>>768
うい

律法は従わない時の罰則である神の怒りがあって初めて機能する

旧約にある神の怒り逸話を文字通りに受け入れてしまったら新約の愛の神のことが全く理解できなくなる

神秘主義的な理解で捉えると、寓話は内的な現実を形作る
これは子供が読む質の高い童話も同じ効果がある

寓話を通じて神の怒りを内面的に体験する
神の怒りの凄まじさをある意味で内的に体験し律法に従う力が生まれる

律法を完成させるための時代だからこそ、神の怒りとその体験を内的な現実として定時することは必要不可欠なものだったのだと私は理解している

だから旧約の神の怒りは文字通りで受け入れるのではなく、律法の時代だからこそ、必要だった表現だと理解すべき

これが、唯物論の時代になると律法はそもそも、当たり前になってるし、寓話や童話の果たすべき内的、霊的な役割が分からなくなってるから、神は何万人も殺した、みたいなわけのわからない話になる

そして、律法が定着し、完成したら、律法に従ってない負い目、ようするに良心の呵責が生まれるようになる

この良心の呵責が新約の悔い改めを可能に、悔い改めに対し、神の恩寵である愛が示される