そこで生まれながらのクリスチャンはやはり気付きました。

人は信用できないのだと、
人によって違うとかでなく、そういう意味でなく、
信用できないのですよ。

そりゃそうですよ、どれほど信頼足りうるだけの能力を持つ人でも、
能力を超えてではなく、人を崇拝するという事はその人の尊厳を
逆に無視した、隣人愛がないのです。

信用できるのは神様だけなのです。

それが解ってはじめて、
>言い換えれば、こんな感じでしょうか、祈りや感謝、あるいは信頼は
>赤子の様に、一番自らのエネルギーは要らない。

(ダニエルさんが、エネルギーが分かり難いと仰ったので)
自分の力が要らないに、一致していくと思います。