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天理教ってどうなの? [転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
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2015/02/27(金) 15:41:42.35ID:eGRBmT9F
カルトなんか?
0530キュア好雄兄 ◇e.MY6XgnM2GE
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2018/12/17(月) 02:10:18.01ID:7odJJoE5
英国シェフィールド大学のデービッド・ヒューズ天文学博士は述べた。
イエスの誕生は ※紀元前7年9月15日と発表
キリスト誕生を示したベツレヘムの星が土星と木星の異常接近の為
たまたま840年に一度起こる現象とケプラー式から算出した。

※1993年9月15日付ロンドン発『時事通信』より引用

図説 地図とあらすじで読む聖書 青春出版社 船本弘毅監修
P71
第6章 イエスの登場 受胎告知
ベツレヘムの星

魚座  牡羊座        牡牛座
火星 「太陽 木星・月 土星」 金星

〔上〕イエス誕生の頃
(前6年4月17日)の惑星配置
牡羊座と惑星の位置が、救世主誕生を示しているとされる。

〔下〕前6年の後半になると、数日間にわたって木星は、
見かけ上、西から東へと動いてみせた。

参考:「古代世界70の不思議」ブライアン・フェイガン(東京書籍)

ダビデの星=六芒星はユダヤのシンボルではありません _ ぽんちゃんからの伝言

昔昔、1648年のことじゃ
(↑注:日本では江戸時代。古代10部族消失騒動からは2000年以上経ってる)
ヨーロッパでは30年戦争というモンが終盤を迎えておった。
・・・ちなみに始まったのは1618年で終わったのが1648年じゃからな、
・・・[30年]戦争の末期に・・・プラハを防衛した[ユダヤ人からなる]民兵軍が
スウェーデン軍を撃退したんじゃ。
・・・フェルディナント3世はたいそう喜んでなあ、
各部隊に旗印を下賜しようと思い立った・・・六芒星は17世紀になって、
初めてユダヤのシンボルに決まった。
・・・当時のラビ(ユダヤ教の聖職者)は最初、
この六芒星に大反対をしていたという話すら伝わっている。
もし、古代イスラエルから綿々と伝わる
正統なシンボルであったのなら、反対するはずはなかろう。
そもそもユダヤの正当なシンボルと言えばメノラー。
イスラエルの国章にもなっているし
エルサレムの国会前にも巨大なメノラーがある。ユダヤ教の燭台だ。
0531神も仏も名無しさん
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2018/12/17(月) 02:13:07.28ID:7odJJoE5
新約聖書 マルコによる福音書 12章

29節 イエスはお答えになった。

「第一の掟は、これである。

『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。

30節 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、

あなたの神である主を愛しなさい。』

31節 第二の掟は、これである。

『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。

新約聖書 ヤコブの手紙 2章

26節 魂のない肉体が死んだものであるように、

行いを伴わない信仰は死んだものです。

新約聖書 ヘブライ人への手紙 13章

16節 善い行いと施しとを忘れないでください。

このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。

新約聖書 ペトロの手紙一 4章

8節 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

9節 不平を言わずにもてなし合いなさい。

新約聖書 ユダの手紙

25節 わたしたちの救い主である唯一の神に、

わたしたちの主イエス・キリストを通して、

栄光、威厳、力、権威が

永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0532神も仏も名無しさん
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2018/12/17(月) 02:17:34.03ID:7odJJoE5
新約聖書 マタイによる福音書 9章

13節 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』

とはどういう意味か、行って学びなさい。。

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 13章

13節 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、

あなたがた一同と共にあるように。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0533神も仏も名無しさん
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2018/12/17(月) 02:20:06.16ID:7odJJoE5
ヘレニズム時代のコイネ・ギリシア語(共通ギリシア語)
     主: キュリオス(アドナイ)
   創り主: クティサス(創造主)
   救い主: ソーテール(救世主)
   全能者: パントクラトール(支配者)
   弁護者: パラクレートス(介添人・助け手・慰め手・聖霊)
油注がれた者: クリストス(キリスト・メシア)

聖書でいう「福音」は、中国語で「幸福の音信」の事。
ギリシア語で、エヴァンゲリオンと言う。
意味は、エウ+アンゲリエ(よい+知らせ)
関連で、アンゲリ(み使い、天使、知らせる人、アッゲロン)
人名で、エンゲル
英語で、エンジェル
西語で、アンヘル(地名で、ロス・アンヘレス、英語でロサンゼルス、LA)
0534革命的名無しさん
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2018/12/17(月) 02:23:44.30ID:7odJJoE5
旧賛美歌 112番 諸人挙(こぞ)りて   
@諸人(もろ[びと])挙(こぞ)りて 迎(むか)え奉(まつ)れ 久しく待ちにし
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
A悪魔の人屋(ひとや)を 打ち砕(くだ)きて 捕虜(とりこ)を放つと
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
Bこの世の闇路(やみじ)を  照らし給う 妙(たえ)なる光の
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
C萎(しぼ)める心の 花を咲かせ 恵みの露(つゆ)おく
  主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり
D平和の君なる 御子を迎(むか)え 救いの主(ぬし)とぞ
  誉め称(たた)えよ 誉め称えよ 誉め 誉め称えよ

「諸人こぞりて」讃美歌112番
Studio Kanon
0535革命的名無しさん
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2018/12/17(月) 02:26:04.95ID:7odJJoE5
お茶の水クリスチャンセンター フライデーナイト
 ひつじの祈り 第26話 テテレスタイ!


新約聖書 ヨハネによる福音書 15章
13節 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

新約聖書 マルコによる福音書 10章
45節 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 7章
23節 あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。
人の奴隷となってはいけません。

新約聖書 ヘブライ人への手紙 7章
27節 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、
次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。
というのは、このいけにえは
ただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0536革命的名無しさん
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2018/12/17(月) 02:29:37.79ID:7odJJoE5
新約聖書 ローマ人への手紙 3章
25節 神はこのキリストを立てて、その血による、
信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。
それは神の義を示すためであった。
すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

新約聖書 ヘブル人への手紙 2章
17節 そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、
民の罪をあがなうために、
あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。

新約聖書 ヨハネの第一の手紙 2章
2節 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。
ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。
4章
10節 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。
ここに愛がある。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

日本聖書協会 口語訳 「あがない」の供え物
新日本聖書刊行会 新改訳 「なだめ」の供え物
0537神も仏も名無しさん
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2018/12/17(月) 02:33:39.10ID:7odJJoE5
最近わかったのですが
古代ローマ帝国で国教となった時の「カトリック」という言葉は
「普遍の」「公(おおやけ)の」「分派ではない正統的な」という意味で
使われていました。

「カトリック教会」は「正統の教会」という意味になります。
つまり「正教会」と言っているのと同じだったんです。

洗礼で唱えるニカイア・コンスタンチノープル信条では
「一つの、聖なる、公なる、使徒の教会を」と唱えられています。

ラテン語で、クレド(私は〜信じます、)
エト・ウナム(一つの)・サンクタム(聖なる)・カトリカム(正統的な)・
エト・アポストリカム(使徒の)・エクレジアム(教会を)
となります。

ラテン語のエクレジアム(教会)は、
コイネー・ギリシア語(共通ギリシア語)の
エクレーシア(〔招集された〕集会)です。

聖餐だけでなく、洗礼を受けるのでさえ、
教会を離れては出来ない事なのです。現在の私はそう理解しています。
0538神も仏も名無しさん
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2018/12/17(月) 03:12:11.12ID:7odJJoE5
ハルメギド(メギドの丘、ハルマゲドンの由来)
ファラオ・ネコ2世のエジプトとヨシヤ王のユダ王国が戦った場所。
実際はメギドの谷。丘は駐屯できる要地。BC609年の戦い。
ユダヤが滅びる原因となった戦い。最終決戦の意味で使われる地名。

新約聖書 マタイによる福音書 7章
6節 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙二 3章
10節 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、
「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕

フツー女性に「豚に真珠」って聖書にあるよと言いい
また生活保護や年金暮らしの人に
「働かざるモノ食うべからず」って聖書にあるよと言うと
カチンと来て「キリスト教は嫌いだ」とかなる。
聖句の使い方や聞かせるタイミングを間違えるとエライ目に合う。。
0539あかね
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2018/12/17(月) 03:43:35.60ID:7odJJoE5
                    ´ : : : : : `⌒丶
                  /: : : : : : : / : : : : : >:\
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              ,′: /: |: |: :/l :/! : :/|:i|_ :ヽ '.
                : ト、| : l/W-|イ{: :/`トリ ミ: : i: |
                  {: :lヽ|:! :!ィア行 ∨ ィ行ト }: :!:|V
              '; :V八_{ 弋)ソ   弋.ソ ハ:.N  さすがの私もこれは引くわ
                } :( ∧       '    , )!
                 / : : ーヘ   t‐一ァ  厶i:│
             /イ :! : V 个 、 ー   イ.:/|八
              |八 : :{ : !:.:r}>‐ 'l∨L{_リ }}ヽ
              ∨ \{⌒{  ̄>rく  } 「 }\
              /   ∨ {_/ 孑 ∨  Y  ヽ
              {    |i rく \  〉 /   |i ,/゙ハ
              〉  (\ ヽ\ Y゙i/  _,  ||/ //)
                ∧ __ヽ`ー  ∨/  ( ヽ/ `∠-っ
             {  ‘ー‐ュ `/    }   }  \  (工_
              レ个ー-、    _ノ   人_   _x-r┬ '
                \|  /`ー /  /   ∧  \∨
                   { '´  //  /   / ハ    }
                   人   /        /  \  ノ
0540基本。
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2018/12/17(月) 03:52:42.75ID:7odJJoE5
その日。陽気な日にしたい。
教祖は1798年6月に生まれた。
それから、115才が19131年。
そこから99年たったら、2012年。
214歳の誕生日の、2012年6月。

99年たったら、みな心の生まれ変わりをし、お祝いに、非核を宣言して揚げたい基本です。
現実は、世界暗くなる方向に、高山は唐人は、悪巧みの只中。
中山みきのお働きさえみていたら、安心です。
みていれば、お働きは、ますます盛んです。
0541基本。
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2018/12/17(月) 03:55:46.60ID:7odJJoE5
明治二十一年六月五日(陰暦四月二十六日)
本席身上おさしづ

さあ/\/\いかなる処/\、身上いかなる処、尋ねる。
知らす。身上一つ身上ある。いかなる処、さあ/\早く止め、神一時、一つ話、
これに先々に毎夜この道下がり、さあ/\どんな話も仕掛けてある。
一寸今一時尋ね出す。早く通し、まあ一寸始め掛ける。
どんな道を始め分からん。まあ/\それより成る成らん。
これまで一寸話伝え、夜々出て話、一つ話、あっちこっちの理を見遁がし、
今一時世界理多く十分早く世界事情運ぶ、分からん、上下とも理分からん、いつまで言うではない。
いずれ一つだん/\日柄刻限移るなら、道の通り連れて通らねばならん。
又々所々変わる処、実の処、早く求めよ。いかなる道も分かるであろう。
やれ/\と言う日もあろう。一つ心早く一つ運ばねばならん。何でもならん。
日柄刻限外さんよう。神一条の道である。
早く急げ、取り掛かれ。
まあ/\一寸始め掛けたら、だん/\理を聞かす。
めん/\諭し一つ心も治めねばならん。聞き分け分からん。
天理王命、名を所へ弘め掛け。一つ事情、どちらの理付く貰う理、よう聞き分け、よう思案。
世界それ/\万事一つ事情、分かる分からん多くの中、神一条ならば、計り難く一つの道、これが十分確かな道。
思案第一ならん。いつ/\まで見遁がしはならんという。
いかなる処、人間一条理では、計り難ない、危ぶいものである。
早く取り替え/\、神一条々々々。
0542基本。
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2018/12/17(月) 04:45:16.46ID:7odJJoE5
明治13年・1880年、一月、日本陸軍で、天長節・陸軍始などに、軍隊を整列させて天皇が観閲する儀式。「観兵式」が、開始された。
 この一月、中山みきは、高山の「軍国主義」への残念を説いた。

 このたびのさねんくときのこのはなし みな一れつわなんとをもてる   第15号 40

そして、43年以前からの、偉い験しについて理を知らせた。

 このもとわ四十三ねんいせんから ゑらいためしがかけてあるぞや   第15号 41
 このはなし四十三ねんいせんから ゑらいためしがこれが一ちよ    第15号 50

これが、「天災の数理」の事であって、高山のしんの理の狂いは、天災を招き、43年の数理で日本は地震活発になる。
 この年、中山みきは「初代真柱・真之亮」を、元の地場に入れた。

 この1880年の観兵式、又、民意を束ねるための「国会開設期成同盟」が、行われた、「数理・43年後」から、

  1922年12月の島原地震を契機に、再び大地震が頻発するようになった。

 そして、中山みきが、据えた歴代「しんばしら」は、数理43年にて、真柱の職責と日本の大地震と、連動するという「験し」を歴史に刻んでいる。

「国会では治まらない」「天皇制では治まらない」は、神の験しとして、歴史に、実現化していく。
 「人が核を兵器として用いる愚かな自滅の道を、たすけるために、みきは、この世を陽気に普請する「大工」を寄せる。
神の「試し」が見えたときから、世界たすけの普請は開始されると、みきは、あらかじめ、見えない先に理を説いた。
「筆 先の責め」と、知らされている。
0543基本。
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2018/12/17(月) 04:48:34.02ID:7odJJoE5
「明治14年の政変」
1881(明治14)年1月、大隈重信・伊藤博文・井上馨の三参議の間で、熱海で会議がもたれました。国会を開くことで三人の意見は一致しました。・・・

政府主導の憲法制定に、伊藤は井上毅の意見にかなりの確信を持っていました。井上もまた、政府の憲法起草作業を伊藤に要請し、決断を求めました。
 これに対し、大隈は自分には野心はなく、福沢とも関係はないと弁明し、伊藤との関係も一様収まり小康状態になりました。
 内閣が一致して、プロシア流の欽定憲法制定の方向に踏み切るのは、開拓使官有物払下げ事件による世論の沸騰に驚いてからでした。

明治14年四月より、中山みきはお筆先16号を執筆します。
 にんけんハあざないものてあるからな なにをゆうともしんをしらすに 16号67
 けふまてわとんな事てもゆハなんだ ぢいとしていたこのさねんみよ 16号68
 これからハ神のをもハくするからハ とんな事をばするやしれんで 16号69
 いまゝてハなにもゆうたりをもふたり まゝにしていた事てあれとも 16号70
 このさきわ神がしはいをするからハ とんな事てもまゝにてけんで 16号71
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 真柱の真之亮が、中山家の戸主になって数理43年、1923年、関東大震災が起きました。
0544基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 05:12:10.69ID:7odJJoE5
おやさまひな型の時代、国民を唐人思想化に欺いた明治維新政府に、迎合した中山みきの息子「中山秀司」は、神が迎えとって、明治十三年「しん」を迎え入れる準備とし、
明治14年、「しんのすけ」が、戸主になったが、天理教の組織人は、明治政府に迎合し、宗教家業で信者の財産を収奪する事に夢中と言う情けなさであった。
中山みきの、知らす「理」は、「大工の伊蔵」と「真柱」によって、原典に残されたが、他には誰も理解できるものの無い状態は、
これほどに、「高山」への神の怒りを知らされながら、
天理教は、そうしたご一新政府に迎合し、便乗してただ自教会組織(当時は講)の栄華と発展を貪る情けない状態であった。

開国を迫られて以後の、膨れ上がる貿易赤字、格差の拡大、これには重大な関心を抱いていない、
宗教馬鹿に陥った信者では、国の方向を真剣に見つめる精神の、かけらすらなかった。
今の、天理教信者も、おやさまのお働きにむちであり、格差拡大の根本的解消に、関心をもってはいない。
「しん」を知らない、とは、現在の天理教信者の姿そのものである。

「なにをゆうともしんをしらす」「ぢいとしていたこのさねん」
「しんをしらす」「ぢいとしていた」 → 「震」をしらす。「地としていた」
 地震。

中山みきは、明確に43年の数理を「地震」と、筆先に知らしています。

初代真柱が中山家の戸主になる 1881年→ 43年 1923年 関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め  1952年→ 43年 1995年 阪神大震災。
三代真柱の真柱就任報告祭   1943年→ 43年 2011年 東北大震災。
0545神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/17(月) 06:52:40.75ID:7odJJoE5
     _ -‐ァ         ┌─┐        __         人
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L-!     | (|  晋晋   三晋晋晋   | |    ハ  惑  生
丁 |    Lニ|. I晋 ◆/)||(\◆晋  . /、_j  i   L.|  を  .活
| ,ハ____l l 丶,I◆∠○}liil{○ゝ◆ソ  !`7′ !  |「 |  掛  に
| | {:::::::::::::::ト, l  I│  . ││´  .│I  ノ ハ―-―.{l !  け
| 〉|::::::i::::ヽ| |_j  |  ノ(__)ヽ  .|  rヘ/ |::ノ:::::::::::ハ |  て
` !:::::i:::::::i|   `I   │  I   .I  〉′l:::::::::i::::::| L! は
  |:::::i:::::::::!     i   ├l|!|!┤ / /  |  |:::::::::!:::::|   な
  l::::::〉:::::/     \ |ェェェェ| ,ノ/  | !::::::::!:::::!   .ら
  |:::/:::::/         {    ` ヌ.___ノ   !:::::::i:::::|   .な
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  /:::::〈_        ヽヽ l         |:::::::l:::::|           
  `ー一′        | l 〈_            |:::::::ト-  
                  `'ー′         └‐┘ .       
0546基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 06:55:32.60ID:7odJJoE5
> 「稿本教祖伝」には、お久は水をぶっかけさせなかったと、お久にまつわる事実として、記録されています。

『・・分署にお居での間も、刻限々々にはお言葉があった。すると、巡査は、のぼせて居るのである。井戸端へ連れて行って、水を掛けよ。と、言うた。しかし、ひさは全力を尽くしてこれを阻止し、決して一回も水をかけさせなかった。
 或る日のこと、
「一ふし/\芽が出る、・・・」
と、お言葉が始まりかけた。すると、巡査が、これ、娘。と、怒鳴ったので、ひさが、おばあさん、/\。と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」
と、仰せられた、』

この、弾圧・拷問は、『教祖が御苦労を了えられて、三月一日(陰暦正月二十六日)』までの期間であった。
『三月一日(陰暦正月二十六日)』 
この、正月二十六日から、陰暦時代の天の将軍中山みきの残念への「返し」が開始された。
1886年三月一日  (陰暦正月二十六日)が、1となって、126年。
2011年三月一一日  311・福島は、中山みきの「返し」の開始を示して「11日は十分始まりの日」である。
0547基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 06:58:03.79ID:7odJJoE5
1876年 中山みきは、「にほんもからもてんぢくの事」と告げています。
 なさけないひがらもちいときたらんで どのよな事もゆうにゆハれん 12号4
 このたびハ月日しんぢつみかねるで どのよな事もみなあらハすで  12号5
 けふの日ハいかほとわがみはびかりて まゝにしたとて月日しりぞく 12号6
 このはなしなにの事をばゆうならば にほんもからもてんぢくの事  12号7

1877年9月19日より、と刻限を示して、お筆先13号を記しました。
この心どふゆう事にをもうかな にほんもからもてんちくまでも    13号77
このあいだみちのりよほどあるけれど いちやのまにもはたらきをする 13号78
いつまでも月日ぢいくりしていれば いつになりてもをさまるめなし  13号80
 それゆへに月日でかけるはたらきに とこへでるやらしりたものなし 13号
81

中山みきは、どこへ出るやら、知りた人物として、「能力者・真柱」がいます。
が、側には、からの唐人ばかりかもしれない天理教団です。
0548基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:01:32.39ID:7odJJoE5
中山みきは、つとめをせいと急き込まれています。
元冶元年1864年つとめ場所の普請を、ご命じになっています。
1864年つとめ場所普請→126年 1990年 最後の核実験。
1870年つとめの手と唄を教える→126年 1996年 国連にて核実験禁止条約成立。

1873年大工にひな型甘露台模型制作を命じる→ 1999年 包括的核実験禁止条約成立。
1875年 ぢば定め→ 2001年 臨海前の状態での実験も禁止される。

第7号 99
 このみちをはやくをしへるこのつとめ せかい一れつ心すまする

中山みきのお屋敷の出来事は、世界助けるモデルであり、ひな型です。

126年待たなければならなかったのは、中山みきの教えを、きちんと説かない天理教団の事情が酷すぎたから、
教理はゆがめられ、真柱は侮られ、中山みきの「神名」さえも取り払われた、情けない初代たち、その後継者たち。

誰もが、意味はわからずとも「おふでさき」を手にして読める。
中山みきの教えが、きちんと、一列に隔てなく渡せるには、
百と26年。
「正月26日を待つ」おやさまは、「原子力に手を付けた」人間の欲・高慢。それでは、
元の泥海に帰るしかない。
だから、毅然として、たすけ一条の先頭に、おられるのです。
0549基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:04:20.40ID:7odJJoE5
中山みきは、国会では治まらないと、宣言されている。
それならば、何で治めるかと、何で治めると説いているかと言えば、「つとめ」であると説く。
つまり「呪法」にて、治めると説いている。
教祖伝第八章には、おふでさき13号の予言が、抜書きされている。
第十三号に入ると、
  月日よりしんぢつをもう高山の
  たゝかいさいかをさめたるなら        一三 50
  このもよふどふしたならばをさまろふ
  よふきづとめにでたる事なら         一三 51
  この心たれがゆうとハをもうなよ
  月日の心ばかりなるぞや           一三 52
  このつとめ高山にてハむつかしい
  神がしいかりひきうけをする         一三 53
  このたびわどんな事でもしんちつに
  たしかうけやいはたらきをする        一三 54
 親神は、心の底から戦の治まりを望む。
戦は、傲り高ぶる人間心から起る。いかにもして、戦をこの世から無くしたいとの思いから、親神は、かんろだいのつとめを始める。
かんろだいのつとめは、世界平和のつとめである。
しかも子供たる人間は、親神のこの真実を知らずして、徒らに差止める。
しかし、迫害も干渉も少しも恐れることはない。親神は、確かに引き受けて自由自在の守護を現わす、と教えられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つとめから126年、平和への動きは、きちんとリンクしていた。
白の基本さんが、示されている。

だが、オカルトの「おつとめ・呪法」には、白ばかりとは限らない。結構をという次元とは、全く別の色、
黒の意味を持つ『神の残念、神の返し』がきちんとあるから、それは、間違いなく中山みきの予言は、実現するのだ。

130(正月三十日)の数理。が発動すれば、「送られる」。
0550基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:07:28.31ID:7odJJoE5
311福島によって開けられた風穴は、日本国家と軍需産業電力が、利益誘導と情報操作によって、地域社会を支配し、原発を、
軍事民事の双方向で、利用しようとしていた事を、暴露し、その悪巧みを、頓挫させた。

日本は、列島が「核基地」として日米軍事同盟のアジア基地として、
要塞になるところだったが、中山みきは、きちんと、そういう事態は「天災」をもって、防いだ。

原発基地そのものが廃炉となると言うのは、実は膨大なコストが追加でかかる事になる。
電力会社は、廃炉の結果値上げ値上げ、するだろう。
電力は、真の意味の「自由な利用」に向けて、高山の唐人は瞑想させられ、無意味なコストを浪費し続けて、やがて掃除される。
0551基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:10:36.16ID:7odJJoE5
おやさまは、「不自由無きよに、してやろう 神の心にもたれつけ」と、教えられています。
科学は、時に謙虚に理を研究して来ましたが、真理を「わがまま」に用いて、科学の力で、誰かが独占的に利益を上げ続ける、そんな強気・強欲が何時しかはびこりました。
この世には、親神のご守護はあふれていて、「不自由無き世」にしてやろうは、いつでも叶う状態にあります。
しかし、谷底にあふれている難儀不自由は、それは「大社高山」によって意図的にそうさせられている、難儀であり、不自由です。
神の心にもたれつくと言うよりも、唯一の神のように支配しようと言う、唐人がそこにいて、世界を苦しめています。

中山みき様は、本来の神仏の教えにそって、この世が助け合って暮らせるために、お一人で、大社高山の取り払いに働いておられます。
谷底の競り上げに、働いておられます。

今、西側諸国・Gnの国に起こりつつある事は、神の返しであり、大社高山の取払いです。
唐人は、情報によって、市場経済によって、金融によってこの世を支配できるつもりの高慢です。
おやさまとの力比べを、きちんと見てあげましょう。
中山みき様は、内外へだてなく、人類の親神で、存命です。
0552基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:15:46.43ID:7odJJoE5
核は抑止力にはならない。
先ずこの問題から、理解しないと、原発依存の含みもつ「核兵器幻想」の愚かさは理解できないでしょう。

核はその殺傷能力と破壊力から、兵器として最高の評価を得てきたわけですが、実は、核施設は、狙われたら、最大の弱点になる。
これが、米国の語らない本質です。

例えば北朝鮮のミサイルなどは、性能的にもたいした事はない、
けれど、仮に北朝鮮が原爆で米国の「核施設・原発・核兵器」に、攻撃をしたら、その場合に最悪が起きてしまう可能性があるわけです。

火薬庫を爆破させるのとは違い、核による核施設攻撃は、
「核物質は集まっただけで核反応を起こす」「核は冷却していないと核反応を起こす」のですから、
火薬庫なら、一度の被災で終わりですが、核施設は、核反応を誘発したら、無限に連鎖する。

つまり、核兵器は、盾として最悪の自滅兵器なのです。
0553基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:19:29.22ID:7odJJoE5
この世には神も仏もいないのかという、人間の絶望は、「天に代わって裁く」という思想を生みます。
この世には神も仏もいないのかという、人間の絶望は、この世に神がいて欲しいという願望を生みます。
それは、人を神と見立て、「上を神と見立てる」支配・被支配の世界観を生み育てます。

大社高山というのは、実は神を信じていない「虚像」、つまり「から」です。
「から」だから、イメージとしての神を「偶像化」し、実際の権力として「実体化」する。
嘘と追従が大社高山には、必ず必要なわけです。

さて、そんな人間を哀れと思し召されて、天理教は立教されたのでしょうか。

救いを求める人間にとって、救いを与える「神」の存在はとてもありがたいものです。
それゆえに、救いを与える「権力」の側の、「虚像の神・現実の上」という大社高山は、民衆を支配し、この世をままにできました。
それを、「まつりごと」、「神事としての政治」に制度化し組織化して、
「官僚」政治がなされ、「官」という、虚の神に仕える「そばなもの」が、支配の実験者になったわけです。

親神は、この「傍な者」・「官」の横暴を深く残念に思われて、人類の成人をまって、立教されました。
「カラの神・官という上」は、その支配を永続的に維持しようとして、
軍事を持って、世界の統治に着手した時、植民地の時代に、神は自らが残念を晴らして見せると立教されたのであり、
人を教え導いて、陽気に暮らせるように誘導や指導を開始されたわけではない。

人は、政治的であろうとする必要はなにもない。
政治的であろうとしたら、それは、親なる神を信じていない証拠となって、残念なことです。
0554基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:22:17.96ID:7odJJoE5
おふでさき12号には

またゝすけりうけ一れつどこまでも
いつもほふさくをしゑたいから (12-96)

このみちをはやくしこもとをもゑども
一れつ心わかりないので (12-97)

せかいぢうどこにへだてわないほどに
一れつしやんしてくれるよふ (12-98)

しんぢつに心にさだめみなついて
神のゆう事そむきなければ (12-99)、こうあります。

つまり、甘露の問題は「神の言う事に背くな」という問題に理解されます。

「いつも豊作」を教えたい。おやさま。
けれど、神の言う事に背いていては、それは実現しない。
「仕込もう」という言葉に、意味があります。
「仕込まれていつも豊年」。それが、神の仕込みに背くならば、豊年にならないのは天理です。

農業であれ工業であれ、豊作の為には、基礎となる知識はなければ豊作は無理です。
基礎となる作業技術がなかれば豊作は無理です。

仕込むと言うのは、そうした知識や技術です。

それは、おやさまのひな型においては、どこに習いに行ったではないというけじめがあります。
世上泥海の因縁まじりでは、神の仕込んだとはならないと言う事です。
0555基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:26:08.63ID:7odJJoE5
「いつも豊作」を教えたい。おやさま。
けれど、神の言う事に背いていては、それは実現しない。
「仕込もう」という言葉に、意味があります。
「仕込まれていつも豊年」。それが、神の仕込みに背くならば、豊年にならないのは天理です。


農業であれ工業であれ、豊作の為には、基礎となる知識はなければ豊作は無理です。
基礎となる作業技術がなかれば豊作は無理です。

仕込むと言うのは、そうした知識や技術です。

それは、おやさまのひな型においては、どこに習いに行ったではないというけじめがあります。
世上泥海の因縁まじりでは、神の仕込んだとはならないと言う事です。
0556基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:30:03.32ID:7odJJoE5
唐人とにほんの者との境界は、はっきりとしています。
少なくともおやさまの目からは、歴然として、見えておられます。
しかし、人間には、その違いが認識できているとは、限りません。
そこで、自白という神の返しがあります。

政治というのは、政(まつりごと)。
それは、統治であり、「上」が「神」を奉り、「神に仕える官」・「神官」が、神の代理として政治を行うわけです。
大統領であれ、総理大臣であれ、権力ではあるけれど「官僚」なくしては政治はできません。
そして、それゆえに、実際には神の代理の天皇でも国王でもなく、官僚が支配する。

それは「そばの者」と、御筆先には示されています。
「傍」・「そば」。
傍流と書いて、意味は、本流ではないという意味になりますが、
神の近くに入るが、神の本流ではない、それが傍です。
0557基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:33:06.97ID:7odJJoE5
治まらないと言う事は、安倍政権でも治まらないと言う事に天理に相違は無い。
民主党であれ、自公であれ、維新であれ、治まらない。
志位であっても、治まらない。

その事の意味は、「能力の有無」の問題として理解されるべきであろう。
情報量が極めて少なかった時代の「統治機構」そのものには能力に限界があり、
中山みきの教えの「天理」の支配には遠く及ばないと、そんな風に理解したらよい。

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       l´
        │  客来ねーな。 飯田の演歌王の俺様の店だというのに…
       l,____
0558基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:37:45.09ID:7odJJoE5
中山みきの予言は、「理の責めであって」「理の予告」ではないと心得て思案するなら、
大社高山がどのように「工作」しようと、人知である限り、中山みきには力で負けると言う事。
統治術や、情報操作支配は、もう通用しない、そういう意味に知ることである。

「国」「くに」「那」と言うものは、生活の安定のために生まれた「KUNI」であり、「KUNI」は国床の「くに」である。
それが、現人神による統治術を用いて、王権、帝王権、そういうものを「大社高山」となり駆使してきたが、
それは「核の時代」の到来と共に、1026に立教された天理教という宗教の発現を手段として、天理の時代となって、
天理は神の返しの時代を到来せしめた。

だから、甘露の世は、もういつでもどこでも、実現すると、おやさまにもたれる事である。
0559基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:41:26.95ID:7odJJoE5
「会議では治まらない」と、神の教えです。
「談じ合い」と言う事と「会議」の違いと言う初歩的な説明をしなくてはいけないかもしれません。
それは、「先ず神意あり」が談じと言う事、会議との違いです。
神意は悟りの世界ですから、一瞬と言う時間で理解されます。
会議は、議論する前提ですから、時間がかかります。無意味です。

そこで、「悟り」は、誰の悟りを採用するのかと言うような、
不毛な会議を想定・想起される方は、おやさまを知らない方です。

何もかも悟りは神意でありおやさまの思いに一致してあるのだから、悟り違えには、必要ならお知らせもあるのだから、
「誰の悟りと言うような」選別はそこには生まれませんし、そう言う事も旬が働いて瞬間に、
これが今の採用されるべき悟りだと分かってしまうものです。

おやさまは、「いつも豊年教えたい」と言われました。
いつも豊年、そういう時代になる事こそ、この世治める神意の基本です。

今年からは、基本も、悪事の掃除よりも、豊年を学ぶ事に重きをおいて甘露を頂く道に歩を進めたいと、祈念します。
おやさま、よろしくお願い申します。
0560基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:44:39.89ID:7odJJoE5
神そのものについても、神と呼ぶべきものは何かと言う問題もあります。
天理教では「神が出て」と、或いは「神が表に現れて」と、天理の神を、神自らが定義しています。
いわゆる、神ならば、そのご神体・ご身体はという事がとても重大です。
先ずそこから、ちゃんと理解したいと思います。

天理教の親神は「中山みき様」で、神名は「天理王命」、ご神体は「ぢば」「甘露台」です。
天理教の神は「十柱の神」で、分掌の神として、神名は、
「くにとこたち」「をもたり」「くにさつち」「つきよみ」「くもよみ」「かしこね」「たいしょくてん」「おおとのべ」「いざなぎ」「いざなみ」。
掌(たなごころ)には十本の指があって、その指一つずつが、それぞれに神名一つづつの守護の理に対応しています。

神を拝しますとき、その十本の指は、腹と腹をあわせて柱のように立てて祈念します。
親指は、月日・真実の神の理で、左親指はくにとこたち命さまの守護の理の指。
右親指は、をもたり命様の守護の理の指です。
左は父親、右は母親、親指の力添えが無いと、小指は中指は薬指は人差し指は、指としての機能が制限されます。
手錠をかけずとも、両手の親指を括れば、同等の効果になります。
元の親を離れた思案行動は、不自由なものであり、月日を親神として拝する事は、天理の基本です。
0561基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:48:08.41ID:7odJJoE5
天理教の神は、神が表に現れたものであり、それに対して表に現れていなかったけれど裏には親神が守護していた神があります。
仏教、キリスト教、神道、八百万の神々、これらは、皆立教以前の、裏守護時代の神であり、それも月日が教え来たる、神です。
天理教の神の教え、つまり表に現れた神と、表に現れていなかった時の神と、神の教えそのものには、何の相違もありません。
同列というように考えても良いのです。
ただ一点、「をや」を説いているだけが、天理教の教えの特徴です。

「おやさま・天理王命様」の指の理は、「右小指」です。いざなみのみこと。
同じ十本の指に、同列に存在していて、一番かわいらしい指が、人間の親神の分掌の理の指です。
「小指は子や指」という諭しもありました。左小指にはくにとこたち様が右子指にはをもたり様が、お添いになって守護くださいます。
人間子供を誘導する、誘うという意味が「いざな」にはあります。
「いざな」「き・岐」は、左の小指ですが、「き」は、月様の、どこどこまでも突き通すというご守護の理が添います。
世人の道に導く進化の「岐路」を、守護してくださるのは、いざなぎ様で、「種の理」です。
「種」に存在する誘導の守護が、一貫した成人の道を、絶えず選択してくださっている。
そういう、「をや」の事は、天理教のみの教えです。
0562基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 07:51:39.16ID:7odJJoE5
教理的に解説しますと、真柱の後継者は内とは限っていない。
初代真柱は、外孫です。
おやさまの逸話には、お子さんのいないご夫婦にお褒めになっている逸話があります。
育児・子育てと言う苦労をしなくても良いという意味で、良い心使いに結果と、そのように誉めておられます。

今の真柱さまと言うのは、遺伝情報的には、夫婦から生まれる子供の遺伝情報は、必ずしも、みき・善兵衛の遺伝子情報が濃いとは限っていません。
これも、重大な問題です。
みき・善兵衛は、いとこ同士の結婚であり、二人の祖父の生まれ変わりが、初代真柱です。
いとこ同士の結婚は、隔世遺伝の、遺伝情報保存の方法として、科学的に合理的です。
初代真柱とたまえ夫婦は、みき・善兵衛の孫の、いとこ同士の結婚です。
こういう観点に立つとき、現真柱の子が次の真柱と言うまちがった固定観念では、遺伝情報の濃さでない基準が用いられることになります。
子供は、無くて当然です。
0563基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:25:56.92ID:7odJJoE5
>では、次の真柱様は、遺伝情報の濃い方といったら、誰ですか?
>血族同士でご結婚された方のお子様という事ですか?
>現真柱様は土佐家の血が混じっているが、二代真柱の魂ではないかという方が居られるが?

さて、個人情報保護の法律ができて、そういう問題は、内々でしか分からなくなっています。。
親神さまのご配慮です。
隔世遺伝と言う観点で、1が3、2が4という唱え方をしているのでしょう。
おやさまの教えでは、そういう遺伝情報の問題と全く別個に、生まれ変わっているかのごときに見受けられる生まれ変わりも説かれているかに見えます。
が、例えば、梶本家と言うものには、どういう遺伝情報が含まれていたのか、これは、調べようが無いわけです。

梶本の母が、辻家の出だったという記述がありますので、辻家からの遺伝情報が辻家の出の女性から、伝承したことは理解できます。
では、辻家と中山家はどんな関係だったのか、これは分からない。辻家と前川家もどんな関係だったか、分からない。
血族よりも、「いとこ」同士が、基本ですね。「同じ祖父母を持つ」です。
それは、女性であっても良い。

ただし、初代様の時のように、人間の思惑がかかると、実現しない場合があるので、つまらぬ詮索はしない事です。
「生まれ出る前から真柱」は、決まっている。
それは、内々では分かっていることでしょうから。
0564基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:30:04.66ID:7odJJoE5
次の真柱が誰かにこだわると言う事は、おやさまが親神さまで存命だと言う事を、疑っている。不信感そのものですね。
お屋敷の事は、おやさまと真柱さまに信頼申し上げたらよいわけです。
ですよね。
そう言う事疑っているより、ご自分の陽気暮らしに専心なさるべきですね。信じて信仰している信者さんならね。

神の問題よりも、人の問題に興味が先行するのは、現実の親神さまを侮っているからですね。
神について、「しらぬ間はそのままや」という天理があてはまっていますから、
神について「教典」に書かれている程度は、暗記できていないと、知らぬ間はそのまま状態です。
しかし、「種無し」「天のお手入れ」と語られたお方は、少なくともその程度は知っておられるわけで、「種」はいざなぎ命様で、
進化の分岐においての守護と読まれたわけですから、
心一つにまこと真実の種が無いと、天のお手入れを、ご自分が頂くでしょうから、それから、思案されたら宜しいと思います。

神のお働きは、ご守護は、身の内に手入れ頂いて、お知らせ頂いて、一つずつ骨身にしみて分かるものです。
0565基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:33:49.72ID:7odJJoE5
>お書き下げに書かれている「まことの心」が、わかる様で難しい。
>まこと真実について解説してください。


普通には、「真心」という意味に、「まことの心」の意味は理解されています。
そこで、「まこと」と言う言葉はお筆先で見ますと、本当の事と言う意味にて用いられています。
お指図でも「まこと難渋な道を通りた」のように、本当に、という意味で用いられています。
それが、基本となります。
また、「真実」は、おふでさきでは「しんぢつ」。「しんぢつの神」のように、これも、本当のと言う意味に使われています。
それは、分かりやすくいいますと「うそがない」「偽りがない」と言う事になります。

『人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。』
これが、おかきさげの本文にあります。
ここに、真の誠とあります。
おかきさげは。お指図が台ですから、お指図のお言葉で確かめることにします。
お言葉は、「初出」の用法が基本的な意味です。最初にそのお言葉の意味や用法がちゃんと示されてあります。
そこで、おさしづの用語検索で、「真の誠」を調べます。
ネット上にては、私の場合、TATENUI おふでさき、を利用させて頂いています。

そこで、「真の誠」をおさしづ検索しますと、次のお指図が「初出」となっています。
井筒梅治郎事情伺
明治二十一年十二月五日(陰暦十一月三日)
さあ/\/\/\、尋ねる処/\、尋ねるには一つの理を聞き分け/\。
さあ/\、世界皆兄弟、身は皆兄弟。さあ/\、真の誠の心が、心は皆々兄弟。さあ/\何かの事も治めてくれるよう。
さあ/\これまでは長々の処治めた。
又これから先は、何かの事も治めてくれるよう
0566基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:38:28.21ID:7odJJoE5
『人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。』

真の誠の心が、心は皆々兄弟。と言うのが初出になっています。
おやさまが、人間の元を教えられて、親を教えられたと言う事は、皆々が兄弟であると知らされた事でもあります。
その、おやさまが真実の親神だと信仰するなら、心は兄弟であるのが真の誠の心と言う事に相違ありません。
おやさまの教えを真実と聞くなら、人間は皆兄弟と言う「本心」が嘘偽りないとき、まこと真実の心と、なる。

さて、そうした心が真のまことの心としました時、
『日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、
誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。』
このお言葉の深さが分かるのです。
おやさまは、常にまことの心であられた。つねに「皆私のこどもや」というお心と態度であられた。
それは、反対攻撃も、無理解からのあざけりも、誤解ゆえの悪口も、ことごとくまことの心にてお受けになられた。
一寸にはみな弱いように思う、そんなお姿でもあったわけです。
一列は兄弟であるという、真のまことの心が、おやさまの教えられた「真のまこと」の基本と言う事になります。
0567基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:41:05.05ID:7odJJoE5
中西金次郎妻ゆき三十七才おさづけさしづ
明治二十一年十二月二十五日
さあ/\/\/\、だん/\の席をしい、又々の席も、だん/\の席もして、
なれど一日の日に生涯という心を定めて、一日の日を改めて、一つの席をするなら、一つの理を聞き分け/\。
さあ/\日々に常々に、誠一つは天の理、
誠一つの心に理があれば直ぐに受け取る。それ常々に真の誠という心多年々々にあれば、それ世界という。
めん/\常々真の誠あれば、自由自在である。
自由自在は、何処にあるとは思うなよ/\。
めん/\常々に、精神誠という心が自由自在や。
誠は天の理。
又それより内々睦まじいという心の理が、それ天の理である。
直ぐに受け取る、直ぐに返やす。
さあ/\又これより一つさづけ/\/\。

おさづけを頂きます時に、それは誰に対して用いるお授けかと言えば、病人さんにです。
では、その病人は、あなたの何なのか。
兄弟。互いがおやさまの子である兄弟なのです。
お授けの病たすけにおいて、自由自在にご守護いただきたいという願う心のまことは、
「きょうだい」であるという真実を、偽らないことて、まこと真実となります。
『常々に、精神誠という心が自由自在や』
病人におさづけをさせて頂くときだけの誠と言う精神では「嘘」。嘘でないことが、まこと。
これが、基本です。
0568基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:44:35.31ID:7odJJoE5
『誠は天の理。
又それより内々睦まじいという心の理が、それ天の理である。』
「それより」、というのは、「一列兄弟」と言う人間の本心より、と、そのようにご理解下さい。
家庭内や、家族内々の睦まじさだけの事は、「嘘」。
面々勝手の陽気と言うようなものです。
根底に一列兄弟の自覚があって、おやさまの子としての本心に素直なままの「内々睦まじい」が、
本物の、まことの「睦まじい」であると、お指図は示しています。

「睦まじい」→「むっつ」。六。→「ろくぢ」。おやさまは、世界をろくぢに踏み鳴らしておられます。

さて、詐欺と言うのは、色は白と黒です。
右の薬指が、たいしょくてん命様の守護の理。黒の神様です。
生き死にの神様で、喪服は黒。
左の薬指が、かしこね命様の守護の理。白の神様です。
基本的に、誕生も死も、知らせは右薬指です。
病人のおたすけで、たいしょくてんの指に知らせがあったら、痛の知らせは「死・たすからない」です。

おやさまは、信仰者には「こじきはささぬ」。信仰者でないお乞食さんには可哀想にと、態度が二つありますが、
それは信仰者さんには「不自由なきようにしてやろう。神の心にもたれつけ」と、言われていて、
神の心にもたれつくことが最優先で、不自由の脱却になる天理ゆえです。
0569基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:47:38.48ID:7odJJoE5
>口先だけの自分の考えも神の言葉だと錯覚していたただの婆。
この見解には、いささかの異論がありますので、基本的見解を語ります。

みきの言葉です。
かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく 第8号 58
日和見な発言ではなく、「月日・みき自身も意味します」の「残念立腹」と、きわめて、はっきりと意思を明示しています。

> 神様は、お筆先に於いて、
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
> 神のかやしというのは、刻限が来たらという予言だということでした。
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。
> 1951年4月に、ぢばにて、ひながた甘露台の据え換えが行われました。
> 1951年4月から数えて、43年後の1995年に、阪神大震災が起きています。
> お筆先で、海は津波やの予言がなされた1874年から、43年を三回数えた、129年後、
> 2004年12月の大津波が起きています。
> 神の残念としての地震が、43年という理で現れると言う事、
> ぢば以外の場所でのおつとめも、教祖が許していたのだという、
山名の諸井国三郎先生の、龍頭の狂いが、「しん」の狂いといて、
「一人狂えば万人狂う」事情と、神様は見せてくれました。

みきの予言には嘘がないと、基本的には理解します。

みきは、みき姉は自分の事を「元の神」とも「実の神」とも語っています。
現実の世に、外れた事の無い数理の予言を的中させているのは、
未来を当てたではなく、未来そのものを現実に守護したという事です。
0570基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 10:51:02.84ID:7odJJoE5
おやさまの、予言の書。おふでさきは、神のお言葉の聞き取り書・原典おさしづにて、

この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。
晴れん心にもろ/\がどうもならん。これ一つ何でも晴らさにゃならん。
世界一遍に晴らそうと思えど、あちらから雲が出る、こちらから雲が出る。
今までの処存命の間、一々一つの事情委せ置いたる。
ふでさきにも出てある。十二下りの理にも出てある、
十二下り出て居る。
この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。
通りたら分かる。
三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。
遠慮気兼は要らんと言うたる。頼み置いたる一つの理、
十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、
中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。
入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。
この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。
もうこれ心さえ曇りが無いと思う。曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。
もう一段一寸掛かり掛ける。一度にも仕上げる
。一時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってくれ。
これまでよりだん/\思やんしてみよう。嘘は無い。嘘は一つも言うてない。
これ事情にて、互い/\の心を治めてくれるよう。
0571基本。
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2018/12/17(月) 10:54:21.62ID:7odJJoE5
つまり、みき姉によれば、
「この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。」と言う事で、
神の予言はあっても、「信者が、世界が、みきの教えを分からない」から、その曇りで、始められないと、
そういう事なのだそうです。
考えてみれば、おやさまの名が天理王命とさえも、正確に理解できていない、幼稚園児ばかりでは、
みき姉の理の発動そのものが、開始できないのは、当たり前です。
が、それは、おやである、みき姉そのものの責任でもある。

みき姉の責任その問題は、後にして、「十二下り」の事ですが、十二くだりは、予言であると言う事。
おつとめのお歌も「おふでさき」です。
十二下りの予言として、分かることは、曇りをはらす事になります。
0572基本。
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2018/12/17(月) 10:59:45.26ID:7odJJoE5
晴れと曇りについては、次のようなお指図があります。
刻限御話(但しまさゑ縁談の話)明治二十七年四月三日 午後二時
『晴れた理は世界曇る。晴れるは世界では分からん。曇る晴れる理まで諭してある。』
これは、まさえさんの縁談についての、関連したお指図です。
相手は、信仰初心者で、未信者というところでしょうか、でも家柄は良く、文化人教養人でもあった。
それで、この縁談には、天理教NO1の、本席の娘の相手として相応しくないという、教内世論があって、
そんな相手なら、きちんと信仰を仕込めと言うような世論、・
又、反対に、相手がなかなかの家だから、高山のように感じて、似つかわしくないという見解、つまりそれは嫉妬なわけですが、
身分と言う考えなら、立場ごとに見方ごとに上下が違うわけで、神意は縁談をすすめるようにとあったが、遅れていたと言う事情があります。
おやさまは、当人の心と心だと、示されているわけですが、縁談事情にありがちな、本をただせばたかが大工。
曇りがあった。
世界では天理教を潰したいわけで、縁談つぶれるようなら、世界は晴れ。
世界が晴れなら、道は曇り。
こういう理と言う物があります。

世界一列の陽気暮らしを見たい親神にとっては、「世界の晴れ」は見たいが本音ですが、
大社高山が谷底をままにしつつ晴れを演出するという、
世界(道に相反する世界並みという意味での世界)の「晴れ」は、天理の道には「曇り」となる。
そういう理があります。
0573基本。
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2018/12/17(月) 11:02:05.19ID:7odJJoE5
増野正兵衛身上伺 明治二十年六月二十四日(陰暦五月四日)

さあ/\何かの処、皆それ/\、皆障り、さあ/\どういう事を知らす。
尋ね事情、何かの処、さあしっかり聞き分け。何よの処、どういう処、踏み止まる。
取次々々、だん/\取次、しっかり取次、道付け始まる。
どういう大道々々、大道の掛かり。
どういう、何人々々、幾名、一人思案定め/\。
泥水だん/\迫り、泥水が澄まする。
治める処々、名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。
ふでさき通り皆出る。
今度道はいつどう、いつ見える、ふでさき皆知らせてある。
大きなふし見える。大きふしなら、大きな心据える。
大きなふし、大きなふしが出る。忘る一寸、どういう事、こういう事、泥水流れるなら、どういう事、
いかなる水の掛かり。
取次、これをしっかり聞き分け。
又延びるやら知れん。今度の言わん道の処に、ちゃと掛かって居るで。

みき姉、直命の、取次ぎ人。増野正兵衛先生へのおさしづです。
「一人思案定め」とありますように、正兵衛さん、あんた一人で思案を定めなさいと、みき姉さん。
どんな思案か、取次ぎ人として、おふでさきの予言を踏まえて、きちんと理を取次ぎなさいよよいう意味であり、
それは、「今度の言わん道の処に」、つまり、おさしづの無い神は何も言わん道の所に、かかっているよという、
責任の重さを伝えるおさしづです。
0574基本。
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2018/12/17(月) 11:07:18.47ID:7odJJoE5
この、戦争と言う泥海事情を取次ぎ人として、
親神から聞き取り記録した、増野正兵衛先生は、
伊蔵先生が本席になる以前に、その意味のお指図を頂いていた、
正真正銘の神の選びし取次ぎ人です。

増野正兵衛身の障り伺

明治二十年四月二十四日 午後五時半
さあ/\遠く/\処、さあ/\それから遠く、何かの処も急ぐ。
身上一条の処は、又の道の、いつ/\まで身の障りという事で、なに大抵今までの処、どちら大変処、計り難なき。
やれ/\何でも、一日なりとも、一月なりと、日を送る。何の思案。
月更わる、日更わる。是非に押して/\、残念々々でならんで。残念の処に、残念がある。
残念の中に、何か幾分何かの処、又々それ/\処、何の楽しみも無き、一度の処と立て替える。
仕事場々々々、仕事場はあちらこちら、その時/\さしづ。
何を尋ねる。よう風吹くようなもの。どうやこうや、又々立て替えじゃで。
仕事場委せて置いた。席をすっきり、あちらから/\、こゝで一寸、仕事場にしようか。
席というは綾錦、身の内障り、だん/\もう成ろか、洗い替いせねば余儀無くの。ほんに席にては、十分何時なりとも、席にて伺え。
何時なりともあちこちと、立て替える。ほんに席さしづは仕事場。何時にても、どういう事も早く。
0575基本。
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2018/12/17(月) 11:17:27.78ID:7odJJoE5
陰暦で言うなら、(陰暦二月十七日)という表記は、二月十八日の一日前になります。
二月十八日と言うのは、普通に言えば、おやさまの死んだ日です。

明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時
刻限御話
内も世界も十分と思うであろう。さあ/\始め掛ける/\。どえらい山がある。
ろくぢ/\という事も聞かせてある。
山を刳り抜かねばろくぢでない。
さあ/\刳り抜くで/\。それ/\へも伝えて置かねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。

1887年(明治20年)2月18日に教祖が死亡した。
1887、と、218と一目で分かるように、1887は1888の一年前です。

つまり、「八」は、「八方に開く」と言う数理ですから、1887は、八の前ですから、おやさまが扉開いて、刻限において、
山が刳り貫かれたと言うお言葉は、次の段階ならそうなると言う意味です。
おやさまは、1887年に扉を開かれた。二月18日は十分八方に開く理。
三月十一日の日付は、十分始まりの数理です。
山を刳り貫くお指図は、山をくりぬくことは十分始まりであるが、十分八方に開く一段前の、刻限だという数理の示すものです。
0576基本。
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2018/12/17(月) 11:21:21.93ID:7odJJoE5
つまり、『さあ、さあ刳り貫くで、』は、今はじまりだけれど、理としての始まりで、実体としての刳り貫き開始は、その後に来ると、理解されます。
そこで、「さあ」と言うのは「あさ」の「朝の理」ですから、「さあ、さあ」と、二回の夜明けを、告げられていると理解するのが、基本的理解です。

おやさまの命日、26日は、1887年とそれは、25年縮めた命日ですから、
1912年が該当すると、思案されますが、そういう場合実年齢にて数えるのが基本ですから、
1798年(寛政10年)4月18日 (陰暦)- 前川みき生誕。
これから、115歳の定命を満年齢で数えますと、1913年になります。
おやさまの扉を開いた歳は、満89歳。
でも、実は、おやさまは、存命のおやとしての一年を足して、九十歳と、死までの年齢を数えるわけです。

明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午後一時三十分
刻限御話
一寸正月二十六日、これまで話てある。
さあ/\事を始め。二月二十六日というは、今初めやで。多く始まり、追々。
さあ/\今一時世界も分からず、世界も不思議や。
それ/\の道一寸付け掛けた。

このように、一(正月二十六日)二(二月二十六日)と、そういう一、二が、数理としてある。
おやさまが、天理教会をオープンすべく、扉を開くと言う126の次の年の126に一年祭妨害事件を引き起こさせた。
本席の出直しの時、百日のおさしづでは、明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時
『もう立て合いの日の立て合い/\、日の立て合いは正月二十六日、二月二十六日、これ日の立て合いや。』
0577基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:33:23.30ID:7odJJoE5
「一けふ」には、「あすにちからわをふくわんのみち」になると言う予言でありますが、
明日日というのは、一今日に対しては、
仮に言うなら、「二今日」と理解されます。
あるいは、「一けふ」とは、始め(一)においての今日という理解で読み取るべきです。
つまり、13号には、二つの「けふ」がある。
と言う事は、十三号の五月五日けふと、四号の五月五日けふは、
四号は「一けふまで」、十三号は「一けふまの明日日のおいてのけふ」と
このような時間経過があるという事になります。

さて、これは全く独自の基本的な見かたですが、「一けふまで」のおふでさきは、「13号にて完結している」と、このように見立てます。
「十三とは、十分身につく」で、教えが、十分身につく。
そして、四つは、「世の中」「世直り」ですから、
十三号までで、お筆先の教えが十分身についた。→十四号からは「十分世の中・十分世直り・十分幸せ」と、そういう構造と理解されます。

その区切りをお示し頂いたのが、「一けふ」という文字であり、
「一つは正月」。
正月二十六日を待つ。
その、正月には、「一けふ」いごの、道の容態になるという予言になっております。
0578基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:36:04.15ID:7odJJoE5
「三つ身につく」。
       三下り目
一ッ 日の本庄屋敷の 勤め場所は世の元や
二ッ 不思議な勤め場所は 誰に頼みはかけねども
三ッ 皆世界が寄り合うて 出来立ち来るがこれ不思議
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや
五ッ 何時も笑われ謗るられて 珍したすけをする程に
六ッ 無理な願いはしてくれな 一筋心になりて来い
七ッ 何んでもこれから一筋に 神にもたれて行きまする
八ッ 病む程辛い事は無い わしもこれから日の寄進
九ッ ここ迄信心したけれど 元の神とは知らなんだ
十ド この度現れた 実の神には相違無い

十二下りでは、三下り目の十ドになって、元の神実の神と納得しています。

十二下り出て居る。
この事情からはい/\、この事情から聞き分け。
たゞ一度の道じゃあろまい。

天理教の信仰をしていても、元の神、実の神と相違ないと納得は、「三つ身につく」ことです。
0579基本。
垢版 |
2018/12/17(月) 11:39:05.23ID:7odJJoE5
・・・中山みきは、そうした方針に断固と妥協しない為に、政府からは、何度も拘引投獄という弾圧を受けました。
が、監獄から出るたびに、出迎えの信者は増えていくと言う、「節から芽が出る」という姿にて分かるように、
各地域での布教成果は上がり続けていて、
それは、権力との上手な妥協をしていた弟子たちの功績なのです。
そこで、神道の組織に参入する道を選んだ、初代真柱は、時の神道管長を招いて、政府の方針に従うと誓書を差し出します。
これが、応法の道と言われる天理教会の道の始まりです。
教祖が、邪魔だ。教祖を黙らせろと言うのが、神道の幹部の意見でした。
0580基本。
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2018/12/17(月) 11:42:06.28ID:7odJJoE5
四ッ よう/\ここ迄付いて来た 実のたすけはこれからや

実のたすけとは、「世直り」「よんなか」(豊年の意味)「幸せ」「陽気」・・四の理。
四の理とは、資産、資本。社会資産と社会予算の、柱の理。
「家業第一」の基本を貫かず、いつも豊年教えたいおやさまの「四の理」。
そういう四の理の「四つ」に入って行こうとしないで、
「三つ身につく」で、三年の苦労で初代が身につけたものを、教会の財産資産を「私物化」し、世直しに向かおうともしなかった。
天理教団の四の理の間違いは、「四つ夜の中」。
四は戦争の闘いの、腹立ちの埃。

実のたすけは、いまだ行われず、三つ身につくことばかり求めての、
元の神実の神とも得心しない天理教団、開始から、ずっとそうでした。
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