敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
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『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ ____
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~`''ー--‐'` `''ー---‐' ~`''ー--‐'`~`''ー---‐'~`'ー---一' ~`ー---‐' 2005年(主日B年) 12月25日 主の降誕/日中のミサ
イザ 52:7〜10 ヘブ 1:1〜6 ヨハ 1:1〜18
毎年クリスマスのミサで、イザヤ書からのテキストが朗読されますが、それはそこに預言されている神の民の救いがイエス・キリストの誕生によって実現し始め、救済史がいよいよその最後の段階にさしかかったという教会の信仰宣言を表明するためであります。
教会がイエス・キリストによる間近な救済史の終末的完成に目を向けるために、イザヤ書からのテキストがこの期節のミサで朗読されて来ました。
それはイスラエルの過去の諸々の期待の思い出としてではなく、あるいは昔の預言者の語った単なる美しい夢としてでもなく、
そうではなくてイエス・キリストの第一の来臨によって始まった救済史の急展開が教会にとっての現実となったことを、会衆に知らせるためであります。
「彼らは目の当たりに見る。 主がシオンに帰られるのを。」(イザ v.8)
実に教会は 「神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。 キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。」(ロマ 8:17)
この教会の宣教は今日も、使徒たちの宣教の継続であって、神の国の福音の宣教以外の何ものでもありません(マコ 1:15、マタ 4:23、ルカ 9:60)。
「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」(イザ v.7)
教会の宣教の主体は神であって、私たち一人一人はその宣教のための働き人として用いていただく僕に過ぎません。
終末の日に、“私どもは取るに足りない僕です。 しなければならないことをしただけです”(ルカ 17:10)と言うことの出来る人は幸いです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ,..-──-.‐-‐-.‐-、
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【お断りプラモ】
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【完成図】
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,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」
じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ., 2011年(主日B年) 12月18日 待降節第4主日
サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
「わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」(サム下 vv.13-14)
南王国ユダへの “ダビデ王朝” の約束は、その初期からずっと、歴史のどこかの時点で理想の “神の子としての王” が即位するという期待として理解されていました。
ですから代々の王の即位は常に、“神の養子となる” という意味での “神の子の誕生” として祝われました(詩 2:6-7)。
そしてこの期待は、終末的な将来への希望として、主イエスの誕生に至るまでイスラエルに受け継がれて来たのでした。
私たち教会の信仰も、受けた救いも、神が歴史の中で実現されたイエス・キリストの出来事にその根拠をおいています。
「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。 神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(ルカ 1:32-33)
これはすでに起こったことの報告です。
そしてそれに続いて聖書は、「キリストは・・・・・ ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブ 9:12)、
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(Iコリ 15:20)と伝えているのです。 (つづき)
私たち現代の教会は、飼い葉桶の乳飲み子の誕生を待っているのではなくて、この方の終末における第二の来臨を待望しているのです。
これは福音のメッセージであって、おとぎ話なんかではありません。
「しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次の通りであった。」(サム下 v.4)
司祭やオラトリオの教師たちの “お話” と、 “主の言葉” とは、違っていることがあるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 2014年(主日B年) 12月25日 主の降誕/日中のミサ
イザ 52:7〜10 ヘブ 1:1〜6 ヨハ 1:1〜18
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。 わたしたちはその栄光を見た。 それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハ v.14)
「いまだかつて、神を見た者はいない。 父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハ v.18)
昔の思い出話でもなく、それについてのもったいぶった弁証でもなくて、私たちキリスト者はここで “神の啓示” に出会うのです。
神の啓示に関する教義憲章が教えるように、受肉し、その受難と死と復活によって永遠の贖いを成し遂げて、父なる神の右の座にお着きになったキリストが “啓示そのもの” であって、聖伝と聖書は私たちがこの啓示に出会うための “伝達の器” だからです。
私たちキリスト者が神の啓示に出会うのは、その証人として立てられた使徒たちの証しによるのであって、私たちに出来ることはその証しを通して啓示を受け入れ、信じることだけなのです。
この啓示の証しが教会を造り、私たちの主イエス・キリストの栄光ある再臨の日まで、これを保ちます。 (つづき)
私たちは、教会が待ち望んでいる “来たり給うキリスト” の、かつての地上における御業(ガラ 4:4-5、IIコリ 5:19)の使徒による証しを、この日中のミサの朗読配分によって聞いているのです。
これとは違うような、ただの昔話の中の思い出のメシアを回顧しようとしたり、あるいは神の秘められた計画とは何の関係もない現代のメシア出現への幻想を抱いてクリスマスを祝うことは、神の啓示とは何の関係もないことです。
キリスト教界の大多数の人々が、実際には全く理解しなかったとしても、
それでも、“今おられ、かつておられ、やがて来られる”(黙 1:4)キリストの啓示の光は、使徒の証しを通して “暗闇の中で輝いている”(ヨハ v.5)ということを、聞いて信じることの出来る信者は幸いです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2008年(主日B年) 12月28日 聖家族
創 15:1-6, 21:1-3 ヘブ 11:8〜19 ルカ 2:22〜40
「それは、神が約束されていた時期であった。」(創 21:2)
教会がこの世にある限り、いつもその時代の社会的、経済的、あるいは政治的な事柄と無縁ではあり得ません。
特に最近の世界規模の金融危機によって、我が国でも深刻な景気悪化、急速な雇用の縮小による打撃が、庶民を襲っています。
だれが無関心でいられるでしょうか。
今日キリスト教は我が国では超少数派であって、実際には効果的といえるほどの活動を行うことは殆ど出来ません。
しかし、その社会的、あるいは経済的実力の無さにもかかわらず、これまでもキリスト教関係の人々や団体による政治や社会や経済に関わる発言は盛んでした。
それらの諸発言や活動は、それぞれ彼らの信仰に発しているのでありましょうし、賛否は別として、恐らくそれも良い信仰なのだろうと思います。
ただ、聖書を学ぶ者として、一つの警告をここに書いておきます。
私たちは自分の心の感情(それがどんなに善意からのものであっても)を、あるいは自分の知識に基づく確信(それがどんなに熟慮されたものであっても)を、教会の信仰(使徒継承による)の代替物にしてしまってはならないということです。
教会の信仰は、救済史をその完成へとお進めになる神、御子の血によって教会を贖われた父なる神への信仰であり、神が世の罪を取り除く小羊としてお遣わしになったイエス・キリストへの信仰だからです。
「わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(IIペト 3:13)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より キリスト教の人々は邪神不動明王に非常にだまされやすい!あなた方が吹き込まれて悪だと思ってるものは
善人で不動明王が実は本当の古代から続いてる古代から騙してる悪なのです。その洗脳をさっさとどけ、
自主的に弁償してくること。さもなくば強制的に3倍ぐらい弁償を取られて抹消されるでしょう。
初詣は成田山や不動明王神社へは絶対行ってはいけません! 2014年(主日B年) 12月28日 聖家族
創 15:1-6, 21:1-3 ヘブ 11:8,11-12,17-19 ルカ 2:22〜40
「信仰によって、アブラハムは ・・・・・ 」(ヘブ vv.8,17)
「信仰によって、不妊の女サラ自身も ・・・・・ 」(ヘブ v.11)
“信仰” を強調することは、旧新約聖書を貫いて主の民に求められ続けて来た、神に対する基本的応答の姿勢であります。
ですからいわば当然のこととして、“信仰がなければ、神に喜ばれることはできません”(ヘブ 11:6)と述べた後に続いて、アブラハムとサラの信仰の物語りが語られました。
私たちはキリスト教の歴史が、繰り返しこの “信仰” を人間の功績や徳という富に算入出来るかのように考えて、神の前に価値あるもののように賞賛して来たのを知っています。
“アブラハムのような偉大な信仰者になろう” などという間違った聖書の読み方が、特に原理主義的なキリスト教で日常的に語られて来ました。
アブラハムは神の御前では自分が “塵あくたにすぎない者”(創 18:27)であることを知っていました。
アブラハムは主を信じたのであって、決して自分の信仰の価値を信じたのではありませんでした。
そして “主はそれを彼の義と認められた”(創 15:6)のです。 (つづき)
聖家族の祝日の主役は、マリアでもヨセフでもなく、またシメオンでもアンナでもありません。
言うまでもなくそれは幼子イエスであり、啓示の光を伝える “証し” であります。
そしてそれは、私たちがミサでお会いする “受肉し、その受難と死と復活によって永遠の贖いを成し遂げて、父なる神の右の座にお着きになったキリスト”、“生者と死者を裁くために栄光の内に再び来られるキリスト” と同じ方であります。
私が書き続けて来た “聖書の学び” の15年目を終わるに当たって、このささやかな奉仕が ・・・・・ ごくわずかな読者にとってであったにせよ ・・・・・ 啓示の光を伝える “証し” としての役割を、いささかでも果たすことが出来たとすれば、
感謝の内に、主はこの僕をも安らかに去らせてくださることでしょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2012年(主日B年) 1月1日 神の母聖マリア
民 6:22〜27 ガラ 4:4〜7 ルカ 2:16〜21
「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ v.20)
クリスマスに子供たちが演じる聖劇では、“主の天使が ルカ 2:8-12 の場面で言ったことは、本当でした” という結論で、お話が終わってしまいます。
しかし私たちは、歴史の教会がこれまで決して説明し尽くすことの出来なかった、「神秘としての神の知恵」(Iコリ 2:7)、御子の受肉という出来事を、マリアと共に思い巡らすようにと招かれているのではないでしょうか。
ルカ v.20 は ルカ 1:37 の天使の言葉と共に、それが徹頭徹尾 “神の御業” であったことを告げています。
イエスがお尋ねになった 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。 だれの子だろうか」(マタ 22:42)という問いを、多くのキリスト信者は真面目には考えてみたことがありません。
先週の学びで言及した “まことの神にしてまことの人” というカルケドン信条の定式を、古代教会の単なる理屈であると軽視して、自分ではそれと知らずに異端的な理解や説明をしていることが多いのです。 (つづき)
以下に、この信条の中心部分を紹介しておきましょう。
“我々はただ一人の御子我らの主イエス・キリスト ・・・・・ を信ず。
主は神性において全く、人性において全く、まことの神にしてまことの人、
・・・・・ 神性によればよろず世の前に父より生まれ、人性によればこの終わりの時代に我らのため、また我らの救いのために神の母(θεοτόκος)なる処女マリアより生まれたり。
この唯一のキリスト、御子、主、独り子は、二つの性において混じることなく、変わることなく、分けられることも出来ず、離すことも出来ぬ御方として認められねばならぬ。
合一によって両性の区別が取り除かれるのではなく、かえって、各々の性の特質は救われ、一の人格一つの本質に共に入り、二つの人格に分かたれ割かれることなく、ただ一人の御子、独り子、言なる神、主イエス・キリストである。”
このカトリック教会の古典的信条は、キリストの~人両性を等しく強調する立場を守って、どちらか一方を強調して他方を退ける異端に対抗したのです。
それは私たちがキリストの受肉の出来事を理解する場合の “原則” であって、すべてのキリスト者は決してこの原則に無知なままで、御子についても、神の母聖マリアについても語るべきではありません。
私たちはマリアと共に、“(神の御業の)出来事をすべて心に納めて、思い巡らす” ことを学びましょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2003年(主日B年) 1月5日 主の公現
イザ 60:1〜6 エフェ 3:2〜6 マタ 2:1〜12
ユダヤ人の王としてお生まれになった方のところに、東の方の国から占星術の学者たちが訪れて来て、無事に礼拝と奉献をささげて帰って行きました。
神の秘められた計画(ミュステーリオン)が御子の受肉によって動き始めたことの最も象徴的な出来事として、教会は早くから主の公現の祭日を降誕節の中に位置づけて祝って来ました。
ですから教会は、異邦人の救いが主の受肉から始まって、新しいイスラエルとしての教会を造り上げて行く時代が到来したことを、この公現の祭りによって宣言して来たのだと言うことが出来ます。
こうして主の公現の祭日は主の降誕の単なる後祭りではなくて、教会の時代の開始を告げる祭りなのです。
そのような訳で、東の国の学者たちの来訪の出来事は、クリスマスの祝いの中の一つのエピソードのように扱われてしまってはなりません。
またこの物語りが語られると、それで主の降誕の祝いが幕を下ろすように考えて、さっさとクリスマスの飾り付けを片づけてしまうことは、適切ではないのです。
典礼暦は降誕節を “主の洗礼の祝日まで” と定めています。 (つづき)
捕囚から帰還した人々によるエルサレムの神殿再建が始まった頃に語られた第三イザヤの言葉が、古くから主の公現の祭日の第一朗読のために選ばれていたようです。
それはこの調子高い希望に満ちた預言が、教会を通しての神の秘められた計画の展開に見事に当てはまると、そう理解されたからでありましょう。
実に、キリストの祭壇を囲んでミサをささげる地上の教会の上に 「主が輝き出で、主の栄光が現れる」(イザ v.2)こと、そして全世界の民がこのキリストの光に向かって集まって来て、共にミサをささげる民に加えられることを、代々の教会は信じて来ました。
私たちも今朝再び主の光に向かって目を上げ、主の公現の祭日を祝って、代々の教会と共にこの預言の朗読に耳を傾けます。
この預言は決して今日の祭日一日間だけしか有効期間がないものではなくて、再臨のキリストが実現してくださる神の国までをその射程に納めています。
ヨハネ黙示録の21:22以下には、既にこのイザヤ書60章の預言の完成する姿が描かれているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2006年(主日B年) 1月8日 主の公現
イザ 60:1〜6 エフェ 3:2〜6 マタ 2:1〜12
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタ v.2)
私たちの救い主イエス・キリストは、ユダヤ人の王として生まれ、ユダヤ人の王として処刑された方であることを、今日のキリスト者は殆ど全く忘れているのではないでしょうか。
そして自らユダヤ人と自称する民族と彼らの宗教については無関心であって、特にキリスト教や教会にとって何か関係があるなどとは考えたこともないというのが、実状であろうと思われます。
しかし、福音書を生み出した初代教会の信仰にとっては、状況は全く逆でありました。
当時のキリスト者たちにとっては、星に導かれて東方から旅して来た占星術の学者たちが、遂にユダヤ人の王としてお生まれになった幼子をベツレヘムで拝むことが出来た物語りは、
この方の救いを受けた彼ら自身の喜びの姿の反映として理解されたものと思われます(エフェ 2:11-13 参照)。 (つづき)
東方でもローマでも、またエジプトでも、当時の天文学は既に数十年先の星の動きを正確に計算して予測していました。
紀元前7年の春、木星は星空で金星と出会いました。
その年の夏と秋には、魚座の中で木星と土星との出会いが繰り返されました。
これは極めて稀な大接近で、このようなことは約800年に一度起こるだけです。
当時木星は世界の支配者の星とみられ、魚座は終末時代の徴と考えられていました。
土星は東方ではパレスチナの星とされていましたから、学者たちは占星術的な予測に基づいて旅に出たと考えられます。
初代教会のキリスト者が、イエス・キリストの誕生と生涯と、その死と復活を通して与えられた大いなる救いへの感謝と驚きを、この伝承に重ね合わせたことは自然なことでした。
彼らが伝えた 「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」(マタ v.9)という表現に、私たちが今も得も言われぬ喜びを感じるのはそのためです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2009年(主日B年) 1月4日 主の公現
イザ 60:1〜6 エフェ 3:2〜6 マタ 2:1〜12
「あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。
この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や、“霊” によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。」(エフェ vv.4-5)
キリスト教は、多くの偉大な人々による新しい宗教的真理の発見によって築き上げられ、支えられて来たという判断があります。
何よりもイエスが、これまでの一民族に限定されていたユダヤ教を、すべての民に救いをもたらすキリスト教に発展させたいう主張があります。
しかし聖書は、キリスト教の内実は “キリストによって実現される秘められた計画” であって、以前には知られていなかったこの計画を 「今や」(エフェ v.5)神が使徒たちに啓示された、と宣言しています。
・・・・・ あなたは、そのどちらを信じているでしょうか。
つまり聖書は、救済史が、神による歴史の外側からの介入によって、その完成に至るものであることを証言しているのです。
かつてアブラハムを通して、またダビデを通して神がイスラエルに与えられた約束が、
「今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって」(エフェ 2:13)、すべての民のものになったというこの “秘められた計画” こそが、キリスト教の中心的なメッセージなのです。
主の公現の祭日の主題は、救済史をその完成へと至らせる神の御業、すなわち “秘められた計画” です。
私たち教会に 「天に蓄えられている希望」(コロ 1:5)を与えてくださった神を、賛美しましょう。
「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。」(コロ 1:23)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>600
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(_/彡 (_/彡 (_/彡 (_/彡 (_/彡 (_/彡 2000年(主日B年) 1月16日 年間第2主日
サム上 3:1〜10,19 Iコリ 6:12〜20 ヨハ 1:35〜42
私たちはみな、普通の人です。 しかし聖書の中には、そのような私たちの奉献と奉仕の手本となり、またその深い意味の理解を助けてくれる、使徒や預言者たちの召しの物語りが満ちています。
それらの中から、今日私たちは二つの物語りに目を向けるようにと招かれています。
@ ヨハネ
vv.35〜39 ヨハネの証しによって、ヨハネの二人の弟子がイエスについて行って、イエスの弟子になりました。
“ちょっと立ち話し ・・・・・ ” ではなくて、このかたから神の国の福音のすべてを聞くために、二人はイエスのもとに泊まったのです。
これは推測ですが、この二人のうちの一人は、ヨハネだった可能性があります。
ヨハネ福音書はこの使徒ヨハネの証言に基づいています(ヨハ 21:24)。
そして今朝のテキストの部分は、そのヨハネの目撃証言に拠っているように思われるのです。
アンデレは自分の兄弟シモンに、「わたしたちはメシアに出会った」 と言って、彼をイエスのところに連れて行きました。
イエスは彼を見つめて、「あなたをケファ(アラム語で “岩” ・・・ ギリシア語に直すとペトロになる)と呼ぶことにする」 と言われました。 (つづき)
ヨハネ福音書が出来上がった一世紀末近くの頃の教会で、“ペトロを土台として教会が建てられている” という理解は、既に広く受け入れられていました。
そしてそのような理解は、決して後から徐々に作られたのではなくて、彼の最初の召しにおいてイエスがそう定めてくださったことだったと、このテキストは証言しているのです。
ここに、一人一人への主の召しの特殊性があります。
そして事実、ペトロへのこの召しは、十分に教会の形成の中に役立てられたのでした。
A サム上
v.10 「主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。 “サムエルよ。” サムエルは答えた。 “どうぞお話しください。 僕は聞いております。”」
サムエルは神の言葉を聞き、預言者として召されました。 神が彼に特別な召しを与えられたのです。 そして彼は、神の救済史の中で十分に役立てられるのです(v.19)。
「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった ・・・・・ 」 と言われているそんな時代のただ中で、神は預言者サムエルを召し出されました。
ミサをささげる信徒一人一人にも、それぞれ神から奉献と奉仕が求められています。
ミサに参加する人は、また群のための奉仕にも参加するようにと招かれているのです。
ミサをささげることは、御子イエスキリストのいけにえの奉献に、私たちが一つに結ばれることだからです。
信仰深いよい備えをもって奉献と奉仕に参加しましょう(Iコリ 6:20)。
・・・・・ 以下、本文参照。
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Iサム 3:3〜10,19 Iコリ 6:13〜20 ヨハ 1:35〜42
下働きとして主の御前に仕えていた少年サムエルにとって、祭司エリは唯一の大きな存在であったと思われます。
彼は神の箱が安置された主の神殿(臨在の幕屋)の一隅に寝ていましたが、「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく(殆ど皆無)、幻が示されることも稀であった」(サム上 3:1)ので、少年は祭司エリに服従すること以外何も知りませんでした。
彼はまだ神が語られることを知らなかったのです。
いかにも現代のカトリック信者の姿をそこに見るようではありませんか。
「エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。 “戻って寝なさい。 もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。 僕は聞いております』 と言いなさい。” サムエルは戻って元の場所に寝た。」(サム上 vv.8-9)
エリについて彼の家の罪が断罪されているとはいえ、彼はここで間違いなく祭司の務めを果たしたのでした。
主の神殿の一隅に寝ていながら、そこに臨在される神の言葉を聞くことを知らなかったサムエルに適切な指示を与えたエリの存在の重さを、聖書は伝えています。
洗礼者が指さした 「神の小羊」 は、その尊い血によって(Iペト 1:19)教会を贖い、これを天に蓄えられている朽ちず汚れずしぼまない財産を受け継ぐ(Iペト 1:4)群としてくださったキリストです。
私たち信者は指導者や奉仕者を過剰に崇めて、彼らが証しし指し示しているキリストとその福音に無関心にならないようにと、今朝、聖書を通して呼びかけられているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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サム上 3:3〜10,19 Iコリ 6:13c〜20 ヨハ 1:35〜42
この教会は、主における聖なる神殿であり、霊の働きによる神の住まいであると(エフェ 2:21-22)、初代教会の指導者は信徒に熱心に教えたようです。
「知らないのですか。 あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、 ・・・・・ 」(Iコリ v.19)
この 「知らないのですか」 とは、信者がわきまえているべき最も基本的な事柄を提示する句で(ロマ 6:3 参照)、昔のカトリック教会で洗礼志願者が当然理解し、暗記しなければならなかった公教要理の条項のようなものを指しています。
現代流に言えば、それはもっとも基本的な信仰の常識であって、こんなことも分かっていない人は “キリスト者の資格なし” ということになります。
Iコリ 3:16 でも、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」 となっているように、この神殿は 「あなたがた」 という “共にミサをささげる共同体” を指していて、切り離された個人一人一人のことではありません。
この共同体性を理解することは、現代人にとっては特に大切であるように思われます。
なぜなら今日の世間の常識では、まず個人一人一人の信仰があって、同じ信仰の仲間が集まって教会という宗教団体が成立すると考えられているからです。
それで、 “伝道” とか “教会造り” ということが、世間の起業の場合と同じように “教会経営” という発想で進められ、それに “成功したとかしなかったとか” という形で評価されるのです。
多くのプロテスタント教会がすでにそうであり、多かれ少なかれカトリック教会でも似た傾向が見られます。 (つづき)
しかし、教会は主における聖なる神殿であり、信者はその部分(Iコリ 12:27)であって、いわば一人一人は聖霊が宿っておられる教会の縮図(microcosm)、幹に対する枝(ヨハ 15:1-6)のようなものなのです。
教会につながっていなければ、「外に投げ捨てられて枯れる」(ヨハ 15:6)ことになります。
枯れ枝をいくらたくさん集めても、それで教会が出来る訳ではありません。
私たちが教会を、“経営し運営される組織” として考えるか、それとも “聖霊が宿ってくださる神殿” と理解するかによって、主の言葉が示されず(サム上 v.7)、神のことばが聞こえないことにもなり(サム上 3:1)、
あるいは主がお呼びになる声をミサを通し、聖書を通して聞くことにもなります。
「どうぞお話しください。 僕は聞いております。」(サム上 v.10)
「サムエルは成長していった。 主は彼と共におられ、 ・・・・・ 」(サム上 v.19)
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 老クリスチャンって、誰も読まないのに長い文章書いてる。
誰も読まないのに。
無駄な努力なのに。
カ・ワ・イ・ソ でも、老クリさんは別人になりすまして
ヘビAAの人を「糖質」「ストーカー」とか罵らないよ
ただ、逆ギレして乱れる所は見てみたい気がする 2000年(主日B年) 1月23日 年間第3主日
ヨナ 3:1〜10 Iコリ 7:29〜31 マコ 1:14〜20
マコ vv.14-15
私たちの福音は、神の国の福音です。 救い主イエス・キリストによって、神の国の福音が教会に委ねられました。
今や 「時は満ち、神の国は近づい」 ています。 ですから今の時代は 「悔い改めて福音を信じ」 る時なのです。
これは神の国の福音ですから、代々の教会は諸世紀を通して、イエス・キリストの再臨と私たち救われた人々の復活に期待して、感謝の祭儀を守って来たのです。
今朝もミサの中で聖書が朗読され、こうしてその解き明かしである説教が語られるのは、この聖書に語られている神の国の福音への信仰を、教会が今日に至るまで受け継いで来ているからです。
多くの人々は、歴史を経て時代は変わり、人間の思想や価値観も時代とともに変わって来た ・・・・・ と考えています。
しかし教会はいつの時代にも、この神の国の福音によって教会であり続けて来たのであって、その福音と信仰が新約聖書の時代といささかも変化しないように、使徒継承というものを大切にして来ました。
ですから今朝のマルコ福音書の言葉は、今朝ここに集まっている私たちにももう一度新たに語りかけているのです。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2003年(主日B年) 1月26日 年間第3主日
ヨナ 3:1〜10 Iコリ 7:29〜31 マコ 1:14〜20
ヨナの説教を聞いて悔い改めたニネベの人々には、迫り来る神の怒りを免れるための切迫感がありました。
そのように、現代の教会が福音を聞くということは、今や時が満ち、神の国が近づいているという切迫感を理解することと不可分の関係にあります。
私たちがイエス・キリストを信じて、その血による贖い、罪の赦しを受けたのは、キリストの再臨の日に備えてのことであります。
そしてその日は近いのです。
使徒パウロはコリントの教会の人々に助言を書き送るに際して、その根拠として 「この世の有り様は過ぎ去るからです」(Iコリ v.31)と述べました。
神の国は近づいたという福音が、キリスト者の日常生活を、外見よりもむしろその質において変化させました。
ガリラヤ湖のあの漁師たちが、その家業をこれまで通りに続けながら、既にイエスが呼び出される日には、直ちにその仕事を残して従う者に変わっていたというマルコ福音書の物語りに、初代教会のキリスト者が共感を覚えた様子が目に浮かぶようです。
この同じ福音、神の子イエス・キリストの福音(マコ 1:1)、御国の福音(マタ 4:23)を、現代の教会は今朝再び聞いています。
主の忍耐によって(IIペト 3:9)、現代の教会は今なお 「時は満ち、神の国は近づいた」 という 「時」 の中に置かれているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 信仰があれば感染しません。
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日本国と大和民族の敵 カトリック・キリスト教会
現在のカトリック教会の堕落腐敗と聖性の喪失は看過できないところまで来た。もはや、それらは彼らに取って当たり前のことである。
典礼破壊及び聖域愚弄は当然のことながら、正平協(日本カトリック正義と平和協議会)をして明白に政治左翼活動を活発に行っている。
カトリック教会当局聖職者はこれら組織と活動を許容しているばかりか、自ら積極的に影響力を行使しながら活動に参加しているのである。
宗教法人であることを隠れ蓑にして、日本国と大和民族の伝統的精神文化の破壊を目論む反日左翼イデオロギーの牙城・要塞となっている。
かつての高潔な公教会カトリックは過去のものとなった。今や反日左翼運動家・在日コリア・その他反日プロ市民の巣窟となっているのである。
そして外国人参政権の獲得・人権擁護法案(人権侵害救済法案)の成立・夫婦別姓制度の導入・自虐史観の徹底・防衛力の否定などを目指している。
これらは、いずれも日本国の主体性と国柄、大和民族の文化と価値観を徹底的に破壊消滅することを目標とした国家侵略破壊行為に他ならない。
日本国と大和民族の未来を守るために、今、カトリック・キリスト教会を敵性組織と明白に認識して彼らと闘わなければならない。 2006年(主日B年) 1月22日 年間第3主日
ヨナ 3:1〜10 Iコリ 7:29〜31 マコ 1:14〜20
預言者ヨナは大いなる都ニネベに行って、40日後に迫った神の審判を予告しました。
ヘブライ人のヨナにとって、都ニネベに住む異邦人のような罪人(ロマ 2:15)などは取るに足りない存在に思えました。
しかし予想に反してニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけて 「おのおの悪の道を離れ」(ヨナ v.8)たのです。
そして 「神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」(ヨナ v.10)のでした。
この物語りが、“神の国の福音” を聞かされている私たちの教会のことであるという理解で、今朝の朗読配分は用意されました。
全世界の教会の今朝のミサで、その朗読を通して使徒たちの宣教、更にその中で確かに語っておられる天上のキリストの御声に触れることの出来る信者は幸いです。
生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた終末のキリストは、今はまだ “この方を信じる者は誰でもその名によって罪の赦しが受けられる”(使 10:43)キリストであることを感謝しましょう。
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ブヒィ♥
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しー し─J
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人 2000年(主日B年) 1月30日 年間第4主日
申 18:15〜20 Iコリ 7:32〜35 マコ 1:21〜28
「人々はその教えに非常に驚いた。 律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(マコ vv.21-22)
このような主イエスに、私たちもお会いしたいと思います。
私たちは漠然と信じているのではなくて、権威ある者としてお教えになる主イエスに出会って、私たちが受けている救いについてもっとしっかりした確信を持ちたいものだと思います。
「人々は皆驚いて、論じ合った。 “これはいったいどういうことなのだ。 権威ある新しい教えだ。 この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。”」(マコ v.27)
現代の教会が、この驚き ・・・ 神の子イエス・キリストの力ある救いに与かる驚き ・・・ を体験する教会となるために、第二バチカン公会議は典礼憲章を定めて、典礼刷新の基礎をおきました。
全世界の教会は今、その典礼刷新の中を歩んでいるのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています