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「隣人を愛せ」は間違いだった。邪教キリスト教
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0884神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/16(水) 18:48:26.16ID:+1VnVQDU
使徒継承の 日本ハリストス正教会では
プロテスタント福音派の解説に言う
古代教会で唱えていた詩篇での「食前の祈り」を
現在でも唱え、今に伝えている。

実用聖書注解 いのちのことば社 p665
詩篇
145篇
[概説]
表題の「賛美」は〔ヘ〕テヒッラーで、この言葉の
複数形テヒッリームが「詩篇」である.・・・
[注解]
・・・
15−16節は、104:27−28からの引用である.
この節は食事の感謝の祈りの一部として,また
古代教会では昼食の歌として用いられたと言う.
・・・

旧約聖書 詩編145編
15節
ものみながあなたに目を注いで待ち望むと
/あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
16節
すべて命あるものに向かって御手を開き
/望みを満足させてくださいます。
『 日本聖書協会 聖書 新共同訳 』

日本ハリストス正教会 祈祷書
【 食前の祝文 】
主(しゅ)や、衆人(しゅうじん)の目は なんじを望(のぞ)む、
なんじは時にしたがいて 彼等に糧(かて)をたもう、
なんじの豊(ゆたか)なる手を開きて、
もろもろの生ける者を なんじのめぐみに飽(あ)かしむ。
0885神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/05/16(水) 20:02:37.30ID:+1VnVQDU
三人の主教による按手の使徒継承の東方正教会では、
750年頃の西方教会の使徒信条を用いない。
381年ニカイア・コンスタンチノポリス信経を用いる。

使徒信条(シンボリウム・アポストルム)の
現在型は、いつ出来たか?
700年代の南フランスにある。
800年はシャルル・マーニュのフランク王国。

原典 古代キリスト教思想史 3 ラテン教父
 小高毅 編  教文館
p182
13 古ローマ信条と使徒信条
・・・、一四八三年の
フェラーラ・フィレンツェ公会議において、
この信条が
東方圏では伝えられてこなかったことが
明らかになった。・・・
・・・。現在の形で、最初にこの信条が
文献に登場するのは、
八世紀前半のコンスタンス湖近くの
ベネディクト会修道院の
創立者ピルミニンの著作においてである。
・・・様々な変形が現れており、・・・
しかしながら、ローマで現在の形の信条が
用いられ始めるのは八世紀以降のことである。
・・・使徒信条の起源はローマにはなく、
シャルルマーニュの時代の典礼統一の動きに伴い
ローマに導入されたものと考えられている。
諸文献を比較すると、
現在の使徒信条に最も近い形が現れるのは、
七世紀の南ガリア、
ピレネー山脈からローヌ川までの地域である。
それがまずガリア、ドイツでその権威が確立され、
更にローマのものとして確立されることになったと
考えられている。
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