YHWH☆十字架☆ヤハウェ☆イエス・キリスト復活66 [無断転載禁止]©2ch.net
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イエス・キリストの啓示 パウロが書いたローマのクリスチャンに宛てた手紙より
「すべて神の聖霊に導かれている者は、すなわち、神の子です。 あなたがたは再び恐れをいだかせる
奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けました。
その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのです。 聖霊みずから、わたしたちの霊と共に、
わたしたちが神の子であることをあかしして下さいます。 もし子であれば、相続人でもあります。
神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのです。
わたしは思います。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいます。 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、
自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 かつ、被造物自身にも、
滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからです。
実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っています。」 「それだけではなく、聖霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、
子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいます。
わたしたちは、この望みによって救われているのです。しかし、目に見える望みは望みではありません。
なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人がいるでしょうか。
もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのです。
聖霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さいます。
なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないのですが、聖霊みずから、言葉にあらわせない
切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからです。
そして、人の心を探り知るかたは、聖霊の思うところがなんであるかを知っておられます。なぜなら、聖霊は、
聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからです。 神は、神を愛する者たち、すなわち、
ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいまた。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためでした。
そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、
更に栄光を与えて下さったのです。」 「それでは、これらの事について、なんと言いましょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対し得るでしょうか。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず
万物をも賜わらないことがあるでしょうか。 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのですか。
神は彼らを義とされるのです。 だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。キリスト・イエスは、死んで、否、
よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、
飢え、裸ですか、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において
圧倒的勝利者なのです。 わたしは確信します。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちのアドニーである
キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません。」 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ 。
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モテない女板
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【自殺は】早く死にたい喪女53【嫌】 イエス・キリストの啓示 使徒の働き 新約聖書より
「神は人をかたよりみないかたで、 神を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。 あなたがたは、神がすべての者のヤハウェなる
イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、 イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。
このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとく
いやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、
全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを、 人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、
あかしをしています」。 ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、
聖霊がくだられた。」 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。ハレルヤ 。
Christian.Dinner さん、みなさん、こんばんは。
>>375
Christian.Dinner さん、ありがとうございます。
>>374
こんばんは。 >>370
Christian.Dinner さん、了解です。 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう、
イエス様を信じる愛する兄弟姉妹たち、サラさん、みなさん、おはようございます。
>>377
>>378サラさん、いつもイエス様のためにみことばの引用ありがとうございます。
今週もイベントよろしくお願いいたします。
では、イエス様と兄弟姉妹と共に神のことばのmorningにしましょう。ハレルヤ 詩篇 148篇
「ハレルヤ。もろもろの天からヤハウェをほめたたえよ。もろもろの高き所でヤハウェをほめたたえよ。
その天使よ、みなヤハウェをほめたたえよ。その万軍よ、みなヤハウェをほめたたえよ。
日よ、月よ、ヤハウェをほめたたえよ。輝く星よ、みなヤハウェをほめたたえよ。
いと高き天よ、天の上にある水よ、ヤハウェをほめたたえよ。これらのものにヤハウェのみ名をほめたたえさせよ、
これらはヤハウェが命じられると造られたからである。ヤハウェはこれらをとこしえに堅く定め、
越えることのできないその境を定められた。
海の獣よ、すべての淵よ、地からヤハウェをほめたたえよ。
火よ、あられよ、雪よ、霜よ、み言葉を行うあらしよ、もろもろの山、すべての丘、
実を結ぶ木、すべての香柏よ、野の獣、すべての家畜、這うもの、翼ある鳥よ、
地の王たち、すべての民、君たち、地のすべてのつかさよ、若い男子、若い女子、老いた人と幼い者よ、
彼らをしてヤハウェのみ名をほめたたえさせよ。そのみ名は高く、たぐいなく、その栄光は地と天の上にあるからである。
ヤハウェはその民のために一つの角をあげられた。これはすべての聖徒のほめたたえるもの、
ヤハウェに近いイスラエルの人々のほめたたえるものである。ハレルヤ。」 「神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神とヤハウェ・イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの父なる神を賛美しよう。神はキリストにあって、
天上でもろもろの霊の祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえに清く傷のない者となるようにと、
天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって
神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのです。
これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためです。
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、
すなわち、罪過のゆるしを受けました。神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとを
わたしたちに賜わり、御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに
示して下さったのです。 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかなりません。それによって、
神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのです。
わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあって
あらかじめ定められ、神の民として選ばれました。 それは、早くからキリストに望みをおいている
わたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。 あなたがたもまた、キリストにあって、
真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、
約束された聖霊の証印をおされたのです。」 「この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、
神の栄光をほめたたえるに至るためです。
こういうわけで、わたしも、ヤハウェ・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを耳にし、
わたしの祈りのたびごとにあなたがたを覚えて、絶えずあなたがたのために感謝しています。
どうか、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに
賜わって神を認めさせ、 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが
神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、
あなたがたが知るに至るように、と祈っています。 神はその力をキリストのうちに働かせて、
彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 彼を、すべての支配、権威、権力、
権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのです。
そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられました。
この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、
満ちみちているものに、ほかならないのです。」 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。ハレルヤ 。
Christian.Dinner さん、みなさん、おはようございます。
>>157 最初の言葉
>>158 Aコース
>>159-162 Bコース
>>163 >>165-169 Cコース
>>371-373 Dコース
締めの言葉
以上、イエス様からの福音をお伝えしました。
「ヤハウェなるイエスの恵みが、あなたがたと共にありますように。 わたしの愛が、キリスト・イエスにあって、
あなたがたと共にありますように。」イエス様、ありがとうございました。 >>379
Christian.Dinner さん、今週も、イベント先をよろしくお願いします。 まことは、貧乏人が太るという知識もなかったみたいだが
生活保護は、食べ物もないほど貧乏なのか? ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。
>>383>>384
サラさん、ありがとう。では神の子どものランチタイムにしましょう。ハレルヤ。 「さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 かつてはそれらの中で、
この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、
歩いていたのです。また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、
肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子でした。
しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって
死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのです――
キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのです。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、
キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。」 「だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った
肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、 またその当時は、キリストを知らず、
イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者でした。
ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、
キリストの血によって近いものとなったのです。 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、
敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのです。
それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、 十字架によって、
二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのです。
それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも
平和を宣べ伝えられました。 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの聖霊の中にあって、
父のみもとに近づくことができるからです。 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、
聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのです。 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという
土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石です。
このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、ヤハウェにある聖なる神殿に成長し、 そしてあなたがたも、
ヤハウェにあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのです。」 「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ――
わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたでしょう。
すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのです。
あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかります。
この奥義は、いまは、聖霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されていますが、
前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのです。 それは、異邦人が、
福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、
共に約束にあずかる者となることです。 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた
神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのです。」 「すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたのですが、
それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、 更にまた、万物の造り主である神の中に
世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためです。
それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
わたしたちのアドニーであるキリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものです。
このヤハウェ・キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に
神に近づくことができるのです。 だから、あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、
落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのです。」 「こういうわけで、わたしはひざをかがめて、 天上にあり地上にあって「父」と呼ばれている
あらゆるものの源なる父に祈ります。 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもって
あなたがたの内なる人を強くして下さるように、 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、
あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、
深さを理解することができ、 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、
神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈ります。
どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、
はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、 教会により、また、キリスト・イエスによって、
栄光が世々限りなくあるように、アーメン。」 スレ主様へ、教示願います。
三位一体ではなく、三位一連もしくは三位一団でしょうか? >>392
スレ主ではないのですが、
もともと三位一体というのは間違っていますよ。
「子は知らないのに父だけ知っている」
とイエスが言っていますからね。
父と子が一体ならばこんなはずはないでしょう。
教会はどう説明するんですか? >>393
返答ありがとうございます。
教会も三位一体ではないと。
父なる神・子なる神・聖霊なる神が、連携していると。
それを、私自身が三位一連とか三位一団という
表現的考えでいいにかなと思った次第です。 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ 。
>>392
あとで答えます。ではイエス様と兄弟姉妹と共にディナーにしましょう。 イエス・キリストの啓示 使徒の働き 新約聖書より
「神は人をかたよりみないかたで、 神を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。 あなたがたは、神がすべての者のヤハウェなる
イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、 イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。
このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとく
いやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、
全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを、 人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、
あかしをしています」。 ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、
聖霊がくだられた。」 >>395
いやいや、教会は三位一体説を推奨しているんじゃないですか?
私が問題にしたのは、
イエスの
24:36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」
(マタイ)
という言葉です。
子(イエス)が知らないで、父(神)だけが知っている。
となると、「子と父は一体じゃないじゃん」
ということです。
しかし、イエスはその時をその後、昇天後に仄めかしているんですよね。
なお「その時」というのは「審判の時、再臨の時」を示している、と考えられます。
横からすいません。
スレ主さんの見解はどうなんでしょうか? 詩篇 第146篇
「ハレルヤ。わが魂よ、ヤハウェをほめたたえよ。
わたしは生けるかぎりはヤハウェをほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう。
もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない。彼らには助けがない。
その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる。
ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、ヤハウェにおく人はさいわいである。
ヤハウェは天と地と、海と、その中にあるあらゆるものを造り、とこしえに真実を守り、
しえたげられる者のためにさばきをおこない、飢えた者に食物を与えられる。
ヤハウェは捕われ人を解き放たれる。ヤハウェは盲人の目を開かれる。ヤハウェはかがむ者を立たせられる。
ヤハウェは正しい者を愛される。ヤハウェは寄留の他国人を守り、みなしごと、やもめとをささえられる。
しかし、悪しき者の道を滅びに至らせられる。
ヤハウェはとこしえに統べ治められる。シオンよ、あなたの神はよろず代まで統べ治められる。
ハレルヤ。」 スレ主さん、答えていましたね。
でも「使徒の働き」って、「イエス・キリストの啓示」ってありますが、イエス自身の言葉ではないですよね。
ヨハネの黙示録ならイエス自身の言葉、と考えられますが。
>神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。
このイエスは、神が共におられるので
これが「三位一体説の根拠?」
でも、この文脈だと、あくまでも「神とイエスは別々で二人がそれぞれいる」としか解釈できませんが。 >>392
イエスはこう言われました。
「聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためであります。」
このイエス様のみことばでわかるように、ヤハウェなる父である神とイエス様はひとつであり、
クリスチャンたちもヤハウェなる父である神とイエス様とひとつです。 >>401
じゃあ、
>24:36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」
(マタイ)
という言葉です。
子(イエス)が知らないで、父(神)だけが知っている。
となると、「子と父は一体じゃないじゃん」
ということです。
はどう説明するんですか? イエス様のみことば
「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。
あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったからです。
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。
わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。
父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。
わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。
彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。
そして、彼らはあなたの言葉を守りました。 いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、
あなたから出たものであることを知りました。 なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、
そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、
また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。」 じゃあ、一番大事なこと。
再臨と携挙の時は知っているんですか?
解るんですか?
すいません、食事に行ってきます。 「わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。
彼らはあなたのものなのです。わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。
そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。 わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、
わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためであります。わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、
また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。
今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。
わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。
わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。
わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。 真理によって彼らを聖別して下さい。
あなたの御言葉は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。
また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。」 「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、
お願いいたします。 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、
みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、
それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。
わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、
わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。
父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。
天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。
正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、
また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。 そしてわたしは彼らに御名を知らせました。
またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、
またわたしも彼らのうちにおるためであります」。 君が神はいると確証した日ががその時じゃよ。
405 神が出現したらどうしたらよいかユダヤ人に聞いておきなさい。 >>402
そのみことばは、イエス・キリストの全能性を否定するものではありません。
「知らない」という原語は、「知らない」「理解しない」という意味ではなく、
正しくは、「関係ない」「関わることではない」になります。
イエス様は父と同様に全能者ですから、再臨と携挙の時はご存知です。
しかし、その日がいつなのかは、父が権威により定めておられることです。 ヘブライ語、ギリシャ語学者の著作でも確認してますが、手元にないので
詳細は書けませんが、「知らない」という言葉と「分からない」という原語は違います。
次のイエス様のみことばをよく読んでください。
「知らない」という言葉と「分からない」言葉が出てきます。
イエス・キリストのみことば
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じです。
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからです。」
このみことばで明らかでしょう。
「あなたがたには分からないからです。」とイエスは言われてますでしょう。
イエスは、「わたしには分からない」とは言われてません。
その日は、「あなたがたには分からないからです。」 イエス・キリストのみことば
イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんください。なんという見事な石、
なんという立派な建物でしょう」。イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのですか。
その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるでしょう」。
またオリブ山で、宮にむかってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにお尋ねした。
「わたしたちにお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。
またそんなことがことごとく成就するような場合には、どんな前兆がありますか」。 そこで、イエスは話しはじめられた、
「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、
自分がそれだと言って、多くの人を惑わすでしょう。 また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、慌ててはいけない。
それは起らねばならないが、まだ終りではありません。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるでしょう。
またあちこちに地震があり、またききんが起るでしょう。これらは産みの苦しみの初めです。
あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、
長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるでしょう。
こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならないのです。
そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配してはいけない。
その場合、自分に示されることを語りなさい。語る者はあなたがた自身ではなくて、
聖霊です。 また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるでしょう。
また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるでしょう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます」 スポーツに例えるなら、野球の連携プレーのような感じですかね? 「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
屋上にいる者は、下におりてはいけない。また家から物を取り出そうとして内にはいってはいけない。
畑にいる者は、上着を取りにあとへもどってはいけない。 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸です。
この事が冬おこらぬように祈りなさい。 その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく
今後もないような患難が起るからです。 もしヤハウェがその期間を縮めてくださらないなら、
救われる者はひとりもないでしょう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのです。
そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じてはいけない。 偽キリストたちや、
偽預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするでしょう。
だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておきます。」 「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、 星は空から落ち、天体は揺り動かされるでしょう。
そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るでしょう。
そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるでしょう。
いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかります。
そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがありません。
天地は滅びるでしょう。しかしわたしの言葉は滅びることがありません。 その日、その時は、だれも知らない。
天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられます。 気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、
あなたがたにはわからないからです。 それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、
門番には目をさましておれと、命じるようなものです。
だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、
明け方か、わからないからです。 あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。
目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのです」。 >「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
これの元ネタ、伏線が何だか解りますか?
特に「山へ逃げなさい。 」のところです。
それが解らないとこの言葉の真意は理解できません。 神聖四文字が特定の固有名称でないことから考えても明らか。 ヤハウェやアドニーとは日本で言えば真名のことです。 「山へ逃げなさい」
の元ネタ、伏線は、ロトのソドム脱出です。 >>431
それは違う。
それが根本的な間違い。
今回の失敗の原因。
人間(地球人)がイエスを呼ばなかったからイエスは来れなかった。 それに、神は悪を滅ぼす仕事なんかしない。
神は全てのもの、宇宙、地球、人間、天使、悪魔を創造しただけ。
この世に存在するものは全てが神の被造物。
悪魔も神の被造物。
存在理由があるから、必要だから神が創った。
悪魔を滅ぼすのは人間。
天使はその助言、忠告、アドバイスをするだけ。
聖書は天使が与えたテキスト。
二人の主人に仕えることはできない。
期限までにどちらの主人を選ぶのかは人間が決める。
今回も人間は自分の主人に天使(イエス)を選ばなかった。
だから、やがて悪魔が主人としてやってきて、人間はその奴隷として仕えなければならない。 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう、
イエス様を信じる愛する兄弟姉妹たち、サラさん、みなさん、おはようございます。
>>326
サラさん、今週のイベントよろしくお願いいたします。
では、イエス様と兄弟姉妹と共に神のことばのmorningにしましょう。ハレルヤ 「イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに
守られている召された人々へ。
あわれみと平安と愛とが、あなたがたに豊かに加わるように。
愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと
心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、
手紙をおくる必要を感じるに至りました。 そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、
わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストを
否定しているからです。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されています。
あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではありますが、ヤハウェが民をエジプトの地から救い出して後、
不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたいのです。」 「ヤハウェは、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、
大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗闇の中に閉じ込めておかれました。
ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、
永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされています。 しかし、これと同じように、これらの人々は、
夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっているのです。
御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、
ただ、「ヤハウェがおまえを戒めて下さるように」と言っただけでした。
しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な
知識にあやまられて、自らの滅亡を招いています。 彼らはわざわいです。彼らはカインの道を行き、
利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのです。
彼らは、あなたがたの愛餐に加わるのですが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしています。
彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、
自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星です。彼らには、まっくらな闇が永久に用意されています。」 アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言いました、
「見よ、ヤハウェは無数の聖徒たちを率いてこられた。 それは、すべての者にさばきを行うためであり、
また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が
ヤハウェにそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。 彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、
自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者です。
愛する者たちよ。わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。
彼らはあなたがたにこう言いました、
「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。
彼らは分派をつくる者、肉に属する者、御霊を持たない者たちです。 しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、
最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、 神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、
わたしたちのアドニーであるイエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 疑いをいだく人々があれば、
彼らをあわれみ、 火の中から引き出して救ってやりなさい。
また、そのほかの人たちを、おそれの心をもってあわれみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、
その下着さえも忌みきらいなさい。」 「あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、
喜びのうちに立たせて下さるかた、 すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、
わたしたちのアドニーであるイエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、
また、世々限りなく、あるように、アーメン。」 まこと君
自己満足のネット検索だけで
救われたか? 「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―― この福音は、
神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものです。
御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって
神の御子と定められました。これがわたしたちのアドニーであるイエス・キリストです。わたしたちは
その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと
使徒の務とを受けたのであり、あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに
属する者となったのです。ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。
わたしたちの父なる神およびヤハウェ・イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
まず第一に、わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、イエス・キリストによって、
あなたがた一同のために、わたしの神に感謝します。」 「わたしは、祈りのたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、
どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っています。
このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて
仕えている神です。 わたしは、あなたがたに会うことを熱望しています。あなたがたに霊の賜物を
幾分でも分け与えて、力づけたいからです。 それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとの
お互いの信仰によって、共に励まし合うためにほかなりません。 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。
わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、あなたがたの所に
行こうとしばしば企てたが、今まで妨げられてきました。 わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、
賢い者にも無知な者にも、果すべき責任があります。そこで、わたしとしての切なる願いは、
ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのです。わたしは福音を恥としない。
それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力です。
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせます。
これは、「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう、
明日のイベント開催
読書が好きな奥様(IDなし)4冊目
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1480253958?v=pc 「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、
天から啓示されます。 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに
明らかにされたのです。 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、
被造物において知られていて、明らかに認められるからです。したがって、彼らには弁解の余地がありません。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、
その無知な心は暗くなったからです。 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、
朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのです。
ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられました。
彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのです。
創造者こそ永遠に賛美されるかた、アーメン。」 「それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられました。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を
不自然なものに代え、男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互いにその情欲の炎を燃やし、
男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのです。
そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、
なすべからざる事をなすに任せられました。 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、
ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、
大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっています。
彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、
それを行う者たちを是認さえしているのです。」 「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がありません。
あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。
さばくあなたも、同じことを行っているからでです。
わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っています。
ああ、このような事を行う者たちをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。
あなたは、神のさばきをのがれうると思うのですか。 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、
その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのですか。 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、
あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのです。
神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられます。 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、
光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、
他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、 怒りと激しい憤りとが加えられるのです。
悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、
善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられます。
なぜなら、神には、かたより見ることがないからです。」 「そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、
律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれるのです。 なぜなら、律法を聞く者が、
神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからです。
すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、
たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのです。
彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、
そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのです。
そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらを
さばかれるその日に、明らかにされるでしょう。」 「もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、 御旨を知り、
律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、 さらに、知識と真理とが律法の中に形をとっているとして、
自ら盲人の手引き、闇におる者の光、愚かな者の導き手、幼な子の教師をもって任じているのなら、
なぜ、人を教えて自分を教えないのですか。盗むなと人に説いて、自らは盗むのですか。
姦淫するなと言って、自らは姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自らは神殿の物をかすめるのですか。
律法を誇りとしながら、自らは律法に違反して、神を侮っているのですか。
聖書に書いてあるとおり、「神の御名は、あなたがたのゆえに、異邦人の間で汚されているのです」。
もし、あなたが律法を行うなら、なるほど、割礼は役に立つでしょう。
しかし、もし律法を犯すなら、あなたの割礼は無割礼となってしまうのです。」 「だから、もし無割礼の者が律法の規定を守るなら、その無割礼は割礼と見なされるではありませんか。
かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と
割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのです。
というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が
割礼でもありません。 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による
心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来ます。」 「では、ユダヤ人のすぐれている点は何ですか。また割礼の益は何でしょうか。
それは、いろいろの点で数多くあります。まず第一に、神の言葉が彼らにゆだねられたことです。
すると、どうなるのですか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、
その不真実によって、神の真実は無になるでしょうか。
断じてそうではありません。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なかたとすべきです。
それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、
勝利を得るため」と書いてあるとおりです。
しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきでしょうか。
怒りを下す神は、不義であると言うのですか(これは人間的な言い方ではありますが)。
断じてそうではありません。もしそうであったら、神はこの世を、どうさばかれるのでしょうか。
しかし、もし神の真実が、わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、
神の栄光となるなら、どうして、わたしはなおも罪人としてさばかれるのでしょうか。
むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」
(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっています)。
彼らが罰せられるのは当然です。
すると、どうなるのですか。わたしたちには何かまさったところがあるのでしょうか。
絶対にありません。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘しました。」 「次のように書いてあります、
「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。
彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、
彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。彼らの足は、血を流すのに速く、
彼らの道には、破壊と悲惨とがある。
そして、彼らは平和の道を知らない。彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られています。
それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためです。
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからです。
律法によっては、罪の自覚が生じるのみです。」 「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされ現されました。
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものです。
そこにはなんらの差別もありません。すなわち、すべての人は罪を犯したため、
神の栄光を受けられなくなっており、 彼らは、価なしに、神の恵みにより、
キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのです。
神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされました。
それは神の義を示すためでした。すなわち、今までに犯された罪を、
神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、
神の義を示すためでした。こうして、神みずからが義となり、さらに、
イエスを信じる者を義とされるのです。すると、どこにわたしたちの誇があるのですか。全くありません。
なんの法則によってですか。行いの法則によってでしょうか。
そうではなく、信仰の法則によってなのです。」 「わたしたちは、こう思います。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、
信仰によるのです。それとも、神はユダヤ人だけの神なのでしょうか。
また、異邦人の神であるのではないでしょうか。確かに、異邦人の神でもあります。
まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、
また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのです。 すると、信仰のゆえに、わたしたちは
律法を無効にするのですか。断じてそうではありません。
かえって、それによって律法を確立するのです。」 ----
† ルカによる福音書11.43-46
わざわいだ。パリサイ人。おまえたちは会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。
わざわいだ。おまえたちは人目につかぬ墓のようで、その上を歩く人々も気がつかない。」
すると、ある律法の専門家が、答えて言った。「先生。そのようなことを言われることは、私たちをも侮辱することです。」
しかし、イエスは言われた。「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、
自分は、その荷物に指一本さわろうとはしない。
原発は日本を不幸にするだけです。悔い改めなさい。時間がありません。
† マタイ23.13
しかし、忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。
あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。
自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。
---- ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう、
イエス様を信じる愛する兄弟姉妹たち、サラさん、みなさん、おはようございます。
では、イエス様と兄弟姉妹と共に神のことばのmorningにしましょう。ハレルヤ 「それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいでしょうか。
もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることがでるでしょう。
しかし、神のみまえでは、できません。
なぜなら、聖書はなんと言っていますか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とあります。
いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められるのです。
しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められます。
ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、 次のように言っています、
「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、 さいわいである。罪をヤハウェに認められない人は、さいわいである」。 「もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまうのです。
いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはありません。
このようなわけで、すべては信仰によります。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、
律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのです。アブラハムは、
神の前で、わたしたちすべての者の父であって、 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」
と書いてあるとおりです。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じました。
彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じました。
そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのです。
すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、
なお彼の信仰は弱りませんでした。 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって
信仰によって強められ、栄光を神に帰し、 神はその約束されたことを、また成就することができると確信しました。
だから、彼は義と認められたのです。」 「しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、 わたしたちのためでもあって、
わたしたちのアドニーであるイエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、
義と認められます。 ヤハウェは、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、
よみがえらされたのです。
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストにより、
神に対して平和を得ています。 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって
導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。 それだけではなく、患難をも喜んでいます。
なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」 「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する
愛を示されたのです。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのですから、なおさら、彼によって神の怒りから
救われるでしょう。 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、
和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるでしょう。 そればかりではなく、わたしたちは、
今や和解を得させて下さったわたしたちのアドニーであるイエス・キリストによって、神を喜ぶのです。」 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。ハレルヤ 。
Christian.Dinner さん、みなさん、おはようございます。
>>445
Christian.Dinner さん、よろしくお願いします。
>>385>>392-395>>398>>400>>402>>404-405>>408-409
>>414-415>>418-434>>440-442>>456
おはようございます。 イエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ。
サラさん、おはよう、ではランチをどうぞ 「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、
こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのです。 というのは、律法以前にも
罪は世にあったのですが、律法がなければ、罪は罪として認められません。
しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、
死の支配を免れなかったのです。このアダムは、きたるべき者の型です。
しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっています。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が
死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、
さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではありませんか。 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは
異なっています。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったのですが、
恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからです。 もし、ひとりの罪過によって、
そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを
受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではありませんか。」 「このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、
いのちを得させる義がすべての人に及ぶのです。 すなわち、ひとりの人の不従順によって、
多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされます。
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためです。しかし、罪の増し加わったところには、
恵みもますます満ちあふれました。 それは、罪が死によって支配するに至ったように、
恵みもまた義によって支配し、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストにより、
永遠のいのちを得させるためです。」 「では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきでしょうか。
断じてそうではありません。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きていられるでしょうか。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、
彼の死にあずかるバプテスマを受けたのです。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、
彼と共に葬られたのです。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、
わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためです。 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様に
ひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるでしょう。
わたしたちは、この事を知っています。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられました。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためです。
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからです。 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、
また彼と共に生きることを信じます。 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、
死はもはや彼を支配しないことを、知っているからです。 なぜなら、キリストが死んだのは、
ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからです。
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって
神に生きている者であることを、認めなさい。 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて
その情欲に従わせることをせず、 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。
むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として
神にささげなさい。 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、
罪に支配されることはないからです。」 「それでは、どうなのですか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を
犯すべきでしょうか。断じてそうではありません。 あなたがたは知らないのですか。あなたがた自身が、
だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、
あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのです。 しかし、神は感謝しよう。あなたがたは罪の僕でしたが、
伝えられた教えの基準に心から服従して、 罪から解放され、義の僕となったのです。 わたしは人間的な
言い方をしますが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえです。あなたがたは、かつて自分の肢体を
汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、
きよくならねばならないのです。 あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者でした。
その時あなたがたは、どんな実を結んだのですか。それは、今では恥とするようなものでした。
それらのものの終極は、死です。 しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、
清さに至る実を結んでいます。その終極は永遠のいのちです。 罪の支払う報酬は死です。
しかし神の賜物は、わたしたちのアドニーであるキリスト・イエスにおける永遠のいのちです。」 ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう、
イエス様を信じる愛する兄弟姉妹たち、サラさん、みなさん、こんばんは。
では、イエス様と兄弟姉妹と共に神のことばのディナーにしましょう。ハレルヤ
今夜のイベント
読書が好きな奥様(IDなし)4冊目
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1480253958/l50?v=pc 「それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのですか。わたしは律法を知っている人々に語るのですが、
律法は人をその生きている期間だけ支配するものです。すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、
律法によって彼につながれています。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放されます。
ですから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれますが、もし夫が死ねば、
その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならないのです。
わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死にました。
それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、
こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのです。 というのは、わたしたちが肉にあった時には、
律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていました。
しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、
その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのです。」 「それでは、わたしたちは、なんと言いましょうか。律法は罪なのですか。断じてそうではありません。
しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」
と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったでしょう。
しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させたのです。
すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのです。 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、
戒めが来るに及んで、罪は生き返り、 わたしは死にました。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、
かえってわたしを死に導いて行くことがわかったのです。 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、
わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからです。 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、
戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものです。 では、善なるものが、わたしにとって死となったのですか。
断じてそうではありません。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざです。
すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによって
わたしを死に至らせたのです。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています