【弾き語りツアー】岡林信康 第6集【全国行脚】
そう大阪のABC朝日放送ラジオの「サバイバル宣言」
1979年8月から1年間放送された。
1980年2月に加藤和彦がゲスト出演、ロンドン行きを薦められ3月に旅立つ。
帰国後に加藤と新しいアルバムの構想を練り始めて9月に「ストーム」発売した。 連投スマソ
西岡たかしは1970年代後半にMBS毎日放送でラジオの深夜放送で「ヤングタウン」「チャチャヤング」
1980年代後半にラジオ関西で毎週日曜朝に「奥さまマガジン」やってましたわ
「ヤングタウン」「チャチャヤング」はお笑い芸人のDJ? と思わせるぐらい面白くて好評だったそうな 岡林や風船の知名度は大阪のローカル芸人とは違っていたのだから
関西限定ラジオでは聞けない地域は残念でしたね 岡林がアミューズ系の事務所にいた頃?
当時はTVもいろいろ出たみたいだね
サバイバル宣言聴いてみたいなあ 誰かつべに上げてくれ サバイバル宣言
放送時期から察すると番組タイトルは関白宣言のパロディーかな
田舎暮らしの時期の話をしていたのだろうか 70年代から80年代に変わる事はニューミュージックからJ-POP(とはまだ言わなかった)に代わりかけのミロだったと思うが、メディア上では岡林はまだ「フォーク」の人としてしか評価されていなかった気が。 いや、当時は岡林も何も、全部引っくるめて「ニューミュージック」に
されてたね。今のJ-POPは、まだいくらか線引きはされているほうだが
当時はアイドル歌謡と演歌以外はなんでも「ニューミュージック」と呼べば
いいぐらいな、いいかげんな時代だったから。そもそも「ニューミュージック」
という言い出しっぺはユーミンなのか、音楽ライターの富澤一誠なのか、
よくわかってないのだろうか。 ちなみに富澤のライターデビューは、岡林が71年に山奥に引っ込んだときの
「岡林よ、逃げるな踏み留まれ」みたいな文章だったようだが、当時は批判的に
見られたかもしれないが、それは「岡林に期待しているからこそ」と後に書いていたね しかしユーミンはユーミンで、特に荒井時代は「フォークはなんか
貧乏臭くて嫌い」とか言ってたのは知られているが、初期のバックや
アレンジはティンパンとか、「はっぴいえんど」のメンツだから、
フォークも含めた流れとの関わりは無視できなかったゆえの
「ニューミュージック」 だったのかもしれない 吉祥寺ライブ行ってきたぞ。
「今日を超えて」を久しぶりにライブで聴けた! ツアーは、加藤さんとデュオで回るのか?
平野さんはどうしてるのか? >>239
私も行きました!
加川良さん、エンケンさん、はしだのりひこさんへの追悼コメントが嬉しかったな
往年の関西フォークファンとして 1980年頃だったか、テレビでジュディ・オングと共演したこともあったなあ
何かのテレビCMで 「グッバイ・マイ・ダーリン」 が流れていた頃 >>242
へえー意外だな、御大が他の音楽家のことに触れるの珍しいから。 グッバイ・マイ・ダーリンはアミューズ移籍で最初の仕事だったんだよな。
ライオンも初の男性化粧品取り扱いで話題にしようとしていたが盛り上がってはいなかった気が。w
ところであのストリングアレンジ付きのシングル盤はまだCD化されていないんだっけ? アミューズといえば、サザンでの合同結婚式で神父役をやったらしい。
桑田らと岡林は面識があったということ >246
>何かのテレビCMで 「グッバイ・マイ・ダーリン」 が…」
『警部マクロード』のデニス・ウィーバーが出ていたCM >>248
ライオンの化粧品のCMだったか
CMではデニス・ウィーバーがフェンシングをしていた
ちょうどこのころ
テレビの「ミュージックフェア」でデビュー当時のチェゲアスと共演
一緒に「グッバイ…」を歌っていた(以前のスレでも書いたことだけど)
そういえば「君にささげるラブソング」も80年代にCMで使われてたな 岡林信康なんて高校生のときに初めて知ったわ
それまでは岡林とか高田渡とか知らなかったな 「今日の〜仕事はつらかった」の箇所だけを流す
入浴剤のCMなんてどうだ? 焼酎のCMでは? と考えたけどダメだな
いまどきの焼酎のCMは、しゃれたイメージのものが多くなってるし 徹子の部屋 ゲスト予定
9月3日 月曜 梅沢富美男&研 ナオコ 被害者VS加害者?「骨折事件」の真相は
9月4日 火曜 副島 淳 英語が出来ない身長2メートル越えの僕…
9月5日 水曜 ガレッジセール 下積み時代…悲惨すぎて笑える貧乏話
9月6日 木曜 岡林信康&坂崎幸之助 フォークの神様が美空ひばりさんとの秘話を
9月7日 金曜 DAIGO 結婚2年…家事の手伝いにチャレンジ! 情報ありがとう
徹子の部屋の出演は2012年5月以来4度目だ 新アルバム、平野さんはいないし、エンヤトットバンドも無いのはなんで?
それで自由になったのかい〜自由への長い旅 の繋ぎ方って、76年のセルフカバーでの展開に意図的に似せたのかな? 矢野顕子の声いらん 邪魔 がっかりだ
あそこだけカット出来んかなあ…出来るわけないわな 新アルバムの「それで自由になったのかい」、ガールズロックバンドThe Newsが91年にカバーした(歌詞一部変更)のとアレンジが似てるw 徹子の部屋 ゲスト予定
9月17日 月曜 Mステ ウルトラフェスの為 O.A.休止
9月18日 火曜 藤田弓子 亡母の発案で伊豆へ移住し30年
9月19日 水曜 岡林信康 坂崎幸之助 フォークの神様が美空ひばりさんとの秘話を
9月20日 木曜 木村佳乃 パパ似?ママ似?娘たちの子育てに奮闘
9月21日 金曜 樫山文枝 日色ともゑ 50年前…朝ドラ「伝説のヒロイン」が だいぶ喋りがスローモーになった感もあり、あまり力強い曲は
年齢的にきついかという印象もあるが、お元気そうで良かった。 >>274
これな、
結局、田頭道登氏とは最後どうなっちゃったんだろうね? 売り手が勝手に値を釣り上げてるだけだろ?
元々はミニコミ誌的な自主出版の本だったはず >>276
御大の方から絶縁したんじゃないのか?
本の中では田頭氏宛ての手紙が大量に開陳されてるけど
あれ、御大の許可とったのかなあ? ストーカーじゃないけど、変節?をネチネチという印象 >>281 取ってない というか、昔はそんなこと気にしない 蒸発後に政治的活動をしなくなったからか?
中川五郎や長野隆は50年経っても未だにひきづってるがw パンタとかと、左翼洗脳した若い女の子ら(向上委員会)と
仲良くやれるからね
「腰まで泥まみれ」は、元ちとせのカバーバージョンの方は
けっこう好きなんだが。 >>274
田頭道登さんが書いた岡林さんの本、確かもう一冊あったよね? >>281
>>284
うろ覚えだが、御大の当時の恋人(「愛する人へ」「君を待っている」のモデルの人か)と
田頭氏と三人でキューバに渡るつもりだったのが、
いつの間にか御大が彼女と別れて吉田日出子とねんごろになってキューバ行きをドタキャンし、
田頭氏呆れる…みたいないきさつだったような >>293
マジか?
ええ話やけど、どこにそんなことが書いてあるんだ? 吉田日出子は、はっぴいえんどの鈴木茂に乗り換えて、小日向文世、高橋克典 という順番で。。。(全員年下やんw) 今の嫁さんだったの? 自分がどこかで読んだものでは
最初の彼女は、デビュー時に通いつめていた部落解放同盟
(「チューリップ」の歌詞の元になった当時小学生のあやこちゃん
もいた)で知り合った女性だとか、今の嫁さんは(「村日記」によれば)
郷里の幼馴染で、「あら、岡林さんとこのノブちゃん、歌手にならはって
たの」みたいな感じ。 情報が錯綜しとるが、ありがとう。
解同の女から美空ひばりまで、モテ具合がなかなか手広くて流石だな 近々NHKのラジオに出るんですかね?
金曜日の坂崎さんのラジオで大物フォークシンガーと録音した事を言ってました。
最近お付き合いのある方って言ってましたので、拓郎さんやこうせつさんじゃ無いと思いますから、岡林さんの可能性がありますよね?
金曜日の時点では、まだ解禁出来ないらしいです。 Gの祈りは何の権利関係でCDにされないんだ?
東映?ビクター?
それともご本人がこの曲が嫌いってことはないよね? 余り知られて無いが、南田洋子と長門なんとかの唄番組にチャゲ&飛鳥と岡林は
共演した事がある。
録画しとけば良かった 中川五郎はいいよ 主婦のブルースはまさにあの時代のアングラソングの代表
今も戦争反対ソングを唄ってるとこもいい
おれは高石ともやが??という感じ >>299 このあいだの公開リハでGの祈りやった。
1980年だからビクターのInnvitationレーベル
シングルのみで、埋もれてるのは「怪人二十面相を追いかけろ」もあるな(1974コロ) >>300
ミュージックフェアだね
>>302
「ラスト・モーニング」もあるね
歌詞が素晴らしい 現在入手不可なシングル。はほかにこれがあるね。
友よ(1968 山谷ブルースのB面で 高石友也とのデュオバージョン)
夕べの祈り/ ムーンライト (1982 ウシャコダがサポート)
祈りの朝 1996 1981/11 グラフィティ 発売
1982/6〜翌年春 映画「きつね」撮影
1982 平行してウシャコダとライブ
1984 ライブツアー開始a 高石ともやって「さぁみなさんご一緒に〜」とか観客席に呼びかけるけど、だれも高石の唄
知らないしみんなで合唱するようなヒット曲あった?
それと泣いてるのか笑ってるのかわからない歯を食いしばってるような表情が
なんか痛々しい。 中川は「腰まで泥まみれ」を今でも唄う
岡林は唄わない それが痛々しいんだよ
まだやってんのかというような、時代に取り残された感がある 長野隆(五つの赤い風船のベース)も中川五郎と同様。 つうか中川は「間違ってる」からな
お前は間違ってんだよって言ってやっても仕方ないが いや、間違っていない。
今の時代だからこそ唄うべきで時代をリードしている 面白いなあ。
共に70才。
岡林信康はプロテストソングなどさっさとやめて気楽に好々爺として、生きている。
その昔史上最高のスーパースターとして、商業主義のど真ん中にいた、沢田研二が、今や反権力の象徴のような曲ばかりで、
問題行動も数知れず。
若いころと今が逆転した二人が絡んだらなにか面白そうやわ。 沢田は若い頃から芸能界に入ったから
おそらく学生運動を羨望のまなざしで見ていたのだろうと推測する。
だから今やってんだろな
もちろん間違ってるけどなw 「もっと積極的にデモの先頭に立って反戦を歌え! 軟弱!」
とか言って岡林を吊るし上げたのは、他でもない労音や左翼だから
辟易して当然・・ 沢田はその時代は論外でむろんのこと、中川も左翼的
にはずっと優等生でやって来たとすれば(ポルノ小説的なもので問題に
なった事があったというのも、中川にとってはいかにも反権力的表現のような)、
そのへんの違いかもしれない。
自分はその世代ではないので、半分は推測ではあるが・・ >>318 反博 での対立、新宿西口「広場」で歌わなかったことなど。。(岡林に限らず) なんぼなんでも沢田研二ごときと岡林を同列に語るのは岡林に失礼というもの そういえばファンの中でブログ書いてる中高年がいて、民主党の政権交代を吉田拓郎の病気と岡林の復活?と絡めたバカがいたな。 沢田研二は沢田研二でエンターティナーとして天才だろ。
フォークの分野で比べるのは違うかもしれんが、ごときなどと呼ぶ方が失礼 >>321で思い出したが
山口百恵が谷村 新司の曲でヒットを飛ばした時、永六輔のラジオ番組に二人が出演した事がある。
六輔が谷村をイジり出して、「アイドルとして保守の代表だった百恵ちゃんがどんどん先鋭化して
ゆき、大阪時代に革新だったアリスが保守化してゆくとかなんとか」とからかい始めたところ
谷村がムキになり「僕らは色んな事をやって行こうと思ってるんです」と言ったら六輔がすかさず
「あっ、なるほど新自由クラブみたいなんだ」と笑いながら茶々を入れて谷村は絶句、
聞いていてなんか俺は胸がスッとしたのを覚えてる >>321 の続き
コイツは62歳の模様 「アベ」とか言ってるパヨクw 「友よ」はJリーグで 下位チームサポーターがよく歌っている時代w 「日本人にはエンヤトットのDNAがインプットされてる」と岡林が言うが違うんじゃないかなぁ
俺の家の近くに保育園があるが民謡かけても園児はあまり乗ってこない
洋楽をかけると自然にリズムを取り踊り出す。
岡林の年代までの老人にはエンヤトットのリズムがインプットされてるかも知れんが
今の若者には洋楽のリズムが母親の胎内にいるころからDNA化してるように思う。