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【カルト】幸福の科学異議申立 文科省の大学不認可©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん 転載ダメ©2ch.net
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2014/11/11(火) 20:55:04.47ID:uZdJZUmD
幸福の科学学園が異議申し立て 文科省の大学不認可で「学問の自由を侵害」
【産経ニュース】 2014/11/7 17:19

文部科学省が「幸福の科学大学」の開設を認めなかった問題で、認可申請した学校法人「幸福の科学学園」は
7日、文科省へ撤回を求め異議申し立てを行った。申立書では「(不認可は)『学問の自由』を真っ向から
否定し、侵害する」などとしている。

ソース: http://www.sankei.com/life/news/141107/lif1411070024-n1.html
0446神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 14:27:55.27ID:CxnAX02d
 あなたがたに言う。
 真の神の言葉を知って、
 人類はその違いを乗り越えて、
 融和し、協調し、進化し、発展していくべきである。
 これが、地球神エル・カンターレの言葉である。
 二度と忘れることなかれ。
 あなたがたの心に刻むのだ。

 人類は一つである。
 これから、地上的な争いを乗り越える神なる存在を信じ、
 その下に、
 自由と民主主義を掲げる世界を続けていくことを選び取るのだ。

 もう一度言います。
 北朝鮮に必要なのは「信仰」です。
 中国に必要なのも「信仰」です。
 インドに必要なのは、さまざまな神の上にいる神の存在です。
 イスラム教国に必要なのは、アッラーとは誰かを知ることです。
 私は、その違いを超えて人類を愛し、受け入れています。
 信じることを通して、愛とは何かを学んでください。
 それが、私のメッセージです。
0447神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 14:40:46.75ID:CxnAX02d
🌟 大川隆法著 『信仰の法』

 第6章  人類の選択 ー 地球神の下に自由と民主主義を掲げよ

終り
0448神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 15:43:19.63ID:W/fcWgIt
🌟   あなたに贈る言葉@

  真実の世界に目覚めよ

この世は、真実の世界から見たならば、
ちょうど正反対の世界である。
あなたがたが、その目でもって見ている、
この世の世界というものは、
ちょうど、「池のなかを覗いて、
その水面に、鏡のごとく映っているわが姿を見て、
自分だと思っている」のと、同じなのである。
あなたがたの見ている世界は、本当の世界ではない。
目の前にある、池の上に映った世界にしかすぎないのだ。

言葉を換えるとするならば、
あなたがたが、
現実であり、真実であると思っている、その世界は、
「真実の世界を映している、模倣している、
その影絵にしかすぎないのだ」と、知らなくてはならない。
あなたがたは、
映画のシーンを観て、現実だとは思わないであろう。
同じように、真実の世界から、
この世界にて生きている、あなたがたを見ている、
霊的世界の者たちの目には、
あなたがたの実社会や学生の生活が、
映画のように見えているのだ。
それは、現実を模倣したフィクションの世界であるけれども、
そのフィクションの世界が、まさしく、
あなたがたが生きている、その世界そのものであるのだ。

あなたがたが真実の世界だと思っている世界が、
真実の世界ではなく、
あなたがたが夢幻だと思っているところの、
昔話や、伝説や、宗教においてのみ、聞いたことのある世界が、
実は、本当の世界なのである。

    −「目覚めたる者となるためには」より
🌟🌟 大川隆法著 「伝道の法」より
0449神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 15:44:55.06ID:W/fcWgIt
🔥 大川隆法著 伝道の法

🔥 第一章 心の時代を生きる

ーーー人生を黄金に変える「心の力」

1 「心とは何か」が分からなくなっている現代社会

  「心とは脳の一部である」とする現代の「常識」

 本章では、「心の時代を生きる」という一般向けの題をつけてみました。仏法真理に初めて接する方には、「心の話」をしたほうが分かりやすいだろうと考えるからです。

 やはり、宗教の使命として、第一段階はこのあたりであって、「心の話」を通じさせるところから始めないといけないでしょう。「難しい話はいろいろあろうけれども、そこまでは行けない」という人が多いのではないかと思います。

 ただ、テレビドラマなどを観ていると、「心とは脳の一部なのだ」ということを平気で言っているので、それが常識になりつつあるのかもしれません。

 こうなると、医学も、よいのか悪いのか分からない感じがします。人間を診ているうちに、パソコンをいじっているように見えてくるのでしょうか。まるで、そうしながら、「この部分が心だ」などと言っているようなのです。

 確かに、脳が壊れたら機能が失われるので、そのようにも見えるのかもしれませんが、これは、「人間機械説」でしょう。ところが、こうしたことがけっこうまかり通っています。

 また、分解的、分析的な見方をすると、電極をつけたり、電気ショックを与えたりして、「ここを押すと何が出てくるか」を調べ、「この場合は、こうなる」というようなことを言うわけです。
0450神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 16:17:43.03ID:W/fcWgIt
 しかし、私たちには、どうしてもそのようには見えません。もし、そう見え始めたとしたら、いろいろなものが引っ繰り返ってきているのだと思うのです。

 要するに、学問にしても、実際の仕事にしても、「引っ繰り返った世界」を見ているのではないでしょうか。

 高度な学問を勉強しているうちに、「心は、頭のこのあたりにある」と感じるのであれば、ここには何かの間違いがあると思います。非常に残念でなりません。
勉強をしすぎた人が、「心というのは、頭の一部分にあって、コントロールをし、判断をしている」と思っているのであれば、やはり、何かがおかしいでしょう。

 あるいは、「『心は胸のあたりにある』『もう少し下の、お腹のほうにある』などと感じる人が、゛古代人”に見える」というのであれば、何かが倒錯していると思います。

 つまり、心に響くものが分からない時代に入っている可能性があるわけです。
0451神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 16:18:01.75ID:W/fcWgIt
  学問の世界に流れる”汚染水”の正体

 その意味では、非常に基本的であり、初歩的ではありますが、ここは、宗教としての、”最初の戦い”の部分だと思います。

 もし、「心なんて、ない」と斬ってこられたら、宗教としては、「開く扉がない」に近いでしょう。

 「人間には、心なんかない。何を言っているのだ。脳の作用じゃないか。あれは、神経の作用だ。そんなものは、脳のあたりに電気作用か何かが働いて、そういう風に感じているだけなのだ」
と、自分で言っているような人たちを説得し、その後の世界について説明するのは、とても難しいと思います。

 ともかく、”頭がいい”という人が、だんだん、そのようになっていくわけで、仏教の言い方では、これは、「邪見」、もしくは「悪見」という言葉になるでしょう。
要は、正当な見方、正しい見方(正見)とは違う、逆の見方に染まっているわけです。

 「そういう見方が、正統派の学問である」ということで固まっているのであれば、大変な間違いだと思います。

 特に、日本の教育としては、「文部省」と「科学技術庁」が一体になって「文部科学省」となったため、すべての学問に対して、科学的な見方がされるようになりかねません。
その場合、いわゆる正見、正しい真理に基づく見方ができなくなる可能性があるわけです。
0452神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 16:50:50.76ID:W/fcWgIt
  学問の世界に流れる”汚染水”の正体

 その意味では、非常に基本的であり、初歩的ではありますが、ここは、宗教としての、”最初の戦い”の部分だと思います。

 もし、「心なんて、ない」と斬ってこられたら、宗教としては、「開く扉がない」に近いでしょう。

 「人間には、心なんかない。何を言っているのだ。脳の作用じゃないか。あれは、神経の作用だ。そんなものは、脳のあたりに電気作用か何かが働いて、そういう風に感じているだけなのだ」
と、自分で言っているような人たちを説得し、その後の世界について説明するのは、とても難しいと思います。

 ともかく、”頭がいい”という人が、だんだん、そのようになっていくわけで、仏教の言い方では、これは、「邪見」、もしくは「悪見」という言葉になるでしょう。
要は、正当な見方、正しい見方(正見)とは違う、逆の見方に染まっているわけです。

 「そういう見方が、正統派の学問である」ということで固まっているのであれば、大変な間違いだと思います。

 特に、日本の教育としては、「文部省」と「科学技術庁」が一体になって「文部科学省」となったため、すべての学問に対して、科学的な見方がされるようになりかねません。
その場合、いわゆる正見、正しい真理に基づく見方ができなくなる可能性があるわけです。
0453神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 16:51:12.84ID:W/fcWgIt
2 「心の力」で変えられる過去・現在・未来

  自分の心を変えることで未来は変えることができる
0454神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 16:54:41.00ID:W/fcWgIt
2 「心の力」で変えられる過去・現在・未来

  自分の心を変えることで未来は変えることができる

 また、人間は、「考える力」によって、いろいろなものを変えていける存在でもあるわけです。これは、「考え方次第」ということでもあるでしょう。

 例えば、人間の目には、水晶体というレンズに当たるものがあって、これを調節してピントを合わせます。ところが、それを「不随意筋」という自由意志では動かせない筋肉で行っているため、いったん目が悪くなった場合、もう治らないとされるわけです。
要するに、コンタクトレンズを入れるか、眼鏡をかけるかして、人工的に光の屈折率を変えないかぎり、ピントが合わずに字が読めないなどと言われています。だいたい、こういう考えが蔓延しているのではないでしょうか。

ところが、私のように、自分の「思いの力」で水晶体や不随意筋を、Wいじる”人が出てくると話が変わってきます。
「ああ、そうですか。じゃあ、ちょっと元に戻さなきゃいけない。戻れ、戻れ、戻れ、戻れ」と言っていると、一週間ぐらいしたら元通りに戻ってくるようなタイプです。
まるで、トカゲのしっぽの再生のようですが、そういう”再生力”がある人間が出てくると、話は変わってくるでしょう。

 実際に、「自分の体で、自由にならないところがあるはずがない。早い遅いの違いはあるにしても、本人が支配者なのだから、『自分の体の一部を、このように変えたい』と思えば、そのとおりになるに決まっている」と思うことで、目が治ってしまうような人もいるわけです。
常識にとらわれている人は、かなり驚くでしょうが、現実にそういうことはあります。

したがって、よく気をつけないといけません。実は、「真実がそうなっている」というのではなくて、「そのように教え込まれて、信じ込んだために、そうなっている」ということが、さまざまな現象として起きているのです。

 しかし、人間には、自分自身を変えていく力があります。もちろん、肉体も変わりますが、自分の心を変えることによって、いろいろなものが変わっていきます。
つまり、「人生が変わっていき、人間関係が変わっていき、未来が変わっていく」ということが起きるわけです。
0455神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 17:39:13.58ID:Z+5WIFN1
 そういう意味では、他人から断定的に、「もう、おまえは終わったのだ。駄目なのだ」などと言われて、「そうだ」と思ってしまってはいけません。「レッテル貼り」というか、スタンプでも押したように、「自分は、こんな人間なのだ」と思い込んでは駄目なのです。

 例えば、「自分は貧乏人だ」というスタンプを押してしまい、「貧乏に生きるのが普通だ」と思っている人は、それ以上、変わりません。

 しかし、「いや、どんな人にだってチャンスはあるのだ」と思っている人は違います。

 やはり、「仕事で成功するには方法があるはずだ。例えば、野球で成功している人をよく観察して研究したら、今まで打てなかった球が打てるようになるかもしれない。
それと同じく、お金儲けが得意な人をよく観察すれば、何か秘訣があるはずだ。自分の身近なお金持ちを見て、その人と自分との違いを観察しよう。そして、違いが分かったら、そのなかで、いいところはまねをしてみよう」と思うことが大切です。

 また、「まねをしていったら、五年、十年するうちに、いつの間にか自分も同じようになっていた」ということは現実にあります。そのように、人生は変えていくことができるのです。
0456神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 17:41:17.37ID:Z+5WIFN1
  過去に遡って人生を黄金色に変えた松下幸之助氏

 なお、私もこれまでは、「基本的に、過去は変えられない。終わった歴史的事実は変えられないけれども、未来は変えられる」と説いてきました。
確かに、一般的な考えとしては、「過去は変えられないけれども、未来は変えられる」というのは、そのとおりでしょう。

 しかし、宗教的には、もう一段、ジャンプする余地があって、実は、過去であっても変えられます。過去は変えることができるのです。

 例えば、私の次男の大川真輝が『大川隆法名言集「創造的」になりたい”あなた”へ123の金言』の講義を横浜正心館で行った際、次のような話をしていました。

 「成功者は、みな、若いころに、いろいろ苦労したり、失敗したりしています。
ところが、共通項としてあるのが、大成功したときに、自分の惨めだったはずの過去について、『そのおかげで、自分は成功できた』というような言い方をすることです。
不思議なのですが、大成功者は、みな、そうなのです。

 しかし、それには理由があります。

 実は、人より少しだけ成功したとか、少しだけ出世したぐらいでは、過去までが変わって見えることはないのですが、人生が根本的に違ったように大きく成功への道に入った場合、過去もすべて美化されてくるのです。

 松下幸之助氏にしても、幼少時に苦労をしています。父親が投機で失敗して、小学校も卒業できなくなり、丁稚奉公で大阪に出されました。
学校も行けずに苦労して、いろいろこき使われ、雑用をしながら、だんだん、自分で会社をつくっていったわけです。
そして、三人ぐらいで始めた会社が大きくなって、やがて、何十万人も雇うような規模になり、世界に工場を出すまでになりました。

 すると、今度は、「私が偉くなったのは、学歴がなかったからです。」というようなことを、彼は平気で言うわけです。
0457神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 18:14:42.08ID:Z+5WIFN1
 こうしたことは、普通の人であれば言えないでしょう。少しだけ成功したぐらいの人には言えません。例えば、「小学校中退だけど、やっと大学卒の人と同じぐらいの収入になった」というぐらいの人では、こうしたことは言えないのです。
そのくらいの成功で、「私は、小学校を中退したから成功しました」というのは難しいと思います。
0458神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 18:15:01.60ID:Z+5WIFN1
 こうしたことは、普通の人であれば言えないでしょう。少しだけ成功したぐらいの人には言えません。例えば、「小学校中退だけど、やっと大学卒の人と同じぐらいの収入になった」というぐらいの人では、こうしたことは言えないのです。
そのくらいの成功で、「私は、小学校を中退したから成功しました」というのは難しいと思います。

 ところが、彼は小学校中退にもかかわらず、大学卒や大学院卒の人を採用して雇い、部下にして、製品をつくらせて、ほめたりボーナスを出したりする立場になったらどうでしょう。
やはり、世界的に有名になり、「TIME」の表紙を飾ったりすれば、違うわけです。


 「私は、小学校を中退して学歴がなかったから、成功できたのです。
 「勉強していなくて分からないから、分からないことは人に訊いて、自分より賢い人を使おうと思いました。そして、賢い人をどんどん登用して、能力を引き出してやったら、こういう風に成功したのです」

 「自分は病気がちで休んでばかりいるから、自分が休んでもできるように人に任せて事業部制でやったら発展しました。経営者がたくさん育って大きくなりました」

 このような松下幸之助氏の言葉がありますが、現在がよくなるだけでなく、過去にも遡って、全部がザーッと変わってくるのです。
0459神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 19:00:18.23ID:sLHhH+C8
 ただし、こうしたことは、成功のレベルによるのかもしれません。
0460神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 19:01:27.71ID:sLHhH+C8
 ただし、こうしたことは、成功のレベルによるのかもしれません。

 例えば、ウオルト・ディズニーのような方でも、あれほど大成功してしまえば、「世界のディズニー」であり、ディズニーのことを知らない人は、まずいないと思います。
電化製品が入っていない国や地域で入るかもしれませんが、普通に電化製品が入っているようなところであれば、たいがいディズニーのことは知っているでしょう。

 さて、そのディズニーに関しては、「若いころに貧しくてボロアパートに住んでいたため、穴からネズミが出入りしていた。
彼は、そのネズミをジーっと見ながら、『これをキャラクターにしたら、どうなるか』と考え始め、ミッキー・マウスを思いつき、大金持ちになった」という伝説的な話があります。

 しかし、普通であれば、思いついたとしても、今で言うWゆるキャラ”ぐらいではないでしょうか。「ネズミのゆるキャラを売って、お金を儲けました」という程度なら、個人で商売をしても、ありえるかもしれません。

 ただ、「自分の店で、世界で初めてネズミのキャラクターの商品を売って、黒字になって儲かりました。そして、生活が楽になりました」というレベルでは、すべてが黄金色に輝くことはないでしょう。
0461神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 19:35:21.83ID:sLHhH+C8
 やはり、事業が大きくなって、デイズニーランドのようなものがたくさんでき、毎年、何千万もの人を動員するようになって、関連事業も次つぎと増え、世界中に広がっていくようになると、違います。
今度は、その「貧しくて、ボロアパートに住んでいて、ネズミと友達だった」ということが、すべての成功のもとに見えてくるわけです。

 もちろん、一般的には、ネズミが出入りするような部屋に住んでいれば、そうはならないでしょう。
例えば、司法試験に受からずに、司法留年をして、さらには、大学を卒業しても受からずに、三十歳まで、「また落ちた。また落ちた」とやっている人の場合、ネズミがチョロチョロしていれば、
おそらく、「このネズミに邪魔されて、勉強に集中できなかったから、また今年も落ちてしまった。このネズミのせいで、いつまでたっても受からない」というようなことを言うと思います。そのように、同じ条件でも変わるわけです。

 ともかく、普通の状況をはるかに超えて大きな成功をした場合は、過去に遡ってまで、すべての経験が「光」になってくるということがあります。
例えば、広島の原爆で身内を失くした方であっても、大きな成功をしたら、「おかげさまで、私はとても頑張るようになった」というように、全部が変わるでしょう。
あるいは、東日本大震災で身内を失った方であっても、その経験を、自分が成功した原因として考えるようになるわけです。

そういう意味で、過去も現在も未来も、実は変えることができます。要するに、人間は、考えの力で、思いの力で、すべてを変えていくことができるのです。
0462神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 19:35:42.28ID:sLHhH+C8
3 「心の操縦法」を知らない現代人に伝えたいこと

  心を認めないのは、ハンドルのない車に乗っているようなもの

 実際に、心というものが実体としてあり、この心のあり様が、自分の人生を変え、未来を開いていきます。そして、その事実を知った人には、ちょうど、車のハンドル操作を覚えた人が道を自由に走れるようになるのと同じことが起きるわけです。

 逆に言えば、「心がない」と思っている人は、ハンドルがあるのを知らずに車に乗っているようなものでしょう。

 しかし、アクセルとブレーキだけで、ハンドルがない車に乗せられたら、たまらないと思います。アクセルを踏めば前には進みますが、そのままではどこかに激突するでしょうし、ブレーキを踏んでも止まるだけです。
これしかないのであれば、基本的に運転などできません。真っ直ぐな道路を走り続ける以外に、方法はないわけです。

 しかし、自分の前にも後ろにも車がいるなかで、アクセルとブレーキだけしかない車で真っ直ぐに走り続けるのは「恐怖」でしょう。私も、できれば避けたいと思います。

 やはり、アクセルとブレーキは要るにしても、ハンドルがあるために運転ができるようになるのです。

 ところが、このハンドル部分を、「ない」と思っている人がいます。あるいは、「ハンドルを動かせるのは自分だ」ということを知らない人がいるわけです。
0463神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 20:07:51.14ID:sLHhH+C8
 そのため、「あなたの思いで、今、そうなっているのですよ」と言われても、それに気がつきません。「あなたがハンドルを右に回せば車は右に曲がり、左に回せば左に曲がって、まっすぐにしたら、まっすぐ進むのですよ。
『中道』というのは、まっすぐに走ることを言うのです。仮に、ハンドルを右に回しても左に回しても、簡単に何かに激突するでしょう。どちらでもいいですが、死のうと思えば、すぐに死んでしまいますよ」と言っても分からないのです。

 ただ、実際はそうであって、人間は、死のうと思えば簡単に死ねます。例えば、ハンバーガーだけを一年中食べ続けたら、体を壊して死んでしまうでしょう。あるいは、ステーキでも同じだと思います。
関係者がいたら許していただきたいのですが、たとえ、そのお店の方であっても、毎日は食べられないのではないでしょうか。それは、さすがにたまらないはずです。牛丼屋で働いているからと言って、三食とも牛丼を食べ続けていたら、やはりどこかで病気にもなるでしょう。

 ともかく、たとえて言えば、「ハンドルとアクセルとブレーキがあって、自分という車を運転できているのだ。もちろん、ガソリン等の燃料を入れる部分もあれば、空調等の機能も付いているけれども、基本的には、そういう感じなのだ。
そして、運転している人間が『魂』と言われる部分であり、車体の部分、乗っているマイカー自体は『肉体』である。この肉体の部分に魂が宿っているのであって、これが、車を運転している人間に当たるのだ」ということになります。

 さらに、人間の魂のなかで、特に、考えたり、判断したりしているのが、いわゆる「心」という部分です。このような人生観が大切なのです。
0464神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 20:08:11.50ID:sLHhH+C8
  私が数多くの霊言や教えを説き続けている理由
0465神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 20:44:15.44ID:sLHhH+C8
  私が数多くの霊言や教えを説き続けている理由

 ところが、そうしたことを知らない人は、「オートマチックの車が、人工知能を載せて、勝手に動いている」と考えているのかもしれません。
あるいは、遠隔操作ができて、自分がその遠隔操作をしているように思っていることもあるでしょう。もしくは、「インプットされた情報に基づいて目的地まで動くような車の、その機械の部分が自分だ」と思っている人が大勢いるわけです。

 しかし、これは、現代教育によって生じた間違いにほかなりません。こうした考え方を変えた方が幸福になれるのです。

 どちらの選択もできますが、自分自身が、「幸福になるか、不幸になるか」の決定権を持っているのであれば、「自分にとってよいほうを選んだほうがよい」と述べているのです。

 「あの世などと言っても、そこへ行って帰ってきた人などいないじゃないですか。それを信じるなど、バカげている」と言う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。

 私も、毎年毎年、あの世の霊人からの言葉や思想を数多く紹介しています。さらに、その収録映像を上映していますが、私は漫才師ではないので、演技であのように延々とできるものではありません。

 また、過去のこととはいえ、私は東大法学部を出ており、あえて詐欺師の仲間になるようなことをしなければいけない理由はないのです。
今でいう大学入試センター試験ぐらいのものであれば、片目をつぶってでも解けるほどにはできましたし、どんな道ででもしっかりと生きていける資格や才能もあると思っています。

 そのような人間が、「これは大事だ」と思い、それまでの仕事も辞め、今、教えを説いているのです。

 したがって、人をだまさなければいけない理由など何もありません。それでも、そういうルートを辞めてまでも、「これを説かなければいけない」と思ったのは、「多くの人が間違った道を歩んでいて迷っているから、これを救い出さなければいけない」と思ったからです。

 そのために、今、教えているわけです。そして、本を出しているわけです。
0466神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 20:44:36.35ID:sLHhH+C8
  説かれた教えがすべて記録として遺っている幸福の科学

 なかには、すぐに人を疑う人もいるでしょうが、私の場合、自らがしようと思って行うというよりも、本当に天命としてこの道に入っています。

 新しい宗教のなかには、いわゆる詐欺、ペテンの類も数多くあるでしょう。たが、そういうところはあまり大きくならず、小さいものが多いようです。
一部には組織的な知能グループのようなところもあるでしょうが、長い間には、やはり、評判や人の信用等を通して、いろいろと明らかになる面もあるのではないかと思っています。

 私の説法は、本として出しているだけでなく、CDやDVD等でも出されており、すべて記録が遺っているので、何も隠していません。本にする際には、言葉がきれいになるように、「てにをは」等の直しを入れる程度であり、基本的にはすべて遺っています。
幸福の科学の第一回座談会から今までのものが遺っているので、インチキは一切ありません。証拠があるのです。

 よそのところのように、ほかの人にいろいろと書いてもらったりするようなこともなく、実体験したこと、自分で考えたことを書いています。

 この実体験ということについても、昔の江戸時代のころであれば、農家のおばさんなどに、突如、霊の声が聞こえてきて、「神様がかかってきた」などと言うのがよくあるパターンでしょうが、
私の場合は、一応、この世の学問をキチッとした上で、「これは、確実にある」と、理性・知性を持って判断して出しているものなのです。

 「幸福の科学から出ているものは、非常に知性的で、論理的で、合理的だ」とも言われています。その意味では、当会には理系の方も大勢来ていますし、社会的に知性のある方も数多く集ってきています。

 それどころか、経営者がテキストとして使っているケースも数多くあります。経営そのものについて教えるとともに、人間の心のあり方について説いています。この「人間学」の根本のところを教えていることが役に立っているわけです。
0467神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 21:22:43.13ID:sLHhH+C8
  「生き通しの人生」という真実を知る
0468神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 21:23:00.84ID:sLHhH+C8
  「生き通しの人生」という真実を知る

 したがって、「心などない」という人に対しては、「いや、そんなことはないですよ、そう考えるのはあなたの自由ですが、それは、自分を機械の一部のように考えることであって、ものすごく卑下した自己像なのですよ。
『人間の体は機械のようなもので、心は、そのなかのどこかで動かしている部分だろう』と思うような、そんな人生観で本当にいいのですか」と、どうか、粘り強く伝えてほしいのです。

 現代には、「死んだら、もう何もかも終わりだ。あとは、亡骸を焼いて灰にして、投げ捨ててもいいし、海に撒いてくれてもいい。まあ、好きにしてくれ」というような感じで、この世だけの幸福論になっている人がたくさんいるわけです。

 私が「心」というものを説く理由は、「人間の本質というのは生き通しなのだ。生き通しの人生なのだ」ということにあります。

 「自分には、『生まれる前の過去』もあったけれども、『死んでから後の未来』もあるのだ、そのような、『生き通しの人生』である」ということを考えないと、これが本当だったときに、知らなかった人は大変なことになります。
一方、この事を知って人生を生きるならば、やはり、非常に価値のある人生を生きることができます。これは大事なところです。

 心の存在から魂の存在のところへ考えが至らなかった人は、
「人生はこの世限りで、死んだら終わりだ」というように思っているため、「あとは、相続税対策と、遺された家族の処理だけをすれば終わり」などと考えているのかもしれませんが、それでW終わり”ではありません。
そこからが、また、W新しい始まり”になるわけです。

 つまり、「生き通しの人生」なのです。
0469神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 21:55:41.79ID:sLHhH+C8
  人生約三万日、この大事な一日一日で何をなすか

 今世、生きている時間は二万日から三万日ぐらいです。わずか、その程度のものなのです。たくさんあるかと思えば、それほどにはありません。三万日も生きたならば、八十歳を超えます。

 私も、すでに二万日ほど費やしてしまいました。「残りはあと幾日かな」と思っていますが、二万数千日ぐらいが普通の人生なのです。
「残っているのはあと何日か」と考えると、一日一日、毎日毎日、消えていくわけです。三万日はなかなか超えられません。そのように、一日一日が消えていきます。

 したがって、「この一日一日で何をするか」ということは、大変重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、非常に大事なことなのです。

 私と近い年齢の人は、過去、すでに二万日は使っているはずです。まだ若い人もいるでしょうし、もっと行っている人もいるでしょうが、「三万日はなかなかそう簡単に超えられない」ということは考えなければいけないと思います。

 そうすると、一日一日がとても大事なものになるわけです。毎日毎日を大切にしていかなければいけないわけであり、「この毎日毎日をどう生き切るか」ということが、極めて重要なことになるのです。

 そういう意味では、哲学や、仏教における禅などとも、結論的には似た考え方もあるでしょう。そういう所もあると思うのです。
0470神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/03(火) 21:56:00.67ID:sLHhH+C8
4 日々、自己変革をして生きよ

  「空を飛べなくなった。野、ガモ」の話

 百年以上前の人になりますが、デンマークのキルケゴールという哲学者は、こんな話を紹介しています。

 その国のある地方には、毎年、渡り鳥の野ガモが飛んでくる所があり、親切な老人が餌付けをしていたそうです。
ところが、栄養のある餌をもらえるものだから、野ガモたちの一部は、寒くなったら南の方へ飛んでいくという習性を忘れ、だんだん太っていき、飛べなくなってしまったといいます。

 ところが、ある日、その親切な老人がコロッと亡くなってしまったのです。それで大変なことになりました。
実は、太った野ガモたちは空を飛べなくなっていたため、「さあ、困った。どうしよう」ということになったのです。彼らはすでに渡り鳥の習性を失ってしまっていたわけです。

 そして、雪解け水が洪水のように流れてきたときに、溺れて死んでしまったということです。
0471神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 22:42:41.31ID:sLHhH+C8
  「野ガモの話」を紹介した実存主義哲学者・キルケゴール
0472神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 22:43:10.21ID:sLHhH+C8
  「野ガモの話」を紹介した実存主義哲学者・キルケゴール

 ちなみに、この話を紹介したキルケゴールは、生きていたときにはあまり有名ではなく、無名に近かったのですが、後に、ドイツのハイデガーという哲学者が有名にしました。哲学においては、いわゆる実存主義哲学の始まりのところになります。

