「隣人を愛せ」は間違いだった。邪教キリスト教
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日本人の隣に住んでいるのは
「ロシアン」と「コリアン」である。
ともに「エイリアン」の亜種である。
エイリアンの亜種の見分け方
名前の後ろに「アン」が付くこと
侵略者であること
犯罪者が多いこと
信用できないこと
およそ人とは思えない振る舞いをすること ウェストミンスター信仰基準
ウェストミンスター信仰告白
人間との神の契約について
ttp://www.ogaki-ch.com/WCF/text/wcf07.htm
この契約は、律法の時代と福音の時代とで異なって執行された。
律法のもとでは、それは約束、預言、犠牲、割礼、過越の小羊、
その他ユダヤの国民に与えられた予型や規定によって執行され、
それらはすべて来たるべきキリストを予示していて、
約束のメシヤヘの信仰に選民を教え育てるのに、
その時代にとっては聖霊の働きによって十分で有効であった。
このメシヤによって、彼らは完全な罪のゆるしと
永遠の救いを得ていた。それは旧約と呼ばれる。
本体であるキリストが
現わされた時代である福音のもとでは
この契約が実施される規定は み言葉の説教と
洗礼並びに主の晩餐の礼典の執行である
それらは数が少なくなり より簡単に見栄え少なく
執行されてはいるが それでもなお この契約は
それらの中に ユダヤ人にも異邦人にもすべての国民に
一層十分に明確に そして霊的効力をもって提示されている
これが新約と呼ばれる
だから本質上
異なった二つの恵みの契約があるのではなくて
違った時代のもとに 同一のものがあるのである 日本聖書協会 新共同訳 聖書 引照つき 用語解説 契約
公教要理 旧約時代
カトリック要理 救い主への準備 罪のゆるし
カトリック教会のカテキズム エウカリスチアの秘跡 p403
フランシスコ会聖書研究所訳注 新約聖書 聖体の制定 例マタイ26:26−29
新共同訳の用語解説の契約の項
モーセの十戒の契約(シナイ契約)
イエスの死による契約(新しい契約) Tコリント11:23〜26(参照 エレミア31:31〜34)
私達があなた方に伝えた事は、私自身、主から受けたものです。
即ち主イエスは引き渡される夜、
パンを取り、感謝の祈りを捧げてそれを裂き、
『これは、あなた方の為の私の体である。
私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。
また食事の後で杯も同じようにして、
『この杯は、私の血によって立てられる(エレミヤの)新しい契約である。
飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい。』
と言われました。
だから、あなた方は、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです。 マタイ26:26 一同が食事をしているとき
イエスはパンを取り
賛美の祈りを唱えて それを裂き、
弟子たちに与えながら言われた
取って食べなさい これはわたしの体である
27 また杯を取り感謝の祈りを唱え
彼らに渡して言われた 皆この杯から飲みなさい
28 これは罪が赦されるように多くの人のために
流されるわたしの血 契約の血である
マルコ14:22 一同が食事をしているとき
イエスはパンを取り
賛美の祈りを唱えて それを裂き
弟子たちに与えて言われた
取りなさい これはわたしの体である
23 また杯を取り感謝の祈りを唱えて
彼らにお渡しになった 彼らは皆その杯から飲んだ
24 そしてイエスは言われた これは多くの人のために
流されるわたしの血 契約の血である
ルカ22:19 それからイエスはパンを取り
感謝の祈りを唱えて それを裂き
使徒たちに与えて言われた
これは あなたがたのために与えられる
わたしの体である わたしの記念として
このように行いなさい
20 食事を終えてから杯も同じようにして言われた
この杯は あなたがたのために流される
わたしの血による新しい契約である ヘブライ9:7〜22
しかし第二の幕屋には年に一度
大祭司だけが入りますが
自分自身のためと民の過失のために
献げる血を必ず携えて行きます
だから最初の契約もまた
血が流されずに成立したのではありません
というのはモーセが律法に従って
すべての掟を民全体に告げたとき
水や緋色の羊毛やヒソプと共に
若い雄牛と雄山羊の血を取って
契約の書自体と民全体とに振りかけ
これは神があなたがたに対して定められた
契約の血である と言ったからです
また彼は幕屋と礼拝のために用いる
あらゆる器具にも同様に血を振りかけました
こうしてほとんどすべてのものが
律法に従って血で清められており
血を流すことなしには
罪の赦しはありえないのです ガラテヤ3:13−14 キリストは私達の為に
呪いとなって 私達を
律法の呪いから贖い出して下さった 聖書に
「木に架けられた者は呪われる」と書いてある それは
アブラハムの受けた祝福がイエス・キリストにあって
異邦人に及ぶ為であり
約束された御霊を 私達が
信仰によって受ける為である
ヘブライ7:27 彼は ほかの大祭司のように まず
自分の罪のため 次に民の罪のために
日々 いけにえをささげる必要はない なぜなら
自分をささげて 一度だけ それをされたからである
ガラテヤ2:21 わたしは
神の恵みを無にはしません もし 人が
律法のお陰で義とされるとすれば それこそ
キリストの死は無意味になってしまいます
ヘブライ6:20 イエスは わたしたちのために
先駆者として そこへ入って行き 永遠に
メルキゼデクと同じような大祭司となられたのです
ヘブライ9:15 こういうわけで キリストは
新しい契約の仲介者なのです。それは
最初の契約の下で犯された罪の贖いとして
キリストが死んでくださったので召された者たちが 既に
約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません
ガラテヤ3:9 それで
信仰によって生きる人々は
信仰の人アブラハムと共に祝福されています 聖書でいう「のろい」は
ギリシア語でアナテマといい
正教会では破門の意味です。
聖書でいう福音は
中国語で「幸福の音信」の事であり
ギリシア語でエヴァンゲリオンといい
エウ+アンゲリエ(よい+しらせ)で
アンゲリは
エンゲルで
エンジェル(み使い、天使、知らせる人)の事です。
ヘレニズム時代の
コイネ・ギリシア語(聖書ギリシア語)でいうと
主: キュリオス
創り主: クティサス
救い主: ソーテール
全能者: パントクラトール
油注がれた者: クリストス(キリスト)
となります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています