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天理教ってどうなの? [転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
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2015/02/27(金) 15:41:42.35ID:eGRBmT9F
カルトなんか?
0183神も仏も名無しさん
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2018/07/25(水) 03:24:11.69ID:fxFq0nFj
おんあろりきゃそわか
0184神も仏も名無しさん
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2018/08/08(水) 18:02:23.89ID:YYo/HBgY
世界中の人間は、我が身思案に頼って、心の闇路にさまようている。
それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。

親神を天理王命とたたえて祈念し奉る。
紋型ないところから、人間世界を造り、永遠に変わることなく、万物に生命を授け、
その時と所とを与えられる元の神・実の神にています。

この世は、親神の身体であって、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵みに満ちている。
即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。
実に、この世は、理ぜめの世界であって、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。

しかも、親神は、どこまでも、一れつ子供を愛撫される親にています。
人間には、陽気ぐらしをさせたいという親神の思いが込められている。
これが、人間の元の因縁である。

善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。
およそ、いかなる種子も、まいてすぐ芽生えるものではない。
前生因縁は、先ず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねていくならば、
自分の因縁を悟ることが出来る。これが因縁の自覚である。

親神が、色々と因縁を見せられるのは、それによって人々の心を入れ替えさせ、
あるいは勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであって、
好ましからぬ因縁を見せられる場合でさえ、決して苦しめよう困らせようとの思召しからではない。

親神の胸に抱かれ、ひたむきに信仰に進む者は、我が身にふりかかるいかなる悩みや苦しみにも、溺れてしまうことなく、
むしろ素直に成って来る理を見つめて通るから、悩みや苦しみも、かえって喜びに転じてくる。
かくて、真にたんのうの心が治まれば、前生の因縁は納消される。

ひたすら、世の人の上に親神の守護を願いつつ、我が身を忘れて行ううちに、
親神に守られ、その胸に抱かれて、自身もいつしか心は成人して、明るく陽気に救われて行く。

      『天理教教典』より抜粋
0185神も仏も名無しさん
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2018/08/16(木) 20:53:48.46ID:dsFa1IMx
因縁自覚が1番難しい。できたら信仰生活も軌道に乗る、、、、癌家系とか、見て判る障害は解り安い(勿論、多大な苦痛を
克服?良い意味で諦める受け入れる等)
長引く事情も基本同じなんだが、回りがお願いづみさせながら軽い誘導(できれば訓練)無神論からの手グセ、引きこもり等脱出
0186神も仏も名無しさん
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2018/08/16(木) 21:18:16.71ID:dsFa1IMx
前世因縁自覚は家系因縁自覚より、もっと敷居が高い。後者は先祖の病歴や起こした資料言い伝えが残るが。前者は自分との対話。まあ経験値・訓練?の多さで自分の特性見極めるのと同じぽい。でも
千通りあるの判る。欠けてる部分が一点なのか?別席二回で急性かつ重大悩み解決で来なくなった事例三件。個々で違いすぎ
0187神も仏も名無しさん
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2018/08/16(木) 21:43:25.16ID:dsFa1IMx
間違った、多分、俺の言ってる、前世因縁は前生因縁と違うわ。特異な場合。良い意味なら、なんで内の家系でこんな凄い子が生まれたのか?逆なら犯罪者
、、、、前生因縁は184言ってるように、中年?位になると子供含め人生前半でやってきた誤った選択。バレてない完全犯罪なら罰的にもっと解り安い(来世に持ち込みはより怖い難儀らしいが)と癌家系や
夭折なら解り安い家系因縁も含むが、、、、
0188神も仏も名無しさん
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2018/08/17(金) 16:00:00.07ID:3mw7b3ug
教内在日チョンコネットワークなんとかせーや、ボケが。
0189神も仏も名無しさん
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2018/09/03(月) 20:53:50.62ID:2nX0dNNk
   ┬──┬──┬──┬───
    []__ []__ []__ []_____.||
   ○    ○    ○    ○     .||  ガタンゴトン〜
   | |_____________________||
   |「 ヒソヒソヒソ            ||  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∧__∧∧__∧  ∧___∧ ∧_∧|| < うわぁ〜天理教入ってる! 恥ずかしぃ〜!
  ( ´∀( ∀` Σ(´Д` )(´∀` ||  \________________
  ( つ .  ⊂ )O ̄ ̄|_⊂)( .   ||=
  ( ( ,-( (  ノ.-|__レ'─( ( _┏ ||
   し'し  し'し'   し' し   し'し'||...||
0191神も仏も名無しさん
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2018/09/06(木) 13:56:27.64ID:iMRpU15X
ラーメン食ったぞ
0192神も仏も名無しさん
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2018/09/07(金) 17:46:14.09ID:EuhVP5R9
彩華行きたい・・・・・・
0194神も仏も名無しさん
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2018/09/23(日) 06:07:26.92ID:2YWv1N3Y
 ////////, ''"    ヽミ川川
 |//////, '"       ',川川
 川/////, '",,,,,,,,,,,,,,,,    r''"',川||
 川f 川f´           ,ィ::ラ',川  うわっ……私の得票数、低すぎ…?
 川ヘ  |    弋て::>     ̄  ',リ
  川 ヘ.__           ヽ /7!  (長岡京市 Mさんの場合)
  川川 ヘ     _,. '-‐''"´y'  //
   川川リヘ , '´   __,,,/  / /
   川川川|/   '"´   , '´ /||
   川川川|           /川
0195神も仏も名無しさん
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2018/09/23(日) 14:59:16.73ID:bHdNaTcM
しかし天理教は見事に終わってるな、清々しいまでの廃れっぷりだわ・・・・・・
0196神も仏も名無しさん
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2018/09/25(火) 12:32:54.21ID:fM5UaKQq
920 名無しさん 2018/09/25(火) 10:21:17.54 ID:iqj50yZc
> 天理市に移住してきた男性70歳の話
>
> できるだけ買い物は地元でするのがいいんやないかと思って
> 地元にちょうど豆腐屋さんがあるわけなんですよね
> そこの豆腐屋さんに買いに行って
> 2,3回は売ってくれたんです
> せやけど何回か買いに行くうちに
> 「(あなたは)どちらさん?」という話になりまして
> <ナレーション
> 男性が素性を明かすと態度が一変>←★1ココ
> 「あんたらには売られへん」と言うて←★2ココ
> おからをなげられたんですわ
> 当たらなかったんですけどね
> えーここまでするんかと
> 「村の人らはあんたらのこと嫌がっている」←★3
> ってその時はっきりと言われたんですよ
> つらかったんですけどねものすごくね
https://youtu.be/h7VzoJSNL7w?t=3846

★1により、この男性には「素性を明かす」ような属性が存在していることが明確にわかる
★2により、その属性を知った豆腐やが「あんたら」と複数形で男性を攻撃したことがわかる
★3により、★2がさらに補強されたことがわかる

天理市移住者でその素性を「複数形で問われる」属性など
「天理教信者以外にはありえない」
ょってこの男性は天理教信者

すなわち天理市村八分問題とは
大量に移住してくる天理教信者VS天理教に町を乗っ取られることを恐れる地元住民の話だった
となる
0197神も仏も名無しさん
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2018/09/25(火) 12:35:24.31ID:fM5UaKQq
931 名無しさん 2018/09/25(火) 10:56:12.79 ID:iqj50yZc
235世帯になっているのは
住民基本台帳から
天理市乙木町と天理市岸田町の2つしかない
このうち町内に豆腐屋があるのは乙木町だけのため
宗教戦争をやっているのは天理市乙木町と確定
乙木町の神社は夜都伎神社

ということで、
この村八分騒動改め「天理市宗教戦争」は
夜都伎神社氏子VS天理教信者ということです
0198神も仏も名無しさん
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2018/09/28(金) 06:51:26.04ID:VI6tl46S
【地域】江戸時代に忽然と地図から姿を消した村。祟りを恐れ今も墓参りを続ける近隣住人たち。兵庫県篠山市
5ch


↑このスレを「芦屋」「朝鮮」で検索するな!
0199神も仏も名無しさん
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2018/10/05(金) 17:44:44.35ID:3HF+0Q27
数日前にスジャータいたな
0200神も仏も名無しさん
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2018/10/06(土) 14:45:45.19ID:a4jDkc9f
>>59
おてんばさんって君が代反対の左翼だったのか
0202神も仏も名無しさん
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2018/10/08(月) 13:13:49.31ID:C5z0nnwt
いきなり!カルト(朝鮮産)

「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764頁)日蓮上人

平成7年1月16日に、神戸で偽本尊(魔入り)を沢山ばら蒔いていたとある宗教。
その次の日、神戸を大震災が襲った。

とある宗教と宗教協定を結んだイタリア。
発効から約一ヶ月後、イタリアを大地震が襲った。
いやあ、効果覿面、現証バリバリ。
W杯も出場ならず・・・

あっ、偶然ですよね?
0203神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 13:14:13.46ID:C5z0nnwt
いきなり!カルト(朝鮮産)

「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764頁)日蓮上人

平成7年1月16日に、神戸で偽本尊(魔入り)を沢山ばら蒔いていたとある宗教。
その次の日、神戸を大震災が襲った。

とある宗教と宗教協定を結んだイタリア。
発効から約一ヶ月後、イタリアを大地震が襲った。
いやあ、効果覿面、現証バリバリ。
W杯も出場ならず・・・

あっ、偶然ですよね?
0204神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 13:14:26.04ID:C5z0nnwt
いきなり!カルト(朝鮮産)

「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764頁)日蓮上人

平成7年1月16日に、神戸で偽本尊(魔入り)を沢山ばら蒔いていたとある宗教。
その次の日、神戸を大震災が襲った。

とある宗教と宗教協定を結んだイタリア。
発効から約一ヶ月後、イタリアを大地震が襲った。
いやあ、効果覿面、現証バリバリ。
W杯も出場ならず・・・

あっ、偶然ですよね?
0207神も仏も名無しさん
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2018/10/19(金) 10:42:45.48ID:Z/zXDacE
θ
0208神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/21(日) 17:02:09.85ID:dSATwk90
四つ橋線車内放送で肥後橋金光教玉水教会降車案内流れなくなった
0209神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/22(月) 00:50:59.92ID:YnQluRRo
           (~)
       ,/゙ヽγ⌒ヽノ゙ヽ                  
       {i:i:i:i:i:i:i::i:i:i:i:i:i:i:} 
       / `  ・  . ・ i、        
      彡,   ミ(_, 人_)彡 ミ   
          ヽ、,       ノ 
       /      ̄ ̄    .ヽ
       ! イ  °    °  ト!
       |     ,,,,     |
        ヽ  _    .. _ /
         ヽ┘  ̄ ̄ └'
0211名無しかましてよかですか?
垢版 |
2018/10/22(月) 23:14:18.09ID:Bh0DUdou
総長がラブライバーやるには歳行き過ぎじゃろもー?

青森の三村知事ともども、年齢を考えたほうがよかじゃなかとね?
0212神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/23(火) 23:46:01.92ID:cAeMRI5v
エッタ多いからもうあかんやろ。
0214神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/27(土) 13:25:03.25ID:2qlaPxdo
10月28日創立100周年記念 第94回天理教青年会総会
11月25日教区青年会リーダー研修会
0217カミカゼじゃあのwww
垢版 |
2018/10/27(土) 21:38:01.50ID:bchIVUT/
保守速報、いよいよ大ピンチww
小坪しんや君、これ以上の悪あがきはもうやめたまえ。

「保守速報」「netgeek」などにDoS攻撃か サイト閲覧できない状態に

 10月25日ごろから、「保守速報」「ShareNewsJapan」「もえるあじあ」「アノニマスポスト」などのサイトにつながりにくい状態が続いています。
さらに27日17時時点で「netgeek」も閲覧できなくなっているのを確認。
原因は不明ですが、何者かによるDoS攻撃(またはDDoS攻撃)ではないかとみられています。(ねとらぼ)


じゃあのwwww
0219おてんば私立学院総長 ◆Sh04QfwaGE
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2018/10/30(火) 03:38:40.39ID:jvcri4oB
>>200
だって、君が代なんて時代遅れでダサイんだもん。それに眠たい旋律なうえに日本人には合わない。
ちなみに大山巌という薩摩藩士に言わせれば君が代の「君」とは単に新郎さんを意味するに過ぎなかったところを
長州のサルどもが天ちゃんを崇めさせる道具として用いさせたという経緯があるわけだから滑稽ですらあるわけで。

>>210
何か言ったか?

>>217
小坪、日本共産党の秘密党員であるという噂がある。
0220野良天 ◆3gxC3xwhfc
垢版 |
2018/11/01(木) 04:28:29.96ID:myvQPi1q
君が代っていいね、と俺は思う。
0222神も仏も名無しさん
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2018/11/04(日) 21:30:51.47ID:b4PBGqtG
MBSラジオアッパレやってまーすの番組中に霊友会のCM流れた(本部東京・聖地静岡)
http://reiyukai.jp/
石原慎太郎は霊友会信者であり、政界進出にあたり支持をとりつけて大量の組織票を獲得した。霊友会の定期刊行物「あした21」に寄稿するほか、イベントにも参加している。
元横綱花田勝治。長男を不慮の事故で亡くした後に入会している
https://www.mbs1179.com/yaru/sp/
0225神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 13:40:58.58ID:FPScQd6p
>>221
天理団臨
今月26日にJR難波発快速奈良行が天理まで延長運転。

今月〜来年2月までの毎月26日に阪神神戸三宮→大和西大寺の快速急行が天理まで延長運転(西大寺からは各停)
西大寺1005→天理着1022。
0226神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/11/13(火) 14:09:55.04ID:3xtShMtd
最近の詰所や大教会建て替え情報ある?
0227神も仏も名無しさん
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2018/11/13(火) 15:27:10.74ID:vRtMUT5J
【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】

オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。

創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。

創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。 j

創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。

池田大作先生を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです t,

備考 その他の入ってはいけないランキングです
アレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華

創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ)
0228おてんば私立学院総長 ◆Sh04QfwaGE
垢版 |
2018/11/19(月) 07:24:12.35ID:EumyTOxi
・・・それにしても、「こかん」様って早くに出直したところを見ると、大した徳が無かったことになるようだね?
天理教的には。

いくら教団論理でもって、これを例外とするにしても、相当な無理があるわけだから惨めなものだ。
0234神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/03(月) 18:35:26.26ID:gO5LOQyt
一般信者の家庭でも子供たちが信仰していないので親の代で終わり
親が死んだら子供は教会から離れるので信者が減るばかり・・・・・
0235神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/03(月) 20:16:05.84ID:9J9bPddo
\  \\       ____    // / /
<         _-=≡:: ;;   ヾ\         >
<       /   活 字    ヾ:::\        >
<       |            |::::::|       >
<      ミ|-=≡、 ミ≡==- 、 |;;;;;/       >
< 名誉   || <・>| ̄| <・> |── /\      >
<       |ヽ_/  \_/    > / 会長  >
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朝鮮部落
ttp://56285.blog.jp/archives/51449049.html?p=2
たった一言「盗作学会」で検索すれば・・・

さぁあなたも、革命人間の世界へ!!!

号外秘密便
「本日永遠の師匠の死刑が執行されました。
埋葬場所は足りています。」

創○班って警察にテロリスト認定されてんの?w

カルト激減。佐々岡典雅って誰だ?
0236神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/04(火) 19:58:16.10ID:Ir5XDZ4K
だから立地的に有利な教会だけでも、なんらかの事業をやって収入を得るべきという提案がなされているわけ。
お供えに頼っていてはもうやっていけない。
(詰所は外国人観光客向け、山手線の駅近くの教会は会員制の、それぞれ安価な宿泊施設にしたらどうか?という提案)
0238神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 19:13:12.31ID:qHRv5UVO
>保育園や老人ホーム経営してる教会はあるね

宗教専業でやろうなんてあほくさい考えせんのは称賛に値するわ。
福祉施設でも安宿でも立地条件にあった事業を各教会は考えるべきやね。
身動き取れんようになってからでは遅いんやで。
0239神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 19:56:25.95ID:fj2bqdGG
明日は平成最後の12月7日
0240神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 20:00:27.05ID:2f8w8Iin
今日は平成最後の12月6日
0241神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 01:17:32.22ID:400UmcIl
\  \\       ____    // / /
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<       /   活 字    ヾ:::\        >
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< 名誉   || <・>| ̄| <・> |── /\      >
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朝鮮部落
ttp://56285.blog.jp/archives/51449049.html?p=2
たった一言「盗作学会」で検索すれば・・・

さぁあなたも、革命人間の世界へ!!!

号外秘密便
「本日永遠の師匠の死刑が執行されました。
埋葬場所は足りています。」

創○班って警察にテロリスト認定されてんの?w

カルト激減。佐々岡典雅って誰だ?
0242神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 12:46:25.24ID:eh++unZQ
しかし天理教は見事に終わってるな、清々しいまでの廃れっぷりだわ・・・・・・
0243基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:39:06.31ID:W/QjebaE
山名系教理の発祥は、静岡県袋井、「行った処が袋井や」の逸話があります。
ここに、きちんとした教理研究スレを立てます。

テーマは、神の本質です。それは、ある意味「甘露」の問題です。

おやさまは、「あると言えばある、無いと言えば無い。あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」との意、語ったと伝えられている。
つまり、「利益」「りやく」が神なのである。
これを、「天理教団」では、「天理教はご利益信仰ではない」と、全く逆を信者に教えている。
山名系教理・教学の神不在の自白ともいうべき「天理教団」の態度、ごりやく信心の否定こそ、大きな理の間違いです。

ご利益を否定するということは、つまり「神の存在の否定」そのものになる事、天理の基本に照らせば明らかです。


天理教信者に対して「天理教団」が手続きして、神がお渡しくださるおさづけ、まさに「ご利益」のためのものであり、別席制度そのものが、ご利益信心の道そのもの。

ご利益信心こそ、「王道」であること。それは、おやさまが語った「見えてくる利益が神の姿や」「見えてくる利益がが神や」そのものである。

「甘露」とは、ご利益のご利益たるもの。
それが神からのさづけものだから、「甘露台」をご神体として、拝している事を、深く研究しよう。
0244基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:42:26.08ID:W/QjebaE
神様が、甘露台を立てるのは「にほん」のはじめです。
そして、それは、「たかやまのとふじん」(強欲尽くしている者)には、神の立腹です。
だが、「にほん」の者には、ご利益です。

そういう意味において、おやさまの教えは、人間完成の道ではなく、たにそこせり上げの道。
それは、ご利益によって、谷底の者を、幸福にする道ということで、甘露を受ける台にて、その幸福を谷底が、与えて頂くことになる。

これがおやさまの教えです。
原典、おふでさき二号がきちんと知らしているのです。
0245基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:47:19.44ID:W/QjebaE
【批判殺到】河野外相が記者の質問を連続無視!
質問中に頭をかいたり、水を飲んで放置 北方領土問題で

12月11日の会見で河野外相が記者からの質問を相次いで無視したとして批判を浴びています。

問題視されているのは北方領土問題に関する記者の質問を全て無視している場面で、
河野外相は頭をかいたり、水を飲んだりして記者の質問に答えませんでした。
記者が質問したのは、先日にロシアのラブロフ外相が「北方領土はロシアの領土となったことを日本が認めない以上、
交渉は進められない」などと強い発言をした件です。
記者会見の最後まで日本としての姿勢や意見は無く、都合の悪い話には「ノーコメント」という返答すらありませんでした。

この様子に中継を見ていた人たちからは「あまりにも不誠実」「無視のやり方が幼稚」「大臣の責務を放棄している」などと批判の声が殺到。
各種メディアも取り上げたことで大炎上しています。
ただ、批判を受けた後も河野外相は具体的なコメントを発表しておらず、ロシア側の言い分を日本政府が黙認しているような状態になっているところです。

北方領土問題でロシア側が日本をけん制する発言をしていることについて、河野外務大臣は、11日の記者会見で見解を問われましたが、
記者の質問を繰り返し無視する一幕がありました。
河野大臣には、交渉に向けた環境を整えるねらいがあるとみられますが、
質問そのものに応じない姿勢には批判が出ることも予想されます。
0246基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 20:52:01.68ID:W/QjebaE
「八つのほこり」

 表記について、詳細以下の通り(天理教HPより転載)

「をしい」 心の働き、身の働きを惜しみ、税金や納めるべき物を出し惜しむ。また、
        世のため、人のための相応の務めを欠き、あるいは、借りた物を返すのを
        惜しんだり、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。

「ほしい」 努力を怠り、十分な働きもしないで金銭を欲しがり、分不相応に良い物を
        着たい、食べたい、また、何によらず、あるがうえにも欲しいという心。

「にくい」 人の助言や忠告をかえって悪く取って、その人を憎む。また、嫁姑など
        身内同士の憎み合い。さらには、人の陰口を言ってそしり、笑い、あるいは
        罪を憎まず人を憎むという心。

「かわい」 自分さえ良ければ人はどうでもよい。わが子への愛に引かされて食べ物、
        着物の好き嫌いを言わせ、仕込むべきことも仕込まず、間違ったことも
        注意しないで、気ままにさせておくという心。また、自分のために人を
        悪く言うのもほこり。



「うらみ」 体面を傷つけた、望みを妨げた、どう言ったと自分の不徳を思わず、人を
        恨み、根に持つような心。

「はらだち」 人が悪いことを言った、意に反することをしたと腹を立てる。理を立てず、
        我を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないで腹を立てるような心。

「よく」 人より多く身につけたい、取れるだけ取りたいという心。数量をごまかし、
        人を欺して利をかすめ、あるいは盗み、取り込むなど、何によらず人の物を
        ただわが身につけるのは強欲。また、色情に溺れるのは色欲。

「こうまん」 力もないのに自惚れ、威張り、富や地位をかさに着て人を見下し、踏みつけに
        する。また、頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、人の欠点を探す、あるいは
        知らないことを知ったふりをするような心。
0247基本。
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2018/12/12(水) 20:56:07.58ID:W/QjebaE
 教会長とか、一般信者の中に一人いるかいないかの「少しお利口さん」な人が漏れに対して
 天理教の教えを説く時に必ず口走るものであるが、自分達が上記の「八つのほこり」を身に
 まとって、二足歩行しているということに、何故、気付かないんだろうか?

根と言うものは地中にあります。
根を掘ると言うのは、埋もれている暗い地中の話題です。
つまり、隠してあったり、隠れていたりもあるでしょう。
根を掘る模様。
そこに基本の位置はあります。

> 「陽気な心」や「前向きな心」
それが、根のあるものであるためには、地場と言う理、おやさまの神名。二つ目標。
そういう、教えの根源を知らねばなりません。
0248基本。
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2018/12/12(水) 21:06:28.86ID:W/QjebaE
荒木棟梁というお言葉は、山本利三郎さんの入信時に、おやさまが仰せになりました。

国の掛け橋 逸話篇33
河内国柏原村の山本利三郎は、明治三年秋二十一才の時、村相撲を取って胸を打ち、三年間病の床に臥していた。
医者にも見せ、あちらこちらで拝んでももらったが、少しもよくならない。それどころか、命旦夕に迫って来た。
明治六年夏のことである。
その時、同じ柏原村の「トウ」という木挽屋へ、大和の布留から働きに来ていた熊さんという木挽きが、にをいをかけてくれた。
それで、父の利八が代参で、早速おぢばへ帰ると、教祖から、
 「この屋敷は、人間はじめ出した屋敷やで。生まれ故郷や。どんな病でも救からんことはない。
早速に息子を連れておいで。おまえの来るのを、今日か明日かと待っていたのやで。」
と、結構なお言葉を頂いた。
もどって来て、これを伝えると、利三郎は、「大和の神様へお詣りしたい。」と言い出した。
家族の者は、「とても、大和へ着くまで持たぬだろう。」と止めたが、利三郎は、「それでもよいから、その神様の側へ行きたい。」と、せがんだ。
あまりの切望に、戸板を用意して、夜になってから、ひそかに門を出た。
けれども、途中、竜田川の大橋まで来た時、利三郎の息が絶えてしまったので、一旦は引き返した。
しかし、家に着くと、不思議と息を吹き返して、「死んでもよいから。」と言うので、水盃の上、夜遅く、提灯をつけて、又戸板をかついで大和へと向かった。
その夜は、暗い夜だった。
 一行は、翌日の夕方遅く、ようやくおぢばへ着いた。
既にお屋敷の門も閉まっていたので、付近の家で泊めてもらい、翌朝、死に瀕している利三郎を、教祖の御前へ運んだ。
すると、教祖は、
 「案じる事はない。この屋敷に生涯伏せ込むなら、必ず救かるのや。」
と、仰せ下され、つづいて、
 「国の掛け橋、丸太橋、橋がなければ渡られん。差し上げるか、差し上げんか。荒木棟梁 々々々々」
と、お言葉を下された。
0249基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:10:08.43ID:W/QjebaE
> 「あると言えばある、無いと言えば無い。あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」
「願うという事、願うまことという事」それが、おやさまの教えられた究極の一点である。

一方、おやさまは、神が人に与えたいというものについて、多くを語られている。

人間への神からのさづけものについて語られている話題の、中心であり、その、最も基本的なものが「甘露」である。

「あしきを払うてたすけ急き込む、いちれつすます甘露台」が、先に教えられたおつとめの中の一説であり、
それは「後に、一列すまして甘露台」と、変更されているとされる。

おつとめの手振りで、頂きますというスタイルで手を出しているのは、「天理王命」と唱えてであるが、頂くものの、最核心のものは、甘露。
だから、甘露台を囲んで勤めるのであり、そして、神から渡したいものがあるということと、
人間の願うまことで頂く利益と、その二つがおやさまの教えられた神、そのものである。
0250基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:13:45.27ID:W/QjebaE
静岡の袋井にて発祥した山名系の天理教思想は、甘露台世界というものは、
おつとめが完成して後のもので、甘露は、それから降るのだという。
つまり、人間完成の道の後に、神は寒露を与えるという。

これは、宗教学者が哲学的を模倣してこしらえたでっち上げであり、仮に、人間が完成したら褒美として神が授けるというものならば、
おやさまの言われた、「あると信じて願うまことに見えてくる利益が神のすがた」という教えは、意味の無いものとなる。
願う人間の中には、汚れた心の人間も居るだろうし未完成に決まっている。

その未完成の人間の願いに対して、姿を現してこそ真実の神である。
おやさまは、そこをきちんと語られているのだ。

>しやハせを よきようにとてじうぶんに 身についてくる これをたのしめ 二号42

このお筆先は、二号の39から47までのつながりの中に語られています。
話題は゛甘露台」の話題です。

めつらしいこのよはじめのかんろたいこれがにほんのおさまりとむなる 二号39

甘露台そのものが、人に対して、幸わせ、よき事、
十分なことを与えるものであるということは、この一連のおうたで、理解できます。
0251基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:18:15.83ID:W/QjebaE
日本が先進国がら転落するのは、少子化が原因ではなくて、少子化にならざるを得ない格差社会化だから。
正社員から非正規労働にシフトさせ賃金を減らし続けているのだから、国民が「消費」できなくなって(当然、
結婚もできなくなって)国の経済力が落ちるのは当然の流れ。

竹中平蔵が音頭を取った「新自由主義・構造改革」が原因なのは明白で、
構造改革の本音は、日本の一般国民の生活レベルを、都市部以外の中国や東南アジア、南アジア諸国と同程度にまで「落とす事」が狙い。
そのため、日本国内に落ちるべきカネが「外国への投資」という形で、どんどん海外に流れていった結果、日本が貧しくなっていっただけの話。、
日本の国民が貧しくなって中国や東南アジア諸国と同程度の経済力になってしまえば(日本から見れば中国や東南アジアが発展して豊かになったと見える)、
なし崩し的に、アジア全体がヒト、モノ、カネが完全な自由な経済圏が出来上がる事になる。
そうなれば、日本の規制なども有名無実になり、グローバリストは好き勝手ができるようになる。

単に、少子・高齢社会だけなら、高齢者を積極活用する社会に作り替えればよいだけで、そんなに難しい事ではない。
医療、介護、子育て、農業。社会インフラの維持など「外国人労働者を入れたくて、入れたくてウズウズしている分野」などは格好の高齢者の活用場だ。
高齢者を活用したくないから、人手不足だと大騒ぎしているだけ。

経団連も、高齢者の活用には見向きもせず、外国人労働者を入れろの一点張り、
ネットでも誰の支持なのか、高齢者叩きが活発で、「世代間の分断」が意図的に図られている。
今の若者が貧しいのは、高齢者が悪いのではなくて、自分の兄世代が「竹中平蔵の構造改革路線」を支持した結果、という事を意識すべき。
これで「外国人労働者を入れたら、本当に後戻りできなくなってしまう」よ。
0252基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:26:53.77ID:W/QjebaE
めつらしいこのよはじめのかんろたい これがにほんのおさまりとむなる 二号39
高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか  二号40
たんたんといかなはなしもといてある たしかな事がみえてあるから 二号41
しやハせをよきようにとてじうぶんに 身についてくるこれをたのしめ 二号42
なにもかもごふよくつくしそのゆへハ 神のりいふくみへてくるぞや 二号43
たんたんと十五日よりみえかける 善とあくとハみなあらハれる  二号44
このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ 二号45
高山のにほんのものととふぢんと わけるもよふもこれもはしらや 二号46
とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで 二号47

さて、これの一連のお筆先の意味している神意とは、何なのでしょうか、?
幸福を与えるという意味なのですか。
疑問です。

神様が、甘露台を立てるのは「にほん」のはじめです。
そして、それは、「たかやまのとふじん」(強欲尽くしている者)には、神の立腹です。
だが、「にほん」の者には、ご利益です。

そういう意味において、おやさまの教えは、人間完成の道ではなく、たにそこせり上げの道。
それは、ご利益によって、谷底の者を、幸福にする道ということで、甘露を受ける台にて、その幸福を谷底が、与えて頂くことになる。

これがおやさまの教えです。
原典、お筆先二号がきちんと知らしているのです。
0253基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:31:36.70ID:W/QjebaE
病気を神に願って助けてもらうというのは、普通の信心ですが、神に助けてもらうからと、薬を川に流して捨てさせてしまう。
それは、カルト。
医者にも診てもらいながら、神に祈るというのなら、普通の宗教です。

つまり、「甘露台」という台を立てて、甘露を受け取るようにと、それを具体的に実行すると、カルトのなすわざになるわけですね。

そうそう、昭和の戦前の天理教は、神に助けてもらうと、「助けて」と文字を書いていました。
ある時期から、山名系教理の展開された時期ですが、「救け」と、文字に書くようになりました。
これも、カルトですが、おやさまの示されたのは「助け」であり「救け」ではないと、基本的にはそうりかいされます。
神殿に穴あきの建物を建てたり、薬を川に捨てさせたりというカルトは、おやさま的ですが、神様のたすけについて、「救け」と文字をふるようなカルトは、どうでしょうか。

「世界一列をたすけたい」と言う神意は、普通の神信心ですが、そのためには、家屋敷もろとも、みきの身体を貰い受けるという、具体的行為を着手すると、カルトになります。

現在説かれている、「人間が完成したときに甘露がふる」と言うのは、教えとしても史実としても、嘘だということになっています。
「人間が完成したときに甘露が降る」というのは、カルトでは有りませんが、人間の完成の前から、建物に穴を開けて用意している姿は、カルトそのものです。

「神が与えたい」と、それを信じるから、「下さい」と手を出す。
甘露台というのは、あたえを頂く台ですから、神が与えてくれると信じていないとして、台を作りましょうと言うのでは、詐欺のようなものです。

>>1
> おやさまは、「あると言えばある、無いと言えば無い。
あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」との意、
語ったと伝えられている。
そこで、あると信じたときに、ご利益があること。
それは、天からの与えがあるということですから、神はあるということ。

神の実体そのものは、「ご利益」なのだ。
これが、甘露台信仰の本質ということに、なります。
0254基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:52:41.63ID:W/QjebaE
そうなのです。
泥鰌が人間の種になると言う発想が、おやさまの「甘露」と言う教えの発想なのです。

甘露については、以下のような資料があります。
天理教祖中山みきの口伝等紹介。

 『今度屋敷へ生れる時は、名を玉姫と云い、乳や乳母で育てるのではない。甘露で育てる』と仰せになり、
又『十八歳迄は人並に成人するが、十八歳から先は、なんぼ年をとっても、いつも十八の姿や』と仰せになった。
 それから御帰幽になった時『満三十年経ったら産れて来る』との御言葉があった。
 明治十四年三月、兄秀司殿の御死去の際には、『小寒は先へ死んだが、今度の世ではやっぱり妹として生れさす』との御言葉であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「乳や乳母で育てるのではない。甘露で育てる」
この直接的な啓示。甘露と言うものは、そういう具体的なものだということになります。
0255基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 21:59:00.56ID:W/QjebaE
>「十八歳迄は人並に成人するが、十八歳から先は、なんぼ年をとっても、いつも十八の姿や」
これは、甘露で育てるわけですから、当然の事です。。

増野鼓雪先生が、厳密な理としての表現よりも、
文学的な表現であると言うことに留意しても、
十八の姿でずっといられると言うのが、理としての甘露の持つ意味をきちんと示しています。

「乳や乳母で育てるのではない」という言葉ですが、これは、「生母の乳」や「乳母の乳」で育てるのではないと、理解されます。
「いわゆる母乳」で育てるのではないと言う事です。

当然のことで、十八になっても十八の姿のままであるとするならば、
その女性は授乳と言う行為そのものとどういう関係になるのか。
そこで、「甘露」という言葉の意味が、良く見えてきます。
実に、甘い、露の事です。

神の与えと言うものは、人間の都合に合致した「甘い露」である。
それが基本です。
「十八の姿でおいてやるかわりに、こういう労苦を背負いなさい」では、十八の精神でいられないし、労苦と言うものが、老いを生みます。

つまり、おやさまの教えはもともと、人間に「甘い露」を与えたいと言う前提で、「たすけたい」である。
それが、深く実感されないと、甘露の神意は見えてこないと言うことになります。
0256基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:39:06.85ID:W/QjebaE
【よう苦労して来た】逸話篇114

 泉田籐吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。
その時、頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしもの・かりものの理であった。
それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、
大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形もない。
 余りの素直さに、薄気味悪くなって、一物も取らずに行き過ぎてしもうたのであった。
そこで、泉田は、又、着物を着て、おぢばへ到着し、教祖にお目通りすると、教祖は、

「よう苦労して来た。内々折り合うたから、あしきはらひのさづけを渡す。受け取れ。」
と、仰せになって、結構なさづけの理をお渡し下された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追いはぎですから、
> 「心根の腐った出来が悪い人」
> 「畜生以下の人間」
と、みなされても仕方が無いと思うのですが、おやさまは違う。

「うちうち折り合った」との理をお諭しになっている。

つまり、一列兄弟という当たり前の世界においては、そういう人に対して、礼節を尽くしてものを与えるという事を望まれている。
0257基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:43:44.83ID:W/QjebaE
「ほしい人に貰ってもらえばなお結構」という、逸話も有ります。
普通のものの考え方と、ちょっと違うのは、「ほしい人」と言われたのは、この場合、追いはぎではなく、泥棒さんでした。

そしたら、欲しい人というものにみんなあげてしまうことが、おやさまのお望みという事になります。

そこで、立場を変えてみれば、欲しくても手に入らないものがある事に気がつきます。
つまり、あげたくてもあげれないものがあるとわかります。

たとえばそれは、おたすけの名人泉田先生の効能ある「おさづけの理」。
それは、欲しくても貰えるものではない。
そういうものがあります。
「命」、命を貰って延命すると望んでも、それは貰えません。
「健康」、その人の健康を自分に欲しいと願っても、手に入れられません。
「若さ」、「美しさ」、「才能」、・・
欲しいから、欲しい人が何でも貰ってよいとしても、貰うに貰えないものがあるということです。

おたすけにんなら、人さん助けさせていただく理。
欲しいと望んでも、盗むことも出来ない。

天よりの与えとは、実は、人に分けてあげたくても、どうぞと差し上げるわけにいかない。
この、本質的な違いです。
0258基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:47:23.24ID:W/QjebaE
良いのか、悪いのか、判りませんが・・(笑)
お筆先三号には、このような理が知らされてあります。
 このよふは にぎわしくらしいるけれど
 もとを知りたるものハないので     三号92

普通の天理教徒さんが言われていますところの、
> 金で買えるものとかは、与えてしまえるもの。
それは、賑わしい暮らしそのものの、アイテムと見てよいでしょう。
衣服も家も、自動車も、幸福な生活のアイテムは、おいはぎや、泥棒から見たら、手に入れたいもの。
自分が幸福になるためには、賑わしさ、つまり繁栄こそ必要なわけで、
「物質文明」と呼ばれるその物質は、実は、欲しい人には貰ってもらえるもの。差し上げられるものなのです。

でも、
 このよふは にぎわしくらしいるけれど
 もとを知りたるものハないので     三号92
と、教えられた、理の世界がそこにあると言うこと、それが、「甘露」について知るためには、一番に大切なことでしょう。
 「元を知り足るものは無い」ので、・・立教も、甘露もすべては、それが原因なのです。

 このよふは にぎわしくらしいるけれど
 もとを知りたるものハないので     三号92

 このもとをくハしくきいたことならば
 やまいのおこる事は ないのに     三号93

甘露が、寿命薬とか、食事なしで済むとか、色々に言われます。
病まない、死なない、弱らない。そのシンボルが、「甘露」です。

賑わしい暮らしをしていても、病は起きる。
この元を知ったら、病は、起きない。

こういう風に、読めてしまう、お筆先でした。
0259基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:51:06.75ID:W/QjebaE
おやさまご存命の時代に、おやさまの所にたすけを求めて大勢の人が来ています。
それは、ご利益を求めてでありました。

山名系教理で説くところの「人間完成の道」を求めてのものではなかった。
人間が、成人したら、人間が完成したら、たすけてやろうと言うおやさまではありませんでした。

おやさまは、「ほこりを払うよう」にと、言われています。
 
 この元を詳しく知りた事ならば 病の起こる事は無いのに 三号94
何もかも知らずに暮らすこの子供 神の目にはいぢらしき事 三号95

神の目には、いじらしいのであって、「この未熟者め」ではないということ、「甘露」という教理の大前提になっていて、
それが判らぬと、神様がわからないという事になってしまうことでしょう。
元を知ったらと言う、その元とは、おやさま・天理王命さまの元の事。
その場合には、元の理を知るという言葉にて、私たちは語りがちですが、
親の心を「神の利益」として知る事が、神様を見るということになるのですから、知識として元を知るのではなく、
「ご守護・不思議」として神を知ることが、「願う心のまことに見えてくる利益としての神信心」になることなのです。
0260基本。
垢版 |
2018/12/12(水) 22:54:28.60ID:W/QjebaE
それがおやさまのお心だから、おいはぎさんにも、泥棒さんにも、貰ってもらえばなお結構と、教えられています。
そうですよね。。

この元の基本は、一列兄弟の「をや」がいる。です。
そして、おやは「ご利益」を下さる。

これが神様なのです。
おやから、頂くと言う事に熱心である方が、お筆先の教えにそっていると、それが人間であると言う基本です。

>おやさまの示されたのは「助け」であり「救け」ではないと、基本的にはそうりかいされます。
どちらでそう理解されているのかお教えいただきたい
具体的な著作物等、参照

お筆先の三号に、
「この話、悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」とあります。

この話というのは、おやさまの教えのことですが、直接的には、前のお筆先に知らされてあります。

「柱さい しいかりいれた事ならば この世確かにおさまりがつく」 三号13
「この話 悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」  三号14

つまり、「この世を治めるこの話とは、悟りばかりの話であるという事ですから、悟るのは「人間」です。
人間が悟り、証拠ためしをする。 
それに対して「たすける」のが神であるという事は、「この世を治める・たすけ」とは、人間が悟って行うことに対してという範囲で理解するなら、
「助力」と言うことですから、「助け」です。
「救済」という「救け」というのは、人間が成し遂げるべきことであり、それに対しての「神の助け」です。

親神様のこの世の救済は、神様の仕事ですから、神様自身の問題。
それはなにも、親神様が親神様に、話しをする必要も無いものです。

親神様が人間に「この話」をするのは、人間に対してのお話ですから、容器暮らしをする人間への、神からの助け、という事になります。
0261基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:07:08.30ID:4cjCf34b
「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17
たすけるのは親神様です。。
それだけを見つめますと「救済」と言う意味に感じ取れます。
「救済」→「救け済み」。つまり、済んでしまったとか、済ませてしまうという意味を含んでいます。

「泥海の中より守護を教えかけ それがだんだん盛んにるぞや」  三号16
「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17

親神様が人間にたすけ一条を教えると言う行為は、「救済」でしょうか。
元にさかのぼって、親神様が泥海の中から教えかけたのは、「だんだん盛んになった」というのは、「救済」でしょうか。

元始まりにて、教えかけたのは「助け」であり、「救済」ではない。
これは、理解できると思います。
「神の助力で」「だんだん盛んになった人間」と言う意味です。

すると、
「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17
と、「も」「も」と、なっていて、
「このたびは たすけ一条教えるガ」ではない。
「これハ 無い事はじめかけるで」ではない。

泥海からの元始まりと、天理教の立教の元始まりも、
同じ「元の理」ですから、

つまり、「救済」という意味での「救け」ではなく、「助け」と、私は理解する。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0262基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:17:25.86ID:4cjCf34b
りやく=神、でなく、りやく=神の存在を納得させるもの、神の一面
という理解でよろしいでしょうか

おやさまは、「神は理である」と教えられています。
これは、教理の基本です。

そして、おやさまは「りやく」と語られているわけです。
聞いた、神官守屋は「利益」と聞いた。
そして、高弟たちは「利益」と伝承した。

おやさまは「ごりやく」と語られていないから、「りやく」という言葉だったとして伝承されています。
「ごりやく」ならば、「ご利益」と感じをあてられます。

「理は神である」
そしたら「りやく」が神の姿というのですから、「理やく」と文字をあてた方が、理が通ります。
0263基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:20:37.48ID:4cjCf34b
元の理には、「上から突くにより、つき様」とか、こう言うおやさまの語呂の用い方が、なされています。

すると、「ごりやく」ではなく、「りやく」なのですから、
「理・やく」、「理役」と、このように、漢字を当てる事も出来ます。

それは、親神様はお一人であるのに、十の柱に、「道具の役」として、分けて教えられた「こふき話」にならえば、
「神様のご守護の理・神様の役」が、「理役」、つまり「りやくだと、そういう基本に到達します。

すると、
> りやく=神、でなく、りやく=神の存在を納得させるもの、神の一面
と、言う理解も、それに当てはまりますが、
このりやくは、何の神様の何のご守護と、そういう「理」の役割、機能を見ることで、神が見えるのだと、そういう意味に、なります。

曖昧な物ではなく、十全の守護の理の何々と、理を役割として分けて、「りやく」が見える。
そしたら、「神様」の姿として、納得できるわけです。

「ご利益」とは「神の理の益」とは、「何々の守護の理の益」と、わかることで、髪の姿が見えるという事に、基本的には理解します。
0264基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:23:27.49ID:4cjCf34b
原典に参照しますと、お筆先二号に、「よろづたすけの模様」について、
きちんと親神様は、理を知らされています。

「世界中 どこが悪しきや 痛みしょ 神の道教せ 手引き知らすに」 二号22

「この世に 病と言うて 無いほどに 身の内障り 皆思案せよ」   二号23

病魔というのは、神からの「みちおせ」「てびき」「しらす」に。
それを、
あると信じて、願うまことに、見えてくる「りやく」が神のすがた。
こういう、基本を示しているお筆先です。

直近の実例ですが、ある方が末期のがんの方に、病の理をおさとしした。
それで、持ち返した。
それから、熱心に信心をしていたら、再度悪くなった。
そこで、質問させて頂いたのは、
「おやさまは「ひとことまでで皆たすけるで」と、教えられています。
最初の、「身の障り」について、何をお諭ししたのですか」
「○○の理の病であったので、○○すると心定めでした。」
「それから跡に、信仰的によさそうな事、させたでしょう」
「そうでした」
「それは、だめです。おやさまは、一言までて皆たすけるでと、教えです。」
「そうでした」
「最初の、身の知らせ、一言、ひとつの事だけです。」
・・・
神様の殻の、身の知らせ、たった一つの事だけで、その理でお助けする。
そしたら、神の理が、助ける側も助かる側も、きちんと分かる。

ごちゃごちゃと、よさそうなことを色々させると、肝心の神の「理」の役割が燃えなくなります。
0265基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:28:25.41ID:4cjCf34b
> 昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。
元の理は、かみの「りやく」=姿を知るための基本ですが、
それが、教団教義では歪んで解かれています。
その事は、関連スレとして、2ちゃんに述べてありますが、関連を、一部引用します。
深谷忠政著「教理研究」元の理 その批判。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100

> そのはしがきには、このように記されている。
頁1、「天理教教典が出た時、"第三章元の理が無ければ、
未信者にそのまま読んで貰っても、まとまっていて大変匂いがけに都合が良いのですが、
あれがある為に、一般の人にそのまま教典をお渡しするわけにいかなくなる"という声を何度か聞いたことがあった。」
「現在でも同様の思いをしておられる方が多いのではないかと思う。」
「元の理は新しい別席のお話台本にも出てくるし、これを表に出す以上、
何等か解明の手がかりがあたえられなければならぬと考えたものの、それは極めて困難なことであることを自覚せぬわけではない。」
・・・・・・・・・・・・・・
教団インテリは、病と理との基本を諭さないで、「つとめの人衆」の魂の因縁論を語ることで、ごまかしたということですが、
第三章元の理が、布教の基本、よろづ助けの模様であるのです。

元の理。
それは、甘露は、絶えずに降りているという、おやさまのお優しさへの、安心です。
0266基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:32:13.89ID:4cjCf34b
やまと言葉と言うものは、もともとは「やまとの国」の言葉。
つまり、関西弁です。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大和言葉(やまとことば)あるいは和語(わご)は日本語の語種(単語の出自)の一つであり、漢語・外来語に対して元々日本で使われてきた固有語のことである。
「やまとことば」は「倭詞」や「和詞」と表記することもあり、「やまとことのは」ともいう。漢字の訓読みは漢字の意味に対応する大和言葉である。

お筆先は「和歌」です。「和語」(やまとことば)で書かれています。

「甘露」についての教理の誤解というものについては、「信仰の信仰に応じて見えてくる」と言う事と、
「神様からの与え」というものの、相違点について、誤解があるということです。
0267基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:36:43.44ID:4cjCf34b
其の頃御教祖は、信仰の進んだ者には、扇の伺いと云うのを御許しになって居りました。
扇の伺いとはどういうのであるかと申しますると、教祖から頂いた扇をもって伺うたら、神様の御心が分ったのであります。
御神楽歌に
「こゝ迄信心してからは一つのこうを見にゃならぬ、十ど此の度見えました扇の伺い是不思議」とあるは この扇の伺いの事であります。
聞く所に依りますと扇の伺いを貰われた或方が、天気の好い日に足駄(※2)をはいて、雨傘を持ってお地場へ来られる。すると近村の人々が大変笑ったが、
帰られる時には丁度雨が降って来て、雨傘と足駄が間に合うようになる。それを見て近村の人は不思議がったと云う話が、今でも残って居るのであります。
 此の点から考えますると、信仰とは病気を助けて貰うとか、安心を得るとか云うのが最終の目的ではなく、神意の悟得(※3)が其の目的でなければならん様になって来ます。
即ち安心や病気の助かるのは、此の神意の悟得が出来たら、なんでもなく出来る筈であります。此の点に於て、本教の信仰の目的は明らかなものだと云えるのであります。

「信仰の進んだ者」には「扇の伺い」を与えられたというのは、大きな誤解であったと、理解しなければならない。
それが、今日的な過大だと思います。
 御本席も始め此の扇の伺いを教祖から頂かれたのであります。そしてその扇の伺いを使われた事で今日まで語り伝えられて居るのは、
勤場所を建築される時、教祖が御本席に蔵へ這入(はい)って伺えと仰せになった。
其の時御本席が蔵の中で扇で伺われると、我知らず蔵の中をかけ廻られた。そして其の事を御教祖に申し上げられたら、
教祖は、それは蔵を取り払えと云う事やと仰せになった。
それで蔵を取り払うて勤場所を建てられたと云うのであって、これが御本席の扇の伺いを立てられた始めであるようであります。
0268基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:39:57.41ID:4cjCf34b
> 其の頃御教祖は、信仰の進んだ者には、扇の伺いと云うのを御許しになって居りました。
この、↑増野鼓雪先生の解説は、すべてが天理の事実と一致するとはならないわけです。
三十年も苦労したという結果に渡しているのではない、元冶元年ころ入信したての人に渡してしまわれているのですから、
「渡す時期というものは、本人が求めたら」という事での時期も有るということです。
渡し方にもさまざまあり、おさづけの例で言えば、「小児」に渡した史実もある。
「信仰の進んだものには」という解説は、とても危険な解説だったということに、やがて、なります。
0269基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:43:13.14ID:4cjCf34b
本席様は、扇の伺いを「教祖の御命で」伺っています。
本席様は、扇の伺いの結果について、「教祖に」伺っています。

扇のさづけを頂かれていても、それを自分で解釈したり、自分勝手に用いているのではない。
その、「元の理」。「をやという理」に効能という理が有るということです。

「扇」を持つと言うことは、普通の天理教徒さんの立場で言えば、おさづけの理を頂くということだと、あなたが言われていますよね。
そしたら、おさづけというものは何に使うかといえば、病助けですから、「たすけ一条」の道具ですから、おたすけに用いるもの。

おやさまのお言葉ですが、二つの内容を含んでいますよね。
ひとつは、これです。
「世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。」
もうひとつは、これです。
「道は、辛抱と苦労やで。」

「世界の事は何も心にかけない」「世界の事は何も知らない」なんて、とても簡単なことですよね。
政治のことも経済のことも、何も心にかけなくていいのですから、まさに、ノー天気そのもの。

それに対して、「道は苦労と辛抱やで」これはどういう意味かといえば、重荷だという感じです。
さて、この、二つは、どのように二つ一つなのかという問題です。

じつに、この二つは、一つなのです。
0270基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:47:09.13ID:4cjCf34b
> おやさまのお言葉には、
> 「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。
世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。道は、辛抱と苦労やで。」
> と、お聞かせ下された。
つまり、「たすけ一条」をつとめる道としては、「苦労と辛抱」で、難儀不自由したり、
人から悪く言われたりして、「成人」していくということですよ。
そして、「世界の事は何も知らなくても、心にかけなくても、皆世界の胸の内が映るようになっていく、そういうことが、その成人の過程が、
道を通るものの、当然の苦労です。

おたすけの効能の理を頂いてしまった者の、「成人してからの」道の、苦労ということ、辛抱ということではないかと、
うすうす感づかれているのでしょう。

「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。」
おやさまから、お助け人として、成人免許を与えられたという、そういうお言葉です。

そして、
「世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい」
だって、この人には、それだけの「理」が許されている。

そしたら、「道は、辛抱と苦労やで。」
とは、成人を目指すものではないと、冷静に思案したら、わかる事です。
0271基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:50:53.56ID:4cjCf34b
依頼人がいれば、「頼まれて扇を使う」のは、神様の道具として、当然の事です。

そこで、「世界のことに無知で、何にも心にかけない」とは、「あほう」という言葉が、自然に付きまとうでしょう。
人間が成人すると言うことは、あほうになるという事だと、そんな表現がされたりしました。

でも<< 
まじめで正直であるとか、世間に無知であるとか言う、
それが「天理に精通した」姿として、語られる場合には、「皆世界の胸のうち」を、映る、大前提としている。
そんな風に、思案するのが、基本です。
0272基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:54:22.31ID:4cjCf34b
「夜昼の理」。
こんな風に、おさしづでは示されていますが、おやさまは、「夜に」道を始められました。
そして、「昼に」扉を開かれました。
これが、基本としての、「夜・昼」の理です。

九つ、九、この世とは「苦の世」。
夜の理と言われるのは、立教前の世界のことです。
「裏守護」の時代とも言われるものです。
それに対して、「立教」とは、「神が表に現れた」、つまり、「昼に」なったと言うことです。

そこで、今が夜と考えるのか、昼と考えるのか、
夜というのは、「おやさま」不在、昼と言うのは、「おやさま存命」。
この違いを、基本として、思案します。

天理教教典第三章、「元の理」には、「この間、九億九万年は水中の住居、六千年は知恵の仕込み、
三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる 。」と、あります。
「六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み」と、ありますから、立教直前は、「文字を」、その前は「知恵」を仕込んでおられたわけです。
すると、これは、「仕込み」の最中ですから、「心の成人」が至らないと言うも何も、
まだ、「知恵」から「文字」を、教えていた最中ですから、
「何も知らぬが無理でないぞや」
なのです。
0273基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 01:58:06.14ID:4cjCf34b
認識の差と申しましょうか、何党が政権政党になっても、「権力」であると言うことは、治まらない。
それが天理に知らされているところです。
「権力」というものは「高山」であり、高山の中にも真実真心の者がいると言うことはありますが、権力の周りには「利権」というものが付きまとう。
政治とは、本来は、「祭りごと」であり、豊年を祝って祭る、祭りごとでなければならない。

ところが、「飢饉の為に備えましょう」と、そうして、「宮」は民の為に貸し付けて、それが、高山になっていった。
この意味をきちんと理解しなければならない。

豊年であると言うことは、「昼」である。
だが、夜に備えて、権力と言うものは発生し、発展してきた。

おやさまが、突然に「甘露」を降らそうというのは、そういう高山の利権構築に対する、天理を示したものと言うことです。

宗教も政治も、何をもって権力を構造として完成してきたか。
例えば「学問」と言うものは、権力は独占してきた。
例えば「情報」というものを、権力は独占してきた。
「教養、知性、博識」とは、権力を独占し続けるためのアイテムであり、それらが谷底に幸福をもたらすのは、極めて例外だったと言うこと。

その権力がどうにもならぬもの。
それが、おやさまの支配くださる「火水風」の守護。

「火水風の守護」。
こんなもので、世界を普請すると言う中山みき。
おやさまは、甘露を下さる、人間の親神様天理王命様です。
0274基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:02:08.13ID:4cjCf34b
例えば、私も債務奴隷であり、世界中のほとんどの人が債務奴隷になっているけれど、
身体的には拘束されていないし、福祉があって保護はある。

この構造を変えない限り「陽気くらい」にはならない。

仮に、とか、もしというと、少し奇異に感じられるかもしれませんが、
甘露台が素直に信じられる心になるとすると、それは、世界がろくぢになると言う事に直結している。
そういう論理を、普通の天理教徒さん、お分かり頂けますか。

神様は「高山に火と水が見えてある」。
そして、谷底には「甘露」「甘露台」なのだ。
こういう天理の基本がきちんとわからないと、甘露台は「成人した魂の人のための台」なのだという、
「利権構造」が、宗教高山が、切り無く生まれてきてしまう。

それでは、甘露を降らすわけには行かないと、そういう、事情について、考察してみてください。
0275基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:05:16.36ID:4cjCf34b
争いの原因というのは、貧困です。
「高山」というものは、人の生命財産を保護し保障する権力が、政治制度として「高山保護・育成」につとめている。
それは、貧民から救済するという、
たとえば、生活保護とか、江戸時代の「飢饉米」とか、
それは、「貧困」が前提で居て、その貧困を逃れようという不安が、権力者に統治をゆだねるという結果を生んでいる。

だが、甘露が降れば、それを受け取る「甘露台」があれば、貧困の恐怖も、「労病死」そのものが無くなる。
ここがあって、そして「高山には火水」。
甘露台というのは、そういう意味の台であり、高山の火と水が見えていないと、甘露台の意味も見えなくなると、そう思います。
0276基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:09:34.17ID:4cjCf34b
天理教の年表には、立教5年、6年頃の事として、次のような記述があります。
「ついに村人、役友達、親族不付き合いとなる。」

これは、「夜」と言う状態であり、「昼」とは言えないシーンです。

「夜昼の理」の事です。

「夜昼の理」。
こんな風に、おさしづでは示されていますが、おやさまは、「夜に」道を始められました。
そして、「昼に」扉を開かれました。
これが、基本としての、「夜・昼」の理です。

九つ、九、この世とは「苦の世」。
夜の理と言われるのは、立教前の世界のことです。
「裏守護」の時代とも言われるものです。
それに対して、「立教」とは、「神が表に現れた」、つまり、「昼に」なったと言うことです。

「昼」になったはず、「立教」なのに、五日の理では暗転した「闇夜」。
その原因のことです。
それは「甘露」を受ける上では、とても大切な意味を持つと基本は思案します。

「22の2の五つ」という教理があります。
ろくぢでないと「理い吹く」ではなく「立腹」となる。
「理い吹く」は「昼」。
「立腹」は神の立腹ですから、「夜」と、舞台は変ります。
そこが、分岐点です
0277基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:13:11.27ID:4cjCf34b
「22の2」とは、男女二人、が三組で、222です。
おつとめのてをどりの、お立ちの方の数理です。
おさしづに、「ほんの三日や千日や」とありますが、三年千日の苦労をすれば結構になると言う天理の基本があります。
すると、1838年12月12日に立教したのですから、1841年には、結構になっていなければならない。
1841年とは、天理教年表では、「おびやためし」の年です。
ところが、夫善兵衛は、自分の眼病は助けられた。妻の病気も治った。
特に長男秀司の足痛も助けられたというのに、おまけに、おびやためしで、流産の産後も助けていただいたのに、
「貧に落ちる」を拒んだ。

もし仮に、すっと、仰せのようにしていたら、簡単に、道は「昼」だったと、そういう事かも知れない。
> 「・・ついに村人、役友達、親族不付き合いとなる。」
の原因は、「貧乏を命じた親神」にあるのではなく、病を助けられても、神に約束しても、実行しない「夫善兵衛」にあったと、
そういうことになります。
それは、「高山因縁」が切れていなかったと言うこと。
「高山因縁」を切りたくなかったという、執着にあった。

夜ではない、昼なのだ。
とは、「貧乏神ではない、豊年神なのだ」と、存命のおやさまを信頼することです。

『不自由なきようにしてやろう 神の心にもたれつけ』
と言うのが、「昼」である基本になります。
0278基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:17:28.74ID:4cjCf34b
神様は、勤め場所の普請の開始の前に、扇を授けています。
「正月こえのさづけ」と、ありまして、肥えのさづけは、一番最初に授けておられる。
つまり、最初に「路銀」を渡すと言う、天理の順序。
それは、おやさまの場合にもそうでした。
しかし、それで昼で通れるのに、「夜」にしてしまった、私たちの先輩がいます。
初代といわれる、方々です。

善兵衛さまは、最初に三年の苦労すら通らないで、おやさまの霊力で信仰体を作ろうとした。
それで、昼を夜としてしまったのは、2ちゃん「天理」スレに、黒の基本さんが投稿した話題に、そうした事実が書かれていますが、
初代のほとんどは、苦労三年で、「三年千日」で、大教会初代になっています。
それならば、その五十年後には、戦争協力という「暗転」。
大切なおつとめも、原典も、神の理に背いてしまう情けなさです。

そこに、甘露を頂くという信仰は、素朴で素直であるべきだという、基本が見えます。
神の心に、もたれ付けないという事、それでは、「夜」。残念なことです。
0279基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:26:55.08ID:4cjCf34b
こじまつな態度というものは、言うならばいちいちにうるさいという事です。
当局は、いちいちにうるさかったとか、官憲のような態度が、こじまつという態度で、反対側で言うと、「鷹揚」と言いますか、のんびりという態度。
「夜」と「昼」と言うものは、理において、「夜」は節約型。
人間の体の場合ですが、「夜」はこじまつに、してあるわけで、「昼」は消費型。
「昼」「日る」「費る」。
つまり、燃えるということはなくなるわけですから、こじまつの反対側には「浪費」がある。

浪費は、エコではないので、「倹約・節約」の方が理にかなっているとして、こじまつそのものは、「夜」の理に人を導くという、そういう事になりますむ。

つまり、天理教会は「こじまつ型」に固執していて、「浪費型・ゆさん型」ではない。
それが、高山に癒着したことと、因果関係上にあるのではないかというこだわりです。

「甘露」という言葉には、こじまつは、ふさわしくない。
皆が、甘い露を頂くというときに、「こじまつ」にされたら、そりゃ、ぶち壊しというようなものです。
気分が悪くなる。

あんたは成人段階が、もう一段足らんから、「甘露」は跡ですというような、状態が「夜」。
それでは、「甘露」の「甘さ」が無さ過ぎる。

甘い採点、甘い判定、甘い生活。
それと、まるで相容れないものが「こじまつ」。
そしてそれは、私たちの中に体質としてあるもの・・。
天理教会が、信仰に対して、厳しい生活をよしとしているのは、
「夜」の道しか頭に無いからだと、そんな気さえします。
0280基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:31:07.07ID:4cjCf34b
> 「信仰」「教育」「訓練」「伏せ込み」「忍耐」「執着心を取り去る」「仕込み」等々の<美名>が付けば

それは、まさしく、こころを暗くしてしまう。「こじまつ」そのものと、言えましょう。

さて、秀司先生は、どうして小始末をしたのか、その点から、この「小始末信仰」の本質を自覚したいと思います。

5月21日(陰暦4月9日)、奈良警察署から秀司宛てに召喚状がきた。秀司は、40日間留め置かれた上、
罰金に処せられ、帰ってきたのは、6月29日(陰暦5月19日)であった。
その理由は、杉本村の宮地某が、ひそかに七草の薬を作り、これを、秀司からもらったものであると、警察署へ誣告した為である。
この頃から、秀司は、「人さえこなければ、こんなことはない」と云って、道人のやってくるのを拒み始めていた形跡が有る。
 この時の教祖のお言葉が次のように伝えられている。
「監獄へ曳かれるというのも、誰がしたと思うなよ。神の事聞かんから、神が連れていぬのやで。神が止めているから、出られんのや。
神の云う通り、早くつとめに掛かるなら、直ぐに連れて帰るほどに、つとめをせよ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)。

 この頃の秀司の言葉として「皆が寄って来てくれるは誠に忝(かたじけな)いけれども、このように色々心配しても、どうしても警察の権利で苦しめられるから、
もうこれからは小始末(こじまつ)するほどに、皆もなるだけ来んようにしてくれるよう」(「改定正文遺韻」)とある。

これに対し、おやさまは、「こじまつするとこじまつになるぞ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)と仰せられた、と伝えられている。
これに対し、教祖は、「小始末すると小始末になるぞ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)と仰せられたとも伝えられている。

つまり、おやさまの論理と秀司の論理には、「夜」と「昼」の認識の違いがあったと、見て取れます。
0281基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:35:30.67ID:4cjCf34b
おやさまの言う事によれば、こうなります。↓
[神の言う事を聞かない]→[神が秀司を監獄に入れさせた]

秀司の言う事によれば、こうなります。
[皆が来るから]→[警察が権利を行使する]

いったい本当は、どちらがどうなのでしょう。
もしおやさまの言うとおりだとすると、官憲はおやさまの手先という見方すら出来てしまうわけです。

「神の言う事聞かぬから、犯罪者として始末させた」親神さま。
それは、神様の小始末なのか否か、

みな他人事だから、秀司先生の発言を、神を信じられない愚か者と、軽蔑できたりするのですが、
本音、官憲は、お上は、「お上の意思」で取り締まっていると、秀司さんは考えた。
そして、おやさまは、「神の意思」で取り締まらせたと言う。

これ、神様を信じると言うのは、口で言うはたやすいけれど、目の前が真っ暗なのに、「昼」だと言われたようなもの。
その時、「小始末」(こじまつ)に入ってしまう、
つまり、「神への不信」が、小始末を生む。
それを、見て取れてしまうと言うことです。
0282基本。
垢版 |
2018/12/13(木) 02:39:08.54ID:4cjCf34b
【講の結成】(1878年)(明治11年)(教祖81才)
 1878年(明治11年)4月頃、秀司を講元として「真明講」が結ばれる。
世話人は、仲田儀三郎、辻忠作、松尾市兵衛、中尾休治郎ら。この頃から金米糖を御供えとして渡す。

 この頃、教祖の行為は村にとって迷惑だから、「天理さんを止めてもらいたい」と中山家に申し入れが為されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな風に、れんだいこさんは、まとめています。
上↑「この頃から金米糖を御供えとして渡す。」は、「御供え」では無く、「御供・ごく」です。

秀司は、「明日・あすにち」を、一日は一年と判断し、一年後には、信者組織を「講」としてかたちづけ、自分は「本部」の役割をうけもって、「御供」を渡す役割に位置づけたと言うことです。

「あすにちからわ をふくハんのみち」という、「予言」を形にしてみせた。
それは、「信じていない人間のナス行為」とみなした方が、的を射ているでしょう。

「夜」だとしか認識できないから、「真明講」と言う、明かりを、付けて見せた。

宗教家のやりがちな、予言の実現加工ですが、
そういう、作為的な「信仰行為の美化」をする時に、

>「信仰」「教育」「訓練」「伏せ込み」「忍耐」「執着心を取り去る」「仕込み」等々の<美名>が付けば
> それは、まさしく、こころを暗くしてしまう。「こじまつ」そのものと、言えましょう。
という、暗い精神文化を、育ててしまう。

おやさまのお言葉を信じるのなら、素直に信じる事。
信じないけれど、信じられないけれど、何とか信じた形を作ろうとする。
それは、「美名と嘘」のブレンド。

「一日を一年」と読んだのは、「理」を利用した態度。
しかし、おやさまを疑ってしまいつつ、お言葉を行おうとする。
その不自然さが、「小始末」。
大きな始末が出来ない、人間心のあざなさというものでしょう。
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