 キルケゴールという方は、もとは家のお手伝いさんだった女性との間に生まれた子供であり、病気も持っていたということで、ある意味では不幸な生い立ちという見方もあるかもしれません。

 また、晩年には「瞬間」という題の教会批判の冊子をつくっていました。

 「君たちは、もう手遅れだ。月曜日から土曜日まで、毎日、ぐうたらぐうたらと堕落した生き方をしていながら、『日曜日だけ教会でお祈りをしたり心を清めたりしたら、いいところへ行ける』などと思っているなら間違っている。
人間は、毎日毎日が大事なのだ。月曜日から土曜日まで怠けていて、日曜日だけで救われると思っているのか」などと言った調子で教会を批判していたのです。

 そんなことをしていたある日、路上で生き倒れになって、悲惨な最期を遂げました。

 これが実存主義哲学の始まりにいた人ですけれども、今述べた、野ガモの話などが有名です。
0473神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 22:43:37.53ID:sLHhH+C8
  「飼いならされた野ガモになるな」というIBM精神

 さらに、この話を、IBMという大会社をつくったトーマス・ワトソン親子のジュニア(息子)のほうが引用しています。

 「飼いならされた野ガモのようになるな。人から餌をもらって食べているうちに、飛んでいけなくなるようになっては駄目だ」というように、野性味を失わないことの大切さを、IBMの精神として説いています。

 要するに、「『現状で食べていけるから、これでいい』と思うような生き方をしていたら駄目だ。いつ危機が来るか分からないし、いつ潰れるか分からない。だから、危機感を持っていきなさい。
毎日毎日が真剣でなければいけないし、毎日毎日がイノベーションでなければいけない。そういう野性味、危機感を持って、毎日を生き抜かなければだめなのだ。
一生懸命生きなければ、未来はない」というようなことを言っていたわけですが、それもあって、IBMは世界的な企業になりました。
0474神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 22:44:10.06ID:sLHhH+C8
  日々に精進し、自己変革し、課題に挑戦し、環境の変化に耐える

 このような考え方は、みなさんにとっても大事なことであると思います。

 「今、これで生活が成り立っているから大丈夫だ」と思っていたとしても、いつ、その生活が何らかの外部的事情、例えば、ライバル店の出現等、様々な状況によって変わるかは分かりません。
また、大手の企業にしても、今、どんどん潰れています。トップメーカーであっても潰れかかっているところはたくさんありますし、現に潰れたところもあります。ほかにも、外国のライバルが出てきたり、国内のライバルにやられたりすることもあるでしょう。

 今、世界を席巻しつつあるユニクロのようなところにしても、もし、一ドル百五十円になれば潰れるでしょう。以前は円高だったために、外国に数多くの出店をしても安くできていたのですが、これが一ドル百五十円になったら潰れるはずです。

 トヨタのように輸出で儲けられるところであれば、為替レートが一円安くなると、百億円ぐらい儲かったりすることもありますが、安売り店などは潰れ始めます。
円高対策に、海外で現地生産をするようにしたところなどは潰れるようになるので、どうなるかは分からない面があります。

 したがって、「野ガモ精神」を忘れてはいけません。ここが非常に怖いところであり、そういう危機感を持って人生を生きなければいけないという所では同じだと思うのです。

 やはり、みなさんも、いつもそういう気持ちを忘れてはなりません。
「日々精進する気持ち、日々自己変革をし、新しい課題に挑戦し、環境の変化に耐えていこうとするW遺伝子”を持たなければ、もはや、人間個人としても、あるいは組織としても、生き残ることはできないのです。
0475神も仏も名無しさん
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2018/07/03(火) 22:44:43.35ID:sLHhH+C8
  永遠と思われてきた宗教の世界が直面する「消滅の危機」

 「宗教は永遠だ」と思われていても、いくつかの宗教を見るかぎり、消えつつあるところも多々あるようです。

 今、甲府湖の科学では私の説法を全国各地で衛星中継していますが、中継地の近くにある宗教のなかには、「いつ、幸福の科学に滅ぼされるか分からない」と思って震え上がっているところもあるでしょうし、すでにW消えた宗教”もあるでしょう。

 幸福の科学が立宗した1980年代は新宗教が数多く出てきた時代でした。70年代、80年代当時には次々と宗教が現れ、ライバルもたくさんいましたが、この三十年間のなかでそうとう淘汰されて消えていきました。

 すなわち、世間でははっきりと評価していないものの、やはり、「残って大きくなるところ」と「消えていくところ」とが出てきているわけです。それは、厳しいことではありますが、宗教の世界でも同じなのです。

 ただ、古い宗教にしても、「今、頑張らないと、なかなか生きていけない」ということを、いちおう意識はしているようです。

 例えば、戦後七十年に先立ち、浅草の東本願寺(浄土真宗)のようなところでも、渡部昇一氏を呼び、入場料無料で講演を開催したりしていました。

 実際、親鸞系統の教えで戦後七十年をどう評価するかといっても、全然分からないでしょう。「阿弥陀様、どうにかしてください」という以外に方法がなく、自分たちではできないからか、評論家等を呼んでタダで講演会を開いたりしているのです。

 その点、当会は自前でいろいろと意見を言うことができるわけです。
0476神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:16:00.22ID:8H1tMJzc
  「今までは大丈夫だった」というW安全神話”の見直しを
0477神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:17:12.99ID:8H1tMJzc
  「今までは大丈夫だった」というW安全神話”の見直しを

 先ほど述べた、老人に餌をもらっていて跳べなくなった野ガモの話なども、国の体制に関するWたとえ話”として持っていくこともできるでしょう。

 アメリカというW親切な老人”が、栄養のある餌を日本というW野ガモ”に一生懸命くれるので、日本はそれを食べるうちに、「もう、南のほうへ渡らなくてもいいな。このまま安泰で、冬も越せるだろう」と思っていた。
ところが、ある日、突然、雪解けの水が流れてきたときには、空を飛べなくなっていて、溺れ死ぬようなことはある。だから、「W安全神話”を守ってさえいれば大丈夫だ」と思っていると、ある日、突然に最後が来ることもある。

 要するに、そのW親切な老人”がえさをくれなくなることがあるかもしれないので、そのときのことを考えておく必要があるわけです。

 このような例をわざわざ引いたのは、今、日本の国会等でもいろいろ揉めているということもあります。

 普通の鳥たちであれば、冬になると南のほうへ飛んで行って餌を取るところを、
「いやあ、私たちは普通の鳥とは違うのだ。餌をくれる人がいるから、もう、南へ渡らなくても大丈夫なのだ」と思っているのかもしれませんが、「大丈夫ではないこともあると知っておいたほうがよい」ということを述べているわけです。

 ここでは難しい憲法論議には入りませんが、「今までのW安全神話”で、うまくいっているから大丈夫だ」とはいっても、基本的には、やはり、原点に戻るべきでしょう。
「国家とはどのようでなければいけないのか。ほかのところはどのようにしているのか」ということをよく見もせずに、「自分のところは、これでうまくいっているから大丈夫だ」などというのは甘いのです。

 それは、国家にも言えることですし、みなさん個人にも言えることですし、会社にも言えることですし、自営業等にも言えることでしょう。
「絶対に大丈夫」と思っていたのに、ライバルが出てきたりすると、突然、駄目になるようなことはあるわけです。ライバルの店が向かいにできたりとなりにできたりしただけで、潰れることはあります。

 したがって、いつも凛として張り詰めた生き方をしなければいけません。
0478神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:18:18.31ID:8H1tMJzc
5 心をどのように生かし、人生を生き切るか

  人生で得た魂の経験は死後も続いていく

 そして、人生二万日から三万日を上手に生き切った人、智慧を持って生き切った人には、その後の未来もあるのだといえます。
 「その後」のことについて、さらに分かりやすく付け加えるとするならば、人間は、死んでも魂はなくならずに存続します。

 某宗教のように、「人間は、死後、大海のようなところに吸収され、その粒の一つとして沈んでいるような状態になる」と言った「あの世観」を持っているところもありますが、そのようなものではありません。

 人間の魂は個性を持っており、あの世でもそのまま生きています。
今世、生きたときに、男性または女性としての性を持っていますが、
この世を去ったあとの来世での姿としても、「今世の意識、名前、男性か女性かの性別、ある程度得た知識や経験等から得られた個性」を持っており、次回生まれ変わるまでは、それを自分だと認識しているのです。

 すなわち、個性としての人生経験が、基本的にはあの世でも続いていくことになるわけです。だからこそ、非常に大事なことであると言えます。
0479神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:49:40.27ID:8H1tMJzc
 人生の時間を上手に使い、十分に生き切るために

 人生は二、三万日しかありませんが、その時間を上手に使い、十分に生き切って、誰のせいにするのでもなく、自分で考えていけるものについは、「自分のWハンドルとアクセルとブレーキ”」を使って上手に乗り越えていくことです。

 また、未来のみならず、自分の過去さえ変えていけるのです。
 「過去が不幸だったから、今も不幸だ」と、いつまだも言い続けているような国もありますが、そのように言っていること自体で、すでに「不幸」なのです。そういうことを言い続けるかぎり、絶対に幸福にはなれません。
0480神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:50:18.18ID:8H1tMJzc
 その国の今が本当に輝いているのであれば、過去のことは許せるはずなのです。過去のことなどは言わないものです。
それを、例えば、「七十年、八十年前にこんなことがあったから、今、私たちは不幸なのだ」などと言い続けるということは、「今の政治が悪い」ということなのです。
それは間違いなくそうでしょう。今の政治が悪いために、為政者は、国民の目をそらすために、過去のせい、外国のせいにするわけです。
 そのあたりのことが分からないようでは、残念ながら、現代に生きるトップの知性層とは言えません。

 心の話を中心に述べてきましたが、「我々は自由にできるものを持っている」のです。百パーセント、自分の自由になるものを持っているので、これを使って、上手に生き切ることが大事です。

 幸福の科学は、この「心をどのように生かし、人生を生き切るか」ということについての智慧をたくさん説いています。
2015年のベストセラーになった『智慧の法』という書籍でも、「どのようにして智慧をダイヤモンドのように磨き上げ、値打ちを出すか」ということを教えています。
 このような宗教はほかにはありませんので、どうか、この違いをよく学んでくだされば幸いです。

🔥 大川隆法著 伝道の法

🔥 第一章 心の時代を生きる

ーーー人生を黄金に変える「心の力」

第1章 終り
0481神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:51:02.69ID:8H1tMJzc
🌟 伝道の法
       第2章 魅力ある人となるためには
0482神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:51:42.19ID:8H1tMJzc
🌟 伝道の法
       第2章 魅力ある人となるためには

1 「いかに魅力を出すか」は重みのあるテーマ

 本章は、「魅力ある人になるためには」という題です。もし、この題に偽りがない場合、内容をマスターすれば、だいたい、あらゆることに成功するはずでしょう。したがって、このテーマには、ある意味での重みはあるだろうと思います。

 なお、本章のもとになった法話をする際、会場(東京正心館)を映しているモニターで参加者の年齢構成を見ていたのですが、
「これはやや゛難しい”年齢層が集まっている。これから魅力を出していくには、そうとう大変な年齢層なのではないか。難度が予想より少し上がるのではないだろうか」と感じました。

 例えば、若い人などは、魅力ある人間になるために、まだまだ、いろいろとつくっていけるものがあります。ところが、お互いさまではありますが、年齢が上がるにつれて難しくなってきて、なかなか変化しなくなるわけです。

 ただ、「そうした苦しいなかで、どのように魅力を紡ぎ出していくか」ということが大事なのかもしれません。この法話の内容が、それぞれの方に、わずかにでもかすれば、ありがたいものだと思っています。

 ちなみに、この法話をした翌日、渡部昇一氏が同じく東京正心館で話をされたのですが、あるいは、渡部氏の話を聴くのもよいかもしれません。

 渡辺氏は対談なされると、相手の方を必ずほめるのです。また、自分のことに関しては、「劣等感を持っている」という話か、「何かどんくさいことをした」という話を、どこかで必ず入れられます。

 そのように、自分の心を開いて少し隙を見せ、相手についてはほめるのです。そして、何かいい感じが残るような終わり方をします。これは、いつもそうです。

 やはり、渡部氏は、魅力が出る方法を、よく心得ておられるのではないでしょうか。
0483神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:52:23.44ID:8H1tMJzc
2 「人をほめる」ときに気をつけるべきこと

  「真実語」に反するほめ方をすると反作用が出る

 ただ、私の場合、渡部氏のまねをしてほめようとしても、駄目なことがあります。なぜなら宗教家なので、職業柄、「真実語」を語らなければならないからです。

 確かに、若いころは、「だいたい、人はほめれば好感を持ってくれるので、何をやっても、それでうまくいく」というようなことが、ものの本によく書いてあったので、一生懸命、人をほめる練習をしていたこともありました。

 ところが、宗教家になって、だんだん教団が大きくなり、指導する相手が増えてくると、真実語に反するほめ方をした場合、反作用が出てくるようになったのです。
要するに、ほめられたほうとしては、「大川隆法先生がそう言ったからには、それが真実でなければならない」「まず、言葉ありきだ」ということなのでしょう。
その後、自分に対する、みなの評価や私の評価が違ってきた場合、「低い評価をした人を責める」ことが増えてきたのです。

 そのため、なかなか、人をほめるのが難しくなってきたのを感じました。

 しかし、この三十年余りの幸福の科学の歴史を振り返ってみると、いろいろな人がいましたが、私に「ほめられた人」と「叱られた人」のその後を比べてみると、叱られた人は、ずっと幹部で残っていることが多いのです。
特に、複数回叱られたような人は、だいたい残っています。

 一方、ほめられただけで、そのあと、叱られていない人の場合は、そうではありません。
仕事ができなくなったのか、つまずいたのかはよく分かりませんが、何かの具合で一定の立場から外れていったときに何らかの不満を持つことが多く、周りからの評判が悪くなったり、批判されたりするようなことがありました。

 ともかく、「先生からほめられたのに、このようになったのはおかしい」というような人も過去にはいたので、意外に難しいものだと思います。
0484神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:53:23.59ID:8H1tMJzc
  八方美人にならぬよう、「自分の器相応」に発信するべき

 さて、ものの本には、「ほめれば人の人気を取れて、人を動かせる」というようなことが書いてあるのに、現実には、そうはならないことが多いのはなぜでしょうか。それは、おそらく、書いている人の発想の原点が、セールス的なものにあるからだと思います。

 要するに、「一対一で顧客に対して、セールスの実績を上げるには、どのような対し方をすればよいか」というようなことでしょう。
だいたい、「人に対して笑顔で接し、ほめて、いい気持ちにさせ、さわやかな感じを与えて好感を持ってもらう。相手に好感を持ってもらえさえすれば、だんだん、得意客が増えてくるので成功する」というあたりから、全体のモチーフが出来上がっているわけです。

 ただ、私の立場では、それでは、もはや合わないことがよくあります。

 例えば、「魅力ある人となるためには」というテーマであれば、当然、そのなかには、男女の問題も入ってくるわけです。それは、「男性が女性にもてるには、どうすればよいか」、あるいは、「女性が男性にもてるには、どうすればよいか」というようなことでしょう。

 ところが、私などは、夜な夜な、女性の信者からも男性の信者からも、「先生、愛しています」という声が、(天耳の霊的能力ゆえ)聞こえてくるのです。

 そういう意味では、実に難しいところがあります。「それはありがたいことではあるけれども、私は何と答えたらよいのでしょうか」というような面があるわけです。

 それはともかく、いろいろなところで八方美人的に振舞えば、魅力があるように見えることもあるかもしれません。

 しかし、反作用ではないけれども、相手の反応に対して責任が生じる場合があるので、「発信は自分の器相応でないといけない。それ以上に発信しすぎてはならないこともある」ということを知っておいてください。
0485神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 00:54:27.36ID:8H1tMJzc
3 人は「公」「私」ともに見られている

  人が見ていないと思って、いつもと違う振る舞いをしていないか

 なお、「魅力ある人となるためには」という題は、下から上がってきた企画ですが、これが組まれた背景には、おそらく、「宗教としての伝道を進めていくためのコツのようなものが聴けないか」ということと、
「政党(幸福実現党)が多くの人たちの支持を受けて、票をもらえるようにならないか」ということがあるのではないかと思います。「その二つを、一発でパシッと決めていただきたい」というような願いを感じるので、そうしたことを聴きたいのでしょう。

 ただ、それには、実に難しいところがあります。世の中には、内と外で違う場合があって、なかなかうまくいかなかったり、逆になったりすることが多いからです。
0486神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 02:23:58.28ID:ShDaMiAX
 例えば、「教団のなかで魅力があっても外では魅力がない場合」もあれば、また、「なかで魅力がなくても外で魅力がある場合」もあります。その両方が出てくるので、このテーマには何とも難しいところがあるのです。

 先日(2013年4月7日)も、幸福の学園関西校の初めての入学式に行って、新幹線で帰ってきたのですが、次のようなことがありました(注。入学式では、法話「幸福の科学学園の未来に期待する」を行った)。

 実は、歌手や俳優として長く活躍なされている方が乗ってきて、私の前の席にお座りになったのです。その方は、何万人も集めてコンサートをしたり、刑事もののドラマなどにも出たりしている方でした。

 そして、歌の仲間なのか秘書なのか分かりませんが、何人かと一緒に向かい合わせになって、ワイワイやっていたのです。ところが、いきなり背もたれを後ろに倒してきたため、それが私の目の前にバーンと迫ってきました。

 そのため、私としては、「一言ぐらい挨拶があってもよいのではないか」と思いながら座っていたのです。

 また、その方は、トイレに行くときにもボデイガードのような人がついて、行ったり来たりしているので、周りの人は分かった上で見ています。しかし、本人はサングラスをつけ、変装しているつもりでいたようです。

 いずれにせよ、新幹線の座席の背もたれを後ろに倒す際に、いきなりボーンと倒されたら、やはり印象は悪くなるでしょう。

 ちなみに、その方は、近くの方から指摘を受けたようで、品川駅に下りてから、私のことをジーっと見ていました(笑)。私が後ろの席にいたので分からなかったのでしょうが、言われて気づいたあと、ジーっと見てはいたのです。

 ただ、少し遅かったかもしれません。やや礼を失した面があったのではないでしょうか。

 そのように、コンサートのような場面では人気を博すことができても、プライベートな部分というか、要するに、「人があまり見ていない」と思うところでは、少し違うような振る舞いをなされる方もいるわけです。
0487神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:18:11.10ID:8f0sdfOR
🌟  大川隆法著 「伝道の法」

 第3章 人類幸福化の原点
0488神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:19:54.95ID:8f0sdfOR
🌟  大川隆法著 「伝道の法」

 第3章 人類幸福化の原点

1 「宗教心」「信仰心」は、なぜ大事なのか

 「大悟三十五周年」「立宗三十周年」を迎えた幸福の科学

 幸福の科学にとって、二〇一六年は「大悟三十五周年」「立宗三十周年」であり、一つの区切りの年でした。
 立宗して三十年がたったので、宗教団体としては、ある程度、日本のなかにおいての地位は確立してきたと考えていますし、世界においても知られつつあると思います。
 海外で当会を知っている人の数を合計すれば、日本よりは、はるかに多いと思いますが、海外でも、まだまだ現在進行形で活動しているところです。


 私の生誕地である徳島県が、どのくらい海外で知られているかは知りませんが、いずれ徳島県は世界の聖地になると考えています。
 また、二〇一六年には、映画「天使に゛アイム・ファイン”」でも多少キャンペーンをしましたが、立宗三十周年を記念して、吉野川市の川島町に、「聖地エル・カンターレ生誕館」を建立させていただきました。
 内心では、多少、恥ずかしい気持ちがないわけではないのですが、記念になるものが何か一つぐらいはあったほうがよいのではないかと思っています。きっと、世界のみなさんが参拝に来て下さるようになるのではないかと信じています。
 未来の徳島県には、阿波踊りのときだけではなく、私の生誕日である七月七日あたりを中心にして、さまざまな機会に、全世界からいろいろな方が訪れるようになるのではないかと考えているので、徳島県の未来はとても明るいのです。
 以上を前置きとして、本章では、主として宗教的な話をしようと思っています。
0489神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:20:37.42ID:8f0sdfOR
  徳島県出身の「三木武夫・元総理の霊」を困らせた質問

ーー17行割愛ーー

 やはり、「四国の地は、弘法大師空海が八十八箇所の霊場を定めて以来、千年以上もの間、霊的な地として護られていた」ということが大きいのではないかと考えています。
 生まれ育った環境から、やはり、文化的なものの影響をそうとう受けるので、「そうした霊的な環境のなかに生まれた」ということが大きかったのではないかと考えているのです。
0490神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:21:11.85ID:8f0sdfOR
 「霊的なこと」を受け付けない、現代の学問や科学

 ただ、そういう信仰深い所に生まれたからといって、すべての問題が解決したわけではないことも事実であり、私の人生の大半は、「田舎的な部分と都会的な部分との葛藤を経ながら、成長してくる」という過程でした。
 世界の情勢や日本全体を見渡す意味において、四国は、そう有利な地だとは思いません。
 しかしながら、郷土の「純粋な信仰心」と、「日本全体は、今、どこを向いているのか。
世界は、どのような方向に向いているのか」ということを比べてみて、そのギャップを知ることは、「今、何をなさねばならないのか」ということを考える意味で、たいへん役に立ちました。「勉強になった」といってもよいかもしれません。
 四国の徳島に育ち、やがて東京に出ると、「常識」というものがかなり変わっている印象を私は受けました。
 簡単に言えば、「信仰心やあの世など、『霊的なこと』について表立って話をしても、あまり受けつけない」という感じでしょうか。コーティングされていて水を弾くような感じで、ツルンとしていて、まったく受け付けないような感じでした。
 学問においても、科学においても、あるいは都市文明においても、だいたい、そういうところがあったように思います。
 また、日本以外の国においても、先進国では、そういう点が非常に強いのではないかという印象を受けました。
 もっと話を大きくすれば、次のようなことが言えます。
 現代において、例えば、「霊界」「あの世」とか、「神様」「仏様」、あるいは、「高級霊」「菩薩」「如来」という言葉は、学問的には完全に死滅しかかっており、そういうものは「ないもの」とされています。
 そして、「目に見えるこの世だけを、どうにかよくして快適にし、幸福に暮らすのが、人間の目標、人類の目標だ」と考えるのが主流になっています。
 いろいろな学問があり、いろいろな専門がありますけれども、どれもこれも、「地球の表面上で起きていることがすべて」のように見えていて、
宇宙を見ても、「天体望遠鏡で見える世界がすべて」という感じで見ていて、これが「開かれた世界」だと思っている人が多数なのです。
0491神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:21:41.48ID:8f0sdfOR
   戦後の日本人の信仰心は「縁起を担ぐ」というレベル

 二〇一六年四月に出した、福田赳夫・元総理の霊言の「まえがき」にも書いておいたのですが、アメリカでアンケートを取り、「あなたは神を信じていますか」という質問をストレートにしたら、
九十八パーセントぐらいの人が「信じています」と答えることが多かったようです。
 調査によって少し違うこともありますが、だいたい九十八パーセントぐらいの人が「神を信じています」と答え、「信じていない」と答える人は二パーセントしかいないのです。
一方、日本では、「あなたは神を信じていますか」とズバッと訊いた場合、「信じています」と答える人は十数パーセントです。そういう答えは、十五パーセント前後、十五パーセントか十六パーセントぐらいしか返ってきません。
まともに「神を信じていますか」と訊いたら、一、二割の人しか、「信じています」と言えないのです。
 ところが、「あなたは正月に初詣に行きますか」「お盆にはお墓参りをしますか」「お守りなどを信じますか」「お祓いを受けたりしたくなることがありますか」などというかたちで訊いたら、
半数以上の人は、「そういうことはあります」と答えます。
 「神様を信じていない。仏様を信じていない」と言っても、「合格祈願」や「交通安全祈願」などのお守りを持っていたりするのです。
 神も仏もなかったら、そういうものを持っていても意味がないと思うのですが、「『縁起を担ぐ』というレベルぐらいの薄い信仰心がったら、この世の今の進化についていくことができ、共存できるぐらいの範囲でいられる」という感じでしょうか。
それが今の日本の常識なのではないかと思います。
0492神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:22:52.74ID:8f0sdfOR
 しかし、これは、世界の常識からみれば、かなり外れているわけです。 ただ、決して、昔からこうだったわけではないのです。
第二次世界大戦後、この風潮が極めて強くなりました。
新しい憲法ができ、政治と宗教の分離を決められ、「学校教育から宗教を追放する」ということが行われてからは、宗教は一種の迷信扱いをされてきたのですが、それ以前もみな、そうだったわけではありません。
 つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様ぐらい、いて当たり前でしょう」と答えたと思います。
 戦争で敗れた国の価値観が、全部間違っていたかというと、そんなことはありません。
「そこまで自虐的になってはいけないのだ」ということを申し上げておきたいのです。
 一部、物質文明のなかで勝ち負けが生じることはありますが、「それによって、今まで持っていた伝統が全部否定されたり、信じていたものが全部崩れたりする」というのは行きすぎであって、やはり、きちんとした揺り戻しがあって、元に戻らないといけないわけです。
0493神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:23:58.65ID:8f0sdfOR
 霊言集を何百冊も出し、霊人たちの「個性の違い」を示している

 「そういう気持ちになっていただきたい」と思って、三十年間。幸福の科学の活動をしてきました。
 私自身、説法を数多く行い、また、理論的な本をたくさん出してきたのですが、それ以外にも、霊言集というものを、相当の数で出してきました。
 「霊言集を出さなくても、総裁の考えとして教えを説けば十分ではないか」と言う方もいますし、私もそう思って、十数年間、新たな霊言集を出さずにいた時期もあります。
 しかし、だんだん、若い人が生まれて大人になってくると、「霊言」というものを知らない人が増えてき始めました。
 「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
 「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
 そのなかには、私の考えとは多少ずれている意見のものもあります。その人特有の考えがあるので、私の考えとは、ずれているものもあるのです。
 そういう意味では、「教義の統一」は難しくなるのですが、「この世で個性が違うように、死んで、あの世に還っても、個性の違いはそのままあるのだ」ということをお教えするために、たくさんの霊言集を出してきました。
 それはどういうことかというと、みなさんは、今世に生まれて、何十年かの人生を生き、やがて、あの世に還ります。「みなさんは、死んで、肉体を火葬場で焼かれ、お墓に入れられたら、それで終わりではないのですよ」ということを意味しているのです。
 これは、すごく大きなことなのです。
0494神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:26:32.34ID:8f0sdfOR
  信仰心には「この世を善良にしていく力」がある
0495神も仏も名無しさん
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2018/07/04(水) 03:27:37.94ID:8f0sdfOR
  信仰心には「この世を善良にしていく力」がある

 死んで、火葬場で焼かれ、お墓へ入れられ、それで終わりだったら、「残された時間で、とにかく自分が満足できるように、快適に、エゴイステイックに生きればよいのだ」と思うかもしれませんが、
「もし、『死んで終わり』ではなかったとしたら、どうするか」という観点から考えると、人生はコロッと変わってくるわけです。
 さらに一歩進めて言えば、昔の人が言っていたような、「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが見ているのですよ」というあたりから始まって、「神様、仏様があなたの人生を見ているのですよ」という言い方もあります。
 これは、「今では、笑う人が大半だろう」と思うようなことでしょうが、もし、これを「本当だ」として、
「神様、仏様が見ている」「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが、私の一生をずっと見守っている」と思って生きたら、悪いことの一つも、なかなか、そう簡単にはできません。
 子供でも同じです。中学生や高校生で、「コンビニには、夜間、店員は一人しかいなくて、とろいから、二つか三つ商品を゛持っていって”も、分からないだろうな」という気持ちがあったとしても、
ふと、「やはり、お祖父さんが見ているかもしれないなあ」と思ったり、「仏様は見逃さないだろうなあ」と思ったりして、それを止めようとする力が働いてくることがあります。
 こういうものが実は信仰心の力なのです。信仰心には、実は、「この世を善良にし、道徳的に推し進めていく力」があるのです。

560まさに多彩な人材を有する自民党ですね(笑)2018/07/04(水) 03:11:40.02ID:F89I1Xe/
0496神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/07/04(水) 10:02:24.45ID:MXvtjZ+Q
 「自分ならざるものが自分を見守っている。ほかの人が見ていなくても、別の世界から自分を見守っている存在、自分の一生をジーっと見守っている存在がいる」と思うことによって、自分の人生を正すことができるようになるわけです。
 ただ、「丸見えで、監視カメラで見られている」というようなことが感じられると、人生は不自由なので、それが分からないようにはなっています。
「自分がやっていることを見られていない」と思って生きていられるようにはなっているのです。
 しかし、時折、そういうものを霊感的に感じたり、自分の両親や親戚などから、そういう宗教的な話を聞いたりすることがあり、それで、ふっと気がつくことがあります。
 そういうものの存在を忘れないようにすることは、とても大事です。そのような「宗教心」「信仰心」というものは大事なのです。
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