>>611
>破門に遭った僧の実例はあるの?

 1901年(明治34年)に大乗非仏説を提唱する書籍を出版したために真宗大谷派の僧侶が破門されて僧籍を離脱しています(後に復帰
した)。この方が超がつく大物であり、東京帝国大学印度哲学科の初代教授にして名誉教授、そして大谷大学学長でした。そのため有
名な事件となった。宗門の信仰を破壊するような行動をすればどうなるのか、恐らくは見せしめということでしょう。けれどもたまた
まこの方が大物だったから騒がれただけで、宗門の手前と圧力があって実態の詳細はなかなか表沙汰にはなり難いでしょうから、こ
の事例などは氷山の一角だと思います。ごく最近の事例では、TV出演を機会に瞬く間に有名人と化した東大卒エリートの小池龍之介
氏で、『超訳ブッダのことば』などの書籍も出版してました。彼は浄土真宗本願寺派の僧侶でありながら、根本仏教を提唱して原始仏
典に基づいた観察(ヴィパッサナ)や集中(サマタ)の瞑想指導などを行っていた。そのことが宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程
(宗則第9号)第12条の2に当たるものとされ、破門処分を受けて僧籍を削除されています。
 まっ、真宗系列は一神教要素が顕著で排他性が強く、元々は一向一揆の攻撃性も潜めているところなので、特にこういうことが目
立つ宗派なのかもしれませんが・・・。
 だから、真宗の寺院に生れて家を継ぐべく勉強していて、しだいにブッダの教えに感銘して原始経典の学修を深めていく中で、自己
の中に根本仏教の教えや大乗非仏説という理解に至った場合は、その僧侶はその後の人生の生き方を問われることとなるのです。

 『村上専精---また、1901年、永年の仏教思想研究の成果に客観的方法論を導入して『仏教統一論』を著し、大乗非仏説を提起、
大きな反響を呼んだ。このため一時、所属する真宗大谷派の僧籍を離れる(還俗)ことがあったが、同派出身の南条文雄・ 井上円了・
清沢満之らをはじめ幅広い分野の人々と交流、終始一貫、近代的な仏教研究と教育体制の充実・整備に力を注いだ。
---中略---主な著書・仏教統一論[第1編:大綱論、第2編:原理論、第3編:仏陀論](1901〜1905年)・大乗仏説論批判(1903年)』
(Wiki)