大本教と日月神示の関係について

大本教全体が日本の型になっているように、出口王仁三郎は弥勒の型を演じました。そして出口ナオのお筆先が日月神示の型になっています。

出口ナオが王仁三郎を引き寄せたように日月神示が弥勒を引き寄せて来ます。

日月神示は大本教の"続き"ではなくその「実地としての現れ」の一部です。それを否定するという事は王仁三郎や自分達の為してきた型としての働きを否定する事になります。

日月神示がなぜ大本教に降りなかったのか?その答えが神示に書いてありました。

「仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、この事忘れるなよ。」

日月神示が降りた当時に大本教にいた人は心当たりがある筈です。それに型と「実地としての現れ」との間に直接的な繋がりがある必要はありません。

日月神示は今この時代(終末)の型にもなっています。だから日月神示を読めば何事もありやかとなるのです。