>>486(続き)
なぜならば、弥勒菩薩ラエルが仰せの「楽園」は、確かに
ある種の楽園ではある。しかし、その楽園とは、要するに
「犯罪者の楽園」に他ならないからです。

そもそも、「犯罪」とは、まず「法律」があり、法律に規定された
事項に基づいて、犯罪が定義されるのです。

例えば、物を盗んで捕まれば、窃盗罪に問われます。
そして犯人は、法律(刑法235条)に規定された定義に基づいて
起訴・裁判を受け、罪の程度により、罰金等の量刑か、
刑務所に服役することになります。

しかしながら、もし窃盗罪を規定する法律(刑法235条)等が
存在しなければ、窃盗と言う犯罪は存在しないのと同様になります。

だが、法律上に定義された犯罪は無くなるけれど、
窃盗と呼ばれる行為は社会で横行することでしょう。

また、警察は法律に基づいて取り締まりするわけだから、
法律(刑法235条)が無いと、窃盗を検挙しようが無いのです。
さらに、起訴・裁判も法律に基づいて行われるものなので、
法律が無い対象に罪を問えない訳です。

故に、一切の法律が無ければ、一切の犯罪も存在しない
ということになる訳です。