>>702
このテーマは>>3.についてだね

ティキにとって人の罪を敢えて見ず、聞かず、知らず、は人を神に導くためにやってる、その方法論だ、と言いたい訳だね

これに対しては、一つ目は、ティキはまず自分が人を神に導ける準備ができている、と考えているのかな?
であれば凄く傲慢な態度だと思う

二つ目は、仮に相手を導く時に、相手の良いところも悪いところも知らないのに導くことなんて出来るのかな?
通常であれば、よい親は子の良いところは伸ばし、悪いところは直そうとするものなのではないかな?
だから、神も人の悪いところを治すために愛から、試練を与えることもあるし、キリストはパリサイ派を諌めたりするもんなのではないかな?