>>167
あなたの考え方を、私はよく理解できるように思います。
例えば、昔の人はよく言ったものです。
「お天道様は、見ておられる。」
福沢諭吉の言葉で、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 なども有名です。

しかし、それは 「信仰」 とは別のものです。
つまりそのような場合の神は、自分が考えたり理解したり出来る 「一つのイメージ」 に過ぎないからです。
私たちはともすると、人間的に見て人に喜ばれることが (そのイメージした) 神にも喜ばれるはずだと、勝手に判断してしまいます。
つまり、本当に神が存在し、その神が自ら主体的にどのように判断するかを吟味するというよりも、人間の勝手な判断 (善意や善行の意味) を優先させてしまうのです。

信仰体験というものがない世界では、人間のただの雑多な知識と善意や善行が、「これが神の教えだ」 という仮説として主張されることになります。
当然、人間が理解できない、人間の価値判断に反する ・ ・ ・ 等々、人間に従属しない主体的な神があってはならないことになります。

いかがでしょうか。