晴佐久昌英神父を批判する
2014年03月23日 | 東京のカトリック教会

「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ13・3)、

「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。
そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、
好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、
作り話の方にそれて行くようになります」(二テモ4・3-4)。

(中略)

晴佐久神父の「福音“万人救済”宣言」や説教(というよりも「演説」)は、
人間にとって「都合の良い言葉」だけで潤色され、聖書の「不都合な真理」については沈黙する(注3)。

だが、それは「一時的な平安」「その場しのぎの癒し」による「救われた気分」という錯覚に陥らせることはあっても、
「霊魂の救済」とは成り得ないだろう。「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならないからです」(二コリ5・10)。

奇妙なことに、晴佐久神父は「どのようにして救いは実現するのか」について曖昧となる。
ただ「救われる」と力説しているだけなのだ。
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