契約の民であるユダヤ民族の特殊性を良くも悪くも考慮しなければ
なりません。

受信機が壊れて、機能しなくなり、乱れて別のものを受信していた
のではないかと考えられませんか。

けれど、契約の民であるという観念だけは強烈に保持している
民であるからこそ、外見と中身のずれが著しくなかなか
その歴史的な特殊性を想像するのは難しいのですが、
極端であるから分かり易いと考えれば、人類全体の問題に拡大できます。

受信機を治しに 乱れないように太く治しにイエスは来られた、
言い換えれば受信が道なのです。 
すぐに乱れやすくとも、イエスは道ですから、イエスキリストを思い起こせば
思い悩まなくとも、自力でなんとかしようと思わなくとも、
自動回復するように、いとし子を抱きしめるかのように愛の巨大な
贈り物を下さったのですね。キリスト=救い主なのです。