こうしたブッダの態度は、すぐれて実践的であり、問題解決的である、ということができるで
あろう。心の痛みに苦しみ、悩む者、そのような人びとに処方を示し、治療を施す人生の医者と
して、ブッダはあるのである。形而上学の論客としてではなく、真実の実践的認識の教示者とし
て、ブッダは、われわれの前に立っているのである。ブッダにとって、心の悩みなき者は、縁な
き衆生である。そのような人びとにとってもまた、ブッダは無縁の存在でしかない。心の痛みに
耐えかねて、その門をたたく人びとのみ、ブッダは、「来たれ、見よ」<エーヒ・パーシコー>
といって、苦しみよりの解脱の道を示すであろう。
「戒律の救い─小乗仏教─」石井米雄著 淡交社刊