【弾き語りツアー】岡林信康 第6集【全国行脚】
>>422
そのギターはトップが駄目になって同じ型のを買い直している。 山下達郎は自分のコンサートで蒼氓を歌う時例年People Get Readyと風に吹かれてと私たちの望むものはの歌詞を織り込んでいたが今年のツアーでは私たちの望むものはを入れなかった。 >>430
情報ありがとう
当方大阪なので大竹まことのラジオ番組の存在を知らんかってんけど、番組のホームページに入って聴くことが出来た
岡林と大竹の掛け合い面白かった 美空ひばりとこの人はどこまでの関係なの?
美空ひばりって山口組の会長と深い仲なんでしょ? 馬鹿呼ばわりする人はどうかしてる。
美空ひばりの岡林信康に対する愛情は、
残された映像を見れば伝わってくる。
農業に従事してた時期の映像に、人糞を田んぼに撒く岡林信康を写した姿の近くに、
美空ひばりが映ってた。 なんか毎日いっしょに飲んでたらしいよ
ひばりさんからしたら芸能界外のアウトサイダーと飲んだりするのが
楽しかったのだろう なんやかや、激しい人生だったが
最後に大泉逸郎の「孫」のような「さよならひとつ」が
歌い手としての彼なりの答えだったのだろうか いい歳こいてるくせにつまらん意地張ってないで手紙を歌えよ >>445
幾度となく繰り返した自己批判の末に生まれた
岡林の最高傑作だろう 私たちの望むものは
決して私たちではなく
私たちの望むものは
私であり続けることなのだ
ここがすごいよな いつか届け この想い
いつか届けこの祈り
誰をうらむ事もない
夢と消えても
あたたかい季節に
燃えつきた 熱すぎる命
それでも 俺の胸に
たしかに届いた
遠い唄 聞きながら
今は待つだけ 今は待つだけ 復活の朝という新曲、聞いた。
めちゃくちゃ良いね。
やはりフォークの神様、心の深くに響いてくる。
今はこのご時世で動けないけど、御大にはいつまでも元気でいてほしいし、
コロナがおさまったら、すぐにでもコンサートやってほしい、切望しています。 新曲 芸スポではぼろくそに言われてたけどね オールドサヨクの自然回帰妄想 人がいなくなればすべて解決するみたいな
逆に言うとポルポトの虐殺思想に似てるんじゃないか ポル・ポト政権とは、1975?1979年の間にカンボジアを支配した共産主義政党「クメール・ルージュ」の指導者
であるポル・ポトによる独裁政権です。
ポル・ポトは、原始社会を理想とし、全国民を農業に従事させるといった極端な政策を行なっていました。
そして、医者や教師などの知識人や反抗する者に対しては厳しい迫害を行なっていました。
具体的にポル・ポトが国民に対して行ったことを挙げていきます。
・都市に住む人々を田舎に強制移住・強制労働
・不満を述べたり、規則を破った者は拷問・処刑
・教養のある者(ただメガネをかけている者も含め)は邪魔になるため拷問・処刑
・病人や幼児年寄りは不必要のため処刑 今聴いてみました
なんか昔のディラン回帰?ブロンドオンブロンドの頃の。
自然礼賛というかまあ自然回帰ていうか これってすぐ左翼だなんだって
言われちゃうけどそうじゃなくてこれこそ本当は保守の原点なんだよね。
保守思想の根幹
ただ夢落ちかよw
まあでも何百年後かの夢想かなと 先日URCレコード読本が発売されましたが
新たな証言はなく『岡林、信康を語る』からの再掲ですね
西岡(たかし)さんもないですね よくSFに描かれるような、終末期以後の地球みたいなイメージでしょうか
人間存在に対する葛藤やジレンマはナウシカ的世界観にも近い
優しく歌われているが、それはもしかしたら悪夢かもしれないという深さ。 今祈る〜ひとり旅〜
このメロが最近頭から離れん
タイトル流れ者だと思ってた >>436
岡林は見た目がよくてカッコよくて話が面白いからな
そういう男と飲むのがただ楽しかったというだけだろ URC読本見つけた
パラパラとめくった
買うのはやめた 番組情報
第二回全日本フォークジャンボリー記録映画「だからここに来た」
CS歌謡ポップチャンネル
10月16日(金)午後9時〜午後22時30分 「はい、私がフォークの神様です」岡林信康が新境地 自然の中で自由な音楽活動 コロナ禍にまつわる新曲が生まれアルバムも
https://hochi.news/articles/20210307-OHT1T50059.html 誰ぞこの子に愛の手を/怪人二十面相を捕まえろ、のアナログシングルをケットだぜ。
まさか手に入るとは思わなかった。 https://www.rittor-music.co.jp/magazine/detail/3121112001/
今発売中のアゴギタマガに新譜に関するインタビューが。
岡林は自宅でデジタルレコーディング。福生スタジオ真っ青のルームエコーを利用w 〔にっぽんの歌こころの歌〕
ジャパニーズ・ポップス
岡林信康作品集 「友よ」の歌詞の3番他者が介在していることを明言したのを明言したぞ。 チューリップのアップリケでおおたにあやこの名前を出した。 小山田の件で大炎上した「クイックJAPAN」だが、岡林とサンボマスターの
対談を通じて、両者を引き合わせたのも「クイック」だったのよね(今もその号、
手元にあるけど)
渋谷系からフォークまで幅広かったが、「あんな雑誌さっさと廃刊しろ」世間から
ぶっ叩かれりゃ、まあしょうがないかあそこまでの騒動になった以上は・・ >>495
元フォークキャンパーズのリーダーをやっていた鈴木君が三番をつけてくれました とのこと 現代版の「ヘライデ」を望んじゃいけないんだろうな‥ うちがナンボはよ 起きても
お父ちゃんのマラ 膣トントン打ち込んではるw 石原慎太郎がなくなったが、くそくらえ節の中でしぇい年(青年)の国を造るため
とか言って国会議員出馬のことを揶揄ってる まあ初期の歌が好きな恥ずかしい奴だけどさ、3ケ月で3つしかなかったから
つい書いちゃったぜ 心の地図を静かにたどれば
深く埋もれたあなたに会うだろう >>503
俺も好き。
あの頃のポップス調の肩の力の抜けた感じ、いいよね。
神様って崇められたり、田舎に籠るほど音楽性に悩んだり、エンヤトットとかと比べて、
な〜んにも考えてなく、ま、生活のために出しときますかって感じ(あくまで私見ですが)が逆にいいんだよな。 客「泉谷!」「泉谷!」「泉谷!」
岡林「俺は誘拐犯じゃない!」
会場内大爆笑
コンサート:街はステキなカーニバル
(芝郵便貯金ホール) 私を断罪せよ でエレキで2曲弾いてた中川イサト逝去 わからんのは見前にとべでも今日をこえてをやってるよな
あれはいらない、 今夜は朝まで踊りましょDVDをゲットした
岡蒸気の音源と被りまくり? 近況は、今の時点では4月ぐらいまででしょうか。
時は流れ、中津川世代の方々もかなり鬼籍に入られ、拓郎も引退、
同世代で若い連中とフェスなどで元気なのは泉谷と(系統は少し違うが)
小田和正ぐらいでしょうか(山下達郎とかは、少し下のほうの世代か)
御大は特に大病の経験も無いと思うので、畑でも耕しながらゆっくりと
やってほしいですな。
数十年の間も、未聴のアルバムのほうが多いので存命の間にまとめて
購入できればいいか・・と思っとります 岡林ファン歴33年大阪在住の54才の男です
オリビアニュートンジョンが亡くなりました
岡林のファンになって間もない頃に初めてコンサートに行った時に(京都府亀岡市民会館)「オリビアに」を聴いて、この曲が大好きになりました
と同時に岡林はこの曲をどんな女性をイメージして作ったんだろう?奥さん?娘さん?以前付き合っていた女性?それと何故この曲のタイトルに「オリビアに」って付けたんだろうという疑問が湧きました
後年、パソコンが普及してネットでいろいろ調べて見ました
岡林が1970年頃に付き合っていたタレントのY・Hではないか?という情報も有りましたが結局はわからず終いでした
時を経て、2015年8月に大阪府高槻市で行われた岡林のコンサートに行きました
自分にとって岡林の18回目のコンサートでした
第2部の1曲目に「オリビアに」を唱い、その直後に「オリビアに」は誰をイメージして作ったのか?また作った時の心境など詳しく話してくれました
自分は「オリビアに」はある女性をイメージして作ったとばかり思っていましたが、なんと!岡林の口から飛び出した答えは父の岡林勝治氏をイメージして作ったとの事でした 当時、新しいアルバム(セレナーデ)を制作するにあたりラブソングを1曲作ろうと
その時に幼い頃、父親から聞かされたある話を思い出したそうです
父親はすごく背が低くて、その事に凄くコンプレックスを抱いていた
そして見栄を張って自分を大きく見せようとよく高下駄を履いて街を歩いていた
その高下駄すら上手く履く事が出来ずにしょっちゅう転んでいた
そんな事が続くうちに父親は「自分は何故見栄を張って自分の体を大きく見せようとしているんだ。背が低くて何が悪いんだ、もう見栄を張る必要は無い、高下駄を履くのは辞めよう」
この出来事は父親が後に牧師になり教会を建てるきっかけの一つになったそうです 「オリビアに」の3番の歌詞にある「本当は普通の可愛い子、君は背伸びをした、高いヒールの足が折れ何度もつまづいた」
はまさしく高下駄を履いて転んでいる父親の姿をイメージした
岡林の話を聞いて「いろんな歌の作り方があるもんなんだな〜」と思ったと同時に「オリビア=岡林勝治氏」という事が判り長年の疑問が解けてスッキリしました
でももう一つの疑問、この曲のタイトルが何故「オリビアに」なのか?はまだ判っていません
ここまで来たら直接岡林本人に直接聞くしかない
コンサート終了後に出待ちをして岡林に会う事が出来てサインを頂いたり、一緒に写真を撮って頂いたた際に質問をぶつけました
岡林から帰って来た答えは「タイトルはそんなに深く考えてないよ。自分に取って父親の存在は凄く大きいんだけど、その父親の存在を大きく上回るぐらいの絶世の美女の名前をタイトルに付けようと思って当時人気のオリビアニュートンジョンから引っ張って来ただや。別にキャサリンでも何でも良かったんや」
長文の連投スミマセンm(__)m そうだったのですか
私は完全に、あの曲は同郷の奥さんへのラブソングだったと
思っていましたが・・まあ、そう思ってたとしても
「べつにええよ、それはそれで」言わはるでしょうけど