神は何故祈る者を見殺しにするのか [無断転載禁止]©2ch.net
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宗教による幸福度の洗脳というのは
イソップ物語にある「すっぱい葡萄」の話に通じる。
持たざる者たちの不満に対して
「富を手に入れたってどうせ新たな不幸があるだけさ」
と納得させる役割を宗教が担っているということだな。 本人がどんなに幸せでもそのために他人を不幸にしたらいけないよ
信心深い自分に酔い痴れて周囲に迷惑をかけるのは珍走と変わらないよ 支配者にとって宗教は利用価値が高かったんだよ。
支配層への不満を宗教が緩和してくれる利用価値があった。
だから長いこと宗教と権力は結びついてきたんだよ。 だから宗教は古くから他人を支配するための道具だったんだ。
他人に価値観を注入してその他人をコントロールするシステムだったんだよ。 >>261
現世の苦しみは来世で清算されると信じさせれば、どんな無茶苦茶も
やらせられるからね。
ある意味バブル経済のようなもの。
弾けて目が覚めた時には既に遅し。
あとは他人に利用されていた事を苦病みながら、ただ無意味に死んで消滅するだけ。 >>259
>誰が神は善と決めたんかいな
その「神」を考えた連中。
>無理が有るよ
そりゃ、その宗教毎に「善」は違うからな。
ISISの連中だって世界的に見れば、ただの凶悪なテロ組織だけど、ISISの連中自身は
自分達が善だと信じている。
宗教には宗教の、国には国の、個人には個人の価値観に基づいた「善」がある。
だから「善意」なんか、当てにならないんだよ。 >>264
そうだよね
勝手な思い込みでオレさまが善だと主張されてもこちらは はいはいって感じで流すしかないよね 宗教が生む偽物の幸福感に騙されて、被支配者層が現状を変えるための行動をしなくなればなるほど現状は悪くなっていく
現状が悪くなればなるほど宗教に縋る人間が増えていく
この流れをいきなり止めようと言っても無理な話だが、一人一人の心の持ちようで流れの向きを少し変えたり弱めたりすることなら可能
そのためにはまず神は人間を助けてなどくれないことを知り、宗教に代わる心の拠り所を見つけること
宗教がウイルスならワクチンをうち抵抗力をつければ良い
宗教にとってこのような人間の知恵は逆風となる
神が人間に知恵の実を食べることを禁じたというエピソードは単なる偶然か >>266
偽物の幸福ってなにを指してるかわからん。 人それぞれ幸せの形は違うのに、自分の価値観でしか物事を測れない輩が偽物とか言っちゃうんだろうな 人はパンのみにて生きるに非ず
パンを優先するか、それ以外の幸福感を優先するか
ただ幸福感がなくてもパンは得られるが
パンがなくては幸福感を得る前に飢え死にするんだよなあ
腹が減って今にも死にそうなのに神を信じて幸福だからいいんだと言うのは
人間として以前に生き物としてどうかと思う パンは比喩だろ。
「食べて生きること」をパンと要約しているだけで。
生きていれば幸せなら、奴隷だって幸せだ。
生きているだけでは、人は幸せになれないんだよと、あのロンゲは言いたかったんじゃね?
問題は、その後基地外宗教患者達が曲解したり、都合よく変えたりして
ロンゲの真意を曲げてきたことだろう。
パンが無くても信仰さえあれば幸せだというのは、ただの宗教患者達の妄言。
あるいは、馬鹿な連中から金を巻き上げるための詭弁。
パンだけは幸せに成れないというのは、パンが必要ないということではない。 宗教板でパンの比喩がわからないとか
ああそうか夏休みか ・道端で演説しない、本持って棒立ちしない
・訪問勧誘しない、ポスティングしない
・詐欺しない、誘拐しない、テロしない、戦争しない
・まだ判断力のない子供を巻き込まない
これだけ守ってくれるなら個人の自由でいいと思う 宗教の常識など興味ないが、君ら見てると芸能通を誇示する一般人に見えるわ。
実際、同等やけどな
その界隈をよく知ってるだけのイキリやん 宗教には精神の救済だけでなく、
宗教共同体を通してパンもシェアするという
経済的救済の側面もあったからね。 宗教が自然淘汰の中でサバイバルしてきた理由の一つがそこにあったかもしれない。
つまり、現代では国家(政府、福祉国家)が担っていることをかつては宗教が
その唯物的側面を通じて行なっていた。
よって宗教を信じる者はその信心の契約のおかげでパンも得ていた。 >>278
現代の宗教はパンの代わりに自爆用の爆弾を得る >>259
これは人間社会ではタブーの感もあるけど、本当のこと言うと、
この現象の世界には個々の行為者(自分の意思で行為する者)は存在しない。
動物も人間もすべて、この宇宙のすべてを 「縁起」 が動かしてる。
神様と言われるような存在は居るといえば居るけど、それも縁起が動かしてる。
ようするに、既に作られた映画が上映されてるようなもん。
したがってほんとうは善も悪も幻想でしかない。
悪とは、被害者が持っていた悪い因縁を解消させるための現象で、
善は、相手が持っていた良い因縁に報いるための現象。 ようするに、壮大なジョーク、ブラックジョーク。
人間存在自体がジョーク。
みんな当たり前に、自分が行為者だと思っていて、
それだから他者もまた自分で動かしてるだろうと思い込んでる。
それがウソ、なーんちゃっての世界。
「我」と呼ばれる現象が、心に起こってる。
そのために、自分が行為者であるかのように見える。
でも本当は違う。我が落ちれば、自分は体ではないと気づく。
現象世界は心の世界なんだよ。
一人一人の心の中に現れてる幻想世界。
仏、涅槃の意識、色々言い方あるけど、それだけが真実。 自分もそんな生き方してるな。
すべてビッグバン時に決められたスクリプトで自分も世界も動いているだけなんだと感じるようになったら、周りに腹が立たなくなったな。
ああ、あなたは、そういうスクリプトなんですね、自分はこうなんです、というだけのことに過ぎなくなるから。 そこまでいったらもう宗教っつーか哲学なんだけどね
で、哲学を自分で考えるのがめんどくさい人向けにアレンジしたらおかしな方向に大ヒットしたのが宗教 >>279
その点は近代国家も似たようなものだよ。国家のために信者は命を投げ捨てる。 >>285
自分で考えるより、他人に考えて貰ってその通りにやってる方が楽だからな
そこを利用されているってのが、宗教が常に抱えている問題だな
現実的でない価値観を与えられ、目的をすり替えられ、行動を決定される
やった達成感だけが報酬で、上前は団体のトップが吸収する仕組み >>287
そりゃまあ自分で考えるのを放棄したら他人に利用されるのは当たり前だわな
自分で物事を考えずに済ませる代わりに、他人の道具になるか
他人に利用されずに済む代わりに、自分のことは自分で責任をもって考えるか
前者を選んだなら宗教団体の奴隷になろうがそれを選んだのは本人なんだから仕方ない
もっとも宗教はそいつの人生に責任は持たないけどなw
一番悲惨なのは親の宗教に巻き込まれた子どもたち 「自分で考える能力」というけど、それもかなりの程度他律的なもので、
多くの人びとは権威あるものから押し付けられた知識をただ鵜呑みに
している人がほとんどだよ。
学校でも宗教の信者と変わりない振る舞い方をしている。
教えられたことが本当に正しいかどうかについてカール・ポパーみたいな
合理的懐疑主義をいちいち適用している人は少ない。 >>288
宗教じゃないけど、フロムという心理学者がヒットラーと第2次世界大戦前のドイツのことを分析していて、
ヒットラーがあれだけの権限を手に入れられたのは、
当時のドイツが経済状況が大変で、多くのドイツ市民が、自分で考えたくない、誰かが何とかしてくれ、という心理状態になってたから、
と言ってたのを思い出した。
ヒットラーはドイツという国の簒奪者のではなく、
多くの国民が、自らヒットラーに権力を差し出したのだ、ってな話だったな。 まあ、それは今の日本の民主政治でも似たようなものだろう。
有権者がそこまで政治のことを理解して投票しているとも思えない。
地元の政治家になんとかしてくれと全面的に依拠していて、
その政治家の政策とか資質とか、とくに吟味もしていないだろう。 そのとおりじゃ
よって、選挙に行かないの悪とされているのは
嘘じゃ >>292
>挙に行かないの悪とされているのは
>嘘じゃ
無責任なだけだよな 確かに
こういうやつにかぎって、選挙に行かないのが
なぜ悪いかを言えない 善悪じゃなく意味があるかどうかだよな
選挙に行って何かが変わるのか
若者全員が投票に行ったところで年寄りの数の暴力に勝てるのか
多少若者票が増えたところで、当落に関係ない票の変化が政治家に何か影響を与えることができるのか
宗教も善悪よりも意味や結果を重視する人は信じない
今までの歴史を見れば宗教が結果を出していないことは明らかだから
意味がなくとも結果が出なくとも善であればいいと思う人には何かを信仰して己の信念とすることは合っているだろうし
その善悪の基準を自分で考えるのメンドクセって人には宗教が合っている
ただ自分で考えたわけでもないものを無責任に他人に薦めんなよとは思う
自分で考えていないから少し突っ込むとボロボロ矛盾が出てくるし
それを指摘すると神がそう言っただの髪が抜けただのと真っ当な話し合いを放棄してくるんだよな あ、宗教が結果を出していないってのは
宗教を利用して人を支配する方の結果じゃなく信者が救われたかどうかって方の結果な
前者が目的なら宗教は歴史に裏づけされた有効な手段ではある >>294
「行かない事が俺の政治への意思」とか言っちゃうんだろ。
別に調べたわけでも無いのに。
>>295
子供は行かなくていいよ。 悪ではないが、行かないなら国の政策に不平不満を言うなってことやね 選挙に行っても何も変わらないのに選挙に行くことしかしない奴もだな >>300
お前は民主主義の意味わかってんのか?軽快なリズムに合わせてラップなんぞ歌ってんじゃねーよ 民主主義では少数派の意見は投票だけでなかなか反映(繁栄)されないので
他の人びとにプレゼンして訴えたり議論の場を作ったりする地道な活動も必要になるよ。 >>300
変わった結果、民主党が政権取ったりして厄介な事になった事があったりしたわけだが。
で、何が変わらないって?
お前の精神年齢?小学生で止ってるって? 狂信者もネトウヨも精神構造は似たようなものだという事がよくわかりますね うーん、個人的には、自分で考えるのが苦手なら、代わりに他人に考えて貰っても
本人がそれで満足なら良いんじゃないかと思っていたんだが、よく考えたらそれって相当もったいない事だよな
自分で考えて作り上げた価値観なら、他人との対話を通じてその価値観に自ら疑問を投げかけ、常に成長し続けられる
でも他人に考えて貰った価値観に従うだけだと、疑問を投げかける事もできなければ成長もできない
少し前に人はパンのみで生きるにあらずって話があったが、
例えパンなしでも死なないとしたって信仰のみで生きちゃいけねえよ
せっかく人間として生まれてきたんだ、この糞重たい脳味噌をただの肩こりの種で終わらせちゃもったいない 素晴らしい意見だなー、なんて思った。
本当に人格的に高い人が、私の言っていることにただ従えばいいのだ、と言うかなー。
お互いがものを考え、切磋琢磨をするシナジーから人間は成長できるのだとしたら、
ものごとを分かっている人が、そんなこと(思考停止)を周りの人間に要求するだろうか。
周りの人間が思考停止したら自分の成長も止まりますよね。
本当に生きているだけで精一杯だった時代に、
念仏を唱えれば極楽浄土に行けると教えるのは理解出来ますけど。 >>306
>相当もったいない事だよな
もったいないというより危険。
その「自分の代わりに考えている人間」が、本当に正しいのか、正気なのかも判断しないから。
もし、信者が例え教祖の言う事でも「それは本当に正しい事なんだろうか?」と疑問を持てれば
オーム真理教のテロ事件や、ジョーンズタウンの集団自殺のような、宗教絡みの事件は起きないだろう。
>>307
>本当に生きているだけで精一杯だった時代に、
>念仏を唱えれば極楽浄土に行けると教えるのは理解出来ますけど。
精神的な逃避先に宗教を置くという行為に、避難は出来ないな。
確かに、どうにもならない事はあるから。
ただ、安易な逃避先に宗教を据えるから、宗教依存症の患者が増える。
宗教関係者が本当に伝えなければならないのは「宗教じゃ、何も解決しないこと」だろう。
まぁ宗教が商売で、信者の存在がただの金蔓でしかない昨今の宗教事情を考えると、
そういう事は無理かもな。 人間が万物の霊長だとしたら
その霊長として生を受けながら人間としての能力を発揮せずに終わるのこそ
神様に対して失礼だよな
ただ従うだけならよく調教された動物でもできる >>309
そういう自分に都合のいい言い訳を押し通すために、人間は神様を考えたんだよ。 釈迦は仏教の開祖とされているが
実際には>>308の言う
>「宗教じゃ、何も解決しないこと」
に気付き伝えた人物だと思っている(証拠はないけどね)
思考を放棄して神様に従うのが宗教
人生をより良くするために思考するのは哲学 仏教は儒教や道教のような原始哲学の一種でしょ。
神を志向するものとはまた種類が違う。 >>312
初期の仏教は哲学に近かったかもしれんけど、
現在の日本の主流である大乗仏教は神様を仏様に置き変えただけで他の宗教と変わらなくね?
儒教も道教もよく知らんけど、儒教の目上の者に従えって教えは
まんま支配者が被支配者を従わせるための都合のいい教えだよなw 人には人それぞれの価値観がある
そんな当たり前のことを忘れさせてくれるのが宗教 >>313
儒学は諸子百家のうちの一つに過ぎず、
その儒教の礼を批判する学派もあったはず。
儒学は時の支配者にとって比較的都合がよかった教えを説いたから
時の支配者に政治的に受け入れられ、布教され、多くの文献に遺ったんでしょう。 ただし神学とどう違うんだと言われると困る。
神学も学派があって議論があった。
現代における政治哲学とか倫理学と言ったものと
それとは何が決定的に違うのだろうか?
たとえば、ロールズ氏やサンデル氏らの政治哲学と
儒学や仏教や神学はいったい何が決定的に異なっているのか? 宗教の神はとても倫理なんて考えられるほどの機能を持っているとは思えない程残酷な仕打ちをしてくるゴミだけど
奇形児のようなクソ生意気な神どもを信奉する脳死信者の存在ははっきり言って邪魔 >311
>「宗教じゃ、何も解決しないこと」
>に気付き伝えた人物だと思っている(証拠はないけどね)
どのような情報を知って、そのような考えに至ったのですか? 宗教はなぜ麻薬のようなものなのだろうか?
麻薬は人びとを脳内極楽に連れて行く。宗教はそれに似ている。
ブラック企業に勤めている人の不幸せを麻薬で解決しようとするようなものだ。 神の相続物を得られると思い信じ求める姿は醜く、神は嫌われるから
神「うざっ」 他の者にはやらない。
世界は全部俺たちのものだと言って
略奪し、正当化し、殺しまくる。これが聖書の勧めるところの善です。
これに反抗する者は全て悪人です。殺しても構わない。麻原の考えと一致します。 どんな不幸もすべてはその人の気の持ちようで幸福に感じられる。
それが宗教でしょう? 究極の自己責任論。 つまり、社会に存在するすべての不幸はその人の心の問題に還元できる。
それが宗教の本質でしょ。 >>319
大乗仏教じゃない、初期の釈迦の教えについて書かれているサイトなり本なり調べてみて
一ヵ所や一冊じゃなくできるだけ多くの情報源から
今の自分の考えを一度白紙にして余計なフィルターを通さずに 元々、仏教は宗教じゃねえわ、釈迦は公衆道徳を説いただけ。
それを利用してただ飯食いがはびこり、金儲けのネタにした悪人が多勢発生しただけじゃん。
道徳を宗教にすり替える輩にすがってはいけない。クレクレ詐欺に遭うようなもん。 前世とかもち出してるからね
震災や戦争で亡くなった人を前世の罪人呼ばわりして
たりして遺族が見たら悲しむだろうに
徳を積んでるアピールしたりしてるけど徳を積むのは
いい事だし徳を積むのなら黙って積めばいいのにね 祈りが届かないのは途中で諦めるから
たとえ死ぬまで祈りが届かなくても、祈ったのなら、その祈りが実現することを決して疑ってはならない
諦めないで!
普通は諦めるよな 仏教は諦めろと言っている
諦めとは悟る事
日本語でもそうだろう
「諦(あきら)める」と「明(あき)らかにする」は同じ語源 そう考えると念仏唱えて願いを叶えようとするのは仏教とは真逆の行動だな
教えに従わない背信者を助けるほど仏さんは甘くないぜw ブッダは「他人に従うな自分で判断しろ」と教えてるんだが、
キリスト教の救いのように何らかの他者の指導を必要としなければならない点については
不十分だと思う。
仏は拝むというより真似るものだろうからさ。 祈っているだけで何かを成せるとか甘えだわ
行動を起こせ ブッダは直弟子からすらディーバダッタのような勘違いした奴が出ているからなあ
その他の弟子も教えてくん、丸暗記くんばかり
死後どころか生きている頃からすでに仏教(つか後に仏教になるものな)は歪み始めてたんや え?(^ν^)死んだらソレわ
天国いったとゆーコトだかラ
見殺しっテ(^ν^)ゴールぢゃん
おめ(^ν^)おめ
キリスト教だと(^ν^)こんな感じ >>335
>仏は拝むというより真似るものだろうからさ。
ほんそれ
ブッダも他の師に弟子入りした事はあったけど
その師の教えにただ従ったんじゃなく、参考にしただけだからな
誰かに教えてもらうんじゃなく、自分で見て聞いて体験して考え
良い点は自らの糧にして、悪い点は反面教師に、疑問点は自力で追及する
それを徹底するなら仏「教」なんてものは成立しようがなかった
でも気付いた誰かが言わないと誰も気付かないというジレンマ 聖書とかサイコパスの犯罪生物が神とか名乗ってるけどどうして信仰しようと思えるのかね
信者は思考放棄して危険な赤ん坊の超能力者を崇める自分の脳みそから疑ったほうがいいな 神に祈る者は元々救いなど求めてない
グチグチ愚痴るくせに解決策を提案するとキレる奴と同じ
神相手ならどんなに愚痴ろうが「こうすれば?」だの「愚痴るだけじゃ解決しないよ」だのと説教()される心配がない
「ああ神様、私はこんなにも可哀想なのです」と祈って脳内の神様が相槌打ってくれればそれで満足 2chに限らずだが人を個として考えず、ひとまとめにして誹謗中傷するのが好きだな、お前らは
いったい誰と闘ってるのか 宗教やってる奴はサイコパスだとか
キムチを食べる奴は朝鮮人だとか
自民党を支持する奴はネトウヨだとか
そういうのは完全に関連性も何もないレッテル貼りだけど
宗教にどっぷりはまる奴の心理状態を推測するのはちょっと違わないか
毎日ピザを五枚食う奴はデブと同じ程度の関連性はある 人が行動するには心のエネルギーが必要
この心のエネルギーを補給する手段のうちの一つが宗教である
エネルギーだけいくら補給しても行動しなければ意味がない
しかし宗教はそれを教えてはくれない 教えを伝えるってことは一人じゃできないよな
教える人がいて、その教えを受け取る人の協力があって初めて伝わる
誰も受け取ろうとすれば伝わりようがない
キリストや仏陀は受け取ろうとする協力者に恵まれたからこそここまで教えが広まったが
無能な協力者にも恵まれてしまったせいでここまで教えが曲解されてしまった
あいつら人々にありがたい教えを一方的に与えた無私の人のように見えて
実は自分の考えを人々に受け入れてもらえたことで自分も救われてたんじゃないかね
それが遠い未来に何を引き起こすかも知らないで アフガニスタンでタリバンが多くいる知識では
幸福度がより高いという調査結果が出ているらしい。
それはどうやら信仰心の厚い地域らしい。
他の調査結果から、宗教への信仰心と幸福感との正の
相関が出ているので、それとも整合性があるんだそうだ。 >>349
本音を表に出せる状況での調査かどうか調査方法詳しく あー、確かに。
自分が何を言うかが筒抜けで、発言することによって自分に危害が及ぶなら
肯定的なことしか言えないですね。 https://www.today.com/kindness/study-religion-faith-can-help-provide-sustained-happiness-t39036
> New study finds faith, religion can help provide 'sustained happiness'
「新研究は、信仰心即ち宗教が『持続的な幸福』の供給に役だつことを発見する」
https://www.psychologytoday.com/blog/more-mortal/201212/are-religious-people-happier-non-religious-people
> Are religious people happier than non-religious people? The short answer is yes.
「信心深い人びとはそうでない人びとよりも幸福? 単刀直入にいえばイエス」
ただしふたつ目の記事が言っているように、
信仰心そのものが幸福の原因なのか、
それとも宗教団体に所属して人と人とが同じ価値観で繋がり合うことに
幸福感があるのか、その二つを区別したほうがいいかもしれませんね。 そりゃ現実逃避してるようなもんだから幸福にもなろうな 最近の進化論は心理学にまで触手をのばしていて
心の働きまで遺伝的にかなり決定されるとし、かつ、
それゆえに進化論で説明できると主張するようになっている。
宗教遺伝子が見つかっても不思議ではなく、
それが適応進化の結果であってもおかしくないとね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています