GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝3 [無断転載禁止]©2ch.net
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宗教法人GLA(主宰:高橋佳子)による遺骨崇拝(*1)、納骨堂の建設許可申請
における虚偽(>>2 *2)、その他、宗教法人GLAに関する話題を議論するスレッドです。
【過去スレ】
GLAの遺骨崇拝 http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1415245309/
GLA【高橋佳子】の遺骨崇拝2 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1451819519/
【*1】「遺骨崇拝」とは、
http://megalodon.jp/2014-1112-0925-12/https://www.gla.or.jp:443/support/kinenkan/p7.php
> 人生祈念館地階には、人生を支えた肉体への感謝を込めて、「ご遺骨」
> をお預かりする「納骨室」も設けられました。大いなる存在の光が常に注がれ、
> 見守られている中で、ご遺骨は安置されます。
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に
> 奉納できることは、魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、
> このうえない誇りにほかなりません。
にあるように、GLAの納骨堂(人生祈念館)に、開祖高橋信次らの遺骨とともに
納骨することを「歓び」、「このうえない誇り」であると主張する
神理(GLAの教義)を指します。 GLAを憂う元会員は、「魂の因果律の全体像」「煩悩地図の原理」という神理
(と称するもの)を説いた。
http://file.copyman.syoyu.net/GB.pdf
http://file.copyman.syoyu.net/GC.pdf
これは元会員が「勝手に説いた」というより、佳子先生によって「説くように
仕向けられた」と考えることが正しい。
その理由は、「これらの神理を佳子先生が説かれなかった」ということと、
「歴史の整備」というテーマを与えられたということである。
「魂の因果律の全体像」と「煩悩地図の原理」とを前提にしなければ、
GLAの歴史上の出来事の多くを説明できなかったわけであり、元会員は「歴史の整備」
を進めようとするならば、これらの神理を自分自身で説かざるを得なかったのだ。
では、佳子先生が元会員に神理を説かせた理由は何だろうか。それは、ただ、
神理を説く鍛錬のためだけだろうか?
もし、これらの神理を佳子先生が説かれたならば、ほぼ全ての会員は(実際に理解
できているかどうかは別として)、「これらは正しい神理である」と認識できた
はずである。しかし、元会員がこれらの神理を説いたことにより、
会員は、「これらは正しい神理である」と確信できる者と、「正しいのかどうか
解らない」と考える者とに二分されてしまったのではないだろうか。
実は、このように「会員を二分する」ことこそ、元会員に神理を説かせた理由
があると思うのだ。 元会員は、「霊操行のご提案」のレポート
http://file.copyman.syoyu.net/GH.pdf
にて霊操行を推奨しながら、その13ページでは、次のように述べている。
> 「先生の御心を感じさせて頂く」といいましても、私達は、
> 「人生の基盤」のフィルターを通して歪められ、自らの「器」によって制約さ
> れた「先生の御心」しか感じることができなくなります。このようにして私達
> の意識に映し出された「先生の御心」とは、実際の「先生の御心」には程遠い
> ものであり、それはむしろ自分自身の意識の状態を色濃く反映した虚像のよう
> なものでしかないように思えます。
> なお、自らの意識に映し出された「先生の御心」の方向性が大きく外れてい
> る場合は、そこを目標として一体化してゆくことは問題が生じるかもしれません。
そして、最後は、次のように結論付けている。
> しかし、ご著書や GLA 誌の記事、あるいは「反芻用」として指定された
> 御映像の中から行の対象となる題材を選んでゆけば、それほど大きな問題は生
> じないものと考えます。 しかし、元会員の認識は、甘すぎたのではないかと思う。
元会員の示した霊操行は、「内界の看取りと浄化がある程度進んだ人」
のみが取り組むべきである。そうでない人が取り組むと、あらぬ方向に
心を歪ませてしまう危険があるため、取り組むべきではないのだ。
では、「内界の看取りと浄化がある程度進んだ人」とそうではない人とを
どのようにして峻別するかが問題になる。それは、元会員が説いた
「魂の因果律の全体像」と「煩悩地図の原理」に対して、
「自分の心を尺度として検証した結果、これらは正しい神理である」
と確信できる人が、「内界の看取りと浄化がある程度進んだ人」である。
実際、「魂の因果律の全体像」と「煩悩地図の原理」とが「正しい
神理である」と確信できた人ならば、同じ人物が説いた「霊操行」についても、
「一度試しに取り組んでみよう」と考える動機が出てくるだろう。
一方、これらの神理が「正しいのかどうか解らない」と思う人は、
「霊操行に取り組もう」という動機も湧いてこないだろう。
これによって霊操行に取り組むべき人は霊操行に誘われ、取り組むべき
でない人は取り組まないように誘われるであろう。 霊操行の危険な側面のことを考慮すると、元会員が説いたことの
扱い方も、危険を回避する方向に沿って考えなければならない。
まず、GLAは、「霊操行」に対して「一切推奨しない」という態度を
貫かなければならない。なぜなら、GLAが推奨する行は、誰が取り組んでも
「安全」なものでなければならず、一部の人であっても危険が及ぶ
可能性があるなら、会員に推奨してはならないはずだ。如是我聞においても、
「霊操行に取り組んだおかげで果報を頂いた」というような話は、
タブーにすべきだろう。
そして、元会員が説いた「魂の因果律の全体像」と「煩悩地図の原理」
に対しては、GLAは「神理とは認めない」という態度を貫くべきだ。
これは、GLAが「これらは正しい神理である」と認めてしまうと、実際に
理解できていない人が理解できたような気分になって、霊操行に手を
出してしまう危険があるためである。
建前上でGLAが「神理とは認めない」という態度を貫いても、「これらは
正しい神理である」と認識する人々によって、「魂の因果律の全体像」も
「煩悩地図の原理」も後世に伝承されてゆくだろう。
霊操行も、これらの神理とともに、あくまでも非公式な形で伝承され
なければならない。
全ては、霊操行の危険な側面から、多くの人を守るためである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています