>>794の続き

前野   さすがですね。「さすがですね」なんて、失礼なことを言ってしまいました。でもすっきりしました。思っていた通りだったからです。
私は以前、慈悲の瞑想をしたことがあるのですが、とても違和感があったのです。「こんなに自分のことばかり祈るのはなにか違う」と思ったのです。私はもう満たされているという気持ちもありますしね。

スマナサーラ   そういうセリフを私は皆さんからよく言われます。皆さん、「『 私は幸せでありますように』というのは自我だから、気持ちが悪い。 違和感がある」と言うのです。
私はそういう人に、こう返します。「あなたはこのセリフが気持ち悪いのですか。だったら、試しに逆の言葉を念じてみてください。『 私は幸せでありますように』ではなく、『 私は幸せでありませんように』と」。
そう投げかけると、すぐ自分が勘違いをしていたとわかるはずです。 先生も、「 私は幸せでありませんように」と念じてみてください。

前野   嫌な気分ですね。

スマナサーラ   そうでしょう?先生も素直になってほしいのです。私たちは幸せに生きていきたいと思っているのです。

前野   なるほど。おっしゃるとおり「利己的だと思われるから嫌だ」という状況は乗り越えるべきですね。
私が言いたかったのは、私も上級者のようにとっくに幸せだから、長老と同じように、「 生きとし生けるものが〜」から始めて、それで終わりにするので十分だと思った、ということなのです。

(アルボムッレ・スマナサーラ 前野隆司. 仏教と科学が発見した「幸せの法則」: 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす)