神は何故祈る者を見殺しにするのか [無断転載禁止]©2ch.net
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>>183
理解出来ない物を恐れ、敬い、崇拝する。
それが宗教の始まり。
「神」という概念を教えなくても、それに類似した物は生み出すと思うよ。
>産まれたときから完全に閉鎖された世界で一切言葉を使わないで育てられたら人間はどうなるのか
その小説は読んだことが無いけど。
閉鎖された空間に生きている事を知ったとき、その外に憧れ、恐れ、そこに居ると妄想した「何か」を
神格化して崇めるんじゃないかね。
夜空に光る星を見て、そこに神話を作った古代の人間のように。 ビビり人間とジャイアンの関係マジ面白だわ 滅べばいいのに ただ何もせず座って祈っている者が救われるわけがない
救われるために自ら行動する者の最後の精神的一押しをするのが宗教
自らの行動の根拠を神に求め、神の力を信じるからこそ成功を確信できる
それができるのは宗教だけではない
家族のために努力する者、愛や絆さえあれば何でもできると信じる者
自らの向上心のために終わりなく学び続ける者、人類の幸せのために行動する者
誰もが精神的一押しをしてくれる何かを持っている
空に向かって祈っても乾いた畑に雨を降らせてはくれない
地面に向かって祈っても地震は起きる
祈る前に川から水を引き、地震に強い家を作る
そういう者にこそ、その「何か」は力を貸してくれる いいですねー。自分もそう在りたい。
ただ、それって心理学で言うところの、自己効力感とか、学習性無力感というものとも関係ありますよね。
なぜ、この人はこんなにも自分に自信があるのかとか、
逆に、この人はこんなに高い能力があるのになぜ自信がないのかとか人間にはいろいろあって、
それが、神という概念と繋がることで、いろいろな在り方の神様が個人の中に顕れるように感じる。(独在論になりますが)
人は、自分の与えられた世界の中で、自分の好きなように神を創っている感じがするんだよな。
人は見たいものを見ているだけだ、とはスピ系の世界ではよく聞く話だけど。
個人的に知りたいのは、地理や歴史などの文化的背景を取り除いた(別に文化を否定したい訳では無いけど)ところにも、
存在しうる神様です。
その正体は>>187さんの言うような解釈で片付けられるものでしょうか? >>190
それは厳密に言うなら普遍的な神様ではなく個人的な守護神だろうね
本人もこれは自分だけの神様だとわかっているから、他人を勧誘したりしないし異教徒を攻撃したりもしない
どんなに自分に都合のいい神様を作り上げても、それを利用して他人を操ることはできない
そんな信仰なら何も害はないよね >>189
であるならばなおさら、宗教よりも科学を尊重する実用性がある。
科学こそ人間の努力の結晶。 >>190
人は見たいものだけを見る
人間の心理を理解するために研究するよりも、「それは神がそうしたから」で片付けてしまう方が容易い
問題を解決するために自分で努力するよりも、「祈れば神が解決してくれる」と丸投げしてしまう方が簡単だ
人は困難な道よりも、楽な道を選びたがる
そのために神を利用する
神に縋るのは弱い者じゃなく怠け者
子供の頃から親に信仰心を植えつけられたなら、大人になってもそれに疑問を持たない愚か者だ
だがこの世に異教徒や無神論者が存在することを「それは神がそうしたから」で片付けたり
異教徒との衝突が起きても「祈れば神が解決してくれる」と丸投げしたりしないのが不思議だ
>>187
外部と隔離されて育ったといわれるカスパー・ハウザーは「神」という概念を教えられても理解できなかったという
動物と同様に、理解できないものを恐れることはあれど、それを敬うことはないと思う
恐ろしいものとは距離を置き、関わらないようにするだけ >>187
>理解できないものを恐れることはあれど、それを敬うことはないと思う
いや。
敬ったから山岳信仰や自然崇拝が発生したんだよ。 >だがこの世に異教徒や無神論者が存在することを「それは神がそうしたから」で片付けたり
>異教徒との衝突が起きても「祈れば神が解決してくれる」と丸投げしたりしないのが不思議だ
本当だ! >>197
それ
>産まれたときから完全に閉鎖された世界で一切言葉を使わないで育てられたら人間はどうなるのか
が前提だから 信仰と宗教団体は違う、とある人が言ってた。
信仰はただ、神を想って手を合わせる。
それで終わり。
宗教団体になると、教えを授ける人がご飯を食べていくため、また施設なんて持っていたら施設維持費などに、
献金が必要になる。
そして、宗教団体は信者に自宗教への勧誘を行うように指導する。
そこで、たくさんの人を勧誘する営業のうまい人が宗教団体の中で出世していく。
じゃあ、宗教団体が必要ないかということ、教えを広める場は必要な訳で。
信仰をしたい人は、一人で祈ってそれでOKで、
営業のうまい人は宗教の勧誘に精を出して結果を出して団体から褒められればそれでいいよね。
それがミスマッチすると不幸かも。
信仰をしたい人が、「お前はノルマ、○○人の勧誘を達成していないじゃないか!」と怒られたり、
営業のうまい人に、「ただ、手を合わせればいい」と言って、腕の見せ所を作らなかったり。 信仰をしたくない人に、「俺のノルマのために宗教団体に入れ」と言って、迷惑をかけたりな。 個人主義的または心理主義的信心主義
宗教は個人の信仰の自由の中にのみあるとする実践的立場。
聖人主義または啓示主義(聖典規範主義)
カリスマ的聖人や聖なる書物に服従して生きることを実践する立場。
信条共同体主義
同じ信条を共有する人同士が互いに絆を得ようとする実践的立場。
仲間意識が癒やしの実践になる。
教会制度主義
信条共同体主義が極めて制度化されたもの。
ビジネス宗教
商業化された宗教の側面。 この場合の「制度化」とは「儀礼化」または「法制化」とほぼ同義。
共同体に参加することが社会生活上の義務を帯びてくる。
聖典規範主義も制度化の側面をもっている。
これらは政治的な論争や紛争を引き起こすことになる。 >>206
後半三つは宗教でやる必要性ないな
群れを作って人を従わせるのに都合の良い口実として神の名を利用しているだけ
十分な説得力さえあれば国家でも主義でもできる >>209
近代国家ですらしばしば宗教的信条を手放さないのは、
国家もまた宗教共同体である側面を持っているから。
国民国家も神を必要としたがる。支配の安定のために。 つまり「愛国心を持つものをなぜ国は見殺しにするのか」と似たテーマ。 宗教も宗教団体になれば似たようなもの。武力を持つ宗教団体まで現れたしw キリストは嘘をついてしまう。。嘘も方便というがキリストのはそれがあまりにも多すぎる。
しかも人に迷惑をかける嘘ズルをしてしまう。で表面上は「取り返したげるからね」と言って
おきながらキリスト教は正しく物事を取り返しちゃんとやろうとしている人の邪魔を多大に
してくる。
ヤーウェは人にはガンジーにならなきゃならないといっておきながら、肝心の自分が人格形成
が今現在がちっともできてない。力と洗脳で無理やり従わせてるだけ、で結局したのものに
力なども追い越されてしまってる。
釈迦は自分が失敗するとはそこを正当化し他の本当に成功している方をけなす。で、だまして
まわりをみんな駄目にして駄目ばっかのなかでは自分が一番勝ってると錯覚して誤魔化してしまう。
アマテラスはスサノオのに洗脳されてから何が正しくて何が間違ってるのかまともな判断が
出来ない。みんなスサノオ(桐山)のいった阿含経が唯一正しいならそれをつかってなおすといい。 我は神に身を捧げて今、ここで死すという信者をワザと
見殺しにして、その後は供物としてその人間を食う。
キリストすら、その末期は供物として食われた。
人々の原罪を我が身に代わり、引き受けたなどは殺された理由にもならない。
重要な場面があるが記さない。
キリスト教世界の変動が見える人はいますかね? 宗教は平民が権力者に逆らわないよう思考を放棄させる愚民政策の一種
教祖が最初に何を言っていようと、それが人々の心に入り込み思考を止めさせる力を持っているなら
権力者は喜んでそれを自分のいいように改変し利用する
権力者が天罰を受けることなく甘い汁を啜って暮らしているのが神が存在しない証拠
もしも神が人類に対して愛情を持っており、少しでも多くの人間を救いたいと考えているなら
権力者に天罰を与えることで自分の存在を示し、救うことのできる人間=信者を増やすことができるような一石二鳥の機会を逃すはずがない 君らが神と呼称する対象は、当然人間ではないし感情など持ち合わせてないぞ
それは概念であり、理りのことや
幸せになりたかったらルールに基づいて行動を起こすだけ。簡単なこっちゃ >>218
それな
身の回りの事実をおかしなフィルターかけずにそのまま理解して、理解した事を元に行動するだけ
もし「祈れば良い結果になる」という事実があるのなら祈るだけだが現実はスレタイ参照だしなあ
一応ブッダもそれに近い事は理解していたんだが
そこに辿り着くまでの最初の出発点が宗教絡みだったせいかおかしな装飾がついてしまった
そのおかしな装飾が派手すぎたせいで装飾だけが後世に語り継がれてしまった ちなみにそのルールってのは、因果応報ってやつな。
自身が幸せになりたかったら、まず他人(身近な人)を幸せにすることやで >>220
他人を幸せにするのは自分を幸せにする手段のうちの一つではあるけれど全てじゃない
他人を幸せにする事は自分が幸せになる可能性を増やしはするが、確実じゃない
それ以前にまず自分が幸せでないと他人を幸せにする事はできない
だから最初にすべき事は他人に依存しない方法で自分を幸せにする事
それが知恵であり、行動力なんだなあ たしかにね、自分を愛せない人間が他人を愛せない理論と一緒かも >>220
ブッダは因果応報から解脱できると教えているんじゃ?
あれは後世の人が勝手に追加した考え? 因果応報(輪廻)から抜けるとは
人を殴っても捕まらない存在になるという意味ではないと思う。 ブッダもあと一歩踏み込めばバラモン教の呪縛をぶち破れたんだろうけどね
後世の聖人も当時の常識には勝てないよね >>223
因果応報は実践していれば生きているうちに実感できるが、死んだ後のことはわからんね 本質的に利他的な愛って存在するの?
進化論だと利他行動すら利己行動の戦略的な態度にすぎないわけでしょ。 >>223
この世界を色眼鏡を通さずあるがままに認識することができれば
輪廻など「この世界」には存在しないことがわかる
従って存在しない輪廻に苦しむこともなくなり輪廻から抜け出せる
だったらすげえなブッダw
>>227
存在しないと言い切るのは、宇宙人は宇宙のどこにも存在しないと言い切るのと同じくらい難しいが
人間の生存を脅かすものが何一つなくなって、全ての欲求が何不自由なく叶えられる世界でなら芽生えるかもしれない >>227
他人のために尽くすのも、まず自身が居ないと実践できない。
なので自分ありきという考えはあって然りやと思うで
私に言わせれば、命をなげうって相手の為にすることが、本当の意味で相手の為になっているのかが疑問
ただ溺れてる子供を助けるのに、自分の命が危機であるとは考えないだろうし、結果的に亡くなるのは無念としか言いようが無い ここには犯罪者が好きでたまらん奴が少なからず居るみたいやけどw
「祈る」というのも行動の一つではあるが、そこには霊的な力は微塵もないで。
また神と呼称しているものも感情は持ってない。
誰かが祈っている姿を見て心動かされるやろ?動かされへんか?祈るとはその程度の行動やで >>232
神と会ったことがあるのか…
詳しく聞かせてくれ 神様にも麻原にも金正恩さんにも直接会ったことはないでしょ。
それでも人が伝えるかぎりでの存在像はつくれる。
神様を信じている連中が言っていることから神様がどんな奴か判断できるんだよ。 >>231
俺は誰かが何もせずただ祈っている姿を見たら悪いが軽蔑する
その祈っている時間で何かもっと有意義なことをしたらどうなのかと
週に一度教会に行く時間を習い事に向けたらもっと人生が豊かになるだろうと
日中断食などしなければもっと仕事の効率も上がるだろうと >>234
ひとの意見を鵜呑みにして、信じるんか。
ちょろそうな人生そうでなによりだわ >>235
その通りやと思うで
ただ、人によっては「祈る」「断食」の行動が多くの人に(良い)影響を与える場合もある。
物事には多面性があることを知って、視野を広く持つといいかも 教会に通って教えを受けて祈ったり歌ったりする儀式は、
国歌斉唱や国旗掲揚と似たようなもの。
人びとがひとつのことを信じて同じ行動を取ることによって
その人たちの思想信条と行動を統制することができるんだよ。
それは最初、宗教が利用した技術。近代国家もそれを利用している。 社会の社というのは神がまつられている場所で、
そこに人びとが集って会合を開く、それが社会。 >239
人生の最適化や結果にコミットするという話ではなく、癒しっぽいね。
皆で集まって讃美歌を歌うなどの行為は。 >>237
良い影響と言ってもその場限りの気休め以上の効果はない
気休めが欲しいだけならそれでいいかもしれんが
気休めだけで満足して思考停止してしまえば問題が解決することはない
何事にも良い面と悪い面はあるが、宗教は良い面よりも悪い面が占める割合の方がはるかに大きい
猛毒も用量を守りさえすれば薬になるが宗教は100%信じることを要求してくるから ヤハウェエホバは地獄に落ちろ
神とほざいた嘘つき野郎こそ地獄が相応しい クズめ >>242
存在しない人物に存在しない場所に落ちろというギャグなんだろうが
刺々しい言葉を使うならどこかに緩めるポイントを作らないと 宗教が「個人を内面的に救うもの」と見なされるようになったのは近代以降。
宗教の機能はむしろ集団を統合する象徴権力として進化・発達してきたもの。
その機能は近代国家にも受け継がれている。 宗教入って安堵する人もいれば、ムチでしばかれて喜ぶ人もいるわけだし
人間多種多様だよなぁ 歴史的に見て神が人間に手を貸した事例が一つもないから、いてもいなくても変わらない存在
精神が安定するなら、祈りたい奴は祈ればいい
まぁ、プラシーボ効果ってやつやね
ただ、人に勧めるのはやめてくれ 宗教は麻薬のようなものである。麻薬は脳内極楽へと人びとを導く。
宗教は現世の不幸せに対して「それは心の持ちようの問題だ」と
個人の内面の問題に還元する。そして「心の中の楽園」を約束する。
現実を変えるよりも既存の現実の中で幸せを感じるよう洗脳するのだ。 「宗教 マインドウイルス」でググって出てくる2chのスレッドに面白い説があった
茶々入れられてスレッドは伸びなかったが個人的にはなるほどなあと思ったよ
宗教が麻薬になる理由がわかったような気がする
麻薬でラリって腹一杯飯食ってる幸せな幻覚を見ながら餓死するのも自由だが
それを他人に勧めたら犯罪だな
逆に言えば他人に勧めさえしないならどんどんやってくれ
地球はもう人が増えすぎた 宗教のユートピアはいわば映画マトリックスの世界だよ。
脳内ユートピアを目指している。 「この世がどんなに不幸でも、不平不満を漏らさず従順に生きていれば死んでからあの世で幸せになれるよ」
どう見ても権力者が奴隷どもを飼い慣らすための方便だろ
これを人に勧めるってことは自覚がなくても奴隷制の存続に力を貸しているってことだからな
無知は有罪 行動経済学のテキストに載っていたことだが、
信仰心のあつい人ほど自分で感じている幸福度が高いという傾向が
さまざまな調査結果から得られているそうだ。
ただし、その「自分が感じる幸福度」が、行動経済学でいう「順応」、
政治哲学でいうところの「適応的選好」である可能性も否定できない。
つまり、宗教によって不幸な現実を甘んじて受け入れるよう
「洗脳」されてしまった結果だという解釈もなりたたなくはない。
そこまでつっこんだ調査については記載されていなかった。 不幸な現実を甘んじて受け入れられなければ、もはや自殺するしかないのだが? >>252
幸福はどこにある?
何を幸福と感じるかは文化や価値観に大きく依存する
古代ゲルマン人にとっての天国はヴァルハラ
そこでは毎日戦争が繰り広げられて、夜になると大猪を屠って大宴会が始まる
翌朝には傷が癒えて再び戦争が始まる
そこは最高の英雄のみが入れる最高の天国
でも現代日本人が見ればそこは地獄だろう?
別にそれは当時のゲルマン人にとって「不幸な現実を甘んじて受け入れていた」わけではない
ある人にとっての天国がある人にとっては地獄にもなり得る
つまり幸福というものは環境が作り出すものではない
幸福はどこからやってくる?
それは我々の魂の本性であり、環境から与えられたものではない、
環境の奴隷ではなく、環境の主人であるべきだというのが宗教だと思うけれどね
ここで環境というのは文化や価値観といった深層心理の部分から、感覚器官、思考、行為器官といった
普段これが自分だと思っているようなもの全てを含む広範な言葉だけれども 宗教による幸福度の洗脳というのは
イソップ物語にある「すっぱい葡萄」の話に通じる。
持たざる者たちの不満に対して
「富を手に入れたってどうせ新たな不幸があるだけさ」
と納得させる役割を宗教が担っているということだな。 本人がどんなに幸せでもそのために他人を不幸にしたらいけないよ
信心深い自分に酔い痴れて周囲に迷惑をかけるのは珍走と変わらないよ 支配者にとって宗教は利用価値が高かったんだよ。
支配層への不満を宗教が緩和してくれる利用価値があった。
だから長いこと宗教と権力は結びついてきたんだよ。 だから宗教は古くから他人を支配するための道具だったんだ。
他人に価値観を注入してその他人をコントロールするシステムだったんだよ。 >>261
現世の苦しみは来世で清算されると信じさせれば、どんな無茶苦茶も
やらせられるからね。
ある意味バブル経済のようなもの。
弾けて目が覚めた時には既に遅し。
あとは他人に利用されていた事を苦病みながら、ただ無意味に死んで消滅するだけ。 >>259
>誰が神は善と決めたんかいな
その「神」を考えた連中。
>無理が有るよ
そりゃ、その宗教毎に「善」は違うからな。
ISISの連中だって世界的に見れば、ただの凶悪なテロ組織だけど、ISISの連中自身は
自分達が善だと信じている。
宗教には宗教の、国には国の、個人には個人の価値観に基づいた「善」がある。
だから「善意」なんか、当てにならないんだよ。 >>264
そうだよね
勝手な思い込みでオレさまが善だと主張されてもこちらは はいはいって感じで流すしかないよね 宗教が生む偽物の幸福感に騙されて、被支配者層が現状を変えるための行動をしなくなればなるほど現状は悪くなっていく
現状が悪くなればなるほど宗教に縋る人間が増えていく
この流れをいきなり止めようと言っても無理な話だが、一人一人の心の持ちようで流れの向きを少し変えたり弱めたりすることなら可能
そのためにはまず神は人間を助けてなどくれないことを知り、宗教に代わる心の拠り所を見つけること
宗教がウイルスならワクチンをうち抵抗力をつければ良い
宗教にとってこのような人間の知恵は逆風となる
神が人間に知恵の実を食べることを禁じたというエピソードは単なる偶然か >>266
偽物の幸福ってなにを指してるかわからん。 人それぞれ幸せの形は違うのに、自分の価値観でしか物事を測れない輩が偽物とか言っちゃうんだろうな 人はパンのみにて生きるに非ず
パンを優先するか、それ以外の幸福感を優先するか
ただ幸福感がなくてもパンは得られるが
パンがなくては幸福感を得る前に飢え死にするんだよなあ
腹が減って今にも死にそうなのに神を信じて幸福だからいいんだと言うのは
人間として以前に生き物としてどうかと思う パンは比喩だろ。
「食べて生きること」をパンと要約しているだけで。
生きていれば幸せなら、奴隷だって幸せだ。
生きているだけでは、人は幸せになれないんだよと、あのロンゲは言いたかったんじゃね?
問題は、その後基地外宗教患者達が曲解したり、都合よく変えたりして
ロンゲの真意を曲げてきたことだろう。
パンが無くても信仰さえあれば幸せだというのは、ただの宗教患者達の妄言。
あるいは、馬鹿な連中から金を巻き上げるための詭弁。
パンだけは幸せに成れないというのは、パンが必要ないということではない。 宗教板でパンの比喩がわからないとか
ああそうか夏休みか ・道端で演説しない、本持って棒立ちしない
・訪問勧誘しない、ポスティングしない
・詐欺しない、誘拐しない、テロしない、戦争しない
・まだ判断力のない子供を巻き込まない
これだけ守ってくれるなら個人の自由でいいと思う 宗教の常識など興味ないが、君ら見てると芸能通を誇示する一般人に見えるわ。
実際、同等やけどな
その界隈をよく知ってるだけのイキリやん 宗教には精神の救済だけでなく、
宗教共同体を通してパンもシェアするという
経済的救済の側面もあったからね。 宗教が自然淘汰の中でサバイバルしてきた理由の一つがそこにあったかもしれない。
つまり、現代では国家(政府、福祉国家)が担っていることをかつては宗教が
その唯物的側面を通じて行なっていた。
よって宗教を信じる者はその信心の契約のおかげでパンも得ていた。 >>278
現代の宗教はパンの代わりに自爆用の爆弾を得る >>259
これは人間社会ではタブーの感もあるけど、本当のこと言うと、
この現象の世界には個々の行為者(自分の意思で行為する者)は存在しない。
動物も人間もすべて、この宇宙のすべてを 「縁起」 が動かしてる。
神様と言われるような存在は居るといえば居るけど、それも縁起が動かしてる。
ようするに、既に作られた映画が上映されてるようなもん。
したがってほんとうは善も悪も幻想でしかない。
悪とは、被害者が持っていた悪い因縁を解消させるための現象で、
善は、相手が持っていた良い因縁に報いるための現象。 ようするに、壮大なジョーク、ブラックジョーク。
人間存在自体がジョーク。
みんな当たり前に、自分が行為者だと思っていて、
それだから他者もまた自分で動かしてるだろうと思い込んでる。
それがウソ、なーんちゃっての世界。
「我」と呼ばれる現象が、心に起こってる。
そのために、自分が行為者であるかのように見える。
でも本当は違う。我が落ちれば、自分は体ではないと気づく。
現象世界は心の世界なんだよ。
一人一人の心の中に現れてる幻想世界。
仏、涅槃の意識、色々言い方あるけど、それだけが真実。 自分もそんな生き方してるな。
すべてビッグバン時に決められたスクリプトで自分も世界も動いているだけなんだと感じるようになったら、周りに腹が立たなくなったな。
ああ、あなたは、そういうスクリプトなんですね、自分はこうなんです、というだけのことに過ぎなくなるから。 そこまでいったらもう宗教っつーか哲学なんだけどね
で、哲学を自分で考えるのがめんどくさい人向けにアレンジしたらおかしな方向に大ヒットしたのが宗教 >>279
その点は近代国家も似たようなものだよ。国家のために信者は命を投げ捨てる。 >>285
自分で考えるより、他人に考えて貰ってその通りにやってる方が楽だからな
そこを利用されているってのが、宗教が常に抱えている問題だな
現実的でない価値観を与えられ、目的をすり替えられ、行動を決定される
やった達成感だけが報酬で、上前は団体のトップが吸収する仕組み ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています