わっこのお部屋 支店長、でおー、夕 立入禁止 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>206
「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」 自殺者が年間何万人も出ている国なのに、自殺者を差別しすぎ。 自死でも、お釈迦様の前生の投身供養ように
完全なる慈悲によるならば、功徳になるでしょう。
しかし、失明が嫌だからとか、単なる自己中心的動機にもとづくならば
涅槃どころか、また苦しみの輪廻を繰り返すんじゃないか。
これはわたしの考え方であって、押し付けはしません。 >>208
生から離れて自殺するんでなく、
生死を離れて生きる
どうですか 自殺も他殺も病死も突然死も過労死も事故死も死にかわりなし。
自決も、切腹も、即身成仏も、死にかわりなし。 わたしは、この公案の見解を、本で二度見たことがあった。一つは、三島由紀夫の「金閣寺」という小説で、もう一つは、曹洞宗の僧が書いた本である。
金閣寺のほうでは、南泉和尚が猫を斬ったのは、自我の迷妄を断ち、妄念妄想の根源を斬ったのである。
非情の実践によって、猫の首を斬り、一切の矛盾、対立、自他の確執を断ったのである。
これを殺人刀と呼ぶなら、趙州のそれは活人剣である。趙州が草履を頭に載せたのは、
泥にまみれ、人にさげすまれる草履というものを、限りない寛容によって頭上にいただき
菩薩道を実践したのである。
と、三島由紀夫は小説の中の老師にこう説明させている。 >>211
あんまり詳しくないけど
彼は、武道をしたり肉体改造したり、映画に出演したり
かなり忙しい人生で、心が平静になることは少なかったんじゃないか?
最後は、暴力革命を訴えたが失敗に終わり自決したが
欲望が強い人だったのかなと全体的に思います。
「若くありたい」「強くありたい」「強い日本であってほしい」など
理想が非常に高く、それが彼を苦しめていたのではないか。
しかし、若い身体も必ず衰えるし
強い肉体も、いつかは機能さえしなくなる。
強い国も、必ず衰える。 「世界を存在せしめるために、阿頼耶識は永遠に流れている。世界はどうあっても存在しなければならないからだ!
しかし、なぜ?
なぜなら、迷界としての世界が存在することによって、はじめて悟りへの機縁がもたらされるからである。世界が存在しなければならぬ、ということは、かくて、究極の道徳的要請であったのだ。」
三島由紀夫
「豊饒の海」
第三部「暁の寺」 『座禅物語』(三島由紀夫)
悟りを求める坊主が、仏陀の化身の老人から「山奥の燻銀(いぶしぎん)の蕈を食べれば、悟りが開ける」と教えられる。
坊主は蕈を、日頃世話になっている村人たちにも分け与える。村人たちは先に蕈を食べて死に、それを見た坊主は悟りを得て聖人となった。
聖人が可愛がり、「お前の子孫が栄えるように」と遺訓を授けた男児は、後に財産家になる。しかし孫の世代は水車小屋の主におちぶれた
〔*三島由紀夫が13歳の時に、学習院の「輔仁会雑誌」に発表した短編〕。 真理を誰よりも真剣に追求した三島は自死を選びました。
彼は地獄にいるんですか? >>219
天国とか地獄とか言う世界は無いと思います。
輪廻転生して地獄の因縁の苦しみを受けている。
と考えます。
生はまっとうした方がいいですね。 悟った人は生きている必要がなくなり死ぬあるいは死を自ら選ぶケースも多々有ります。
即身成仏、殉教は聞こえがいいですが、自殺者の中にもたくさんいるでしょう。
悪人世に憚る。美人薄命です。生きていることが必ずしも良いとは言えないと思います。 >>222
色即是空そして空即是色
これは、ある意味輪廻転生を現しているかもしれません。 迷える心を持つ わたしたちも 本当は 仏なのです
それは ちょうど 水と氷のようなもので
水を離れて氷なく 水がないと氷が
できないのと 同じように
わたしたちを ぬきにして 仏は ありえません
わたしたちが 仏であることを 知らずに
あちこち 探しまわるのは むなしいことです
それは、たとえば 水の中にいながら 水をください!
と 叫んでいるようなものです
本当は とても幸福なのに そのことに気付かず
「わたしは不幸だ」と 嘆いているのと 同じことです
いつまでも 苦の世界から 抜け出すことが できないのは
自分の境遇を くよくよと 嘆くからです
その長い長い 闇を通り抜けて 生きる・死ぬ という
想いから離れることが肝心です そのために
「禅定=こころを落ちつける」
という行いは わたしたちにとって
大きな支えとなることでしょう
他人への施しや 自身への いましめなどの
行うべきこと
ご先祖さまを おまつりすること 自分を反省すること
さまざまな よい行いがありますが
それらはみんな
「禅定=こころを落ちつける」 の中に含まれるのです
ひととき、心をおちつけて 静かに坐った人は
悩みごとなど 実はなかったんだ、と 気付くのです
悪い出来事など いったいどこにあると いうのでしょう
極楽は いま、ここに あるのです
ありがたいことに、 この教えを 一度でも 耳にしたときに
深くほめたたえて 信じ、うけいれる人はかならず 幸福を
手に入れることでしょう
ましてやみずから ひたすらに祈り、 お唱えをして 本来の自分を
感じとることができれば 生きるとか 死ぬとか 男だとか 女だとかの 区別なく
その瞬間、すでに 愛着や煩悩から はなれているのです
私たちは今、 仏と一体になったのです!
この ただひとつの 真実を歩んでいきましょう 真実には 本来 決まった形がないことを感じ に行っても
そこにやすらぎを みいだしましょう
こだわらず、 心おだやかに 毎日をすごせば 行いが そのまま仏法となり
まわりの人を救います
心は澄み切った 大空のように 自由に どこまでも広がり
煩悩を離れた 清らかなお月さまが 輝いています
このような時、 ほかに何を求めるというのでしょう
心が静まり、 究極のやすらぎが得られ今、
この世が そのまま 極楽であり
この身が そのまま仏なのです 最初に思ったときにさっさと実行する生き方ならそんな悩みは存在しないだろな >>227
実行して後悔して悩む人もいるでしょう。
ようするね、実行しようがしまいが、くよくよしない、後に引きずらないことです。 >>189-190
どうも。見ましたよ。感想を書きますね。
言葉足らずな所があると思う。
私も似たような事を考えたと思う。 >>229
ここに書くとスレ主にご迷惑になるので、あっちに書いてください 今日は目がよく見えます。
睡眠不足と風邪だったみたいww 昨日は目が全然見えなくて、
10牛図の説明も読めなかったし
書き込みも大変でした。 >>231
寝不足・ネットやり過ぎだと
誰でも視力落ちるってワラ 233.
悟りは論理学である。
誰か、が考えたものである。 123は前から変なことばかり書き込んでいる。
荒らし? 例えていいますと、
プラスの電線とマイナスの電線をっくつけると電気が灯るでしょう。
人の中にもプラスとマイナスの電極があるけれど
電極同士がくっつくのを煩悩が邪魔してる。
煩悩がなくなる瞬間に照明が灯るってわけ。 十牛図の牛はモーモー先生。。
ステーキにして食べちゃうと、七図の到家忘牛になります。。w 牛って、お釈迦様の喩え話では、いつも、愚かな人を例えていますよね。
毎日退屈な仕事やらされてた牛がくびきを断ち切って脱走
自由になったとおもいきや鋼鉄のくびきを付けられてしまったなど。 お釈迦様が言われた思考とは
8つの道における思考ですから
正しい思考ですよね。
大酒を飲み、会社のお金をキャバ嬢に貢いでるような
煩悩の囚われがいくら考えても牛レベル。
正しく考えることさえできない。
思考や論理で悟りに至ることはありえません。
まず悟りがやってきて正しく思考できるようになるの。
座って心を鎮めるのは基本でしょう。
坐禅を最初からバカにして悟りも何もないと思います。 坐禅をすると心が静まり。
672 : 神も仏も名無しさん2016/08/19(金) 01:08:11.84 ID:Np2jKkpq
どこまで根性ネジ曲がってるんだろうね!
呆れるもう
本当に死にますから。
673 : mirrh2016/08/19(金) 01:09:19.98 ID:Np2jKkpq
お香典くださる方には口座番号教えます。 >>242
お釈迦さんも成道後は、各地で競って接待されたましたが
現代で言えば、キャバ嬢に接待されているのと変わらなかったのでは? >お釈迦さんも成道後は、各地で競って接待されたましたが
>現代で言えば、キャバ嬢に接待されているのと変わらなかったのでは?
wwwwwwwwwwww
布施を受けるのと、キャバ嬢のけつ追っかけ回すのと一緒にするなよww 座らなければ悟りが得られないというわけではないと思います
若い子は座れない人すごく多い。椅子の生活に慣れてしまってるの
私はヨガやってたので安座も、結跏趺坐も半跏坐もできますけど
普通の人は座るのが難しいみたい。 牛は牛の幻でーす。。
坐禅は、目を開けて坐らなきゃだめよ。。 247.
坐禅は方法であるからして、
内容とは関係がないことになる。
坐禅バカが多いのだが。 私は目を閉じますけど。
閉じても白い光の玉が宙に浮かんでいるから
他の目が開いてるってことよ 私の場合、額に縦に割れ目がつくの。
漫画に描かれるような横長に開くのではなく縦長。
その中から光の玉が抜け出してくる。
なが〜い尾をつけてね。 >>248
バカみたいに、アホみたいになってるのが一番楽。。
>>250
肉眼を開かないと、坐禅にならないですよ。。 >肉眼を開かないと、坐禅にならないですよ。。
それ明らかに間違い
「霊眼を開かないと、坐禅にならないですよ。。」
が 正解
結局、あなたも本当のことはなにも知らないってこと。 チベットの女神、ターラーの仏像を見た時に、
額が私と同じだって思った。
縦に目がついていました。 聖書のヨハネ黙示録に、天使が額に神の印を押すという箇所が出てきます。
霊眼が開かれるのよ。神の印を押されると。 ターラー女神は観音菩薩の涙がら生まれたんですよね。
オン タレ トゥタレ タレ トゥレ スワーハー >>254
光が見えるとかは、前頭葉にエネルギーが集まってるということです。。
そうじゃなくて、まずは壁とか布団を見ることで、
後頭葉が目覚めるというか、エネルギー的にも、背中から後頭葉へ流れるラインが重要です。。
ありのままに観る、主客が無くなる、と言うのは、前頭葉の認知判断じゃなくて、後頭葉の、ただ見てるだけ、と言う感じ、これが迷いがなくなっていく方向。。 眼は須らく開くべし、普勧坐禅儀にもありますので、そうやってください。。
光が見えるということは、エネルギーが高い、と言うことなので、見込みはありますよ。。 いやです。変な指導しないでください。わたしの師はなにわっこ娘だけです 盲目の人には悟る機会がないというのですか。
肉眼が見えなければ悟れないの?
バカを言わないでね。 あっは、じゃあ、なにわっこに聞いてくれ。。w
おじゃましました〜〜。。 「いくら目が見えても、障子一枚向こうは見えない。
いくら耳が聞こえても、一丁先の声は聞こえない。
目や耳が悪くても、心の眼が開けたならば、
世界中を見渡し、天地の声を聞くことができる。
葬式や法事をする坊さんにはなれなくても、心の眼が開ければ、
人天の大導師になることができる。
これは誰にでもできることだ。お前でもやればできる」
太玄和尚 >>262
盲目の人でも、内に籠らずに、意識を外に解放していけば悟れる。。
外ばっかりになれば悟れるだろう。。 >>264
心の目を開くってのは、悟りのことで、額の第三の目とかじゃないよ。。
第三の目が開けばいいなんてのは、外道。。
狐かなんかついてんじゃないのかw 升田幸三が著書で取り上げていた老僧は、彼のことだったのか。
升田幸三は、インチキ坊主を見抜くのも得意だったそうだ。 白隠禅師の再来と言われた山本玄峰老師は目が見えませんでしたよ。 >>268
開いちゃったんだから仕方ないでしょ
嫉妬しないでください >>268
一隻眼を開いたら外道ですかね。
「一隻眼を具する者は、ある時は一本の葦をもって丈六の全仏となし、
ある時は丈六の全仏をもって草となす」
碧巌録第人則 大意は一本の草にも眩いばかりの光明を放つ六尺の大きな(偉大な)仏がいることを
迷える人達に気づかせる力のある仏者を一隻眼のある人と言っている。
一隻眼とは通常2つの眼の他にもう一つ頂門眼といって頭の頂についている眼をいい、
それは一切の事物を知恵をもってその本質を見ることができる。
仏教では肉眼(通常の目)天眼(未来を予知する目)
慧眼(一切の真理を見極める眼)法眼(大宇宙の道理に沿って真実を照らす眼)
仏眼(仏心で融通無碑に真実を照見する眼)を五眼と称し、
一隻眼は五眼の働きを全て備えているもので、
このような覚者になるにはかなりの修行が必要であるが、
何事にも一つの事を極めた人、一芸に秀でた人には一隻眼を備えた人が多い。 >>272
だから、一隻眼とは、悟りのことだって。。
すべてを一つに観る目だよ。。
光が見えるとかじゃないの。。w どうでもいいですそんなこと。
私は目を閉じて黙想するの。
あんたは畳でも見つめてればいいよ 目を閉じると別の世界が開かれるからそっちに集中したほうが私はいいの。
ろんは壁に刺した画鋲を見つめてればいいでしょ。初心者なんだから。
上級者と初心者はやり方が違うのよ。自分のやり方を押し付けないでね。 >>276
瞑想と坐禅は別物。。
瞑想がうまくなっても、坐禅にはならない。。
やりたくない人には別に勧めないが。。 ふーん、じゃ目の見えない人にもできる瞑想のほうが坐禅よりも優れてるってことね。 坐禅を誤解してたのかなあ。
私は天台宗や真言宗のやり方に近いのかも。
観想ですから 視覚に限らず、坐禅は五感、六根を解放する。。
音を聞いたら音になっている。。
虫の音がする空間ぜんぶが自分の心であるような、あるいは救急車の音でも、車の音でも、
ぜんぶ自分だ、と言う感じになるよ。。
内に籠るのとは反対。。 坐禅は自分を観察しないが基本
ただ、ひたすらにムー! 738 : 神も仏も名無しさん2016/08/20(土) 20:38:19.73 ID:tb51KkP7
ナルミさんは天才ですからね。
アルコール依存の人に乞われるまま、酒を与えたり、酒を買う金を与えるのは良くないことでしょう。
支援するならば、よく考えないと支援にならないこともあります。
ナルミさんに乞われるまま金を振り込めば、ネカフェでポテチ食べながらネットを続けるだけですし、
安楽に自殺するためにヘリウム買う金になるかもしれません。
魚を与えるよりも、魚を釣る技術を教えるほうが、結果的に助けることになるとも言います。
そんなことを考えさせてくれるナルミさんのスキルは高い。
「心配かけてありがとう。オマエに私を助けさせてやるから金くれ!真理教えてやってんだから感謝して振り込め!」
素晴らしいスキルだと思います。
739 : mirna2016/08/20(土) 20:41:24.34 ID:jmpy0s5C
>>738
>ナルミさんに乞われるまま金を振り込めば、ネカフェでポテチ食べながらネットを続けるだけですし、
安楽に自殺するためにヘリウム買う金になるかもしれません
しないから振り込んで >>285
私のは坐禅ではないようですが、
観想行のあいだ、目を閉じて別世界に開かれると、
どうしても、その美しさを意識してしまいます。
でも、不思議な事に、意識した途端、消えてしまうの。
とらわれずに、対象を静観することが大事みたい。 >>289
別世界ですか。
それは、えどっこ娘さんの無意識かもしれませんね。 805 : 神も仏も名無しさん2016/08/20(土) 22:20:13.94 ID:tb51KkP7
まあナルミさんは、検索コピペと、YouTubeコピペですし、
「自分では何もしていないのに、ググって自称神さまとして批判している」わけで、
それはもう偉いお方なんですよ。
ナルミさんがする、いわゆる偉人のコピペって、
その言葉が何を意味するか、何も知ろうとしないが、利用はできるナルミさんのツール化で、
良寛なんか文字や言葉じゃわかるハズもないし、未だに追えないけど、
ナルミさんにはわかるんだろうね。
素晴らしいじゃないか。 >>290
無意識が実世界で
顕在意識が虚の世界かもね。
だから偉大な思想家、哲学者、信仰者、宗教者は
この世を虚しく感じるのでしょう。
虚しいと思っても生きなくてはならないのが苦です。 625 :
123
2016/08/21(日) 07:14:44.10 ID:OGIA/8jN
617.
牛は仏性である。
だからして、その牛をころして食べれば、自己の肉体に転嫁して、
仏性を身につけることになる、とか。
ろん師の見解である。
ロン尊師・・・
これは本当なのでしょうか?
すると、私は、牛が結構好きで、ステーキよく食べますので、もう
仏性は身についたのでしょうか?
よろしくご回答お願いします。 私は世界を食べてしまったのだ。
だからそれについて考える必要はもはやないのだ。 >>293
いや、冗談です。。
十牛図、文字通りに読めば、牛は法、あるいは法の理解。。 あるいは、牛は悟り。。
しかし、自己と悟りと二つあるうちは、離れたり、余計な道草したりする。。 >>299
悟った自分、と言うものがあれば、2ちゃんねる見ればわかるように、暴れることもある。。w >心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。
と、見牛に書かれていますね。
牛だけが暴れ、自己は、冷静なような。 >>303
>牛だけが暴れ、自己は、冷静なような。
間違えました。
獲得する方も、必死なんですね。
精神を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。
心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。
有(あ)る時(とき)は僅(わず)かに高原の上に到り、
又煙雲深き処に入って居す。
有(あ)る時(とき)は僅(わず)かに高原の上に到り、
又煙雲深き処に入って居す。
勘違いするんですね。 ナルミが自殺するようです@構ってあげて下さい
i三i
〃 ヾ、
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〃 ヾ、
〃 ____ ヾ、
〃 / \ ヾ、
|| / _ノ ヽ、_ \ ||
|| / o゚⌒ ⌒゚o \ || 早く死にたい
ヾ,| (__人__) |//
(⌒)、_ ` ⌒´ _,(⌒)
/ i `ー=======一'i ヽ
l___ノ,、 ,、ヽ___i
l ナルミ l
トイ
トイ
トイ
i三i
〃 ヾ、
〃 ヾ、
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〃 ____ ヾ、 チラッ…
〃 / \ ヾ、
/ ̄ ̄\ || / ⌒ ⌒\ ||
/ _ノ \ || / (● ) (― )\ ||
| ( ●)(●)l 早よ死ね ヾ,| ::::⌒(__人__)⌒:::::|//
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| ` ⌒´ | / i `ー=======一'i ヽ
. | } l___ノ,、 ,、ヽ___i
. ヽ } l ナルミ l
ヽ ノ
/ く
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