シャロンさん、ここはまだ私たちは誤解かどうかわかりませんが、
うまく合意できていない点かもしれませんね。


>>637
>イエスは全ての人のために十字架の贖いを完了されました。
>これを信じるかどうかはあなた次第。

>信じたその人は「神の子」とされ聖餐に招かれます。

>至って単純な真理ではあります。

全ての人の為に完了されたのでしたら、

信じるかどうかは、その条件になりませんよ。

全ての人とは人ですよね。

なら人でない人型だけの生き物であれば、すべての人のうちにはいるようではいらない。

そういう人型に対してイエスキリストは、君も人だよ神の子なんだよと
パンとぶどう酒を象徴として意識化するように言われたかもしれません。

ですからその人型だけの生き物を招かれたのかもしれませんね。

と言ってしまえば少し極端な物言いになってしまうかも知れませんが、

罪人中の罪人であり、ただの人型であるからまねかれたのかもしれないぐらい
心得も持つ霊性すらないことに心配されて、
クリスチャンに対して、さらなる警告を発しておかれたのかもしれませんよ。

「主よ、主よ」と言っても
「「知らない」と言いますよと親切に先に言って下さっているのです。

主よ主よというすべての者が
天の国に入れるのではない。

主よ主よといっても、それを持ってして神の子ではない。