ見てなかったか。
お前みたいなのをアダルトチルドレンて言うんだよ。 赤ちゃんのときから観念はあるんだよ。
ただ見解を持ってないだけで。
実験でもあきらかになってる。
赤ちゃんも、人々が仲良くやってる様子を見ると
笑顔になって、興味を持って見る。
しかし、支店長みたいな酒のんでクダまいて、意気がっているような
辛気くさい人間を見ると、嫌な顔して目を背けるんだ。 人間は赤ちゃんのときから観念を持って
嫌なこと、好ましいことを分別していることが明らかになった。
支店長の嘘も明確になった。
はい論破(笑) ただの無智より、支店長みたいに誤った見解を持つ無智はたちが悪い。
しかも誤った見解をばら蒔いて、澄ましてる。
お前みたいなのはせめて黙ってろ。 >>971
なんかズレてる
ぼくの話は、たぶん支店長と同じじゃない
もしかしたら支店長の方が正解かもしれないけれど、とにかく違う
ありのまんまにあるときに、それらの前に気がつくんだよ????
支店長が言ってるのは、ありのまんまの、そこにいるときってことになって、その起の前の認識がぜんぜんない
だから、そこからさらに突き抜けるところへとかいう話になってくる
その前のところっていうのは、空、それが内外区別なく父母未出生なんちゃらでしょ
それに対して自我がどうのと主張するけど、この季節の移り変わりは、自他差別なく自然現象なんだよ
差別なんかありえるわけがない
そこに行きっぱなしっていうのは、世界が消滅することだよ
自分も含めて、すべて
だから認識が完全になくなって、何もできなくるに決まってるって笑
知ってるって、意味づけとしての、解釈としての知覚と、感覚的、感性としての知覚とあるでしょ
感性の方が、溶けてしもたら、
あー、まあ、残るか
そやけど、なんか違う
言葉が似てるから、想像の会話になってて、噛み合ってない気がする
ありのまんまにある、ここが、すべて起こっている自然現象で、そこに己はいない、そして、そこに普通にあるだけで、突き抜ける
それは、その先に、つまり、この世界の向こうに突き抜けてるんだよね
それは認識がというより、感じる
その感じてる働きが、世界を神秘に、また子供のように感じさせ、そして、空になった自己が、とんでもなく清々しい感覚になる
それを悟りと僕は言いたく、そして、それに至る方法は、何もしない、ありのまんまにある
ありのまんま、差別なく、みんなそこにいる
それが見えないのは、ただ、変な教えに騙されてるだけなのさww
騙す奴は、必ず、相手を困らせる 自称決着した人(笑)は、何を言っても聞き入れないでしょうな。
人にマウントしたいだけの俺様野郎が
人に間違いを指摘され、自らの非を認めることはない。 酒やけしたインチキ爺の辻説法なんて聴いて、真に受けるからそうなる。
彼は「本来の面目」が口癖だった。
そんなものは酒やけしたインチキ爺の脳内でこしらえたものにすぎない。 >>971
そうやって自分をいじらない
あなたは只管打坐になってないです。
苦しいときは苦しい >>963
>即非の論理は、金剛経の展開を参考にされて下さい。
経典名だけ出して説明しないって、君がそれを理解できてないからだよね。
即非の論理は即非の論理に非ず、それを即非の論理と言う。
つまり、全ては妄想に妄想で命名してて、否定されてるのはその妄想部分って事なんですよ。
ナーマ・ルーパって言えば分かりますか?
この名色(ナーマルーパ)も所詮妄想で命名されてるだけなんです。 もうすぐ、終わるなw このスレもw
まあ、スレタイがオレの言い回しからとったということなんで、
最後に一言・・・・・・
「お花畑ええええええええええええ!」
・・・・いかがなもんでしょうか?www 983 名前:パーピマン :2017/01/06(金) 11:41:07.17 ID:xx3Ha/1Q
もうすぐ、終わるなw このスレもw
まあ、スレタイがオレの言い回しからとったということなんで、
最後に一言・・・・・・
「お花畑ええええええええええええ!」
・・・・いかがなもんでしょうか?www 68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?
悟りを舐めてるわ、マジで。
華厳経の世界をリアルで体験して来いや?
一念三千の世界をリアルで体感して来いや?
何の苦労もなしに何が悟っただ、ただの異常心理か嘘だろ? 68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?
悟りを舐めてるわ、マジで。
華厳経の世界をリアルで体験して来いや?
一念三千の世界をリアルで体感して来いや?
何の苦労もなしに何が悟っただ、ただの異常心理か嘘だろ? 68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?
悟りを舐めてるわ、マジで。
華厳経の世界をリアルで体験して来いや?
一念三千の世界をリアルで体感して来いや?
何の苦労もなしに何が悟っただ、ただの異常心理か嘘だろ? >>962
先ず、仏道にあるもののつもりなら
「お前だって論」に逃げない様にしましょう。
先達の面々にそれをされた方は一人もおられないんですから。
>>968
「庭先の柏の木(庭前柏樹子)」は応えの方です。
その前に問いがあって、その問いは
「祖師西来意(達磨大師がインドから中国に仏法を教えに来た意図は何か?)」があります。
ここで、インドから中国に渡った達磨の意図を思い巡らせてしまったなら、坐禅をしましょう。
もし、この質問が「仏法とは何か?」と読めたなら応えの意味が解る筈です。
一義を文字や言葉にしたらそれは既に一義ではないのです。 >>990
68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?
悟りを舐めてるわ、マジで。
華厳経の世界をリアルで体験して来いや?
一念三千の世界をリアルで体感して来いや? 68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
解って大歓喜を味わってみろや?
涙が止まらなかったぞ?
笑いが止まらなかったぞ?
悟りを舐めてるわ、マジで。 68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
悟りを舐めてるわ、マジで。 68 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64 ID:wfppEgVn
悟りを舐めてるわ、マジで。 568 名前:パーピマン :2017/01/06(金) 11:42:32.69 ID:xx3Ha/1Q
>各位
本年もよろしくお願いいたしますw 65 : 1232017/01/05(木) 23:10:11.68 ID:FlJ4vm9n
64.
無分別は悟りではないよ。 67 : ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:31:20.12 ID:wfppEgVn
いや、全く呆れた、酷いもんだ。
幾ら2ちゃんねるでも酷い、まるで悟りを騙る魑魅魍魎の世界だな。
やはりちゃんとした師につかない奴は駄目、話にもならない。
師に付かずして悟ったなんて真っ赤な嘘、大法螺、そんな奴一人もいない。
自分は禅宗しか知らないけど、基本禅宗では毎朝過去七佛から釈迦、
摩訶迦葉、阿難・・・達磨・・臨済・・応燈関・・白隠・・と嗣法
伝法の仏祖名を読み上げる。
法が脈々と受け継がれている喜びを感じるひと時。
師に接せずして仏法を語るなんて絵空事だよ。
本で得た知識は良いとしても、実際に本物の生きた仏法を見て
接しなきゃ、2次元仏教マニアだよ。
呆れた、本当に呆れたわ。 >>990
文書よく読んでね。
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