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天理教ってどうなの? [転載禁止]©2ch.net

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0001神も仏も名無しさん
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2015/02/27(金) 15:41:42.35ID:eGRBmT9F
カルトなんか?
0311基本。
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2018/12/13(木) 11:01:31.95ID:4cjCf34b
明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午前四時
真之亮代理伺
幾重の話聞く。大工というて知ったは神一条、仕事場は神一条、北は鍛冶屋南は大工で、神一条。
さあ/\尋ねる処事情知らす。
又々心で知らし置く。
どうでも皆その日来るなら、働きも十貫目渡るもあり、二十貫目渡す者も皆心次第。
これ心尽せし程、目札を付けて渡す。さあ/\付けるとも。刻限事情を知らす。
大勢ではざわ付く。誰が筆執れは言わん。
さあ/\一人ではよいのやで。大層せいとは言わん。神のさしづ言わん。
・・・・・・・・・・・
この、一、二、三のうちの、二の段階については、どのようなものであったかというと、全く、神意に沿えていないものでした。

おやさまは、世界一列をたすける為に道を開始された。(一月二十六日)
そして、大工と鍛冶屋の・本席と真柱の、おさしづに基づいての、
世界たすけの道は、おやさまの神名すら説けないと言う、まさに、理に反したものでした。

謀反同様の、教団幹部の間違いについて、二月二十六日に、
親神様は、次のように、おさしづされています。

 手遅れ/\。だめの諭と言うたる道は、先になりても立つ。

明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時 のお言葉です。
0312基本。
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2018/12/13(木) 11:13:37.82ID:4cjCf34b
明治四十年四月八日(陰暦二月二十六日)午前六時
未だ御身上すっきり致しませんが、何か運ぶべき事ありますか、と申し上げ

手遅れ/\。だめの諭と言うたる道は、先になりても立つ。
内々や。
何時どういう事出来るとも分からん。
人間というは死すると言う。生まれ更わり。
何年居たとて同じ事/\。
もうこれ暫くの処、どういう事も幾年間なる。何年したらどうなる。皆力を付けてある/\。
皆々よく差し入ってくれ/\。
そうして内々の処、こうして三軒棟を並べてある。
一軒の方/\立ってない/\。立たんとすれば楽しみも無い。これも第一長らえての道、余程大望な事である。
治まり無いと言えば、有るも無きも同じ事。

押して、三軒棟あって一軒立ってないという処、此辺如何の事でありますかと願

西に余分々々、余分は一人あるわい。一人こちらへ/\。
それが気に合わんとすれば、今限りやで/\。
ウヽヽヽヽ。
もう立て合いの日の立て合い/\、日の立て合いは正月二十六日、二月二十六日、これ日の立て合いや。
さあ/\何かの事も自由と言うてある。自由。

理の親信仰というものがはびこって、おやさまの元の理をないがしろにした天理教の幹部たち。
おやさまは、厳しく、理を責めておられます。
0313基本。
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2018/12/13(木) 11:58:10.34ID:4cjCf34b
おやさまの、「昇天(死)」の日は二十六日であるという事は、存命中から、知られている事でした。
そして、明治二十年の正月二十六日でした。
おやさまは、予言どおりに、その「二十六日」と言う日に、お体つめたくなりました。
それは、本席と真柱の神一条の開始の二十六日、二月の二十六日への一段という「だんだんの道」を、到来させるものでした。

しかし、本席おさしづの時代は、応法の道であり、その応法の道は、人間の自分勝手な道そのものとして、
世界一列をたすけたいという道ではなく、天理教団の内内さえ順調ならよいという「教団組織エゴ」の横暴がはびこり、おやさまの教えそのものを歪曲化し、
政治権力と迎合しての「とふぢん」のままにする「から」に、陥っていたという事です。

親神様は、教団幹部の願いが「わが身の内内の幸福」にしか無いと、見抜かれていて、第二段に相当する「二月の二十六日」に、
「組み換え」を宣言されています。

明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)夜十時
刻限御話
それ/\聞いて一寸問い、組替え楽し道なるや。
こうなる願の道、言う事ももうとっと楽しむ内々、刻限成る成らん、道何をして居るやら、こういうような事も言い。
聞き分け、よう聞き分け。
刻限延ばし、さあ/\思案。
五十年目に、目で見て改心。

日送りして言い、話して置く。
0314基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:01:06.84ID:4cjCf34b
本席が死を迎える三日前の、出来事として、「組み替え」の予言、「刻限のばし」の宣言、「五十年目に改心」の予言。
そういう、重大な内容である、「おさしづ」が、出されています。

まさに、そのとおりの人間であり、天理教団は「五十年後」どんな姿を見せられたでしょうか。
明治21年 1888年 天理教教会本部の開始
      1937年 応法の道 五十年目。

 1937(昭和12).7.7日、日中戦争(支那事変)勃発。

 「みかぐらうた」は、よろづよ、三下り目、五下り目が削除された。
おふでさき、おさしずも各教会から回収され、天理教教典のみを教義として時勢に協力した。

戦争協力の道にまいしんする事となったのは、神様から見ての残念そのものだと思います。
0315基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:05:16.98ID:4cjCf34b
「満足の理が世界。」
これが意味しているところは、極めて大切です。

明治二十八年十月七日 夜十時
さあ/\これ/\、今夜という今夜はすっきりしたさしづ、どんな事もさしづ通り用いらねばならん。
どういうさしづするなら、日々忙しい急がしいというは、どういう処から忙しなる。
皆んな出て来る。
満足を与える。
満足の理が世界。
今まで結構は分かりてあれども、この理が分からん。

おつとめの完成によって、甘露が降ると言う思案は、「応法」のようなもので、「結構」の理を教えてはいますが、
「満足を与える理」は、それでは分かっていない事になります。

天理教会が公認されて「結構な道」になったと、「結構な理」は分かったとして、
「満足を与える理」のための、天理教会なのだから、
天理を求めて来る世界からの人々に、「天理」を伝えるということ、「満足」させるという事を、第一にしなければならなかったという事です。
0316基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:08:05.83ID:4cjCf34b
> 間違っていると、親に教えてあげないと、子供が悪いという事になります。
それは、こういうおさしづがあるからです。

増野正兵衛及び春野たか身上の願
明治三十四年四月三日(陰暦二月十五日)
・・・ 年取れた者諭したる。こらどうでも成る。
なれど、伯父甥という。親兄弟も同じ事、深い中。
すれば遠く所からいんねん以て寄せる。
たゞめんめん若き/\だけ話し諭して、これまでと十分立て替えやろ。

めん/\芯という同じ心以て子を親が始末して、
又子が親を始末するが道理である。

繋いでしてあるが、めん/\親子同様、何処へもするのやない、彼処へもするのやない。
めん/\皆身に付く。
たんのうして年取れたる者どうでもなる。
この理分からん。年取れたる中、言葉優しくたんのうさすが台。
又日々暮し方何も分からせん/\

めん/\聞き取って又宅分けにゃならん/\。
何よの事十分々々してやるがよい。大層言わず/\、めん/\同じ事や/\というは、神が守護すれば神が話する。
神の話する事にどうやろかこうやろかではならん。
しっかり同じ子供に同じ暮らし方する程にと、めんめんも楽になる。

めん/\言わず語らず働きて居る。

同じ一つ心煩い/\、その心定めて、どうやこうやと、しっかり楽しみ付けてやるがよい。
0317基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:12:17.02ID:4cjCf34b
第3号 108
いまゝでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんの事やら

このお筆先が、意味しているものを理解してみよう。
「先ず、いままでハ」の「ハ」、それから「ゆへあれど」と記されているから、
この三号108執筆以前には、と言う意味に理解される。
@「おふでさき執筆以前」A「おふでさき執筆中」B「おふでさき執筆以後」の、
一、二、三の「三段一つ」において、この状態があったという事であるから、
「しょこためし」とは、今までには言われていた。
それは、@、A、Bの全ての段階で言われていたという事である。

そして、しょこためしという事が言われていたが、「かんろふたいもなんのことやら」であったという事は、
甘露台とは、「しょこためし」の一つと言う意味に理解される。
「ためし」について、お筆先にはどのようになっているのか、ですが、

このよふのたしかためしかかけてある
これにまちがいないとをもゑよ
第3号 22
いまゝでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんの事やら
第3号 108
いまゝでもためしとゆうてといたれど
もふこのたびハためしをさめや
第3号 134

以上の3首が、全て「三号」の中に記されていると分かります。

甘露台と言うのは、「証拠ためし」の一種類であって、「証拠ためしの試しおさめ」なのであると言う、
原典からの視点が、きちんと見えてきます。

「なんの事やら」では、「理の間違い」状態。
きちんと、その理と訳を、意味を、知る事が「理で責められている」わけです。
0318基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:15:10.37ID:4cjCf34b
悟りが無いのが、神様の残念であると言う、基本があります。
甘露台と言うものは、@お筆先執筆以前、Aお筆先執筆中、Bお筆先執筆以後と、
それぞれの段階で教えられていたが、それぞれの段階で、「なんの事やら」であった。
まさに、悟りが無いのが、神の残念です。

「ためし」というものは、「おびやためし」が基本です。
お筆先には、「上」に対するものとして「甘露台」のためしが、位置づけられています。

にち/\に神の心のせきこみを
そばなるものハなんとをもてる
101
上たるをこわいとをもていすみいる
神のせきこみこわみないぞや
102
むねあしくこれをやまいとをもうなよ
神のせきこみつかゑたるゆへ
103
たん/\と神の心とゆうものわ
ふしぎあらハしたすけせきこむ
104
このふしきなんの事やとをもている
ほこりはろふてそふぢしたてる
105
あとなるにはやくはしらをいれたなら
これでこのよのさだめつくなり
106
このはなしはやくみへたる事ならば
いかなものでもみなとくしんせ
107
いまゝでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんの事やら
108

「上」をこわいと思う事にたいして、「甘露」という位置があると言うこと、基本として、心得るべき事です。
0319基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:18:12.13ID:4cjCf34b
「かんろたい」甘露台については、お筆先2号にて、その本質が語られています。

第2号 39
めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる

Mezurashii kono yo hajime no Kanrodai
Kore ga nihon no osamari to naru

Marvelous is the Kanrodai of this world's beginning. It will be the cause of peace in Nihon.
この世人間創造の理を現した珍しいかんろだいが建てられて、かんろだいのつとめが行われるようになったならば、
その霊徳により親神の真意がにほんに広まり、つづいて世界に行きわたって、一列人間は勇んで陽気ぐらしをするようになる。
・・・・・・・・・・・・・・
英文のお筆先と、日本文の解説には大きな隔たりがあります。

英文のお筆先は、「にほんのおさまり」を「peace in Nihon」と訳しています。
日本文の解説では「親神の真意がにほんに広まり、つづいて世界に行きわたって、
一列人間は勇んで陽気ぐらしをするようになる。」と、違訳になっています。
現在までの、教団教理の「あやふや」が、きちんと見て取れます。
0320基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 12:21:42.09ID:4cjCf34b
> お筆先には、「上」に対するものとして「甘露台」のためしが、位置づけられています。
そして、「にほんのおさまり」とは、「平和」という事を意味していると言う、それが英文訳にきちんと示されていると言う事です。

第2号 39
めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる

英文訳では「平和」は、「It will be the cause of peace in Nihon.」であり、未来形の表現になっている。
それでは「めつらしいこのよはじめのかんろたい」は、時間的にはどうかといえば、
「this world's beginning.」と、表現されていて、過去のものではなく、開始されている今の事として、訳されている。
つまり、「将来に立つであろう甘露台」というような、山名系教義や教団指導者の教理は、まるで陳腐なものだと理解されます。

「甘露台」とは、それが開始されたという事そのものが、日本の治まりになると言う、そういう性質を持つものだという事です。
0321基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:00:04.08ID:4cjCf34b
泥海世界にあって、人間の種にされたという「どぢょ」とは、
実体はどのような生物でしょうか。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドジョウ科
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E7%A7%91
分類
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 条鰭綱 Actinopterygii
上目 : 骨鰾上目 Ostariophysi
目 : コイ目 Cypriniformes
科 : ドジョウ科 Cobitidae

ドジョウ科(ドジョウか)は、コイ目に属する科。
腹部は平らな形状を有し、底生である。およそ160種を数える。
ほとんどが雑食性の清掃動物(腐食動物)であり、通常何でも食べる。
主な食物は水棲の甲殻類、昆虫やその他の小型の無脊椎動物、およびデトリタスである。
一部の種は水質の良くない場所にも生息し、イトミミズなどを捕食する。
種によっては、空気を飲み込む事によって大気中の酸素を呼吸することができ、劣悪な環境に適応しうる。
一部の種は渓流など急流に生息する。

腐食性を持ちたいていの淡水の生態系に適応する能力があるため、本来存在していなかった地域にも移入し、
在来種を脅かす外来種として問題となっていることがある。
0322基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:03:11.63ID:4cjCf34b
↑ 底辺に位置している。

神話の世界として組み合わせると、「龍」←「鯉」←「どちょ」。
つまり、滝登りをすれば、鯉は龍になる。
その鯉の、最底辺の存在がどぢょです。
川底を綺麗に掃除してくれている、それが、どちょ。
侮るべきではないと思います。
「聖人」とは、底辺にいて、あたりを清めていて、どんな環境にも対応する。
まさに、「どちょ」とは、「聖人」、「セイント」。
そういう、意味があります。

お筆先には、人間をはじめかけるに神は、「どぢょ」を食して、その心根を味わい、種としたとあります。
どぢょとは、淡水性の「底生」のコイ科のうおです。
川底を綺麗に掃除する。如何なる環境にも対応する。
そして、滝登りをすれば、龍にもなれる「鯉」は、「節句」には「鯉のぼり」を立てて祝ってもらえるが、
谷底のどぢょには、何の祝福もない。
汚れにも、急流にも生息し、生活する姿は、まさに「聖人」のごとき、暮らしぶりです。


その、谷底に暮らす、「心清らか」な人たちを、「平和」のために、
甘露台の開始に用いると言う、そこに、「世界ろくぢ」のおやさまの理が貫かれています。

「どちょ」であり「鯉」であっても、「霊能・不思議」がなければ、「龍」にはなれない。
そこに、「どちよ」の清らかな心と暮らしぶりを見て、そして、
それを「平和」の為の戦士として活用すると言う「聖人」思想は、「聖人星矢」の原風景ですが、
谷底にいる「ブロンズ」に「小宇宙・コスモ」があるという発想の、もっと以前に、
おやさまは、「どぢょ」に「人間の魂」を見ていたと言う事です。
0323基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:07:40.93ID:4cjCf34b
甘露台については、神様は早くからお話しをされていたと思われます。
「大工が来る」と予言があって、そして伊降伊蔵さんが来た時には、八方の神が手を打って喜ばれました。
それは「神殿普請」の大工として利用したのは、人間の事情であり、おやさまは「甘露台」の模型を作成させています。
寒露台世界の普請に取り掛かる事のための大工であった事は間違いないのですから、「大工が来る」という事が予言されていて、
甘露台も予言されていたと理解されます。

その、甘露が降ると言う事と、「大社高山取払い」という事が、
一対の事情であるという事は、お筆先三号のお歌にも、一貫して見られます。
0324基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:28:54.05ID:4cjCf34b
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E9%9C%B2
甘露(かんろ)とは
中華世界古代の伝承で、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。後世、王者が高徳であると、これに応じて天から降るともされた。

インド神話の伝承で不死の霊薬とされたアムリタを、漢訳仏典では中国の伝承の甘露と同一視し、甘露、あるいは醍醐と訳す。

つまり、天(の王)が、やまず死なず弱らずの「甘露」を降らせるという思想は、中国の陰陽五行思想に、あった。
その、台を地に(人が)の立てると言う思想は中山みきの思想の特質だと言う事です。

> 中華世界古代の伝承で、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。
> 後世、王者が高徳であると、これに応じて天から降るともされた。
為政者に道を説いた孔子様が「陰陽五行」の理を説かれた。
それが「易経」。
高山に、王の徳に対して降るとされる「甘露」が、民の徳に対して天から降ると説いた中山みきは、陰陽五行の理についても、裏守護の中で、説いています。
「木火土金水」の五行を、五十音に当てはめて説いた教理本が、戦前にはありました。
五十音表と、陰陽五行の理を説いたのは、中山みきの「言語」思想の根幹にあるものを、感じさせるものです。
それは、弘法太師が、「真言」として、日本語を『理の音』と、五十音表に整理した「真言思想」を、
五行の理にてさらに理を明かすという手法であり、月日が教え来たる「陰陽五行」の重大性も、忘れては、天よりの甘露という思想は、理解できるものではありません。

どんなことも皆、口で言わせるというおやさまの思想は、その音としての、言葉そのものに「理」があるという、実を知らすことで、天理を知らそうというものであり、
「かなの教え」の、かなそのものに、「音」に「文字」に、「真」があるという、恐るべきオカルトを、示していたということです。
0325基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:33:19.65ID:4cjCf34b
『五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、伝統中国医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられたことば。
「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指す。』

貸し物借り物の教理として 当時の市販教理本には、こうあります。
『 腎は白、心は赤、脾は黒、肝は青、肺は黄色 』

この、「色」の部分は、もう少し考察の必要がありますが、色彩的にではなく記号的に見るのが基本です。

声の問題ですが、当時の市販教理本には、こうあります。

『五音の理』
『水声は、腎の蔵より発し、言語静かにして、余程長く伸びやかなるを腎声という。』
0326基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:36:16.32ID:4cjCf34b
静岡県には、観光施設として「天理教山名大教会」が登録されてあります。
諸井国三郎が、その山名大教会の創設者である。
「国」と名が付いていて、「三」と付いている。
「国から」、諸井国三郎から開始された「国から」という道の、
「一二三」の「三」の天理の基本について、語る場を、静チャンネルに用意させて頂く。

諸井国三郎埼玉県幡羅郡東方村にて身上障り、おぢばへ登参の上願
明治二十年七月十四日(陰暦五月二十四日)
この時のおさしづに、
『皆神の自由、先々一つの講、国から/\国から来なくては渡られん。
さあ、それからそれ、一方の手続き、だん/\と話伝えも出来るであろう。』
と、神のお言葉があります。
「国からの国三郎」。と、呼ぶべきお方です。

諸井国三郎埼玉県幡羅郡東方村にて身上障り、おぢばへ登参の上願
明治二十年七月十四日(陰暦五月二十四日)
身の障り、何よの事も聞かしてある。しいかり思案。
いかなる道、どういう道、こうしたら早かろうか。あゝもしたら、早く開けたろう。さあ/\めん/\の思うであろう。
いかなる心、真実運ぶ処、身の内障り、どういう事か。
国々先々、いかなる事、身の内自由現われてある。
皆神の自由、先々一つの講、国から/\国から来なくては渡られん。
さあ、それからそれ、一方の手続き、だん/\と話伝えも出来るであろう。
どうせこうせ、言うでない。
国の処も第一、国から/\、だん/\の筋道。
目の前の楽しみ、その楽しみは短い。先の楽しみ、細い道のようなれども、先の長い楽しみ。
後で見れば、短い。先は長い楽しみの道。
よう思やんして、真実の楽しみ。あちらで抑え、こちらで抑え、通り難くい道も通る。
外々の道筋、心真実、一つ国々長い道中運び来た故、これからたすけの証拠、神の道、一つのさづけを渡す。
しいかりと受け取ってくれ。あしきはらひたすけたまへ天理王命、
三遍唱え、三遍づつ三度、三三九遍の唱え、このさづけを渡す。しいかりと受け取りて置くがよい。
又々の道もある。
心真実一つ先の楽しみがあるで。
0327神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 13:39:41.02ID:r4kQk3rI
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです b

その他の入ってはいけない宗教
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
0328基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:40:05.49ID:4cjCf34b
諸井国三郎御暇を伺いし際
明治二十年七月十七日
さあ/\後々を待って居る。
さあ/\先々国々に手続き、それ/\皆々待って居る程に。
早う/\。一度では分からん。
一度二度しっかり伝え。
真実の話、ようしっかり伝えるがよい。
それ/\皆々待って居る。よう伝えるがよい。

「国々優先」とは「地方優先」、天理教の言葉で言えば「末端が優先」。

この順序というものが、天理教の順序であると言う事、甘露台世界への道は、国々から、末端からと、
それを、国三郎には切々と説いているおやさまです。

山名系の理の間違いは、もう語れないAチャンネルで、それはつまり、まあ周知されたと言う事。
それならば、静岡の観光地「山名大教会」の、お国自慢の方で、語るという、甘露台への道です。

ここ、静岡宗教板も、新スレッド立てられない制限、生じています。
後、わずかの中に、甘露とは「末端から」「国々から」「国々の地場から」という、
天理の本質を、語ることとしましょう。

諸井国三郎口中舌の障りに付伺
明治二十一年三月十一日
さあ/\運ぶ処、ぢば一つ運ぶ処、一つの理、一つのこうのう、いかなるもぢば一つ、一条の道。
小児へ渡す処の理、国の処、それ/\理いずれの所の理、一つのこう。
さあ/\小児へ渡したる処の理、一代二代三代四代五代ではない、これ末代の理渡してある。

国の宝、国の柱、しいかり聞き分け置かねばならん。
諸井ろくさんへの小児の水のさずけこそ「国の宝」。
つまり、地方の地域の「宝」。袋井の宝だと、おやさまは、国三郎に念を押されています。
0329基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:48:44.23ID:4cjCf34b
インターネットが登場して、以来5チャンネルは自由な議論の場としての役割を果たしてきました。
また、各種掲示板も一定の役割を果たしてきました。
天理教フリーフォーラムの時代、5チャンネルには第二宗教板の在った時代もありました。
ザ掲示板にもお世話になりました。
そうしたネットを「布教」の場に利用しようという意味では、天理教教団擁護派も、異端も、天理教批判、組織撲滅も、皆ネットを利用し、「情報操作」もどきを実験、実践しました。

ある意味で基本は、たった一つのことを語り続けていました。
それは、「おやさまが、親神天理王命」であるという根本の天理であり、
そして、「理の親信仰」という天理教団の理の間違いが、おやさまを親神として認めないという原因だという事でした。
その、「中山みき親神」の証拠証明としての「原典の数理」は、
異端数理としての3625。
天理教団誕生の数理としての六ヶ敷き事。
復元の予言としての「一二三、一二三の切り」。
始まりの数理としての222の5。
全てが、事実として、歴史上の年表にきちんと「偶然に」そうなっている事を、書き続ける事をしてきました。

それは、世界の宗教史の、親神が裏から教えた神の教えと、宗教組織が大社高山として説いた教えの、本質的な相違点が、今日の「債務奴隷社会」を生んでいるという、
おやさまの「立教」の原因を掘り下げる事であり、
理の親信仰という悪因縁が、本来は隔てなき世界のはずの現代社会を「泥海世界」同様にしてしまっているという、現実の、確認、そのものでした。

問題は、人間にあるのではなく、人間の親神にある。
それは、最も基本的な天理教の教えです。
それゆえに、親神は、「ほんなんでもない百姓の女」として、誕生し、世界一列を助ける道を付けた。

それは、世に言う「信者・未信者」などという隔てとは無関係の、救済の開始と発動であって、
その証拠証明には、「3625の数理」などは、なければならないものだった。
その、余りにきちんとした、準備。
この世のためしと仕掛け。

それこそが本来掘り起こされるべき、天理であるということです。
0330基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 13:52:01.84ID:4cjCf34b
諸井ろくという、小児に、水の授けを渡した時の関連のおさしづには、「国」という表現がきちんとある。

諸井ろく身上伺
明治二十一年二月
小児の処、一寸身の障り有るから尋ねる。
小児の処、何も無くして尋ねん。
道中の処は案じる事は無い。いかなる聞き分け。
国の土産や、一つの印を渡し置く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国の土産という以上は、「国」。地域。
教会本部・地場の為の、授けではないという事が、ここでも分かる。

それが、国三郎さんには、分かっていなくて、「分教会設置」に執着し、固執した。
天理教会本部組織での「大社高山因縁」に、とらわれたというべきだろう。
33歳で、奥さんは、半身不随となってしまった。

諸井その三十三才身上障りに付伺
明治二十二年十一月二十日
さあ/\尋ねる処/\/\、事情心鎮めてしっかり聞き取れ。
長らえて事情不足という。
よく聞き分け。国々一つの理を始め、だん/\尽す一つの理を悟らんならん。
長らえて内々事情、身の処いつになっても鮮やかと言わん。
前々元々理を聞いて、国に何でも十分の理である。
よう理を聞き分け。日に不自由思う一つの理心にある。
どういう事聞き分け。話一条の理、身が速やかになる。
だん/\映しある処、人間皆神の子供、この理よう聞き分け。
いんねん事情諭し、同じ神の子供可愛い子供、いんねん事情聞き分け。
それよりたんのうという。
身が不足通ってたんのう思わりゃせん。
人間始め掛けたる理から見てたんのう、世界の理を見てさんげ。
日々身に不足なって世上の理を見て、随分皆んなたんのう/\の理より受け取りは無い。
よく聞き分けくれねばならん。
一時一つの理を諭し掛けよう。
0331基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:08:00.35ID:4cjCf34b
明治三十年六月五日
さあ/\尋ねる事情/\、さあ尋ねる事情には、これまで遠い話にも聞いて居る。
事情一時以て尋ねるは、遠い話には、一寸追々の理ともいう。身上に一つの事情無ければ、何時なりと。
さあ速やか許し置こう/\。

国からの国三郎さんは、いつの間にか海外に布教しようと思い立ちます。
お気の毒です。

さて、諸井国三郎さんも山本利三郎さんも、国からの橋については、事実上何も出来ないままでした。
おさしづに於いての、国の地場、国の芯柱の問題は、とりあえず、ここまでの事としよう。
ネット掲示板投稿の最終コーナーは、お筆先十号に触れて、甘露の研究の一区切りとさせて頂く。
> もっと天理教を信心なさったほうがよろしいですよ
励ましのお言葉を頂いて、信心深く、ありたいと。

お筆先九号
このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ
58

このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに
59
そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ
60
ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする
61
天よりにあたへをもらうそのをやの 心をたれかしりたものなし
62
月日よりたしかに心みさだめて それよりハたすぢきもつの事
63
月日にハこれをハたしてをいたなら あとハをやより心したいに
0332基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:12:38.54ID:4cjCf34b
このひがらいつころなるとゆうならば たあのしゆりをしまいしだいに
16
それからハなにかめづらしみちになる つとめのにんぢうみなよりてくる
17
たん/\とにち/\心いさむでな なんとやまとハゑらいほふねん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第10号 16
このひがらいつころなるとゆうならば たあのしゆりをしまいしだいに
Kono higara itsu goro naru to yu naraba Ta no shuri o shimai shidai ni
To say when this will come: it will come as soon as the weeding of the rice fields is done.
註 たあのしゆり庄屋敷附近で稲苗を植え付けて後、田の修理即ち除草、中耕は大体三回位で、第二回は土用の入りころ、
第三回の済むのはお天気次第で一定せぬが、順調にゆくと大体土用の終るころ、即ち立秋前後である。
立秋は、陰暦で七月の節、陽暦で八月七日にあたる。

屋敷は神の田地と、御神楽歌に知らされてあります。
田の修理とは、天理教団内の雑草・異端教理を抜くことであり、中耕とは、教理の掘り起こしの事である。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0333基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:20:51.10ID:4cjCf34b
おやさまは、扉を開くか閉じるかを人間に尋ねて、結果として扉を開いて「地を均し」た。。
その頃も、奇跡的にお助けが上がったと。それは、おやさまのお陰。
なのに、人間は、おやさまの神名「天理王命」を復元するどころか、その逆であった。
それで夜昼を変える事情となった。
今までにもご紹介した、お指図に残された明白な史実です。

天理教の今の旬は、「国から」。
言い換えるなら「末端」から。
宣伝行事のイベントお助けには、「匂い」はあるけれど、匂いばかりを、正味と勘違いしない事です。
本当の豊年を「末端から」。
それが、今の旬と言う事です。
本部から何々しますは、古臭い理の親族の手法なのです。
0334基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:24:38.04ID:4cjCf34b
お筆先の中に記された「甘露台勤め」。
そして、おつとめの地歌の「模様がえ」といわれる、二種類の地歌。
そこに、原典に記された「甘露」の教理の基本があります。

「一列すます甘露台」。
月日が一度言われた事には普遍という、この思案大切です。
「一列澄まして甘露台」。
これも月日が言われた事です。
この、二つは、二つ一つに思案してようやく意味が分かる、「二つ一つが天の理」の、まさに天理と言う事です。
模様を替えたと思案した当時の高弟達と同じ誤解に、陥らぬ事です。
0335基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:28:16.21ID:4cjCf34b
さて、もう少しきちんと話を詰めておかねばならない。
お筆先九号では、「台が出来建ち次第→つとめする」と、理が知らされてある。
 このだいがでけたちしだいつとめする どんな事でもかなハんでなし 52
 このだいもいつどふせへとゆハんでな でけたちたならつとめするぞや 53
 これさいかつとめにかゝりでたならば なにかなハんとゆうでないぞや 54
 これをみよたしかに月日ぢきもつの あたゑしいかりたしかわたする 55

それでは、十号には何が示されているかというと、「人衆の模様・人衆寄せ→台が出来る」と、言う順序である。
 このだいをこしらゑよとてたん/\に 月日人ぢうのもよふするなり 29
 人ぢうがしかとよりたる事ならば そのまゝだいもでける事やで 30

そこで、「人衆を寄せる→台が出来る→つとめする」と言う順序が明白にあると分かります。
では、「澄ます」という問題は、どの順番で出てくるのかというと、

お筆先では、第十号に、このようなお歌があります。
 このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ 79
 なに事もみなこのとふりはちめかけ せかいぢううの心すまする 80
世界中の心を澄ませるのは、元の屋敷に「証拠」があってなすことという順序があるということです。
「一列澄ます甘露台」とは、十号のこのお筆先に知らされた、甘露台の意義を明確にしらせてしるお勤めの地歌ということです。
0336基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:36:24.97ID:4cjCf34b
人衆が寄り来る、→ 台が出来る → つとめが出来る
この順番は、基本という事になります。

人ぢうがしかとよりたる事ならば そのまゝだいもでける事やで
30
このみちハどふゆう事であるならば 月日つとめのてゑをふしへて
31
それよりも月日一れつせかゑぢう つれてゞたならひとりでけるで
32
これさいかたしかにでけた事ならば 月〃つとめちがう事なし
33

そこで、不可欠な要素というものが、指摘されてあります。
「月日つとめのてゑをふしへて」。
31に知らされた「手を教える」という要素です。

それよりも月日一れつせかゑぢう つれてゞたならひとりでけるで
32

人衆を寄せるには、先ず先に、月日が勤めの手を教えておく必要がある。
次に、「月日が連れて出る」必要がある。

つまり、「本部志向」ではなく、「世界一列」に出て行く必要がある。

だから、海外のお助けイベントは、月日から教えられた「手」・おさづけの手を、外にて使用している点で、
そこだけは理にかなっているという偶然があって、おたすけがあがったというけれど、
実は、心澄ませる、という「澄ます」は、
それだけでは何もないわけで、おさづけは効くぞと自己満足では、まったく原点無視の天理教。
イベント大好きな理の親族の悪しきをひきづっていては、出鼻のにごりではなく、単なる悪しきです。

月日が連れて出るには、何が大切なのか。
それは、お筆先十号に切々と語られています。
そして、世界の心を澄ましに出るという意味も、意義も、語られています。

おさづけが効いたぞではなく、心澄ませるという理の働きに、かつもくすべきです。
おさづけは「路銀」。道中の目的は、心澄ませる人材の寄せにある。
それはすなわち、一列に澄ますであり、澄まして甘露台という、天理の実行に着手せよという、神意そのものです。
0337基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:42:21.63ID:4cjCf34b
つまり、月日が「つとめ」の手を教えるという事は、普通の意味としては「勤行」の為。
そのように人間は理解しがちです。
すると、諸井国三郎さんや山本利三郎さんのように「本部・中央」志向という落とし穴にはまります。
お筆先では、外向けに、出る事を諭しておられます。だから、ここに逆転の発想が大切になります。
 「つとめ」の手を教える → 世界に出る・一列澄ます →人衆寄せる
「つとめの手を教える」とは、その「手振り」で、お助けして、一列の胸の掃除をするという意味がある。
「一列澄ます甘露台」とは、その事を意味します。

その結果として、一列の中から人衆が寄せられて、そして「甘露台」が立つ。
「一列澄まして甘露台」とは、その事を意味します。

二つは一つなのです。
それは、田の修理を終えた、神名の復元の叶った今という旬から始まる。
天理王の道に、私たちは、立っています。
0338文責・名無しさん
垢版 |
2018/12/13(木) 14:46:43.94ID:4cjCf34b
【読売新聞つまらないもん】読売新聞が25年ぶりに値上げ!全国の販売店で経営難が深刻化
⇒ネット「解約します」「丸に金使いすぎ」「軽減税率の対象なのに?」

読売新聞 購読料を来月から25年ぶりに値上げ

読売新聞社によりますと、来月1日から朝刊と夕刊のセットでの1か月の購読料を、
現在の税込み4037円から363円引き上げ、4400円にします。1日当たり10円余りの値上げになります。

また、駅の売店やコンビニなどで販売する朝刊は、
現在の1部130円から20円引き上げて150円にします。

値上げは、消費税率の引き上げに伴うものを除き、平成6年以来25年ぶりだということです。

値上げの理由について、読売新聞社は、
人手不足や配達コストの増加などで全国の販売店で経営難が深刻化しているとして、
新聞の配達網を維持するためだと説明しています。
0339基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 14:49:44.40ID:4cjCf34b
八つ 山の中でもあちこちと、天理王のつとめする。
九つ ここでつとめをしていれど 胸の分かりた者はない

おやさまから、つとめの手を学ばれたら、
山の中へと行く。
それが「あらきとうりょう」。

山本利三郎さんは、国の架け橋、心がけず地場に固執して・・
諸井国三郎さんは、国からの橋を、心がけず本部に固執して・・
甘露とは、先ず「地域社会」。
「国々処ところ」
ここに、天理王のつとめの舞台。「道なき道」がある。

お筆先に知らされた、本真実です。
暮らす現場、地域社会の日常。そこに道なき道に、道を付けることは荒木棟梁の使命です。
それは、「いんねん」とのいわば闘いです。

宗教の本部指向は「ユートピア幻想」「理想郷幻想」です。
この世ならざる世界に救済を求めるようなものです。
おやさまは、百姓女という日常から、道をお付けになった。
それは、因縁切りの道そのものであり、幻想ではなく現実です。

いんねん。
因縁ある土地、人々、そこでつとめの手を振るとは、天理の実践であり、教理を学ぶのは、そのためのものです。
0340基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:02:34.50ID:4cjCf34b
おやさまは、国会ではおさまらないと言われています。
人間が議論を尽くすということは、世論を重視するということは、
ある意味では人間思案の寄せ集めですから、「人間思案」ではどうもならないという天理の基本があてはまります。
冷静に見つめるなら、国会ではおさまらないというのは、
「濁った者はえらい/\道。 」
偉い、では、治まらないという事で、理は一致します。

甘露台一条の道というものは、そうした権力とは無関係にあるもの。
 5チャンネルもまた、掲示板もまた、権力とは無関係にいられる間だけが、正味の価値ということでしょう。
経済は大河です。
政治で管理できるのは、そのほんの一部分。
それを過大評価するという誤解は、あってはならないと自制します。

悪魔よりも悪魔的なものが、中山みきの教えた天理ではないかと、常々から思案しています。
そう簡単に、幸福が得られるようなものではない、そこにブラックがあります。
この世を普請する、そこには、「人間の心の自由」を保障しつつ、人間の心の欲している幸福ではない、
世論に支持される幸福ではない「陽気ゆさん」という幸福を流布する、
悪魔的な、世界観があります。

今、基本が悩んでいるのは、その流布の「善・悪」についてです。
0341基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:06:36.14ID:4cjCf34b
人間のものか神の物か、
この世の全ては神のものだと、簡単に言いますが、「人のもの」と言うものがあります。
「人のもの」は人のもので、神・親神のものではない。
「人間身のうちは神の貸し物」ですから、神のものです。
「心ひとつが我が物」ですから、人のもので、肉体は、貸主としての神のものだが、
借主としての、使用主としての人の、人のものと、天理は示しています。
この関係は、「人の心」の中の「神の心」「人の心」の中の「人の心」においても、成り立ちます。

神の心が人間の本心であるときには、人は神なのです。
濁った心が人間の本心である時には、人は人なのです。
偉いというのは、人間である証明。濁りが無いようでは人間味も何もない。
その人間の濁りを「認めながら」、この世を普請するというのですから、中山みきの教えは、神聖ではなく悪魔的なのです。
0342基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:11:50.72ID:4cjCf34b
中山みきの・つまり親神の教えは、「人のもの社会」を「神のもの社会」に普請する教え。
つまり、神・革命に他なりません。
その時の条件が「誰に頼みはかけんでな」であり、教えだす事はあっても学び習うことは無いという条件。
その親神自身の自己規制は、人間の心の自由を保障する最低限の自己規制でした。

「天然自然」というのは「神の手法」、「人為的」というのは「人のもの」を拡大する手段。
この世の普請において「人為的である」ということは、みき・親神様にはありえない事です。
政治、軍事とは人為そのものですが、人為的ではなくこの世を普請し、陽気づくめにするという、
奇跡を、なせと、言わんばかりのなぞ賭けが.そこにはあります。

みきの立教後の行為は、そのまま反社会的であり、家族親族、知人に排除されようとしますが、排除されなかったのは、
理由は、みきを排除しようとすると病気や不幸になるという、オカルトでした。
この原則は、信者組織形成期においてはまさに鉄則であり、病気にして引き寄せるという大原則があります。
そして、残念のものには「死・出直し」が、ある。
まさに悪魔的です。
0343基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:14:15.45ID:4cjCf34b
この世の中の廃れ者、厄介者から助ける道と、みき親神は定義付けしていますが、
それは、人間社会の廃物であり、「人のもの」としての欠陥品に他なりません。
人間からの「有益」であるからこその「人の思い」は、人を人が必要とし価値があるのですが、
不用品は、人間社会から見たら無用のものですから、ある意味では「神の物」としても、誰からも文句が出ない。

医者の手あまり助けるが道の台というのも、同じ意味で、肉体的に廃棄物になった人間は、人間社会の、人のものとしてみたら、欠陥品ということです。

中山みきは、「利巧はつけんで」と言われています。
つまりそれも、おんなじ意味です、

しばしば本席の後継者として「上田ナライト」さんの名を、誤解して上げる人がいますが、
明確に精神病者であって、そのままでは「人のもの」としては、隔離するしかないわけで、
人のものではなく「神の物」となるには、社会や医者や、親兄弟から見捨てられなければならないという、
まさに、悪魔的な事情がそこにあるということを、忘れてはならない。

梶本家の長男として、親の思いがかけられて、長男亀造さんは「死」ぬ。
この、「神の物」だけで普請するという、おやさまの発想は、「ヒトのもの」は一切利用しないという、
鉄則に貫かれているということです。
0344基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:17:34.15ID:4cjCf34b
重大な問題は、廃品に等しかったはずの「神のもの」候補が、「価値あるもの」との評価を得てしまった場合です。
ナライトさんの場合もそうですし、おやさまから「いずれこの神屋敷に来るように」と告げられた候補者の娘さんの場合もそうですが、
「廃品=神のもの候補」のはずなのに、
神様のお呼びがあった事から、「貴重品」とみなされてしまうと、それは、実は神の用向きには使えない、破損状態になるわけです。

この実例は、きちんと史実とお指図に残されています。

お筆先において、「十人の中の三人片腕」の場合も、「廃品だから道についた人物三人」が、「片腕」になった残念の証拠です。
つまり、「火水風とも退く」。「死」というオカルト。悪魔的厳格さが、そこにあります。

基本の場合も児童の頃の憧れが「柏木庫冶」だったから、
子供を東大に入れるという「付加価値」の意味が、廃品ではない道という、
神のものとしての神の道具ならざる道という、そこに誤解していて、
大きな間違いをしていた。
言うなら「二代真柱式・六十年の道草」の、悪しき応法の道をなぞってしまったわけで、
そういう単純ミスは、有りがちな事と、冷ややかに見るばかりです。

三人の子供の三番目高校の頃になって、ようやく「学歴・中卒」に育てるべきだったと、
取り返しのつかぬミスに、気がついた、情けない道の遅れという事実です。

まあ、廃品にセットしないと、つまり谷底におちた状態で無いと、
中山みきの悪魔的な、「甘露」の美味は、頂けないと、ようやく知ったわけです。
0345基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 20:56:45.96ID:4cjCf34b
社会的に価値がある「高学歴」は「人のもの」。
元々は月日が教えたものを「人のもの」として、人間思案で勝手に使っている部分において、高学歴は「偉い」。
濁りはあって、「偉い」。しかし神のものではない。

社会的に価値がある「資産・財産」は、人のもの。
偉いのだけれど、濁りがある。
濁りはあっても、偉い。
だから、廃品になってみないと、偉いものの、人のもの社会の、エゴそのものには誰も気がつかない。
気がつかせようともしないのは、底の濁りの泥を、視界から隠しているに過ぎない。

だから親神は、人のもの一切を、拒否し、拒絶して、神社会の構築を目指している。
ここが、最大の眼目です。
0346基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 23:15:30.83ID:4cjCf34b
奇妙な疑問だと笑われてしまいそうですが、天理という表看板を揚げるべきか否か、
そういう問題に、基本的な理の思案が到達していない、そこで表の道なのか裏の道なのかという思案があって、
表ならば天理という表看板がいる。
裏ならば、当然無くても良い。
お指図では、「表は大工や、裏鍛冶屋」。

さて、廃品から神の道具になって「初代様」になって、花が開いて、貴重品になって、 → 理の親信仰をしたというのは、
それは、表の道を選択したということで、つまり「信仰の指導者・大工」になろうとしたわけで、
その過失は、茨木基敬先生の過失に代表されています。
3625の数理において、本席の後継に名乗り出て、除名された、異端といわれる人です。

そうした事実を踏まえますと、表の看板はいらない。
裏とは、そういうものになります。

おやさまのたすけ一条とは、世界一列をあまねくたすけたい。
中においても、廃るしかない廃品同様の、悪しき因縁の道にある者こそ、たすけあげたい。
そこには、悪因縁の者だからこそ通らせて頂ける道というものもあるという、おやさまの親心があります。

あんなものが、こんなものと言う、天理の世界において、なすべきは裏の道。
一夜の間にも天理王命にして見せるという、おやさまの悪魔的な自信を、恐れ入るばかりではなく、
その弟子としての自覚は、誰も通ったことのない道を通るという、悦楽の中にあります。
0347基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 23:18:19.81ID:4cjCf34b
因縁が切れていく道が、誰も通った事の無い道と、そうなります。

覚悟という大それたものではなく、因縁というものがあるからこそ、切る道があるわけで、因縁を通り返すよりもはるかに簡単なことは、自明です。

理の親信仰の教団史においてのルーツは、山名系でもなく、川原町系でもなく、その先駆者として、茨木基敬さん、「北」の系統を上げておかねばなりません。
茨木さんの布教方法というものは、自分が布教師を仕込んで、組織的に布教するという方法であった。
おやさまの、なさらなかった方法です。
泉田藤吉さんに助けられて、入信した後は、最初は泉田さんの弟子としておたすけをされていた。
それが、自分が講元になると、自分の采配と指図で、布教戦線を拡大したわけです。
「つくりさく」という、おやさまのお嫌いな「人為」。
人のものを、実行した。
そして、対外的にはいち早く、神道の教導職の資格を得て、自分が公認された状態で、
応法の道そのもので、初期の天理教会の発展の先駆者となった。
つまり、理の親信仰の裏のルーツは、「北」にあるということです。

それだから、最後には自分には天啓があるという、本席の死の後の、謀反事情にて、「結果」を見てしまうことになるわけです。

茨木さんの、お上には「応法」、おたすけは泉田藤吉仕込の借り物の教理という、裏表の使い分け、
それを見習ったのが、その後に、理の親信仰をはびこらせた各講元たちと言う事になります。
異端として、排除されたために、茨木さんに
見習った事実そのものは、記録には残されていませんが、時間経過と内容にて、
茨木式の神道と「こふき話」の融合型、布教の組織的展開というものは、山名系にきちんと応用されていることは、見て取れます。

その茨木さんの失敗が、家業から捨てて神道職にあったということにおいて、おやさまの理の厳しさが知れます。
0348基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:11:45.11ID:92aNcDLS
> 書いてよいものかと、思うのですが

ご自分のお心で決められたらよろしいと思います。
ご自分のお心の内を、さらける行為でもありますから・・。


> 二代眞柱も愛妻を亡くし、後妻を迎えられたことを、後悔されたのでしょうか。

これも、同じです。
初恋の人と結ばれる人もい、結ばれない人もいる。
「めんめん手でした事や無い、口で言うた事やない、ただ心」。
と、教えられた理の世界です。
戸籍上の夫婦も内縁の夫婦も、ただ心。
先妻も後妻も、ただ心。

そういう基本的な理の思案をなされたらどうでしょうか。

「ただ心」の世界においては、一婦一夫、一夫一婦の関係のみの夫婦など、空想の世界。
心では初恋の人を思いひとすじで、手でしたことは、複数の関係という場合には、それは、純愛でも真の心一筋でもない。
それは、泥海というものです。

おふでさきでは「悪事はらうて 若き女房」と、理を示されて4います。
悪事とは、払うべきものです。
0349基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:14:23.61ID:92aNcDLS
本来は、天理そのものである儒教や、キリスト教、仏教が、政治高山・経済高山と癒着して、
大社的な権力支配の道具として用いられたとき、
男女間の倫理や、先妻後妻、正妻内縁、などの地位扱いが生じたわけで、
性の不倫、それは、腐敗だと、云々は、「人の思案・ひとのもの」・高山からの借り物の思想。
その一方で、風俗産業の従業者は、どんどんと生まれる社会。
泥海というものは、人のものの、社会そのものです。

人間の互いの関係は、
「夫婦の中、人見るや無い」と、おやさまは言われています。

人の寿命というものも、「三才も一生」「一生も三才」ですから、「若死にした」とかいう価値観そのものも、人のもの、「若死に」に、
意味を考えすぎると、大社高山の洗脳効果に汚染された見方そのものです。

応法の天理教が、道草から本筋に復元するには、出直ししかないわけで、
応法の真柱は、出直しが早いほどよろしかったと、そういう思案です。

> いんねんあって秀司先生の奥様となられた大和国平群郡平等寺村の小東政吉二女まつゑ様
小東家は、法隆寺の金融関係を扱う家で、言うなら高山の手先。
中山家は、金貸して百章から土地を取り上げしていた、「地持ち」。
いんねんがあっていたというのは、まさに宗教家業の「大社因縁」の実行犯としてのことでした。

家業を無くさせて、現代の実例は、こんな事もあります。
小さな電気屋さんは大型量販店の下請け工事業者になり、やがて債務によって、淘汰されていく。
大型量販店の激安は、家業を喪失させて・・。
それこそが、大社高山支配につながっていると言う時代。

おやさまは、だからこそ、家業第一。
一に百姓たすけたい。

オカルトにて、神の物で普請しようという神意は、人のもの社会の、泥水をしっかりとご存知の、親神のお覚悟。
安易な、家業第一では、大社高山のえさ、です。
0350基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:17:48.58ID:92aNcDLS
天理とは天然自然と、そのように教えられているが、甘露を頂くという問題になると、
人間は天然自然から道を逸脱しがちであると言う事が、どうやらひな型五十年の道という道の意味として、
底にあると言う事、ようやくにして、気が付いたと言うことになる。
教祖のひな型については、「貧乏せい」と云う事から誤解がなされて、
「貧乏なる物の心」という問題を理解させたいという「おやさま」のお気持ちとはかなりずれた方向で、天理教信者の誤解は理論化された。
「貧乏なる物の心」とは、一口で言えば「貧乏は嫌だ」に尽きていて、それに決まっている。
ところが、「貧乏をたんのう・我慢せよ。それが心の成人だ」という、まるで真逆の「教理」にまとめあげられた。
そして、「全財産お供えしろ」と云う、おたすけの現場での教理が「金科玉条」となり、
お金をせっせと大教会や御本部に運ぶことが「悪因縁を切る」のだと、誤解が誤解を理論武装させた。

「報恩信仰」も、そうした誤解の大間違いの「お供え信仰」そのもので、お金をだして健康を買うという、
お金を出して幸福を買うというでたらめな信心をはびこらせた。

信者から搾り取る仕組みを「理の親」支配として形成した天理教、その天理教を真似した新興宗教群は、
又各種宗教家業家たちは金で守護を買うという、まがまがしい毒に汚染されていて、
現実には格差社会を下支えしていると言う事、「清貧」という美化された「貧乏」を神がお喜びだと誤解を撒き散らしている。
それも、もう終わることになる。

貧乏なる者の心とは、それを知れと言う事は、この世から貧乏をなくせという神意を、きちんと理解しろと言う事に他ならない。
おやさまが「貧に落ちた」と言う事は、その悲惨さを通ることで、「貧を無くす」というおやの意思にある。
「いつも豊年教えたい」とは、それこそが「甘露」の世界を普請しようというおやのおもいそのものなのだ。
0351神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 02:20:46.10ID:92aNcDLS
久しぶりに給水停止になった。
水道料が支払えていないからである。
予定をしていた入金が遅延していて、各種支払いが遅延していて、電気はとりあえず止まっていないが、収入の予定は立っていなくて、
ようやく、もうどうにもならないというところに来てくれた。
十月のこの時期までも、ひっばったのは、ただただ、基本的な誤解が解けていなかったと言う、基本的な理の間違いに起因している。

「清貧」をすばらしいと美化していたのは『私』自身であり、ひながたの意味を、性格に的を射抜いていなかったのも、私である。
それでいて、自己矛盾して「甘露」世界を普請しようとしていた、それでは、五日で済む道でも五十年はかかってしまう。
貧に落ち切れとは、貧乏を根絶せよという、親神様からの強烈なメッセージだったのだ。
「貧に落ちきれ」とは、「欲を無くす事です」などと、
まことしやかに、嘘を説いていたのは、基本的なミスであり、これをさんげしなければ、何の甘露台信仰なものか。

道を逸脱した、つい今しがた迄の、自分の誤解を、どうお詫びしたらよいのか。

私のせいで、少なくとも私からそれを問かれた人々に、多大な迷惑をかけたことを、おわびし、取り消しのための行動あるのみではないのか。
理の分からない人というものは、それはつまり私自身のことだが、なんと気の毒なものであろうか。
その誤解に付き合わされた、皆々様には、まさに、お詫びしかない。
0352番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
垢版 |
2018/12/14(金) 02:26:00.68ID:92aNcDLS
保守速報の敗訴が確定に!在日朝鮮人の女性に損害賠償、まとめを悪質と判断!
ヤフコメでは擁護派も出現

*保守速報
いわゆる2ちゃんねる系のまとめブログである「保守速報」を巡る訴訟で、
12月11日に最高裁第三小法廷は保守速報側の上告を棄却すると発表し、大阪高裁の判決が確定となりました。
大阪高裁では記事内容の差別性を認めて200万円の支払いを命じる判決を出しており、これで保守速報の敗訴確定になったと言えます。

保守速報側は「ネット上の情報をまとめただけ」として反発していましたが、判決文には「読者に与える心理的な印象もより強烈かつ扇情的なものになっているというべきである。
そして、2ちゃんねるの読者とは異なる新たな読者を獲得していることも否定し得ない」というような痛烈な批判が書いてありました。
2ちゃんねる系のまとめブログ全般に対する画期的な判決でもあり、2ちゃんねるのコメントをまとめただけだとしても内容によっては違法となることが確定した形です。

ただ、保守速報の読者や支持者からは怒りの声が相次ぎ、ヤフーのコメント欄などは今も様々な意見が飛び交って騒然となっています。
保守速報はかつて安倍晋三首相のフェイスブックがいいねを押していたこともあるサイトで、依然として読者の数は多いです。
0353ネトウヨホイホイ ◆xfRYPxKEbc
垢版 |
2018/12/14(金) 02:29:28.70ID:92aNcDLS
保守速報、敗訴が確定。在日女性への差別を認定、「まとめサイト」の新たな判例に


まとめサイト「保守速報」をめぐり、その差別的な内容によって名誉を毀損されたとして在日朝鮮人の女性が同サイトを訴えていた裁判で、
最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は12月11日付で、保守速報側の上告を棄却した。保守速報に対し、
損害賠償200万円の支払いを命じる判決が確定した。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】
0354基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:32:22.06ID:92aNcDLS
親神様は、一夜の間にでも天理王命(の教えの世界)にしてみせると、おさとしになった.
現実にはそうなっていないから、親神様を疑うのは無理の無いことである。
まして「甘露が降る」などということは、信じるという人こそ、頭おかしいと、思われて当然である。

そこで、当事者は誰だという分かりやすい問題がある。
甘露が降ると言うことは、その甘露を頂く当事者は誰かという一点で、多くの場合誤解が生じる。

心澄み切った成人した「魂の因縁ある」尊いお方が、
いただけるのだとそんな誤解のはびこっていた時代があった。
天理教団がしっかりしないからいけないのでという議論もあった。

渡す側の、親神様の事情と言う物を、そこに真剣に見つめておかねばならない。

おやさまは、最初相場と言う物を、教えて、儲けさせた。
そして、おやさまの、妹の嫁いだ家は、その相場で、損したことから、天理教から離脱したと、そういう事情がある。
小寒の許婚で、秀治にばくちを教えた、いとこは、家がみきの指南の相場をしていた事は知っていたから、
ばくちで儲けさせろと、おやさまにお願いした。

難波の街の、神名流しは、まさに初期の信仰者の、流産的利の間違いの証拠になっている。

ばくちや相場で、なくしてしまった秀治は、なぜ儲け損なったか。
「神の言うこともちいらず」と、ある。

神の言うことを「用いていたら」ばくちも、相場も、神は勝たせたということ。
「用いらず」では、ご守護の仕様も無い。

それが、甘露を頂く側の決定的な条件となる。
神の言うこと、用いること。

そこに、基本的な理の誤解があっては、用いる以前の問題として、
相場もばくちも、神の言いつけ以前の理由で、敗退することとなる。
0355基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:35:15.73ID:92aNcDLS
米の相場についてのエピソードは、リラックマンさんのブログで、紹介されている。
伊蔵さんから、辻忠作さんが、米の相場の予言を受けていた。
それで、辻さんは儲けた。
ところが、病気になった。
おやさまに伺うと、その、伊蔵さんから伺って儲けた事を指摘されて、
「全部施せ」と、諭されたと言う。

そこで、辻さんは「儲け」全部を施した。
が、「元金」までは施さなかったので、病は全治せず、傷となって残ったという。
そういう、エピソードが、残されている。

当時の古い信者の間では、「相場予想」は、日常の常識であったと思慮される。
おやさま、妹の嫁ぎ先、秀治、小寒、いとこ、そして、梶本家との縁談に関与した、辻忠作。
伊蔵が、質問されれば答えていた事実。

あとあとまで、辻忠作に傷跡をのこした親神様は、「相場・ばくち」の勝利を神に日常的に依頼していた、信者たちの状態を、
きちんと、証拠証明として残こされたわけである。
谷底に、救済すべき資金としての、「元金も設けも」全部施せという、「神の言うこと」。
用いらず、辻忠作さんは、傷を肉体に刻んだ。

甘露は、降るとして、誰が頂くのか。
それは、谷底の人々であって、元金すらも、手元に置かないという決心は、不可欠である。
0356基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 02:55:08.49ID:92aNcDLS
教長脳の芯痛むに付身上願
明治二十八年五月三十一日 夜十時頃
さあ/\事情尋ねる/\処、さあ/\事情尋ねる。心というは余儀無く心であろう/\。
身の処切なみ一つ事情今日はどうであろう、又明日どうであろう。。。
日々思う処/\、又一時どう、日々であろう/\。
よう/\一つ理それ/\所にては皆取り決まり、談示一つほんにそうやなけにゃなろうまい。一つでなろうまい。
一つ諭すによって、よう聞き分け治めてくれ。
身上切なみいつ/\までにはなろまい。
これまでちゃんと済んである。
身の内切なみ無けにゃ楽しみ諭す/\。

神一条実と取りて治めてみよ。

又しても苦労は、心で苦労して居たのや。
楽しみ、心改めたら苦労あろうまい。

陽気遊びと言うたる。
陽気遊びというは、心で思たりして居た分にゃ、陽気遊びとは言えまい。
これから心に悔しみありては、陽気ぐらしどころやない。
早くにこれだけ分かったこっちゃ。

分かったら、日々飲んだり着たり、いつ/\まで楽しみ。
これ一つ聞き分け。
一時早く諭してくれにゃならんで。
0357基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 03:00:42.68ID:92aNcDLS
陽気くらしとは、日々の飲食にある。
飲んだり食ったりという、「実」「神一条実けにある。

先ず皆が、飲んだり食ったりという、陽気な楽しみの世界こそ、天理教は普請すべきなのである。
おせち、なおらい。
どんちゃん騒ぎの「飲食」が祭典日のたびにあった、あの黎明期の天理教団の「ゆさん」は、どうして消え去ったのか。
客間や特別室での「理の親の特別料理の接待・遊山」。
一般信者には、遠ざけられ、やがて、なおらいの飲食が喪失し、
たった一日の遊山すら消えた姿は、天理教団衰退との因果関係は明白である。

親神は言う。『神一条実と取りて治めてみよ。』と。
それは、精神的な苦労をする事が神一条実だと錯誤しがちな教団エリートへの厳しいお言葉である。
「・・・又しても苦労は、心で苦労して居たのや。楽しみ、心改めたら苦労あろうまい。」
「陽気遊びと言うたる。陽気遊びというは、心で思たりして居た分にゃ、陽気遊びとは言えまい。」
「これから心に悔しみありては、陽気ぐらしどころやない。早くにこれだけ分かったこっちゃ。分かったら、」

分かったら、「日々飲んだり着たり、いつ/\まで楽しみ。」
陽気に飲食し楽しむ事の「実行」あるのみではないか。

『これ一つ聞き分け。一時早く諭してくれにゃならんで。』

世間の人は、晩酌の一杯を楽しんで飲食する。
宗教組織だから「金主禁煙」と言う、精神苦労の禁欲を、やめてしまわないと、「陽気暮らしは」有り得ない事になる。

天理教団の幹部たちは、理の親たちはグルメであり遊山が大好きであろう。
それは、世界一列に全て施し、元金すらも残さない、「飲め屋歌えや」の道、おやさまの大好きな、「神一条」のその真実、
「神一条実」とは、日々の飲み食いにあると言う事、しっかりと実行の時が来ている。
0358基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 04:54:20.85ID:92aNcDLS
初代真柱様への厳しいお指図を根として、
二代真柱様は、天理教典にて「陽気暮らしの天理教」を表明されていた事。
まさに、今日になって、ようやく気が付いた基本。
「陽気暮らしではなく陽気遊山だ」などと、小ざかしくさとしていた昨日までの自分を、「一に勢いの人だった」「出鼻の濁りだった」と、評価してあげます。

それじゃ「甘露」は渡せない。
おやさまのお気持ちです。

貧に落ち切れは、「貧乏根絶」と言う真意。神一条とは「日々の陽気な飲食とファッション」。
これを真逆に説いていた「清貧」「禁酒禁煙」「着る物には執着するな」。実行もしていた基本自身。

これじゃ正に、心で苦しみの種をまいて、水道止めたり貧乏続けたり、うまいもの食えなかったり、ぼろ着たり・・
「甘露いただける天理教」を説くものとして、まさに、大笑いです。

二大大間違いの基本の、反省は、全ての天理教徒に捧げます。
飲む打つ買うではなく、飲む食す着る。神一条実と、やっと決まったと言う事です。

陽気遊びを決めて行えと、いう神意は、「五月五日」という陰暦におさしづされています。

教長御身上の願
明治二十八年五月二十八日(陰暦五月五日)朝
さあ/\尋ねる処/\、さあ/\どうもこれ一つ思やん分かろうまい/\。
身上に一時これどうなろう知らんと言うた処、幾重々々の理は諭したる。
皆それ/\談示の理を治めて事情運べば、成程と言えば身上は楽々なれど、
一つ/\の理を思い、誰と/\の思やんはあろうまい。
二人事情の思やん、我も思い俺も思い、先々は何も言うやない、思うやない。

これから先は陽気ぐらし陽気遊びという、
楽々の心を一時定めにゃならん。

この理を諭し置こう。
0359基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:15:04.39ID:92aNcDLS
五月五日。五分五分、いつかいつか、いついつ。

> 分かったら、日々飲んだり着たり、いつ/\まで楽しみ。
> これ一つ聞き分け。

いついつまで、とは隔て無き 楽しみ。いつもいつもの楽しみ。
その諭しを受けていて、いよいよ教祖十年祭の準備に入ったとき、幹部たちは何をしていたか。

基本も出鼻の濁りで一に勢いだけのお仲間だから、聞いてさんげ見てさんげ、
いついつの理はすっかり消えうせて、「陽気遊び」の飲ませよう、食べさせよう、着させようという思案はぱたりと、いついつではなくなった。

次のおさしづに、半年後のその事情は、見え見えとなります。

本部長の御普請本部員会議の上御願
明治二十八年十一月十三日
さあ/\尋ねる処/\、さあ/\前々から尋ね掛ける処、皆仮家とさしづしてある。
仮家と言うはほんの仮家、いつ/\までのものは仮家と言わん。
十分すれば、何時なりと取るという訳には行かん。
仮家として何処へなりと何時なりと、今日して明日直すという心ですれば、十分自由という。
又続きや/\と言うようでは、後々遅れる。
そこでこゝらよかろう、何処がよかろう、そら取り持ち運んでくれ。
又、続き/\続きやと言えば、後々暇要る。
不都合やなあ、いっそよそかと。十分すればだん/\遅れる。
十年祭々々々日を切りて言うのは、これも余儀無くという。
普請は取り掛かりたら切り無しと言う。
これだけと言うて切って了たら仕舞。
十年祭これだけせにゃならんと言うから、後々遅れる。

未だ/\先々という心を運べば楽しみやろ。
行け/\や。
0360神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 14:16:56.98ID:92aNcDLS
つまり、十年祭の時には、幹部たちは、「みなが五分五分で、飲み食い着物」遊山ではなく、
立派な「いついつまでも続く」建物を建てようとしていた。

「いついつの理違い」。
大ばか者たちだった。

「よう潤うなら」、と、「飲み食い着物の」「潤沢」をおさしづされた。

『 よう潤おうなら、いつ/\までと言う。片寄ると根が差さん、根が差さんと芽が差さん、とさしづして置こう。』

天理教は、この十年祭にて暗転する。
内務省秘密訓令、水屋敷事件の謀反。橋本清の裏切りの根。

それは「いついつ」の理違いにある。

甘露を頂いたら「片よってはいけない」。それは、芽が出るためには不可欠な要素なのだ。

こうして、陽気暮らしの大切さが、やっと基本にも見えてきた。
神意をすなおに頂いて、陽気遊びの人生を、人も我も偏らずに、信者未信者かたよらずに、かたきも味方もかたよらずに、潤う事。
それが甘露の道と言う事なのだ。

ありがとうございます。おやさま。
0361基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:21:11.33ID:92aNcDLS
天理教用語:お書き下げ(おかきさげ) とは?
親神様のお教えを教えて頂く「別席」は、九度運ぶと「満席」となり、「おさづけの理」を拝戴させていただきます。
「おさづけの理」を拝戴すると、病気や怪我で苦しむ人に対して、親神様に
その回復にお働きくださるよう「おさづけ」を取り次がせていただくことができ、「よふぼく」として親神様の御用にお使いいただける人材となります。
「おさづけの理」を拝戴する時、「おかきさげ」というものを頂きます。
おさしづにも

九度はこんで満席、かきさげより一つの事はいらん、かきさげだけよくこれを
一度の処二度、二度の処三度、三度の処四度、五度六度までかやせば心によくおさまる (明治三三・十・七)

と「おかきさげ」の重要性が説かれています。

「おかきさげ」は、荒書(あらがき)と細書(ほそがき)の二通からなっていて、
荒書はおさづけの理を下されるお言葉が記されてあり、細書はおさづけ人としての心得、おさとしが記されています。

もともと、おやさまご存世当時にはお言葉だけで、おさづけを頂かれた方、
また本席様が代役をつとめられるようになってからも初めの間は、お言葉だけを書いたものを頂いていた方がありますが、
明治二十三年七月十五日のおさしづから、
「仮席」でこのように「おかきさげ」を下さることとなり、後に細書も一定の書式になりました。

「おかきさげ」を下さるのは、おさづけ人が日々常にこの心を忘れぬよう座右にという親心からです。
したがって、「おかきさげ」を袋に入れたままでしまい込まずに、
「おかきさげ」を何度も何度も再読させて頂き、その事柄を守らせてもらう日々の心を定めるのです。
0362基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:27:00.56ID:92aNcDLS
そこで、
『さあ/\だん/\の席返す/\の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以って一つ席とす。
席に順序一つの理は、よく聞き分け。
席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。
生涯の理を諭すには、よく聞き分け。
難しい事は一つも言わん。
どうせこうせこれは言わん、これは言えん。
言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。』

これが冒頭です。
冒頭のお言葉から、その内容と、冒頭にあるという事実からして、「席に順序」が、第一の基本です。
「生涯の理を諭す」ですから、「一生涯」と決めることが、順序です。

神が「生涯の理」諭す「席」に「出席」して、
自分は、ちょこっと聞きかじろうかでは、すでに、順番外、順序外です。

生涯「おたすけ人」生涯「おさづけ人」、一生涯人たすけ、きめるという事、順序です。
0363基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:30:33.71ID:92aNcDLS
生涯の理を諭されたら、次の順序は、「言わん言えんの理を聞き分ける」です。

『難しい事は一つも言わん。
どうせこうせこれは言わん、これは言えん。
言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。』

神は全てを語っているわけではない。
「言わん、言えん」がある。

昔の教理に、「言われてするのは正直者、言われなくてもするのが真実誠の者」とありました。
言われたからする。
神の御命だから従います。
これは、単なる、「言われてするのは正直者」と言う事で、真心からの行動ではない。
真心からの行動、真実誠の人助けとは、「言われなくてもする」なのです。

おやさまが「ならん」と言ったけれど、それでもと、縁談をすすめた人がいる。
おやさまが、「たすからん」と言ったけれど、それでもと、たすけを願った人がいる。
それを、真実誠と、ひながたは、逸話偏にてお示しがあります。

おかきさげは、おさづけを頂くときのお言葉です。
「鮮やか」とは、「言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やか」なのです。

それは、おたすけの現場においても、「べらべらと理を語るのは、鮮やかが無い」という意味を含んでいます。
「諭してやらせたら」、それは真実誠の行いを、していただいた事にはならない。
「諭さずに、真心誠の真実を待つ」、そういう普通の態度が大切です。

内容としては「難しい事は一つも言わん。」
その、平易を、教えられています。

後の本文は、「生涯の理」「言わん言えん」の後にて、ご思案されたら宜しいと思います。
0364基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:33:09.51ID:92aNcDLS
>『 よう潤おうなら、いつ/\までと言う。片寄ると根が差さん、根が差さんと芽が差さん、とさしづして置こう。』
皆に潤沢ならば、いついつまでも守護しよう、そういう神意がありまして、それが「片寄る」と、神様のご守護が切れるという事です。

「うるおい」と言うのは「水気上げ下げの守護の理・五柱目の神様の守護」であり、
「いついつ」とは、「五つ五つ」。
五分五分であるべき人間が、偏りのある場合には、「根がささん」。この姿が、天災にて現れているのは、現在の放射能汚染事情です。

どのよふなものでもしらぬ事ばかり これをふしへる月日をもわく 8号42
月日にハたん/\しらぬ事ばかり なにもをしへてせかいたすける 8号43


こらほどにをもう月日のしんばいを せかいのものハなにもしらずに 8号44
心さい月日しんぢつうけとれば どんなたすけもみなうけやうで 8号45
とのよふなたすけとゆうもしんちつの をやがいるから月日ゆうのや 8号46

この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを 8号47
このはなしなんでこのよにくどいなら たすけ一ぢようけやうのもと 8号48

さて、人間が一番に分からなければいけないことは、人間は皆親神の子であり、一列は兄弟であり、
「皆が潤う」べきであると言う事です。
0365基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:36:29.75ID:92aNcDLS
「甘露」とはまったく逆に見える「天火火の海」。神の返し。
大震災、大津波の教理の思案を、二ちゃんねる宗教板にて、書きました。

心一つが物だねだと言う、天理の教えを、きちんと理解できることが、一番に大切なことと思案しました。

この甘露の問題に絞り込んで、投稿量そのものをへらします。

宗教板で、ぼちぼちさんと、お相手したかったけれど、規制が解除されるまで、・・といいますか、
さらに大きな天災が「来るか来ないか:、」
来るのが、数理の示すところですが、どんな事態になるのか、見守りたい。

明治20年 1887 (陰1月26日)午後2時頃、教祖現身を隠す
5X5X5=125年後 2012年
まだ記述がありません。 近未来です。
と、書きました。
今年の六月から、来年の六月までが、一番危険です。

おつとめで難が逃れられると、書きたくて、書けなかったわくですが、
おつとめに期待するしかないでしょう。

> おつとめに期待するしかないでしょう。
神楽の起源は、天岩戸。
この世が真っ暗になったとき、人は景気をつけるなんてものではなく、大酒盛りの大騒ぎ。
そういうことを書きたかったと、いう事です。
0366基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:40:04.91ID:92aNcDLS
> 「38年後は「月日より三十八年以前にて天下りたる元の因縁。」
> 「月日よりその因縁がある故に何か委細を話したいから」
> 「上たるハそれを知らずに何事も世界並やと思うているなり」
> 1875年、2月、親神は、38年という数理を示して、委細を話したいと、告げられました。
> 1875年、5月、こう。宣言されています
> 「日々に月日残念山々と積もりてあるを晴らしたいから」
> これは、お筆先八号の冒頭です。
> 「この処つとめ場所は人間を始め出したる処なるぞや」
> 「人間を始め出したるこのをやは存命でいるこれがまことや」
> これが、承知できていない事こそ、最大の残念であると、親神様は言われています。
> 「かみなりも地震大風水つきも これは月日の残念立腹」
> 「この事を今まで誰も知らんから、このたび月日先へ知らする」
> 親神様は、地震も、先に知らせておくといわれました。
> 明治24年10月31日に、濃尾平野の大地震へのおさしづの中で、親神様は、
> 「やれ恐ろしい、やれ怖わい、やれ恐ろしい。これまでに話し、刻限事情にも諭したる。」
と、刻限事情として既に諭してあると、宣言されました。
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。
このような38という数理があります。
0367基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:43:52.11ID:92aNcDLS
根本問題は、大教会制度そのものの、「不合理」です。
「天理教団」からの引用を続けます。

> 明治34年5月25日に、御本席は、本部員を残らず寄せて、
一同が打ち揃いしますと、その時には、お敷布団しかずにお座りのままでおさしづをしました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」開口一番のお言葉です。
> この明治三十四年5月から38年後といいますと、1939年、1940年です。
> おふでさき、おさしづは本部に回収となりました。
> 「天理教教典エン義」が刊行されました。戦争協力体制一色となりました。
> 月日の名前はまさに取り払われました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」
> まさに、本席おさしづをおとしめた38年後の天理教は革新の時代、国家に従うばかりでした。
> 明治34年5月25日のお言葉の中に、
> 「なかなかこれ38年以前、九月より取り掛かり、十分一つ道ようよう仮屋仮屋、仮屋は大層であった。
> 一寸ふしあった。皆退いて了た。
> 大工一人になった事思うて見よ。思うて見よ。」
> こうあります。
> 38年の後には、お前達は、本席さしづなど地におとしめてしまうとの予言から開始されたおさしづの中で、
本席は、38年以前の、元治元年勤め場所の普請の節の事情をおさしづされています。
> 「なかなかこれ38年以前」
> 「なかなか」とは、秀司、小寒の道のことです。
> 38年という数理とその後、その前をおさしづした、数理の神意は重大な意味があります。
0368基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:46:54.55ID:92aNcDLS
99年たって皆出直しという、予言があります。
99年たって皆出直しという、その99年目を、教祖が扉開いて、百年目と数えていた人たちは、
「百という時に、白紙にかえる」真柱の言う言葉の意味を理解できなかった。
それは、教祖は、定命115才で、あるべきを、25年縮めていた事に、思いが至らなかったからです。
教祖は、明治20年に扉を開かれていますが、本来は、明治で数えるなら、45年に、うつし身を隠すことでした。
つまり、今の年祭は、教祖の扉を開かれた時から数えていますが、
本来は、25年ずれている。
そこで、扉開いてから、125年を過ぎた、翌年、
126年。(正月26日も126です)に、白紙に帰る旬となるというのが、
基本が一貫して説いている、数理の悟りです。
。。。。。。。。。。。。。。。。
理の親信仰の根絶が、最重要の課題です。

おふでさき、やさしづの予言は、的中しています。
基本は、予言はした事ありませんから、あたり外れは、今の所なんともいえません。

だいたい、「見えてから説いてかかるは世界並。見えん先から説いておくぞや」。
これが、親神・中山みき様です。
天理教団の行く末もみな説かれてある。
それを解読する能力が、無いと言う事を自覚ください。
基本は、基本中の基本をご紹介したいるにすぎません。
0369基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 14:49:04.93ID:92aNcDLS
寛政10年 1798 4月18日、教祖(中山みき)誕生。 1880 この年、眞之亮は中山家へ移り住む
1923年9月1日 関東地震(大正関東地震。被害については関東大震災に記述) - M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人(日本災害史上最大)。
おやさまご自身の事情から、125年。
しん 真柱様の事情から43年。
ひながたです。 日本の大震災の数理として、おふでさきにしらされ、現在も進行形の事態です。


1923年9月1日 関東地震(大正関東地震。被害については関東大震災に記述) - M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人(日本災害史上最大)。
963年10月13日 択捉島沖で地震 - M 8.1、三陸沿岸で津波。
1995年 1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災)
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)。Mw9.0(日本の地震観測史上最大)。 福島第一原子力発電所事故..

これほどまできちんと、親神様はお知らせあると言うのに、天理教団は、何をしていたというのでしょうか。
0370基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:36:11.26ID:92aNcDLS
おふでさき8号です。

かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく 58
この事をいまゝでたれもしらんから このたび月日さきゑしらする 59

明治8年 1875 おふでさき第6号半ばより第11号まで執筆。
     6月29日(陰5月26日)、かんろだいのぢば定めが行われる。
     9月27日(陰8月28日)、こかん出直(39才)。
    この年、表通常門竣工し、教祖その西側の10畳の室に移る(「中南の門」)。
    「いちれつすますかんろだい」の歌と手振りを教えられる。
    また「おびやつとめ」などの手を教える
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の個人的感想でいいますと、38の数理は年数を実数で数える。
そんな風に、感じます。
0371基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:38:30.81ID:92aNcDLS
このせかい一れつみゑる月日なら
とこの事でもしらぬ事なし
51

このお筆先です。
第8号 51
このせかい一れつみゑる月日なら とこの事でもしらぬ事なし
Kono sekai ichiretsu mieru Tsukihi nara Doko no koto demo shiranu koto nashi
To Tsukihi, who can see everything in this world, nothing is unknown.
,52 月日は、世界どこからでも拝めるものであるから、世界中の事は如何な事でも知らぬという事はない。
それと同じく、親神は人間の思う事為る事をよく見定めて、善と悪とを区別する。

Doko no koto
音では、どこの事と読みます。
文字にては、「とこのこと」。

つまり、地震については「とこ」の問題が問題であるという知らせが、あると悟りとれます。
0372基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:43:34.12ID:92aNcDLS
日本の都市の多くは沖積平野にあります。これは地層の中でも一番新しい沖積層でできていて、まだよく締め固まっていません。
もっと古い、例えば恐竜時代の地層等と比べると、その固さは土鍋とその中の豆腐くらい違います。
私達はその豆腐の皮の上に街を作って住んでいるのです。
この下には、第三紀層と呼ばれる、もう少し固い地層が潜んでいます。
これも、さらにその下にある花崗岩に比べると、やはりずっと柔らかい地層です。

地震は、地球表面を覆っている花崗岩や玄武岩の岩盤の中で急激に起こる破壊現象です。
そこで生じた地震波は、まず岩盤を伝わって行きます。
・・地震波は、固いものから柔らかいものに伝わった時には振幅が大きくなります。
だから、花崗岩から第三紀層、沖積層と伝わっている間に、振幅がどんどん大きくなります。
地震波は柔らかい地層から固い地層へは伝わりにくいので、一度柔らかい地層へ入ってしまうと地震波は外へ出られずに、底や地表で跳ね返されながら走り回ります。
このため、沖積平野では揺れはなかなか収まりません。
土鍋に豆腐を入れて激しく揺すってみましょう。
たとえ鍋一杯に豆腐を敷き詰めたとしても、土鍋を揺するのをやめても豆腐はしばらく止まらず、ふわふわと動いているでしょう。
 同じ鍋でも、土鍋の代わりに中華鍋を使えば中の豆腐の揺れ方が違います。
沖積平野の揺れ方も、その底の形によって様子が違います。
私達の街がどう揺すられるかを知るためには、鍋底の形を知らなければなりません。
0373基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:46:07.05ID:92aNcDLS
第2号 40
高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか
Takayama ni hii to mizu to ga miete aru Tare ga me nimo kore ga mien ka
I can see fire and water in the high mountains. Can you not see this with your own eyes?
上に立つ人々にも親神の守護が分かりかけているのに、人々にはこれが分らんのであるか。
註 火と水は、「火と水とは一の神」と教えられているように、親神様の御守護を意味し、
又、特に親神様の絶大なお力を現実にお現し下さるを言う。火とは燈火もむ火、体温も火、火災も火である。
水とは飲用水も水、雨も水、身体の水気も水、つなみも水である。

↑ 解説は、宗教家のお仕事だが、おふでさきは、
現時点、「産業高山」「電力高山」には、「火」と「水」が、見えてあるという宣言になっている。
地震は「天日火の海→じしん」と悟るなら、
「余震」ではなく「ほんしん」を神が用意していると、いう思案は基本である。
早く、関西に製造を戻さないと、日本の製造量は、中山みきに、たたき潰されると、
それは、見えないのだろうか。

上の統治術を、急所への一撃で潰す。
この、100年単位の戦いに、眼を開いて、天理を知る事になる。
0374基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:49:08.30ID:92aNcDLS
竹中さんのコメントがありました。
誤った議論の代表は「復興税」だ 慶応大学教授・竹中平蔵

それには、復旧、復興、その後の改革を一体化し、迅速かつ切れ間なく行う必要がある。東北の農業を単に復元するのではなく、
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)対応型の強い農業にする。
街の再建では完全エコタウン・防災都市に仕上げる。
市町村合併を進めて強固な基礎自治体にし、東北の地方分権を本格化させる…。
そんな構想力と、それを実現するため、戦後の安定本部(「安本(あんぽん)」)のように縦割り行政を超えた強力な「復興安定本部」が必要だ。

政府批判の形を取っていますが、「経済高山」の本心がきちんと見えていて、大変、よく意味が分かります。

統治術そのものから、語るなら、福島県のペットボトル用キャップが全国製造の10割というような手法です。
そこを抑えておいたら、ペットボトル飲料の全生産量は自動的に把握できてしまう。
こういう手法です。
自動車関係、電機関係でもこういう手法を用いたら、小さな部品1品を独占化していれば、全てを支配してしまえる。
財閥は、大きな商社ではあるが、小さな資源、今風に言えばレアメタルは、絶対に寡占化を保持していて、競争原理を持ち込ませていない。
それを東北では、製造業として、世界の「レア部品」寡占をなしていたわけです。
「甘い露」ならぬ「永遠に甘い汁」のシステムを構築していたという事です。

それは、「高山」の誰にも気づかれぬ「横暴」。
キチガイ婆さんが、天日火の海活動で、力比べするのは、高山への神の返しです。

神の返しとは、して返せば、神の仕返しと言う意味です。

高山さんたち、相手は、人間では無いのですよ。
無謀なわがままは、神の返しにあいますよ。
0375基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:52:10.69ID:92aNcDLS
 岡山大の山中寿朗准教授(地球化学)らのグループは19日、
鹿児島湾奥の海底にレアメタル(希少金属)のアンチモンを多量に含む鉱床を確認したと発表した。
推定で国内年間販売量の約180倍に当たる約90万トンが埋蔵されている可能性があるという。
 山中准教授によると、世界で産出されるアンチモンの約8割は中国産。半導体やバッテリーの電極など、さまざまな電子部品に使われている。
 グループは2007年、鹿児島湾の海底活火山「若尊」周辺の深さ約200メートルの海底で、
熱水の噴出孔を発見。無人潜水艇や海中ロボットを使って調査を続けていた。
海底の堆積物を調べた結果、直径約1・5キロにわたり円状に鉱床があることを確認した。
 山中准教授は「日本には同様の鉱床がほかにも多く存在する可能性がある」と指摘。
今回発見した鉱床については、採掘可能な水深だが「内海なので掘削すると
海洋汚染による漁業被害が考えられ、対策が必要だ」と述べた。
0376野良天 ◆3gxC3xwhfc
垢版 |
2018/12/14(金) 19:59:37.00ID:Zdh9L+UT
基本。って修養科でてたっけ?
出てたとしての質問。
何期?
俺は566期
0377基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 19:59:39.13ID:92aNcDLS
第10号 104
たん/\とこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ
Dandan to kono michisuji no yotai wa Mina waga koto to omote shiyan se
Take each course of this path as your own matter and ponder.

容態・ようだい。
おやさまが高山の「上」に、神の自由を見せて、親神を信頼しもたれるようになる、道筋の容態は、
それを、わが事と思い思案するようにと、↑ 知らされてある。
高山対親神の問題は、わが事なのだ。

自然エネルギーの普及阻む勢力と戦う孫正義氏 この問題を、見る場合も同じである。

米国に踊らされた日本政府は国策として原子力発電を進めてきた。
これほどの大事故を招いていながらその姿勢を変える気配はない。
 「自民党は電気事業連合会の言いなり、民主党は電力総連に骨抜き。メディアは電力会社から広告漬け。
(そうしたなか)自然エネルギー計画をどう着地させるのか?」、ジャーナリストの上杉隆氏が質問した。
 孫氏は「原発は国民の一番の関心事。啓蒙してゆくこと。これが王道」と答えた。
 心配症の筆者は、原発に反対していた佐藤栄佐久・前福島県知事に孫氏が重なる。
佐藤前知事の逮捕容疑は収賄だが、佐藤氏自身「原発反対も逮捕理由のひとつ」(18日、日本外国特派員協会)と捉えているのである。
 政権はあらゆる規制を駆使して自然エネルギーの普及を妨害してくるだろう。マスコミは孫氏を絡めてネガティブキャンペーンを張ってくるだろう。
 筆者は上記(「佐藤前知事」「政権による妨害」「マスコミのネガキャン」)を説明したうえで孫氏に「具体的に対抗策を考えているのか?」と聞いた。

 孫氏は「損害を被ることもあるが、それでも正義を通さなければならない時がある」と決意を示した。
0378野良天 ◆3gxC3xwhfc
垢版 |
2018/12/14(金) 20:00:11.37ID:ixSz1pot
基本。って修養科でてたっけ?
出てたとしての質問。
何期?
俺は566期
0379神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:01:29.70ID:yPxzFxkj
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0380神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:01:52.17ID:yPxzFxkj
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0381神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:01:59.09ID:MuiatZ5x
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0382神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:02:55.18ID:MuiatZ5x
>>328
こんな話、おやさまの「葡萄は先の方から熟しますなあ」の一言で理解してもらわないとどーもならんな。
0383基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 20:06:48.47ID:92aNcDLS
エネルギー問題に首っぴきで取り組んだ結果、
「今、日本人を不幸にしているのが原発問題」、「批判ばかりしていてもしょうがない」として「自然エネルギー財団」を立ち上げることを決めた。
アメリカでは昨年から太陽光による発電コストが原子力発電を下回るようになった。
孫氏は世界中の科学者100人を集めて太陽光発電を中心に自然エネルギーの普及を目指す。
・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、東電が行ってきた事を、学者を大量動員して「原発」に向けてきた事を、
「太陽光発電」に向けて、同じ事をしようとしているに過ぎない。

「学者の動員」それは、「高山の特権」そのものであり、一列隔てなく、
「太陽光」に、絞り込まず、自由な研究を学者に保証しなされていない点で、何一つ変わっていない「高山体質」が見えてしまう。
誰の心にもある、間違いと言う事だ。

高山の統治術には、情報操作は、圧倒的な武器になっている。
デジタル大辞泉の解説.によれば、コマーシャリズム 【commercialism】とは、
商業主義。営利主義。「―に踊らされる消費者」
・・
政財官の高山が、「財。経済界高山」のCMを、「マスコミ高山」にて垂れ流していて、
原発推進は、まさにコマーシャリズムそのものだから、
「営利の為の原発推進」は、止めたくない「高山」の事情となっている。

核は、人間が扱うには厄介なものであり、原子爆弾と言う登場の仕方のように「核」は、高山にとっては「武器」でもある。
それを、永続的に支配することは「高山」の欲高慢にとって、魅力的。
だから、統治術の全てを用いて、原発の推進再開への道筋を、高山は空けようとする。

「上と神」。
真の支配者は、どちらなのであろうか。
0384基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 20:15:05.63ID:92aNcDLS
ここで、しんばしらは、全おふでさき中、二首です。

せかいぢうむねのうちよりしんばしら
神のせきこみはやくみせたい
第3号 51

このたびハうちをふさめるしんばしら
はやくいれたい水をすまして
第3号 56

世界中、と、このたびはの内。
二首あるという事です。

さて、肉体的欠陥は、それを劣のと、唱える事は、精神のみの存在としての「自己」に、
自覚が至っていないからである。

神の貸し物だから、「欠陥が無いはずだ」とは、天理を侮っている。
そんな自分の都合優先の「神」しかイメージできないことが、「精神の未熟」を物語っている。

どんな借物をお借りしていても、それを用いるのは人間である。
そこに、研摩が大切で、使い道を間違えないことだ。
0385神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:28:57.88ID:MuiatZ5x
>>340
えらい
には
しんどい
という意味もあるんやで。
0386基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 20:45:15.66ID:92aNcDLS
刻限御話
明治二十一年九月七日(陰暦八月二日)午後四時四十五分
さあ/\/\余の儀外の儀やないで/\/\。
さあ/\一廉一つの事情改める/\。さあ/\一つ事情改める。
さあ/\しっかり聞き分け/\。
日限の刻限改める。すっきり改め、日々の処改め。
どういう事改める。これまでの処、日々取次の処、扱って早く聞き分け/\。
日々一つの事情取次処へ、何かの処すうきり改める。
日限の事情、これまで日々の取扱い深きの処、繋ぎ合い深きの事情、さあ/\尋ね一条から又聞かそ。
すっきり改めるからすっきり改め。
日々出替わり遠くの所受け取りてある。
知らして居る者もある。互い/\契り結んだ理を立て、契り結んだ理を立てゝ、これまでの処何人も居る。
一人の理では何ぼの人にも成りたないと、これよりも言う者はこうで成りた、俺はこうやとこれまでの処分かり難くうてどうもならなんだ。
これから幾名何人ある/\、めん/\の処、何名々々事情によりて一時も放って置けんと/\。
めん/\それ相応に/\めん/\に幾名何人あると、これより話聞いてあると。
話一条一つの理、事情というは、又一つには方角の許しも、又縁談一つ事情処も言うまでやない。
取次に委せてある。
これまでにも委せてある処、又一つだん/\誠の心の理という処、たすけ一条の理も渡さにゃならんという処、先ず/\それより一つ先ず/\伺い一条には、尋常に秘そかに/\、一日の日にも渡す日もある。
何年経ちても一日の日ともいう。
分からん処は何遍も/\取次より聞かし、これまでとなら尋ね一条にもころりと変わる。
成るだけ秘そか/\。たすけ一条の理は一名一人とこれ聞いて、速やかな理を治めてくれるようと。深きの事情という、先に説いてある。
世界一つたすけ一条の処、日々処による/\。
0387基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 20:48:53.65ID:92aNcDLS
> 一命一人
お指図では、一名一人と、文字が当てられています。
基本は「一命一人」と文字を当てて、みました。

> たすけ一条の理は一名一人とこれ聞いて、速やかな理を治めてくれるようと。
> 深きの事情という、先に説いてある。
> 世界一つたすけ一条の処、日々処による/\。

教団組織とは、「一名一人」「一命一人」というたすけ一条の天理には、無用とみなされます。
その、刻限が、引用紹介しましたお指図です。」

> 教会が嫌でたまらなかった。神実様が御本部から附下された
ものでなく大教会に転がっていたなんて、愕然としました。
↑ 全ての大教会でこのような事をしているどうかは、疑問ですが、貴兄の所ではそうであったと、。。
残念です。

おやさまは、きちんとたすけてくださいます。
教団と言うものは、亡霊に過ぎない。
一人。
それが、おやさまのお示しになった「神一条」です。

第1号 50
このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事

おやさまは、組織論なぞ語ってはおられない。
「一名一人」、「わが事」の問題として、「神一条」は語られている。
0388基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 21:29:02.92ID:92aNcDLS
先日、全くの初見のご婦人に、その方が原因不明の低体温症で、長年悩まれているということで、
私、その病気の事は、治るように神様に頼んであげますから、カラオケ楽しみましょうと、
そんな話をしました。
一昨日、その日以来初めてそのご婦人にお目にかかったとき、良くなっていました。
病たすけで、信者増やす時代は終わりました。
組織のための時代は、終焉し、
それは、刻限に知らされていたわけです。

『互い/\契り結んだ理を立て、契り結んだ理を立てゝ、これまでの処何人も居る。
一人の理では何ぼの人にも成りたないと、これよりも言う者はこうで成りた、俺はこうやとこれまでの処分かり難くうてどうもならなんだ。』
理の親信仰の当時が、きちんと、語られていて、厳しく批判されていますね。

「互い互い結んだ理」というのが、「理の親分」「利の子分」、「上級、部下」という関係を示しています。
そんなものを、自慢しあって、俺はこうだとか、分かりにくい当時の姿。

この話は、「みなわが事」というすっきりしたものです。
0389基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 21:32:14.06ID:92aNcDLS
おやさまは、震災の予言をしたのではなく、助かり方を教えたのだ。

【原発】非常用冷却装置が津波前に停止していた
テレビ朝日 - ‎5 分前‎
東京電力は福島第一原発の事故直後のデータを公表し、1号機の非常用冷却装置が津波の到達前に停止していたことが分かりました。
運転員が止めた可能性があります。
データによると、地震直後の午後2時52分、原子炉が緊急停止した1号機で、非常用の冷却装置が正常に自動で ...
・・・・・・・・・・・・・・・・
東電の情報操作、がんばってるなー。

中日新聞はこう書いている。
【社会】 本震直後に非常用復水器3時間停止 福島1号機
2011年5月17日 02時00分
 福島第1原発事故で東京電力は16日、非常時に原子炉を冷やす1号機の非常用復水器が、
本震直後から3時間にわたり止まっていたとの調査結果を公表した。
東電はマニュアルに従って止めた可能性を強調するが、津波ではなく、地震の衝撃による不具合だった可能性がある。
1号機は後に炉内の温度が上がり、炉心溶融を起こしている。

パルスにやられていたとなると、安全基準は全て白紙だから、手動でとめたと、言い張るのだろうが、
もう遅いのだ。
天理は、みんな知ってしまっているのだから。

炉内圧力が急激に低下
それは、パルスで穴が開いたのだと、誰でもわかる。
0390基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 21:35:18.70ID:92aNcDLS
天災がなかったら、原子力で統治された奴隷国家が完璧に出来ていたでしょうね。
この社会、立て直します。
中山みき母が、全責任を持って、「大社高山とりはらい」します。

さて、スレの主題の戻ります。
甘露とは、この世泥海の世間世界に流されず、係わり合いを最小限にするための、
親神の用意した、もの。

この社会立て直すためには、必需品でした。

自動車部品、共通化へ 震災で供給網寸断、経産省が検討

東日本大震災で寸断された自動車部品の供給網を強化しようと、経済産業省が部品の共通化の検討に入った。
6月中旬に自動車や素材のメーカーと方針を確認し、対象となる部品を選ぶ。
独自性にこだわってきた自動車づくりが、震災を機に変わる可能性がある。

高山は、甘い汁を求める。
0391基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 21:38:42.39ID:92aNcDLS
本席身上御障りに付願
明治二十二年七月三十一日(陰暦七月四日)午前六時十七分
さあ/\/\/\、どういう事を言い掛ける。何にも分かろうまい/\。
世界の道理事情の処、神の道は分かり難くい/\といえども、世界の道理上の処、一寸分かるやろう/\。
神一条の道は大変であろう。
長らえての道の処、分かり難くいといえども、なれど世界の道理上から思やんすれば、分からんであろうまい。
どんな事を定めるのも、神一条の道を以て定める。
どうもならんから世上道理上の道、一寸通してあるのやで。神一条の道をどうでも聞き分けにゃならん。
長らえての道の処分かり難くい。よう聞き分けてくれ/\。どんな事も、さあ世界ありながらどんならん。
余儀無きの道でないで/\。よう聞き分けてくれ/\。
さあ/\世界の道は何処でも付けられる。
世界の道を以てあちらにもこちらにも本部や、偽の本部やと言うて居る理聞かしたい。
どんな事でも聞かしてある。
一日も早く理を見せたい。
鏡やしきの理を失う、失う。
さあ/\理を失う処、急がしい事情知らずして、年が明けたら、お陰や/\。
国会が開ける。
何にも分からず、開けたらと言うて居る。
急がしい事はその日来にゃ分からん。
一寸事情ありて治めて居る。
日々は通れる。早く聞かねばどうもならん。
よう聞いて置かねばならん。元一つ鏡というは、内から言うのやあろうまい。
世界から神の理を見て鏡やしきと言うのや。
鏡というは何処から何処まで分かるが鏡やしき。
0392基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 21:41:27.42ID:92aNcDLS
天理教会一派独立の件に付伺
明治二十五年十二月二十日
さあ/\尋ねる事情/\、順々と言えば、後々ともいう。
順々の道と言うて、これまで長らくの間、長い日柄、又一つ事情にては第一事情、これまで諭したるは千日の事情と諭したる。
どうか一寸千日、もう事情治まり、又一つ事情、又事情これより始める、始まる。
どうでも一時話通り、よく/\事情、古き道夜々刻限事情、だん/\事情諭したる。
日限という。
もう一段一つ一時世界だん/\の理を諭したる。
事情一時触れ流し出したる処、見るよう聞くようの理が始まる。
しっかり改め。
一時道の事情何時なりと言うて、これまで話通り事情ある。
又一つ一寸事情ある。
立て合いの理、世界一時の道、事情ある。立
て合い世界始まり掛けたる道、順序の道、事情第一順序は世界、誠一つ、天の理、これ思やん。
これ諭し置く。又一時後々の道、今一時世界早くという。今順序互い世界という。
危なきような道ある。
又、思やんもせにゃならん。
又出て行く、出て来る事情ある。
表の道独り立って来る。
事情ある、出る。
尋ね掛けたら、元ある元が分かる。
一時一つの道のため、成る成らん事情、放って置いても出て来る、立って来る。
一時に開く、一時に成る。これ諭したる。
さあ/\急いで万事何か運び掛け。
さあ/\許し置こう/\。
0393基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 21:52:59.77ID:92aNcDLS
表の道独り立って来る。

本席の身上御障り願 明治二十四年五月十六日 午前九時
さあ/\続いて話し掛けたる事がある。
どういう事を話し、これまで聞いたる事や。
聞いてあっても刻限に外れるやない。
皆遅れるのや。第一の理を話したる。刻限の理に話したる事は外れるやない、遅れるのや。
第一事情皆ほのかの理になる。
刻限の話めん/\の思いに忘れる。
そこで遅れてどうもならん。
今の処は二つある。一つの道は表の道、一つの道は心の道や。
表の道一寸の道や。心の道は違わしてどんならん。
分からんから皆見許してある事を、どんな事であったやらなあ。見許してあるから、遅れてどんならん。
胸の道あればこそ、これまで通り出来てある。これをよう聞いて置かねばならん。
世界道というものは、とんと頼りにならん。しっかりしたようで、ふわ/\してある。
世界の道に力を入れると胸の道を薄くなる。
ほんの分からぬ世界の道に力入れては何もならん。
そこで、皆んな戻りたら、この理を皆聞かして置かねばならん。世界の道に心を寄せたらどうもならん。
胸の道は神の道やで。一つに心を寄せて置かねばならん。

これまで刻限話と言えば、何や流行歌のように思うて、あちらへこちらへ言うたぶに、これまで刻限話というたら、何やいなあと、言うて了うてある。
つい月日が経てば忘れて、何やいなあ/\と言うて了うてある。
それではどんならんで。これ胸の道が第一やで。
しっかり聞いて置かねばならん。大事の刻限の道やで。
0394基本。
垢版 |
2018/12/14(金) 21:55:26.30ID:92aNcDLS
遅れるという事は、「実現が遅れる」と、そのように解釈されてきた。
しかし、それは、実行が遅れるという意味にもなる。
良く読み直してみると分かるのは、
「第一の理を話したる」
「刻限の理に話したる事は外れるやない、遅れるのや。」と、
「第一の理」と「刻限の理」とふたつ、ある事が分かる。

本席身上おさしづ
明治二十一年六月五日(陰暦四月二十六日)
さあ/\/\いかなる処/\、身上いかなる処、尋ねる。知らす。身上一つ身上ある。いかなる処、さあ/\早く止め、
神一時、一つ話、これに先々に毎夜この道下がり、さあ/\どんな話も仕掛けてある。
一寸今一時尋ね出す。早く通し、まあ一寸始め掛ける。どんな道を始め分からん。
まあ/\それより成る成らん。これまで一寸話伝え、夜々出て話、
一つ話、あっちこっちの理を見遁がし、今一時世界理多く十分早く世界事情運ぶ、
分からん、上下とも理分からん、いつまで言うではない。
いずれ一つだん/\日柄刻限移るなら、道の通り連れて通らねばならん。
又々所々変わる処、実の処、早く求めよ。いかなる道も分かるであろう。やれ/\と言う日もあろう。
一つ心早く一つ運ばねばならん。
0395基本。
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2018/12/15(土) 02:00:27.32ID:leafH98I
お筆先二号は、かんろたいについての理を知らせています。

めつらしい このよはじめのかんろたい これがにほんのをさまりとなる 39

甘露を頂く台であるから「甘露台」です。一般的な理解は、↓「はてな」に要約されています。

『天理教において、教義における人類誕生の地と主張されている場所「おぢば」にある置物。
「かんろだい」とも書く。本部神殿にある。
本来は石製で作られるものであり、明治初期に製造が開始されたものの、
途中で石工が逃げ出して製造は中止状態になり、
のち未完成の石製かんろだいは警察に押収され所在等の詳細は現在も不明。
現在はレプリカ的ものが木製で作られ、置かれているに過ぎない。
救済が行われた際に天から甘い雫が落ちてくると教えられている』

先ず、「レプリカ」だという事は、理として間違いである。
「ひながた甘露台」と呼ばれているように、「ひながた」であり、ひながたとは、理として重いものである。

問題は「霊力」であるが、43年前の数理にて確かめたように、
大工の伊蔵の制作した「模型」も、歴代真柱の「木製ひながた」も、いずれも「43年後の震災」にきちんとリンクしていて、
「ぢばのしん」→「じしん」と、きちんと理は実現してある。

問題は「石」であるか否かに、その本質は無いと言う事にある。
0396基本。
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2018/12/15(土) 02:03:06.83ID:leafH98I
天理教から独立した教団「ほんみち」の代表職の名称。」として、「人間甘露台」について語られている。

甘露を頂くのは、人間なのだから、「地場」という地面ではなく人間が甘露台なのだという説なのだが、それは、「おやさま・中山みき」お一人であり、おやさまから、甘露は分けて頂くものである。
そして、「地場」というものは、単なる地面では無い。
この一点を、信じるか否かで、「甘露」は頂け無い事にもなる。

つまり、甘露と言うご利益は、「地場を聖地」と信じるという信者以外には、意味を持たないと、そういう事は自明です。

神楽つとめという、つとめは「地場限り」です。それが天理です。

すると、地場以外でお勤めしていた「山名」、それを意図していた「河原町」は、「甘露」を頂く資格は無いのが、天理です。
では、そういう場合には、神様は「水」・・「甘露では無い・水」を、水のさづけとして渡されていたと、そういうことになります。
0397基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:11:46.71ID:leafH98I
水のさづけについて、説明を見ましょう。

この「水のさづけ」を戴かれた小兒ろく女は、前記の如く生後十ヶ月目になる嬰兒である。
この「水のおさづけ」を戴いた日、宿へ歸ると、同行者の一人であった小栗市十氏が、きびしいお障りでおさづけを頂き度いと願つた時、ろく女が座つて手を拍つてお授けを渡した。
この時には同行の人々の何れも不思議だと云つて驚いた。

こんなエピソードがある。
ある先生(すでに出直されている)から直接聞いた。

ボク(先生)が若いころ、修養科に入ったんだが。
同期の修養科生で、精神的にかなり問題のある女性がいたんだ。
おかしいのなんのって、そうとうなモンだった。
修養科で御守護戴こうってことなんだが、よくなりゃしない。
補導員(教養掛)がほとほと困って、ついに、おろくさんにおさづけのお願いをする決心をした。
なんたって、直々の水のさづけだからね、畏れ多くて、お願いなんて滅多にできるモンじゃない。

ボクは思った。
「いくら水のさづけ、ったって、あんなワガママなばあさん(ろくさん)のおさづけなんか効くワケがない」ってね。

その女性がおろくさんの座っている別間へ入って、出てきた時にはマトモになってた。
気の間違いなんて、これっぽっちもなくなってた。
それっきり、普通の人になっちまったんだ。

これにはたまげた。
そんな馬鹿な、と思った。
ビックリした。

ボクはね、決めた。
修養科終わって、そのまま東京に、単独布教へと出たんだよ。
0398基本。
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2018/12/15(土) 02:14:55.59ID:leafH98I
ひながた時代には、「飯田岩次郎」、そしてお指図時代には、「諸井ろく」に小児水のさづけ。
お指図時代には「東・水のさづけ」が、あります。

飯田家は、お屋敷とは別に宗教家業をしていた飯田善六さん。
諸井家は、天輪講教会で、偽神楽つとめしていた諸井国三郎さん。
東は、東京の信者は全て東の縄張りだと、「東京本部」きどりに、上原佐助さん。

甘露には似合っていませんが、「水のさずけ」なら、お渡しくださるおやさま。
「何も見ずに」渡すおさずけでした。

水の授けの効能に衝撃を受けて、単独布教に出るのなら、それは「宗教家業」にまい進するという事です。
おやさまは、「人間は働く為にこの世に生まれた」と教えられています。
通常は「働く」とは「労働」と理解されがちですが、「労働者」という意味ではなく、「自営業」という意味においてのもので、
「資本家であり労働者である」という、自立自営が原則になります。

それは、宗教と言う世界に霊能を求めるだけではなく、農業においての「肥えの授け」のように、
経済行為そのものへの「特別な守護」を意味しています。
0399基本。
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2018/12/15(土) 02:18:02.02ID:leafH98I
教祖伝の逸話編の13に、「種を撒く」というお話がある。

摂津国安立村に、「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。
二人の間には、次々と子供が出来た。もう、これぐらいで結構と思っていると、
慶応元年、また子供が生まれることになった。
それで、タツは、大和国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。
しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。
すると、教祖は、「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。」と、仰せになった。
タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、尋ねた。すると、教祖は、
「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と、お教えになった。

とあります。
0400基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:23:28.04ID:leafH98I
イエスキリストは、種まきについてこう教えられています。
「マルコによる福音書」 

0403> 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 0404> まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
0405> ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 0406> 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
0407> ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。 
0408> ほかの種はよい地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
0409> そして言われた、「きく耳のある者は聞くがよい」。

イエスキリストは、言われました。 0414> 種まきは御言をまくのである。
おやさまは、言われています。
「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と。

御神楽歌では、「肥えの授け」が歌われています。

「種をまく」→「肥を置く」→「修理丹精」→「作りとる(収穫)」と,示された順序を、
教会組織上に理解して、
「効能を結ぶ」「講を結ぶ」が、本来の信心の講を、拡大解釈して「教団」の大組織化に向かったのは、人間の悪因縁、宗教高山「大社」思想でした。
0401基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:26:23.28ID:leafH98I
甘露の教理は、遊山の教理であり、豊年の教理。

自分だけが甘露を食するわけにはいかないので、
ひたすらに、投稿し続けましたが、もう、そろそろ甘露信仰の結実を、これも研究しなくてはならないわけです。

原発問題は、目覚めてしまった方々と、高山の唐人とのせめぎあいが続く。
そして、おやさまが、味方して、「にほんの者」が勝ちます。

それには「効能」。
「効能」を結びましょう。

「出直して甘露で育つ赤子になるん?」「それなら早くもどっておいで」
と、お見通しの言、有り難く思います。
この世を陽気に普請するには、甘露で澄ますしかない。

「一列澄ます甘露台」なのか「一列澄まして甘露台」なのか。
「月日より一度ゆうた事」は、何時になりても変わることなしが天理ですから、「一列澄ます」が、普遍の真理です。
模様替えと言う言葉が、その変更について、用いられますが、
甘露台で一列澄ますと言う事は、「甘露」で澄ますという事に他なりませんから、
世間的な言葉で言う「太陽政策」、北風さんでではなく、温かさとやさしさと言うもので、心を澄ますという意味になります。

現実に今のお勤めは「一列澄まして」ですが、
実は「一列澄ます甘露だ」なのだという、原点が、地中の根であると言う事になります。
0402基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:29:27.39ID:leafH98I
甘露と言う視点でみますと、原発は「沈まない太陽」であり「人工甘露」の一種とみなして良いでしょう。

セシウムの除去について、研究が発表になったというニュースがありました。
汚染水の放射性物質除去、金沢大教授が処理剤開発 

・国や東電には処理剤を開発したことを報告しており、被災地からの関心は高い。
福島県のある自治体からは、放射性物質で汚染された土壌の除染を依頼された。
↑ 問題点は二つある。
ひとつは、吸着されても、「処を変えただけ」という1点。
もうひとつは、天然のものではなく「合成物質」である事。の、2点。
吸着した結果として「放射線を浴び続けた後」について、長期間の後に来る問題の研究は、まだ何も出来ていない。

おやさまの「水晶」の一言を、基本的には採用したいと言う事になる。


 また、東京都議からは、
下水処理施設から出た汚泥に残る放射性物質を処理出来ないか相談を受け、現在、研究を進めている。
0403基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:33:06.26ID:leafH98I
真之亮よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願

明治二十年十月二十六日
さあ/\いかなる処、どうせこうせは言わん。
時談々々、時談はすうきり要らん/\/\/\で。
心次第の道を知らんか。
どんな者でも、道に譬えて一つ事を聞き分け。
さあ/\一分一厘の理を、よう聞き分け。

最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。
神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。
今の楽しみ、先の細道。
今の細道、先の楽しみ。先の道を見て居るがよい。

どういう道や、よう聞き分け。

五人七人十人はどういう心、いかなる定め、十分定め。
成程という理であろう。よう聞き分け。
難学やで。
人間心要らん/\。
神一条でさい取り決まられん今の道や。

自由自在だん/\説き聞く/\。
内にもある、外にもある。

いかなる理と思うか。
どんな思やん幾重々々、一つの実を定め。
一人でも何人でも同じ事。

こうしたらよかろうか、何にも要らん/\で。
一人は一人の心定め、百人千人万人でも同じ事やで。
0404基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:36:12.13ID:leafH98I
>>402
結局は、ゴミの処理が、成果の結果の後始末が問題と言う事です。
本物の甘露。
おやさまからしか、与えられない、ものです。

初代真柱様は、「研究」について、お指図を伺っています。
親神さまが、「十月二十六日」「研究の吉祥の日」に仰せられたのは、「心しだいの道を知らんか」という、基本です。

それは、「最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。」という、言葉で、説明されていました。

「神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。」と、補足の説明もされておられます。
つまり、元一日の日から、神様は「一つの与え」をお渡し下さってある。
それは、守護の道具としての与え。

基本教理に言う、「甘露は既に降りている」という事は、
この、「与えを渡してある」という親の宣言に基づくものです。
0405基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:40:08.89ID:leafH98I
乳呑児に、乳を含ませて下さるおやさまです。
私たち赤子に、乳を含ませて下さるのは当然としまして、生まれた赤子に、最初から「与え」はお渡し下されてある。
それは、「道具」、陽気遊山の道具としての、特性であることは、こふき話にある、比ゆの通りです。
「ふぐは毒があるゆえに」、「切る神」となり、「カレイはその身薄いゆえに」、「風の神」なった。
そういう、個性が、心通りにきちんと、発揮されること。
その研究が、基本とならねばならない。
つまれ、甘露の研究とは、今与えて頂いてある、「与え」そのものに対する研究でなくばならないと言う事です。

基本は、おやさまが、すっきりいらんと言われている「時談」としてではなく、天災の教理を語り、
そして、おやさまが、論はいらんと言われている「論」ではなく、「掃除」として、山名系批判をして来ました。
それは、天理教団を「たちもの」とみなしてのものでした。
「たてもの」ではなく、「たちもの」。
門の内にたちし、たちものは、早く急いで取り払いせよと、おやさまは言われている。
もう、理の親・教団組織は、取り払って、あたらしく「たてもの」を普請しなければならない旬だと言う事です。

「たちもの」、門の内のたちものとは、山名系教理、愛町系、言うなら「教内異端」。

これは、おやさまの与えが、全ての人に平等に渡されていると言う、あたりまえの天理の基本を無視したものでした。
高潔な人格や、完成された人間にのみ「天の与え」があると言う、
妄説は、愛町の関根先生は「魂の徳」ある、特別な方だと言う、プロパガンダを撒き散らしました。
山名系の教義のといた理の親信仰と、同根の、「たちもの」。
その自覚のない、ふがいない天理教団は、もう掃除ですから、速く急いで説いて説きました。

時談では無い、道具の自覚。
天の与えの自覚。
それなくして、研究はありえないことだと、お指図は示しています。
0406基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 02:43:15.85ID:leafH98I
3号 77才老女 明治7戌年1月ヨリ 

このたびハもんのうちよりたちものを
はやくいそいでとりはらいせよ (3-1)

すきやかにそふぢしたてた事ならば
なハむねいそぎたのみいるそや (3-2)

しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ
神一ぢよで心いさむる (3-3)

だん/\とせかいの心いさむなら
これがにほんのをさまりとなる (3-4)

いまゝでハなによの事もハかりない
これからみゑるふしぎあいづが (3-5)

こんものにむりにこいとハゆうでなし
つきくるならばいつまでもよし (3-6)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「たちもの」とは、明治七年のおやさま77才の時に、取り払えとおおせられた、掃除の対象が、ひながたにある。
0407基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:40:22.48ID:leafH98I
それは、「しんの柱を入れたい」と言う「神意の発動」でした。
だん/\とをふくよせたるこのたちき
よふほくになるものハないぞや (3-49)

いかなきもをふくよせてハあるけれど
いがみかゞみハこれわかなハん (3-50)

せかいぢうむねのうちよりしんばしら
神のせきこみはやくみせたい (3-51)

せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ (3-52)

これからハ神がをもていあらわれて
山いかゝりてそふちするぞや (3-53)

いちれつに神がそうちをするならば
心いさんてよふきつくめや (3-54)

なにもかも神がひきうけするからハ
どんな事でもぢうよぢさを (3-55)

このたびハうちをふさめるしんばしら
はやくいれたい水をすまして (3-56)
0408基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:44:26.58ID:leafH98I
それは「真の柱」とは「甘露台」であり、「真柱」であると理解されていますが、
おやさまを親神として認めていない、「たちもの」の存在こそ、「この世のしん」が分からない、「教内異端」でした。

これまでハいかなはなしをといたとて
ひがきたらんでみへてないぞや (3-62)

これからわもふせへつうがきたるから
ゆへばそのまゝみへてくるぞや (3-63)

しかときけ三六二五のくれやいに
むねのそふぢを神がするぞや (3-64)

しやんせよなんぼすんだる水やとて
とろをいれたらにごる事なり (3-65)

にごり水はやくすまさん事にてわ
しんのはしらのいれよふがない (3-66)


濁りの水とは、「宗教家業」異端信仰であり、当時で言えば、有力者たちの信心のありさまで、
3625の数理によって、異端は、異端であると発現する、そして掃除となると言うひながたでした。
0409基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:47:19.79ID:leafH98I
旬の到来と言う事について、一つの誤解があるように思います。
旬とは、「旬のもの」と言う表現が示すように、
「陽気遊山」の旬の到来と言うのが、本来の「立教の旬」の意味となります。
年数が到来したと言う、時期の問題とだけ思案するのは、誤解と、言えるでしょう。

それは、心澄ましてみれば、見える世界なのですが、濁りの水にあっては、見えることの無い世界となります。

おやさまが、神がかりから立教したことは、「旬」の到来であり、それは、陽気遊山できる条件は満ちていると言う事。

けれど、陽気に暮らせる条件はいくら整っていても、人の心がそれを、陽気に活用するのではなく、
欲一条に、あるいは泥水混じりにしてしまえば、それは、陽気の要因が打ち消されてしまいます。
その、陽気に暮らせるための、天然資源を、寡占独占する高山の、
その欲のための横暴は、目に余るものがあると、おふでさき三号は厳しく指摘しています。

人のものかりたるならばりかいるで
はやくへんさいれゑをゆうなり (3-28)

資源は、人が、陽気に暮らすための「人のもの」です。
技術も学問も、みんな「人のもの」。
その人のものを、高山はわがままにして、独占専横している。
その一例は、寡占の水利権、電波の使用権、鉱山の採掘権などなど。
それは、谷底の人々を債務奴隷に陥れて、宗教思想と政治軍事の権力にて支配すると言う、この世の泥海を生んでいます。

債務奴隷からの開放は、全資源の人類への解放を伴うものでなければならない。
0410基本。
垢版 |
2018/12/15(土) 04:50:40.40ID:leafH98I
> 人のもの借りたるならばりがいるで はやくへんさいれいをいうなり 三号二八
このおやさまのお筆先は、「人がものを借りたなら、利息もいるし、
はやく返済して例を言うがよい。」(芹沢茂・おふでさき通訳)と、解釈されています。
さらに「(二八)に賃借のたとえをもって、お話下された真意は、・・貸物借物の教理を暗示している。」(芹沢茂・おふでさき通訳)と、
このような解釈まで生んで、借りたら、利がいるから、お供えをしなさいという横暴教理として信者に強要している宗教もあるようです。
これは、大きな間違いで、宗教の因縁と言うものの自覚の無い姿です。

人を債務奴隷とみなす、借りたものの恩を返せと言う、お供え信仰は、「異端」の姿。
門の内の「たちもの」として、きちんと、その心得違いがおふでさきにも、現実の姿にも、現れています。
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