江藤勲●歌謡曲スタジオミュージシャン 5●寺川正興
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歌謡曲畑での話題をメインに、話の広がりによっては劇伴:アニソン畑の曲での話題。
クレジットの情報、ノンクレジット曲のプレイヤー特定、このプレイが好きだ、すごいなど。
前スレ
江藤勲●歌謡曲スタジオミュージシャン 4●寺川正興
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1459096351/
>>2 以降、ミュージシャンの例。基本的に生年順(生年不明の場合は適当) 説明不足だな。10年で億単位には達して、その他収入で生涯年収イケるんじゃない? でも個人だから移動費も機材の維持費もかかるからそういうのを引いたら生涯年収サラリーマン以下かもな。
でも寺川さん最後は一人だったのか? 寺川さんがスタジオ・ワークで稼ぎまくっていたのは70年頃からの数年間だろう?
一生喰っていける程の稼ぎは無かったと思うな
江藤さんもスタジオ・ワークを始めた頃はスバル360にベースとアンプを積んでスタジオを駆け巡っていたと言う
もっともこれは当時レコーディング・スタジオにまともなアンプが無かったせいらしいが 余談だがジュディ・オングの最初の愛車がスバル360だったらしい、フォルクスワーゲン(愛称、カブト虫)に似たスタイルからテントウ虫と呼ばれていました 71年前後の流行歌、75年前後のアニソン特ソンの遭遇率は異常だからな
まだ80年代ほど分散もされてない時期だし、超一流ファーストコールレベルだったらもっと額行くでしょ
他の世界と同じで親族でおかしなのいたりとか、
エンタメ界でもヤクザなヤツ寄ってくるとかだと、予想外の金飛んでくってことはあるだろうけど 寺川さんが使ってたベースとか、安値で売りに出されたんだろうな。
今ならプレミア付くだろうけど。 >>408
スバル360の販売当初価格 36.5万円
当時の大卒初任給 1万3467円
今の軽自動車とは比較にならない高額商品なのをお忘れなく。
アンプに関してもいわゆるエレキブームやGSブームが起こる前はベースは
全部コントラバス。アンプ持ち込みなのは江藤さんが
日本のスタジオにエレキベースを持ち込んだ先駆けだから。
日本のエレキベースの父と言われる理由。
穂口さんがスタジオミュージシャンのギャラがかなり高額だったことを
ツイートでつぶやいていたんだが
(確か4年ぐらいで当時の金額で億に行かないぐらいとか…)
タクシーの運転手とはちょっとしんじられないなぁ。 連レスすまん
そういえばこのスレの1の時に
『江藤勲→かぐや姫さあどアルバム73年、ベース奏者クレジット、
寺川正興→数年前のカルメンマキの野外ライブのベース奏者
〜以上の事でふたりを知りました。 』
っていうレスがあったけど90年代末まで音楽活動はしていたんじゃないんかな?
ジョージ大塚トリオをやめた理由も『証言で綴る日本のジャズ』
で明らかにならなかったし村岡健さんやジョージ大塚さん
猪俣さんが生きてるうちに誰か聞けない物かね…。
ちなみに今月のギタマガの特集は月刊誌の限界に挑戦しています。
心ある方は是非お買い上げください。本気で音楽や雑誌を何とかしようしているんだと
思います。 ベンチャーズ特集のやつか?ざっと見たよまだ買ってないが ギタマガには敬意を表したいがギター縛りという限界がw
キーボードマガジンも読むしかないってことかw
キーボードマガジンのほうの昔の対談は読んだよ。
冨田勲と深町純のやつとかミッキー吉野のインタビューとかな。 ちなみにギタマガ8冊も置いてあった
レココレは先月のが2冊売れ残ってた すまんギタマガは地方では
先月号がまだ売れ残っているんだ
ジャズ特集のやつ
買ってあげて(;ω;) ギターマガジンアマゾンでポチった。
寺川正興特集ってできないのだろうか。
関係者に聞き出してほしい このスレの本質的にはベンチャーズは…
ベンチャーズの「ライブ『ロック』バンド」としての表メンバーの魅力
全盛期スタジオ盤のスタジオミュージシャン達のスキルの魅力、ってのが必要にはなってくるな
GSトラ問題と同じトラブルを抱えることになるから、暗黙の了解でほぼスルーされる運命にはあるけど 「激しい恋」のイントロのピューンピューンは
何の楽器なんだろうな サイレンホイッスルじゃないかな
波止場の効果音でも使われるよね ムーグシンセとかで創ったんちゃうの?
てゆーかベースライン激しいんやけど寺川ベースなん?? 寺川さんではないような気がする 間奏でのピューンピューンは
さらに入れすぎなほどうるさいなw
まあしかし改めて聴くと素晴らしいロック歌謡だな
イントロのピューンもそうだがやたら暑苦しい音に さらに
エモな秀樹の歌唱w
シティポップな洗練の対極にある歌謡曲の
バイタリティがここにある。
このメロディの過剰な暑さはR&B系ではなく
カンツォーネやシャンソンなどのヨーロッパ歌謡だろうな イントロがチェイスのパクリでなければカンペキなんだけど、まあ、あの時代あの程度はご愛嬌だなw
ブルースカイブルーはモセダデスのエレストゥが元ネタだよね。スペインポップス。 アレンジャー指示部以外はウィリーウイークスっぽいフレーズで構成してるから岡沢章さんかな
チャンスは一度のベースはカッコいいですな チェイスばりなブラスにトニーマコウレイばりの重厚なストリングスとか普通に転がってたりするからな
世界的に見ても濃いわ。この頃の流行歌
唯一出遅れてるのがエレキギターのプレイヤー、エフェクトのバリエーションか ヒデキだと「ボタンを外せ」がめちゃくちゃ洗練されててかっこいいね
アレンジが三木たかしさんってのを見てすごくびっくりした
こんなキメが多くて、シンコペしまくり・裏を強調しまくりなアレンジする人だとは思わなかった ボタンを外せは77年でしょ
「ボタンを外せ」からシティポップ化が始まるわけよ
AOR〜フュージョンの影響が出てくる
逆に言えば初期のやたら闇雲なまでの暑苦しさがあった
「激しい恋」「情熱の嵐」のような歌謡曲は消えていく。
完成度の高いタイトで洗練された作品が多くなっていく
その分岐点が77年と見る。
野口五郎でいえば「むさし野詩人」「グッドラック」あたりから そういう意味においてなんかピュイーンピュイーンうるさいな
みたいなあのほとばしる熱さがあった歌謡曲時代が貴重なのではないか?
と シティポップブームよりも先回りして評価しておく ってこと
1975年あたりまでの歌謡曲な そのあたりからスタジオミュージシャンも世代交代していく?
江藤さん、寺川さんの音が少なくなっていくかな 筒美セッションだと72、3年辺りで徐々に水谷・矢島・田中・武部体制に入れ替わって、他も似たような時代に似たような動きになるっぽいね
寺川氏は70年代中盤はアニソン特ソン分野でもう一回全盛期来るよね
あの時代にスピード感の増したヒーロー像を下支えするような、疾走感あるブラスロックが70年代後半までブームな状態で、
石川おじさんと共に軽快に突進していくリズム隊はこの形態にガチハマリして量産態勢に入った 頭脳警察の馬飼野アレンジ2作眺める感じだと
同時期の初期ヒデキの馬飼野康二アレンジも
水谷・田中・武部が基本フォーマットと見るのが正解確率高そう
時期的に岡沢氏もどんどん入ってくるんだろうね ttps://www.youtube.com/watch?v=NbD3D2sqHEc
石江理世 目かくし
阿久 悠 作詞:都倉 俊一 作曲 昭和49年(1974)6・25
14才でこの歌唱力すげえ(;゚ Д゚)
てかベース&ドラムカッコイイけど誰なん?
アレンジも都倉らしいが全っ然わからん(。ω゜)
イントロにスプリームス入っとるなw >>436
なんかレッドバロン思い出したw
いいなぁ 水谷さんって '75のつま恋以降、こうせつのコンサートツアーには
当たり前に出てたから(田中&武部も)、同時期にスタジオで
朝から晩までキャンディーズや歌謡曲演ってたなんて正直当時は知らなかった。
本人達も語らなかったし。
自分の中では 水谷さんはこうせつ/風 でいきなり表(生ステージ)に顔出して
一般的(フォーク/ニューミュージック派)に大人気・名前が認知されたように思う。 >>436
LP持ってるわ。放課後とかイイ意味でちょいおかしな歌詞だったなあ。
山口百恵の初期性典路線とか後から目線で、ああいうのはやらされてたみたいな話がデフォに近くなってるけど、
スタ誕で牧葉ユミの回転木馬唄ってたりして、放課後にもあるこういう背伸びにちょっとカッコいいテイストってのが当時あった気がする ttps://www.youtube.com/watch?v=aMLKyGyC7kE
ヒデ夕樹以上に歌ってる寺川ベースも最高なんだけど
チッチッチッチッってやたら入ってくるハイハットがツボったw
こういうハイハット聴ける歌謡曲ってあるの?誰か教えてください >>59
>>60
ttps://www.youtube.com/watch?v=lSWPkxnWCQ4
プロではないと思いますが、ベースの方が頑張ってるのを見るのも楽しいです。 ドリフのバイのバイのバイをベースで弾いてみた
ニコニコ動画
sm32777365 歌謡曲レパートリーいろいろあるみたいだから、
ベースなんてことになってんだいってことは分かった上でやってそうだな
ファン歴長い人も増えてきて寺川ベースはノリも大事そっちも再現できればって局面に入ってるのかもな 倉田まり子「青いフォトグラフ」でベースを弾いているのは誰ですか ハイハットのビシャッというところちゃんとやってるw 久々に年下の男の子アルバム収録版とシングル版聞き比べしてもうた DJするのにBlaxploitation掻き集めてて、
ブラックムービー全盛期と同時期の日本曲で使えるのないか探してたんだけど、
日本人って歌謡曲畑、アニソン・特ソン畑で独特なブラスロックとかファンクとか作り出してたのかもな
本場のノリとは違ってくるんだけど、悪い演奏ってことではなくそれはそれでクセになる独自の道筋って感じ
セッションミュージシャン連のジャズ作だと本場のフュージョンやらに近いノリ出してたり、いろいろ研究もしてた様子だけど ttps://www.youtube.com/watch?v=v7UxwfghGv0
UFO戦士ダイアポロンED
めちゃくちゃブラックミュージックやんw >>453
出だしの所なんて
リチャード・ラウンドトゥリーが闊歩する映像でも違和感ないなw >>405
結構な日銭が入ってくるから金銭感覚が狂ってきて使い方も
どんどん派手になっちゃうのさ
相方だった石川晶御大みたいに新しい奏法を取り入れつつもスタジオ仕事から
文化事業や教育関連等の後々メリットのある方面の仕事を徐々に増やしていくような
先の見通しが利く人ではなかったみたいだし >>405
結構な日銭が入ってくるから金銭感覚が狂ってきて使い方も
どんどん派手になっちゃうのさ
相方だった石川晶御大みたいに新しい奏法を取り入れつつもスタジオ仕事から
文化事業や教育関連等の後々メリットのある方面の仕事を徐々に増やしていくような
先の見通しが利く人ではなかったみたいだし つかそもそものソースが半田くん周りの40代のミュージシャン?
噂の範囲を越えないな あの人はもう昔っから細かいライブ仕事絶えずやってるイメージ 筒美だと南沙織の夏の感情とか優雅の方の燃える渚とか
1974年前後がBlaxploitation感あるもんが転がってるか
まさに間奏でシャフトしてる恋するインディアン人形がこの年だし そりゃそうだよ
筒美以外でもそうたよ
伊丹幸雄の青い麦とか藤本卓也歌謡の五木ひろし「待っている女」とかな
最高傑作は吉田拓郎の「君去りし後」(73年) 分かってるよ。だから「筒美だと」って言ってる。
俺は話のきっかけとして筒美担したから、他はいろいろ各々思いつくもんあったら挙げてくれりゃいいんじゃないかねってこと
筒美話もGSと同じぐらい危険だな
脊髄反射で怒られるw abemaTVでイデオンやってて観てる。メンツ明らかになってるとフルにBGM楽しめていい
なかなかベース音は聴きづらいけど、
ハネケンピアノ・数原ペットがすこぶる調子いい、まんまジャズやなって曲だと、物語よりそっち聴き入ってしまうw 発売日にオデオンサントラ完全盤?買ったけどまだ聴いてないわ 筒美とはっぴぃえんどに親子供をどうにかされたかのような層は多いw 「親や子供を〜」
アホが使う慣用句な
アホのひとつ覚え
これで検索したらおそろしいことがwww もうアンチ筒美もアンチはっぴぃえんども頭おかしい域に達してるな
このスレの初期からそういうのはいるが、特に筒美やはっぴぃえんど上げ下げは関係ない話題だったり、
話の本筋を全然つかまずに名前だけ見て反応するヤツ
別に馬飼野康二だとって話題でも何でも置き換えられるところ。どっちでもいい話の流れ。
馬飼野だと?話題にすることすら許せん。ムキーってなる層がいるか?w ボケでも草でもムキーでもどっちも言いたいこと言っておけばいいさ あいつら長文なのが厄介だけどね
このスレはアンチ筒美君とアンチはっぴいえんど君が毛嫌いする輩は少ない
啓蒙するなら別の昭和歌謡スレに行けと言うことだ 私のために じゃなくて
意味的には私のせいで なんだけど
うまく女王様キャラに誤解させてるよね ニッポンの編曲家にラブレター・エスカレーション・疑問符・デビューは個別クレジット出てたか デビューは出てないな
あの巻末、公式にクレジットされているものか記憶に寄るものか
明確にして欲しい気はする あ、デビューは鷺巣アレンジの名曲選ぶってとこね
シングルは何かしらの記録、シートに記載が残ってるってケースが多いんじゃないかね
なかなかフルメンツを記憶だけでってのもキツいもんあるだろうし アルバムは同じケースと公式にライナーなりジャケットなりに記載されてるものもあるんだろうね 先々週だっけか、TBSラジオのアフター6ジャンクションのゲストで
本当に上手いボーカルとは?特集みたいなことやってたな、鷺巣さん
未読だけど書籍が出たんだな 前に鉄道物を話題にしたけどひとつ発見した
https://youtu.be/zhHsb9LNkew?t=8
ザ・リリーズ 太陽がいっぱい
ただし歌詞に鉄道は出てこない
自転車に二ケツして恋へと突っ走る疾走感を歌ってる 親や子供でも殺されたのか?
このフレーズはやってんの?あちこちで見る
多分ボキャブラリーが無いからこればっか使うんだろうが >>481
たまに湧いて出てくるボキャブラリーに乏しいバカは放置でしょうね >>481
>>482
466に親や子供でも殺されたのか? 三井比佐子の月曜日はシックシックのギターは矢島賢かな?
生歌ひどくて有名だけど、スタジオ盤はほぼ本人の歌がEVE?のコーラスで潰されてるなw EVEだけで6トラックくらい振ってるんだよねw
12弦と6弦のアコギも入ってるけど記載がない
今さんagもやるのでおまけで弾いたか?
言われて見れば間奏「チェリーブラッサム」ぽい気はする >>485
サンクス!LPはクレジットあったんだw
ラフめなフレージングから矢島賢の線を想像したんだけど、意外に今剛だったか
残念ボーカル曲集めてDJやろうと思ったんだけど、かなりコーラスにフォローされてて破綻がなくて拍子抜けしたw 今YouTubeで初代仮面ライダーが配信されてるのを観てるんだけど、BGMのドラムがとても強力でカッコイイです。
70年代初期の作品ですが、どんなミュージシャンが参加しているかご存知の方いますか? コロンビアから出ている「ドラム!ドラム!ドラム!」
と言うCD4枚組のオムニパスがあるが、
チコ菊池とイージーライダーズでのベースはすべて寺川正興の音。
石川晶や田畑貞一、猪俣猛だったらわかるが、チコ菊池と寺川正興はどうなんだろうか
あと、田畑貞一とアバンギャルド10、石川 晶とジャッキー吉川の共演も寺川ベース。
寺川ファンは一度買って見る価値はある。 >>489
厨房の頃、アキバの露天でラジカセで鳴らしながら
その原版(と思われる)カセットテープ売ってたよ
タイトルがインパクとあって覚えてる
小柳ルミ子の喘ぎ声とされる都市伝説のテープも売ってたなあ
ラジオ局払い下げのオープンリールとか
製造過程の端材を利用した(とされる)無印カセットテープ(それでも何百円かした)とか良く買った
ディープだったなあアキバ 田畑貞一とアバンギャルド10では寺川ベース確認してたから、あれ気になるオムニバスだね
それだけあれば価値ありそう
しかし小柳ルミ子の喘ぎ声てw その他のエピソード含めディープですなあ
ウチら世代はのりピーの裏ビデオなるものがあったけどw ジミー竹内のドラム・ドラム・ドラムは江藤ベースが多数聞かれるがアルバム「自由の女神」では寺川さんらしきプレイが…
特に「四つのお願い」「あなたならどうする」あたりは寺川さんで間違いないと思われる
https://www.youtube.com/watch?v=9lVFjvOJ7Ek >>488
前にも話題に出たけど、菊池氏は寺川氏は印象にないらしく、
ライダーアクションとかストロンガーアクションとかのあれだけ動いてるベースが記憶ないってことは、
歌物セッションはインペグ任せだったんじゃないか説
一号二号ライダー時代BGMクレジットはっきりしないけど、インタビューだと石川のおじさんはかなり印象に残ってるようだった
石川晶はそこそこ菊池俊輔が指揮なりプロデュースするなりするBGMセッションに参加したってことかも
しかしリンダも島田陽子も若いね〜w >>493
ありがとうございます、そうか石川晶さんなんだ。
アクションシーンで派手なドラムソロのBGMがあってとても気になっていました。 菊池俊輔はさっさと仕事切り上げて雀荘いきたかったんだから
演奏なんてどうでもよかったんだろうなw >>494
歌ある曲のインスト変奏はそれっぽいけど、正直他は断言できないの多いかも。
BGMセッションと歌物セッションは菊池氏が求めるスキル異なったっぽい
>>495
ネット上の記事で見た記憶。劇伴倶楽部だったかな。 >>493
あのルックスは忘れられないだろうな
身体も声もデカかったし つべのライブ配信でアメリカ在住のドイツ人?が結構的を射た選曲のシティポップラジオやってるけど、
昭和歌謡でこういうのやる人出てこないかなあw 残念ボーカル集めで基本に戻って浅田美代子聴き返してたら
「赤い風船」が寺川ベースっぽかったけど、どっかで既に話題にはなってるかな? チューリップ1st収録版の「私の小さな人生」のベースは吉田彰ではない気がします。スタジオミュージシャンかなと。詳しい方います❓ >>501
1STアルバムは、吉田さんは4曲しか弾いておらず、「私の小さな人生」は、弾いていませんね。
シングルバージョンの録音に参加した宗田慎二、末広信幸(いずれもメジャー前に脱退)か、
スタジオミュージシャンなのか、分かりません。すみません。
アルバム用に撮り直しているならば、安部さんか姫野さんの可能性も無いことも無いですが。 >>489
「ドラム!ドラム!ドラム!」、購入して連休の旅行中車の中でずっと聴いてました。
ドラムもいいけど、ひたすら寺川ベースを聴くためのコンピレーション、最高でした。
有益な情報、ありがとうございます。 後日、詳細は記載するつもりですが、寺川さんも名を連ねていた「シンフォニック・オーケストラ・ヤマト」のフルート奏者「旭 孝」さんが当時のスタジオミュージシャンについての思い出を語っています。
http://dadaji.web.fc2.com/HP/index.html 補足
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